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【ア・ニンジャ・アンド・ア・ドッグ】

◇総合目次 ◇エピソード一覧

この小説はニンジャスレイヤー第3部のTwitter連載時ログをアーカイブしたものです。連載時のドキュメントをそのままアーカイブするのが目的なので、誤字脱字などの修正は行っていません。これはスピンオフ的な性質を持つ「報道特派員シリーズ」のエピソードのため、物理書籍未収録作品です。




 ガーガガー、ガガガガガー。天然オンセンにひたした汚染スキャナが激しく鳴る。その湯は緑色に変色し、生息を許されるのはバイオカニだけ。「汚さない」「祖先が監視」と書かれた旧世紀のマナー看板は、もはや顧みられることもなく、ジャンクUNIXや医療廃棄物のパイルの中で朽ち果ててゆく。 

「ここも重度汚染。いつの時代も、自然破壊のツケを最初に払わされるのは、都市部の恩恵から切り離された郊外の人たちだわ……」サイバー登山服姿のナンシー・リーが言い、マウント・ジモトの裾野に広がる過疎地帯を見渡した。彼女の手には登山ステッキ。口元は簡易ガスマスクで隠されている。 

 大型のTVカメラと通信機材を背負い、彼女の後ろに続くのは、同じく報道特派員のイチロー・モリタ。無論そのID身分証は偽造品であり、真の名前はフジキド・ケンジである。彼とナンシーはネオサイタマを離れ、中国地方ジモト市へと足を踏み入れていた。……重汚染と過疎化で半ば死に絶えた街だ。 

 重金属酸性雨によって、山の木々はほぼ枯れ果て、傾いた電柱や濃度観測サイレン塔などのほうがむしろ目立つ有様だ。ヒュンヒュンヒュン……汚染された灰色の空を、暗黒メガコーポ群の黒塗り輸送ヘリが飛ぶ。ガララララ……それらは産廃コンテナの積荷を山に投棄して、平然と飛び去ってゆくのだ。 

 二人は山道を登り、マウント・ジモトの中腹を目指す。山頂に聳える巨大なトックリ状の建造物が見えた。カンタロウ・パワーズ社が十数年前に放棄したジェネレーターだ。その壁面には愛くるしいマスコットキャラクターや「暴力団追放」等のスローガンが書かれ、巧妙なイメージ操作の痕跡を覗かせる。 

 だがこのようなディストピア風景も、マッポー下の日本ではチャメシ・インシデントなのだ。彼らがここを訪れた理由は他にある。「イエティの気配は、どこにも無いな」遠ざかる暗黒ヘリを撮影しながら、イチロー・モリタが言う。「それどころか、野生モンキーの気配すら」「そうね」とナンシー。 

「!これを見て」ナンシーが何かを発見した。電信柱に吊り下げられた赤いモンキー・ブードゥー人形が、無残に破壊され、撒き散らされているのだ。「こっちの電柱も。こっちも。辺り一面よ、気味が悪いわ」何者かの悪意を感じる。「……」イチロー・モリタはそれを撮影し、ニンジャの痕跡を探した。 

「古いトリイと山小屋があるわ、麓で聞いた通りの場所よ」ナンシーがステッキで先を指し示す。山道の横は崖になっており、麓を見渡せる場所に狩猟用ショットガンが一挺、墓標めいて突き立てられていた。「これは……」イチロー・モリタのニューロンに、麓の町でのインタビュー光景が甦った。 

 

◆◆◆

 

 麓の寺、テンプル・オブ・ハンドレッド・モンキーズ。「この山には昔から、多くのモンキーが住んでいました。人間とモンキーが、共存していたのです。しばしば両者は平和的にオンセンに入りました。幸福な時代です」老ボンズが内部を案内する。二人の特派員は様々な文献や天井の墨絵を撮影した。 

「この地方に怪物の伝承等は?」ナンシーが問う。老ボンズは手を差し出し、トークンを受け取ると、柱のボタンを押した。錆びたスピーカーから再び電子音声が流れる。「かつてこの山には、キングモンキーなる怪物が住み、ダイミョを悩ませました。それを鎮めるために、このテンプルが築かれ……」 

「思った通り、民間伝承はほぼ死に絶えている」ナンシーが門へ向かいながらぼやく。「予想はしてたけど、大した情報は得られなかったわね。やはり暗黒メガコーポの非人道実験のセンを探った方が良さそう」「ニンジャアニマル……」だがイチロー・モリタは、険しい顔つきでそう呟いた。 

 彼は、岡山県でユカノから教わったニンジャ知識を今回の怪事件と結びつけずにはいられなかった。かつて平安時代には、動物と深い結びつきを持つニンジャクランが複数あったという。鴉の大群を操る者、ネズミを従え密偵や疫病媒介者として使う者、そして狼、犬、鷲などを戦闘獣として仕込む者…。 

 その中にモンキーを使役する者たちがいたとしても、何らおかしくはない。さらに驚くべきニンジャ伝説がある。それらのニンジャアニマルの中には、主人であるニンジャと過酷なカラテトレーニングを積むうちに、人語を解するほど高いインテリジェンスを獲得したものが、極少数ながら存在したのだ。 

「つまり、野生のモンキーにニンジャソウルが憑依して、住民を襲い始めた?」ナンシーがサイバーサングラスを外し、イチロー・モリタの顔を見る。「可能性は否定できない」「オーライ。確かにニンジャが関わっている可能性はあるわ。でも山頂を見て。どう見てもこれは環境破壊による突然変異…」 

「モンキーの怒りじゃ……」何者かの声。二人はハッとして口をつぐんだ。外へ出ると、テンプル前の雨除け付きベンチに、長い顎髭をたくわえたサイバーサングラスの老人が座っていた。「平和な時代は過ぎ去り、猿害がわしらを悩ませた。モンキーたちは人間との戦いの中で、知恵を得たのじゃ……」 

「モンキーの怒りと悪意を感じる……。やがてモンキーはIRCによって、遠隔地へと文化と憎悪を伝搬し、世界中のモンキーが立ち上がるじゃろう。わしらは滅びを待つしか無いのじゃ。インガオホー……」「IRCですって?モンキーがUNIXを使うとでも言うの?」ナンシーが地元の老人に問う。 

「モンキーの怒りじゃ……山に入ってはならんぞ……」非科学的な老人はそう繰り返すばかり。やがてサイバーサングラスで電子ショーギを始めた。二人が諦めて立ち去ると、老人は何かを呟いた。イチロー・モリタのニンジャ聴力はそれを聞き逃さない。「……イツム=サンたちは愚かな事をした……」 

 

◆◆◆

 

「イツム=サンか……彼は勇敢だった」車椅子に乗った中年の男が言った。彼の名はモリタチ。ジモト市に一軒しか無い、レンタルビデオショップの店員だ。「何故この町の人は、彼のことを話したがらないの?」ナンシーが問う。「イエティを怒らせたからさ。手傷を負わせてな。……こっちに来な」 

「イエティ?」「あの怪物をそう呼んだ。ただのモンキーとは思えねェからな。……俺ァな、ボー・ドーの有段者で、ネオサイタマに居た頃は……ドージョー経営も考えてた」モリタチは、壁に掛けられた木製武器ボーと、UNIXモニタに再生される全盛期の試合風景ビデオを誇らしげに指し示した。 

「俺たちは自警団を組織し、峠道を見張った。そして奴が現れた。奴の振り回すボーに対し、有段者の俺が、手も足も出なかった……」「敵もボーを使ったのですね?」イチロー・モリタ特派員がハンチング帽を押し上げた。「ああそうさ。あのカラテには、何というか……知性があった。邪悪な知性が」 

「確かに……ただのモンキーに、そんな真似は無理でしょう」モリタ特派員が頷く。「それだけじゃねえ」モリタチは顔を覆った。「奴は……銃を使った。狩猟用のショットガンだ。自警団の一人だったイツム爺さんが、そいつで一発喰らわせたが、あの怪物は死なず、逆にショットガンを奪いやがった」 

「そして……BLAMN!イツム爺さんの頭は熟したフルーツみてえに一発で吹っ飛んだ。怪物の目は笑ってるみたいだった」モリタチが声を震わせる。「そして弾が切れたと解るや、そいつはキーキーと喚きながらショットガンを振り回して俺を殴り、崖から叩き落とした。俺は転げ落ち…この有様だ」 

「言葉は喋らないのね」ナンシーが質問する。「ああ」「外見を詳しく。服は?」「服……そう言っていいか解らねェが、ボロ切れを羽織ってた。こんな感じだ」モリタチが拙い絵を描く。黒い布で目元とシッポ以外を包んだ類人猿の絵を。体勢は前屈み。しなやかな動き。人間の大人より小さい。素足。 

「オーマイガー」ナンシーが口を手で押さえる。「これはまるで……ニンジャだ」モリタ特派員の表情が険しさを増す。「より正確に言うならば、ニンジャ装束を纏ったモンキーだ」「ニンジャだなんて、やめてくれよ」モリタチが言う。最初は笑い、少しして深刻な顔になる。「おっかねえじゃねえか」 

「自警団は?」「半数が死んだ。おまけにイツム爺さんの死体は見つからねえ。しばらくイエティは出なかったが、すぐ復活して悪辣さをさらに増した……俺たちゃ余計な事をしたからムラハチさ」「UNIXを使うという噂は」「俺が入院中の話だ。奴がある日電磁柵を破壊してUNIX店を襲い……」 

「アイエエエエエエエエエエエ!」ナンシー・リーの叫び声によって、イチロー・モリタは突如回想から引き戻される! 

「イエティ!イエティよ!」岩陰に隠れたナンシーが、ストックでトリイの方向を指し示す!「キーッ!キキーッ!」そこにはシッポを持つ黒い人影が立ち、威圧的に叫んでいる!「イヤーッ!」イチロー・モリタはTVカメラでそれを撮影しながら、険しい山道を駆け登る! 

 ナムアミダブツ!ついに姿を現した山の怪物!モンキー・ブードゥー人形が無残に破壊されていたのは、近づくなかれという怪物からの警告か!?「キーッ!キキーッ!」イエティと思しき人影はバンブー岩場を抜けて山小屋の方向へと走る!イチロー・モリタは臆せず追跡!疾走でカメラ映像が乱れる! 

 

◆◆◆

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ!」ナンシーは予備のサイバーハンディカメラを起動させ、後を追う!BLAMN!BLAMN!銃声!前屈み姿勢で逃げていた謎の人影が振り返り、岩場を駆けるモリタ特派員に対し発砲したのだ!銃!やはり住民が語った通り、この怪物は知性を持つのであろうか!? 

「バンブーが邪魔でよく見えない……!」ナンシーが悪態をつく。イエティの全身像を捕捉できないまま、みるみる距離が開く。一方モリタ特派員はニンジャ脚力で目標との距離を詰め……飛び掛かった。「キーッ!キキキーッ!」怪物の絶叫。BLAMNBLAMN!「殺さないで!」ナンシーが叫ぶ! 

 30秒後。ナンシー・リーは息を切らしながら山小屋前へと辿り着く。もし、目と鼻の先まで追いつめていたイエティを逃していたら……あるいは既に死んでいたとしたら……身分詐称して行ってきたジモト市での危険な取材行動が、無に帰してしまう。そのような事が起こらぬよう、ナンシーは祈った。 

 ナンシーはモリタ特派員の後ろ姿を見る。そして、その足元に仰向けで転がる、黒い人型の何かを。「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……これは何……」息苦しさに簡易ガスマスクを外したナンシーは、獣じみた酷い悪臭に気付いて顔を歪ませた。「……これは何……?」 

「これはニンジャではない」モリタ特派員が言う。相手がニンジャではないと瞬時に判断したからこそ、彼はニンジャスレイヤーとしての正体を明かさず、スリケンも投擲せず、報道特派員としてこれを追いつめたのだ。「そして、暗黒メガコーポの非人道的環境破壊が生み落とした怪物でも無さそうだな」

 イチロー・モリタは屈み込み、怪物の頭部を覆う黒い毛皮と布のツギハギマスクを破いた。皮を剥かれたライチめいて、スキンヘッドの男の顔が現れる。その口部分はガスマスク状サイバネ装置に置換されていた。「人間……」ナンシーが言った。白眼を剥いて気絶するその男は、確かに、人間であった。 

 二人の報道特派員は、それをトリイに吊るして正気付かせると、インタビューを開始した。男の正体は、過度のサイバネ化によって半ば自我を損傷させた、薄汚いパラディン(単独でハック&スラッシュを遂行する能力を有した犯罪者の俗称、サイバネによって戦闘能力を得たハッカーが大半)であった。 

 この男は不法投棄基板漁り兼パラディンとして重汚染過疎地域を放浪していたが、ジモト市を荒らす怪物の噂を聞き、違法投棄物で自らのサイバネ肉体を覆い、怪物に成り済ましていたのだ。尻尾も偽物である。要は迷信深い過疎地帯の家々を狙うケチな押し込み強盗……それに毛が生えたような代物だ。 

 パラディンが鼻血を垂らして気絶する。直結ハッキングによる調査は、暫し休憩を挟まねばならない。だが事件の全容は見え始めた。二人の報道特派員に重くのしかかる困惑、そして落胆。「あっさりと事件解決という事か?」モリタが言う。「…いいえ、まだよ。この男は怪物の噂を聞きつけて来たの」 

「その男の自白や記憶に、信頼が置けるならばだが……」モリタ特派員は思案しながら歩く。彼は何らかの不自然さを直感的に感じ取っていた。「……そうね。確かにメモリは錆び始めて時系列の整合性は怪しい。山小屋で体勢を立て直してから、この男を連れて下山しましょう」ナンシーが提案する。 

 何かが腑に落ちぬ。モリタ特派員は不気味な焦燥感に駆られ、眉を潜めながら歩き、イツム老人のショットガン墓標の前に膝をついた。「あの程度の強盗殺人者が武装自警団を撃退できるだろうか?そもそも自警団の証言と大きく食い違う……」どこかに、未だ我々の気付かぬ真実が隠されているのでは? 

 その時である。『ドーモ、お困りのようだな、ニンジャスレイヤー=サン』何者かの声。「ドーモ、オヌシは……ストライダー=サン……!」フジキドは崖の近くの岩を仰ぎ見た。そこには一頭の盲導犬の姿があった。ただの犬ではない。その瞳には気高い知性が宿っている。ニンジャアニマルの知性が。 

 何故ここに彼が。それに答える時間すら惜しむように、ハッハッハッと息を吐きながら舌を出し、ストライダーは語った。『これはニンジャの仕業だ。ニンジャが彼を殺した』「彼とは……イツム=サンか……!」フジキドはムラハチにされ名誉を失った老人の墓標を見る。犬は肯定を示すように唸った。 

「誰と通話しているの」ナンシーが問う。IRC音声通信を行っていると思ったのだ。「待ってくれ、彼と話している。まさかこんな所で再会する事になろうとは」フジキドは歩み寄り、犬の背を撫でた。『ただのニンジャではない。賢いモンキーのニンジャだ』「成る程な、賢いモンキーのニンジャか」 

 犬の首輪には「タロウイチ」の名。体には傷が多い。「冗談はやめて、フジキド=サン。犬に聞いて何が解るの?私との作戦会議より、犬と話してた方が実り多い、そういう事かしら」ナンシーにとって……否、ニンジャ以外の者にとって、ストライダーの言葉はただの犬の吠え声にしか聞こえないのだ。 

「彼はニンジャドッグなのだ。かつてネオサイタマで共に戦い、彼の復讐を手助けし…」「確かに今回の事件は肩透かしだったかもしれない。でもその犬はニンジャじゃないと思うし、ニンジャの情報もくれないと思うの。諦めが肝心よ。ねえ、フジキド=サン、あなたの自我が心配だわ。休みましょう」 

「彼の声は常人には聞き取れぬ。ニンジャだけがその言葉を…」「そうでしょうともね」ナンシーは背を向け、山小屋へ向かって歩き出した。『山頂に向かえ。ニンジャスレイヤー=サン。奴の名は、マンモンキー』そう言い残すと、ストライダーは風のように崖を駆け下り、汚染スモッグの霧に消えた。 

「マン……モンキー……」フジキドは錆び果てたショットガン墓標を見ながら、その禍々しいニンジャの名を復唱する。上空に黒雲が集い始める。雷雨が近い。ヒュンヒュンヒュン……再び暗黒メガコーポ群の黒塗り輸送ヘリが飛び、産廃コンテナの積荷を峰々に投棄しながら、淡々と飛び去っていった。 






 夜。マウント・ジモトの斜面を小雨が濡らし、遠雷の音が聞こえ始める。サイバー登山服に身を包んだナンシーは、荒れ果てた中腹の山小屋で独り、今回の事件のレポートをまとめるために、ノートUNIXを操作しながらコーヒーを飲んでいた。……だが胸騒ぎが続く。事件は解決したはず。なのに何故。 

 謎の盲導犬が姿を消した後、二人の特派員は山小屋で小休止を取り、ミーティングを行った。イエティに成り済ましこの山小屋を根城にしていた薄汚いパラディンを捕えはしたが、モリタ特派員はニンジャ陰謀論を、ナンシーは環境破壊と汚染による野生動物の異常進化説を、未だ捨て切れずにいたからだ。 

「真相は他にある」モリタ特派員はそう言い、山頂へ向かうことに強いこだわりを見せた。ナンシーもそれ自体には同意し、二人は山小屋を出ると、再び山道を登った。しかし道中、彼らは不自然な落石や変異コブラなどに襲われ、また天候の不安もあり、拠点である山小屋への退却を余儀なくされたのだ。 

 モリタ特派員はここには居ない。彼は反対を押し切り山頂へ向かった。ナンシーは手帳に書かれた「宇宙人説」「地元民狂言説」などを×で消しながら、心細さを感じる。ここは電脳メガロシティではない。山だ。大自然の中で人は無力なのだ。「今夜は立ち往生かしら」彼女はドアを開け外の空気を吸う。 

「あれは……?」ナンシーは小さな人影を見つけた。サイバーサングラスで捕捉し光学拡大する。小さな野生のモンキーが2頭、こちらを見ている。その手にはバイオカニ。食料を採ってきた帰りか。「気味が悪いわね……まるで、監視されているみたい」ナンシーは寒気を覚え、ドアを締めて鍵をかけた。 

 雨が強さを増し始めた。ナンシーはUNIX画面や捜査ノートを睨む。イエティのものとされる写真、モリタ特派員の手で撮影された映像、汚染状況のレポートデータ……。「何かを見逃している気がするわ……何か重大な見落としが……」ナンシーは頭を掻いた。その時、外で、何かの落下音が聞こえた。 

「アイエエエエエエ!」パラディンが悲鳴を上げた。彼は強化透明PVCシートを被せた状態でトリイに吊り下げられている。彼が何かを見たのだ!ナンシーは恐怖を感じた。窓から外を見る。周囲が薄ぼんやりと、蛍光緑色に発光している。彼女はハンドガンを握り、ドアを開けて悲鳴の方向へ向かった! 

「何が起こっているの!」ナンシーが駆ける。「アイエエエエエエ!」だがパラディンは恐慌状態に陥り、ミノムシめいて身を捩らせるのみ。山肌からは緑色の無数のスネークめいて滲み出し蛇行する光!「これは……バイオエキス?雨で山頂部から滲み出してきた…?」「ア……ア……」何者かが呻いた! 

 果たして何者!?それはトリイの近くにパイル状になった、不法投棄物の山の上から聞こえてくる!「誰!?答えなさい!」ナンシーはハンドガンを構え、接近。危険であることは百も承知だ。だが、隠されたイエティの真実が、今手を伸ばせば届く場所にある……その信念が、彼女を前へと進ませた! 

 そこで彼女が見た物は!「ア……ア……」……それは怪物ではなかった。それは白衣を着た、瀕死の研究員であった。「あなた、ヨロシサン製薬のバイオ研究員ね」ナンシーは注意深く銃口を逸らさずに問うた。「誤魔化しても無駄。この有害なバイオエキス漏洩現象には見覚えがある。何をしているの」 

「我々は悪魔を生み出してしまった……」研究員はうわごとのように呟いた。分厚い眼鏡はヒビ割れ、両目から血が流れている。「言いなさい、そいつの正体を」ナンシーが問い、息のあるうちに直結すべくLANケーブルを伸ばす。だが「マン……モンキー……」その恐るべき名を残し、彼は息絶えた。 

「マン……モンキー……」ナンシーは息を呑み、戦慄した。それはモリタ特派員が、謎めいた盲導犬との対話によって得た名前と、完全に一致していたからだ。研究員はやつれ果て、白衣もボロボロで、何日か山を彷徨っていたのだと推測できる。彼は上から転落してきたのか?事故……それとも……? 

 ゴゴゴーン!雷の音。「キキーッ!」バンブー林の中からモンキーたちの鳴き声が聞こえる。「彼は正しかったんだわ。ごめんなさい、あなたを疑っていた……」不吉な焦燥感に駆られたナンシーは、研究員の白衣をまさぐり、手掛かりを探し求めた。そしてふと振り返った時……彼女はそれを見たのだ。 

 

◆◆◆

 

「雷……?」麓にあるジモト市の家で、ミノコは目覚め、フートンから身をもたげた。激しい雷雨の音、そして不安感ゆえだ。 

「タロウイチ、タロウイチ……?」ミノコは暗闇の中、非常電子ボンボリ灯のおぼろげな感覚だけを頼りに、壁伝いに家の中を歩いた。酷い雨ならば、タロウイチも家の中に居るだろうと考えたからだ。「タロウイチ……どこにいるの……タロウイチ……?」彼女の目は、数週間前に突如開かなくなった。 

 医者はサジを投げたが、原因は明白だった。祖父イツムが死に、死体も見つからず、挙げ句の果てにムラハチにされたからだ。そして絶望に満ちた病院からの帰り道…ミノコとその両親は偶然、一頭のはぐれ盲導犬と出会った。首輪に彫られた名の通り彼はタロウイチと呼ばれ、ミノコと暮らす事にした。 

「小屋にもいないわ」起きてきた母親が言う。タロウイチは賢く不思議な犬だった。室内を好まず鎖も好まない。山で餌を取ってくる事さえあった。だがタロウウチは、ミノコが助けを必要とする時は必ず傍に居たのだ。またミノコを苛め、イツム老の名誉を罵る者がいれば、狼めいて吠えて失禁させた。 

「まさか山に?でもこんな嵐の夜にねえ……それに」母親が溜め息をつく。その先は言わない。ミノコを苦しめぬためだ。明日は引越なのだ。ジモト市を離れ、彼女の一家は新天地を求めてネオサイタマへと向かう。タロウイチが戻らねば、彼女らだけで行くほかは無い。「……戻ってくるわよ、きっと」 

「戻ってこなかったら?」ミノコが問う。「……不思議な犬だったから、そういう定めだったのかもしれない。その覚悟はしておきなさい」母親はマウント・ジモト中腹を眺めながら言った。彼女も本心では引越などしたくない。父の名誉が失われたままになる事が無念だからだ。だが、娘のためなのだ。 

 

◆◆◆

 

 同刻、マウント・ジモト山頂。カンタロウ・パワーズ社の廃ジェネレータ施設内に巧妙に隠された、ヨロシサン製薬の秘密バイオ研究所にて……! 

「キーッ!キキーッ!」ニンジャ装束を着た大型モンキーが癇癪を起こし、机の上で小回転跳躍してから、しなやかなカラテフックで研究員を殴りつけた。「グワーッ!」研究員は鼻血を吹き出し仰け反る。「「「キキーッ!」」」飼育檻のモンキー達が網を鳴らして歓声を上げる。何たる倒錯的空間か。 

「キキーッ!」この恐るべきニンジャの名はマンモンキー。元はこの施設に持ち込まれ、非道実験により人間並の知能を得たモンキーである。だが廃ジェネレータでのテスト中に彼はバイオプールに落下。その時偶然ニンジャソウルが憑依した。彼は反逆を起こし、カラテで全てを支配下に置いたのだ。 

「もうやめよう、こんな事は……!」研究員は懇願した。「キキーッ!」マンモンキーは自らの左腕に装着したウェアラブルUNIXを流暢にタイプし、その画面を研究員に見せつけた。『私の目的は人類の支配です』電子マイコ音声が文章を無機質に読み上げる。「何てことだ」研究員は顔を覆った。 

 本来は即刻本社に連絡し、処理班の派遣を要請すべきであった。だが「いかなニンジャとはいえ、所詮はモンキー。騙し、罠にかけ、殺処分できるかもしれない。そうすれば事件を隠蔽でき、懲戒を受けずにすむ」……研究員たちのモンキーを見くびる態度、および責任逃れの連鎖が、悲劇を生んだのだ。 

「君は人類を罰し、モンキーの理想郷を築こうと……?」「キーッ!」マンモンキーは目を剥き、再び殴りつけた。「グワーッ!」「「「キキーッ!」」」飼育檻のケロイドモンキーたちが歓声を上げる。マンモンキーはUNIXをタイプした。『他のモンキーも支配しやすいように愚かなままにします』 

「何という狡猾さだ……」『人類は愚かで無責任です。よって殴りつけて支配します』ブガーブガーブガー!突如、室内のマザーUNIXがイエローアラート警報を鳴らす。「キーッ!?」マンモンキーと研究員は、監視カメラモニタの映像を見た。施設のゲート前に、報道特派員らしき男が立っている。 

 『あれは何だ?』マンモンキーは研究員の髪を乱暴に掴み、モニタを見せつけた。「カ、カメラを持っています。撮影クルーか何かでしょう」『怪しいので殺せ。むごたらしく』「わ、解りました。大丈夫です。この施設の偽装と防衛は完璧です。万一侵入した場合、クローンヤクザが直ちに始末します」 

「キーッ!」マンモンキーは承認を示すように研究員の髪を離すと、革張りのチェアに座り葉巻を吹かした。そして空腹を覚え、壁のボタンを押す。程なくして装甲ドアが開き、バイオインゴットを乗せた台車を押して、白衣の男たちがやってくる。他の研究員たちだろうか? 

 否……彼らは人間ではなかった。明滅する室内灯が、彼らのおぞましき頭部を照らす!その頭は、禁断のバイオ手術によってモンキーに置換されていた。これはマンモンキーの発案と禁断のバイオ手術によって作られた忠実なる下僕にして醜悪なる人類のカリカチュア、自我無きモンキーマンたちである。 

 モンキーマン軍団の中に一人、背の曲がった老人の肉体を持つ者がいた。そのモンキーマンは愛玩動物めいた首輪と紐をつけている。彼はバイオインゴットを恭しくマンモンキーに捧げようとし、手前で躓いて倒れた。「キキーッ!」マンモンキーは苛立ち、そのモンキーマンの背中で葉巻の火を消す。 

「「「キキーッ!」」」天井の狭い通気口から、雨に濡れたケロイドモンキーたちが飛び込んできた。彼らは野蛮な吠え声でマンモンキーに何かを報告する。マンモンキーは椅子に座っていた研究員の肩に腕を回し、にたりと笑った。『逃げ出したヒロベ研究員はな、こいつらに突き落とされて死んだぞ』 

 ヒロベはモンキーマンにされる予定だったが、直前で施設から脱走した。だが彼も結局は、監視モンキーから逃げ切る事はできなかったのだ。「アイエエエ……」研究員は顔を覆って恐怖した。実際、彼の正気はとうの昔に失われていると言っても良かろう。モンキーマン手術を手助けしたのは彼なのだ。 

 ブガーブガーブガー!マザーUNIXがレッドアラート警報!四つの監視モニタにクローンヤクザの仰向け死体!五個目の監視モニタには、撮影を続けながら悠々と歩む男の人影!一体何が起こったのか!?「キキーッ!?」マンモンキーは怒り狂い、研究員の胸ぐらを掴んだ!「こ……こんなバカな!」 

 『何か小細工したか?ヨロシサン製薬から何か呼んだか?』マンモンキーは研究員の首を締め上げる。「ゲホッ!ゲホーッ!ち、違います!していません!それに、まだ大丈夫です!奴はまだ廃ジェネレータ施設内!研究所との連結部分は隠蔽されており、ここから電子ロックを解除しない限り絶対に…」 

「隔壁前に来た」カメラを構えたその男は、無線IRCを送った。「そのまま進んで。ヨロシサン製薬の施設が隠されているわ」女ハッカーからノイズ混じりの返信。ガゴンプシュー。錆び果てた分厚い隔壁が、いとも簡単に開く。「……真新しい回廊が、我々の前に姿を現した」モリタ特派員は進んだ。 

「ハ……ハッキングです!ハッキングを受けています!」研究員は叫んだ。マウスが言う事を効かず、キータイプも受け付けない。代わりにUNIXコンソール画面には「攻撃下な」の赤文字が明滅する!対抗ハッキングを行うべく、研究員がキータイプを開始した途端、モニタは激しい光を放ち、爆発! 

「キキーッ!」責任の所在を問うべく、マンモンキーは監視モンキーたちを疑い、問いつめ、殴り殺した。「キーッ!」「キキーッ!」「キキキーッ!」監視モンキーたちはナンシーを発見していたが、その報告を怠っていたのだ。この残忍な光景を見て、飼育檻の中のモンキーたちは恐怖におののいた。 

 モリタ特派員はテレビカメラを構えたまま研究室内を進み、手術室や、モンキー飼育室や、プレゼンルームを撮影した。暗いプレゼンルーム内の映写機を作動させると、「モンキーに知性を与え安価な労働力」ヨロシサン研究員たちが本社へのプロジェクト報告に使ったと思しき映像が壁に映し出された。 

「この愛らしく従順な小さいモンキーたちに知性を与え、人間では入り込めない場所での作業も可能にします」映像の中では、白衣の男がヘッドギアを付けたモンキーに哺乳瓶を与えている。「電磁波や磁気嵐に弱いロボットには不可能な作業にも安心して従事。例えばジェネレータ施設などに最適です」 

「モンキーなので、事故で死んでも問題ないです。繁殖力も強く、人間やクローンヤクザより安価に生産できます」キーボードを叩く一匹のモンキーと、それを撫でる研究員の映像。無辜なる市民が見れば即座に失禁するほどのバイオ計画だ。だが強靭な精神力を持つモリタ特派員はそれを撮影し続けた。 

 ザーザザザ……映写機の映像が乱れる。「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……何て事だ……何て事が起こってしまったんだ……」それまでの清潔で欺瞞的な映像は終わり、突如、血みどろのヨロシサン研究員の顔がアップで映し出された。「……タケシです、優等モンキーのタケシが……反逆を起こし…」 

「……バイオ脳細胞の移植により、UNIXで人間と意思疎通が可能なほど高い知能を得……」映像が乱れる。「事故から奇跡的に回復し……」背後から歩み寄るモンキーマンたちの姿に血みどろの研究員は気づかない。「……邪悪な知性を隠していた。インターネットで世界を知り……アイエエエエ!」 

「アイエエエエ!」映像の中の研究員は、両脇をモンキーマンに抱えられながらも、なお叫ぶ。「だが、そんなはずはないのです!アニマルへのニンジャソウル憑依現象など……前例が!」「キキーッ!」唐突に、カメラを覗き込むマンモンキーの顔が大写しになり、映写機の映像プログラムは終わった。 

 ブガーブガーブガー!司令室では警報が鳴り続けている。『あれは報道特派員ではない。ニンジャだ』マンモンキーは監視モニタの映像を分析し、クローンヤクザがスリケン殺されているのを確認していた。腕を組んで思案した後、マンモンキーはマザーUNIXに備わった施設爆破ボタンを……叩く。 

「カウントダウンドスエ、ハヤクニゲテネ」不気味なほど抑揚の無い電子音声が、司令室内に響く。……あの厄介そうなニンジャとは戦いたくない。奴を爆発に巻き込んで殺そう。マンモンキーはそう即決したのだ。そして忠実なるモンキーマン軍団に装備を整えさえ、共に脱出用エレベータへ向かった。 

「アイエエエ……」唯一の生き残りであった研究員も、後についてエレベータへ向かった。「キキーッ!」だがマンモンキーは情け容赦ないカラテキックで彼の足を破壊したのだ!「アバーッ!」『クズめ、もはやお前など足手纏いだ。お前を生かしておいたのは、最も臆病でイディオットだったからだ』 

 『お前が狂って行くのを見るのは楽しかった。だがもう用はない。檻の中のモンキーたちと死ね』「アイエエエエエ……!待ってくれ!それっぽっちの戦力で人類を支配など不可能だ!考え直すんだ!絶対に私の助けが……!」「キキーッ!」「アバーッ!」『ヨロシサンに怒られずに済んで良かったな』 

「ま、待って…」ガゴンプシュー!5体の無表情なモンキーマンを引き連れ、マンモンキーは緊急脱出用エレベータを閉じて、垂直降下。ガゴンプシュー!山道沿いの大岩が横に動き、入念に隠蔽された隠しエレベータの出入口を露にする。冷たい山の空気と重金属酸性雨が、マンモンキーらを出迎えた。 

 彼は軍団を引き連れ、山道を下り始める。手下たちはヨロシ毒物タンクを背負っている。これで麓の浄水場を汚染すれば、住民はモンキー並の知能に退化する。『男は殺し、女はファックだ』そこから先の事など知らぬ。追っ手が来れば逃げ、また新しい城を探せばいい。インターネットがあれば無敵だ。 

 首輪を嵌めた老人モンキーマンが、岩に足を取られ転倒した。『このクソジジイめ!』マンモンキーは彼の身体をボーで激しく打った。ショットガンの古傷が、雨で冷えてじんじんと痛み、マンモンキーをさらに苛立たせた。ほとんどゾンビーめいた状態にある老人の体を、彼はボーで激しく打ち据えた。 

 そしてこのカラテだ、とマンモンキーは愉悦した。逆らう者は全て叩き潰す。『さらに俺は、愚かな人間どもと違い、何にも縛られない……!支配する側だ!』麓の人間たちを支配して奴隷化した時の光景を思い浮かべた時……激しい雷光が山を照らし、マンモンキーは不意に、宿敵の存在を思い出した。 

『ドーモ、マンモンキー=サン』一条の雷光のもと、勇ましい犬のシルエットが岩の上に影絵めいて刻まれた。シバ種にしては大型の体。それはニンジャソウル憑依現象により、古の狼犬めいた特徴を得た、気高いニンジャドッグであった。牙を剥き出しにし、それは吠えた。『城から追い出されたか』 

『ドーモ、ストライダー=サン』マンモンキーは全身の毛を逆立たせると、怯えにも似たヒステリックな鳴き声をあげた。ニンジャアニマルである両者は、吠え声で意思疎通が可能なのだ。両者の対決はこれが一度目ではなかった。マンモンキーは何度も邪魔をされ、研究所で力を蓄えていたのだ。 

『やれ!モンキーマン!』マンモンキーが命ずる!BLAMN!BLAMN!モンキーマン軍団はオナタカミ社製のショットガンでストライダーを射撃!ナムサン!「アオーン!」ストライダーは素早い回転跳躍でこれを回避!内なるニンジャソウルの高まりにより、マフラーめいた襤褸布が出現する! 

 憤怒の砲弾と化したストライダーは、鋭い爪と牙を閃かせ、邪悪なバイオ兵隊モンキーマンを次々殺す!「アオーン!」「アキキーッ!」「アオーン!」「アキキキーッ!」メイジン!そして一瞬の躊躇の後、老人の体を持つモンキーマンの首も一撃で刈り飛ばした!「アオオーン!」「アキキーッ!」  

 だが、続くストライダーの飛びかかり攻撃をブリッジで回避したマンモンキーは、腕のハンドヘルドUNIXを操作し終えていた。『今のは時間稼ぎだ!馬鹿な犬ころめ!』キイイイイイイーン!超音波が発せられる!「アオッ!アオッ!」頭が割れるようだ!ストライダーが地に転がり、もがき苦しむ! 

「キキーッ!」マンモンキーはハンドヘルドUNIXを掲げながら嗤った。彼は安全な研究室で傷を癒しながらインターネットとIRCを駆使し、犬にのみ作用する有害な超高周波を突き止めていたのである!「アオッ!アオッ!」苦しむストライダー!「キキーッ!」それをボーで殴る!「アオーッ!」 

「キキーッ!」ボーで殴る!「アオーッ!」「キキーッ!」ボーで殴る!「アオーッ!」「キキーッ!」ボーで殴る!「アオーッ!」「キキーッ!」ボーで殴る!「アオーッ!」「キキーッ!」ボーで殴る!「アオーッ!」「キキーッ!」ボーで殴る!「アオーッ!」 

「キキキーッ!」モンキーマンの生き残りが、岩陰に隠れていた女を取り押さえた!ナンシー・リー!彼女は研究員の死体からICカードを入手してハッキングの足掛かりを得た直後、ストライダーと遭遇した。そしてこの犬に語りかけて、共に山を登ると、無線LAN可能範囲まで到達していたのだ。 

『そいつは殺すな!後のお楽しみだ!』マンモンキーは意識を失った豊満な女ハッカーを見ながら、舌なめずりし、ストライダーを容赦なく殴り続けた。もはやこれまでかと思われた……その時!「イヤーッ!」闇を切り裂き飛来するスリケン!「キキーッ!?」ハンドヘルドUNIXに突き刺さり火花! 

 ナンシーは単に気絶していたわけではない。彼女は全タイプ速度を研究所のマザーUNIXに対して叩き付け、自爆コマンドを解除していたのだ!そして当然、敵の現在位置を報せるべく殺戮者にIRCを送っていた!「Wasshoi!」見よ!山頂からイナズマめいて跳躍着地を決める赤黒い影を! 

「アオーン!」ストライダーは跳ね起き、宿敵へと頭から突進した!「キキーッ!」マンモンキーは弾き飛ばされ転倒する!「アオーッ!」飛び掛かる!「キキーッ!」倒れた姿勢からボーを振り回し、敵を絡めとりながら自らの体を跳ね起こすと、ボーで殴る!「アオオーッ!」これを飛び退いて回避! 

「キーッ!キキーッ!」マンモンキーは目にも止まらぬ速さでボーを連続で突き出し、接近攻撃を拒む!こうして間合いを計ると、大きく体を捻り、座り込みながら強烈なボー下段を繰り出した!「アオーッ!」ストライダーは跳躍回避!SMAAASH!ボーの直撃した大岩に蜘蛛の巣状のヒビが入る! 

「アオーッ!」そのまま別の岩を蹴って、ストライダーは跳躍角度を急激に変えた!これは伝説のカラテ技、トライアングル・リープ!「アオオオーッ!」「アキーッ!」マンモンキーの右手首に喰らいつき、深々と牙を立てる!「キキーッ!」マンモンキーもボーを投げ捨て、歯を剥き出して噛み付く! 

 だがストライダーはその顎門に籠めたカラテをいささかも緩めはしない。体と首を強く捻り、自らのダメージを最小限に抑え、かつ攻める。マンモンキーの手首の筋繊維がブチブチブチと音を立てて千切れ、血飛沫が飛び、骨が軋む。両者は獣の叫び声を発して転がり、肉を引き裂き、喰い千切り合った。 

 ただひたすらに壮絶な殺し合いだった。ニンジャスレイヤーですらスリケンを投げ込むことができぬほど目まぐるしく、また人間では予想もつかぬ動物じみた動きで、両者はイクサを続けたのだ。だが助力は必要なかった。殺戮者がモンキーマンを全滅させナンシーを救い出す頃、既に勝敗は決していた。 

 ストライダーは、これが己の獲物である事を主張するように、友を一瞥した。次の瞬間、彼は頭と胸部と左腕だけを残して転がっていたマンモンキーの喉元に狼の牙を深々と突き立て、首の骨を圧し折ったのだ。『サヨナラ!』マンモンキーは人が恐怖し血の涙を流しているかのような顔で爆発四散した。 

「アオオオオオオオオオーン!」宿敵にしてイツム老人の仇、邪悪なるマンモンキーを討ち果たすと、満身創痍の盲導犬は激しい雷雨の中でなおも勇ましく立ち、乱れ雲の間にのぞく髑髏めいた月に向かって大きくひとつ吠えた。 









 雷雨は過ぎ去った。マウント・ジモトの麓に広がる灰色の街を覆うのは、ウシミツ・アワーの静けさ。 

 ヒュンヒュンヒュン……汚染された空を、暗黒メガコーポ群の黒塗り輸送ヘリが飛び、産廃コンテナをマウント・ジモトに投棄し、飛び去ってゆく。変わらぬ日常。変わらぬ不安感。そしていつ襲い来るとも知れぬUMA。眠れぬ夜を過す住民たちは、冷たいフートンに包まりIRC電脳空間へと逃避する。 

「アオオオーッ!」突如、狼めいた遠吠えが街に響いた。それは、陰鬱な汚染大気を震わせ、市民らの心臓をアドレナリンで激しく拍動せしめた。それは、テンプル・オブ・ハンドレッド・モンキーズから聞こえた。あちこちでタングステン灯がともり、サイレン音が鳴り、市民は街の中心の寺へ向かった。 

「イエティですか?」「狼」「いいえ犬です」「盲導犬だそうです」「なら安心だ!」「マッポは何をしているんでしょうか」「死体があるそうです」寺の周囲にオショガツの如く群がる市民らは、伝言ゲームめいて断片的な情報を囁き合った。(((タロウイチ!?)))ミノコと両親も境内へと走った。 

 寺の前には、既にマッポのパトカーとレンジャーモービルが何台か停められ、ロープが張られていた。それは突発的アクシデントでIRCと現実の境目があやふやになり、レミングスめいた連鎖行動を取る野次馬市民たちを、完全にキープアウトしていた。境内には、マッポと数名の自警団市民。そして犬。 

「……こりゃあ、イツム=サンの死体だ。この靴も、間違いねえよ」車椅子に乗るビデオ屋店主は、強面のチーフレンジャーマッポに対して、そう証言していた。顔面を蒼白させ、口元を押さえながら。不名誉なムラハチを受けていた他の自警団員らも、シートの下の首無し遺体を確認し、同様に証言した。 

「しかし、エー、彼が死んだのは数ヶ月前のはず……検死官でなくとも、エー、これはおかしいと解ります」レンジャーの補佐に入った地元のマッポが、ハンドヘルドUNIXでICデータ照合を行いながら言った。「ハン?」レンジャーが眉根を顰める。「実は山で生きていた、としか」マッポが答える。 

「待てよ。イツム爺さんはな、イエティに銃を奪われて、頭を撃たれたんだぜ」自警団員がマッポに反論する。「エー、君は……その間に崖から落ちたと証言しているじゃないか。実際には良く見ていない」「……解ったよ。じゃあこっちだ。こっちは反論しようがねえだろう、正真正銘の……イエティだ」 

 その場にいた全員が、マンモンキーの生首と、荒々しく切断された毛むくじゃらの左腕を見た。その体毛は針金のように硬く、また左腕には壊れたハンドヘルドUNIXが巻かれていた。盲導犬がくわえていたこの不気味な死骸は、どう見ても人間のものではなく、またモンキーのものでもなかった。 

「何とも面妖な事件だな」片目をサイバネアイ化したレンジャーは、黒いハットの下でワサビ・シガーを吹かしながら、盲導犬、首無遺体、そして住民がイエティと呼ぶ謎の怪物を交互に見た。「発見当初、遺体は灯籠に背を預け、横に盲導犬が寄り添っていた。合ってるな?」「ハイ」マッポが答えた。 

 傷だらけの盲導犬タロウイチは、この喧噪の中、恐ろしいほど静かに状況を見守り続けていた。すでにニンジャソウルの昂りは鎮まり、首輪を覆い隠していたマフラーめいた襤褸布は消え去っている。犬歯を剥き出しにしていた憤怒の形相もおさまり、タロウイチの表情はいまや完全にシバ犬種のそれだ。 

「で、この盲導犬は?」「イツム=サンとこの犬さ」「盲目の爺さんが自警団で銃をブッ放してたのか?」「いや、あの事件の後で……市の中学に通ってる、孫のミノコ=サンが……」こうした人間たちのやり取りを見守るタロウイチの目の奥にはしかし、未だ、激情的なニンジャソウルの輝きがあった。 

 謎めいた状況を前に困惑するレンジャーとマッポに対し、自警団員は苛立ちを募らせる。ついに、堪え切れず車椅子の男が叫んだ。「なら俺がまとめてやる。イツム爺さんは生きてたんだろ?そしてこの賢い盲導犬に助太刀されて、イエティを狩り殺した。……何のため?名誉のためだ!クソッタレめ!」 

 続いて自警団員らは、抑圧されていた感情をぶちまけた。街のためにイエティと戦ったのに、ムラハチにされた理不尽に対して。「やめたまえ、手荒な事はしたくない」「エー、君たちを拘束する可能性もある」マッポが彼らを取り囲み、騒然とする境内!「タロウイチ!タロウイチ!」そこへ少女の声。 

「エー、ここは入れません」封鎖マッポがミノコ一家の前に立ち塞がる。サイバーサングラスをかけた野次馬市民たちは、無言で成り行きを見守る。「イツム=サンとこの孫娘じゃないか!」「入れてやってくれ!関係者だ!」自警団員らが訴える。チーフレンジャーマッポは、静かに首を縦に振った。 

 彼の瞳から危険なソウルの輝きが失せた。盲導犬は舌を出してハッハッと息をする。彼を呼ぶ声が聞こえたからだ。「タロウイチ!」ミノコの声が近づいてくる。「アオン!アオン!」盲導犬はミノコを支えるように歩み寄った。「タロウイチ……!」ミノコは彼の感触を確かめ、涙を流して抱きしめた。 

 ミノコと共に境内にやって来る間に、両親は、卑屈なほどに何度も何度も、市民や自警団員、そしてマッポに頭を下げた。だがその必要はなかったのだ。名誉は取り戻されようとしていた。老練なチーフレンジャーマッポは、少女にショックを与えぬよう、両親だけをシートの横に呼び、事情聴取を行った。

「ハァーッ!ハァーッ!通してくれ!わしを……わしを……!」人ごみを掻き分け、息を切らしながら、サイバーサングラスの老人が現れた。余程慌てていたのか、足元は裸足のままだ。彼は境内の光景を目にし、打ち震えた。「おお……おお……。今の今まで忘れておった……。伝説の通りじゃ……!」 

 この非科学的な老人は、市の長老であった。彼はIRCで事態を聞き、着の身着のままで寺に駆けつけたのだ。「古き伝承の再現じゃ……!ストライダーが現れたのじゃ……!」老人の目を覆っていたサイバーサングラスが外れ、地に落ちた。その表情はくしゃくしゃに歪み、両目から涙がこぼれていた。 

 果たしてストライダーとは!?ようやく境内に辿り着いたナンシーモリタ両特派員は、野次馬の波を掻き分けカメラを回した!老人は語った!寺の天井絵も風化し、口伝として残されるのみであったが「かつてストライダーという名の犬が、邪悪なキングモンキーを退治した」という伝説が存在したのだ! 

「わしらは愚かじゃった。勇敢に戦った者たちに……。すまなんだ……すまなんだ!」老人はがくりと膝をつき、ブッダ像の前で彼らに詫びた。市民も連鎖的に、謝罪の言葉と、歓声をあげた。「ストライダー!ヤッター!」誰かがそう叫び、バンザイした。「ストライダー!ヤッター!」誰かが続いた。 

「ストライダー!ヤッター!」「ストライダー!ヤッター!」「ストライダー!ヤッター!」UMAの恐怖から解放された事を知り、市民たちは連鎖的に感動し、バンザイした。そしてその時、イツム家の名誉とミノコの光もまた、取り戻されたのだ。 

 ミノコは、ムラハチによる心身性ショックの呪いから解放され、目を開いた。そして自らの傍らに寄り添うタロウイチの姿を、彼女は初めて肉眼で直に見たのだ。それは予想よりも遥かに厳めしく、傷だらけだったが、彼女は恐れることなく目を合わせ、感謝の言葉とともに、もう一度彼を抱きしめた。 

「ストライダー!ヤッター!」「街のトーテムとして寺で讃えよう!」「イエティもプラスティネーションして安置しよう!」「観光客誘致だ!」「ストライダー!ヤ……誰だい、あんた?」市民は、境内を撮影する二人の余所者を見咎めた。「報道特派員です」ナンシーはぼろぼろの腕章を指差した。 

「こちらはカメラマンのモリタ特派員」「その後ろにいるのは?」「イエティを騙った連続強盗殺人事件の容疑者です」ナンシーが縄を引っ張る。そこにはLAN端子拘束具で無力化され項垂れるパラディンがいた。「何を言ってる?」「イエティは巨大モンキーだぞ?」周囲の市民が怪訝な目を向ける。 

「聞いて!もちろんこの男は真犯人じゃない」ナンシーが諭す。「そして、この事件は超常現象でもないの。イエティはヘンゲヨーカイ(訳注:日本の幻獣)じゃないの。人類の行き過ぎた科学技術と自然破壊によって生み出されたバイオ生物よ。あの山頂には暗黒メガコーポの秘密研究所があって……」 

 ヒュンヒュンヒュン……市街の上空を、暗黒メガコーポ群の産廃投棄ヘリが正確な時間運行で飛ぶ。「何を言ってますか?」「本当に報道特派員か怪しいですね」「マッポに突き出しましょうか」雲行きが怪しい。「聞いて!あなた方が目を背け続ける限り、必ずや、第2、第3のマンモンキーが……!」 

 彼らのやり取りを余所に、境内では未だ、自警団員とタロウイチを讃えるバンザイコールが続いていた。報道特派員の周囲にいた市民が、マッポを呼びに向かった。「ナンシー=サン」モリタ特派員がカメラ撮影をおさめ、彼女の肩を叩いた。「……ここは一端、退くとしよう」 

 

◆◆◆

 

 ……マッポー級大気汚染に包まれた鈍い朝焼けの中、灰色のルート255を、一台の車が走り抜ける。運転席にはナンシー・リー。助手席にはイチロー・モリタ。過酷な探索を終えた二人の偽報道特派員は、イエティ事件の一部始終を撮影したTVカメラとともに、ネオサイタマへと戻るのだ。 

 二人の表情は硬い。それは過酷な取材と戦闘による疲労からではない。市民をUMAニンジャの恐怖から解放したという達成感はあるが、ヨロシサン製薬の陰謀を証明する決定打……すなわち生きたマンモンキーの撮影は、遂にかなわなかったからだ。 

「どれほど科学技術が進歩しても、結局のところ人は、自分に見える物だけで、自分に理解できる物だけで世界を信じようとする。そして、都合の悪い真実は、誰の目にも見えないのかもしれない……」ナンシーはこのレポート映像の最後に、そのような厳しい警鐘を付け加えた。 

 多くの謎は残されたまま、永遠に解き明かされることはないだろう。マンモンキーのIRC通信ログは、ハンドヘルドUNIXの爆発で失われた。また、施設に置き去りにされた研究員は、檻から出た原住ケロイドモンキーの大群に襲われ、モリタ特派員が駆けつけた時には無惨な死体へと変わっていた。 

 タロウイチもまた、崇められる事を嫌ったか、あるいは自らの役目が終わった事を悟ったか、あの後すぐに寺の屋根へ跳躍し、遠吠えを残し去って行った。ミノコはもう泣かなかった。彼が特別な犬であることを知っていたし、別れを覚悟していたからだ。引っ越しを取りやめたかどうかは解らない。

 タロウイチに憑依したニンジャソウルの正体は、かつてこの地方でキングモンキーを退治し、テンプルで奉られる事となったニンジャドッグだったのか?それとも偶然の一致か?……答えはストライダー自身にも解るまい。しかし何よりも不可解なのは、マンモンキーに憑依したニンジャソウルの正体だ。 

 マンモンキーに憑依したのは、古のニンジャモンキーのソウルだったのか?あるいは、人間並の知能を得て、IRCと言語を用いて意思疎通が可能となったマンモンキーに対し、あたかも人間に対して憑依するのと同様に、通常のニンジャソウルが憑依したのか?ヨロシサンはその秘密を掴んでいたのか? 

 ……真相は闇の中だ。もしその真実を解明する者がいたとしたら、ニンジャとモータルの魂の差異すら、科学的に解明し模倣できるかもしれない。何故ニンジャは、その魂をキンカク・テンプルに蓄えることができたのか?常人はどうなのか?アニマルは?ニンジャソウルとは……そもそも何なのか? 

 電脳IRC網と抑圧的監視により市民の自我が希薄化し、人とAIの境目が不確かになりゆくマッポーの世において、人類とモンキーの境目、およびその魂の定義すらも不確かになってゆくのだろうか。あるいは、いずれ暗黒メガコーポが、魂すらプログラムし支配する恐怖の時代が訪れるのであろうか。 

「偉そうなレポートだけど、私だってそう」ナンシーは謝罪した。「目の前の真実から目を逸らそうとしたわ……犬との会話よ。私もどこかで、既存の科学の枠に囚われていたのかも。でも、あなたの言葉を信じて良かったわ。そしてストライダー=サンの事も」二人の間の溝は、再び埋められたのだ。 

 彼方にネオサイタマの暗雲。それは遠からぬ暗黒の時代を象徴するかのようだ。その中で道を切り開くのは狂気じみた力なのかもしれない。だが信念無き狂気は、暗黒メガコーポの悲劇を生み出すだろう。このような時代で自我を保つためには、信頼できる戦友が不可欠だ。その何と得難く頼もしい事か。 

 上空を、黒塗り輸送ヘリが反対方向に飛び去る。それらはまるでネオサイタマという名の巨大なシステムを構成するごく小さなパーツ群めいて、整然と、止む事なく、正確に、定期的に、飛来し、静止し、投棄し、飛び去った。飛来し、静止し、投棄し、飛び去り、飛来し、静止し、投棄し、飛び去った。 

 飛来し、静止し、投棄し、飛び去った。飛来し、静止し、投棄し、飛び去った。飛来し、静止し、投棄し、飛び去った。陽が昇り、沈み、陽が昇り、沈み、陽が昇り、沈み、陽が昇り、沈み、陽が昇り、沈み、陽が昇り、沈み、陽が昇り、沈み、陽が昇り、沈み、陽が昇り、沈み、陽が昇り、沈んだ。 

「キキキキーッ!」山腹では、ケロイドモンキーたちが、投棄された産廃の奪い合いを繰り広げていた。「キキキーッ!」ボス格モンキーが産廃山の上で勝ち誇り、遺棄されたばかりのジャンク・ハンドヘルドUNIXを腕に巻いて掲げた。そしてマンモンキーを真似るように、興奮気味にキーを叩いた。 


 【ア・ニンジャ・アンド・ア・ドッグ】終






N-FILES

謎のイエティ目撃事件を追い、報道特派員を装いジモト市へ向かったフジキド・ケンジとナンシー・リー。ニンジャの関与を疑う彼の前に、ニンジャ犬ストライダーが現れ、マンモンキーの情報を残して去る。だがニンジャ犬の言葉はナンシーには理解できず、フジキドとの間に溝を生むのだった。

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