マスターズガイドへようこそ
モーゼズ=サンから
マスターズガイド・セクションへようこそ。ここには特にシナリオやキャンペイグンのネタバレもなければ、マスターのシークレットダイス(非公開で振るダイス)を好きな出目にする秘密の方法や、戦闘中にこっそりボスの【体力】を満タンにしてPCたちのピンチを演出するためのチート方法が書いてあるわけでもない。このセクションには、初めてニンジャマスターに挑む人に向けての一般的なアドバイスが収録されている。
なので、プレイヤーがこのセクションを読んでも全く支障はないし、むしろ読んでもらいたい。ここにはニンジャマスターの大切な役割が書いてあるが、プレイヤーたちがそれを理解して協力してくれることで、負担は大いに軽くなる(彼らは本当に大変な仕事をしているんだよ)。
また、プレイグループ全体でより建設的なゲームにするにはどうすればよいかについて、あるいはニュービーが嫌な思いをしてTRPGどころかニンジャスレイヤーという作品まで嫌いになってしまうような残念なトラブルや事故を避けるにはどうすれば良いかについても、僕のアイディアを簡単にまとめてみた。根本的には理解と棲み分けだ。多様性は大切だけれど、多様性というのは、他者の全てを受け入れて全てを楽しまなくちゃいけないという意味ではないし、場の雰囲気を悪くさせたり迷惑をかける行為が許されるという意味でもない。まあ当然だよね。つまり、いろんな価値観の人間がいるということを理解したうえで、穏やかに、ポジティブにふるまう事なんだ。
ニンジャマスターは事前にプレイグループの理解度や趣味嗜好リサーチをしっかりとやって、価値観の押し付けにならないよう、奥ゆかしさを大切に、何よりもプレイグループの仲間たちにとって最も快適になるようにハンドリングして欲しい。ゲームは楽しむためのものだから、それが原因で仲が悪くなったり、作品まで嫌いになってしまったら、元も子もないからね。ゲームに参加している誰かが、明らかに居心地が悪そうだったり、明らかに楽しんでいない人がいたら、頃合いを見て一旦チルアウトして、問題を解決するよう心がけて欲しい。
そう、とにかく僕から伝えたいのは「ニンジャマスターは、ミスのない完璧なルール運用なんかを目指すよりも、プレイグループの快適なアトモスフィアを維持したり、何か嫌な思いをしている人がいないかにこそ、より注意を払って欲しい」ということなんだ。慣れれば決して難しいことではないよ。
また一方で、ここに書いてあることが絶対の教科書だなんて思わないで欲しい。気楽に読み、君たちが楽しいひと時を過ごすためのヒントになれば幸いだ。大事なんだけど、シリアスに捉えすぎない、そのくらいの気分で読んで欲しいね。また、最後の方には、夢が広がる様々なセッティングについてのアイディアも書いてあるよ!
プレイ例:ラストショット・オブ・モサヨ
事故を避けるために
ニンジャマスターの最も重要な役割は、事故を避けることだ。ここでいう事故とは「プレイグループ内で最も経験の浅いプレイヤーが、その時のひどいゲーム体験が原因で、TRPGやニンジャスレイヤー自体を嫌いになってしまうこと」と定義したい。様々な事態が想定されるけど、これは主に以下のような時に起こりうる。
これを読むと「エッ? そんな根本的な部分の話なの? もっとテクニカルな事が書かれたセクションなんじゃないの?」と驚いたかもしれない。でも実際、TRPGというのは人間と人間のコミュニケーションによって生まれるゲームだから、しばしば不運にもこのような事故は起こってしまう。最近はオンラインでのゲームも増えているから、プレイヤーの顔が見えにくく、こうした事故が起こる予兆を掴みにくいこともある。
本当は、常識的に奥ゆかしく行動するだけで、こうしたゲーム中の人間関係トラブルのほとんどは回避できるはずだし、起こらないはずだ。でも、ゲーム中はルールのことや進行で頭がいっぱいになりがちだし、ゲームは何時間もかかるものだから、程度の差こそあれ、つい置いてけぼりになってしまう人が出てきやすいのもまた事実なのだ。だからニンジャマスターは、ここで書いてあることをゲーム直前にざっと思い出してもらえると嬉しい。
ミスは恐れなくていいし、責められるべきでもない
最初に、余計な不安を取り除いて、シンプルにしよう。もしかすると君は「ニンジャマスターとして判定とかルールの確認にモタモタしていたら、誰かが不愉快になるのではないかな?」とか「ルール間違いでPCを爆発四散させてしまったりしたら、根に持たれたりしないかな?」といった部分を心配しているかもしれないが、実は、これらはあまり気にする必要がない。むしろ率先してミスをおかし、それを豪快に笑い飛ばすくらいの態度で望んだっていい。そのほうがニュービーも間違いを恐れずにプレイできる。
もちろん、ニンジャマスターである君がピザを頬張って鼻をほじりながら、だらしないマスタリングによってミスを連発するのは当然よくない。だが、ニンジャマスターとしてグループにちゃんと貢献しようという態度で望んだ上でのミスは、許されるべきものなのだ。何故か? これらは、君がニンジャマスターとしてミスがないよう全力を尽くして取り組んだうえで、それでも力不足として起こってしまったことなのだから、プレイグループの仲間たちはそれを容認すべきなのである。逆に言うと、そうしたミスすらも容認してくれない雰囲気の仲間たちならば、そのメンツでゲーム自体をしないほうが全員にとってハッピーかもしれない。少なくとも僕はそう思う。
僕らは人間であり、人間は常にミスをおかす。サッカーのワールドカップだって審判は誤審する。ミスや揺らぎが我慢できないならば、そもそもコンピューターゲームをしていればいいはずだ。でも、君とそのプレイグループはそうではなく、きっとこうした「不便さ」や「不完全さ」を魅力として感じていたから「ニンジャスレイヤーTRPGをしようぜ!」という話になったはずだ。だから、人間的なミスについての心配はいらない。本当だ。UNIXのように冷徹でパーフェクトなルール運用よりも、奥ゆかしさを保ちながら注意深く事故を避ける思いやり、そして「俺のマスタリングするゲームではこういうこともあるさ!」「俺のニンジャ次元ではこうなんだよ!」といった思い切りの良さのほうが、このTRPGでは遥かに大切だ(他のTRPGは知らない)。
では、事故を防ぐための実践的な方法について考えていこう。
安全なスタートラインはどこか?
事故を防ぐために一番いい方法は、そもそも事故が起こりにくいメンツを集めることだ。
ニンジャスレイヤーTRPGは、ひとことで言うと「原作付きのサイバーパンクニンジャTRPG」に属する。これはたとえば、Call of Cthulhu(クトゥルフ神話TPRG)が「原作付きのコズミックホラーTRPG」であると言うようなものだ。こうした原作付きTRPGの強みは、基礎となるストーリーの定型やアトモスフィアをプレイグループの全員がある程度知っているため、目指すベクトルが同じ方向を向きやすく、もともと事故はある程度避けやすくなっている。つまり、最初の段階で「原作を多少なりとも読んだことがある、強い興味がある」もしくは「その物語の醍醐味や楽しみ方が、ある程度わかっている」という前提があるため、スタートラインが違いすぎることによる事故が起こりにくいのだ。
しかし長い歴史を持つCall of Cthulhu TRPGに比べると、僕の作ったニンジャスレイヤーTRPGはまだまだヒヨッコだから、ニュービーが参加した時にシステムによる事故の吸収がうまくできない。だからこれを踏まえて、君が初めてニンジャスレイヤーTRPGをプレイする時に集めておきたい理想のプレイグループとしては「①ニンジャスレイヤーの読者で、かつ、②多少なりともTRPGの経験があり、かつ、③気心の知れた仲間」である。しかし、これは理想論だ。この3つの条件を満たすメンバーを集めるのはそう簡単なことではないし、多少苦労しながらのゲームもまたいい経験になる(トラブルと苦労は雲泥の差だ)。
なので優先順位をつけるとしたら、③⇨①⇨②である。少なくともTRPG経験が1回はあるマスターが1人と、同じくらいの経験のプレイヤーが1人いれば、後は「ニンジャスレイヤーをまあまあ読んだことがある」くらいの仲間が数名いれば十分プレイは可能だろう。この「まあまあ」のレベルをどのくらいにするかは、君のほうで常識的に判断してほしい。例えばサンプルキャンペイグンをプレイするだけならば小説を1〜2冊読んだくらいでも十分だろうし、極端な話【ラスト・ガール〜】と【スワン・ソング〜】だけでも何とかなるかもしれない。しかし、ニンジャスレイヤーを全く読んだことがないニュービーを迎え入れるのは、君がそうとうマスター慣れてしているのでない限り、あまりにも無謀と言える(まだシステムやサンプルシナリオがそこまで洗練されていないからね)。
とにかくどんな場合でも、事前によく話し合い、全員の理解度や「どんなゲームをしたいか」をリサーチしてから始めるのがいいだろう。
求めるゲーム性は違いすぎていないか?
プレイグループの共通認識や思い浮かべるイメージが一致しやすく、比較的事故が起こりにくい原作付きTRPGといえども、やはり事故は起こりうる。それは主に、プレイグループの嗜好のリサーチ不足によるものだ(特にゲーム経験の豊富なプレイヤーが何人かいると、ゲームがスムーズに進むメリットとともに、趣味嗜好やオピニオンが凝り固まっていて衝突してしまう危険性も同時に生まれるのだ)。
これを説明するためにまず、TRPGというゲームの根本的な性質について、極めて荒く大雑把に語っておこう。ほとんどのTRPGは、ボードゲーム(シミュレーションゲーム)的要素とストーリーテリング(お話)的要素を併せ持っており、その比率がゲームによって異なっている。ボードゲーム的要素が極めて強いTRPGは、世界観やアトモスフィアをルールやシステムそのものによって再現しているため、事故は起こりにくいが、一方で自由度が限られていてストーリーテリングの融通が効かないというメリット/デメリットがある。これに対して、ストーリーテリング要素の極めて強いTRPGは、プレイグループ全体で協力して一個のドラマチックな物語を作ることがメインの目的であり、ルールはそれを手助けするためのツールに過ぎず、なんなら無視したっていいが、カッチリとしたルール運用や競技性に楽しみを見出すプレイヤーからすると、ゲームとしてはいささか乱暴で、物足りなさを感じるものになりうる。
この2つの特性は、どっちが優れているとか、どっちが偉いとか、そういうものでは一切ない。色々あるのだ。
そして、ルールブック通りにプレイした場合、ニンジャスレイヤーTRPGはだいたい「5:5」、つまり中間の性質を持つことを目指している。ニンジャマスターの采配次第で「8:2」とか「3:7」みたいに調整ができるし、自由にして構わない。「ロールプレイが大好き! 細かいルールは面倒臭いからどうでもいいや」というプレイヤーが集まったなら、ニンジャマスターは遠慮なく前者の割合を増やし、テンポを悪くすると思ったダイスロールをどんどん省いていけばいい。逆に「ロールプレイよりも戦略やキャラ育成をサクサクと楽しみたい! シナリオをクリアできなかったらリスポーンしてもう1回やる!」というプレイヤーが集まったら、その方向にもシフトできるということだ。
わかりやすく言えば、ストーリーテリング要素を強めた場合は、余計なダイスロールを省略して、ストーリー進行に集中することが可能だ。逆にボードゲーム的要素を強めた場合、ロールプレイングにあまり時間を割かず、ランダム表などによってどんどん事態を進行させる、より箱庭的な楽しみ方が可能になる。バランスの調整には、ある程度の熟練が必要かもしれないが、ここで言いたいのは「自由にやってくれ!」ということだ。プレイグループによって採用するハウスルールやアトモスフィアは全然違って構わないし、むしろそうあるべきだと思っている。
ストーリーテリングを重点するのか、ボードゲーム要素を強めるのか、それともバランス型でいくのかは、可能ならばニンジャマスターとプレイヤー同士で事前に同意を形成しておく事をおすすめする。そして一度スタイルを決めたら、少なくともセッション終了までそのスタイルは変えないことだ。
皆はどんなアトモスフィアを求めているのか?
リサーチについてさらに細かく言うならば、プレイグループ内に未成年や精神的に未熟な年少者が混じっていないか、そしてゴアなどのR-18要素はどこまで描写しても大丈夫かなども知っておいた方がいい。時間があるならばプレイグループが求める「ゲーム内のアトモスフィア」についても調べたり、「今回はこんな風に行くぞ!」という合意を事前に全員でしておければ最高だ。ニンジャマスターは全員の趣味嗜好をある程度つかみ、その最適解を模索しつつ、最終的には自分でしっかりと決断的に舵取りをすること。優柔不断になってプレイヤーに全ての判断を委ねていたら、ニンジャマスターのいる意味がなくなってしまう。
ちなみに、ゲーム性の趣味嗜好の他に食い違いが出やすいのは、そもそも「ニンジャスレイヤー」という物語のフレームワークに対して何を期待しているのか? ということだ。だからといって原典をかたくなに守り過ぎようとすると、今度は「原作にないような結末」を逸脱として忌み嫌い、TRPGのせっかくの自由度が活かせなくなってしまう。簡単に言うと「趣味嗜好はいろいろあって当然」「どんな時でも柔軟性や自由度は大切」の2点を覚えておいて欲しい。これについては次の項でさらに掘り下げてみよう。
予定調和とマンネリズムの罠
ニンジャスレイヤーTRPGをプレイしたいと思う人の最初のモチベーションはおそらく「本編に出てきてすぐに爆発四散していくような、どうしようもないほどのサンシタになって、最後はニンジャスレイヤーに惨たらしく殺されてみたい」ということだろう。
しかしこれは、「サンシタは一生サンシタでなければならない」「どんなことをしても事態は変わらず、ノワールな雰囲気の中で虚無的に死んでゆくのが第1部ネオサイタマの美学だ」などのような過剰な予定調和の枠組みを後押しするものではない。だから、キャンペイグンを開始する前には、その点をしっかりと確認してほしい。「サンシタならここでおとなしく爆発四散しないと美しくないぞ!」「そんな行動をとったら、第1部アトモスフィアの美しさが台無しになっちゃうぞ」みたいな外野のヤジは、全部ファックオフだ。ゲームの楽しみ方を勝手に定義して、幅を狭めてはいけない。
PCの取る行動と意思決定によって、ストーリーやアトモスフィアはどんなものにも変化しうることを忘れてはいけない。一瞬で世界は変わりうる。だからプレイヤー同士で奥ゆかしさを守り、互いに協力しながら、誰もが物語の主役になろうとする、そのせめぎ合いもまたTRPGの楽しさだ。自由に行くと決めたら、自由に行こう。あるいは逆に「今回のゲームは徹底的にストイックに、サツバツ・ノワールをやってみようぜ」「〇〇のエピソードみたいな感じをめざそうぜ」とプレイグループ全員で合意を行い、その方向に向かってベクトルを合わせることだってありだ。そういうところも含めて、このTRPGは、本当に、本当に自由なんだ。
そもそもニンジャは自由だ。ニンジャには無限の可能性がある。君のプレイグループがどんなアトモスフィアを求めるとしても、そこだけは絶対に曲げないで欲しい。もちろん、パッとしないサンシタとして泥水の中でボロ切れのように死ぬ自由もある。だけど、その美学を他人に押し付けてはいけない。作中でも、登場人物たちがたまにそれまでの行動を悔い改めてニンジャソウルの邪悪さを克服したり、あるいは自暴自棄な突撃を行ったり、不意にものすごい野心に目覚めて上を目指すことだってありうるよね。人は変わりうるんだ。それはゲームの中のニンジャでも同じ事だよ。
ソウカイヤを乗っ取りたいなら、なんで乗っ取らないんだ? やろうと思えば、できるよ。邪悪の限りを尽くしたうえでニンジャスレイヤーまでも爆発四散させたいなら、なんでやらないんだ? 『サツバツ!』で腕を切断されて倒れたヤモトを哀れに思い、助けたいと思ったら、なんで助けないんだ? これはTRPGなんだから、何だってできるんだよ。そこを絶対に忘れないで欲しい。
笑えるのはいい事だよ
快適なアトモスフィアについても、いくらか話しておきたい。ニンジャスレイヤーの世界はシリアスだ。特に裏社会の人間たちは明日なきアウトロー生活を送っており、その生き様はファッキン・シリアスと言ってもいい。
しかし、その生き様を神の視点でもあるプレイヤー視点から箱庭的に想像し、俯瞰してみると、どうだろう。事態に直面しているPC的には全く楽しくなどない状況でも、プレイヤー的には思わず笑えてしまうような場面に出くわすことは珍しくない。時に、PCの一人がむごたらしい爆発四散を遂げたとしても、プレイヤー一同は悲しんだり慰めてくれるどころか、その客観的な面白さに5分間ほど笑いっぱなしになってしまうこともあるかもしれない(もちろんそのPC一同は超シリアスな顔で、脂汗を垂らしながらその死に様を見ていただろうが、PCとプレイヤーは違うレイヤーに存在しているから、どうしても笑えてしまうことがあるのは仕方がない)。
この際だから言ってしまうが、小説のニンジャスレイヤー本編にも、そのようなスラップスティックなシーンや、ブラックユーモアな場面、また単純にクスリとするような過剰描写のユーモア、演出意図などは、たくさん存在している。それらだけではダメだが、そうした笑える部分があるからこそスパイスが効いて、ニンジャスレイヤーは面白い。物語は時にヘヴィでファッキン・シリアスになれど、決してニヒリズムには飲まれない、ニンジャ特有の自由で爆発的なパワが生み出されてくるんだ。プレイヤーの視点で、物語を俯瞰したり没入したりを繰り返してみよう。悲劇と喜劇は紙一重であることがわかるはずだ。
ただし、笑えればなんでもいいのかというと、そんなことはない。むやみに笑いを取りに行ったりすると、生と死の狭間で躍動するニンジャたちのかっこよさが失われるし、シナリオの目的達成もそっちのけになって脱線し、たちまちたるんだ雰囲気になりかねない。たとえば、物語の中のPCたちまで、デッドプールのようにその状況にメタ的なツッコミを入れるようになってしまったり、シリアスでハードボイルドなシーンで明らかなギャグやコメディのような場違いな行動をしまったら、この独特なファッキン・シリアス・アトモスフィアは脆くも崩れ去ってしまうということだ。君がもし、ニンジャスレイヤーのファン小説を書こうとした事があるなら、このことの意味がつかみやすいかもしれない。ネオサイタマはそれ自体がすでに過剰なサイバーパンク都市だ。だから、無理をして喜劇的な行動を取ろうとしなくても、PCが目の前の問題に対して常にファッキン・シリアスに対処していくだけで、自然とかっこよさと俯瞰的な面白さが同時に生まれるんだ。ユーモアは大切だ。でも最低限でいい。こんなことを一字一句説明する必要はないが、無理に面白おかしくしようと頑張りすぎているプレイヤーがいたら、ニンジャマスターとして途中でそっとアドバイスをしてあげるのがいいかもしれない。
そして重要なのは、プレイヤーとPCをごっちゃにしすぎない事。これは自分にも、他のプレイヤーにもいえる。そしてその上で、どんなに不謹慎だろうと、笑えるシーンに出くわしてしまったら、もう大いに笑えばいい。ニンジャマスターとしても、それを当然のように許す雰囲気を作っておくべきだ。PCは全員しかめっ面でもいいが、プレイヤーまで四六時中しかめっ面で、脂汗をダラダラ垂らしながらプレイしていたら、あまりにも堅っ苦しくて何にも面白くない。プレイグループにいるのは気心知れた仲間だから、どんなひどいシーンで笑ってしまっても、後からギスギスしたりする心配はないだろう。ただ一方で、どんなに笑える場面でも、そのプレイヤー本人やPCにとっては、超シリアスな悲劇になりうることも、また心に留めておくべきだ。プレイヤーとPCは別物なのだとわかった上で、やはりある程度は感情移入してしまうのがTRPGの面白さのひとつだ。だから、本当にヘコんでいるようだったら、それは何もおかしな事じゃないと言ってやり、セッションの後でコーラの一本かピザのMサイズくらいはおごってやろう。そのプレイヤーが経験の浅いニュービーならばなおさらだ。
セッティングを大幅に変えるには?
自由度は大事だと繰り返してきたが、どこまで自由度は拡張できるのか? このルールブックに収められた各種ルールとサンプルキャンペイグンは、初版と異なり「第1部〜3部をミックスした独自の時系列とアトモスフィアを持つネオサイタマで、様々なニンジャの生態をロールプレイする」ために最適化されたセットだ。だから2版では、基本ルールブックの段階ですでに、初版の頃よりも様々な設定を盛り込みやすくなっているといえるだろう! 今後もさまざまなシナリオやアイディア集を通して、色々なセッティングの例を提案していく予定だよ。そしてもちろん、初版の頃からこのゲームを熱心にプレイしてくれているプレイヤーたちは、すでに独自のセッティングをたくさん作っているはずだ。ぜひ彼らの公開している記事をチェックして、そこからたくさんの刺激をもらって欲しい。
ちなみに初版は「第1部時系列のネオサイタマで、邪悪なソウカイニンジャの生態をロールプレイする」ために最適化されたセットだった。だから「時系列をミックスせずに、第1部のソウカイヤ、ドラゴンドージョー、ニンジャスレイヤーだけに絞った歴史再現系のゲームをやりたいな」という時は、初版のルールセットを参考にしてみてほしい!
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