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【フォロウ・ザ・コールド・ヒート・シマーズ】

◇総合目次 ◇エピソード一覧

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この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードは書籍に収録されていないエピソードです。また、第2部のコミカライズが、現在チャンピオンRED誌上で行われています。



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 ネオサイタマの北西、郊外部をさらに離れた人口ゼロ地帯。観光客やドキュメンタリーTVリポーターすら立ち寄らぬ地に、当時そのままの形で残されたスタジアム廃墟がある。……二重のフェンスで周囲の土地から隔離され、私兵によって警護される廃墟など、まともな場所ではない。

 廃墟スタジアムの朽ち果てた外装に騙される者は、そも、こんな土地まではるばるやってくる事はあるまい。スタジアムは実際、よく整備されたオービタル・トラックと観客席を備え、今この時、真昼の太陽の下で機嫌よく見守る観客達は後ろ暗いカチグミであったり、ヤクザであったり、度胸試しの若者だ。

 ピーガガー……ハウリングしたマイクを叩き、顔をしかめて咳払いしたのは、総金歯と眼帯、白いスーツがトレードマークの小男、ビッグユージだ。彼こそ、この歴史ある闇レースの司会者にして、筆頭株主の一人でもある。「レディース!エン!ジェントルメン!エン、ジョッチャン!ボウチャン!」

「ワオオーッ!」観客席が湧き、ポップコーンと紙テープ、スシが舞い、よく整備された巨大モニタビジョンに「狂犬速度」とミンチョの漢字が映し出された。それから、ビッグユージの自信溢れる笑顔に切り替わった。「第七回ハシリ・モノが、今まさに始まろうとしている!準備は最高?」「ワオーッ!」

「実際、こんな凄いエキサイトメントは日本のどこにいたって、キョートにいたって、味わえやしない。まず間違いない。俺が嘘を言ったことがあるかね?無い!ハーハハハハハ!」「ワオオオーッ!」「ここは法も良心も置いてきた奴らの遊技場!実際、マッポが来ようと大会アーミーが皆殺しで安心!」

「ヤッター!」「……まあ実際、付近のマッポの皆さんに、付け届けの類いも?まあ、うまく、ね?」ビッグユージは急に卑屈な商人めいた演技をし、指でゼニ・ジェスチャーをして見せた。それから豪快に笑った。「アッハハハハハー!」観客もどっと沸いた。この男、心得たものである。

「さあ、俺は皆さんのアイドルだが、俺ばかり見ていてもアンタがたのはちきれんばかりの期待には応えられん。それはわかってる」観客がドッと沸いた。「レースマスターの皆さんにも怒られちまう!」彼は後方、桟敷席の、ただならぬアトモスフィアを放つ三人を振り仰いだ。別格のカネモチのようだ。

「レースマスター」。美少年のサイバーボーイをはべらせる肥えた中年女性、スキンヘッドに黒スーツの男、ボディビルダーめいた筋肉を持つ半裸の男の三人は、余裕ある笑みを含んで、カメラに向かって会釈して見せた。観客は歓声を上げた。「盛り上げてくれよ!今回も!」誰かが叫び、口笛を吹いた。

「ウェイウェイウェイウェイ?ウェーイウェーイウェーイウェイ」ビッグユージが静止の仕草をした。「盛り上げてくれるのは、当然だけどレースマスターよりもまずは……レーサーの皆さんだろう?違うかね?」「ワオオーッ!」「さあ、始めっちまおうぜ!エントリーナンバー1!」入場ゲートを指さす!

 ドルルッ、ドルルルルル!割れるようなエンジン音を唸らせ一台目がエントリーした。殺人トナカイめいた凶悪なバンパーで武装したオープンカー。乗り手のリーゼント・ヘア男は、歓声に向かって中指とキツネサインを振り上げながらオービタル・トラックを周回する。「レイコ・カミ!」「ワオーッ!」

「いきなり初出場枠!まあ優勝者以外の参加者はだいたい死ぬんだが……このレイコ=サン、本当かどうか知らんが、スガモを出所したばかり!ネオサイタマ郊外でチキンレースをやりまくって、間接的に十五人殺してるってよ!走る狂気!」「ワオオオーッ!」「そしてエントリーナンバー2!」

 走り込んで来たのは、ギロチンじみた恐るべきバンパーで武装した流線型のスポーツカー。運転席にはフルフェイス・ヘルメットの男が、助手席には分厚い眼鏡のナビゲーターの姿がある。「ニンブル999!今年もやって来たぞ!残忍ファイター!」「ワオオオーッ!」

「皆大好きニンブル999……今回はどのレーサーがヒラメめいて水平真っ二つか見ものだぜ。当然、レースマスターの皆さんも、彼らの切断走行にガッツリと個別ボーナスを入れていくに違いないから、皆期待しような?」「ワオオオーッ!」「さあそしてエントリーナンバー3は……ホット・チック!」

「ワオオオーッ!」「謎めいた女レーサー!カメラ!もっと接写!接写して!グイグイ寄って!」巨大モニタに、顔の上半分を隠すレースヘルメットを被った女がアップになった。赤い唇がなまめかしく、少ない露出部が観客の想像を大きく掻き立てる。一方、ナビゲーターはいかつい中年女性である。

「ホット・チックは元スーパーモデル!だからってナメてかかっちゃいけないぜ。ナメた真似した男五人の首を鎖で繋いで愛車で引っ張り、まとめてブッ殺したのさ!正当防衛だ!タフだぜ!ナビゲーターは元キョート軍の軍曹らしい!」「ワオオーッ!」「そしてエントリーナンバー、不吉の4!」

 ドッドドドド……入場してきたスポーツカーの荘厳ですらある佇まいに、観客は一瞬、息を呑んだ。車体ルーフ部には瓦屋根のシュラインが設置されており、クロームシルバーの車体は華麗かつマッシブであった。武装霊柩車だ。「ワーオ!お前の死体も載せられる!ネズミハヤイDⅢ!デッドムーンだ!」

 運転席に座るのは、逆モヒカンとサイバネ腕が特徴的な男だった。彼こそがミフネ・ヒトリ、通称デッドムーン。武装霊柩車稼業でネオサイタマの闇に知られる凄腕ドライバーだ。「ナビゲーターは……何だこの名前は?偽名か?まあよくあることさ」ビッグユージが鼻を鳴らした。「イチロー・モリタ!」


【フォロウ・ザ・コールド・ヒート・シマーズ】


 運転席に座るのは逆モヒカンとサイバネ腕が特徴的な男だった。彼こそがミフネ・ヒトリ、通称デッドムーン。武装霊柩車稼業でネオサイタマの闇に知られる凄腕ドライバーだ。「ナビゲーターは……何だこの名前は?偽名か?まあよくあることさ」ビッグユージが鼻を鳴らした。「イチロー・モリタ!」

 ネズミハヤイの助手席、イチロー・モリタの眼差しは鋭い。彼は強い日差しを避けるため、ハンチング帽は脱がずにいる。イチロー・モリタ。彼のまことの名はフジキド・ケンジ。またの名をニンジャスレイヤー。

 参加車両はトラックをエキジビション的に周回する。その後一斉にゲートから出場し、フジサン麓を目指すのだ……。ニンジャスレイヤーはこの時点から既に走行ルートを赤いマーカーで強調した地図を開き、事前の準備に余年がない。デッドムーンの双眸はサイバーサングラスに隠れ、表情は伺い知れぬ。

 更に、車載UNIXには専用LAN回線が開かれ、IRCチャネル「 #hashiri_mono_mission 」にログイン済みだ。これは〈レースマスター〉達からのリアルタイムのポイント・リクエストを確認する為に非常に重要なチャネルである。

「……参加者に早くもニンジャだ」ニンジャスレイヤーは低く言った。「だろうな」デッドムーンは動じず、淡々とハンドルを回す。「エントリーナンバー9のサイバギー、あれに乗るサイサムライという男。ニンジャ・バウンサーだ。何度か戦闘した経験がある」「アマクダリか?」「否。だが、敵だ」

 参加車両は時間差で入場し、トラックを巡る。既にレイコやホット・チック辺りの若いナンバーは周回を終え、スタート位置についていた。「他にニンジャはいるか?」「車内という事もあるが、感知は難しい」ニンジャスレイヤーは答える。「だが……」「ま、一人ってことはあるまい」とデッドムーン。

「一応言っておくが、ハシリ・モノは単なる殺し合いじゃあない。旦那には悪いが、ニンジャを積極的に殺しに行く場になるかどうか……」「問題ない」ニンジャスレイヤーは頷いた。「これはオヌシのイクサだ。私はその為に来ている」「感謝するぜ……」彼らの付き合いは長く、互いに貸し借りは多い。

 ゴウ……ゴゴゴウ……周回を終えたクルマのアイドリング音が徐々に重なり、吐き出す熱がオービタル・トラックに陽炎の揺らめきを生んだ。ネズミハヤイもスタート待ちのクルマの並びに加わった。参加車両は実際、数十台に及ぶ。ビッグユージはそれら一台一台のプロフィールを華々しく紹介してゆく。

 エキジビション時点で既に油断ならぬアトモスフィアを放つ車両は幾つもある。ヘルトリイ999はブラックメタリストの兄弟であり、逆さ十字にブッダと聖徳太子を連ねて張り付けたフードパネルのアートは血でペイントされたと噂される。スパイキーパイソンは剣呑なリベットで車体を覆った武闘派。

 あるいはミニガン銃座やロケットランチャーらしき危険アタッチメントをこれ見よがしに露出させた蛍光イエローのバンは、シスターオブマーシー。武装救急車に乗る四人のサイコパス・ナースの集まりだ。ファストウインドは鷹羽つきのハチマキと革のベストで武装した精霊信仰の男達。牛骨が恐ろしい。

 中でも特に洗練されたソリッドな強さをアトモスフィアに漂わせるのは、エントリーナンバー13、サンライザーだ。電子戦争以前のヴィンテージ・スポーツカーをレプリカしたプラチナゴールドの車体、そして運転者自身のヘルメットとスーツはさながら騎士めいて。彼は前回の優勝者である。

「命知らずの連中が、ようやく揃ったぜ!」ビッグユージが金歯を剥き出した。「カネに目が眩んだか?スリルがほしいのか?誰かにやらされてるのか?個々人の事情には立ち入らないのが俺だ。ま、俺自身、走れって言われたらお断りするのがこのレース。皆もそうだと思うぜ!だがこいつらは違う!」

「ワオオーッ!」「さあ、火時計がスタートを示すまでもう少しある。ルールのおさらいと行こうじゃないか」「ワオオーッ!」「この命知らずのレーサーどもは、ここ、タケノシン・スタジアムを出て、北西、フジサン麓を目指す!あのトリイが見えるか!?レーサーを祝福してるぜ」「ワオオーッ!」

「奴らはフジサンをぐるりと周り、それからここまで帰ってくる。過酷なレースだぜ!当たり前だが一日で行って帰ってこられる奴はいないし、興業としてもお客さんたち日帰りじゃ、俺達にも旨味が不十分(ここで観客がどっと笑う)。レースは3日かけて行われるって寸法だ!」「ワオオーッ!」

「レーサーは各日のチェックポイントへの到達を競う!観客の皆さんは観戦時間以外はスタジアム地下のホテルで至れり尽くせりのサービス、料理はフルコースときた!だがレーサー連中はなかなかそうもいかん。初日はマッサージ・オイランがいるが、二日目以降は文明の地とは言えない危険地帯だ!」

「ワオオーッ!」「……で、だ。単に順位を競うだけなら、アンタらはここにはいないよな?わかってるぜ、俺もそうさ!皆さんが期待してやまないシステムは当然今年もレースの根幹を為す。レースマスターの三人をご紹介だ!」「ワオオーッ!」桟敷席の三人をモニタが映し出す!

「まずはこの方!占いの皇女、フラストミチ・マレナ=サンだ!」「ワオオーッ!」肥えた中年女性はニヤリと笑ってみせた。サイバーボーイ達が氷の冷気を扇で送る。「カネがあってあって仕方無い!売るほどカネを持っている!今回も制限額一杯まで報酬を投下してくれるだろうぜ!」「ワオオーッ!」

「そしてこの方!キリング・マキ=サン!」黒スーツのスキンヘッド男が会釈した。「去年までここにいたオオガタリ=サンは残念ながら逮捕されちまった(観客のブーイング)。ワイロをケチったな(観客の笑い)。だけど快く今年のレースマスターを引き受けてくれたぜ!楽しんでくださいよ!」

「そして、僕です!」ボディビルダーめいた筋肉の持ち主、三人目が、ビッグユージの紹介を待たず立ち上がり、ダンベルを上げ下げしながらインカムを使う。「青年実業家として僕の事を知らない人はマケグミだからこの場にはいない!だが敢えて言おう。僕はキンキー・コウイチだ!」「ワオオーッ!」

 モニタには彼の著作「マイナス思考がプラス化する」「そんな事だからお前はダメだ」「これで僕は間違いなく破産する……圧倒的勝利のシステム全開示」「父へ……365の有言実行」等が次々に表示された。キンキー・コウイチは人気青年実業家で、何度逮捕されても保釈される。無敵の男だ。

「ご覧の彼らはレースマスター!」ビッグユージは苦笑いしてマイク主導権を奪い返すように畳み掛ける。「彼らは各自1日あたり5億ポイントまで使用できる。いつでも、好きに使える!彼らの自由だ。リアルタイムでIRCミッションがレーサーにくだされるぞ!これが醍醐味だ!」「ワオオーッ!」

「ミッション内容は自由!5億を報酬に、セプクを募ってもいい。ま、そんな事をして面白いシチュエーションはそう無いし、レーサー達も腹は切りたくあるまい!レーサー同士をドッグファイトさせて勝者に500万ポイント、野生バイオスモトリをアサルトして100万ポイント、そんな風に使う!」

 ……「ポイントについては、どうだ」ニンジャスレイヤーはデッドムーンを見た。彼は口を歪めて笑う。「どうでもいいさ……ッてのは嘘。こう見えて、借金がかさんで仕方無い。だが、小魚にとらわれて大魚を逃したら、それこそ駄法螺だぜ……」彼は瞑想めいて数秒沈黙した。

 彼の脳裏に、師の姿が浮かんで消える。シケたタバコを咥え、ドアウインドウに肘を置いて、ミフネ・ヒトリを見る年老いた女が。ゲバタ・テルコが、ミフネをデッドムーンにした。レディの扱いを、死者への礼儀を、ハンドルさばきを。デッドムーンは目を開いた。 

 ウォルルルルルルル!アイドリング音が百倍の煩さとなる。火時計がスタート時間に向かっている!「ヘイ!タフガイ気取りの霊柩車野郎!」横に並んだエントリーナンバー5、フランケンクーガーが車から身を乗り出し、助手席側のウインドウを叩いた。「おすましさんしてんじゃねえぞ!こっち見ろや」

「……」ニンジャスレイヤーはデッドムーンに目で問うた。デッドムーンは「寿」のダッシュボード・ボタンを押す。バッテラ・スシが皿ごと現れた。ニンジャスレイヤーは促されるまま、スシを食べた。火時計がスタートを告げる!デッドムーンはアクセルを踏み込み、ハンドルを切る!ゴガガガガ!

 車体後部が大きくスライドし、鞭めいてフランケン・クーガーに衝突した。フランケン・クーガーはロケットスタートしようとしていた。この衝突によってフランケン・クーガーの後輪は勢い良く跳ね上がった!「グワーッ!」「はじめようぜ」デッドムーンは滑らかにギアを切り替えた。

 ガオオン!獣めいた唸りを上げ、ネズミハヤイDⅢはロケットスタートした。ブレた後部は滑らかに制動され、クロームシルバーの武装霊柩車は先頭グループの一台としてスタジアムを飛び出した。後方ではフランケン・クーガーが墓標めいて垂直に屹立した後、数台を巻き添えに裏返り、爆発した。


2

 ネズミハヤイは爆発を尻目に、スタジアムを飛び出し、ひび割れた旧産業道路に滑り込んだ。「丘を行くルートもあるが、地雷源の噂が気になる」ニンジャスレイヤーはデッドムーンに言った。「ドサクサに紛れ、何らかの罠が仕掛けられているやもしれん」「ああ、このルートでいい」ギアをチェンジ。

「ちなみにこのルート、曲がりなりにも舗装道路ってわけで、足元はホスピタリティに溢れてるが」デッドムーンは呟く。「その分、人気でね……」ポーン!早速液晶モニタに電送ミッションデータが映し出された。『他車を撃破せよ。300万。殺害とセットで1000万。二台以上貫通殺でポイント乗算』

「ワオ!早速の景気づけッてわけ!」「そりゃあそうよ」フラストミチ・マレナはサイバーボーイの顎を愛撫しながら鼻を鳴らした。「ノブレス・オブリージュね。レースを観客の皆さんに楽しんでもらうために身銭を惜しまないのがレースマスターというものね」「ウーン、プロフェッショナル!」

 ビッグユージは実に平然とした様子でフラストミチ・マレナと談笑した。「さあ、ここは一気に貫通殺を狙いたいところ!覚えている方もいらっしゃるか?二年前のレースでは、クルエルペネトレイターがラム付きガレオンカーで四台を一度に血祭りに上げたね!そのまま崖に落ちて死んだが……」

「それはちょっと引いちゃうね僕は」キンキー・コウイチがダンベルを上げ下げしながら辛辣にコメントした。「勇気と蛮勇はしっかり切り分けていく事。ね、皆さんもそうでしょう?(と他のレースマスターに同意を求め)貫通しても……プッ!自分が死んではノーポイントじゃないか!」「さあ来たぞ!」

 ドズズズズン!地獄の獣のイビキめいたエンジン音を唸らせ、加速をかけたのはニンブル999。サイドシルパネルの鋭利な刃がスライドしてフロントバンパーに移動、さながら走る包丁めいたフォルムとなる。「さあ来たぞ!ニンブル999必勝のニンブルスラスター・モードだ!」「ワオオーッ!」

 ドズズズズン!ニンブル999は前方のネズミハヤイに追突をしかける!「さあ、おっぱじまった」デッドムーンはハンドルを左に切った。ギュアアアア!あわや二枚に裂かれる寸前で武装霊柩車は路外に脱した。ニンブル999はそのままの勢いでカーペントリー7を二枚に裂いた!「アバーッ!」

「ヒューッ!どうなってやがる!」ビッグユージが口笛を吹いた。「奴さんがた、カーペントリー7の上半分をスッパリいきながら乗り上げて踏み越えちまったぜ!?そして……オオッ!さすがのヨクバリ!多重殺人を狙って次のクルマにそのまま追突だ!エート……ありゃサイサムライのサイバギーだな」

「オヤブン、バカが来ますぜ」助手席でハンドルを握る(助手席で?然り。サイバギーにはハンドルが2つある。デュアル走行システムだ)従者ドーシンが、サイサムライの指示をあおいだ。「フン」UNIX光を明滅させるテクノロジー武者鎧姿のサイサムライはシート脇のレバーを引いた。ルーフが展開!

 そしてKBAM! サイサムライのシートが青天の下に跳ね上がる。「イヤーッ!」サイサムライはシートから回転ジャンプしてバギー車体後部の上に着地。迫りくるニンブル999を睨み下ろし、背中の電磁剣を引き抜いた。「サイザオケン」サイサムライは呟いた。カタナは瞬時に五倍の長さに伸びた。

「何だありゃあ?やりすぎ武装!」ビッグユージが叫んだ。「しかもちょっと適法かどうか、俺にゃわかりかねる」「ミッションポイント1500万。ニンブル999を撃破した者に」それまで黙っていたキリング・マキが低く言った。ビッグユージは見つめてしばし無言。やがて言った。「晴れて適法だ」

「兄貴、ありゃなんだ?」ニンブル999のナビゲータがサイサムライを睨んだ。「要はあのバギーを真っ二つにすりゃいいんだ」兄はシンプルに言い、ロケット加速!「イヤーッ!」サイサムライは身長よりも遥かに長い奇怪なメカニカル長刀の切っ先を地面すれすれに向け、逆袈裟に振り上げる!

 水平対垂直!ニンブル999の刃バンパーとサイザオケンは十字形にぶつかり合い、電気の火花を散らした。ギュイイイ!耳障りな摩擦音が鳴り響き、刃バンパーは砕けて割れた!「アイエエエエ!?」「イヤーッ!」サイサムライは振り上げた刃を振り下ろす!「アバーッ!」ニンブル999運転席両断!

「アッ、アイエエエ!」乗り手を惨殺されたニンブル999はスピンしながらコースを外れ、数秒後に爆発炎上!道路沿いのブッシュの陰からすかさず襤褸姿の胡乱な者達が走り出て来て、炎を噴き上げるニンブル999のパーツを果敢に剥がし取り、奪い合う。ハシリ・モノ名物、スカベンジャーズだ!

 一方ネズミハヤイはスカベンジャーズを蛇行して避けながら、再び道路上に復帰した。ニンジャスレイヤーは周囲を見渡す。別の火柱も幾つか上がっている。「走り始めは、もつれるものさ」デッドムーンは静かに言った。サイバギー車内ではドーシンが加算ポイントにサムアップ!「流石オヤブン!」

「景気よくバカスカ行った!」ビッグユージが手を叩いた。「フラストミチ・マレナ=サンさまさまだね。ま、残念ながらミッション・ポイントは一番乗りの奴だけだ」「ほんの数秒の差で、もらえるものと逃す者が出る。ビジネスっていうのは、恐ろしいよ?」キンキーはダンベルを胸の前で合わせた。

「つまりね、オリジンたれ。発想の速度、イコール、オリジナリティだ。遅いと二番煎じ、そこにビジネスは無い。百匹目の猿現象、知ってるかな?リンゴを洗う猿が隣の島に……」「皆もキンキー・コウイチ=サンの著書を買おうな!おっと、丘を選択した大馬鹿野郎、失礼、パイオニアがいるようだ!」

 KABOOM!KABOOM!KABOOM!爆発と砂煙の間をぬって走るプラチナゴールドの車両の空撮中継映像がモニタに映し出されるや、観客席は驚きと賞賛の叫びで満たされた。「ワオオーッ!」「サンライザー!」「王者!」「なんてこッた!前年と同じコースじゃつまらんとでも言いたげだ!」

「アラマア。やっぱりスカベンジャーズが丘の地雷を水増ししてるわね」フラストミチがサイバーボーイにチェリーを食べさせながら言った。ビッグユージはUNIXモニタのコース図を拡大させた。「あの運転テクがあればサンライザーは無傷で抜ける!そうなると距離的な圧倒的有利が立ち上がるぞ!」

 光の矢めいたサンライザーに、やや遅れて続く車両も存在した。蛍光イエローの武装救急車、シスターオブマーシーである!「ブッダビッチ。早く撃っちゃいなヨ」風船ガムを膨らませながら、運転席のナースが銃座のナースに指示した。「うッさい!チャンスはそう無いンだヨ!」対戦車ミサイルは重い。

「キャッホー!」後部座席のナースが吠えた。彼女はIRCモニタに『五分以内にサンライザーを破壊、2億ポイント』というキリング・マキの新規ミッション表示を見、涎を垂らして己の豊満な胸を揉む。「今撃ちな!2億だヨ!」「アイアイサー」ミサイルランチャーの引き金を引く……KRAASH!

 シスターオブマーシーの武装救急車は横倒しになった。後続車両が横腹をかすめた為だ!そして、KABOOOM!「アバーッ!」転倒時に銃座でミサイルが爆発!「キャッ!シスターが死んだヨ!」「許せねえ!」生き残ったナース達は車外に転がり出、スカベンジャーズを銃殺する。「「アバーッ!」」

 周辺の追い剥ぎをクリアしたのち、シスターズは横倒し車両を力を合わせて復帰させようと苦闘し始めた。車両を横転させた当の本人は、ヘルメット越し、ミラー越しにそのさまを一瞥したのみ。唇がバカにしたように歪んだ。ホット・チックだ。ナビの中年女性が窓から身を乗り出し、親指を下向けた。

「二億は無理だ。諦めな」彼女、すなわちホット・チックのナビであるサンダリイ・ライラはつまようじで歯をせせり、ホット・チックに助言した。「条件が厳しすぎるからね。とにかくアタシらは、野郎が地雷を片っ端から爆発させて走った後を安全に行く。わかるね」「ええ、わかる」「いい子だ!」

「荒れ模様だな。オヌシの言う通り」ニンジャスレイヤーはデッドムーンに言った。「オヌシの目指す物はこの先にあるか?」「さあね」とデッドムーン。「しかし、なにがしかの真実は手に入れる。必ずな」彼はカセットテープを差し替えた。ギュウイー、ブッダコスモス……ユーアーインザスペース。


「さあ、なかなかに壮絶なぶつかり合いが発生した事だ!」ビッグユージがリタイアした車両リストのパンチシートを確認し、満足げに溜息をついた。「フラストミチ・マレナ=サンのいい仕事。残念ながら1000万ポイント獲得直後にニンブル999も死んじまったンでアレだが」

 モニタには旧産業道路をスタンピードじみた熱狂砂塵レースカー群が走る様が映し出される。壮観……そして早速ファストウインドがトマホーク型バンパーでスターセンチピーダーのドライバーをドアごと切断して殺しリタイアせしめた。「宙に浮いたポイントは観客の皆さんに抽選で配布だ。安心して!」

「ワオオーッ!」「コロセー!」観客が湧いた。ナムアミダブツ!観客にとっては多くのレーサーが死んでもそれはそれでおこぼれのポイントに預かれる確率が上がるのだ!「旧産業道路を選んだ連中は地雷の危険が無い!だけど、ひとたびネオサイタマを離れれば、安全な土地なんてないぜ!見てくれ!」

 ギュアアアア!デッドムーンは驚くべきハンドルさばきでロットンストリーマーの毒液バンパー体当たりをドリフト走行で躱し、グリップを戻しながら車体後部で殴りつけた。「グワーッ!」……スピンするロットンストリーマーのボンネットと燃料タンクに銛が突き刺さった。引火爆発!KABOOM!

「アバーッ!」火を噴いたのは燃料タンクのみならず、毒液もまた可燃性であったため、ロットンストリーマーはアワレ火の車と化した。「ヒーハハー!」「イーピピー!」ナムサン!傾斜を駆け下りて道路に向かってくるサイボーグ馬の集団を見よ!「来たぞ!レーサーレイダーズだ!」とビッグユージ。

「奴らは野盗の集団だ。ロットンストリーマーの毒液バンパーは、敵の車に突き刺して車内に毒液を注入するヒデエ武装だったが、奴らのハープーン攻撃を防ぐ役には立たんわな。ナムアミダブツ!」「野蛮人の掃討にボーナスをあげるわ」フラストミチ・マレナが言った。「一匹150万ポイントよ」

 デッドムーンはアクセルを踏み込み、ギアを切り替える。「……だそうだ。どうする、旦那」助手席のニンジャスレイヤーを見る。腕組みをしたまま、動かない。「……だよな。安いニンジン……」ネズミハヤイは一気に加速し、レイダーズも、レイダーズと銃撃戦を開始した後続車両も、引き離す。

「ワーオ!高貴な走りだね!」ビッグユージが言った。「ポイントおかまいなし!ちょっとナメてるかもな?」「鼻っ柱の強い男は好きよ」フラストミチはサイバーボーイのわき腹をまさぐった。「さあ、一方レイダーズをガンガン殺ってるのはアーミーセヴンだ!見てくれ!あの重武装!何しに来た?」

「ホーッ!ホーッ!」BRRRT!アーミーセヴンのクルーは装甲タイル補強車両の後部座席からアサルトライフルを突き出し、レイダーズを撃ちまくる。「アバーッ!」「アバーッ!」「アバーッ!」「ハッハー。他のレーサーを殺傷兵器で攻撃するのは反則!奴らフラストレーション解消してるな!」

「彼らは、いわば市場の潤滑油!」キンキー・コウイチがパンプアップした。「細かい殺戮があればこそレースの大目的も輝く。プランクトンの豊潤な海にこそマグロあり。少額取引の海からビッグディール一本釣りを掴みとれ!」「流石の意見だ。おっと、アーミーセヴンはついにコースアウトか!」

「ヒーハー!」BRRRT!装甲車両は斜め後ろに道路を逸れ、悲鳴を上げて総崩れのレイダーズを殺戮してゆく。「ポイントに目がくらんでるな!でも気をつけて。あまり調子に乗ると……」KRA-TOOOOM!装甲車両が突如爆発した。キュルキュル……高台で戦車が後退した。「あれが<主>だ」

 インガオホー!ハシリ・モノはあくまで自動車レースなのだ。それを忘れてはならない。「<主>に乗っている奴は気の狂った100歳の爺さん、熱狂的なレースファンらしいぜ。特にこのレースで奥ゆかしくない奴を見ると砲撃する事で有名!皆も気をつけな!」「楽しいわ」フラストミチが笑う。

「さあ、そして旧産業道路エリアも佳境。先頭争いは……オーッ?武装霊柩車ネズミハヤイDIIIとサイサムライのサイバギーの一騎打ちか?」「ワオオーッ!」「勝者に1億ポイント。破壊し殺害した場合2億5千」キリング・マキが低く言った。「なんとデカくお出しになる!」ビッグユージが歓喜!

 SLAM!ネズミハヤイDIIIとサイバギーは衝突を繰り返す。ルーフが展開し、サイサムライがゆっくりと上へスライドして姿を現す。そしてネズミハヤイに向かってオジギをした。「ドーモ。ニンジャスレイヤー=サン。サイサムライです」「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」既に彼は瓦屋根の上。

 ギュアアアア!道路上の廃車をネズミハヤイとサイバギーはハンドル操作で回避。しかし車上でオジギする二人は振り落とされはしない。何たるニンジャバランス感覚のなせるワザか!「ネズミハヤイの上に、イチロー・モリタが上がってる!もう一方はサイサムライだ!ハハア、アクロバティックな!」

「ここで会ったが百年目」サイサムライは睨んだ。ニンジャスレイヤーのハンチング帽の下で、「忍」「殺」のメンポがギラリと陽光のかけらを受けた。「奇遇だな、と、まずは言っておこう」「フン……」サイサムライはサイサムライケンをイアイめいて構えた。ニンジャスレイヤーはカラテを。

 再び廃車だ!ギュアアアア!二つの車両は一端離れ、再び近づいた。両者にカラテが漲り、眼光がぶつかり合って物理火花を散らさんばかりだ。「このレースは……」ギュアアアアア!再び廃車だ!二つの車両は離れ、再び近づいた。「オヌシは……」ギュアアアア!亀裂を回避!二者は車内に戻った。

「フー……用事は済んだかね」デッドムーンはコブチャをすすり、助手席窓から車内に滑り込んだニンジャスレイヤーを見た。「うむ」ニンジャスレイヤーは頷いた。デッドムーンはサイバギーの体当たりを躱しながら呟く。「アイサツは大事かい……やりあわなかったな」「これはオヌシのイクサだ」

「奴もその点、わきまえている……」デッドムーンはぶつけ返しながら言った。「願わくは、他のニンジャもそうであってほしいがね。いるんだろ、他にも」「恐らくはな。しかしながら、どうやらニンジャであろうがなかろうが、闘争心にあふれる連中ばかりのようだが」「俺もビビッてるぜ」

「お帰りなさいやし!」ドーシンが運転しながらサイサムライに頭を下げた。「野郎、質量感がありやがりやすぜ!たいしたクルマだ。……武装霊柩車ッてのは、実際モージョーに彩られたイカレ野郎の集まりなんだ。奴ら、デカい焚火を囲んで盃をかわすって話で。ニンジャスレイヤーの奴が何故……」

「伝説的な霊柩車乗りに、かつてゲバタ・テルコという女傑がおった」サイサムライは言った。「ネズミハヤイDIII……」「知ってるんでやすか、武装霊柩車コミュニティを!あのデッドムーンとかいう野郎はそのゲバタと関係が?どんな奴なんで?」「否……走り、クルマの佇まい、どこか思い出す」

「しかし参りやしたぜ」ドーシンはギアを切り替えながら舌打ちした。「サイバギーはそりゃもう輝かしい男の戦闘車両です。だもんで、霊柩車なんぞ重量差でブッ飛ばしてやるつもりだったんです。それが、こうビクともしねえとなると、速度の地力で……アアッ!」ドウ!ネズミハヤイがロケット噴射!

「おおッと!ロケット噴射と来たぜ!」ビッグユージが叫んだ。「目が離せない走りだ!ちなみに武装霊柩車のサスペンションッてのは門外不出なぐらい凄い職人テクノロジーの産物らしくって、オフロードでアツアツの蕎麦が食えるって話だ!たまげたね!」「ワオオーッ!」「一気に引き離すか!」

「エエイッ畜生!タイミングを読み切れやせんでした!オヤブン!」ドーシンはハンドルを殴りつけた。「ドッシリと構えておれ!」サイサムライはシートに深くもたれた。「この長丁場のレース、単なる運転技術のみが全てを決めるわけではない」「ヘイ!だけど畜生!ポイントが……畜生!」「フン!」

「なかなかハヤイ……感銘を受けるね」デッドムーンはミラー越しにサイバギーを眺めた。「それじゃダメ押しにもう一発だ……旦那、奥歯をしっかり噛んでおけよ」デッドムーンはダッシュボードの丸ボタンをプッシュした。KABOOOM!二段ロケットエンジン点火!強烈なGがかかる!

 ネズミハヤイは前方の角度数度の上り坂に突入し、ジャンプした。道路上に穿たれたクレーターを幾つか飛び越え、クロームシルバーの車体は誇らかに着地した。キャバアーン!一億ポイント加算!「別ルートとの合流地点だ」ニンジャスレイヤーは左を見た。然り、丘ルートの道が斜めに合わさる。

 陽光を受け、蜃気楼めいた金色の輝きが前方に在る。「さあ、現在トップを行くのは丘ルートを走りきったサンライザーだ!」ビッグユージが身を乗り出した。「地雷源をものともしない!マイペースもいいとこだ!」「あの地雷、爆発パタンからして、オカメ55と察する」キリング・マキが言った。

「湾岸警備隊の放出品だ。感知から爆発までに若干のタイムラグがある。サンライザーはトップスピードで地雷原を通過し、タイムラグを利用して、爆発を後ろに走りきったわけだ」「とんでもない事をしてみせる!それが前回優勝者のサンライザーだ!二度も優勝賞金を獲りに行く!使い切れるのか?!」

「トップを行くっていうのは、常に不安と隣り合わせ。それは否めない」キンキー・コウイチが説明した。「不安のステージは段階を上げるごとに待ち構えるものさ。ゆえに王者は現状維持ではむしろ後退だって事を肌感覚で知っている」ダンベルを上げ、「満ち足りたら最後、外的要因に蹴落とされる!」

「エートつまり」「投資こそが最適解さ。フェリペ2世をご存知かな?」「美にはカネを幾らつぎ込んでもいい」フラストミチ・マレナがサイバーボーイの鼻をつまんだ。サイバーボーイはくしゃみをした。「愛を注いでやれば、美は答えてくれるの。ホホホ!」「さあサンライザーの後ろでは……二台!」

 ギュアアア!デッドムーンのネズミハヤイとホット・チックのホット19がサンライザーのやや後ろで並び立つ!「トップを獲るのは難しい」デッドムーンは呟いた。ホット・チックのなまめかしい唇が嘲笑めいて歪んだ。「どうなる!どっちが出る!さあ、これはわからないぞ!ゴジュッポ・ヒャッポ!」

 トライアングル陣形じみて、サンライザー、ホット・チック、デッドムーンは、バンブー林地帯へ突入した。道路両側に錆びて茶色くなったガードレールが迫り出してくる。「ウオーッ!」「ウオオーッ!」バイオパンダの遠吠えが非常に恐ろしい。「パンダが見たいわ!捕獲したら5000万ポイントよ」

「三台のうち、勝者に1億。殺害すれば2億だ」キリング・マキが低く言った。「僕はレースを面白くしたいところだね」キンキー・コウイチは胸板にオイルを塗った。「サンライザー=サンに特別ミッションだ。ホット・チック=サンとデッドムーン=サンを一度先に行かせてくれ。5億ポイントだ」

「五億?」ビッグユージが訊き返した。キンキーは両腕にオイルをのばした。「そうだよ。キャリーオーバーしたら興ざめだよね」「ワオ……さあどうだ!サンライザー!これは……ウワアーッ応じたぞ!減速だ!三者カーブに突入!アウト・イン・アウトで第一に突破したのは、ホット・チックだ!」

「流石アタシのチェリーベイブ!」助手席のサンダリイ・ライラが笑った。ホット・チックは鼻を鳴らした。「どいつもこいつもタマ無しよ」「油断はダメよベイブ!ハッハハハ!」ヘアピンカーブ!三台は食らいつくような曲線を描きながら突入する!「さあバンブー林は視界も悪く危険だぞ!」

「ウオオーッ!」ナムサン!通常の二倍大きい異常なバイオパンダがバンブーをかき分けてあらわれ、ガードレールを蹴り破ると、通過する車両に向かって危険な爪を振り下ろした。「ンアーッ!」ホット・チックは間一髪これを躱し、グリップを失いかける。アブナイ!ネズミハヤイが隙をついて前へ!

「アバーッ!」そのすぐ後ろで異常バイオパンダが引き裂かれて死んだ。サンライザーが体当たりをかけたのだ!バンブー林が開ける。三つの車両は完全に並列状態でゴーストタウンに突入した!「近い!第一チェックポイント近い!どうなる!武装霊柩車が出る!いや、サンライザーか?ホット19!」

 車両群は「おこしませ」と書かれたヒラガナ横断幕を潜り抜けた。痩せた子供達が歓声を上げて道路脇を走る。サンダリイ・ライラは助手席からキャンディをバラ撒いた。ビッグユージは汗を飛ばし、マイクに食らいついた。「どうなる!どうなるか!こいつはわからんぞ!ヤバイ!チェックポイントだ!」

 三つの光る弾丸めいた車両は同時にチェックポイントを通過!ゴーストタウン目抜き通りを爆走し、ドリフトしながらロータリーに突入、クールダウン走行に入った。「ワオーッ!」中継映像にスタジアム観客が湧きかえる!「何てこった!こいつは……三台同着と言わざるを得ないぜ!」「ワオオーッ!」

 バムフ!車外に出たホット・チックは力任せにドアを閉め、同じく車外に出たニンジャスレイヤーを睨みつけた。ホット・チックがヘルメットを脱ぐと、中身は驚くほど若く、そばかすの目立つ女だった。「パンダに救われたね、しみったれ野郎」ホット・チックは吐き捨てた。

「初出場の俺にもファンがいたらしい……死んだパンダ、悪くない」デッドムーンは運転席窓を開け、ホット・チックを見上げて言った。彼女はまだ何か言おうとしたが、後ろでサンライザーの車内UNIXが「キャバアーン!」という電子音を轟かせると、舌打ちして去った。撮影報酬獲得音である。

「内容はどうだ」ニンジャスレイヤーは訊いた。デッドムーンは頷いた。「要は……まずは生き残るッてところから。ポイントのおまけもついて、上々だ。二日目は長丁場……今日のようにはいかんだろうがね」「参加者の中に、それらしい者の姿はあったか」「……明日になりゃ、もっとよくわかるさ」


3

 ホー、ホー……バイオフクロウたちの鳴き声が夜空に木霊する。ゴーストタウンの中央部に建てられたオオサカ城レプリカ廃ホテルは白くペンキを塗り直され、幾つもの垂れ幕やノボリやボンボリ・ライトアップで飾られて、サツバツたる街並みにそぐわない命の温かみを感じさせた。ここが初日宿泊施設だ。

 フェー……城内では笙リード音がみやびやかに鳴り響き、大ホールにおいては豪勢なビュッフェ形式ディナー。スモトリが相撲を取り、オコトが演奏され、裸の男女にスシやサシミが盛られている。「なんとも素晴らしい大宴会の場だ!」ヘリで現地入りしたビッグユージが歩きながらカメラを振り返る。

「命がけで今日を生き延びた珠玉のレーサーたちの疲れを癒し、生きる喜びと馬のニンジン……シツレイ!ハッハッハ!とにかく大きなホスピタリティで翌日の活力にしていただく!それが我々レース運営の務めです!」通りがかったマイコのもつ盆からサケ・グラスを取って呷り、「皆さん楽しんでいる!」

 ビッグユージはスシを頬張るリーゼントの男の卓に近づいた。「ドーモ、レイコ・カミ=サン。ビッグユージです。5位入賞ですな!」「ファック・オフ!俺は3位みたいなものだ」「まあ先頭が同着でしたからね!」「まとめて一台だ、あれは」「とにかくすごい自信だ!明日の意気込みを」「ファック!」

 切断前のカリフォルニア・ロールにかぶりつくレイコに会釈し、ビッグユージはヘルトリイ999の卓に向かう。卓上には自前とおぼしきろうそくが立てられ、血塗られたバイオイノシシの生首が中央に飾られている。「さすがDIYだ!」ビッグユージは笑いかけた。「ヴォイド……」首領がチャントする。

「貴方がたはかなり殺しましたね?リタイアしたアーミーセヴンを除けば、一位ですよ!」「ヴォイド……」首領は白塗りの顔を虚ろに天上に向け、呟いた。「ヴォイド……」「明日の意気込みは!」「……ヴォイド」「アリガトゴザイマス!さあ次の卓にいこう。アストロ・スターモンキーだ!」

「俺達はクオリティ・オブ・ライフ向上の為にここに来た」アストロはローストビーフを山盛りにした自皿に顔をつっこむようにして貪り食いながら言う。「命あっての物種」スターモンキーが歯をフロスでせせりながら言った。「優勝を狙う奴など、自尊心に囚われたバカよ」「流石だ、俺にそれを仰る!」

 ビッグユージは笑い、カメラを向いた。「こちら、アストロ・スターモンキーは第一回から継続出場の猛者なんだ、これでもね!枯山水も山、とミヤモト・マサシも言った事だ」「俺達を殺したところで、ヒック、カネにはならんぞ」アストロはサケをおかわりした。「だいぶ出来上がっていらっしゃる」

 ビッグユージはスパイキーパイソンの面々とディープキスをするシスターオブマーシーを横目で見ながら、階段を上がる。カメラに向かって芝居がかった「静かに」のジェスチャーをし、廊下をしめやかに歩き進むと、「風流」のノレンをくぐった。特別に用意された勝者のサービス・ルームである。

「ご覧ください。ここは勝者だけが入場を許される特別室……失礼しますよ!ああ、この馨しいゼン・インセンスの香り。タタミはわざわざこの日の為に運び込まれています。なにしろ廃墟です。そして露天風呂が、ほら、ベランダの向こうに。この天国を使えるのは一位入賞者!今年は三組いるわけだが」

 金のビヨンボで仕切られたスペースをしめやかに歩きながら、ビッグユージは人の気配を探る。「よろしいかな?コメントを……」「ウーン。なんだい。ユージか」しゃがれた声が返って来た。サンダリイ・ライラだ。「ご苦労なこった」「入らせないでよ」ホット・チックだ。「かまやしない」とライラ。

 ビッグユージが覗き込むと、ベッドの上に並んでうつ伏せになったライラとホット・チックは、老いた鍼灸師に針を打たれている最中だ。「ウーン……たまらない」「オプション料金もかからない」ビッグユージはカメラに囁いた。「勝者ですからね」「勝者?ブッチギってない」ホット・チックが呟いた。

「立派なものですよ!」ビッグユージは頷いた。「貴方、15歳で華々しくデビューして以来やってきたモデル業界を捨ててレーシングの世界に大転換?どうしてか、皆さん知りたがってますよ」「チッ」ホット・チックは舌打ちしてユージを見た。「ママの話はしたくない」「黙りな、ユージ」とライラ。

「色々あるようだ!プライバシーに立ち入るには、少し放送の尺が足りないね!」ビッグユージはカメラに向かっておどけると、ビヨンボ・パーティションを移動した。「さあ、こちらにはネズミハヤイDIIIのデッドムーン=サンが……?」ビッグユージはエントリーした。

「おおっと!」ユージは驚いて飛び下がった。床でアグラ・メディテーションをする男にぶつかりかけたのだ。男は目を閉じ、深い呼吸を繰り返す。「スゥーッ……ハアーッ……」「イチロー・モリタ=サンはザゼンだ!ナビに集中力は欠かせない!そして、さあ寝台をご覧ください。ワオ!

 デッドムーンは寝台にうつ伏せになり、オイラン・マッサージャーによる念入りなマッサージングとサイバネ技師による腕部メンテナンスを同時に受けている。たくましい背中のデッドムーン・オン・ザ・レッドスカイの刺青が汗で光る。「ヨオ……司会のアンタ」デッドムーンは呟いた。「大変だな」

「ハッハッハ!なあに、これで食っていますからね!大興行でね!」ビッグユージはにこやかに言い、横目で床のイチロー・モリタを気にする。オイランは豊満なバストを背中にあてながらマッサージをつづけ、サイバネ技師は額に汗でファンクション調整の仕上げにかかる。「レースへの意気込みを是非」

「カネが要る」デッドムーンは言った。「いつも貧乏でね……」「成る程、真っ当な理由だ。是非一攫千金してほしい。同着となった2チームについての印象はいかがですか?」「さあね。とにかく必死さ」「フーム……奥ゆかしい?」「カメラを一回止めてくれるか」ふいにデッドムーンは言った。

「おおっと?何か私がシツレイをしたのだとしたら……」「いや、平気さ」デッドムーンは穏やかに言った。「カメラを一度止めてくれ」「一体……」その時、ザゼンしていたイチローが呼吸を止め、カッと目を見開き、ビッグユージを見た。「アイエッ!」ビッグユージは後ずさりし、失禁しかかった。

 イチローはビッグユージに無言の目配せで、従うように促した。キュウウウン……デッドムーンのサイバネ腕が音を立てた。「終わったか」「ハイ」サイバネ技師がオジギをした。デッドムーンは不意に身を起こした。「アイエッ!」豊満なバストを押し付けていたオイランが転びかかった。

「ハイヨロコンデー!」ビッグユージは額の汗を拭い、カメラマンに映像と音声を止めさせた。技師はオジギを再度して足早に退出。オイランはデッドムーンの肩を揉み始める。「別に聞かれたって構いやしないが、不特定多数に中継する内容でもないんでな」デッドムーンは言った。「訊きたい事がある」

「と、仰いますと」「武装霊柩車乗りに、ゲバタ・テルコって婆さんがいてな……」デッドムーンは切り出した。「知ってるかい……」「ゲバタ」ビッグユージの額に汗が流れる。「テルコ」「そうだ」その場を沈黙が支配する。幾つかビヨンボ仕切りを越えたホット・チック達も耳をそばだてているか。

 ビッグユージは唇を湿した。イチロー・モリタは今や括目し、瞬きせずにビッグユージを凝視している。ビッグユージは失禁をこらえつつ、小さく頷く。「……その筋では有名な方……」「去年のレース」デッドムーンは低く言った。イチローが眉間に皺寄せた。ユージは付け足した。「参加していました」

「成る程。そりゃ僥倖だ……」デッドムーンは言った。「勿論カネもほしいが、そっちの件も大事でね……無駄足にならずに済んだわけだ。ネットに流出していた参加者記録にも、婆さんの名前は見当たらなかったんでな……」「……」ビッグユージは脂汗を拭う。「なにか、個人的なご関係でも?」

「日頃から連絡を取り合う仲でもなかったんで、婆さんがいつ、どこで、何をしていたか、把握しちゃいなかった。あたりをつけるのも難儀したもんさ」デッドムーンは質問に答えず、続けた。「まあしかし、これで明らかになったわけだ。少なくとも去年この場所に婆さんは居た。それ以降はわからない」

「俺は……ハシリ・モノは悪くない」ビッグユージは絞り出すように言った。オイランは目を伏せ、粛々と、デッドムーンの肩に当てた肘をスイングした。豊満なバストを背中に押し付けながら。「何かあったのだな」イチローが言った。ユージは唾を飲む。「ハシリ・モノは勝負。自己責任での参加だ」

「そりゃそうさ……」デッドムーンは同意する。「別にアンタを責めちゃいないぜ。死んだのか?」「いや……つまり彼女は、説明するにも……」「だよな、死んだならそれだけの話……何があった?」「くだらん話をしているな」「アイエエ!」カメラマンをグイとどかしてエントリーしてきた男あり!

 男と視線がかち合うや否や、イチローはアグラ姿勢のまま1フィート宙に跳ね、直立姿勢を取った。男は流れるような金髪の持ち主。エクステンションめいて何本ものLANケーブルが髪の中から覗く。「サンライザー=サン」ビッグユージが呻いた。「お前」「フン。教えてやろうデッドムーン=サン」

 デッドムーンは無言で促した。サンライザーは湯上がり。蒸気を纏い、堂々たる裸身である。「ゲバタは老いぼれの負け犬だ。名誉あるハシリ・モノの戦場からケツをまくって逃げ散らかした。それだけだ」「逃げた?」「貴様、武装霊柩車のしみったれたコミュニティから尻拭いにやって来たわけか」

「弁が立つ男だ」デッドムーンは肩をすくめた。そしてオイランに指示した。「肩甲骨のあたりをもう少し強くできるか……」「ハイヨロコンデー」「挑発に乗る気概も無しか?」サンライザーは口の端を歪めて笑った。「霊柩車乗りは腰抜けの集まりと覚えておこう」「レースから逃げ、記録を抹消か?」

 口を挟んだのはイチローである。サンライザーは凝視を真っ向受けた。「貴様……成る程」彼は合点して含み笑いをする。「オイ」ビッグユージはサンライザーに目配せした。「ハッ!」サンライザーは踵を返す。去りゆく姿に付き人が追いすがり、ガウンを着せた。サンライザーの笑い声が遠ざかった。

「ゲバタがレースに参加していたというのは本当だ」ビッグユージがあらためて説明した。「彼女はレースの最中に姿をくらませた。出場選手の把握ができていない事実は、レースの信用にかかわりかねない。死ぬのは構わんがコントロールできていないというのは。そこで、まあ、取り繕ったわけだ……」

「ありがとよ」デッドムーンは言った。マッサ―ジを終えたオイランに言ったのか、ビッグユージに言ったのかは不明だ。「どこまで本当かは後で検討するさ。カメラ戻していいぜ……」「あ、ああ」ビッグユージがカメラマンに指示しようとしたその時、憤怒の形相でエントリーしたのはホット・チック!

「聴こえたよ武装霊柩車」ホット・チックはデッドムーンに詰め寄った。「ナメた動機で走ッてんじゃない、え?」美しい顔が想像以上の憤怒で歪んだ。「レースを侮辱するってのは、アタシを侮辱するって事でもある。アタシはアンタごときには当然勝つ。だけど、勝負する気が無いなら棄権しろ!」

「こいつはまあ……入れかわり立ちかわりだぜ、旦那」デッドムーンはイチローを見た。しかしイチローは再びアグラ姿勢に戻り、メディテーションを再開した。ホット・チックはデッドムーンに食ってかかる。「何が人捜しだ!」「勝つ気はあるさ、矜持じゃ腹は膨れない……」「ザッケンナコラー!」

 拳を振り上げたホット・チックを、追ってきたサンダリイ・ライラが掴んで止めた。「よしなよ、チェリーベイブ!ハンドル握れなくなったら損だ」彼女は一同を見渡し、「ごめんなさいね、負けん気が強くってね!」「勝負に勝たなきゃ意味が無いンだ!」「ごめんなさいねえ!」引きずるように退出!

「と……とにかくそういうわけだ」ビッグユージは一息つき、中継を再開させた。「ドーモ、皆さん楽しんでるか!貴重なプライベート・トークに付き合っちまった。アンタ達にも、そのうちちょっとずつ情報開示できるかもな!だけどひとまず、夜通しのスタジアム・エキジビションを楽しんでくれよ!」

 ユージはオジギを残し、スタッフと共にその場を去った。「忙しい夜だ」デッドムーンは息を吐いた。「明日のレース、どうする」不意にニンジャスレイヤーは尋ねた。「ああ」デッドムーンはあいまいな返事をした後、言い直した。「……いや、走るさ」「……」ニンジャスレイヤーは無言で頷いた。


◆◆◆


 二日目はフジサンの麓まで走破する長距離レースだ。スタートダッシュにいたずらにパワーを使ったところで、さしたる意味はない。スタート直後の競り合いも初日と比べれば穏やかなもので、キリング・マキの褒賞に煽られた下位レーサーの「ベストヒット・ガイ」が爆発して死んだだけだった。

 電子戦争以前、無限の夢に溢れていた時代、この広大な湿地帯もおそらく江戸時代の城郭や巨大な県庁、複合施設を備えた都市のひとつであった事だろう。今や名残として残るのは、枝分かれを繰り返すひび割れた道路ばかりである。レース車両は思い思いのルートをナビの判断のもと選択し、散ってゆく。

 それら参加車両群の様子を誰よりも詳しく把握するのはおそらく上空を飛行する金箔コーティングのヘリコプターであろう。中に乗り込んでいるのはレース株主兼司会者のビッグユージその人だ。「さあて、オイラン遊びに明け暮れちまったお友達もそろそろ朝食バイキングを終えて観戦を始めた頃合いか」

 ビッグユージはカメラに顔を近づけた。「今日この俺はごらんのとおり空の上からお届け!命を張った司会者だぜ!なにしろ誰がこのヘリコプターめがけロケットランチャーをぶっ放すかわかったもんじゃない。レースマスターの皆さん、そういう褒賞はビッグユージ権限でキャンセルさせて頂きますよ!」

 ユージは大仰なタクティカル・ゴーグルを見せびらかし、ヘリの窓から危険なほどに身を乗り出して下界の様子を覗いてみせる。「今日は長距離だ。イキがって前に出たら絶対に後半息切れする。とはいえ、やっちまう奴はいるんだ。本能ッてやつかも!だが残念ながら人間は理性を獲得した生き物だ」

 ヘリコプター搭載の長距離カメラがLANで伝えてくる映像がスタジアムのモニタには大映しになる。「ともあれ、現在トップを走っているのは初日五位のレイコ・カミ、愛車はエンジンを三つ積んだとうそぶく殺人トナカイオープンカー、その名もカミマスターだ。燃料は足りるのか?ま、好きにしな!」

 チュチュチュイーン……UNIXがマーカーを点灯。ビッグユージは表示に注目する。「参加車両の現在位置だ。これは各レーサーもネットワーク共有する重要な情報。1時間のうち決まった5分間だけアクティブになる。見逃さないようにしてくれよな。おっと、早くも立ち往生はシスターオブマーシー」

「ファックオフ!」車外に出た運転ナースがエンジン・ストップした武装救急車の横腹を蹴りつける。一人は車の下へ潜ってトラブルに対応。もう一人はアサルトライフルを構えてバイオ生物やスカベンジャーズ、ブラックメタリストへの警戒に当たっている。「エンスト美女コンテンツ重点だ」とユージ。

「何が起こるかわからない」ライブ中継で繋がれた桟敷席のキンキー・コウイチがグッと拳を握った。「メカニックとしての能力も命運をわける。そういうレースってこと。リスクの分散も似たような考えだ。要はレースは経済なんだよね」「そこへ……おっと?接近してくる車両があるようだ!」

「ハロー、マンダリン・ベイビーズ。お困りのようじゃないか」武装救急車の横につけて停止したのは、スパイク武装したスパイキー・パイソンだ。ドライバーが運転席から顔と腕を出して笑いかける。マシンガン・ナースは舌打ちし、アサルトライフルを向けた。「何だッテの」「ウェイ!下ろしなよ」

 車の下からメカニック・ナースが這い出し、スパナを構えた。「一晩寝ただけで親密気分だとしたら、勘違いもいいトコ」「燃料置いて退散しな」マシンガン・ナースが威嚇した。「おいおい、待ってくれよ。こっちは親切に申し出ようとしたんだぜ?傷つくぜ……」パイソンチームが車外に降りる。

「こういう場所じゃ助けは来ないんだぜ?」パイソンチームがニヤニヤ笑い、近づこうとした。BRATATAT!「グワーッ!」死亡!サツバツ!「テメェ!」ドライバーパイソンが車内からマグナム銃を向ける!「イヤーッ!」「グワーッ!」ドライバーの脳天にスリケンが突き刺さり死亡!サツバツ!

 スリケン投擲者はドライバー・ナース!おそらくその動作はあまりに素早く、中継されていたとしても上空からでは捉えられなかったであろう。「シスターズをナメんじゃないよ」「ウ、ウオーッ!」パイソンチームは恐怖に失禁しながら重火器を乱射!ナースが応戦!BRATATATA!「イヤーッ!」

 BLAM!BLAM!BRATATATATATA!「ウワーッ!何やらドンパチが始まっちまったらしい!あいつらヨロシクやっていたんじゃなかったか?おおっと!スパイキー・パイソンのパイソンカーが爆発炎上だ!ナースも無事では済まないぞ!こいつはアビ・インフェルノ・ジゴク!」サツバツ!

「こういう事はままある」キリング・マキが包括的にコメントした。「だが、クルマを止めての殺し合いなど、興ざめだな」「ポイントはおあげにならない!」「そんなものはネオサイタマの裏路地なり何なりで求めるがよい」「だ、そうです。他のお二人は?」「危ないね!」「美しい男が見たいわ」

 ……「スパイキー・パイソンのマーカーが消灯だ」デッドムーンが呟いた。「ま、どうでもいいか」「雲が出て来たぞ」ニンジャスレイヤーは空を見上げた。分厚い黒雲の有様は、ネオサイタマとはまた違ったアトモスフィアだ。「嵐が来るか。視界が遮られ、奇襲のおそれがある」

「確かにな」デッドムーンは眉根を寄せた。「都会育ちには不穏な天候だ……」「距離の消化は概ね予定通りだ」ニンジャスレイヤーは座標数値と地図を見比べた。「先ほどのマーカー表示を写し取ったが、突出した車両は今のところ無し」「だろうな。だが……」デッドムーンは速度を徐々に上げる。

「この辺から、誰がまず出るかのチキンレースだ」デッドムーンはボタンを押し、二人分のオカキとコブチャを取り出した。「俺らが出るとしよう」「休憩は挟まなくてよいのか」ニンジャスレイヤーはオカキを咀嚼した。デッドムーンは答える。「勿論休みは取るさ……だが、先送りだ」

 ニンジャスレイヤーは口角を上げた。「燃えて来たか」「カネは要りよう……最初から言ってるさ」オオオオ……ネズミハヤイのエンジン音と遠い雷鳴が独特のリズムを作ってゆく。デッドムーンは数秒の沈黙の後、付け加えた。「まあ、燃えて来たのさ」オオオオ……変化の薄い湿地帯、まばらな松の木。

「あれは」やがてニンジャスレイヤーは目を細める。彼のニンジャ視力は、遠い車影をかろうじて捉えた。コースアウトした車両だ。斜めに傾き、動かない。「ぬかるみに捕らわれたか」上空には旋回する鳥影。バイオハゲタカの類いであろう。「不運なこった。誰だい」「レイコ・カミのカミマスターだ」

「起こるべくして起こったな。奴さん随分はしゃいでた。で?死体かね?」「この距離ではわからぬ」「どちらにせよ死体になる」」デッドムーンは無感情に言った。バイオハゲタカは停止したオープンカーの旨そうな肉を逃すほど呑気ではない。武装霊柩車はカミマスターの横を通過、しない。停止した。

「どうする」デッドムーンはニンジャスレイヤーを見た。ニンジャスレイヤーは首を振った。「私に訊くな」「よかろう」デッドムーンは「鉤」のボタンを押した。バシュ、と音を立て、牽引フックが後ろに放たれた。「相手にならんサンシタだ、恩を売っておくのもいい」デッドムーンは呟いた。 

 ニンジャスレイヤーは素早く車外に出、牽引フックを掴むと、カミマスターの殺人トナカイバンパーに噛ませた。「ムム……」レイコ・カミは運転席で呻いた。額から出血している。すぐに気がつき、目を見開く。「ファック!俺のカミマスターに!」ギュルルルル!ネズミハヤイがタイヤを回転させる。

「ギャース!」「ゲーッ!」「ギャース!」上空のバイオハゲタカが恐ろしい。ますますその数を増している。ニンジャスレイヤーはあの鳥の恐ろしさを身に染みて知っている!「オヌシはナビゲーター無しか」オープンカーの助手席は無人だ。「何?俺のロックンロールがナビゲーターだ。ナメるな!」

 レイコはアクセルを踏み込んだ。「ファック!俺に恩を着せようなんて百年早いんだよ!」ルオオオ!カミマスターが唸る。「オヌシを助ける事に深い意味は無い」ニンジャスレイヤーはネズミハヤイと共にワイヤーを引きながら言った。みな納得ずく、好き好んで、この致死的レースの場に来ているのだ。

「ゲーッ!」「ギャース!」「ゲーッ!」危険だ!そればかりか、バカラ、バカラ、バカラ……不穏な馬の蹄の音が複数接近してくるのをニンジャスレイヤーの耳はとらえていた。サイボーグ馬……となれば、レーサーレイダーズの可能性が高い。ルオオオ!カミマスターが泣き叫んだ。泥土が跳ね上がる。

 ゴバッ!最終的にカミマスターは車道へ乗り上げた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは回転ジャンプでネズミハヤイに飛び戻り、窓に飛びついて、車内へ滑り込んだ。デッドムーンは車内操作で牽引フックの鉤を外し、ワイヤーを引き戻して収納すると、ネズミハヤイを勢いよく発進させた。

「おおっと、ここでネズミハヤイとカミマスターは順列!」ビッグユージは走り出した2車両に注目した。湿地を左右に、ひび割れた道路を突き進む。「レイコ・ザ・ロックンロールに付き合うネズミハヤイ?いや、これは一気に二日目の勝負をおっぱじめたと見てよかろう!バイオハゲタカが追う!」

「ゲーッ!」「ギャース!」「ゲーッ!」バイオハゲタカは徐々に後ろへ引き離されてゆく。だが彼らを取り巻く危険は減りはしない。先回りしたレーサーレイダーズが襲撃してきたのだ!「キャーッ!」「キイヤアーッ!」放たれるナパーム火矢!アブナイ!デッドムーンはハンドルを捌き、これを回避!

 UNIXモニタにはフラストミチ・マレナからのミッションが表示される。「レイダーズ一体につき500万。3秒以内のコンボボーナスで1.5倍」そしてキリング・マキ。「ネズミハヤイとカミマスターはお互い、相手を破壊すれば1億。殺害で2億」「そんな事をやってる暇はない」とデッドムーン。

「キイヤアーッ!」サイバー馬にまたがるレイダーが、ネズミハヤイの追い越し際、マサカリで攻撃してくる。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの腕が霞むと、デッドムーンの鼻先ワン・インチをスリケンが通過し、運転席の窓の外、レイダーの側頭部に突き刺さった。「アバーッ!」馬ごと転倒し爆発!

 爆発に巻き込まれ、すぐ後ろのレイダーが転倒、爆発!「アバーッ!」UNIXに「コンボボーナス達成な」の表示が灯った。「助かるぜ」デッドムーンはギアを切り替え、ネズミハヤイがさらに加速した。レイコ・カミは泡を食って蛇行し、爆発するレイダーをなんとか避けた。「ファック!ファック!」

 当然サイバー馬ごときでは同ベクトルに走り抜けてゆくハシリ・モノのレースカーに追いつく事などできない。「キャッキャアー!」「キイーッ!」レイダーズは悔しげに道路上で馬に地団太を踏ませた。「ゲーッ!」「ギャース!」上空のハゲタカがすかさず襲い掛かった。「アバーッ!」インガオホー!

 KABOOM!ネズミハヤイは更にロケットエンジン加速!ミラーに映るカミマスターがぐんぐん小さくなり(ニンジャスレイヤーは運転席のレイコの口が悔しげな「ファーック!」の叫びを発したさまを視認した)、コースはついに湿地帯を抜けて、樹海を遠く臨む丘陵地帯に差し掛かった。

 バタバタと音を立てて激しい雨が降り始めた。ネズミハヤイはワイパーの動作を開始、オートで窓を閉め、快適な換気装置を働かせる。KABOOOM……高気密車内にも雷鳴の轟は伝わって来た。フジサンが稲妻を背後にし、火口のトリイが逆光に浮かび上がった。デッドムーンはアクセルを踏み込んだ。


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「丘陵地帯!」ビッグユージがマイクに向かって煽り立てる。「もはや舗装道路なんてェ贅沢なものはありゃしない!ここからはまさに魔境!道なき道を進むしかないって寸法だ。レーサーが知るのはフジサン麓のチェックポイント座標のみ!麓は樹海!丘以上に危険。ルートを切り開き、生き残れ!」

「こいつはホットだ!」キンキー・コウイチがベンチプレスしながら白い歯を見せた。「ビジネスも未踏の原野を歩む。その勇気が無い奴は負け犬。僕について来い!」「冒険家精神だ」ユージはヘリのIRCモニタに頷き、続けた。「当然、お行儀のいいタイヤなんかじゃ、無理難題!皆うまくやれよ!」

 まさにその時、ネズミハヤイの前で舗装道路が唐突に終わった。崖をジャンプすると、その先はヒースやイラクサで覆われた不穏な丘々。ジャンプ中にデッドムーンは「悪」のボタンを押す。するとホイール・タイヤが可変機構を働かせ、無数のスパイクを飛び出させた。着地時には完全オフロード仕様だ。

「3時方向、竜巻だ」ニンジャスレイヤーが伝えた。デッドムーンは頷き、針路を修正する。前方遥か先にフジサン。車両の現在位置を伝えるマーカーの表示タイムはまだだ。「さあ皆さん、ルートはご自由にどうぞ!」ヘリからビッグユージがアナウンスする。

「オープンワールドこそ二日目の醍醐味。一方で、三日目はコースガイドが設置され、一日目・二日目のコースを最短距離で取って返す爆走レースだ。三日とも趣向を凝らしスタジアムの皆さんを飽きさせない、それがハシリ・モノだ!……んんッ?この広いフィールドで、エンカウントが発生!見てくれ!」

 ビッグユージが注目したポイント、UAV(無人機)カメラのIRC映像がコロシアム・モニタに大写しになった。トマホークバンパー、羽根飾りの雄々しき車両は精霊信仰者ファストウインド。加速し、向かって行く先には、サンライザーのプラチナ。叩きつけるような雨の中にあってもその車体は美しい。

「当然、キリング・マキ=サンはこのイクサを放置しない!」ビッグユージがカメラに向かってウインクし、キリング・マキは組んだ脚の膝の上で、いかつい宝石指輪を十個はめた指を合わせた。「ワオオオーッ!」観衆が湧いた。ファストウインドはサンライザーを一直線にめがける!

 ピュイイイイ!ピュイイイイ!バッファローの白骨を加工した笛状スタビライザが速度を受けて奇怪な高音を発する。ルーフが開き、雨の中に身をさらしたファストウインドの一人は、両腕を左右にまっすぐ突き出し、嵐に向かって咆哮した。「アロロロロロ!ハヤブサよ!我がハヤブサよ、来たれ!」

「アロロロロロロ!」ドライバーは特殊ギアを引いた。するとトマホーク・バンパーが前へせり出し、より戦闘的なフォルムをあらわにする。サンライザーに肉薄する!「これは大変だ!当然、追う側がアサルト行為においては大有利だ!地の利があるぞ、ファストウインド!どうなる!殺すのか!」

「ハヤブサ!ハヤブサ!我がトーテムよ!アロロロロロ!」ルーフの祈祷係はもはやトランス状態となり、霊的存在と同一化する。セイシンテキ!「アーッ!これは!」ビッグユージが手に汗握る!しかしその時、サンライザーはジャックナイフめいた切れ味鋭いドリフトでファストウインドの前から消失!

「そんな馬鹿な!」ドライバーが泡を食った。「消えただと!悪いエネルギーの持ち主!」「アロロロロ!左後ろ!左後ろ!ハヤブサの目は見通す!」祈祷係が素早く伝えた。ドライバーはハンドルと格闘する。だが時すでに遅し!斜め後方からサンライザーの輝く車体が体当たりをかける!KRAASH!

「それは優しく愛撫して去るがごとき流麗な体当たり!」ビッグユージが興奮する。ファストウインドの車体が横倒しになり、サンライザーはもはや数十メートル先に去る!「トドメオサセー!」キリング・マキは第三の接近車両に向かって青筋を立てた。ナムサン!もう一台来ている!ヘルトリイ999!

 恐るべき冒涜的車両に乱れ乗る白塗りのブラックメタリスト達は、先端部にスパナ状の凹みをつけて工具に偽装した両刃剣を振り上げ、往生したファストウインドに食らいついた。それは地獄の番犬が亡者を餌食にするがごとし!「アアアダブ(註:ブッダの逆読み)」「ヴォイド」「アバババババーッ!」

「ウワーッ!やった!」ビッグユージは目を背ける仕草をした。スタジアムではキリング・マキがしかめ面で頷いた。KABOOOM!ファストウインドの車体はガソリンで描かれた魔法陣に囲まれ、放火されて、陰惨な破滅に呑まれた。「ヴォイド……」ブラックメタリスト達は半裸で雨の中に並び立つ。

「こうなっては、形無しさ」キンキー・コウイチが肩をすくめた。「転んだら最後、跡形も残さない。でも、それがファンドの現実。それがレースさ」「彼ら、良く鍛えた身体をしている」フラストミチ・マレナが吟味するように囁いた。「悪魔崇拝も経済も体が資本」キンキー・コウイチは頷いた。

「実際これは激しいレース。命が幾つあっても足りないところだが……?おっと、あっちを見てくれ!ナムサン!ネズミハヤイDⅢとホット19がドッグファイトを開始した!こうしちゃいられない。ハシリ・モノは一応、殺人ショーではなくレースなんだからな!」映像が切り替わる。 

 KRAAASH!KRAAASH!ネズミハヤイを右に、ホット19を左に。衝突を繰り返す車両の体格差は殆ど無い。「ファック……負け犬が!」ホット・チックの美しい唇が怒りに歪んだ。一方のデッドムーンはゼンめいた無表情でハンドルをさばき、アクセルを踏む。

 ぶつかり合う彼らの前方、巨大な木々が出迎える。丘陵地帯から、フジサンを取り囲む自然牢獄、すなわち樹海に差し掛かったのだ。「森の中に入ってしまうと、UAVで追う事は難しい!」ビッグユージは溜息をついた。「非常にノイジーなのが玉に瑕だが、車載IRCカメラの映像を受信していこう」

 樹海。それはフジサンを取り囲む闇の森だ。樹齢数千年の古木が群れ集い、湿った土の下には砕けた隕鉄が隠れているという。節くれだったマングローブの根や沼地、激流、バイオ鶏などの危険で知られ、探検隊TV番組のクルーもそう頻繁には訪れない魔境である。

 当然、自動車のドライブにははなから向かない土地であり、このハシリ・モノというレースがいかに過酷なものか、誰の目にも明らかであろう。しかし今、互いにぶつかり合う二車両にとって、最大の関心事は危険な自然ではなく、目の前の敵に勝つこと、ただそれだけだ!

「道を譲りな、武装霊柩車!」短距離無線を通し、ホット19のナビであるサンダリイ・ライラの罵り声が聴こえて来た。デッドムーンは車載マイクを使って答えた。「譲るも何も、どこが道なんだい……」ゴバババ!機体の尾を振り、泥土をホット19に跳ねかけながら、ネズミハヤイが先行する。

 そして、ゴウ、ゴウ、ゴウ!音を立ててすり抜けるのは大木の幹!このような障害物多数のロケーションでドッグファイトをすれば、クラッシュの危険は通常の数百倍にも跳ね上がる。いわばこれはどちらが先に音をあげるかのチキンレースだ!

「昨日の態度はブラフかね!くだらない真似しやがって!」サンダリイ・ライラが罵った。「人捜しでもなんでもするがいいさ!」「盗み聞きは誇るもんじゃないぜ。誰もレースを捨てるとは言ってない……」「やる気のないフリを!」「こっちの心情を勝手に推測し、勝手にキレてりゃ世話は無い」

 KRASH!KRASH!軽い衝突を数度繰り返し、二車両は立て続けに細い川を飛び越えた。「ギョアアア!」バイオ鶏が驚き、バサバサと音たてて、木々のウロから飛び出した。二車両が目指すのは、ただ、ナビゲーション電子マップ上の座標マーカー。詳細はネット経由で得た樹海情報が頼りだ。

 ネズミハヤイは張り出した枝を避けた。一方、やや後方にいたホット19は地形に恵まれ、前方に障害物無し。たちまち真横に並び出た。ホット・チックとサンダリイ・ライラが同時にキツネサインを出し、微かなリードを取った。「ルートはどうだ」デッドムーンはニンジャスレイヤーに尋ねる。

「やや逸れている」ニンジャスレイヤーは呟き、車載UNIXのキーボードをタイピングする。ハッカーのタイピング速度には及ばぬながら、彼自身の状況判断とニンジャ野伏力、ニンジャ第六感が情報収集の精度を高めていた。電子の海に漂う樹海フォークロア、あるいはハシリ・モノ・マニアの口コミ。

 それら情報を取捨選択し、必要最小限のものを採用する。欲をかけばすぐに正確性は失われる……「ヌウッ」ニンジャスレイヤーは眉間に皺寄せ、唸った。「レディのサスペンションでもごまかしきれはしないさ」デッドムーンは悪路の件と思い、コメントした。だがニンジャスレイヤーは「否」と答えた。

「ニンジャかね」デッドムーンは察した。「ホット19の威勢のいい連中がかね……」「あの者らはニンジャではない」ニンジャスレイヤーは深く呼吸した。「これは……」「……何だ?」デッドムーンはやや驚き、口を半開きにした。森が不意に開けたのだ。反射的に彼は方位磁石を見やった。

 一般に、フジサンを囲む樹海はコンパスが効かぬと噂されるが、実際そのような事はない。……筈であった。「何だ?」デッドムーンはもう一度呟いた。ハンドルを切っていないにもかかわらず、磁石は動いた。「まだ樹海の中だ」デッドムーンは言った。「そうだろ」「その筈だ」とニンジャスレイヤー。

 やや前方に、ホット19。二車両は唐突に枯れ野を走っていた。「そっち、どうなってる」デッドムーンは試みにホット19に呼びかけた。ザリザリ……ノイズが邪魔をする。ガラスが曇る。ワイパーを動かす。視界が極度に悪化した。「一体こいつは」「電子地図もダメだ」ニンジャスレイヤーが言った。

「いやに寒い」デッドムーンは温度計を見る。「……実際寒い」「あれは……何だ」ニンジャスレイヤーが目をすがめた。デッドムーンも気づいた。ホット19の更に少し前方……ルーフに瓦屋根シュラインを戴く……「何だ?」……「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは横からハンドルを掴み、回した。

 ギャギャギャギャギャ!古木の幹に衝突しかかったネズミハヤイは、スピンしながらかろうじてこれを避けた。「ヌウウーッ!」デッドムーンはハンドルを切り返し、グリップを戻そうと苦闘する。ホット19の位置はわからない。だが、そこはもはや枯れ野ではなく、再び間違いなく樹海の中であった。

 ネズミハヤイはクラッシュを免れ、減速し、停止した。「ブッダファック!」デッドムーンは感情をあらわに、ハンドルを拳で殴りつけた。「ブッダ……ファック!なあ、見たか?今のは……何だ?」「枯れ野。冷気」ニンジャスレイヤーは答えた。そして付け加えた。「武装霊柩車」

「……」デッドムーンは後方を振り返る。どこまでも樹海。ほんの数秒前まで、正体不明の枯れ野を確かに走っていたというのに。「位置情報だ」ニンジャスレイヤーが呟く。定時のマーカー表示である。ホット・チックは彼らと殆ど重なる位置。すぐ前だ。チェックポイントに最も近いのはサンライザー。

「オヌシはレースを続けるべきだ」ニンジャスレイヤーはデッドムーンを見て言った。数秒。デッドムーンは頷いた。ウォルルル、ドウ!ネズミハヤイが発進した。ホット・チックに追いつける。今ならば。「枯れ野の件は私に任せておけ」ニンジャスレイヤーは付け加えた。「何だと?」「私が連れ戻す」

「オイ」「尋常の出来事ではない。そして相当に強大なニンジャソウルを感じた。ニンジャのしわざだ。あの武装霊柩車が実際ゲバタ=サンで、あの枯れ野の中に今も生きて在るならば、私が連れ戻す」「どうする気だ……」「この種のジツの使い手と何度か戦った経験が私にはある。やってみるとしよう」

「よかろう」デッドムーンは頷いた。「好きにしな。このままレースはフジサンをぐるり回って、三日目は帰り道だ。明日の折り返しで、アンタを拾うとするさ。そんな事ができるかは知らんが……くたばってなければな……」「よかろう。イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは車外へ回転跳躍脱出!

 ネズミハヤイはあっという間に木々のあわいの闇へ見えなくなり、ニンジャスレイヤーは落下衝撃を無効化する前転着地で降り立つと、そのままネズミハヤイと逆方向に全力疾走を開始した。彼はひりつく程のニンジャソウル存在を全身で感じていた。ニンジャの力だ。ニンジャが相手ならば、彼の領分だ!

 冷気とニンジャソウルの存在感がより強烈な方向へ!ニンジャスレイヤーは走る!やがてその姿は赤黒の風と等しく、マフラーめいた布を残光めいてなびかせて、跳んだ!「イイイイヤアアーッ!」回転!着地!そこへ走りくる武装霊柩車!アブナイ!「イヤーッ!」側転回避!武装霊柩車は走り抜ける!

 ニンジャスレイヤーは霧の中に霞んで消えてゆく後ろ姿を凝視した。ネズミハヤイではない。そして彼の居場所を今一度確認した。樹海ではない。開けた枯れ野だ。凍るような寒さ。奇妙な感覚だ。彼は舞い戻ったのだ。「……」彼は武装霊柩車の消えた方角へ歩き出し……やがて走り出した。


◆◆◆


「おっと、ここでホット19、ネズミハヤイの通信状況が多少良くなったと見える!車載カメラ中継、同時に来たぞ!さあ彼らはどうやら相当近いぞ、グイグイ行ってくれ!フラストミチ・マレナ=サンからはドッグファイト・ミッション、キリング・マキ=サンからは殺害ミッションが出てるぜ!」

 ヘリ機内の映像から車載ライブ映像に切り替え、ビッグユージはシャツのボタンを外して深呼吸した。クーラーボックスを開け、シャンパンをラッパ飲みする。「フー……何だってんだ」「どうしました?」映像スタッフが案じた。ユージは怒鳴った。「ただの通信トラブルだろ!ちょっとアレしただけだ」

「コロシアムの運営本部からIRC要請です」スタッフが促した。ビッグユージは舌打ちした。「わかってるよ……俺だってよ」ぶつぶつと呟きながら通信機を受け取る。「ドーモ。……ハイ。ハイ。ああ、そうだよ。俺が知ってるわけねえだろう!いや、通信のトラブルだ、ただの。消えてねえだろ!」

 通信機から詰問口調の声が漏れ聞こえる。ユージも声を荒げた。「だから俺だって知らねえよ!レーサー無事!結果オーライ!ッたく……ああ?知らねえよ!起こってから考える事だろ!冗談じゃねえ!」通信強制終了!ユージは再度ラッパ飲みし、呟く。「そんな事あってたまるか。シャレにならねえよ」

 ガオオオン!木の葉と枝とバイオ鶏の羽を撒き散らし、ホット19とネズミハヤイは同時に藪から飛び出した。右手に濁流、左手にゴツゴツした断崖斜面を見る、ゆるやかにカーブした地形だ。左手の斜面は即ちフジサンの麓なのだ!「ヨー、こちらネズミハヤイDⅢ、デッドムーン」「こちらホット19」

「さっきの出来事、どう考える」「知ったこっちゃない!どうでもいい」「とにかくアンタらも体験したッて事で間違いないな」「……ファック。どうせ蜃気楼か何かさ。樹海なんて文明人の居場所じゃないんだ。理解したいとも思わないね。それより……」「ああ、レースだとも」デッドムーンは頷いた。

 現座、位置関係はほぼ並走、左の斜面側にネズミハヤイ、右側にホット19である。右手の川は実際流れが速く、ときおり対岸ではバイオ熊が前足でバイオサーモンをハントするさまが垣間見えた。「バイオサーモンをゲットしたレーサーに5000万ポイント」フラストミチのミッションだ。両者、無視。

「アバーッ!」次の瞬間、対岸のバイオ熊を、走り込んで来た巨大な質量が轢き殺した!「イヤーッ!」助手席から上半身を乗り出したチョンマゲの男が投げ縄を放つと、死んだバイオ熊が捉えていた極彩色のサーモンを締め上げ、一本釣りめいて車内に引きずり込んだ。ワザマエ!サイバギーである!

「エビで鯛を釣る、ミヤモト・マサシのコトワザどおりの展開ですぜ!」従者ドーシンはサーモンの首骨をカラテで折ると、主君サイサムライにサムアップして見せた。「コイン一枚が足りずにサンズ・リバーが渡れない、とも言いやすね」ドーシンは更に付け加えた。「でかした」サイサムライは誉めた。

 ドーシンのサイバーサングラスが不穏に「殺す気」というLED漢字を明滅させる。彼は濁流の向こう、並走する二台を見ながら舌なめずりした。彼らの岸がネズミハヤイ達よりも高い位置にある。攻めるには好機だ。「次はマン・ハントと行きやしょうや……」「しばし待て」サイサムライは冷静だった。

「でもネズミハヤイ野郎の助手席にニンジャスレイヤーはいやしません!」ドーシンは不満げに訴えた。「理由は知らねえがニンジャがいねえなら楽勝……」「待てと言ったぞ」サイサムライのUNIXアイが恐ろしげに光ると、ドーシンは身を縮めた。サイサムライはカラテ感知器スキャン中なのだ。

 これは超高度テクノロジーの産物であり、悪の賞金稼ぎであるサイサムライならばこそ手にできる代物だ。「よし。周辺地形にもニンジャの潜伏は無い」「どこかでオッ死んだんだな!行やしょう!」「待て」サイサムライはモニタを目で追う。……キリング・マキのミッションが上がった!「行くぞ」

 カーブ到来!しかしここでサイサムライとドーシンは同時にデュアル運転システムのアクセルを踏み込み、サイバギーは急加速した!ゴウウン!サイバギーは濁流を飛び越え、そのまま斜めにネズミハヤイとホット19へ襲い掛かった。KABOOM!その瞬間ホット19はロケット加速!体当たりを回避!

 KRAAASH!「グワーッ!」デッドムーンはネズミハヤイの横腹に大質量の体当たりを受け、呻いた。一瞬の交錯!それまでホット19の車体で死角になっていた事もあり、この体当たりを避けられなかった。ホット19の窓から腕が突き出し、挑発的なバッドサインを残して、彼らを尻目に更に加速!

 モニタに表示されている装甲ゲージの色が緑から黄色に変わった。「こいつはうまくない……」デッドムーンは呟いた。左は急斜面。そして右、体格差の激しいサイバギーが再び無慈悲な幅寄せを行う!SMASH!SMASH!「非力な運び屋野郎は死にくさるがいいぜ!」ドーシンが窓越しに挑発!

 デッドムーンはグリップを維持しながら、「ベンハ」と書かれたボタンを押した。シュイイイ!ホイールから鋭利な側面スパイクが飛び出す!ギャリイイイン!ギャリイイン!ギャリギャリギャリギャリ!胸の悪くなるような金属摩擦音が鳴り響く。サイバギーもまた側面スパイクを飛び出させたのだ!

「このまま圧し殺し、敵を潰して、しかもポイント重点!キリング・マキさまさまよ!俺らは二倍旨い飯にありつくって寸法、つまりレースの成果は百倍よーッ!」ドーシンはサイバーサングラスに悦楽に歪んだ目のLEDアートを表示させて挑発した。「攻撃を受けています」怜悧な非情マイコ音声!

 デッドムーンはハンドルを握り込んだ。試練の時か。だがデッドムーンにとって、この危機的状況は経験した中のワーストではない。彼は「粗茶」ボタンを押した。「客も無いのに、俺も堕ちたな」デッドムーンは無感情に呟き、震動する車内でサービスオカキを食べ、マッチャで流し込んだ。

 冷たい熱の揺らぎを辿れ……不意に思い出されるは、彼の師の座右の銘。ナンセンスなハイクの類いと彼は断じていたが、今はその意味するところが多少わかった気がしていた。彼はブッダコスモスのテープを挿し込み、再生ボタンを押す。ギュウイーン……ブッダコスモス……ユーアーインザスペース。

 サスペンションで吸収しきれぬ震動が彼を絶え間なく襲う。防音の車外ではネズミハヤイの悲鳴が鳴り響いていよう。サイバギーが微かに離れた。決定的な体当たり攻撃の先触れだ。デッドムーンは奥歯を噛みしめ、レバーに手をやった。……SMAAAAASH!ネズミハヤイは左に押し出される!斜面!

「取ったりィー!」ドーシンが勝鬨をあげる!ネズミハヤイは斜め下から押し出され、バンクで横転しかかる!ナムアミダブツ!だがその瞬間ネズミハヤイの腹部スプリングが起動した!空中でキリモミ状に一回転したネズミハヤイは……サイバギーの真上におおいかぶさるように落下した!ゴウランガ!

「バカナーッ!?」ドーシンがサイバーサングラスに「不満な」の文字を点灯させた。「チィーッ」サイサムライはギアを切り替え、この危機に対処しようとする。メキメキと頭上が音を立てる。ドーシンが下から天井部を押さえつけた。「お、押し潰されやしませんか!?何てことをしやがる野郎畜生!」

「運転しておれ!」サイサムライが一喝し、抜刀!「サイサムライケン」UNIX音声が起動を告げる。サイサムライは真上にカタナを向け、力任せに突き上げる!「イヤーッ!」天井を貫く刃!ナムサン!だが、見よ!車体ごと下から串刺しにされる寸前に、ネズミハヤイはサイバギーの前に走り降りた!

「なかなか楽しい体験だったぜ……だが一番とは言えない」デッドムーンはミラーに向かって呟いた。車体にかなり大きなダメージを受けたとおぼしきサイバギーは後部から黒煙を噴き上げ、もはや加速するネズミハヤイにキャッチアップできない。キャバアーン!不意に三億ポイント加算された。

「感動したからポイント進呈だ!」キンキー・コウイチは股割りしながら腕組みし、歯を見せて笑った。「感動には惜しみない投資を。それが僕の帝王学さ!ドライ・ノー。ウエット・ウエルカム。それが哲学。そこにマネーの流れが生まれる!」「含蓄がある。まあポイント用途は自由」ユージが答えた。

 ブッダコスモス……ユーアーインザスペース。やがてホット19の車体が見える。サンライザーは……サンライザーはまだ見えてこない。デッドムーンはホット19に徐々に近づく。サンダリイ・ライラが振り返り、泡を食ってホット・チックに発破をかける。ブッダコスモス……ユーアーインザスペース。

 デッドムーンの視界は、ニューロンは、熱を帯び、しかし覚めている。好ましい世界だ。サイバネ腕の先端までコントロールが染み渡り、エンジンの回転とシンクロし、同時に、それを俯瞰的に眺める覚めた自我がある。ネズミハヤイはホット19を捉える。スリップストリーム。風の道を作ってくれる。

 ブッダコスモス……ユーアーインザスペース。ネズミハヤイはホット19の真横に躍り出る。「ありがとうよ、お友達」窓越しにデッドムーンはホット・チックとサンダリイ・ライラを見る。前方にサンライザーの光り輝く機体が見えてくる。あれが首位。チェックポイントは近い。

「こ、これは初日の再現!いや違う並走ではない!順列!今回は順位が決まるか!サンライザー流石の強さ!寄せ付けない強さ、否!ネズミハヤイDⅢ肉薄!やや後方にホット・チックのホット19!来たぞ!フジサンをまわるオーバル・コース!もう少しだ!遠心力に振り落とされるな!」ユージが喚く!

「来た!今まさに車列は第二チェックポイントであるフジサン洞窟前に差し掛かったぞ!来た!食らいつく!ネズミハヤイ喰らいつく!まさにダークホース!ここまで健闘すると誰が予測したか!だがサンライザー!サンライザー強い!意地を見せろサンライザー!来た!嗚呼ッ……」パワリオワー!

「写真判定!」「ワオオオーッ!」スタジアムでは群衆が狂喜乱舞!バルーンやオモチを投げる!ビッグユージは血走った目を見開く。「1着サンライザー!0コンマ7秒後に2着ネズミハヤイDⅢ!4秒後にホット・チックのホット19!凄まじいデッドヒートを制したのは前回優勝者サンライザーだ!」


5

 ホー、ホー。バイオフクロウの鳴き声が夜空にこだまする。レース二日目の宿泊地は、施設と呼ぶにはあまりにもプリミティブなテント群であった。そこかしこでパチパチと音を立てて焚火が燃え上がる。屋台は一つだけ出ている。こんなフジサン樹海にビジネスチャンスを求めて来た行商人イキジである。

「ハイ、イカケバブ、いいにおい。薬、ZBR、魔法の粉、なんでもあるよ。ポルノ・ピンナップ、ポルノ・カセットテープ、ポルノ・ヘンタイ、なんでもある。鶏もいるよ。一羽、早い者勝ち」「ドーモ、イキジ=サン。ビッグユージです」「ドーモ」「今日はテント村からお届け!」カメラ目線のユージ!

「イカがいいにおいだ。調子どうですか?」「アー」イキジは緊張している。ユージはにこやかに頷き、「商売の邪魔してすみませんね。さあ皆さん。見てのとおり、過酷なレースの二日目は宿も過酷!スタジアムから楽しんでるあなた方、このつらい環境に同情したり応援したりして、ぬくぬくしてくれ!」

「薬をくれ」「イカを」アストロ・スターモンキーと会釈してすれ違ったユージは、順繰りにテント群を眺めて周った。一際大きな焚火には逆十字架に磔にされた巨大な藁人形が突き立てられ、周囲をブラックメタリストが走り回っている。ヘルトリイ999。「非常に危険なので声はかけません」

「てめえビッグユージ=サンだな?ナメやがって」ズカズカと近づいてきたのはレイコ・カミだ。「アイエッ!これは、レイコ=サン。ご無事でなによりだ」「あれは貸し借りだ。哀れみじゃねえ!」「わかっています!」「いいか!」レイコはカメラを掴み、顔を近づけた。「三日目は俺が勝つ!見てろ!」

「さあ、このように闘争心は満タンになっている連中で満たされた宿泊施設。実際、生存レーサーの数は随分減ったものだ」シスター・オブ・マーシーやウォルナット・キャッチャーズのテントや、サイバネ鍼灸を行うサイサムライらを垣間見たのち、彼は勝利者テントに向かった。「今回は同着は無い」

 勝利者テントはまるでサーカス・テントめいた巨大さで闇の中にそそり立ち、入り口には「とても偉く、あまりにも誇り高い」と書かれたショドー横断幕がライトアップされている。「そう、勝利者にはオイランが二日目もいるんです。ハシリ・モノは弱肉強食だ」ユージはニヤリと笑い、ノレンをくぐった。

 SPLAAAASH!テント内のドラム缶風呂から怒りと共に回転ジャンプで飛び降りたのはサンライザーだ。「アイエエ!」風呂焚きが悲鳴を上げ、「アイエエエエ!」オイラン達が悲鳴を上げ、ゴヨキキが素早くサンライザーの裸身に布を巻き付けた。「エッ、これは」「どけい!」ユージを突き飛ばす!

「スゴイ迫力!きっとこれは三日目も素晴らしく闘争心で盛り上がるぞ!絶対に見逃すなよ、それではみなさん、オタッシャデー!」なにかを察したビッグユージは中継を切り上げ、「オイ!待たんか!サンライザー=サン!」慌てて後を追った。サンライザーは燃える風めいて足早に一つのテントを目指す!

「チャンピオンがどこへ行こうと勝手だろう」思いがけず足を止めたサンライザーはビッグユージを振り返り、言った。「ほしいままに!オイラン!風呂!スシ!カネ!」「そうだが……」「そして最新鋭の試作機、装備!」「シーッ!黙れ!」「ゆえにどこへ行こうと勝手、誰を問い詰めようが勝手だ」

「よすんだ、そういう自暴自棄は……俺とおまえの仲だろう!」ユージは諭した。「俺の、レ、レースを壊すつもりなら、俺は……」「レースを壊すだと?」だがサンライザーは鼻を鳴らす。「勝負を永遠に侮辱した。それが貴様だ。俺の信頼を破壊する行いでもあったのだぞ」「運営は俺一人ではない!」

「話にならん」サンライザーは身を翻した。ユージは追う。サンライザーは歩きながら振り返らず続けた。「ネズミハヤイDⅢのクルー……イチロー・モリタとかいうニンジャが」「エッ!ニンジャ」「話の腰を折るな。そのイチローが消えた。何故だ」「樹海の獣にやられたのだ、きっと。パンダもいる」

「お前は、他でもない、この俺に、その説を、本気で、主張するのか!ユージ!」はっきりと区切りながら、サンライザーは吐き捨てた。ビッグユージは呻くように言った。「だ、だが、ありえんのだ……調べたのだ。領域範囲を。今年、決してそんな、ニアミスするようなレースコースは設定しなかった」

「ほう。調べたのか。俺も知らん陰謀の数々を巡らせておる卑劣な貴様だ。調べただろうな」サンライザーは言った。「どちらにせよ、これから確かめる」「レ……レースは壊さないでくれ」ユージはそれだけ言うのがやっとだった。サンライザーはもはや構わず、デッドムーンのテントにエントリーした。

「ドーモ。デッドムーン=サン。サンライザーです」サンライザーは威圧的にアイサツを繰り出す。デッドムーンはサケの肴の違法カキノタネを開封しかかる手を止め、サンライザーにアイサツを返した。「ドーモ。デッドムーンです。殴り込みかね」サンライザーの後ろを見、「ビッグユージ=サンもか」

「いやに落ち着き払っておるな」サンライザーはしかめ面で言った。デッドムーンは肩をすくめる。「用は特になしか?」そしてカキノタネを開封した。サンライザーは続けた。「ナビゲーターが姿を消し、戻らんというのに、その落ち着きか」「感情表現に乏しい子供だって、学校じゃ心配されたもんさ」

「出まかせを」「わかるかね」「どうでもいい。イチローの身に何があった。話せ」「……」デッドムーンは口を開きかける。サンライザーは遮るように言った。「お前達は<枯れ野>を見た。そして、イチローは入り込んだ」「……」デッドムーンの表情が微かに動いた。彼はカキノタネを咀嚼した。

「お前は平然としている。繕っていれば俺にはわかる。アトモスフィアで。俺はニンジャだからな」サンライザーは今や隠しもしない。「イチローは、みずから<枯れ野>に入ったのだ」「嘘をつく必要もない」デッドムーンは肯定した。サンライザーは尋ねた。「何故だ」「知ってるような口ぶりだ」 

 ビッグユージは外に人の居ない事を無言で確かめた。サンライザーは頷いた。「その通りだ、武装霊柩車乗りよ。ゲバタ・テルコの件を、この俺は知っている。そしてビッグユージも」「ゲバタ・テルコはレースからケツまくって逃げた腰抜けだろ?」デッドムーンが言った。サンライザーは舌打ちした。

「それは<枯れ野>に関わる事故だ。事故?違うな」苦々しいユージを横目で見、「ともかく霊柩車乗りゲバタ・テルコは、俺と1日目に続き2日目の勝者の座をかけて争っていた……奴はこの俺に喰らいついた唯一のレーサーだ……この俺にある種の覚悟を決めさせた、な。だが消えた。消されたのだ」

「オイ……」サンライザーは遮ろうとするユージを睨んで黙らせた。そして続けた。「レースの運営はゲバタに先回りした。そして、迂回ガイド標識をねつ造した。フジサンの火砕流により全面通行不可、こちらのルートを使用せよ、とな……ゲバタは<枯れ野>に迷い込み、消えた。地獄に厄介払いだ!」

 デッドムーンはカキノタネの手を止めた。「……なぜそんな真似を」「よせ、サンライザー=サン!」「俺以外の者が勝たれては困るからだ。優勝賞金は所詮、見せ金。俺はハシリ・モノの兵隊。優先的に試作パーツの供給を受け、提供企業にテスト機会を与え、レースでは他者を圧倒。親の総取りとする」

「い、いい加減にしろ!」ビッグユージが懐からマグナム銃を引き抜き、サンライザーのこめかみに向けた。「黙れ、サンライザー=サン!許さんぞ」「許す許さぬを決めるのは俺だ、ユージ。勝負を汚した豚はただ土下座し俺の情けを請え」「ククーッ……」ユージのマグナム持つ手が震え、下りた。

「アンタらの確執は知った事じゃないが、よくまあ、そこまで俺に話した……」デッドムーンは言った。「続けな」「<枯れ野>について、どこまで知っている?デッドムーン=サン」「なにも」彼は首を振った。「婆さんがそこに消えたッてのは間違いが無いようだがな。何しろ、走ってやがったから」

「走っていただと?」サンライザーは眉根を寄せた。「ゲバタがか」「少なくとも、婆さんのクルマはな」とデッドムーン。「イチロー=サンは、それを確かめに行った」「あのニンジャは何を知っている」「さあな。俺よりは詳しいだろ……あの手のおかしなジツと、よくやりあってる。俺は知らんさ」

 サンライザーはビッグユージを睨んだ。「何か付け加える事はあるか。この俺に隠し通してきた事は」デッドムーンへの情報開示は、この哀れな大会主催者に対する言外の圧力だ。「信じてくれ」ユージは震え声で釈明した。「俺も被害者なんだ。あ……あんな自然現象、あるわけない。あっちゃいけない」

「……」「レースの規定コースがいきなり<枯れ野>に呑まれちまった。入った奴は、出られない。業者も、調査人も、帰ってこなかった。すげえカネをかけたッてのに……俺達はコースの変更を余儀なくされちまったんだ。もしレース中の衆人環視下でそんな事が明るみに出たらパニックだからな」

「<枯れ野>を避けてコースを作り直した?」「そうだ!だから、通常の既定のコース範囲内でそんな……ありえねえんだ。いいか、その……ゲバタ=サンにはかわいそうな事をした……なあ、俺からも謝るさ……だけど、彼女が消えたのは、そっちに向かったからであってよォ。何で今年はコース内に?」

「俺に訊くなよ」デッドムーンは首を振った。「ま、俺のほうは、<枯れ野>に接触できたおかげで実りある旅になったさ。俺達やホット・チックは深追いはしなかった。ゲバタの婆さんにしろ、イチロー=サンにしろ、アンタらの雇った連中にしろ、<枯れ野>に深く入って行った奴らは、消えた」

「戻らんのだぞ、お前のクルーも」サンライザーはデッドムーンの平静が気に入らなかった。デッドムーンはやや間をおいて答えた。「3日目は来た道を逆戻りだ。その時、俺は件の場所をもう一度走る。そうすりゃ何かわかるさ……あとは色々考えたところで、時間の無駄だ」


◆◆◆


 ゴーン……ゴーン……陰気な灰色の空、濃い影、転がる藁束、そしていかにも気味の悪い鐘の音はどこから聞こえてくるものか。彩度の低い、寒々とした土地だった。ニンジャスレイヤーは打ちひしがれた男の横に座り、男が焚火の跡の灰を手すさびにかき混ぜるのを、辛抱強く眺めていた。

「それで。なんだっけ」男は生気に乏しい目でニンジャスレイヤーを見た。ニンジャスレイヤーは答えようとしたが、男は一人合点して頷いた。「ああ……俺は現地調査の為に、ここへ来た」「そこまでは、既に聞いた」「ああ……そうだっけ?」男の目が曇った。「よくわからないんだ。ここにいると」

「何の調査だ」「そりゃあ……安全の確認だよ。レースをしなきゃいけないんだから。ええと……つまりさあ、何だっけ」男は灰をかき混ぜる。ニンジャスレイヤーは尋ねた。「いつからここにいる?」「いつ?」男は顔を上げた。「いつ……か。ぼんやりしてしまうんだよな。俺は現地調査の為に……」

「邪魔をしたな」ニンジャスレイヤーは会話を切り上げ、立ち上がった。「いや、いいさ」男は呟き、灰をかき混ぜる作業に戻った。ゴーン……ゴーン……。不吉な鐘の音は絶えず鳴り続けている。吹き付ける風は異様な冷たさだ。ニンジャスレイヤーはヒースがまばらに生える荒野を歩いた。

 この世界は異様だ。空には太陽も何もない。遠くに見える薄ぼんやりした山はフジサンなのだろうか?ニンジャスレイヤーは歩き続ける。あてもなくさ迷っているわけではなかった。彼は定まった方角に確かなニンジャソウルの実在を感じていた。それがいわばこの薄暗い航路における北極星であった。

「おや。また旅の人かね」コメ畑で鍬をふるっていた男がニンジャスレイヤーを振り返った。「珍しいね。この村に」「また?」「おや。さっきの人たちと、違うのか」「どんな人々ですか」ニンジャスレイヤーは尋ねた。男は顔をしかめ、記憶を手繰っているようだった。「いや……調査がどうとか」

 ゴーン……ゴーン……「レースの件ですか」「レース?ああ、そうだ」男は不愉快そうな表情になった。「奴ら、そうだった!思い出したぞ。レースの下調べだとか……全くふざけた話ですよ。ワシらはこの村で生まれ育ち、死ぬんだ。生涯この村でね。立ち退きませんよ、レースのコースなんかのために」

「村の名前は?」ニンジャスレイヤーは尋ねた。ハシリ・モノに参加するにあたり、レースコース周辺の土地の情報は事前にある程度調べてある。このような村の存在は覚えがないが……。「名前……俺たちの村の名前ね。あれ?いや、思い出せますよ、どうも最近いけないね……あなた珍しいですよ」 

「珍しい?」「そうだよ。今日は旅の人が良く来る。あんたも調査がどうとか言ってるクチですかな?」「いや」「違うのかね?そうだ、思い出した。レースの下調べだとか」「そうですか。この先にはあなたの村が?」「ああ、村か。そうそう、このまま坂を上って行きなさい。よい村だ。立ち退かんぞ」

「オタッシャデー」ニンジャスレイヤーは会話を切り上げ、坂を上がる。無人のコメ畑。しだれ柳。寒々しい光景である。「オン!」犬小屋につながれた犬が吠え、尻尾を振った。「かわいいなあ、犬が」道を挟んだ向かいに男が立ち、にこにこ笑っている。その身なりは焚火の男に似ていた。「ドーモ」

「ドーモ。貴方も外から?」「ええ」ニンジャスレイヤーは頷いた。「そちらは……やはりハシリ・モノ関係の方ですか。土地の調査の」「お詳しいですね。そんなところですよ」男は頷いた。「ちょっとした調べものでして」「そうですか」ニンジャスレイヤーのニンジャ洞察力は、はぐらかしに気づく。

「何の調査ですか?さきのレースの一件では?」ニンジャスレイヤーはかまをかけた。男は落ち着かなげに見返した。「何です?あなた、関係者じゃないですよね……」「主催者側ではなく、出場者の関係者です」ニンジャスレイヤーは単刀直入にやってみた。「ゲバタ=サンの」「エッ!」男は狼狽えた。

「何も言えません、言うことはありません」「彼女はどうなったのですか」ニンジャスレイヤーは顔を近づけた。男は冷汗を垂らした。「アイエエ……ですから、それを調べにですね……」「この村の名前は?」「え、そりゃ、ナナママ村ですよ。おかしな話だ。そんなわけはないんだが。正直、奇妙です」

「奇妙とは?」「だってそうでしょう?何故まだこんなふうに、村も、コメも、犬も……立ち退いたと聞かされてたんですがね。村の人たちに会いましたか?話しかけても、要領を得ないというか。話が戻ってしまうというか」「そうですね」ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。「オン!」犬が吠えた。

「かわいいなあ、犬が」男はにこやかな笑顔になった。そしてニンジャスレイヤーに尋ねた。「貴方も外から?」「ええそうです。失礼。先を急ぎます」ニンジャスレイヤーはオジギし、その場を離れた。ナナママ村。やはりハシリ・モノのコースにそのような名前の村は無かった。まして樹海の中になど。

 更に数軒の家。それから火の見櫓があった。ニンジャスレイヤーは思い立ち、周囲に人の無いのを確かめると、火の見櫓の梯子を上った。高さがある。彼は櫓から身を乗り出し、周囲を俯瞰した。遠くに薄ぼんやりとした山。そして……彼は目当てのものを待った……やがて見えた。走るクルマの影だ。

「やはりか」彼は呟いた。彼のニンジャ視力はそのクルマの影が確かに瓦屋根シュラインを戴く武装霊柩車であることを見て取っていた。デッドムーンのネズミハヤイDⅢと車種が違う。土煙を立てながら、武装霊柩車は真っ直ぐに走る。やがて見えなくなる。ニンジャスレイヤーは辛抱強く待つ。すると。

「やはりか」彼は呟いた。彼のニンジャ視力は、武装霊柩車が、当初現れた方角から再び出現したのを見て取った。デッドムーンのネズミハヤイDⅢと車種が違う。土煙を立てながら、武装霊柩車は真っ直ぐに走る。やがて見えなくなる。ニンジャスレイヤーは辛抱強く待つ。すると。 

「やはりか」彼は呟いた。彼のニンジャ視力は、武装霊柩車が、当初現れた方角から再び出現したのを見て取った。デッドムーンのネズミハヤイDⅢと車種が違う。土煙を立てながら、武装霊柩車は真っ直ぐに走る。ニンジャスレイヤーは己を強いてそこから目を逸らした。ニンジャソウルに注意を向けた。

 ニンジャソウルは一定の方角に在り続ける。近づいている。ニンジャスレイヤーの額を汗粒が流れ落ちる。武装霊柩車の運転席には、恐らくゲバタ・テルコがいるだろう。だがこれ以上あのクルマが走ってくるのを待つのは危険だ。彼はニンジャソウル存在から己のニンジャ第六感を逸らさぬよう努めた。

 彼は火の見櫓を降り、先へ進む。歩きながら思案する。この朧な世界において、時間の流れはあべこべだ。焚火のところにいた男と、犬を眺めていた男。どちらもハシリ・モノの関係者だ。しかし彼らからして既に、流れる時間の時系列が噛み合っていないように思える。場所はどうだろう。緯度経度は。

 ナナママ村。実在する、少なくとも実在していた村であると思えた。おそらく今年のレースのルートからはだいぶ外れた場所に位置しているのだ。それが何故今年のフジサン樹海の中に?そして、村の周囲を走り続けている武装霊柩車。ニンジャスレイヤーの仮説としては、あれは去年のレースのゲバタだ。

 ゲバタはレースを走り続けている。この一年にわたって、ずっと、数分間を繰り返しながら。村人達は、ゲバタは亡霊だろうか?過去の一時点のうつろなリピートに過ぎないのだろうか。結論を出すにはまだ早い。ニンジャスレイヤーはゲバタを現世に連れ戻す為に自らこの地へ足を踏み入れたのだから。

 彼はニンジャソウルの方角に執着した。坂を上るにつれ、家の頻度が高くなる。立ち話をする中年女性。会話が漏れ聞こえる。「お堂に集まれって」「そんな事、急にねえ」「でも、モタライ=サンがね」「本当に立ち退かなくていいのかしら?」「シッ」二人は沈黙し、ニンジャスレイヤーを目で追った。

「嫌だわ。あんな人、村の親戚連中にいた?」「いない、いない。連中の差し金……」「よくまああんな大手を振って」「嫌だわ。そうそう、お堂に集まれって、聞いた?」「そんな事、急にねえ」「でも、モタライ=サンがね」「本当に立ち退かなくていいのかしら?」ニンジャスレイヤーは先へ進む。

 彼は多少用心し、表通りを避けた。現実のものか否か定かでないとはいえ、無駄なイクサと殺生を引き起こせば、厄介につながる。バンブー生い茂る用水路沿いの道にはオジゾウが立ち並ぶ。ネオサイタマから遠く離れ、この地に根付いた歴史は電子戦争以前の記憶すらも留めていよう。

 何度も耳に入るのは「立ち退き」というフレーズだ。ニンジャスレイヤーは巨大資本による小集落のネコソギ行為の危機を何度も間近に見て来た。ハシリ・モノ運営が大がかりなレース・エリアを確保するために、ルート上にある弱小コミュニティをジアゲしようと試みるのは恐らく当然の行動パターンだ。

 彼は石段を登り終えた。村の高台は比較的裕福な家々のエリアと見える。道端にある「ナナママ村は楽しい」と書かれた地図看板を、ニンジャスレイヤーは確認する。大雑把ではあるが、村とフジサンの位置関係を掴むことができた。やはりここは樹海の中ではありえない。もっと東だ。

 村の高台は比較的裕福な家々のエリアと見える。道端にある「ナナママ村は楽しい」と書かれた地図看板を、ニンジャスレイヤーは確認する。大雑把ではあるが、村とフジサンの位置関係を掴むことができた。やはりここは樹海の中ではありえない。「ヌウッ」彼は首を振った。ニンジャソウルを感じろ。

「ニンジャは。どこだ。どこにいる」彼は声に出して呟き、ソウルの方角を目指した。道中にすれ違う人々は皆、おぼろげだ。あるいは彼らにとってみれば、繰り返しの中に留まらず移動を続けるニンジャスレイヤーこそがユーレイじみた影と見えようか。道中にすれ違う人々は皆、おぼろげだ。

 あるいは彼らにとってみれば、繰り返しの中に留まらず移動を続けるニンジャスレイヤーこそがユーレイじみた影と見えようか。道中にすれ違う人々は……ニンジャスレイヤーは足を止めた。ソウルが近い。彼はバンブー林の中、藪に身をひそめ、石垣に囲まれた大きな木造建築を見やった。

「スパイが居るかも知れない」「まさか。そこまでして?」青年二人が会話しながら石垣の付近を歩く。「都会の奴らはカネの為なら何でもする」「ハハッ冗談!俺達だってそうさ」「違いねえ、ハハハ」「とにかくモタライ=サンと、このお堂は、絶対バラしちゃならねえよ」「違いねえ」

「凄いもんだよ。ニンポみたいだな」「ブードゥーだろ」「モタライ=サンが茶碗を宙に浮かべたのを見たろ?」「トリックさ……」「オイ。俺らが村でやって行けるかどうかの瀬戸際なんだぞ」「正直、プロジェクト住宅に住むのもいいかもな。村じゃ未来がねえ」「シーッ!殺されるぞ」「だな」

「スパイが居るかも知れない」「まさか。そこまでして?」青年二人は会話しながら石垣の角を曲がって消えた。ニンジャスレイヤーはしめやかに進み出た。(イヤーッ)石垣を飛び越え、<お堂>の庭に入り込んだ。ナムサン……庭の枯山水のあちらこちらに、うずくまる者達の姿あり。祈祷する村人だ。

 恐らく彼らは村がこのようになって以来、ずっと祈祷し続けているのだろう。ニンジャスレイヤーが通っても、彼らが誰何する事はない。枯山水を横切り、ワータヌキが居並ぶ正門の階段を上がり、賽銭箱を乗り越え、縁の上、タタミに踏み入った時、既にニンジャスレイヤーは赤黒の装束姿となっている。

 ゴーン……ゴーン……鐘の音が聴こえる。タタミに置かれたボンボリの灯りは灰色だ。明らかにそれは超自然の炎である。堂の奥には筋肉を盛り上がらせた木彫りブッダデーモン像が飾られており、灰色の光を受け、奇怪な憤怒の表情をニンジャスレイヤーに向ける。その足元に、アグラする人影があった。

「モタライ=サンですか」ニンジャスレイヤーはオジギを繰り出した。「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」「……」アグラする人影は答えない。膝の上、僧ローブからはみ出た手は、なめし皮めいて光っていた。ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。彼は屈み込んだ。……死んでいる。ソクシンブツだ。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは反射的にバック転を二度打ち、ソクシンブツから間合いを取った。死体!だがニンジャソウルの実在をその身体の中から確かに感じる。アトモスフィアが脈打ち、放射されている。それは今も繰り返されている。呼吸のように。鼓動のように。力は枝葉を伸ばしている!

 (((フジキド……)))その時、ニンジャスレイヤーのニューロンを、さざ波めいて揺らした声がある。ナラク・ニンジャである!(((辿り着いたか、フジキド。やはりオヌシは未熟ゆえ、その存在を垂れ流す者を追うにも蝸牛めいて緩慢な歩み)))「ナラク。憑依者は死んでいる」(((然り)))

 ニューロンの同居者は愉快そうに笑った。(((グググ……これはミツカド・ニンジャ。正確にはその憑依者の成れの果て……搾りカスめいた弱体者の領域でオヌシが右往左往するさまは実際愉快であった。あらためてオヌシは儂の助け無くばいかにブザマか、身に染みた事であろう)))「ソウルのみか」

 (((然り。そう言うておろう。畏れるあまり、このつまらぬ死体が生者に見えるか?ググググ)))「黙れナラク」(((ミツカド・ニンジャのジツは獲物を領域に捕え、繋ぎ止める。影のなかにな。かつては太洋に陣を張り、生贄を捕えて糧としていたとも聞く。どのみちカラテ知らずの臆病者よ)))

 ゴーン……ゴーン……エヴリワンゴーン……鐘が鳴る。(((この者を身に宿すは愚かなり。枯死した負け犬は無視せよ。ソウルを滅ぼすのだ。こやつのジツには際限が無い。放置すれば増長を重ね、領域をますます拡げ続ける事まちがい無し)))「……」村の緯度経度、樹海、ルート。繋がりつつある。

「ナラクよ。こ奴を滅ぼせば、囚われた者は解放されるか」(((一切興味無し)))「ナラク。応えよ」(((……程度によるであろうな)))ナラクは言った。それきり、黙った。ニンジャスレイヤーはソクシンブツを前に、深く息を吸い、吐く。「スウー……ハアーッ」その目が赤黒い光を帯びる。

 ソクシンブツが睨み返すことはない。カラテを構える事もない。ただ、禍々しいアトモスフィアがニンジャスレイヤーに向かって確かに威圧的に脈打った。だがニンジャスレイヤーは怯まなかった。その両腕に赤黒い炎が立ち昇った……。


6

 ニンジャスレイヤーはソクシンブツに向かって踏み出した。死体から放たれる禍々しいアトモスフィアは更に強まり、拒絶の念で堂内を満たした。しかしニンジャスレイヤーの歩みは止まらない。滅ぼすべきニンジャ存在に焦点を合わせている限り、彼の意志が逸らされて停滞に囚われる事はない。 

「無駄な事よ」ニンジャスレイヤーは低く言った。「儂をここまで入り込ませた時点で、既に勝負あった。オヌシに儂を退けるすべはない。指先一つ動かせぬ死体に何が出来よう」「……」ソクシンブツは動かない。言葉は無し。だが放たれる波動は、恐怖、無念の周波数に他ならぬ。「ニンジャ。殺すべし」


◆◆◆


「開始10分にして既にデッドヒートの様相!」ヘリコプターからビッグユージが実況する。眼下はフジサン外周部のオーバル・コース。フジサン麓のきわは木々が失せ、ドーナツ状の空白地だ。これをぐるりと周ったのち、再び樹海を取って返し、観客とレースマスターの待つコロシアムへ引き返すのだ。

「3日目は2日目の順位を反映したスタート時間調整が行われます。これによりサンライザー、デッドムーンのネズミハヤイDIII、ホット・チックはあらかじめリードを取る事ができるわけだ。しかしレースの神が誰に微笑むかはまるでわからないんだぞ!距離が長いぞ3日目は!」

「ここまで実際素晴らしい走りを見せてくれた戦士達だよね」キンキー・コウイチがダンベルを上げ下げしながら言った。「非常にビジネスのインスピレーションを与えてくれた。勿論この気づき体験は次の著作に反映させ、ファンの皆さんにしっかりフィードバックしようと思う。ノブレス・オブリージュ」

「さすがはビッグビジネス貴族を自他ともに認めるコウイチ=サンだ。さあスタジアム桟敷席におられる他お二人のレースマスターにもご意見をうかがいたい!」「ホホホ、とてもいいわ」フラストミチ・マレナは冷凍空輸されたバイオサーモンの刺身をサイバーボーイに盛り、箸でつまんで楽しむ!

「今年は非常にエキサイティングだ。敢えてレースマスター権限の移譲を受けた甲斐があるというもの」キリング・マキが言った。「まだまだ足りぬがな……そしてサンライザー=サンにとっては最も輝かしい墓標だな。晴れ舞台が成就するさなかに散る」「エッ?いやあ、不吉なワサビ・ジョークです」

 ビッグユージは物騒なマキの物言いをスルーしようとした。マキは付け加えた。「どんな時もゲコクジョの神は刃を研ぎ澄ませて待っている。たとえそれが第一位の神に愛されるサンライザー=サンであろうともな!」「……確かに、ジャイアント・キリングというのは起こるから面白い。それは同意します」

 トップ三台からやや遅れて、第二陣のかたまりが砂塵を噴き上げ続く。第二陣先頭を行くのはレイコ・カミのカミマスター。ロックンロールだ。武装救急車シスターオブマーシー、二日目の激戦を経て今や乗組員は二人。アストロ・スターモンキーも第二陣の中にまるで巻き込まれるようにして含まれている。

 サイサムライのサイバギーは集団からやや離れた地点をゆく。2日目におけるクラッシュが響いたか。あるいは何らかの思惑があるやも知れぬ。押し殺した迫力がサイバギーのマシンの中から全方位に放射されるかのようだ。ヘルトリイ999はハンドアックスやハルバードを掲げ、ボンネットには豚の首。

 豚は彼らヘルトリイ999の主張するところによればブッダの象徴であり、これの首を刎ねてボンネットに血で描いた魔法陣の中央に打ち付ける事で、クルマそれ自体がアンタイブディズムの祭壇になるのだという。狂った異常者たちであった。前作のアルバム・ジャケット写真も本物の惨殺体を使った。

 ヘルトリイ999には当然レーベル契約は存在せず、危険な崇拝者たちが非合法にデータを受信、それをカセットテープに録音して、ネオサイタマ郊外で危険薬物との抱き合わせ販売を行うのだ。ゴール地点にはレース運営と裏取引したデッカーの一団が待ち構えている。仮に無事でゴールすれば即逮捕だ。

「ヴォイド」ルーフの穴から上半身を出して二刀流を構えたヘルトリイ999のヴォーカリスト、ファイアドラゴンズデイルは、車内のメンバーに無慈悲な命令を下した。ガギゴーン……不穏な音を立て、バンパーが巨大なクロスボウに変形。後部トランクが開き、ベーシストのペインダイヴァーが現れた。

 ペインダイヴァーはトランクの中に待機していたのだ。彼がトランク内に据えられた巨大なリールを巻き上げると、巨大クロスボウが音を立てて無慈悲な矢をつがえた。「ちょっと待て、あからさまな反則行為の前触れ?」ユージが懸念した。その時、ZOOOM!ヘルトリイはロケット加速!「アーッ!」

「アイエエエエ!」進行方向にはアストロ・スターモンキー!寸前で異常を察知した彼らは命の限りハンドルを切って、彼らの追突攻撃を回避した。これによりヘルトリイはウォルナット・キャッチャーズの車体後部に追突した!KRAAASH!「アバーッ!」そのとき無残な出来事が起こった!

 ウォルナット・キャッチャーズの愛車とヘルトリイは追突により密着状態だった。ウォルナット車のフロントバンパーから巨大矢が飛び出した……「アバーッ!」ナムアミダブツ!密着状態で撃ち出された矢がウォルナット車をゼロ距離貫通!運転者貫通殺!貫通した矢がシスターオブマーシーをめがける!

「アバーッ!」「シンディ!?」運転席のニンジャ、シスターオブマーシーは、助手席のシンディをハッとして見やった。ナムサン……後ろから飛来したクロスボウ巨大矢は武装救急車の後部パネルを貫通。助手席を貫き、ダッシュボードに突き刺さって、ようやく止まったのだ……。「奴ら……許さねえ」

 KABOOOM!ウォルナット・キャッチャーズの車両が爆発炎上した。しかも「弓矢のような飛び道具でシスターオブマーシーを攻撃・妨害したためペナルティ」の宣告までくだり、名誉すらも汚されたのである。ナムアミダブツ!あれはヘルトリイの行いであるにも関わらず空撮カメラでは証拠がない!

「あれはヘルトリイ999だろう!」ビッグユージが言った。「まあしかし、ルール運用上、レースを中断して検証するわけには行きません。あとでヘルトリイの申し開きを聞くしかないな!ここは地獄のレース。参加者も同意済み!」「ウォルナットをキャッチしに来たなら死ぬしかない」とキンキー。

「許さねえーッ!」シスターオブマーシーは自動運転モードに切り替え、自らはルーフの銃座に上がった。ミニガンを後部へ巡らせ、狙うはヘルトリイ999!「死ねーッ!」BRRRRRRRTT!ルール無用!ガトリング攻撃である!「ア、アイエエエ!これは大混迷の三日目だァ!」ユージが叫んだ!

 はやくもケオスの坩堝と化した後続群を尻目に、トップ3は競り合いながら先陣を切る。ルートが整えられた三日目においてパワー温存の戦略は無意味。いわばこの最終日は長距離の短距離レースなのだ!「さあサンライザーは優雅!ネズミハヤイはナビ行方不明の悲しみを乗り越えクールな走りだ!」

「あら。セクシーなレイコ」フラストミチ・マレナがバイオサーモン刺し身を咀嚼して言う。「それから、食材調達立役者」然り、ホット・チックの後ろにつけてくる2車両があった。カミマスターとサイバギーである!「なんと!わからなくなるか!?」「面白くなるだろう」キリング・マキが言った。

「俺はカミ!カミ、それはゴッド。俺はレースの神なんだよォ!」レイコ・カミのリーゼント・ポンパドール・ヘアが風を切る。「それをわからせる!それが俺のカミマスター!」「ヘイ、ビューティー!ケツに火をつけな」サンダリイ・ライラがホット・チックを急かした。「恥かかせるんじゃないよ!」

「4番手レイコ・カミがホット・チックに果敢に挑んだぞ!当然、クラッシュ殺害報酬は提示されているが、果たしてどうなる」ビッグユージがヘリから身を乗り出した。「ンンー……そして、つかず離れずか。一定のポジションを確保した後はそれを堅持するかのようなサイサムライ。これは不気味!」

「満足しちゃいけない」キンキー・コウイチは肩をすくめ、定時摂取時間が来たプロテインを飲んだ。「成長、つねに成長。それがビジネス。グラフを斜め上に動かしていく意志があって、初めてマイナスは避けられるんだよ?横這いを目指すようなやり方じゃ……」彼は指で輪を作った。「ゼロだね」

「ウーム。それはともかく、彼らは再び樹海に突入だ。ここからは車載カメラを拾っていくしかないが、うまく働くといいが?」彼は早速先頭のサンライザーに、そのあと、デッドムーンに映像を切り替えた。「んッ?コースアウトだと?どうした」ユージは目を見開き、UNIXモニタに顔を近づけた。

 ネズミハヤイDIIIは三日目の為に整備された樹海内の直線コースを不意にはずれ、木々のあわいに進んでいく。「何やってる。ルートはそっちじゃない。クラッシュしちまう!まさか……」ビッグユージは呻くように言った。彼は一瞬、よそ行きの声を出し忘れ、慌てて繕った。「狂ったか第2位!」

 オオオオオン!その時だ。サンライザーが急激なドリフトをかけた。そして彼もまた樹海に飛び込んだ……ネズミハヤイDIIIを追うかのように!「な、なにを一体!」「秘密のショートカットでも見つけたのかしら?」フラストミチ・マレナが興味深そうに言った。「それはないでしょう!」とユージ。

 ユージは言葉に詰まり、数秒間マイクをオフにした。そしてヘリの内壁を殴りつけた。「ダムンシット!ブッダファック!白昼夢め!」そしてマイクをオンにした。「ン―……な、何かが起きている!そうするうちに、なんてこった!現在一位はホット・チックだ!そのすぐあとにレイコ・カミが続くぞ!」

 ユージはホット・チックを追うレイコのカメラに中継を切り替え、バリキ・ドリンクを飲んだ。「くそッ……サンライザーの奴……過去の亡霊に囚われて……終わったんだ、あの事故は終わったんだよ!だいたい、あのデッドムーンの野郎!サンライザーにわけのわからん事を吹き込みやがったから!」

 そうするうちにも、2台の位置情報マーカーはぐんぐん東に逸れてゆく。「サンライザー!バカをするンじゃない!」「中継戻さないと……」アシスタントが冷汗を垂らした。ユージはアシスタントの頬を張った。非道!「アイエエエ!」「わかっとるわ!」マイク再度オン!「後続グループ!戦闘中だ!」

 シスターオブマーシーとヘルトリイ999は今やレース度外視の最後尾泥沼格闘状態に陥っている。武装救急車はミニガンの弾薬を撃ち尽くしたが、ヘルトリイ999はかろうじて走行継続可能であった。武装救急車はなおも体当たりをかける。それは機械モンスター闘犬めいていた。

 しかし、ナムサン!樹海に突入するにあたり、そのような戦闘状態では必然的な終わりが待っている。KRAAAASH!KABOOOM!二台はそれぞれ大樹に高速で衝突、爆発炎上した。燃え盛る車内からナースニンジャ装束を着たニンジャと黒い悪魔崇拝三角帽頭巾をかぶったニンジャが跳び出した。

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」二者はカラテを応酬し、互いに殺し合いながら樹海の奥へ消えていったが、カメラに映ったのはそのほんの端緒、爆発炎上のノイズにまみれた映像が二筋の色付きの風を捉えたに過ぎなかったであろう。

「サヨナラ!」どちらか一方の断末魔の叫びを耳にした者は無かった。ビッグユージのヘリコプターはスタジアムめがけ移動を開始。先頭車両が帰還する栄光の瞬間を、観客と一体となって捉える必要があるからだ。それがユージの仕事だ。彼はサイサムライがコースを外れた事実を見落としていた。


◆◆◆


 アリシアV。クロームシルバーの美しいボディと奥ゆかしい瓦屋根シュラインを備え、ガトリング掃射に耐え、海に落ちようが気にしない。ダッシュボードにはレコードプレイヤーが備え付けられ、サスペンションは完璧、針飛びの心配も無し。オカキとコブチャのサービスすらも可能だ。

 要人の死体、それはダイヤに等しい。政治家、ハイ・ボンズ、ヤクザ・オヤブン。彼らは闇モージョーの呪術儀式の危険にさらされている。彼らの死体を敵対組織の魔の手から守るためには、タフなクルマ、タフなプロフェッショナルが必要だ。それが武装霊柩車……謎めいて神秘的な生業である。

 ゲバタ・テルコは武装霊柩車乗りの間でリヴィング・レジェンドだった。かつての話だ。今や彼女の生死をはっきり知る者は稀だ。彼女はタフな仕事から足を洗った。それでもカネは要る。ハシリ・モノ。いいレースだ。なかなか、やる連中が揃っていた。サンライザー。鼻っ柱の強い男。小僧を思い出す。

 ゲバタの横顔には深い皺が刻まれている。彼女は年老いて、かつ、麗しい。黒漆塗りのハンドルを握る白手袋。レコードスピーカーから流れるのは擦れがちなカヨウキョク。彼女同様麗しきアリシアVは、陰気な枯れ野をまっすぐ走る。遠く見えるのはフジサンの影。外気の寒さ。

 妙な迂回ルートを取らされたものだ。ゲバタは方位磁石を確認した。そしてこの代り映えのしない景色と来たら。「陰気だ」ゲバタは呟いた。彼女は不意に違和感をおぼえた。唾が絡んだ。まるで最後に言葉を発したのがずっと昔の事のようだ。「フ」ゲバタは自嘲した。「疲れやすくって仕方ない」

 そして数秒。彼女は眉根を寄せた。つまり、なんの違和感だ?なぜ自分はおかしいと感じている。ガラスの外を見やる。フジサン。枯れ野。彩度の低い。「……?」前方に影。ゲバタは引っ掛かりを覚え、速度を落とした。人間だ。トレンチコートとハンチング帽の男が手を伸ばし、親指を立てている。

「こんなところでヒッチハイクとは酔狂なこと」ゲバタはドアウインドウを開け、男を見た。「道路も無いというのに」「いいんです。これで」男は確信的に頷き、ゲバタを見た。「現に、貴方は止まってくれました」「ハ!」ゲバタは鼻で笑った。「確かに、そうね」「ドーモ。イチロー・モリタです」

「どこまで乗せてほしい」「この世まで」イチローは言った。ゲバタは肩をすくめる。「ユーモアのセンスは共有できないようね」「このあと説明します。ナビゲーターは要りませんか」「あら」「デッドムーン=サンのナビをしていました」ゲバタは眉根を寄せた。助手席ドアが開く。「お乗りなさい」


◆◆◆


「つまり、アリシアはこの場所を丸一年走り続けていたと、そう言いたいのね」「迷い込んだ人々の時を捕えて繋ぎ止める。そうしたジツがはたらいていた。ニンジャのジツが」イチローは言った。「ですが、そのニンジャは、滅ぼしました」「そう」ゲバタはイチローを横目で見た。「信じるわ」

 ゲバタがボタンを押すと、コブチャとオカキが滑り出た。「随分お疲れのようだから」「助かります」イチローは頭を下げ、厳かにオカキを食べ、コブチャを飲んだ。「あの子は元気にしている?」ゲバタは尋ねた。イチローは答えた。「直接会って確かめればよい」「違いない」ゲバタは笑った。

「このまま走り続け、領域の境界の外に出れば、それで抜けられる筈」イチローは言った。「もはや縛る者はいなくなった」「老い先短いのに、無駄な時間を費やしてしまったものだわ」「恐らく貴方自身の時間は数時間も経過してはいないでしょう」イチローは言った。ゲバタは苦笑した。「飛ばすわよ」

 ドウ!アリシアVがロケットを点火し、強烈なGがかかる。枯れ野が、前の景色が後ろに流れてゆく。並走する車両の存在があった。ゲバタはそちらを見た。「ハハァ、成る程。貴方の言う通りか」そこには瓦屋根シュラインを戴くクロームシルバーの武装霊柩車。ネズミハヤイDIIIである。

 運転席のミフネ・ヒトリが、ガラス越しにゲバタ・テルコを見た。どちらも表情を動かす事はさほどない。ネズミハヤイのすぐ後ろにはサンライザー。「あれは、今の?それとも、去年の?」「今のサンライザーです」イチローは言った。ゲバタは頷いた。「不思議なものね、本当に」

 ゲバタは思い出したように言う。「ナビゲーターを返してやらないとね」「ハイ。戻ります。ドアを開けてください」「このまま?」「このまま」イチローは答えた。そして付け加えた。「ゴール地点で、また」「フフ」ゲバタは「開」のボタンを押した。「イヤーッ!」開いたドアからイチローは跳んだ。

 ニンジャスレイヤーは並走するネズミハヤイの瓦屋根シュラインに取りつき、カンオケ・ハッチを使って車内に滑り込んだ。「ドーモ。おつかれさん」デッドムーンが言った。「マッチャとオカキを」「いや、いい」ニンジャスレイヤーは辞退した。「頂いたばかりだ」「婆さんか。いやはや」

 彼らは速度の中にいる。枯れ野の狭間に。「かくして戻りけり、と。ニンジャの仕業だったかね」「うむ」「そりゃ何よりだ……」デッドムーンは車載レーダーを見ながら言った。「どうも今度は大所帯だな。落ち着かないぜ」隣にアリシアV、後ろにサンライザー。そして、さらに後方、サイバギーの姿。

「サイサムライ?」ニンジャスレイヤーは呟いた。「何故だ?」「俺にもわからん」と、デッドムーン。「俺に煮えてるのかもな。旦那が消えた後、多少あしらわせてもらったが……」KRAASH!サイバギーはついに彼らのもとへキャッチアップし、躊躇なく体当たりをかけた……サンライザーに!

「グワーッ!」サンライザーは不意打ちに怯み、グリップ維持に苦闘する。攻撃側のサイサムライは枯れ野の光景に覚えたであろう畏怖や驚嘆の感情を咀嚼せず投げ捨て、ただ標的の殺害の為にカラテと集中力を練り上げる。「ここで殺るンですかい」ドーシンは主人に尋ねた。

「一応、華々しいラストスパートで処刑するのがクライアントの希望ではありましたぜ?」「まともにレースを進行させていたならば、そうだ。だが、よくわからぬ寄り道をし、こうした事態を呼び寄せたとなれば、面倒が起きる前に殺しておくのがよい」UNIX光が剣呑に明滅した。「停止命令も無い」

「そうでやすね」ドーシンは合点した。「サンライザー野郎、処刑ミッションを嗅ぎつけたのかもしれやせん。ゴールにバカ正直に戻れば、オヤブンが殺しやすからね。それを知っていたなら、レース中に姿をくらまそうって動きも、頷ける。それを逃がさねえオヤブンの流石の状況判断!」「フン。よせ」

「それじゃ早速処刑開始といきやしょう!サイドリルバギーモード!」ドーシンは頭上のレバーを引き下ろした。ギュイイイ……音を立ててフロントバンパーから危険な三連ドリルが迫り出した。ナムサン!これで粉砕殺の構えか!「ニンジャスレイヤー野郎は命拾いしやしたね!サンライザー優先だ!」

「サンライザー=サンは所詮クルマの運転しか能の無いサンシタ。カラテを見せてやる」サイサムライはアクセルを踏み込んだ。そしてドーシンも踏み込む。二倍の加速だ!「イヤーッ!」KRAAASH!「グワーッ!」ナムサン!真横からの衝突によりスピンしたのはサイバギーだ!「おのれ!何奴!」

 サイサムライは横を睨んだ。側面から攻撃をかけたのはアリシアV!ホイールからベン・ハー・ブレードが突き出し、サイバギーの装甲をグラインドする!「チイーッ!」想定外の第三者による攻撃!何故?「無粋な真似はおよしなさい」ゲバタは言い、再度攻撃をかけた。KRAAASH!「グワーッ!」

 サイドリルバギーは激しくスピン!サイサムライはスプリングシート機構によって真上に飛び出し、ルーフ上でカラテを構えた。「何者だ、貴様!」「悪いわね。アリシアV、ゲバタ・テルコ。一年越しのようだけど、ハシリ・モノで勝負しに帰って来た。ここから参加させていただくので、そのつもりで」

「イヤーッ!」サイサムライは容赦無くサイ電磁クナイを連続投擲!機械類を狂わせ、同時に運転者を内側から焼き殺す極めて強力な武器だ。しかしそれらはアリシアVに到達する前に空中で爆散!スリケンだ!ネズミハヤイDIIIの瓦屋根上に赤黒のニンジャあり!「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」

「ならば貴方に任せるとしましょうか」車内でゲバタは微笑み、加速をかけた。サンライザーは反応し、アリシアVを追った。「戻って来たか、ゲバタ=サン。俺がわかるか!」サンライザーは短距離通信で呼びかけた。ゲバタは答えた。「ええ。昨日の事のように思い出せるわ、サンライザー=サン」

「今こそ俺とお前のどちらが最速かを決めるイクサだ!」「悪いが、俺もやる気だ」デッドムーンの通信が割って入った。「アンタらはそれぞれどっちが2位・3位を獲るか話し合ってくれ」「頼もしいわ。それじゃ今はネクタイも自分で結べるのね」ゲバタが挑発を返した。 デッドムーンは鼻で笑った。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはネズミハヤイの瓦屋根シュラインからサイバギーに飛び移った。すぐさまサイサムライとの間でワン・インチ・カラテ応酬が開始される!「ちっくしょう!畜生!オヤブン!やっちまってください!」ドーシンはスピンするサイドリルバギーのグリップを戻そうと必死!

「ええい……貴様は邪魔ばかりを!イヤーッ!」「イヤーッ!」二人のニンジャはショートフックを打ち合う!「オヌシも私の邪魔ばかりだ、サイサムライ=サン。目障りだ!イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」一進一退!足場はスピンし不安定!

「ブッダシット!」ドーシンは毒づき、遂にサイドリルバギーはグリップを取り戻す。もはや二台の武装霊柩車とサンライザーは相当に先行している!やがて枯れ野の光景は徐々に薄れ始める。ズタズタに傷つき、片脚を失った三角帽子頭巾のニンジャがその境界に現れ、畏怖と共に見つめる。「ヴォイド」

 ゴウウウウン!四台は争いながら枯れ野を後にする。三角帽子頭巾のブラックメタリストニンジャ、ファイアドラゴンズデイルは彼らとすれ違うように力尽きて倒れ込み、薄れゆくヴォイド(虚無)の中で爆発四散した。「サヨナラ!」

「来るぞ!」ビッグユージが叫ぶ。「先頭は……ああッナムサン!カミマスター!レイコ・カミが来ている!丘を越えてくるぞ!最後の距離だ!わずかに遅れて続くのはホット・チック!そしてなんと暫定三位は!"なんと"などと言ってはシツレイの極みか!万年最下位アストロ・スターモンキーだ!」

「何で!何であンなロックンロール野郎を抜き返せない!」「取り乱すんじゃないよチェリーベイブ!」サンダリイ・ライラが叱咤する。「奴はスピード・ハイさ!たまにああいう奴が出てくるんだ。だけど所詮センコ花火の最期の輝きに過ぎない!」「その輝きに優勝を取られるなんて嫌だ!」「勝て!」

 カミマスターはボンネットから黒煙を噴き上げる。レイコはカッと目を見開き、ただ前だけを見ている!「これが俺だ!」「畜生!」ホット・チックは嗚咽した。「畜生畜生!お母さんのバカ野郎!」「まだ熟してない果実だね」サンダリイ・ライラは沈痛に呟いた。「でもアンタには先が、未来がある」

 ホット・チックの実の母は、彼女のマネージャーであり、マネジメント会社社長でもある。その確執の果てに打ちひしがれた少女を拾い、鍛え直したライラであったが、その影響は根深かった。「生きている限り……」「畜生!まだだ!」ホット・チックは蛇めいたカーブを最短距離で突破!レイコに並ぶ!

「やれやれ」アストロは肩をすくめ、隣のスターモンキーを見た。「お熱いこったよな、あいつら」「だな。だけどよ、アストロ=サン」「アア?」「もしかして、これは、行けるんじゃねえか」「アア?」「いや……だってよ……あんなすぐそばにだぜ。先頭車両が」「……欲をかくのか、お前」

「だってよ……行けるかもしれねえ」スターモンキーは呟いた。「もう二度とこんなチャンスは来ねえかもしれねえ。違うか」「……」「夢を見てえじゃねえか、兄弟。たまにはよ」「……」アストロはニヤリと笑った。「バカ野郎だな。俺もお前もよ!」グオオオン!アストロ・スターモンキーが急加速!

「優勝者に今日の残り全ポイントだ!違いますか、フラストミチ・マレナ=サン?」キンキー・コウイチが水を向けた。「エッ?」「そうすれば巨大なエネルギーを生み出し、経済のタービンが回転するんだ!」キンキーは腕立て伏せを開始した。「何を言っている、このバカは」キリング・マキが呆れた。

「フン……負けられないわ」しかしフラストミチ・マレナはキンキーのポイントに自らのポイントを上乗せしたのである。「おいおい。あてられたのか、女史」マキは呆れ果てた。「どちらにせよ、俺はこの後一番殺したレーサーを祝福する。その為にポイントを使おう」「ううむ」ビッグユージが唸った。

 彼は既に桟敷席に戻ってきていた。彼に対してマキはあけすけに言い放つ。「さて。それにしても、お前の飼い犬はどうやら消えたと見ていいようだぞ、ユージ=サン。この意味はわかるな?」「何だと?」「道化もそろそろ必要無い頃合いよ。来年からは俺に任せておけ」マキは攻撃的に笑った。

「何だと?」「サンライザーの存在が無ければ、お前のちっぽけなレースなど、幾らでも首のすげ替えが利く砂上の楼閣に過ぎん」マキはユージにだけ聞こえるように囁いた。「しっかり育てて、収穫する。それが俺だ。今回もいつものようにやる。それだけだ」「う……」ユージは青くなった。その時だ。

 不意に、レース車両を示すマーカーが地図上に三つ灯った。ビッグユージは地図を二度見した。錯覚ではない。彼はマキを振り払い、マグロツェッペリンカメラの映像に食らいついた。ゴウ!レイコ・カミ、ホット・チック、アストロ・スターモンキーがバンブー林地帯を抜けると、クルマは七台に増えた。

 ビッグユージは画面に顔を近づけ、マーカーにない一台を含むそれらを必死で確認する。「な……なんだって」彼は震えだした。その肩越し、キリング・マキの表情は石のように凍りついた。「帰って来た。サンライザーが。ゲバタ・テルコと」「ゲバタ?」とキンキー。「ゲバタ?」とフラストミチ。

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」サイバギーの上では二人のニンジャがカラテを応酬し、徐々に他の六台から切り離されていった。サイバギーの運転はデュアル運転システム。ここぞという極限では二人が同時にアクセルを踏み込んでこそパワーが出るのだ。それができない!

「何が起きてる!」キリング・マキは取り乱した。「なぜサイサムライ=サンがキャッチアップできていない!そもそもなぜサンライザーが健在なのだ!誰と戦っている?何だあれは?」「私に訊くんじゃない!この……ヤクザめ!」ビッグユージは一喝!「ニンジャナンデ?」キンキーが画面を見て驚く!

「どけッ!仕事があるんだ!」ビッグユージはキリング・マキとキンキーを突き飛ばし、中継席に復帰した。小男は今、鬼気迫るアトモスフィアとオーラに満ち、実際の10倍は大きく見えた。「レディース・アン・ジェントルメン!アン、ジョッチャンボウチャン!これは一体何が起きやがったんだ!」

「ワオオーッ!」スタジアムが沸いた!「ご覧ください!なんてこった!レース途中棄権と思われたサンライザーとネズミハヤイDIIIとサイバギーが復帰!残念ながらサイバギーは脱落していくが、とにかくよくやった!そして見ろ!あのゲスト参加車両を!皆さん覚えているか!あの武装霊柩車を!」

「ワオオーッ!」「そうだ、あれはゲバタ・テルコのアリシアVだ!去年レースの大佳境において消息を絶ったゲバタ・テルコを我々は、」ビッグユージは目を泳がせた。そして祈るように言い切った。「我々は招聘!す、すべて予定通りだ!世捨て人めいて放浪していた彼女にリベンジの機会を与えた!」

「ワオオーッ!」「ユージ=サン?」アシスタントが囁いた。「そうだったんですか?」ユージはマイクオフ!「後は野となれ山となれッてンだよ!」マイクオン!「さあ、優勝者には凄まじいポイントが進呈される!これはキンキー=サンとフラストミチ=サンの英断だ!称えよう!」「ワオオーッ!」

「グルーヴしろ、お前達!」「ワオオーッ!」「奴ら最終直線、俺たちのスタジアムに向かって真っすぐ突き進むぜ!この命知らずのレミングども!よく生き残った!俺らの為によく戻った!称えよう!どいつもこいつもを!」「ワオオオーッ!」「飛び出したのは、嗚呼!アストロ・スターモンキー!」

「ワオオーッ!」「アストロ!アストロ・スターモンキー!来るぞ!だが……ああッ、ナムサン!段差につんのめる!トップスピードが仇か!横転だ!」「アーッ!」「そこへ出てくるのは……ナムサン!ぶつかり合って出て来たのはホット19と武装霊柩車ネズミハヤイDIII!」「ワオオーッ!」

「三日間に渡って死闘を繰り広げて来たこの二台!果たして最後の勝利を掴むのは……ああッ!真後ろから強烈な割り込みを掛けたのはカミマスター!なんたる!レイコの執念おそるべし!」「ワオオーッ!」「バランスを崩す!いけない!ホット19、対応しきれない!さ、更にそこへサンライザーだ!」

「アーッ!」「な、ナムサン……若さが響いたか……!サンダリイ・ライラ、カバーしきれなかったか!ホット19、側面を擦られフィギュアスケーターめいて高速スピンしつつコースアウト!何たる無慈悲な現実が待つ!」「アーッ!」「勝負は無慈悲!全員が各自の過去を持ち、負ければそれまでだ!」

「ナムサン!」「切り込んで来たのは……ゲバタ・テルコの武装霊柩車アリシアV!これは、これは凄まじい!サンライザーは決して譲らないぞ!もつれこむぞ!」「ワオオーッ!」「どうなる!カミマスター!ネズミハヤイ!このケオスを突き抜けるのは誰だ!括目せよ!」「ワオオーッ!」

 KRAASH!KRAAASH!KRAAAASH!サンライザーとアリシアVは側面衝突を繰り返し、徐々に速度を落とし始める。サンライザーの手の中から今年の優勝が離れ始める。だがサンライザーに焦りは無かった。彼は車越しにゲバタを見る。去年の勝負が終わっていない。彼自身の勝負だ。

「やれやれ、ならば望むところ」ゲバタは笑った。ネズミハヤイが遠くなる。「弟子に花を持たせてやるのもそう悪くない。そんなにこだわるのなら、よろしい、貴方と遊ぶとしましょう」「去年のイクサを終わらせるぞ、ゲバタ=サン!」ウォールルルルルル!側面に火花を散らしながら、どちらも拮抗!

 ネズミハヤイDIIIとカミマスターは彼らの前で競り合いを続ける。スタジアムが実際近い!「どうだ!テメェ!」レイコがデッドムーンにキツネサインを繰り出した。「俺という大輪の花を脳裏に焼き付けやがれ!このカミマスター……グワーッ!?」KBAM!黒煙を吐いていたボンネットが爆発!

「畜生動けーッ!」「メンテナンスは基本だぜ……」デッドムーンはカミマスターを抜き去った。トップでスタジアム・ゲートをくぐりエントリー!その右後方に影!デッドムーンはミラー越しにプラチナゴールドのヴィンテージ・スポーツカーを見た。サンライザー!「婆さん、ヤキが回ったかね」

「おだまり、ミフネ」後方、耳ざといゲバタからの短距離通信だ。「見届けてあげるから男を見せろ」「ハナからそのつもりだぜ、婆さん」最後のオーバル・コース!このスタジアムを一周した者の勝利だ!「ハッハハハハハ!」サンライザーは哄笑した。「ハハハハハ!」もはや言葉は要らぬのだ!

「ワオオーッ!ワオオーッ!ワオオーッ!」沸く客席!「来い!来るんだ!来い、サンライザー!来い!」ビッグユージはマイクにかじりついた。「お前は!凄い奴だ!」その後ろではキリング・マキがテーブルを蹴飛ばして退出!遠く離れた丘ではニンジャスレイヤーがサイサムライを殴り倒す!

「サンライザー!デッドムーン!勝者はどちらだーッ!」ビッグユージの絶叫が、横倒しのサイバギーの車載通信機から漏れ聞こえた。サイサムライはバック転を繰り出してカラテを構え直し、ドーシンは注意深く足を運んでニンジャスレイヤーを再び挟み撃ちの形に追い詰めた。

「貴様のせいで俺の獲得ギャランティは当然受けてしかるべき金額の一割すらも割った!」サイサムライは憎々しげに言った。「この損害をどうしてくれる!」ドーシンは補足する。「オヤブン……既にスタジアムにサンライザーが入りやがった……この場所から奴を殺す事ができる可能性は0%ですぜ」

「命を奪うゆえ、そうした皮算用は無意味となる!」ニンジャスレイヤーは言い放った。だが、その瞬間!KRA-TOOOM!遠い地点からの<主>の戦車砲撃が彼らを呑み込んだのだ!「「「グワーッ!」」」黒煙と粉塵が晴れると、そこには危うく連続側転回避を済ませたニンジャスレイヤーひとり!

 サイサムライとドーシンは回避が間に合わず、砲撃の藻屑と消えたのか?バカな!その時彼らは数十メートル離れた地点を足の裏のローラーを駆動させて高速移動中であった。「忌々しい奴め……ニンジャスレイヤー!」サイサムライは唸った。「次はリスクとリターンを噛み合わせ、命を獲る!」

「サンライザー!」「ネズミハヤイ!」「サンライザー!」「ネズミハヤイ!」スタジアムでは両者の名前を連呼する観客の叫びが巨大な波となってうねる!最後のカーブ……外側はネズミハヤイ……インを奪ったのはサンライザー……だがネズミハヤイは諦めない!食らいつく!ギャルルルルル!

 クロームシルバーとプラチナゴールドが衝突し……ビリヤードの球めいて互い違いの方向に弾かれた。スピンする車両がゴールラインを割った……「ワオオオオオーッ!」観客席が沸騰した。「しょ……勝者」ビッグユージは震え声を絞り出した。「勝者。ネズミハヤイDIII、デッドムーン=サン!」

「ワオオーッ!」「あらたな勝者の誕生だ。祝ってやれ!」彼は叫んだ。己自身にも向けた言葉であった。スキャンダルに、超高額優勝賞金の未回収。この後ハシリ・モノは、ユージはどうなる?考えても詮無い事だ。今はただ、優勝者と、戦い抜いたサンライザーとを、祝ってやらねば。

 様々なオリガミや紙テープが宙を舞う中、ビッグユージはキンキー・コウイチとフラストミチ・マレナを伴い、降りて行った。デッドムーンはネズミハヤイの車内、シートをめいっぱい倒し、そのまま動かずにいた。やがてドア窓がコツコツと叩かれた。四着で入って来たゲバタである。

「褒めてやろう、坊主」「大きくなったろ」デッドムーンは椅子にもたれたまま言った。「今じゃネクタイどころか、自分の靴ひもを自分で結ぶこともできる」「たいした成長ね」「これで安心してあの世に行けるか?婆さん」「アリシアの面倒を見られるのはアタシだけよ」「違いない」

「礼を言うわ、ミフネ」「何だい……」「助けてもらわなければ、そのままブザマな晩年を迎えるところだったからね。迷い道だなんて、いかにも締まらない」「礼なら俺じゃなく、アイツに言うといい」「イチロー=サンね」ゲバタはスタジアム外壁の上にうずくまる影を見上げた。「あのニンジャに」

 レイコはマイクを奪い、大言壮語の最中。「三位。それは突発的トラブル!運が無かっただけだ。実質俺の一位だ。来年はそれを証明してやる!」やがてデッドムーンは車外に降り立った。やや離れた地点に立つサンライザーと目が合った。

 腕組みして直立するサンライザーの表情は、被ったままのヘルメットの下で窺い知れない。だが、不意に彼はデッドムーンに向き直ると、厳かにオジギをした。ゲバタはそのオジギとデッドムーンとを見、片眉を動かした。デッドムーンは何か言おうとしたが、やがて、サンライザーにオジギを返した。

「出来た子ね」ゲバタは微笑んだ。デッドムーンは無言で肩をすくめて見せた。「さて。やる事やったんで、俺は帰る……そろそろ都会の空気に触れないと、耐えられない」「それは結構だこと」ニンジャスレイヤーの姿も、もはや無い。「アンタはこれからどうする」デッドムーンはゲバタに訊いた。

「ひとまず近くのオンセンでも探すわ。年寄りは久しぶりに思い切り走って疲れたからね……」「ああ、それがいい」「オタッシャデ」「婆さんもな」彼らがかわした言葉はそれだけだった。ゲバタ・テルコがアリシアVに乗り込み、そのままスタジアムから去るのを、デッドムーンは少しだけ見送った。


【フォロウ・ザ・コールド・ヒート・シマーズ】終



N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)

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フジサンの麓の樹海・荒野で、驚くべき巨大レース・イベント「ハシリ・モノ」が開催される。ニンジャスレイヤーは武装霊柩車乗りのデッドムーンに随行する事に。メイン著者はブラッドレー・ボンド。

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