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【トゥー・ファー・トゥー・ヒア・ユア・ハイク】

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【トゥー・ファー・トゥー・ヒア・ユア・ハイク】


 夜空に浮かび上がるオスノマタワーのライトアップ色は、金色、ないし青、ないし白の三色のどれかだ。電波塔を兼ねたこのタワーは天気予報会社とタイアップしており、光の色が金色であれば翌日は快晴。青であれば雨天を示す。白は曇りだ。

 都市迷彩色の装束を着たニンジャは、タワー展望部の灰色の瓦屋根に片膝姿勢で身構え、ピクリとも動く事がない。こうして示唆される事がなければ、読者の貴方方も、彼の存在に気づけなかった筈だ。

 今夜のタワーのライトアップ色は青。青や白でない夜は非常に珍しい。ネオサイタマの中心からやや離れたこのタワーの立地においても。金色はいわば、祈りの色である。今この時も、霧雨が降りしきり、屋根瓦をライトアップ色にぼんやりと霞ませ、眼下の夜景も滲みがちだ。ニンジャは動かない。

 ニンジャの足下、ガラス窓で360度囲まれた展望スペースには、無差別に殺戮されたタワー係員の死体が集められている。殺したのは瓦屋根の上の、このニンジャである。彼は何の落ち度も無い市民を皆殺しにし、タワーそのものを、しめやかに封鎖した。ミッション遂行にあたり、単に邪魔だからだ。

 殺戮が行われたのはこの日の日没前である。長時間に渡る封鎖行為の隠匿の根回しには抜かりがない。アマクダリ・セクトの闇の力だ。……このニンジャが瓦屋根の上でこの姿勢を取ってから、果たして何時間が経過した事だろう。だが彼は平然としていた。彼にはより長時間のエイミング経験がある。

 彼の姿勢は投擲準備動作である。トライアングル状の三つのスコープを備えたフルフェイス・メンポを装着した顔の左横で静止する右手には、風変わりなスリケンが握られている。その右腕は左腕より拳一つぶん長い。……彼の名は、ディアハンター。

 彼のスコープが捉えているのは、直線距離にして4キロ離れた地点、サベサマ区の五階建て無人ビルの屋上だ。屋上はボンサイ庭園になっており、見事な緑が霧雨にしとどに濡れる。

 その中心部、巨大な石のダルマの頭頂部に、手脚を大の字に開かされ、ケブラー縄で縛りつけられた女あり。美女でも、女優でも、社長秘書でもない。オイランでも、オイランドロイドでもない。たまたまディアハンターの目に止まった、そこらを歩いていただけの、名もなきネオサイタマ市民である。

 あれは餌だ。餌は実際人間である必要はない。だが、標的から冷静な判断力を削ぎ、ニンジャ第六感の働きを鈍らせる効果が期待できる。ディアハンターは己の仮説に自信を持っている。標的には甘さがある。ニンジャにとってはジゴクの死神めいた存在だが、無差別殺戮者ではない。甘さが残っている。

 標的、すなわちニンジャスレイヤーには、協力者とおぼしき者らの影がある。だが、それらをニンジャスレイヤー自身の妨害を受けずに調達するのは、かなり困難だ。それでは本末転倒である。そして……ディアハンターの持論であるが……ここでの人質は、無関係の市民であるからこそ、効果がある。

 奴には甘さがある。奴は汚れたニンジャ殺人者であり、サムライ探偵サイゴやゲンキジャスティスのようなフィクションヒーローではない。だが未練がある。無辜の市民が己のために虫けらめいて殺される事態を黙って看過する事が奴には許されているが……それ故に、それが毒となる。その選択の自由が。

 女の首には、カウベルめいて圧縮バクチクが縛りつけられている。屋上のボンサイやダルマごと景気良く吹き飛ばすに足る火薬量だが、当然、そのようなものでニンジャスレイヤーを殺せるなどと考えてはいない。あのバクチクは、もとより、奴に外させる為に用意したものだ。

 ディアハンターは女がバラバラに爆散するビジョンを淡々と思い描く。次に、それを阻止したニンジャスレイヤーの頭部にスリケンが突き刺さり、吹き飛ばすビジョンを。二つの可能性。彼には悦びも感慨もない。単に可能性イメージを並べただけだ。彼の感情は摩耗しきっている。シャーテックで。

 シャーテック。ソウカイヤのニンジャであったガントレットが、かつて創設したドージョーの名だ。ガントレットは脳改造者であり、スナイパースリケンの名手。スリケン飛距離とスリケン殺傷力を追求し、ニンジャギアを自ら考案する、エンジニアとしての側面も持ち合わせていた。

 シャーテックの母体組織創設から程なくして、ガントレットは死んだ。ニンジャスレイヤーによって殺害されたとされる。だが、その死後も、彼が提唱した特異な思想は引き継がれた。即ち、ICBS(都市間弾道スリケン)思想である。

 遠投能力と精密性を極めた選ばれしニンジャ達の働きで、あらゆる武力とカラテは無力化される。スナイパーニンジャ達は都市に張り巡らされたIRC監視網を共有し、反乱分子を迅速に排除。これによって社会を管理し、全都市、全世界に拡散、審問官めいた支配階級となる。

 そんな事が可能なのか?という問いはナンセンスだ。シャーテックはそれを可能とする為に作られたドージョーなのだから。ガントレットの死後、シャーテックはむしろ、より精力的に行動を開始した。はぐれニンジャやサンシタのニンジャを強制的に取り込み、中国地方に隠された訓練所へ送り込んだ。

 ガントレットの原形思想は愚直で、幼稚ですらあった。愚直であるがゆえに、ひとたび推進力が与えられれば、危険なドグマと化す。ニンジャの力を侮ってはならない。古事記には少なくとも、ドサンコと岡山県それぞれに陣取った遠投ニンジャ同士がスリケンを投げ合った故事が記されている。

 ディアハンターはこの狂ったドージョーで筆頭の成績を残したニンジャだ。孤児であった彼はニンジャソウル憑依に程なくしてシャーテックに拉致された。正体のわからぬセンセイ達のもと、ソクシンブツ修行じみたサバイバル訓練に明け暮れ、薬物を用いてスリケンを投げ続けた。

 既存の訓練生が死ぬたび、新たなニュービーニンジャが入ってきた。ニュービーの最初の修行は、頭の上にトックリを乗せ、荒野に直立する事だ。10日の耐久を経たのち、上級者の投擲訓練の的となる資格を得られる。上級者は2キロ離れた位置からスリケンを投げ、彼らの頭のトックリを撃ち落とす。

 最終的には、磁石の効かぬフジサン麓の森で、危険なバイオ生物と闘いながら、一ヶ月を生き延びねばならない。……ガントレットは果たしてこのような組織、このような訓練を想定したであろうか?そこまでの歪んだカリスマを持ち得ただろうか?おそらく否であろう。ディアハンターは信じない。

 死んでいった仲間たちへの悼み、シャーテックに対する憎しみ、そうした感情を、当時のディアハンターは持っていたのかもしれない。だが今となっては彼にそうした感情の痕跡は無い。

 彼らシャーテック・トルーパーは、来るべきICBS社会の伝導者だ。免許皆伝者はドージョーを巣立ち、ニンジャ組織に入り込む。最終的には全てのニンジャクランがシャーテック技術無しでは立ちゆかなくなる。それが起源不明の野望の成就する時。ディアハンターはその為に生きている。それだけだ。

 ニンジャスレイヤーは師の仇……あるいは己の人生を遠回しに狂わせた敵?だが、実際、ディアハンターにとってニンジャスレイヤーは標的でしかない。セクトの敵、ラオモト・チバがその首に執心するインセンティブ対象でしかない。ディアハンターは捻るように構えた右腕に力を込め、動かない。

 やがて彼のスコープは、屋上に現れた赤黒のニンジャの姿を捉える。ボンサイの間をしめやかに、だが素早く歩き進み、ダルマに接近するニンジャを。「……」やはり来たのだ。来なければ、あの女を爆殺し、その後何人でもやるつもりだった。それはそれで十分に効く。だがその必要はなかったようだ。

 ニンジャスレイヤーはダルマの台座によじ登り、見ず知らずの女の拘束を解きにかかる。そこで首のバクチクに気づく。「……」起爆はしない。そんなことをすれば、爆発を避ける動きを追う必要が出る。見るがいい。周囲を警戒しながら、ニンジャスレイヤーはバクチクに手をかける。

 スナイパースリケンの投擲には通常、手甲状の加速器を用いる。だがディアハンターにはそうしたニンジャギアがかえって邪魔だった。己のニンジャ筋力とニンジャ視力、ニンジャ器用さを十全に発揮する事が、最高のスナイパースリケンへの近道だと確信していた。腕に力がこもり、鉄のように硬直した。

 ニンジャスレイヤーは丁度このタワーに対して背中を向けた格好だ。当然それもディアハンターの計算づくである。ディアハンターの腕がブルブルと震え、やがて、マンリキめいた力で指先に挟まれたスリケンが蒸気を発しはじめた。霧雨が熱によって蒸発しているのだ。力が満ちるのを感じる。時が。

 ニンジャスレイヤーは女の首からバクチクを外す。「イヤーッ!」その瞬間、既にディアハンターは渾身の、必殺のスリケンを投擲し終えていた。空気が唸りながら渦巻き、ニンジャならばかろうじて視認できる風の道を残す。ディアハンターは独特のザンシン姿勢をとり、投擲動作の反動に耐える。

「……!?」ディアハンターは反動をこらえながら、スコープメンポの下で目を見開く。ニンジャスレイヤーはこちらを振り返っていた。その右手を水平に振りぬいた姿勢で……振り返る……否、ニンジャスレイヤーのそれは、スリケンを投擲し終えた姿勢であった。どこへ。当然、ディアハンターめがけ。

 振り向きざまのスリケン投擲?では、敵は、ニンジャスレイヤーは、こちらの狙いを感じ取ったというのか?極点集中させたディアハンターの殺気を?……ディアハンターの脳内をニンジャアドレナリンが満たし、主観時間が泥めいて濁りながら鈍化した。スリケンとスリケンが正面衝突した。

 ディアハンターがそのときスコープ越しに見たのは、ニンジャスレイヤーの赤黒の目だった。ニンジャスレイヤーはそのとき、確かにディアハンターを見ていた。暗い湖のような目だった。怒りの嵐が吹き荒れた後の凪めいた、恐ろしくも静かな目だった。怒りを知り、忘れず、踏まえた無感情だった。

 ディアハンターの脳天に、自らの投げたスリケンが直撃した。彼のスナイパースリケンは、標的であるニンジャスレイヤーへ到達する九割の距離まで飛行し、そこで、投げ返しのスリケンと衝突した。寸分たがわぬ真逆ベクトルの衝突力を受けた彼のスリケンは、彼自身の投擲力によって、飛び戻った。

 (((何が起きた?)))ディアハンターは考えようとした。呪術じみたインガオホーに見舞われ、致命傷を受けた彼に、もはや状況判断する力は残されていない。(((俺は死ぬのか?)))彼はこぼれ落ちる血と脳漿を手の平に受けた。彼はニンジャスレイヤーのあの目をフラッシュバックした。

 (((怒りとは。果たして何だったか))) 彼はうつ伏せにカワラ屋根に倒れた。そして爆発四散した。「サヨナラ!」

 4キロ離れたビル屋上。投擲後、小首を傾げるように避けたニンジャスレイヤーの背後、ダルマの片目に、跳ね返ったスリケンが黒目じみて突き刺さった。ケブラー縄が切断され、女が滑り落ちる。「アイエエエエ!」悲鳴を上げる女を、ニンジャスレイヤーは抱き止める。女は白目を剥いて気絶した。

「イヤーッ!」台座から女とともに飛び降りると、ニンジャスレイヤーは大ぶりのボンサイの脇、霧雨のかからぬ位置に、気絶した女を横たえた。じき、目を覚ます事だろう。ニンジャスレイヤーは霧雨にうたれながら、しばし沈思黙考していた。

 タワーの青いライトアップが霧雨に滲む。青は明日も雨であることを示す。金色のライトアップは隠された希望だ。それが訪れることはない。


【トゥー・ファー・トゥー・ヒア・ユア・ハイク】終


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