見出し画像

【デイドリーム・ネイション】

ニンジャスレイヤー公式/ダイハードテイルズ

◇総合目次 ◇エピソード一覧

この小説はニンジャスレイヤー第3部後半「鷲の翼編」のTwitter連載時ログをアーカイブしたものです。このエピソードは物理書籍未収録作品です。第2部のコミカライズが現在チャンピオンRED誌上で行われています。


1

ネオサイタマ知事としてのアクセス権を手にしたアガメムノンは、カスミガセキ・ジグラット内の旧世紀UNIXシステムを月面サーバーのシステム・アルゴスと接続。世界征服に向けて、忘れ去られし磁気嵐制御システムを起動した。

磁気嵐の消失に伴い、オヒガンとIRCの境界が不安定化。空には黄金立方体が出現し、市民の間でも01エーテル風が目撃されるようになった。戸惑う人々にアマクダリ政府は安全を宣言。警察機構ハイデッカーによる治安維持、監視行為を強めた。

逮捕権と限定的な即時裁判権を持つハイデッカーは反抗的市民・反抗可能性市民を次々に検挙するとともに、コトダマ空間認識者達を保護名目で連行。強制収容所「アケガ・ターミナル」へ送り込んだ。だが市民の中には、希望を捨てず、これに抗う者たちも僅かに存在した……。


【デイドリーム・ネイション】


 010010101……可能性がある』『確かにアケガ・ターミナルは……しかし、今はまだ』『今はまだその時ではない』『その通り……今はまだ。鷲の翼が開く、その時まで』01001010010011


10100101


 新幹線ゲートを越えて降り立った青年は、キョートと違うネオサイタマの空気の匂いを感じ、行き交う人々へ、興味深げに視線を投げた。「こっちだよ!クロマ=サン」声をかけたのは、同じくらいの年頃のサラリマン青年である。クロマは表情を輝かせた。「ドーモ、チカマツ=サン。出迎えありがとう」

「どうした?変な顔して。ショーユの匂いが違うか?」チカマツが笑いかけた。クロマは空気を嗅ぐ真似をした。「わかるような、わからないような」「そんなもんさ。……もっと早く来ても良かったのに」「そうはいっても、なかなかな」クロマは冗談めかして、「税関で逮捕されるかも知れないしな!」

「……」チカマツは笑わず、表情を曇らせた。クロマは瞬きした。「どうした」「よせ。そういうのは」チカマツは囁いた。わからぬながらクロマは曖昧に頷き、チカマツについて駅構内を歩いた。戦争が集結し、新幹線が再び運行を開始してから、だいぶ経つ。それでもキョート人は警戒されるのだろうか。

 チカマツはそれ以上説明しなかったが、すぐに実際の理由がわかった。一糸乱れぬ動きで巡回する白い揃いの制服の男達が視界に入ると、構内のネオサイタマの人間はみな表情を硬くし、視線をそらせたからだ。キョート人がどうという問題ではなさそうだった。「あれか?」「難癖つけられると面倒なのさ」

「へえ」「まあ、お前がヤク中や犯罪者でもない限り安心さ」チカマツは肩をすくめた。「善良な市民の味方だよ」「ハイデッカーってやつか」「詳しいじゃないか」「「オツカレサマデス!キョートの方」」制服の男達はクロマとすれ違う際、一斉にアイサツした。「あ……ドーモ」「「よい旅を!」」

 駅から市街に出た二人のコートが風に揺れた。0と1で構成された風の粒子を、クロマは目で追った。「キョートでは吹かない?」チカマツが尋ねる。「いいや、同じさ」「そうかァ」チカマツは夕方の空を見た。空には黄金の立方体が浮かび、ゆっくりと自転している。「あれも?」「ああ。同じさ」

「夢~、俺達の~」「カワイイ~」駅前のロータリー、ビワを抱えた男とコンガを叩く女のストリート・ミュージシャン・デュオが希望を歌い、屋台ではイカケバブの良い匂い。バスが止まり、人が吐き出され、人が乗り込む。「タクシー、使おう」チカマツが言った。「疲れたろ」「ありがとう」

 10月10日は誰にとっても大変な一日だった。様々なニュースが飛び交い、官房長官が暗殺され、凶悪犯罪者フジキド・ケンジの動向に震え、情報の濁流に翻弄され、空には黄金の立方体が浮かび、奇妙な風が吹いた。市民はパニックに陥った。

 イッキ・ウチコワシは混乱に乗じようと、無差別な破壊放火活動を開始した。組織を束ねるリーダーが放逐されたと、まことしやかに囁かれた。様々なカルティストが世界の破滅を叫び、根拠不明の噂がネットワーク上を駆け巡った。

 曰く、「キョート・ネオサイタマ戦争により地磁気が狂った為」「この天変地異は宇宙人侵略の予兆」「この世は実は電子ネットワーク仮想現実」「この世は実は死の間際に見るソーマト・リコール現象」「地底人が復活しようとしている」「アメリカ大陸の……」この数百倍の荒唐無稽な説が飛び交った。

 つまり、皆、根拠もなく、ただ思いついたことを吟味もせずに垂れ流していた。価値ある情報は埋もれ、ネットワーク・トラフィックは危機に陥り、イッキ・ウチコワシは人々を殺戮した。現実的な問題がネオサイタマを覆い始めていた。最終的にそれを平定したのは、知事代行シバタ・ソウジロウである。

 混乱が収まるまで、一週間から十日ほど要した。凶悪犯罪者フジキドの噂も薄れていった。情報の渦が10月10日のショックを押し流していった……。「五万円~、それから先の秘密教えてあげる~」駅前大型液晶ビジョン、ソロデビューしたオイランドロイド・アイドル「カワイイコ」が踊っている。

 共に歌っていたネコチャンが音楽性の違いにより脱退し、一般オイランドロイドへの復帰メッセージを残して去った事を、カワイイコとファンは悲しんだ。液晶ビジョンから流れる歌はカワイイコのソロデビュー曲、「ほとんど違法行為、それから」だ。クロマは感傷的なメロディに聴き入った。

 タクシーを待つ列は長かったが、人々は奥ゆかしく待機していた。整然としたキョートとはまるで違うケオスの都ネオサイタマであったが、こうした時の美徳は同じだ。やがてクロマ達の番が来た。ドアがひとりでに開き、二人は後部座席に乗り込んだ。「どちらまで」「センベイ」「ハイヨロコンデー」

「積もる話もあるけどさ」ようやくチカマツは緊張を解いた様子で、シートに深くもたれた。「まずは無事でよかったよ、お互い」「そうだな」キョートもネオサイタマ同様に、色々な事があったのだ。特に理由なく、二人は握手した。……その時だ。タクシーが急停止した。「アイエッ?」「どうした?」

「スミマセン」初老のタクシー運転手は済まなそうに防犯モニタ越しに詫びた。「前方で検問が……」確かに、白い制服の男がボンボリ・バーを振っている。「検問はネオサイタマじゃよくあるのかい?」クロマは先程のハイデッカーの事を思い出しながらチカマツを見た。チカマツは震えていた。脂汗。

「どうした?」「いや……そんな」「なに?」「おじさん」チカマツは運転手に言った。「ここでいいや。降りるよ」「ここで?」クロマは訝しんだ。チカマツは顔をしかめた。「ここでなんて……抜き打ちかよ……おい!カネそこに置いたよ!」「開けませんよ」と運転手。「犯罪者じゃないですか?」

「違……何言ってんだよ!訴えるぞッコラー!」チカマツは逆上した。「お、俺はそんなじゃねえ!」タクシーの前と後ろは防壁で隔てられ、冷たい。「通報は市民の義務ですし……無実なら大丈夫じゃないですか」運転手は言った。そしてクラクションを鳴らした。ブーッ!ブーッ!ブーッ!

 検問ポイントからハイデッカー数人がタクシーに走ってきた。運転手はドアを開けた。「このお客、なんかおかしいです」「ご協力感謝致します」ハイデッカーはオジギした。サイバーサングラスにより、その表情はうかがい知れない。「降りて頂けますか、乗客のお二人」「やめてくれ」「アッコラー!」

「アイエエエ!」チカマツは引きずり出された。クロマは反射的に抵抗した。「や、やめてください」「スッゾオラー市民!ザッケンナコラー!」「アイエエエ!」ナムサン!たちまち二人はアスファルトに組み伏せられた。「IDスキャン確認」ハイデッカーの一人がスキャナ・ガンの引き金を引いた。

「チカマツ・ソマ。犯罪歴無し。もう一人はキョート国籍。クロマ・アオイ。観光ビザ。犯罪歴無し」「そうだ!だから言っただろ!何もしていない……」もがくチカマツをハイデッカーは押さえつけた。「LAN端子有り」「し、仕事で必要なんだ!皆やってるだろ!」「検査します」

 ハイデッカーは手慣れた手つきで懐から小型端末を取り出し、チカマツに直結した。「アイエエエエ!」ハイデッカーは端末の数値を確認した。「ポジティブ」「貴方は治療が必要です。ご安心ください。一時的な保護措置を取ります」「アイエエエエ!」「何も心配は要りません。スッゾ市民!」

「待ってくれ!少なくともクロマ=サンは……彼はLAN端子も無く……」息も絶え絶えにチカマツが乞うた。クロマは呻いた。何もかもわからない。ハイデッカー達は顔を見合わせた。それからクロマをチカマツと同様に立たせ、手錠をかけた。「ひとまず連行します。ご協力ください」「アイエエエ!」


 ……それが、クロマの顛末だ。キョート大使館の助けを期待したが、今のところ希望は無さそうだった。今の彼はチカマツと共にアケガ・ターミナルに収容され、自由を剥奪されて、「お米づくりと日々、それから」を観せられている。

 教室めいた大部屋で机をあてがわれ、他の収容者と共に、正面のスクリーンに映し出された映画を観る。「喜」「怒」「哀」「楽」の漢字が書かれた4つのボタンが、各々の机の上に配置されている。この漢字は日本における感情の4エレメントの定義を表しているのだが……「オマエサン」女優が泣いた。

 すると相手役のハンサムな男が涙を堪え、「俺を止めないで。カラダニキヲツケテネ」ぷいと横を向いた。女は震えながら、抱きしめたい思いをこらえる。クロマはボタンに手を伸ばし、準備した。この映画の有名なクライマックス。ここで女優が言う。「アナタ」。そのとき、「哀」の字幕が表示された。

 アナタ!実際に声に出す者もいた。失敗すると「失敗者」の立て札が立ってしまう。クロマは「哀」のボタンをタイミングよく押した。もはや身体で覚えてている。クロマは悲哀をおぼえ……ゾッとして我に返る。条件反射だ。嗚咽している者も実際いる。映画は滞り無く進行する。やがてスタッフロール。

「ハアーッ……」クロマは椅子から立った。肩で息をしていた。「おつかれ」「もうスペシャルサンクスの皆さんの名前も全員覚えちまって、ソラで言えるぜ」「違いねえ」収容期間が長い者達であろう、冗談めかして会話している。抑揚の少ない声で。「アイエエエ!」隅の一人が突然泣き叫んだ。

「頼む!働かせてくれ!労働したい!」あれはサラリマンのシノモダ=サン。一般的なサラリマンのワーカホリック症状が出ていたが、ついにフリークアウトしたか。「ヨロシクオネガイシマス!畜生ヨロシクオネガイシマス!」名刺を差し出すパントマイムが止まらない。スタッフが駆け寄り、運び出す。

「イッちまったか」「どっちがいいんだか……」抑揚の少ない会話を聞きながら、クロマは廊下を歩き、スシ室に向かった。係官が「オツカレサマデス」とオジギした。クロマは苦々しく思った。そしてベルトコンベアの前の椅子に座った。流れてくる皿を取り、食べた。マグ……いや、タマゴだ。

 マグロとタマゴを一瞬間違えるだなんて。そんなにまで、磨り減ったか。俺もいよいよキマッて来たか。クロマは半分残したスシの断面を凝視した。コメを睨んでいると、ふつふつと、怒りの感情が湧いてきた。思い出したように。穴を掘っては埋め直す作業の最中、思いがけず温泉を掘り当てたように。

 シュッ!新たなスシ皿が滑ってきた。クロマは皿を掴み取った。サバ・スシ。二つ!クロマは握りつぶさんばかりの力でそれを取り、一度に口の中に入れた。「ンンンン!」唸りながら、咀嚼した。「ンンンン!」「大丈夫かアンタ?」パーティションの右隣から男が身を乗り出した。「チャを飲め」

 クロマは涙目でチャを受け取り、流し込んだ。熱い!だが己を強いて、飲み下した。「ハアーッ……!」「憤ってるねえ」隣の男は囁いた。クロマは男を見た。壮年、鼻に傷がある。「当たり前……だろ!」「ワカル」男は頷いた。「俺はアイザワ。アンタは」「クロマです」「ヨロシク」

 アイザワは眉根を寄せた。自身の首の後ろに触れ、「クロマ=サン、端子どうした?」「無いです」「は?じゃ、どうして」クロマの脳裏にチカマツの顔が浮かんだ。既にクロマは他の収容者と話すなかで、おおまかな「事情」を推察していた。「巻き込まれたというか……友達と一緒に捕まりました」

「ハッハハハ災難!いや、笑い事じゃねえか。すまん」アイザワは詫びた。シュッ!シュッ!新たな皿が滑ってきたのを、二人は同時に振り向き、同時にキャッチした。どちらもマグロ。彼らはパーティションから身を乗り出し、睨み合いながらスシを咀嚼した。「どれぐらい、いる」「多分、五日目です」

「たいしたもんだ。大体のやつは三日もあれば仕上がっちまう」アイザワは言った。クロマは瞬きした。「貴方はどれぐらい?」「ええと、10日か……随分経っちまったなァ」「大丈夫なんですか」「耐えるコツがある」アイザワはニヤリと笑った。尋ねようとするクロマを遮り、「希望さ。心の王国だ」

「心の……王国」「お前も作るといい。そうすれば……」ひととき、アイザワは感傷的な目をした。それから再びクロマを見た。「だが、そこまで耐える必要は無いかも知れねえぞ」「何です」「……」アイザワは無言になった。「……」そして言った。「まだ食えるか」「食いますよ」「よし」

 流れてくるスシを食べながら、二人は話した。「お前にゃわからんだろうな。端子もねえし」「つまり、違法LAN端子手術を受けた人間を集めているんでしょう?」「近いが、違う。違法合法、関係ねえ。もう二ヶ月前にもなるか、あれは」「何がです」「立方体よ。ビビったろ?」「……ハイ」

「あれはな。ネットワークの中にも浮かんでる」アイザワは真顔で言った。クロマは顔をしかめた。結局この世がインターネット仮想現実やら、宇宙人やら、今の人生が前世の繰り返しやら、言っている類いの人間か。アイザワは素早く察した。「バカ。そういうのじゃねえ。俺は見た物だけを話してる」

 アイザワは続けた。「ネットに接続し、論理タイピングを加速させると辿り着く地平だ。"鋭い奴"はそれを垣間見る。俺は食い詰めたハッカーでよ。商売はカタギに戻ったが、昔は鋭かった。その時見たことがある。あの立方体をな」彼は一息つき、チャを飲んだ。「ここにゃ、鋭い奴らが集められてる」

「何故?」「知らねえ。鋭い奴が居ると何か都合が悪いんだろ、ハイデッカーは」アイザワはゾンビめいて退出する収容者の後ろ姿を見、「鋭い奴からUNIXを遠ざけ、自我課患者にしたいんだ……ハッ!アイロニーだよな。UNIX無しで自我疾患を起こさせるなんてよ。そこで映画プログラムときた」

「皆さんお腹いっぱいですね?」係員が手を叩きながら歩いてきた。「衣食住に不満はありませんね?時間です!」「ハイ!」「アッハイ!」二人はそそくさと椅子を立った。アイザワは顔を近づけた。「……お前を試す。明日も気力が残ってるなら、お前にも話す」「心の王国を教えて下さい。コツを」

「……カラテだ。そして記憶」アイザワは拳を握った。「ハイクを詠みたくなるような記憶はあるか」「……」「ある筈だ。掘れ。お前のニューロンを」こめかみを叩き、「それが助けになる」「……アイザワ=サンは?」「……笑わねえか?」「今更」「ヘッ。……ニンジャだよ」「わら、笑いません」

「笑ったな?まあいい。俺は見たのさ。でけェネオン看板の上で互いにアイサツしてよォ……一方が一方をブチのめした。センコ花火みたいな目をしていた。俺は確かに見た。その時、俺はな……」「シャッター下ろしますので!後は皆さん自室で!」「ハイ!」「アッハイ!」

 クロマはアイザワと別れ、フートンとフクスケがあるだけの部屋へ戻った。彼は横になった。目を閉じ、寝返りを打った。(本当に笑っていないです、アイザワ=サン)クロマは心のなかで呟き、フートンの中で拳を握り、一方の腕を伸ばしてみた。涙が滲んだ。思いがけぬ記憶のフックだった。


 ……翌日もまた、「お米づくりと日々、それから」の上映。一回目は朝の9時から開始された。喜怒哀楽ボタン。「オマエサン」「俺を止めないで。カラダニキヲツケテネ」そして「アナタ」のタイミングで、「哀」のボタンを押す。タイミングよく。彼は一方で、違った情景をスクリーンに重ねていた。

 トーフめいて粉々に崩れた市庁舎、破壊、瓦礫の光景……赤黒い影が別の影と向かい合う。センコめいた眼光……繰り出すカラテ……記憶はおぼろだ。焦点を絞る。あの日のガイオンの恐るべき破壊。クロマは壊された建物のひとつの下にいた。瓦礫にまみれていた。

 あの時クロマは、遠く、死神の姿を畏怖し、己の力を、失せつつある力を思い出した。そして瓦礫を押しのけ、起き上がったのだ。(アイザワ=サン。笑っていないです)他の収容者が嗚咽しながら「哀」のボタンを押していた。クロマも泣いていたが、映画のせいではなかった。理由はわからなかった。


2

「オマエサン」「俺を止めないで。カラダニキヲツケテネ」……そして、この日四度目の「アナタ」!クロマは「哀」のボタンを押した。成功だ。「アイエエエエ!」誰かが悲鳴を上げた。見ずともわかる。今朝新しく入った「患者」がボタンをうまく押せず、失敗者の立て札が立ってしまったのだろう。

 失敗者が危害を加えられることはない。ただ、映画プログラムが終了したのち、四人のスタッフによる「受容面接」を受ける事になる(クロマは既に三度それを経験している)。当然ロクなものではない。「あと2回」クロマは呟いた。スシ室を使うのは夕食時だけだ。その時アイザワとコンタクトが取れる。


 ……「オマエサン」「俺を止めないで。カラダニキヲツケテネ」……そして「アナタ」!クロマは「哀」のボタンを押した。成功だ。彼のニューロンは市庁舎の灰燼と、対峙するニンジャを焼きつけている。彼らのカラテは、クロマに、まだ自分が生きている事を思い出させる。重い瓦礫の下から這い出す。


 ……「オマエサン」「俺を止めないで。カラダニキヲツケテネ」……そして「アナタ」!クロマは「哀」のボタンを押した。成功だ。赤黒のニンジャは信じがたい異形の巨腕をもったニンジャに向かっていく。映画プログラムが終了する。クロマは瞬きし、決然と席を立った。


「まったく腹が減ってしょうがない」クロマは唸った。スシ室。流れてくる皿。タマゴだ。ショーユをかけ、咀嚼した。畜生め。畜生め。シュッ。高速で目の前を通り過ぎるトビッコを掴みとり、咀嚼した。シュッ。サバだ。サバの気分ではない。シュッ。アボカドだ。掴みとり、咀嚼した。「元気か」と声。

「元気ですよ」クロマは答え、アイザワを睨んだ。「最低に元気ですよ」「よォーし」アイザワは歯を見せて笑った。「唸りながらスシを食ってるお前に、俺は感じたんだぜ。直感は裏切らねえ」定期的にスシを食べねば退出を命じられてしまう。彼らはスシを食べながら会話を続けた。

「お前の心の王国は何だ?」「秘密です」クロマは呟いた。明かす事でセイシンテキが薄れる事を恐れたのだ。「昨日、そんなに長く耐えなくてもいいって言いましたよね、あなた」クロマは囁いた。「あれどういう意味です。今日これからする話と、関係ありますか」「冴えてきたな」アイザワは頷いた。

「俺は耐えるコツを、このクソッタレ矯正施設で編み出したわけじゃねえ」アイザワは言い、鼻の傷を指でなぞった。「だから、入り込む時もそれなりに備えていた。アケガ・ターミナルは作られてから日が浅い。初期は逃げ出す奴もいた」「……」クロマは徐々に飲み込めてきた。

「自分から入ったって言うんですか」「この施設は東棟と西棟に分かれている」アイザワは言った。「こっちは東棟。西なら話は早かった。タネコ=サンは……目当ての奴は西棟なんだ」「た……」思わず声が上ずった。ずっと小さな声で言い直した。「……助けに入ったんですか?」「そういう事さ」

 電撃的にイメージが閃いた。「そうか。チカマツ=サンも」クロマは言った。「俺の友人も西なんだ。だから見つからなかった……」アイザワは肩をすくめて見せた。「俺とタネコ=サンは昔コンビを組んでいた。理由はあまり言いたかねえが、久々に会う用が俺に出来た。で、訪ねてみたら、もぬけの殻」

「ああ……」クロマは察した。アイザワは続けた。「それが一ヶ月前だな。やがて俺はアケガの実態を掴んだ。色々あったが、脱走者とコンタクトを取り、必要な情報は調べあげた。わかるだろ」彼はタイピングのエア仕草をしてみせた。「カタギ仕事には戻ってたが、まだまだ冴えてるンだ、俺はよ」

「大体わかりました」クロマは言った。ヤングスターめいて、彼はクールに振る舞おうとした。「条件があります」「ホ!話が早え。俺が何を頼むかわかったのか?」「一人じゃ身動き取れないっていう事なんでしょう」「俺が見込んだだけの事はある。首に穴開けろよ」「チカマツ=サンも脱走させます」

「ああ。お前のダチか。そうだな」アイザワは頷いた。「いいぜ。いや、どのみち、このクソ施設はひっくり返してやるつもりでいたが……その時お互いにはぐれねえでいたほうが、そりゃいいだろうよ」アイザワは一度言葉を切り、「わかってるだろうが、ここを逃げりゃ、お尋ね者だぜ」

「そしたらクニに帰りますよ!知ったこっちゃない」クロマは冗談めかして言った。「そして二度と戻るもんか」「違いねえ」「……外に仲間が居るって事ですか?」「おカミがこんなふざけた真似を堂々やってりゃ、キツネサイン突きつける奴は生まれるさ」アイザワは言った。

「タネコ=サンは俺より冴えてる。西棟へ渡り、奴とコンタクトを取り、両側で同時にシステムをいじる」アイザワは手振りをまじえた。「そうして、ターミナルを守ってるヤミヨ共を止める。ヤミヨ?ロボニンジャさ。ネオサイタマはそういう場所になっちまってるんだよ、キョートのお友達……」

「両側って言いました?同時に?」「わかってきたな」アイザワは指差した。「俺はニンポなんか使えねえ。ブンシン・ジツ?ハッ!つまり、俺が東のUNIXシステムをヤってる間に、西に行く奴が必要。そういう事。なのにここの連中と来たら……イキのいい奴見つけるまでに10日もかかったぞ」

「……」クロマは目を伏せた。そして目を上げ、頷いた。彼が想像する「戦士の目」でアイザワを睨んだ。「よし。飲め」アイザワはチャの湯呑みを差し出した。クロマは受け取り、飲んだ。「UNIXをカマした後は?」「外の奴らが仕掛ける」アイザワは握った手を開いて見せた。「フットルースだ!」

 係官が近づいてきた。彼らはそそくさと退出した。「今日で11日。遅すぎるくらいだ」「外の奴らってのは?」「被害者の会」アイザワは呟いた。「……なんてェ名前じゃ、締まらねえだろ」「教えてください」「ローニン・リーグ」アイザワは言った。クロマも繰り返した。「……ローニン・リーグ」


◆◆◆


「ローニン・リーグ?ヘッ」ヘヴィレインはせせら笑い、パンチシートをデスクに叩きつけた。「名前だけはいっちょまえッてわけですか……ナメやがって」「確かにな」ストーンコールドは腕を組んで壁にもたれ、彼を目で追った。「だが侮るな。何事も」

「侮っちゃいない。ただムカつくんですよ」ヘヴィレインは低く言った。そして部屋の角で後手に椅子に拘束され、うなだれた若者にスリケンを投擲した。スリケンは若者の眉間に深々と突き刺さったが、悲鳴は上がらなかった。既に死んでいるからだ。「変わるだの……そういう絵空事が」「感傷的だな」

「でしょう。物事なんてのは過去の反復だ。変わりはしない」ヘヴィレインが肩をすくめてみせた。「感傷的だと言ったのはお前の事だ、ヘヴィレイン=サン」ストーンコールドが言った。「別に構わんがな……」「歯ごたえの無いガキでした」死体の髪を掴んで揺する。「いや、命がけで仲間を守ったか」

 彼らはこの拷問でローニン・リーグの全てを掴む事はできなかった。しかしながら、アケガ・ターミナルのコトダマ認識者を解放する計画については把握した。だいそれた真似をする。だが連中にとってサイオー・ホースというべきか……アケガはアルゴス監視網のエアポケットでもある。

 アケガはコトダマ認識者の掃き溜めだ。それが外部ネットワークと繋がる危険を、アマクダリ・セクトは極めて重大視している。ゆえにLANシステムはターミナル内で完結し、アルゴスを汚染する可能性はゼロだ。「こいつら、いつトロイを動かすやら。願わくばあまり待たせないでもらいたいもんです」

 ローニン・リーグはアルゴス監視網を警戒しているフシがある。詳細な組織情報を得ていない現状、まず彼らから何らか動きを見せてもらわない事には、労多くして功少なし。逆に、事前に掴んだこの計画に動きがあれば、すぐさまニンジャの力を以って制圧し、ネコソギにすることが可能だ。

 しかも恐らく、その掃討戦の折に、収容者を相当数殺す事が可能だ。アケガに収容された人々をアマクダリ政府が解放する事は決してない。コトダマ認識者といえど、たいていは身寄りのある無実の市民。公に皆殺しにすれば、さすがに大衆は拒絶反応を示す。ゆえに施設内でニューロンを徐々に漂白する。

「全くもって恐ろしいもんです。『不治の病』ってのは」ヘヴィレインは呟いた。彼は部屋のブラインドを指で歪め、外の夜空を見た。黄金の立方体はゆっくりと自転していた。ため息をつき、ブラインドを戻す。ストーンコールドはただヘヴィレインの言葉を聞いている。

 やがてIRC端末が光り、ハイデッカーで構成される「回収部隊」の到着を告げた。このアパートメントの暴力の痕跡はY-200型のクローンヤクザ達によって見事に消し去られるというわけだ。元通りに。「……死神の事、どう考えます。ストーンコールド=サン」「今日は特に饒舌だな。行くぞ」


◆◆◆


「オマエサン」「俺を止めないで。カラダニキヲツケテネ」……そして、「アナタ」!クロマは「哀」のボタンを押した。成功だ。やがてスタッフロール。クロマは席を立ち、エクササイズ室に向かった。アケガ・ターミナル収容者は適度な運動が義務付けられている。

 横並びのルームランナーのひとつを選び、クロマは走り始めた。目の前のモニタには街道風景が映し出されており、時々画面の右上にウサギもしくは蛙が現れ、「これで健康が上がった!」などの文言が表示される。適度に与えられる低い刺激が、全体の感情の起伏を抑制してゆくのだ。それがわかる。

 クロマには今日これからやるべき事がある。心の王国は、今まで闇雲に歩かされていた彼に弱々しいランプを与えた。今はランプだけではなく道標の明かりが見える。映画プログラムも、エクササイズ義務も、容易にやり過ごすことができる。ブザーが鳴った。「休憩後、午後も治療を頑張りましょう!」

 クロマはシャワーを浴び、ケミカル色の栄養調整コメで握られたオニギリを食べた。この食事にも抑制成分が含まれているのだろう。さいわい、クロマはまだ日が浅い。アイザワのあの焦りにはそうした理由もある筈。長く収容されている人間は家族との面会も出来る。面会しても構わないからだ。

「次の上映時間が近いです。急ぎましょう」廊下に館内放送が響いた。クロマはトイレの個室に入り、人の流れが行ってしまうのを待った。長く収容されている者はそれだけ口数が少なく、動きも予測しやすいものになる。最終的にそれはどのような状態になるのか。収容所が出来て数ヶ月。データは無い。

 収容所は刑務所ではなく、あくまで治療施設だ。プログラムを正しく受けてさえいれば、許されたエリアを自由に動き回る事は可能だ。禁を犯せば別の一面が現れるだろう。しかしそれまではこちらのペースで物事を動かせる。廊下の大勢の移動気配が途絶えると、クロマはしめやかに個室を出た。

「おう、元気か」隣の個室のドアが開き、アイザワが現れた。もともと、彼とここで待ち合わせる手筈である。「すぐに俺らの不在がバレる。チャッチャとやるぞ」「ハイ」「病棟の連絡通路は閉鎖されている。警備員も詰めているだろう。そこは俺に任せろ。お前は付近で待機だ。隠れられる場所がある」

「周到ですね」「じゃなきゃやらねえ」アイザワは低く言った。「だが、俺の他にもう一人必要だった。それがお前だ。いいか。俺はUNIX室に入り込み、デッキにアクセスする。そして連絡通路のドアを動かす。警備員連中がUNIX室に押し寄せてくるだろう。そうしたらお前は移動を開始だ」

「……わかりました」「わかっちゃいると思うが、チャンスは一度だ。だが時間がねえんだ。大体からして、知り合って日が浅いお前を頼ってる時点で、どんだけヤバレカバレかわかるだろ」アイザワの目に弱さの影がよぎったのをクロマは見逃さなかった。「……俺を選んで正解ですよ。やりましょう」

「よし。頼むぜ。ミッションスタート。外、見張れ」アイザワはクロマに指示した。クロマが廊下を見張る間に、アイザワは小便器と壁に足を突っ張り、天井の金網に手をかけた。何か下準備をしていたと見え、容易に外れた。アイザワはそのままエアダクトによじ登り、見えなくなった。

「……」クロマは外れた正方形の金網を手に取った。フリスビーぐらいの役には立ちそうだ。廊下を歩く係官が行ってしまうまで待ち、ようやく彼は滑るようにトイレを出た。「クロマ・アオイ=サン。治療を受けてください。アイザワ・アイガ=サン。治療を受けてください」館内放送。始まった!

 クロマは廊下を走りだした。突き当りの曲がり角の先に階段がある。これを降りねばならないが……「ああクソッ」クロマは壁に背をつけ、舌打ちした。下の踊り場に警備員が立っている。そこにさらに下から上がってきた一人が合流した。「今の放送は?」「クロマ=サンとかいう」「参りましたね」

「まだそんなイキのいいのが、ねえ」「どうしますか」「とりあえず虱潰しに……」「スタン警棒にチャージしましょう」「それが安全ですね」クロマは階段に身を乗り出し、上階に向かう踊り場めがけ、金網蓋を投げつけた。ガシャン!「何だ!?」「上です!」クロマは息を殺し、再び壁に背をつけた。

 足音がドカドカと上がってくる。そして上階に向かって行く。「どこだ!」「落ち着いてくださいクロマ=サン!何もいいことがないですよ!」声が上に遠ざかる。クロマは心臓を口から吐くほどに恐ろしかった。「結果オーライだ!動け!」彼は自分を鼓舞した。角を曲がり、階段を下へ駆け下りる。

「ハァー……クソッ、どうってことないぞ、こんなのは!」走りながらクロマは呟いた。「俺はもっと死ぬような目に遭ったんだ、畜生め!」階段から廊下に出、突き当りを見やる。さっきの2階と違い、この1階の突き当たりはT字になっている。連絡通路があるのだ。だが今はまだマズい。

 この階段は地下へ降りる事はできず、1階までだ(そもそも地下があるのかどうかもわからない)。かわりに、何らかの医療コンテナが階段の裏に積み上げられている。ここが隠れ場所だ。クロマは身を潜めた。ブガー!ブガー!もはや館内放送などという生易しいものではない。警報音が鳴り響いている。

 恐怖と怒りと滑稽さがないまぜになり、クロマはコンテナの陰で声を上げて笑いそうになった。「罪状、『お米づくりと日々、それから』を見なかった事?クソが」そして思った。シュンブン・ワカバも、映画製作者も、きっと本意では無いだろうなと。「急ぎましょう!」廊下を係官が駆けていった。

 ブガガブガー!警報がもう1レベル上のものになった。廊下で赤いエマージェンシー・ランプが回転を始めた。「東棟UNIX室に急行してください!応援要請!東棟UNIX室に急行してください!」数人の係官が階段を上へ上がっていった。「アイザワ=サン」クロマはコンテナ陰で歯を食いしばった。

 ブガガブガー!ブガガブガー!「緊急避難!火事です……火事です。ロック解除します」警告音をかき消すように、別の音声が廊下のスピーカーから鳴り響いた。ナムサンポ!クロマは意を決してコンテナ陰から飛び出した。連絡通路へ飛び込む。警備員はいない!上階に動員されたのだ!通路の扉が開く!

 正念場はここからだ。役割を果たさねばならない。応えるように、扉の脇の液晶パネルに文字がループした。「収容者アカウント確認。第3映像室:タネコ=サン。第5映像室:チカマツ=サン。タネコを急げ。アイザワ」いつまで彼はシステムを掌握していられる?クロマは走った。西棟!階段を上へ!

 クロマは二階の廊下に飛び出した。幸い巡回係官や警備員の類いは無し。西棟は全く静かだ。だがそれも時間の問題だろう。第1映像室。第2映像室。表札を流し見ながらクロマは走った。第5にチカマツ。だが今は……!「シツレイします!」クロマは第3映像室のフスマを引き開けた!

 映画はスタッフロールの最中!クロマは壁のスイッチを押して照明をオンにした。「まぶしいです」「何だ?」口々に机の収容者達がざわめく。クロマは映像室を横切り、スクリーン脇のパイプ椅子に座っていた担当係官に向かってツカツカと歩く!「エッ?なんだね君は」「怒ボタンだよ!イヤーッ!」

「グワーッ!」椅子から立とうとした係官はクロマの拳を受けて倒れこんだ。「痛い!誰か来てくれ……」「イヤーッ!」クロマは拳を振り上げ、振り下ろす!「ムン」係官は気絶した。クロマはよろめき、映像室を見渡した。「その……スミマセン」誰からともなく、躊躇いがちな拍手が起こった。

「あのッ!ここにタネコ=サンいますか」「……私ですね」挙手したのは若い女だった。この人か。雷に打たれたように、クロマの不安が堰を切った。彼女に自我は残っているか?期間がずっと長いのだ。クロマは祈るような気持ちだった。「アイザワ=サンご存知ですか。その、今、東棟で暴れています」

「暴れ……アイザワ=サンが……」「アンタの力が要る!」思わずクロマは叫んだ。「エッ?待って」ようやく合点がいったとばかり、タネコはクロマを指差した。「なんでアイツが居るワケ?」「アンタを助けに来たンだよ!」「助け……アイツが……バカ言っちゃいけない」「フットルースだ!」

「え……」「東はアイザワ=サンがハックした。こっち側はアンタがやる!」「アイザワって?アンタの恋人?」隣の男がエアタイピング動作をしながら尋ねた。タネコは怒り顔でその男を睨み返し、それから己の頭を掻きむしった。「アーッ畜生!あの野郎!」「やるのか!」「やるに決まってんだろ!」

「そこをなんとか……あれ?」「だから、やるって!」タネコは長い髪を後ろでひっつめ、クロマのもとへ歩いた。「クソッたれ鑑賞会をどれだけやらされたと思ってんの?アイザワはとにかくブン殴る。後で!」「それは……わかった。とにかく決まりだ」クロマは頷いた。「行こう!」


3

「ああ……」「席を立ったらいけないのでは?」他の収容者の中から、おずおずと声が上がった。タネコは顔をしかめた。「いけないッて何さ。ここは刑務所じゃないんでしょ?なら世界の終わりまで突っ立ってな」「ええと、僕らは、逃げます」クロマは説明した。「ご一緒する方はどうぞ」

 もはや振り返らない。二人は廊下に飛び出し、職員の出現を警戒しながら足早に進んだ。足を止めずクロマは問うた。「その……シツレイなんですけど、しっかりしてますね、随分」「なに?」「心の王国ですか」「ああ……アンタもしっかりしてると思ったけど。アイザワがそれをアンタにね?」「ハイ」

「とはいえ私も危ないところだった。あの野郎の名前を聞くまでは、殆ど染まってた。恥ずかしい姿を見せちゃった。どっち?」「この階段、上です」武器になるものを探すが、そういったものは施設から用心深く取り除けられていると見えた。「私達のクランでは心の王国の訓練を受ける。拷問に備えて」

「クラン?ハッカーのですか」「そう。少数精鋭で、預金システムを電子的に攻撃していた。だけど、もう無くなった……アイツと私以外、皆死んだ。アイツのせいでね。それを、よくもヌケヌケと」「シツレイですが、ということは貴方の心の王国は」「そりゃあアイツに一発カマしてやるっていう気持ち」

「コメントは差し控えます」「私について何て言ってた」「その……自分より上のハッカーだと」「当然よ」彼らは上階に到達。向かってくる職員を見つけて再び階段に身を潜め、気付かず角を曲がろうとしたところを二人がかりで叩きのめした。丁度その時、西棟でもアラートが鳴り始めた。ブガーブガー。

『第3映像室において職員へのアサルト行為、収容者数名の集団的反抗行動発生。東棟の状況に関しても、各職員はデータを同期し……』「これからヤバイですよ、多分」クロマは足を速めた。反抗行動のくだりが気になった。感化された収容者が出たか。好都合だが……チカマツ=サン。無事で居てくれ。

 タネコはUNIXルームの扉の前に屈みこんだ。左目の眼球を裏返し、透明で平たいLANケーブルを引き出した。さながらテープワームめいていた。「どう、コワイでしょ。ここの奴らにもバレなかった」見張るクロマに笑いかける。クロマは青ざめ、タフであろうとした。「どうってことありませんよ」

 タネコはUNIXルームのドアに直結した。「ザッケンナコラー収容者!」クロマは振り返った。階段方向!暴徒鎮圧装備の大柄な職員二人が、クロマ達に鎮圧銃を向けて警告した。「スッゾ!鎮圧しますよ収容者!」「スミマセン!」クロマはホールドアップした。タネコはその陰で目を閉じている。

 直結作業中だが、タネコが言うであろう言葉はわかりきっている。「時間を稼げ」だ。「スミ……スミマセン、これは何かの間違いなんです」クロマはもつれる舌を動かし弁明した。何か。何か材料はないか。「そもそも、見てください。僕は、そうだ、生体LAN増設もしていないんです。適合者だなんて」

 武装職員二人は同時に首を傾げ、互いを見た。それから向き直った。「本当です。ほら!」クロマは遮り、ホールドアップしたまま頭を動かした。「ほ、ほら!ハッカーでもなんでもない!」職員のサイバーサングラスが冷たく光った。「収容の条件は非公式です」「スッゾ収容者!尋問を要する」

「アイエッ!近づくな!危ないぞ!」クロマは喚いた。キャバアーン!その時UNIX室のドアが開き、短い痙攣とともにタネコが覚醒した。武装職員が突撃しようとしたその時、階段の下からやや抑揚の薄い鬨の声が上がってきた。「「「ワオオーッ!」」」ナムサン!感化された収容者達だ!

「ザッケンナコラー収容者!」「スッゾ収容者!」BLAM!BLAM!武装職員は彼らめがけ鎮圧銃を撃った。形状記憶カーボンの銃弾がX字に展開し、先頭の者達の四肢を打擲した。「アイエエエ!」「アイエエエ!」ナムサン!収容者はたちまち崩れ立つ。だがクロマ達はこの機に室内に滑り込んだ。

 ブガガブガー!今や西棟でも激しい警報音が鳴り響く中、タネコはUNIX室のメインデッキを見つけ出し、再び直結を行った。「スミマセン……スミマセン」クロマは強化カーボンフスマドアをロックし、外の叫び声を閉め出した。「何を今更弱気になってる!」タネコは叱責し、痙攣の後トランスした。

 UNIXモニタ上ではウサギと蛙が鶴と亀をボーで攻撃する戦闘的グラフィクスが走りはじめた。クロマにはその進捗の状況は皆目わからない。出来ることは、白目を剥いて痙攣するタネコを、負担にならぬよう椅子に座らせる事くらいだ。「僕はどうする」彼は呻いた。「チカマツ=サン。死ぬなよ……」

 タネコを振り返り、それから扉を見る。いまだ喧騒が聞こえてくる。どちらが優勢だ?チカマツを探しに飛び出す?否……否……今のタネコは無防備だ。そうだ、アイザワもだ。この部屋のロックが破られれば、クロマがまだしも抵抗できる。だが東棟のアイザワは……!「クッソ……どうすンだよ……!」

「「「ウオオオーッ!」」」その時、歓声じみた鬨の声!クロマはハッとなった。収容者が勝ったのだ!安全を確保できる!クロマは祈るようにシャッターフスマを開き、外に出た。果たして、折り重なるように倒れる武装職員と複数名の収容者達!しかと立っているのはほんの数名に過ぎないが!

「脱走の手筈があります!」クロマは叫んだ。彼らを囮にした格好だが、謝罪は後だ。「今、ハッカーが西棟と東棟を同時にアタックしている。防衛システムを潰せば、我々の外の仲間が……」多分そうですよね?アイザワ=サン。クロマは勢いのままに言った。「すぐに攻撃をかけ、解放します」

「ここまでやっちまったはいいが」一人が荒い息をつき、額の汗を拭った。拳の皮がめくれ、痛々しいさまだ。「後が無いぞ」「ローニン・リーグ」クロマは言った。「ここをアタックするために、彼らが既に準備を進めているんです」「信用できるんだな?」武装職員の装備を剥ぎながら、一人が尋ねた。

 クロマは唾を飲んだ。そして言った。「なぜなら僕もローニンの一人だ。アンタ達を救出する作戦を行う為に潜入したトロイだ。だけど、外の連中が突入をかけるには、外を守る防衛ロボニンジャを停める必要がある。それまでは、自我を保っている者同士で、凌がなければならない!」見渡す。目。目。

「……信じるさ」奪った電磁警棒の重さを確かめながら、先ほどの男が言った。負傷者の肩を貸す女が無言で頷いた。「どのみち限界よ。目を閉じていても映画が再生できちゃうんだから。最低すぎる」「だな」拳を怪我した男が力なく笑った。クロマは力強く笑い返した。「絶対、自由になりましょう」

 一人。また一人。次々に膝をついた。彼らは意外そうに互いを見、クロマを見た。「え?」クロマは瞬きした。負傷した者から順に、瞳孔を拡大させ、虚ろな表情と化して倒れた。「え?」クロマは膝をついた。立っていられなかった。無駄だからだ。「おや?多少イキがいいな」近づいてくる影が言った。

「何だこれ」疑問をつぶやくのがやっとだった。UNIX室のドア。大丈夫。再び閉まっている。クロマは立ち……いや、立ち上がっても仕方ない。己の感情にやや戸惑う。収容生活の中で自我に負ったダメージに、毒水のように染み入る無力感。目の前で影がアイサツした。「ドーモ。デプレッサーです」

「ああ」クロマは横向きに倒れた。口の橋から垂れたヨダレが頬を伝い、床を伝った。「まだ俺を見ている。なんとまあ」デプレッサーと名乗った影は腕組みしたまま肩を揺らして笑った。「ここの野菜どもが暴動の真似事というのも大変意外で面白かったが、お前も面白いな」「ニンジャ……ナンデ」

「ニンジャ?そう、その通り。つまり、自我の弱った野菜の世話なぞ、俺のジツひとつで容易というわけでな……閑職も閑職だよ。で?UNIX室ねえ?」デプレッサーは欠伸した。「東棟といい、何をやらかそうとしている?いや、答えられんだろう。答える気力はあるまい」「ア……アア……」

 その時であった。パワリオワー!館内放送でロービット・ファンファーレ音が鳴り響いた。「何かやったか」デプレッサーは呟き、シャッターフスマに手をかけた。バチバチとスパークが起こり、顔をしかめさせた。「まったくハッカーというのは……」BRATATATA……KABOOOM!外からだ。

「何だ」BRATATA!BRATATA!銃声。それも複数。KABOOM!再び爆発音。大きく揺れた。「警告!施設が不測の攻撃を受けています。ヤミヨ機能障害発生。係員は武装し至急東棟エントランスへ!」放送に対し、初めてデプレッサーは不快げに眉根を寄せた。「東だと」

「警告!武装集団東棟突入!係官にて対応中」「イヤーッ!」デプレッサーは素早くフスマのロックを破壊し、UNIX室に乗り込むと、LAN直結中のタネコを強制切断した。ZAP!火花が散り、「ンアーッ!」床に投げ出された。デプレッサーは物理ADMINキーを挿し込む。反応無し!「ヌウ!」

「起きろ。ハッカー」デプレッサーは己のデプレッション・ジツの波動を解除し、タネコの頬を張った。タネコは焦点の合わぬ目でニンジャを見る。「アイエエエ……ニンジャ、ナンデ」「フザけた真似をしてくれた。システムリカバリをせよ」「……わかった」息も絶え絶えに答えた。「時間……かかる」

 デプレッサーは短絡を起こしてこのハッカーの首を折りかけた。だが踏みとどまった。「フゥー……執り行え。そうすれば貴様の命は保証する」タネコは震える手で再び直結した。たちまちモニタにはウサギと蛙が走り回るシークバーが表示された。「UNIX室に二人!」ニンジャは通信指示し、去った。

 その一部始終の間、クロマは生きる事を止めぬよう、床の上、死体たちの横で、ずっと己を強いていた。恐るべき虚無感と彼は戦わねばならなかった。彼はアイザワの教えに、キョートのあの破壊光景に縋っていた。心の王国に。背中の瓦礫を必死で押し退けたあの時と同様に、必死で己を鼓舞した。

 やがて4人分の足音が彼の耳元を通り過ぎ、UNIX室に入っていった。さきのニンジャに連絡を受けた武装係官だ。タネコを確保したのだ。システムリカバリを滞り無く行わせる為に。クロマは指先に力を感じた。あの時に似ていた。ほとんど同じだ。まだ命がある。力がある。そう言い聞かせた。

(タネコ=サン。スミマセン。絶対に助けます)クロマは這い始めた。UNIX室とは逆方向。階段の方向へ。徐々に、徐々に這う力が戻ってきた。今はタネコを助けられない。クロマの目に無念の涙が滲んだ。会って一時間経ったかどうかという相手なのに、その辛さは彼の胸を裂いた。

 やがて彼は手をつき、どうにか起き上がった。デプレッサーによってわけもわからず倒された者達の冷たい死体を見下ろした。サツバツとした気持ちだった。彼は首を振った。警報音が鳴り続けていた。武装係官の鎮圧銃を手に取る。遠い銃声。ローニン・リーグはどこまでやれる。ニンジャを相手に。

 階段を下り、映像室の廊下に差し掛かった。クロマは凍りつく。大勢倒れている。収容者達。アレをやられたのだ。デプレッサーが通った跡だ。まるで殺戮の道だ。チカマツは無事か?別の場所に移ったか?クロマは目を拭い、なおも進む。銃声の方向へ。東棟へ。点々と転がる収容者。容赦がない。

「くそッ!」クロマは連絡通路を走り抜けた。東棟の廊下で彼は遂に、銃声の主を……ローニン・リーグの者達を目にした。なりはネオサイタマ市民と変わらない。ただ、腕に「浪人」と書かれた腕章をしている。クロマの胸に希望が湧いた、ことだろう。彼らとデプレッサーを一緒に見たのでなければ。

 ローニン達は手にした銃をデプレッサーに向けていた。デプレッサーがひと睨みすると、それをゆっくりと下ろした。クロマにはその感覚がわかる。ローニンの一人はなおニンジャを狙った。自我が摩耗していない人間ならば、ときに耐えられる……BLAM!ニンジャは壁を蹴って飛び、銃弾を回避した。

「イヤーッ!」「グワーッ!」ローニンは胸を跳び蹴りに割られ、血を吐いて倒れた。「イヤーッ!」「グワーッ!」怯んだもう一人の胸をデプレッサーの拳が打ち抜いた。「イヤーッ!」「グワーッ!」更に一人の顎をデプレッサーの蹴りが打ち砕いた。クロマは膝から崩れた。デプレッサーが彼を見た。

「ハ!生き永らえるも意外、死にに戻ってくるはなお意外!」デプレッサーは向き直り、クロマに向かって来た。クロマは床に手をついた。無駄だ。虚無がニューロンを満たす。それがわかる。クロマは顎を上げ、デプレッサーを見ようとする。廊下の先にキョートのジゴクを見ようとする。

 デプレッサーは吟味するようにクロマを見る。「さて。俺がカイシャクするまで生きておれるか、非ニンジャの屑。暴力は好かぬのだが」鎮圧銃がガシャンと音を立てる。彼はデプレッサーの肩越しに、巨大な腕を持つ悪鬼めいたニンジャと、赤黒の死神を見ようとする。

 クロマは床についた手を拳に握った。怒りと悔しさが彼のニューロンを満たしていた。立て。せめてこの拳を。それでもやがて……巨大な腕を持つ悪鬼は、陽炎めいて滲んで消えた。クロマは呻いた。デプレッサーは悠々と近づく。途中で足を止める。肩越しにクロマの視線と同方向を見る。赤黒の死神を。

「バカな」デプレッサーは呻いた。クロマは立ち上がった。デプレッサーはもはや彼に構わず、陽炎に向かってカラテを構えた。「なぜ貴様が現れる!?」否。陽炎ではない。実体を持った赤黒のニンジャだ。センコめいたその眼には決断的な殺意の火が灯っていた。その火がデプレッサーを射た!

 クロマは目をこすった。しかし赤黒の死神は消えない。決断的に廊下を歩き進んでくる。違う。あれは記憶ではないのだ。記憶と同じだが……それは実体を伴って……!デプレッサーは喚いた。「有り得ぬ!なぜ今貴様が!」「私がそう決めたからだ」死神は答えた。「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」

「ハ……ハハハハ」デプレッサーはやがて笑い出した。「成る程、ではいよいよ貴様は、惨めったらしいドブネズミめいてガタガタ震え隠れ暮らす事にも耐えられず、ヤバレカバレのバンザイ行為に出たか。哀れ!ブザマ!貴様の運命は決しておる。死だ!」「その運命に呑まれるのはオヌシが先のようだ」

「イヤーッ!」デプレッサーはスリケンを投げつけた。ニンジャスレイヤーは指先で飛来スリケンを摘み取り、ねじり潰した。「ニンジャ。殺すべし」「近寄るな!負け犬め!」デプレッサーはもう一方の手をかざし、後ずさった。「デプレッション・ジツ!イヤーッ!」効果はない!

「ヒッ」デプレッサーは踵を返し、逃走を図る。だがそこに立つのはクロマだった。クロマは歯を食いしばり、握った拳をカラテの形に持ち上げ、デプレッサーを睨みつけた。デプレッサーは血走った眼を見開いた。「邪魔だ!」振り上げた右腕にしかし、無慈悲なフックロープが巻き付く!「グワーッ!」

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはロープを引き絞る。「グワーッ!」デプレッサーは引き寄せられるのを抗う。ニンジャスレイヤーはジゴクめいた眼を見開いた。その背に縄めいた筋肉が盛り上がった。「イヤーッ!」「グワーッ!」デプレッサーの足が地を離れた!「イヤーッ!」「グワーッ!」

 マサカリめいた回転踵蹴りがデプレッサーの顔面に叩きこまれた。「アバーッ!」デプレッサーは床に叩きつけられ、無残な亀裂を生じた。「卑怯者……我が主アガメムノン=サンは逃げも隠れもせぬ……カスミガセキ・ジグラットだ……コソコソと立ちまわる貴様には……」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 デプレッサーは殴り倒され、壁に無残な亀裂を生じた。「無意味、だ、貴様、の、反抗は所詮は憂さ晴らし……」「いずれわかる」ニンジャスレイヤーはデプレッサーの目を見て言った。「だがオヌシはそれをサンズ・リバーの対岸から見るだろう。ハイクを詠め!」「白砂な……石粒ひとつ何程もなし」

「イヤーッ!」カイシャク!ニンジャスレイヤーの前蹴りが壁にもたれたデプレッサーの頭部を破壊した。「サヨナラ!」デプレッサーは爆発四散した。ニンジャスレイヤーはザンシンを解いた。クロマはカラテ・ファイティングポーズを取ったまま後ずさりし、尻餅をついた。「……アイエエエ……!」

 ニンジャスレイヤーはクロマにツカツカと近づき、手を貸して立たせた。その手の平はクロマには焼き鏝のように熱く錯覚された。「ザッケンナコラー!」「スッゾオラー!」武装係官が飛び出し、銃を向けた。BRATATA!「「グワーッ!」」その横から別の火線!武装係官は銃弾を浴びて倒れる!

「こっちだ!」「ホールドアップ、アイエッ?」武装係官を追うように現れた二人のローニンは、ニンジャスレイヤーを見て即座にNRSを起こしかけた。「ニンジャナンデ!?」「急げ。ローニン・リーグ=サン」ニンジャスレイヤーは言った。「西棟に収容者の生き残りが多数居る。救助し、脱出せよ」

「西棟」ローニン達は唾を飲んだ。「西棟。そうだ」クロマは呻いた。「助けないと。UNIX室にハッカーが」ローニン達は顔を見合わせ、頷いた。「貴方は……幻ではない」クロマは思わず呟いた。ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。当然、彼は虚空より出でたのではなく、この廊下を進んで来た。

「ローニン・リーグ=サン。オヌシらのこの計画は、既にアマクダリ・セクトの知るところだ」ニンジャスレイヤーは言った。「多くを求めるな。すぐに制圧戦力が到着する」KABOOOM!爆発音が上方で響いた。クロマは息を呑んだ。「来たか……」ニンジャスレイヤーは低く呟いた。

 BRATATATA!BRATATA!更に数名のローニンが合流し、西棟へ向かっていった。クロマは彼らの背を目で追った。銃声と戦闘音が拡大しつつある。彼はどうする?上階だ……アイザワと合流しなければ!彼はもう一度ニンジャスレイヤーの方向を振り返った。赤黒の死神の姿は既に無かった。


4

 アイザワは電子パノプティコン空間の一角で呆然と立ち、頭上で自転する黄金の立方体の輝きに照らされている。「タネコ」アイザワは呟いた。「タネコ。畜生どうした」彼は脈打つ壁に再度触れた。弾かれる。「どうなってる……近かっただろうが!もうちっとだったろうが!」

 脈打つ壁にハンニャの流体ヴィジョンが浮かび、「システムリカバリ開始な」と告げた。「何だと」アイザワはコトダマ知覚力の枝を広げ、事態を探ろうとした。このコトダマ空間はごくごく狭い。外部ネットワークから完全に遮断された箱庭だ。壁の向こうは西棟のシステム。そこにタネコがいる。

 つい先程まで、壁越しには朧な影の気配としてタネコが存在し、アイザワと共にシステムへの攻撃を始めていた。ほぼ完璧なパントマイムのシンクロだった。アケガ・ターミナルを防衛するヤミヨやセントリーガンのシステムにメンテナンス停止命令が下され、ローニン・リーグの攻撃が開始された。

 だが、不意に壁の向こうでタネコの存在が消失した。そして戻ってきた時、事態は急変した。「何がどうなった!おい!タネコ!」アイザワは電子壁を殴りつけた。直接のIRCメッセージ・コミュニケーションは不可能だ。状況は類推するしかない。考えたくない事だが、タネコは尻尾を掴まれたか。

 監視カメラ映像は武装係官と戦闘するローニン達を伝えてくる。「システムリカバリな」そこへ無慈悲にヤミヨが突入し、機銃掃射を開始。ナムアミダブツ……元の木阿弥か!「フザケルナ!」アイザワは目を見開いた。「諦められるか畜生!」彼は目の前の電子壁を殴りつけた。ノイズがニューロンを焼く!

「イヤーッ!」アイザワは怯まず、再び電子壁を殴りつけた。「タネコ!応えろ!タネコ!イヤーッ!」さらに殴る……電子壁に亀裂が生じる。ナムサン。アイザワは亀裂に指をこじ入れ、裂き開いた……「タネコ!」アイザワは虚ろに佇む女を見た。記憶と少しも変わらないタネコの姿を。

 安堵と、それから懸念がアイザワを襲う。室内カメラ映像がコトダマ空間像に重なりあい、タネコの周囲に銃を構えた武装係官の姿が視覚化された。タネコは粛々とシステムリカバリを行う。「見えねえのか」アイザワは呻いた。「見えなくされてやがるのか?ふざけるなよ。お前は綺麗な女だろ」

 タネコにアイザワは見えていない。萎縮した自我で、黄金立方体は見えはしない。「今、どうにか」アイザワは腕を亀裂に押し込んだ。その時、ドウ、ドウドウ……妙なノイズが聴覚に響き、アイザワの背中に幾つかの穴が開いた。「今、どうにかしてやるぞ、畜生」アイザワは異常を無視し、手を伸ばした。

「う……」「タネコ!」アイザワは叫んだ。叫びは01の波紋を生じた。アイザワの指がタネコの額に届いた。アイザワは強く押した。「応えろ!バカ!」「ンアーッ!」タネコは悲鳴を上げ、目を見開いた。「アイ……ザワ!お前!」「何が、お前、だ!仕事の最中にすっとぼけやがって役立たず!」

「なんだって」タネコは慌てて自分自身をwhoisした。「ウカツ」「ウカツもウカツだ。とにかく、クソッ、もう一回止めるぞロボットどもを」「礼は言わない」タネコはアイザワを睨み返した。「これぐらいで精算できると思うなよ」「許してくれなんて言ってねえだろ!性格の悪い女だぜ!」

 二人は互いに手を触れた。壁越しの10倍速い。(アイザワ=サン!アイザワ=サン!)遠く声が聞こえる。アイザワは室内カメラを確認した。物理肉体を支えているのはクロマだ。そのすぐ隣にヤミヨが一体。扉を破り、アイザワを背中から銃撃したクソッタレのロボットだが、既に再停止をかけた。

 アイザワとタネコの認識の枝葉はあっという間にセキュリティ・システムを再掌握する。駆逐されかかったローニン達は再び勢いと勇気を取り戻し、果敢に戦闘を継続する。「そうだ。諦めるんじゃねえ、ガキども。こちとら命かけてンだ」背中の穴が光を放つ。(アイザワ=サン!)「アイザワ!?」

「黙ってろ」アイザワはタネコを遮った。「そんな暇はねェぞ」「お前……」タネコは狼狽し、動揺した。「バカ野郎……」「どうって事ねえ。てめェだって銃つきつけられてンだ、バレたら終わりだ。気を抜くな」「なんで助けに来た!」「うぬぼれンな。カネが要るから探しただけだ。捕まりやがって」

「ふざけるな!なんで助けた。罪悪感か?迷惑だ!こっちだって、わか……わかってるさ……お前がセンセイを売ったんじゃないって事くらいは……」「言質を取ったぞ」アイザワは笑った。「それを言わせたかった」「アイザワ!」「もうひと踏ん張りだ。再起動かけて、ロボットどもを俺らが乗っ取る」

 アイザワは施設屋上の監視カメラ映像を共有する。黄金立方体が浮かぶ空を斜めに横切る数機の輸送ヘリと、そこから屋上へジップライン降下してくる兵士達の影を。ハイデッカーの増援部隊だ。二人は屋上のセントリーガンを動かし、掃射をかける。BRATATATATA……BRATATATA!


◆◆◆


 BRATATATATA!「グワーッ!」降下中のY200トルーパーが掃射を受けて緑の血を噴き出し、果実がもげるようにジップラインから落下、コンクリートに叩きつけられた。BRATATATA……「イヤーッ!」KRAAASH!ヘヴィレインの落下踵落としがセントリーガンを沈黙させた。

 キュイイイ……対角線上の別のセントリーガンが起動し、ヘヴィレインめがけ火を噴いた。「イヤッ!イヤーッ!」ヘヴィレインはフリップジャンプで火線を避けながらスリケンを二枚投擲。致命部位に命中させて沈黙させる。KBAM!トクシュブタイ!

「ザッケンナコラー!」「スッゾコラー!」「ザッケンナコラー!」砲撃が止んだ今、輸送ヘリからはY200トルーパーが続々とジップライン降下してくる。ヘヴィレインは彼らを振り仰ぎ、分隊指示を下そうとする……そして凍りついた。「イヤーッ!」KRAASH!屋上階段の扉が跳ね飛んだ。

「イヤーッ!」KRAASH!飛来した鉄板ドアを蹴り返し、ヘヴィレインはカラテを構えた。屋上へ上がってきた赤黒のニンジャは、ヘヴィレインに向かってアイサツを繰り出した。「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」「……死神……!」ヘヴィレインは呻いた。だが、睨み返した。「やはりな」

 ニンジャスレイヤーはジュー・ジツを構えた。Y200トルーパーが一斉にライフルを向けた。「ドーモ。ヘヴィレインです……いずれお前は現れる。わかっていた」ヘヴィレインはアイサツを返し、呟いた。「イヤーッ!」上空からカラテ・シャウト。輸送ヘリの最後の一人が着地。ストーンコールドだ。

「ドーモ。ニンジャスレイヤー=サン。ストーンコールドです」重々しいアイサツを行い、カラテを構える。その力量は質量のある靄となってストーンコールドの両肩から宙へ染み出すかと思われた。彼は低く言った。「作戦を継続せよ。ヘヴィレイン=サン。このイレギュラーの相手は俺がする」

「オヌシにイクサの手順を決める権利はない」ニンジャスレイヤーはジゴクめいて言い放った。センコ花火めいた眼光がヘヴィレインに向いた。「逃さぬぞ」ストーンコールドは親指を鳴らした。「スッゾオラー!」BRATATATATATA!Y200がアサルトライフル一斉掃射!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケンを投げ、床を蹴った。「「グワーッ!」」Y200数名が眉間から血を噴き出し絶命転倒し終える前に、ストーンコールドはニンジャスレイヤーの行く手を阻み、カラテチョップを繰り出していた。「イヤーッ!」二者のチョップがぶつかり合った。

 カラテが比較的劣るであろうヘヴィレインを殺し、そののちストーンコールドを叩く……ニンジャスレイヤーの狙いは、ストーンコールドの圧力によってキャンセルされた。ニンジャスレイヤーはチョップ鍔迫り合いをしながら、ヘヴィレインが手勢を率いて階段から建物内へ降りてゆくさまを目で追った。

「早速、貴様の大言壮語がハズレだ」ストーンコールドの目がギラリと光った。「何をしにノコノコ出てきたか知らんが、この俺が貴様をジゴクに送り、安らわせてやる」チョップとチョップを挟み、二人の戦士は空気中に殺意を塗り重ねた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」二者は互いを弾き飛ばした。

 そして同時に地を蹴り、再び切り結んだ!「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ドウ!ドウドウドウ!短打を応酬する二者の足運びは、屋上コンクリートに雪めいて足跡と亀裂を残してゆく。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」

 ストーンコールドのカラテは重く鋭い。相当の使い手だ。ニンジャスレイヤーは打倒の糸口を探る。この戦闘に時間をかければ、ローニン・リーグとコトダマ認識者は殲滅される。敢えて危険を冒し介入した意味が失われてしまう。『ザリザリ……ニンジャスレイヤー=サン……』骨伝導通信機が警告する。

 ごく限られた時間と通信品質のもと、ナンシー・リーはニンジャスレイヤーに呼びかける。『ザリザリ……アガメムノンが既に……急いでニンジャスレイヤー=サン……雷撃が開始される前に……ザリザリ……遂行し……退避を……!活動限界時間の予測値を送信するわ……!』

 断片的なデータ送受信音を最後に、ナンシー・リーの通信は終了した。てんからくだるあまくだり。アルゴスの波長がノイズとなって痕跡を洗う。尻尾を掴まれずに通信を行うには、ただこれだけの短時間が限度だ。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはストーンコールドと打ち合う。

「スパルタカス=サンを斃したカラテ。やはり恐るべしと言ったところか」ストーンコールドはニンジャスレイヤーの目潰しを拳でかち上げ、喉笛をチョップ突きで刺しに行く。「彼は最強のカラテ戦士だった。しかしヒエラルキーで結果が決まりはしない。だからこそ我ら戦士はイクサするのだ。違うか」

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはストーンコールドの突きを撥ね逸らし、脇腹にヒザ蹴りを入れに行った。ストーンコールドは半身にカラテを集中させ、内臓を爆発させるヒザ蹴りに耐久した。「カラテ段位戦になど興味無し」ニンジャスレイヤーの目が光った。「ただオヌシを殺すだけだ」

「所詮俺たちは殺しの徒よな!」ストーンコールドはニンジャスレイヤーの側頭部を肘打ちで破壊しにゆく。「理念、思想、そんなものは雲上人にくれてやる!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは側転しながら蹴りを放つ!「イヤーッ!」ストーンコールドは側転で躱し、蹴りを放つ!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」二者は並列側転しながら数十発の打撃を互いに繰り出した。「アバーッ!」「アババーッ!」いまだ屋上に残っていた進行方向のY200が数名巻き込まれて吹き飛んだ。銃口がイクサに向くが、フレンドリーファイア危険により発砲せずだ。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」二者は同時にコンクリートを蹴り、回し蹴りを打ち合った。ストーンコールドは反動で飛び離れ、フリップジャンプした。すかさずY200が銃撃をかける。「ザッケンナコラー!」BRATATATATATA!「イヤーッ!」ジグザグに走り回避するニンジャスレイヤー!

「グワーッ!」「グワーッ!」Y200が斜めに弾き飛ばされ、地上へ落下していった。ストーンコールドにはそのコンマ数秒あれば十分だ。「イヤーッ!」「グワーッ!」ポン・パンチ!ニンジャスレイヤーは回転しながら吹き飛び、フェンスに背中から衝突した。

 ニンジャスレイヤーは背中からカラテ衝撃を逃した。衝撃波が拡散し、フェンスが歪む。よろめきながらジュー・ジツを構え直す。その眼前にストーンコールドがいる。「イヤーッ!」「ヌウーッ!」サマーソルトキックをクロス腕でガードすると、ニンジャスレイヤーの身体が数メートル跳ね上がった。

「これは……!」ニンジャスレイヤーのニューロンが爆発的に加速し、策を探った。眼下でサマーソルトキックから着地したストーンコールドは身を縮め、カラテを凝縮する。跳躍の予備動作だ。「……イヤーッ!」ストーンコールドが跳んだ!高高度サマーソルトキック!アブナイ! 

 空中のニンジャスレイヤーは身を守らなかった。かわりに彼はフックロープを空に向かって投げ放った。ストーンコールドのケリで粉砕されるより僅かに早く、ニンジャスレイヤーの身体がまるで物理法則を無視するかのように飛んだ。ロープの巻き上げ機構だ。輸送ヘリのスキッドにフックが噛んでいた!

「イヤーッ!」ストーンコールドは空中で回転しながらスリケンを連続投擲!ニンジャスレイヤーはヘリのスキッドを支点にグルグルと旋回した。「イイイヤアーッ!」その腕が赤黒の炎の軌跡を描き、コクピット装甲に吸い込まれた。KRAASH!「アバーッ!」ナムアミダブツ!運転トルーパー死亡!

 コクピットに侵入したニンジャスレイヤーは無慈悲に操縦桿を倒した。輸送ヘリが傾き、屋上へ落下を始めた。「ヌウッ!」ストーンコールドは連続側転で屋上の対角線上の端へ退避した。KABOOOOM!「「アバーッ!」」Y200陣が爆発に呑まれ死亡!ナムアミダブツ!

 ストーンコールドは向き直り、カラテを構え直した。輸送ヘリ残骸の黒い爆炎の中から邪悪な獣めいた影が飛び出した。赤黒い眼光と、牙めいて歪んだ「忍」「殺」のメンポ、獰猛なカラテが、コンマ2秒後、ストーンコールドに到達した。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」

 再びカラテの打ち合いが再開した。ストーンコールドはニンジャスレイヤーの戦闘アルゴリズム変化に苦慮した。腕の一振り、チョップの一打一打の軌道が大きく、一見力任せのものになっていた。しかし隙をついて短打を刺しに行く事ができない。大振りになったが、速度もそれだけ増しているのだ。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ストーンコールドのカラテは押され、徐々に防戦に追いやられていった。後ろはフェンスだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」一撃もらった。「イヤーッ!」反撃は防がれた。「コワッパ!」ニンジャスレイヤーは吼えた。「ここまでだ!」

 メンポの裂け目が瘴気を吐いた。ジゴクめいた赤黒の目の奥に、ストーンコールドは焦りの影を見て取った。さもありなん。システム・アルゴスはニンジャスレイヤーの居場所を既に捕捉している。じきに放送が流れ、突発停電が開始される。カスミガセキ周辺地域の電力がジグラットに集められる合図が。

 アガメムノンは一帯の電力を吸い上げ、天の怒りにも等しい雷の力をニンジャスレイヤーに注ぐであろう。それこそが、この約2ヶ月、ニンジャスレイヤーが潜伏を強いられていた理由だ。アルゴスの絶対的なネットワーク監視と、アガメムノンの天の雷が、ニンジャスレイヤーの抵抗の手段を奪い去った。

「一つ聞いておく……なぜ今おめおめと現れた。負け犬よ」ストーンコールドは大胆かつ獰猛かつ的確なカラテ打撃を防御しながら問うた。「地上へ這い出たところで結果は見えておったはずだ」「……今はまだその時ではない」ニンジャスレイヤーは低く言った。「……だが!イヤーッ!」「グワーッ!」

「イヤーッ!」「グワーッ!」ガードを破り、ニンジャスレイヤーの拳がストーンコールドの肋骨を、鎖骨を砕いた。ストーンコールドの噛み締めた奥歯から体内ZBRが分泌された。彼は筋肉を締めて骨折ダメージを最小限にとどめ、戦闘を継続する。もう一機の輸送ヘリが向きを変えた。彼らのもとへ。

「やれ」骨伝導インカムを通してストーンコールドは指示した。輸送ヘリは落下を始めた。ストーンコールドはニヤリと口の端を歪めた。「さっきの一撃は笑えた……今度は二人で楽しもうじゃないか」「……!」ニンジャスレイヤーは打撃を引いた。ストーンコールドは打って出た。「イヤーッ!」

 精神的動揺をこらえることで生じるコンマゼロ数秒のニューロン速度時間の隙をついて、ストーンコールドは必殺の短打を繰り出した。顔面間近で曲げた指を伸ばし、チョップ突きで眼球を貫き、脳を破壊する……それができずとも……「……」ストーンコールドはわずかに目を見開いた。

 打撃がニンジャスレイヤーを捉えることはなかった。ニンジャスレイヤーは半身になり、前に出した左腕の肘先を上向け、そして肘先を捩じって手の平を左に向けていた。ストーンコールドは己が肘先のねじれに巻き込まれるような錯覚を味わった。「そうか。これが、」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 ストーンコールドはたたらを踏んだ。ニンジャスレイヤーの右拳が消えたと思うと、既にストーンコールドの顔面は破壊されていた。ニンジャスレイヤーは拳を戻しながら身体をねじり、飛び回し蹴りでストーンコールドの胸を蹴った。「イヤーッ!」彼は迫り来る輸送ヘリめがけ跳んだ。

「イヤーッ!」KRAAAAASH!トライアングル・リープからの跳び蹴りが、輸送ヘリを顎下から跳ね上げていた。軌道がそれ、フェンスを巻き込みながら、ヘリは横へ落下していった。ニンジャスレイヤーはゴロゴロと転がって着地し、ストーンコールドを振り返ってザンシンした。

「どのみち俺は長くなかった」ストーンコールドは血を滴らせた。彼の身体を蝕むヴァレイ・オブ・センジンの呪いが消える事はなかった。「貴様の出現はブッダのはなむけだ。フートンで死ぬより余程よい……ザマを見ろ。そしてハーヴェスター=サンに、栄光あれ」彼は爆発四散した。「サヨナラ!」

 すぐにニンジャスレイヤーは走りだした。彼がサンズ・リバーを渡る時間ではない。ヘヴィレインを殺し、収容者の虐殺を止める。この行動の是非は、ナンシー・リーにも、ニンジャスレイヤーにもわからぬ。今はまだその時ではない。その時ではないが……。

 一方ヘヴィレインはY200の分隊を率い、丁寧にクリアリングを行いながら階下へ突き進んでいた。BRATATATATA!「アバーッ!」BRATATATATATA!「アイエエエ!」病人服を着た収容者が折り重なって倒れ、撃ち返してくるローニン達がY200の何人かを道連れにする。

 ヘヴィレインは苛立ちを覚える。この日死ぬために生きてきたクソどもだ。なんとつまらぬ連中だろう。一丁前に、反逆者のツラをして。「イヤーッ!」「アバーッ!」額にスリケンが突き立ち、立ちはだかったローニンが倒れる。警告音が鳴り続けている。セキュリティがハックされたきりなのだ。

 事前情報によれば、アケガ・ターミナルは二人のニンジャによって守られている。デプレッサーとアエシュマだ。そう楽観できる状況ではない。先程までここにはニンジャスレイヤーがいたのだ。生き残っているのがどちらか一方、あるいは二人共殺された可能性も十分考えられる。

 ストーンコールドがニンジャスレイヤーとやりあっている間に手早く殺戮を済ませてしまうのがよかろう。ヘヴィレインは淡々と思考する。「イヤーッ!」KRAAASH!ガラス戸が内側から破砕し、臙脂色の装束のニンジャが転がり出てきた。ヘヴィレインは舌打ちした。だが疑問点もある。なぜ、今?

 ニンジャスレイヤーは屋上。ニンジャを倒せる者などおるまい……通常であれば。通常。ヘヴィレインはカラテを構え、Y200分隊に照準を命じる。床で身悶えするアエシュマを追って、中から悠々と進み出てきた者を、ヘヴィレインは睨んだ。「ヨージンボーか」彼は呟いた。「無い話ではなかったな」

「取り込み中だよ」黒髪の女はアエシュマにタバコを吐いて捨てた。「こいつ助けに来たのか?アマクダリ・セクト=サン。悪いけどもう……」「サ……サヨナラ!」アエシュマは爆発四散し、女は手にしたカタナを朱塗り鞘に戻して、ヘヴィレインにアイサツした。「ドーモ。レッドハッグです」


5

「ドーモ。レッドハッグ=サン。ヘヴィレインです」ヘヴィレインはアイサツを返した。「それで?己のケツも拭えない非ニンジャの屑の負け犬どもにひっついたマケグミといったところか。ならばニンジャスレイヤーともども死ぬがいい」「ニンジャスレイヤー?」レッドハッグは片眉を上げた。

「今ニンジャスレイヤーって言ったかい」「……」ヘヴィレインはカラテを構え、挑発した。「ローニンなど、所詮蜘蛛の子めいて散らされるだけの屑の集まりだろ。エエ?お前のワザマエは伝え聞いてる。バカなら宝の持ち腐れよな」「いじらしいのさ。義侠心が疼くんだよ」レッドハッグは口の端を歪めた。

「ほざけ」ヘヴィレインのニューロンを瞬間的な怒りが通過した。両手首から飛び出したタント・ダガーを逆手に掴み、レッドハッグに襲いかかった。「イヤーッ!」「イヤーッ!」レッドハッグはジグザグにカタナを操り、ヘヴィレインの高速ナイフ・コンバットに対応する。「イヤーッ!」「イヤーッ!」

「イヤーッ!」「イヤーッ!」激しい火花を散らす彼らの両横を、Y200トルーパーが走り抜けてゆく。レッドハッグは舌打ちした。「アンタ邪魔くさいね。ちょっと死んでくれないか」「噂通りそこそこやるな。だが、やりあってみたとこ、俺が上だな?イヤーッ!」「イヤーッ!」チョーチョー・ハッシ!

「ニンジャスレイヤーって言ったね」「さあな」「どこにいる」「ハ……フラフラしてやがるのをさっき見たが、そのままジゴクへ行っただろうよ……」ヘヴィレインはダガーをクロスしてカタナを受け、刃を挟んでレッドハッグと睨み合った。「お前もカロンの舟に乗り遅れるな!イヤーッ!」「グワーッ!」

 ヘヴィレインは両腕に力を込め、レッドハッグを弾き飛ばす。レッドハッグは床に手をついて受け身を試みるが、抜け目なくヘヴィレインがそこへタントを投げた。「イヤーッ!」「グワーッ!」右手の甲を刃が貫く!レッドハッグは後転しながらタントを引き抜き、ヘヴィレインに投げ返した。「イヤーッ!」

「イヤーッ!」ヘヴィレインはタントを躱しながらもう一本を投げた。「イヤーッ!」レッドハッグはカタナで撃ち落とした。その隙にヘヴィレインは床スレスレまで上体を下げて突進。新たなタントを手首装甲の中から引き出し、再び逆手二刀流となって遅いかかった。「イヤーッ!」

「イヤーッ!」レッドハッグは瞬時に刀を朱塗り鞘に戻すと、鞘を振り上げ、タントを受けた。ヘヴィレインは眉根を寄せた。レッドハッグは鞘からカタナを引き抜いた。そして、斬った。「イヤーッ!」「グワーッ!」ヘヴィレインは仰け反った。ハチガネメンポ装甲が砕け、額に水平の赤い線が生じる。

 ヘヴィレインはバック転を打って着地した。額を押さえる。赤い血がどっと溢れ出した。「チイーッ!」殺意が衝突する。両者、睨み合いながらアイソメトリックし、溢れる血を筋力で止血した。「第二ラウンドといくぜ」ヘヴィレインが言った。レッドハッグは不敵に笑った。ヘヴィレインは視線を追った。

 彼の心臓が強く打ち、ニンジャアドレナリンがニューロンを満たす。時間感覚が泥めいて鈍化する。振り返った彼の視界に入ってきたのは、廊下を突き進んでくる決断的殺戮者、赤黒の死神の姿である。歪んだ「忍」「殺」のメンポは呪われた龍の顎を思わせた。「ブッダファック」ヘヴィレインは呟いた。

「イヤーッ!」ヘヴィレインの判断は素早かった。窓めがけてフリップジャンプを繰り出し、回転蹴りで強化ガラスを破壊した。手の甲からジップラインを射出、壁面を滑り降りる。窓枠を越える際、身体をニンジャスレイヤーのスリケンがかすめ傷つけた。彼は着地と同時にジップラインを切り、走り去った。

 一方、レッドハッグは飛来したニンジャスレイヤーのスリケンを間一髪、指先で挟み止めた。ニンジャスレイヤーの歩行速度はヘヴィレインの逃走後も変わらなかった。レッドハッグの指先はカタナの柄をなぞった。長い1秒が経過した。「……ドーモ。ニンジャスレイヤーです」「ドーモ。レッドハッグです」

 レッドハッグはカタナを鞘に戻した。「ゴブサタしてるね」「何故オヌシがこの場所に居る」「アタシも同じ質問したいが、まあいい。アタシはローニン連中のヨージンボさ。この棟のニンジャ相手に手こずってたら、おかわりが来てね」「セクト中枢の鎮圧勢力だ」ニンジャスレイヤーのメンポが軋む。

 BRATATA……BRATATATA……下階から交戦音が聞こえてくる。「ローニンを口実に、セクトはこのターミナルの入居者を殲滅する算段だ。罠に乗るべからず」ニンジャスレイヤーは低く言った。「鎮圧勢力を率いて来たニンジャは儂が殺した。今の屑ニンジャは……」耳を澄ませ、「逃げてゆく」

 メンポの隙間からジゴクめいた瘴気が流れた。ニンジャスレイヤーは手を握り、開く。レッドハッグは彼の負傷を見て取る。赤黒の装束はかすかに逆立ち、朧な霞を発している。「多少の時間猶予が生まれた。ローニンと入居者を逃がせ。ASAPでこの地を……ハーッ……離れるのだ」「アンタはどうすンだ」

「今は時期尚早……鷲の翼が開くその時まで、未だ時は満ちず」ニンジャスレイヤーは答えた。そして訝しむレッドハッグの目を見た。レッドハッグは赤黒の瞳に理性を読み取った。そして焦りを。「この場はオヌシに任せる。今後オヌシの手に余る状況が生じた時は……ツキジを頼れ。力になれる者も居よう」

 レッドハッグは一歩下がった。死神は一瞬身を沈め、跳んだ。「イヤーッ!」割れ窓から飛び出した赤黒の姿は前転着地で落下衝撃を無効化し、赤黒の風めいて去った。「バカな奴」レッドハッグはグシャグシャと頭を掻き、ローニンに加勢すべく廊下を走り出した。「今のあいつ、どれだけ無茶してやがる」


◆◆◆


 BRATATATA!BRATATATATA!クロマはローニン達とともに廊下を突き進み、ライフル銃で攻撃をかけた。Y200部隊から奪った武器だ。ほとんどはLAN認証で弾かれたが、なかにはプロテクトの突破に成功し、引き金が引けるものがあった。ローニンの銃よりも強力で高精度だ。

「畜生……畜生、畜生」撃ちながら、クロマは怒りに顔をしかめていた。鼻の奥がキナくさい。戦争は終わったんじゃないのか。世の中は少しずつ良くなっていくんじゃないのか。どうして銃を持って、敵を撃っているんだ。「畜生、畜生!」「ザッケンナコラー!」新たなY200部隊が出現する。

 Y200というのはローニンの連中が呼称する敵の名だ。政府の軍警察でありながら、その実、ヤクザであり、クローンなのだという。目眩のする話だった。彼らは確かに兄弟めいた同じ顔をしている。しかもアケガの武装係官と背格好も顔形も同じに思えた。緑の血は何を意味するのか。考えたくなかった。

 BRATATATA!「グワーッ!」緑の血を噴き敵が倒れてゆく。クロマの隣でローニンが崩れ落ちた。「畜生……タネコ=サン」クロマの目に涙が滲んできた。彼は手の甲で拭った。「アイザワ=サン」アイザワを救う事はできなかった。ハッカーはUNIX室でヤミヨの銃撃を受け、蜂の巣となっていた。

 渡り廊下を通り、再び西棟に到達すると、数人のローニンが合流してきた。「ドーモ」「ドーモ」ローニン達は互いにアイサツをかわした。「逃せたか」「ああ、概ね」「すぐに退避しないとヤバイ事になる。ハイデッカーが本格的に介入してくる……彼の話だ。信憑性がある」ローニンはクロマの肩を叩いた。

「スッゾ!」「スッゾ!」その言及に応えるように、武装したY200トルーパーが走ってきた。ローニン達は絶望的面持ちで銃を構える。すると、KRAAASH!倉庫の扉が内側から破壊され、医療用モーターヤブが飛び出してローニンの盾になり、逆に砲撃を浴びせ返した。「グワーッ!」「グワーッ!」

『私たちは怪我人の安全を確保してブッダファック』医療用モーターヤブが電子音声で宣言し、更なる砲撃でY200トルーパーをなぎ倒した。『ジゴクに行きなファック野郎ども。ドーモ』「タネコ=サン」クロマは呻いた。ローニン達を振り返り、「上へ……UNIXルームに、ハッカーが!」「了解だ!」

「クオオオー!」「クオオオー!」「クオオオー!」階段の踊り場でヤミヨがドリフトし、銃弾を浴びせてきた。BRATATATATATATA!「ピガガーッ!」医療用ヤブは軍用機体に打ち勝てない!一機を道連れに爆発して機能を停止すると、クロマやローニンは必死で黒い悪魔との戦闘を継続した。

「喰らえ!」ローニンがフラグ・グレネードを投擲!KBAM!「グワーッ!」奇怪な合成ヤクザ音声を発し、ヤミヨの一機が人型とバイク型の中間で痙攣した。BRATAT!「グワーッ!」フラグを投げたローニンはその代償に額と胸に銃弾を受け、死んで倒れた。レーザーサイトがクロマに照射される。

 クロマのニューロンを死の予感が撃ち抜いた。身をすくませた彼は、上階から踊り場へ思いがけず行われたライフル掃射を見た。「グワーッ!」崩れたつヤミヨに、クロマは必死に銃弾を浴びせた。BRATATATA!BRATATA!上下から銃撃を受け、ついにヤミヨを破壊した。クロマは上階へ駆けた。

 援護射撃を行ってくれたローニンは壁にもたれて座っていた。撃ち返しを受けていた。「……!」クロマは負傷者に駆け寄り、屈み込んだ。「オイッ!」「ア……クロマ=サンか」「チカマツ=サン!どうして」チカマツは土気色の顔で笑おうとした。そして吐血した。「ゴボッ。すまん。巻き込んじまって」

 痙攣が始まっていた。「どうして」「俺は……実際ローニンなんだよ。作戦は粛々と進んでた……のに、あんなネズミ捕りに引っかかるなんて、ついてるんだか、ついて無いんだか……だけどよ……計画を漏らしはしなかった……いいか、クロマ=サン。ネオサイタマは……アマクダリ・セクト……ゴボッ……」

「クオオオーッ!」新たなヤミヨが出現し、銃口を向けた。「生き残れ!クロマ=サン!」チカマツはそれしか言えなかった。BRATATATA!「グワーッ!」火線がクロマを、チカマツを薙いだ。頭が真っ白になり、逆さの「婆」の漢字が、明滅するクロマの視界を横切った。「イヤーッ!」

「アバーッ!」ヤミヨの頭部は鮮やかに切り裂かれ、脳が飛び出し、トーフめいて崩れて機能停止した。カタナ持つ女はうずくまるクロマを見下ろした。「アンタの傷は浅い」手を差し伸べる。クロマは立ち上がった。左腕が上がらない。「そっちは諦めな」「……」クロマは振り返り、チカマツの瞼を閉じた。

「UNIXルームにタネコ=サンが」クロマは呻いた。「ハッカーが。ここのシステムを押さえてくれている」「おおごとだ。案内しなよ」女は歩き出した。クロマは続いた。既に生きたローニンは彼の近くにいない。「他は逃がした。アンタ一人ぐらいなら面倒見てやる」「ハッカーも」「……ああ。二人」


◆◆◆


「ハーッ」アイザワは溜息を吐いた。そして頭上の黄金立方体を見上げた。「いつ見てもふざけた太陽だぜ。今となっちゃ、目を覚ました時も常に浮かんでやがってな」「アイザワ=サン」タネコは相棒の名を呼んだ。「どうした」アイザワは煩わしそうに、「いちいち俺の状態を気にしてんなよ。ナメんのか」

 二人は向い合って論理タイピングを加速し、システムにモザイク状の侵食痕を広げていく。今やアケガの全システムは掌握下だ。降下してきたトルーパーを自動ドアで挟んで殺す事もできるし、医療用ヤブで戦える。任意の係官の残業代も倍にできる。崖の向こうに白い神めいた憂鬱な影が見える。月の神が。

 白い神の体表には無数の目が開き、あらゆる角度、無限の距離を見据えている。あれがアケガに干渉することはできない。道(パス)が無いからだ。少なくとも、今は。「アイザワ=サン。後どれくらい保つ」「ああ。まだまだ行ける」その身体が01崩壊を始めている。「お前は本当信用ならない」とタネコ。

 監視カメラ映像をあらためる。「避難が終わってきているな」アイザワは言った。「そろそろお前もオイトマだ。ローニン・リーグについてけ。そうすりゃ多少は長生きできるさ。次に逮捕されるまでの間」「バカ」タネコは呟いた。アイザワを繋ぎ止めているのはタネコのタイピングだ。それがわかる。

「見ろ。お迎えがきたぞ」二人はタネコ側UNIXルームの映像を見た。クロマと女のニンジャが突入してきた。女のニンジャは壁、机、天井を蹴り渡りながらカタナをふるい、一息のうちに室内のクローンヤクザ係官を全滅させた。クロマがタネコの身体を揺さぶる。「じゃあな」アイザワはウインクした。

 タネコは頷いた。アイザワはニヤリと笑い、キツネ・サインした。タネコはログアウト処理を開始した……その肩越し、白い神が彼らに焦点をあわせた。タネコは訝しんだ。喉に魚の小骨が刺さったような痛痒を覚えた。Y200工兵がアケガに有線で外部ネットワークとのバイパスを物理接続0100101

010010101001

 0010011「ンアーッ!」タネコは飛び起きた。クロマは後ろで受け止めた。「タネコ=サン。無事ですか。退避を……」「待て……ダメだ。ダメ。ダメだ」クロマを振り返り、鼻血を拭う。「ダメだ。これじゃダメなんだ。それに、アイザワが」「アイザワ=サンは、もう」「わかってる!だけどダメだ」

「逃げンだよ!」ニンジャの女がイライラとタバコに火をつけた。「迎えに来たンだぞ」「逃がす」タネコはかぶせるように言った。「状況が変わった。もう一回やる」「え」クロマは瞬きした。「しかし」「大丈夫。責任を果たす。それに」タネコは呟いた。「やっぱり好きなんだ。アイツの事」彼女は再び直結した。

0100101010100

 0101011「バカ野郎!」アイザワは狼狽し、タネコを怒鳴った。タネコは肩をすくめた。「あとコンマ何秒で消えるとこだった?首根っこ掴んでやった恩人に対してご挨拶だね」「恩を着せるんじゃねえ!状況わかってンのか!」二人の周囲にはネオサイタマの全景が可視化されている。外部ネットワークとの接続が確立された。

 そして白い月の神……今は名前がわかる……アルゴスが……身をもたげる。情報がニューロンを駆ける。アルゴスの注意のかなりの割合が、アケガ・ターミナルから脱出した存在に向いている。アルゴスが認識するその者の名は「ニンジャスレイヤー」だ。アルゴスに……アマクダリにとって好ましくない相手。

 アルゴスは瞬時にその座標情報を巨大な山に送る。その区域のセキュリティ密度の濃さはさながらブラックホールの一歩手前。そこに何らかの存在が浮かび上がる。放電を繰り返し、ゆっくりと上昇してゆく。人間……ニンジャ……「アガメムノン」……「何だありゃア」アイザワは思わず呟いた。

「市民の皆様。ご協力を感謝致します」リラグゼーション音楽と停電通知放送が周辺地域に響き渡った。カスミガセキが闇に包まれた。「アガメムノン」だけが光り輝いていた。彼は吸い上げた光を放出した。稲妻のエネルギーが空に跳ね返り、放射状のパルスが拡散し、逃げる「ニンジャスレイヤー」を射た。

 何が起きた?だがそれを確かめる時間はない。アルゴスが行動を開始する。「一発でやられる」タネコがアイザワに言った。「せめてもうほんの少し持ちこたえないと、努力が無駄になる。まだ全員逃げきれてない。掴まって、辿られて、一網打尽になる。だから戻った」「俺一人でやってみせるッてのによ」

「嘘つけ!消えかけてた死に損ない!」「だいたい、せっかく俺が助けたのに、むざむざ戻ってきやがって!」「アンタだって同じだろ!」タネコは言い返した。アイザワは答えを失った。「オーケイ、俺の負けだ」彼は手を差し伸べた。タネコは物理世界を振り返り、切断した。そしてアイザワの手を取った。

 UNIXルームでタネコは心停止した。クロマと女ニンジャ、レッドハッグは、少しの躊躇ののち、その場を後にし、脱出に向かった。それでいい。タネコはアイザワと共に飛翔した。アルゴスが見咎めた。アケガにのばしかけていた手を戻し、二人をめがけた。「行くぜ」アイザワが呟く。「3.2.1!」

 ゴウ。電子轟音がコトダマ空間に風を唸らせ、01の分子を散らす巨腕が遅い来た。二人は速度を一瞬緩め、それから急加速した。……共に無事だ。だが逆の腕が迫って来た。「コトダマと共にあれ」タネコはハッカークランのチャントを口にした。「コトダマと共にあれ」アイザワも応じた。

 情報消滅の運命が彼らを捉える。通常であればその筈だった。0と1の気流の隙間に、何らかの道が、確かに見えた。彼らは喰らいついた。速度が数倍に加速した。アルゴスは再び捕らえ損ねた。二人は何者かがアリアドネの糸めいて彼らを引き上げようとしている事に気づいた。必死にそれに応えた……。

0100101000010

 0101001001010「グワーッ!」「ンアーッ!」二人は白い床に衝突し、跳ね返り、数十メートル浮き上がって、再び落下した。その時には白いソファが無事、生成されており、二人はそこへすっぽりと収まった。「チャをどうぞ」アルビノの男が歩いてくる。片手で杖を突き、片手にポットを持ち。

「何だ。アンタは」アイザワは電子的に柔らかいソファから身を起こそうとした。アルビノの男はそれを制した。「おもてなしを受けてください。どのみち、貴方がたはもはや現世に干渉する事ができない」「ハ……まるでサンズ・リバーだ」タネコは肩をすくめようとした。

 アルビノの男は言葉を吟味しているようだった。やがて首を振った。「私の事はエシオとお呼びください。よろしければ、お名前を」「……タネコ」「アイザワだ」「成る程」エシオは頷いた。そしてポットのチャを白い茶器に淹れた。「なにか……私が貴方がたの自殺の邪魔をしたのであれば、お詫びします」


◆◆◆


 KRA-TOOOOOM!ニンジャスレイヤーは雷撃で生じた球状の白色パルス爆発を背後数インチに、前転して手を突き、再び走り出す。当然ヘヴィレインの追跡など出来はしない。これが「活動限界」……アガメムノンによる制裁の始まりだ。インフラを制し、電子ネットワークを制した現人神の力だ。

 かつてスパルタカスを殺害したニンジャスレイヤーは、その決断的勢いをもってカスミガセキ・ジグラットに挑んだ。磁気嵐消失に伴うアガメムノンの絶対の力を思い知らされたのはその時だ。もはや地上に安息の地は無い。物理的にも電子的にもだ。IRC通信すらも不可能となり、分断され、孤立した。

 KRA-TOOOOOOM!再びの雷撃だ。着弾地点は先程より数メートル後ろだ。これだけ距離が稼げれば、しかるべきポイントで地下へ逃れる事が可能である。ニンジャスレイヤーは走り続けた。実際このタイミングでの行動は時期尚早に過ぎる。危険はあまりに大きかった。しかし動かざるを得なかった。

 アマクダリによって集められ、幽閉された人々が、それを救出しようとする者達が現れた事を理由に殲滅される……そんなニンジャの暴虐に関し、全ての情報が揃った上でなお看過する事など、ニンジャスレイヤーにもナンシーにも出来なかった。

 冒したリスクは大きく、起こした行動がどれだけセクトに楔を打てたかも未知数だ。だが彼は動かずにはいられないだろう。そして出来るならば、それをさせたツケを、必ずや、アマクダリ・セクトに支払わせようとするだろう。KRATOOOM!三度目の落雷。ニンジャスレイヤーは地下水路に跳び降りた。


◆◆◆


 BRATATATA……BRATATAT……「イヤーッ!」「「アバーッ!」」「クオオオー!」「イヤーッ!」「グワーッ!」Y200トルーパーの首が刎ね飛ばされ、ヤミヨは脳漿と電解液を噴き上げる。ローニン達はアケガ・ターミナルを包囲する兵力に穴を穿ち、収容者と共に市中へ流出していった。

 BRATATATATA!BRATATATATA……「AAAARGH!」路地裏に駆け込もうとするクロマに、巨大な甲虫じみた人型マシンが立ち塞がる。キュイラジアー級、暴徒鎮圧ロボニンジャである。レッドハッグは最後のヤミヨを斬り伏せたところだ。舌打ちし、そちらを見やった。

「ゴアアア!」そこへ、白い毛皮に身を覆った四ツ目の怪物が跳びかかった。キュイラジアーの鋼の装甲を爪で切り裂き、牙を立てた。「アイエエエ!」クロマが恐慌に陥った。「敵じゃない!今回の仕事仲間。説明は後だよ」レッドハッグが叫んだ。確かにクロマの周辺のローニン達は恐怖に打ち克っていた。

「とっとと」白い怪物はキュイラジアーにオスモウめいて押し勝ち、ビル壁に叩きつけ、めり込ませながら吼えた。「行けッ!」「アイアイ、アイ」レッドハッグは手を振って頷くと、ローニン達を走らせた。クロマも続いた。レッドハッグは眉根を寄せた。「アンタ、今ならそこらに紛れちまえば逃げられる」

「逃げない」クロマは即答した。彼の腕には血まみれの「浪人」の腕章がある。チカマツが身につけていたものだ。チカマツは死んだ。せめて、チカマツが殉じたものは何だったのか、ネオサイタマは今どうなっているのか、見定めるまで、この地を離れる気にはなれなかった。「そうかい。好きにしな」

 クロマは頷き、他のローニン達に続いた。後で彼が確かめたことには、このレッドハッグと、白い獣……フェイタルの二人だけが、ローニン・リーグの貴重なヨージンボーであり、他は皆、必然から望まぬままに武器を取る事になった者達ばかりだった。やがてクロマは廃墟の裏口に滑り込み、アジトへ逃れた。

 今や突発的な連続の落雷も止み、カスミガセキ一帯の電力供給も回復していた。空には黄金立方体がゆっくりと自転し、路地から路地へ0と1の風が吹き渡っていた。全ては再び元通り取り繕われた。元通り。……本当にそうだろうか。アケガ・ターミナルが吹きあげる黒煙は、柱のように曇天に繋がっていた。

 鷲の翼が開かれるまで、あと35日。


【デイドリーム・ネイション】終わり



N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)

この続きをみるには

この続き: 1,996文字 / 画像1枚

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ニンジャスレイヤー公式/ダイハードテイルズ
ダイハードテイルズはニンジャスレイヤーなどを連載するオンライン・パルプノベルマガジンでありクリエイターユニットです。