【マグロ・サンダーボルト】
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【マグロ・サンダーボルト】
1
重金属酸性雨に濡れる灰色の電脳メガロシティ、ネオサイタマ。そこには、無数のスリリングな犯罪が息づく。誰もが違法行為と無縁ではいられない。郊外との境界線、パンキチ・ディストリクトの一角……このビルの地階にある雑然とした「トラタ・ハリマナカの運動機器とビデオの店」も例外ではない。
この二本柱で生計を立てるのは困難だったため、トラタ=サンはここで、密かに電脳麻薬や銃などの違法物品を販売している。「腹筋」「サンドバッグ」「安い」……ネオンカンバンが火花を散らす。ヤクザスラックスに無造作に拳銃を差し込んだ男がストリートを歩いてきた。彼は入口ドアに手をかけた。
男の名はアベ。まだ若く、地位はレッサーヤクザとグレーターヤクザの中間にある。彼は通りのオイラン・バーガーで目の保養をした後、化学的なワサビ・バーガーを買い、それをかじりながらやってきた。所属するヤクザクラン「サムライヘルム・オブ・デス」のために、ミカジメを取り立てに来たのだ。
アベのヤクザクランは地域密着型の堅実なビジネスを営んでおり、違法物品を流したり、庇護を約束する代わりに、定期的にカネを取り立てる。ネットワークとIRCが地表を覆い尽くした今でもなお、古参のヤクザクランは、江戸時代から続くこうしたフェイス・トゥ・フェイスの関係構築を尊ぶのだ。
「なあに、チョロい仕事だ」アベは心の中で独りごちた。この街で彼のヤクザクランに楯突く奴などいない。命を賭けたやりとりが生じるのは、外敵との抗争時、あるいはミカジメ客が切羽詰まった時だ。そんな時はたいてい兆候がある。兆候が見えたらクラン内に抱えた専門のトラブル解決屋に引き継ぐ。
アベは見通しの悪い店内を歩きながらふと将来を考えた。いずれは自分も、そのようなミッションを任されるだろう。危険だが、ソンケイを獲得するためだ。ソンケイは非常に難しい概念だ。目に見えない秘密のゲームスコアめいたものであり、テクノ・タントラ業者たちのカルマポイント制にも似ている。
すなわち、殺人ミッション等をこなし、ソンケイをたくさん獲得することで、クラン内の地位が上がる。すると、より偉大なドスダガーやサカズキを授かる事ができる。またソンケイをたくさん積んだグレーターヤクザは、内側からオーラめいた威厳を放つとさえいわれる。「まあ、俺もいつかは、な……」
だが、アベがソンケイを積む絶好の機会は、思ったより速くやってきた!彼が来店する数分前、潜水ヘルメットを連想させる揃いのサイバーヘルムと鉄パイプで武装した無軌道ヨタモノ四人が強盗に入り、トラタ=サンを脅していたからだ!「銃をよこせ!」「即座に銃をよこせ!」「アイエエエエエエ!」
彼らは、互いのサイバーヘルムや生体LAN端子を揃いの蛍光色LANケーブルによって直結したテクノギャング団の一種、サイバーチェインギャングである!「カネもよこせ!」「即座にカネもよこせ!」「アイエエエエエエ!」彼らは並列直結した人数分だけ自我が増大し、気が大きく、危険な存在だ!
「ガキどもザッケンナコラー!」BLAM!アベは大口径チャカ・ガンを1発、天井に向け発砲した。そして危険なヤクザスラングを店内に響き渡らせた。「ここがサムライヘルム・オブ・デス・クランの支配領域だと知ってんのかコラー!地の果てまで追い回して全員タマ・リバーに沈めるぞコラー!」
「「「「アイエッ!」」」」潜水ヘルムが彼を見た。不穏な静寂。IRC相談中。「今すぐ街から出てけ。そしたら見逃してやる。店で殺したら死体処理が面倒臭えんだッコラー!」「スミマセン!」「即座に出て行きます!」彼らはオジギし、去勢された犬めいて出口へ向かう。ソンケイの為せる技だ。
「ケッ、根性無しの他所モンが……」アベは銃を再びスラックスに無造作に差し込み、ワサビ・バーガーをかじり直した。「ありがてえ、助かったぜ、アベ=サン」サイバーサングラスをかけたトラタが立ち上がり、礼を言う。「商売だからな。で、そっちの商売はどうだよ?」「芳しくねえな」とトラタ。
「ハーン……。まあ久々に会ったし、商売の話は少し後回しにしようぜ。腹ごしらえも済ませてえ。あんたも、倒れた木人を直したり、閉店中カンバンを立てたり、色々あるだろ?」「ああ、そりゃそうだ」「じゃあ何かジュースあるか?オイラン・バーガーのセットは割高でよ」アベは和やかに笑った。
アベは供されたジンジャーエールのバリキドリンク割りを飲みながら、店内の製品を物珍しそうに見てまわる。「俺が店に来るなんざ、何年振りだ」「2年……?」「2年ねえ……」ワサビ・バーガーを胃に流し込み終わり、あとはジュースだけだ。「木人、この新しいの、殴ってみていいか?」「勿論」
木人に何発か軽くカラテした後、アベはまた勿体ぶるようにコップを持ち、ジュースを飲みながら、肩をいからせて店内を歩いた。客はもういない。アベはルームランナーを見つけ、その前でしゃがみ込む。「ルームランナーか。俺はルームランナーを見ると感傷的な気分になっちまうんだ」「何でだい」
「コンセプトが怖いだろ。終わりが無い。無限に走り続けるってのが、怖いんだよ。ルームランナーを見てると、いつも俺はマグロのことを考えちまうんだ」アベはサングラスを外し、まじまじと機器を見た。「マグロだって?一体どういう事なんだ、アベ=サン。ヤクザのあんたが怖いだなんて」
「マグロってのは、面白い魚なんだ。スシの原料になるだけじゃねえ。神秘的ストーリーがある」アベが言った。店内のBGMはちょうど、旧世紀の軽快なブギーへと切り変わった。「聞かせてもらえるかい」「ならちょっと、メン・タイくれよ」「お易い御用だ!」トラタはレジから錠剤を取ってきた。
トラタとアベは、レジ前のトレーニング相談テーブルに向かい合って座った。「知ってるか、あいつらいつも口を開けっ放しで泳ぐんだぜ」アベは巻き紙を舐めながらマグロについて語った。「その位、俺でも知ってるよ。よく立体カンバンで見るからな」冗談はやめてくれ、といった顔でトラタが笑う。
「待てよ、ここからが大事なんだぜトラタ=サン。マグロが口を開けっ放しで泳ぐ理由はな…あいつら、口を開けながら泳がないと、窒息して死んじまうんだ」アベは錠剤を手際良く砕き、タバコと混ぜながら語った。「そんな、まさか」トラタが笑う。「アベ=サン、じゃあマグロはいつ寝るんだよ!」
だがアベは笑わない。ジョークではなかった。トラタは自重するように口元を引き締めた。「泳ぎながら寝るらしいぜ」アベは粉と乾燥葉を混ぜた巻き紙をスティック状に丸め、咥えて火を点けた。「あいつら一生、時速100キロだかで泳ぎ続けるんだとよ。泳ぎ出したら止まらねえ。止まれねえのさ」
2
廃墟ビル内に濃霧めいた硝煙が立ちこめる。「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」右手にLAN直結型オートマチック拳銃、左手に大トロ粉末の入ったジュラルミンケースを持つ男が、息を切らしながら硝煙を抜けて現れた。「「「ザッケンナコラー!」」」姿見えぬクローンヤクザの怒声!追っ手である!
男は都市迷彩柄のサイバーコートにニットキャップ、サングラス。そして傍目には解らぬが、全身にサイバーギアを埋め込んでいる。右のサイバネアイが硝煙の先に人型を捕捉!「死ね!貴方!庶子!行け!貴方自身を前後しなさい!」BLAMBLAM!「アバーッ!」待ち構えるクローンヤクザを銃殺!
彼の名はラッキー・ジェイク。ネオサイタマ裏社会のチンケな賞金首だ。そして今日の彼はあまりラッキーではなかった。運びの仕事自体が、彼を捕えるためにヤクザクランが張った危険なトラップだったのだ!「クソ、弾切れかよ……!」彼は心の中で神を罵りながら、論理直結銃のマガジンを確認する。
「「「ワメッコラー!ワドルナッケングラー!」」」廃ビル内に、威圧的なクローンヤクザの怒号が響き渡る。戦力差は圧倒的であり、まともに戦っても勝ち目は無い。ついにラッキー・ジェイクは、シンカンセンでキョートに向かうことも叶わず、この異郷の地でブザマな死を遂げてしまうのであろうか?
(((どうした、ラッキー・ジェイク!このクソ仕事を回しやがったあの情報屋だけは許せないだろ。だから死ぬワケにゃいかない。考えろ……何か無いか……!)))彼は祈るような気持ちでクローンヤクザの死体をあらためた。その時、不意に、彼のサイバネが弱々しいバイタルサインをキャッチした。
それは本来ノイズとして除去されて当然のバイタル情報であった。だがラッキー・ジェイクはラッキーだった。彼は地上階の階段の下の暗い影で、壁に寄りかかって項垂れる、昏睡状態の浮浪者を見つけたのだ。ぼろぼろのトレンチコートにハンチング帽。所々に血の跡。横には安物スシとオチャの空容器。
この男は何者か。どのような経緯でここにいるのか。そのような事を考えている時間は、ラッキー・ジェイクには無かった。サイバネアイのスキャン情報がこの浮浪者めいた男について『すぐ死にます』と告げると、ジェイクのニューロンの中で激しいスパークが起こった。(((……ハレルーヤ!)))
ジェイクはこの哀れな男を目立つ場所に引きずり出し、コートと帽子を自分のものと交換し、サングラスをかけさせた。自分自身でも驚く程の手際の良さだった。細部にもこだわりを見せた。直結銃を握らせ、大トロ粉末ケースも置いた。上からクローンヤクザの死体を転がし、争った形跡すら生み出した。
男はまだ死んだように眠り続けていた。「「「スッゾコラー!」」」怒号が近づく。潮時だ。逃げ出そうとして、ジェイクは一旦思い止まり、戻ってきた。罪悪感を覚えたか?いや、違う。彼はケースを開け、粉末パックを自然な形で撒き散らすと、何個かポケットに仕舞った。そして改めて逃げだした。
きっかり1分後。ジェイクが上階に仕掛けたスモーク・トラップやヤマダ型ディスラプター・デコイに散々手こずらされた挙げ句、四人のクローンヤクザがこの階段下に到着した。そして銃殺されたクローンヤクザの死体と、そのすぐ近くで昏睡するジェイクらしき男を見つけたのだ。
一糸乱れぬ動きで、四人のクローンヤクザはジェイクらしき男を囲むように立ち、チャカガンの銃口を向け、四方向から見下ろした。起きる気配無し。無表情に互いの顔を見合わせた後、クローンヤクザは四つ子めいた動きで同時にIRCを送った「「「「ハシバ=サン、ジェイクを捕まえました」」」」
だがハシバから返信は無い。すぐ近くで死んでいるクローンヤクザの死体から流れ出た緑色の血が、赤く変わってコンクリートにしみ込んでゆく。四人のクローンヤクザはもう一度ゆっくりと互いの顔を見合わせてから、同時にIRCを送った。「「「「ハシバ=サン、ジェイクを捕まえました」」」」
廃ビル近くのヤクザベンツの助手席で、ハシバは道端の小さなトリイを見つめながら、ブルー・メン・タイ刻み入りの手製煙草を吹かしていた。彼の生体LAN端子には情報素子が差され、買ったばかりの電脳麻薬を試している。危険な合わせ技だ。「ハシバ=サン、着信です」と運転席のクローンヤクザ。
だがハシバはトリイの中に現れた、蛍光青の神秘的なグリッド幻影を見つめていた。果てしない飛翔感。ワープする宇宙船めいて、上下左右に編目模様が見える。左右には二匹のサイバーイルカが飛び、彼に語りかけた。「こんな事してると、ソンケイを失っちゃうよ」「大丈夫さ、時代は変わったんだ」
トリップ空間を飛翔するハシバは、微かな震動に気づいた。光沢ヤクザスーツのポケットに手を伸ばすと、IRC端末が震えていた。「ハシバ=サン、着信です」クローンヤクザが再び言った。「…おう」彼は頭を振ってトリップから復帰し、IRCを確認した。まだ頭の中ではイルカの声が鳴っている。
「ハシバ=サン……ジェイクを……捕まえました……」堕落したグレーターヤクザは、今しがた自分にあてられたIRCメッセージを確認した。「……おう、でかした。……例のブツを運ばせるから……手順通りセットしろ……」それから彼は運転席のクローンヤクザに、トランクを開けるよう指示した。
「……何……本当にジェイクか確認して欲しいだと……?ザッケンナコラー……」ハシバは舌打ちしながら、面倒くさそうにドアを蹴り開けて外に出た。「こいつらにはソンケイも何もあったもんじゃねえ……」「ハシバ=サン、準備完了です」運転席クローンヤクザは大型ケースを持って彼に続いた。
グレーターヤクザのハシバは、ドラッグ耐性についてかなりの自信を持っていたし、実際強かった。そんな彼でも、最近発見されたばかりのこの合わせ技は難敵だった。「ジェイクのクソが……。今日に限って捕まってんじゃねえよ……」彼は自覚しないまま、しばしば前のめりの不自然な姿勢で歩いた。
ハシバは廃ビルのシャッターを抜け現場に向かった。かつてハシバは、このような慢心やウカツとは無縁の男だった。だが死期間近と見られていた彼のクランのオヤブンが、半身サイバネ化とバイオ臓器移植により全盛期並の覇気を取り戻した時から、彼は将来への不安と地位への不満を抱き始めたのだ。
暗い回廊の上下左右に、蛍光グリッドがちらつく。「クソめ……」このまま科学技術が発達すれば、クランの上層部は不死身に近い存在となるだろう。脳情報の完全な複製とサイボーグ化が実現したら、どうなる?……クローン兵器技術実用化を知るハシバにとって、それは遠い未来の事とは思えない。
「「「「ドーモ、ハシバ=サン、ジェイクを捕まえました」」」」四人のクローンヤクザが同時にオジギして彼を出迎えた。「フゥーッ、奴はどこだ」ハシバは目覚まし代わりのZBR煙草を吹かしながら、コンクリート床で仰向けに昏睡するコートの男を見た。「……ああ、こいつはジェイクだろ……」
「やや人相が違うようですが」クローンヤクザの一人がしゃがみこみ、目を閉じて昏睡するジェイクらしき男のサングラスを外して見せた。「……ああ?」ハシバは気怠そうに凄んでから、クローンヤクザの横にしゃがみこんだ。「……いいか?サイバネ野郎はな、人相なんざ自由に変えれンだぞ……?」
「それに、大して人相も違わねえだろ……ふざけやがって……」未だ電脳ドラッグが残留するハシバの目には、周囲にいる連中が全員ローポリゴンに見えていた。「……見ろ、口の周りに盛大にトロ粉末だ。頭を殴られて気絶直前に……吸引しようとしたな、クソめ。こんな意地汚えのは、ジェイクだろ」
「「「「そうでしょうか」」」」部下が問う。ハシバは煙草を吹かし、幻覚を消し飛ばすと、立ち上がって睨みつけた。「ザッケンナコラー!……てめえらクローンに、人相なんざ判別できンのか、偉そうに…。こいつはジェイクだ。俺の内なるソンケイがそう告げてンだよ。てめえらには解んねえだろ」
「「「「ドーモスミマセン」」」」クローンヤクザたちは恐れ入ってオジギした。「とっととあのクソ装置を装着しろ」ハシバの中では、科学技術の進歩を恐れるハイテック・メガロマニア精神と、グレーターヤクザ特有の反骨精神が複雑にせめぎあう。2匹のサイバーイルカはそれを暗示しているのだ。
「装着します」大型ケースを運んできたクローンヤクザが、ジェイクらしき男の上半身を起こし、野球のキャッチャープロテクターめいた形状の装置を取り付けた。続いて、そこから伸びる合金製の強化ベルトが、背中でXの字にホールドされた。男はまだグッタリと昏睡していた。
「一発ZBRも注射しとけ……」ハシバは短くなった煙草を捨てると、クローンヤクザたちに後処理を任せ、一足先に車に戻って行った。また2匹のイルカたちに会うために。「……くだらねえ仕事だったぜ……」
10分後。サムライヘルム・オブ・デス・ヤクザクランの事務所がある、ヤクザビル最上階にて。
「ラッキー・マザーファッキン・ジェイクも遂に年貢の納め時だ!」半身をサイバネ化した組長イシイ・ウェイダは椅子に座り、大型モニタのひとつを見ながら愉快そうに高級葉巻を吹かした。そこには、残忍なる処刑装置を装着され廃ビルにひとり放置された、哀れなジェイクの昏睡姿が映っている。
その隣の大型モニタには、旧世紀の悪名高きバイオレント映画「タケシコップ・ヘルデッカー」の拷問シーンが映し出されている。イシイ・ウェイダは古い映画をこよなく愛好しており、野蛮で印象的な処刑方法を見つけては、それを敵対するクランの兵隊や裏切者への見せしめとして使う。残酷な男だ。
「ねえウェイダ=サン」横に座る若い美女が、ぼんやりと呟いた。イシイ・ウェイダの幼妻、イシイ・メリッサである。夫には気づかれていないが、彼女は新型電脳麻薬「イルカチャン」の愛好者でもある。「わたし、ジェイクの野郎がブザマに死ぬ所を見たいわ。それも、最高に笑える死に方がいいの」
「おう、メル=サン、見せてやろうじゃないか。憂鬱も吹っ飛ぶくらい笑えるやつをな。何個か用意しておいた中から、とびきりのを選んだ」イシイ・ウェイダは笑った。2年前に半身をサイバネ化した影響で、彼は葉巻の味をもう感じない。死の恐怖を克服した代わりに、彼は何か大切なものを失った。
「ボス、何か様子がおかしいです」室内のイミテーション竹林に潜んでいた男が、不意に姿を現して言った。体格のいい黒人だ。そして最も重要なのは、彼がニンジャ装束を着ている事だ。彼はウェイダの最側近であり、滅多な事ではこのヤクザビルから出ない。「……何がだ、ウィンドブラスト=サン」
ウィンドブラストと呼ばれたニンジャ装束の男は、丁寧にオジギしてから片膝をつき、モニタを指し示した。「奴はジェイクではありません」「……何だと?」ウェイダは驚き、再び画面を見た。すると信じられない事が起こっていた。ジェイクであるはずの男の体が、ニンジャ装束に包まれていたのだ!
「どういう事だ……!ニンジャ装束だと……?」ウェイダは手元のIRC機器を操作し、監視カメラ映像を逆回しした。どう見ても、この男は寝返りを打った時に、一瞬でニンジャ装束を生成したとしか思えなかった。そして、口元を覆う禍々しき「忍」「殺」のメンポを。
「ボス、こいつはニンジャです…」ウィンドブラストが言った。額には深い皺の谷ができ、脂汗が滲む。剣呑なアトモスフィアが室内を包んだ。メルには事態が把握できずニコニコとしていた。「…それも、ただのニンジャではない。ニンジャスレイヤーです。このメンポは特徴的で、すぐに解ります」
「ニンジャスレイヤーだと……?」ウェイダは怪訝な顔で葉巻を吹かし、その印象的な名前を反芻した。「ニンジャスレイヤー……。ネオサイタマの死神か!実在したのか!」ウェイダは今にも心臓発作を起こしそうな顔を作った。だがサイバネ化された彼の心臓は、ただ冷静に拍動し続けていた。
「……う……」ニンジャスレイヤーの呻き声が、ノイズ混じりで伝わる!おお……ナムサン!恐るべきカラテの怪物が、仮死状態の眠りから目覚めようとしているのだ!「……ボス、私も実在を疑っていましたが、奴は今でもアマクダリ脅威リストのトップに位置します」側近の声はわずかに震えていた。
「セクトに報告しますか」「バカ!こんなふざけた装置の事を報告できるか!」「ではハシバ=サンに殺させに」「殺せると思うか?」「もう無理でしょう、覚醒します」「失敗したらうちのクランが死神にバレるだろうが!」何たる極限状況!一瞬でも舵取りを誤れば、クラン崩壊の危機的状況である!
「ではどのように」ウィンドブラストが立て膝姿勢で命令を待つ。脂汗が床に滴る。彼はいかなる命令も受ける覚悟だ。彼は最も忠実な副官だ。「……おい、てめえも頭撃たれりゃ死ぬよな」ウェイダの声には力が戻っていた。忘れていたオーガニック脳内興奮物質が、彼のニューロンを澄み渡らせる!
「ハイ、死にます」側近は答えた。あの威厳に満ちたオヤブンの声が戻って来た。彼はそう感じていた。「……サイバネ野郎を殺せる爆弾なら、ニンジャも死ぬだろ」「ハイ、死ぬでしょう」「……いいか、あの死神を爆死させるぞ!始末できたらアマクダリに報告だ!」そしてマグロは泳ぎ始めたのだ!
3
『フユコ……トチノキ…』冷たいコンクリートのフートンに身を横たえ、ニンジャスレイヤーは悪夢を見ていた。彼の精神は今、暗黒の只中で燃え尽きるローソクの火めいて不確かだった。だが憎悪が……憎悪が再び彼に力を与え、その意識を傷だらけの肉体へと呼び戻すのだ。『…ニンジャ……殺すべし!』
偶然にも鼻孔から吸引されたトロ粉末と、クローンヤクザに注射されたZBRアドレナリンが化学反応を起こし、彼のニューロンを癒していた。ニンジャスレイヤーの片眼が開く。それはナラク・ニンジャの眼だ。ナラクは異状を察知し、警告を発した。『フジキド……!フジキドよ……目覚めよ……!』
「ここは……」両の瞳が黒へと戻り、開かれる。ニンジャスレイヤーはめまいを撥ねのけながら、上半身を起こした。刹那、水平感知システムが作動!BEEP音を発する!胸部に固定された大型赤色液晶LEDに「時速0km」「健康サイン」の文字が表示!ジゴクへと向かう死の遊戯が始まったのだ!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはカラテで固定具をねじ切らんとす。だがその直前、処刑装置は奥ゆかしい電子マイコ音声で自動アナウンスを行った。『オハヨウゴザイマスドスエ。装置の着脱、破壊、ハッキング行為、および電波の届かないエリアに向かうことはルール違反とみなされ、爆死ドスエ』
ナムアミダブツ!彼はとっさに、装置固定金属ベルトから手を離した。あと少しでも警告が遅ければ、ネオサイタマの死神はこの暗い廃ビルの一室で、ハイクを詠む暇すら無く、ブザマな死をとげていたであろう。彼は額に汗を滲ませ、ニンジャセンスを全方位に研ぎ澄ました。だが周囲に敵の気配はゼロ。
遠く離れたサムライヘルム・オブ・デス・クランのビルでも、イシイ・ウェイダが銀色の卓上マイクの前で、額に汗を滲ませていた。横に立つウィンドブラストがごくりと唾を呑む。「お目覚めのようだな、ニンジャスレイヤー=サン」ウェイダの声はIRCを介し、装置の胸部から電子音声で再生された。
イシイ・ウェイダの狙いは、アマクダリ・セクトが事態を察知する前に、ニンジャスレイヤーを爆死させることだ。だが爆破装置の遠隔アクティベートは、当然ながら不可能である。ゆえにまず、死神をこのゲームに引き込みマグロめいて走らせねばならない。ここが正念場なのだ。ウェイダが汗を拭った。
「オヌシ、何者だ。アマクダリか」死神は鉛めいて重い頭を抱え、立ち上がった。「君は質問する立場に無い。君が知るべきなのはルールだ」「ルールだと」『ウォーミングアップの開始ドスエ。時速5キロからドスエ。カラダニキヲツケテネ』電子マイコ音声がプログラムされた自動アナウンスを行った。
満身創痍のニンジャスレイヤーは歩き出し、そして、廃ビルの回廊を走り始めた。全力疾走時のスプリント・スタイルではない。拳を自然に握り脇を軽く締めた、マラソン・スタイルだ。長く過酷な戦いになるだろう。胸のLED液晶モニタに光るデジ数字が、5キロと6キロの間で小刻みに入れ替わった。
「ニンジャスレイヤー=サン!君は走り続けなければならない。マグロのように!ペースダウンした時、君はその装置もろとも爆死するのだ!」ウェイダの通信に熱が籠る。「…解除方法を言え」死神が問う。もっともな疑問だ。勝利条件を、生存の望みを与えねば、敵をゲームに引き込むことはできぬ。
ニンジャスレイヤーは廃ビルの出口へ向かって走りながら、答えを待った。「……勝利条件は、爆死前にコントロールルームへ到達し私を殺すか、あるいは24時間走り続けることだ」「オヌシは何処だ」「いずれヒントをやろう。まずは走り続けることだ!」居丈高な笑い声とともに通信は切断された。
『ペースアップの時間ドスエ。時速10キロドスエ』処刑装置が無慈悲なカウントアップを告げる。BEEP!BEEP!アラート音が発せられた。胸の液晶モニタの数字は6キロ。この状態が続けば爆死である!「ヌゥーッ……!」ニンジャスレイヤーは唸り声を上げながら、ペースアップを開始した。
未だ肉体が軋む。何故このような事態に陥ったのか。果たして敵は何者なのか。ニンジャスレイヤーは駆けながら、覚醒間もないニューロンの中で問うた。フジキドとナラクは過酷な戦いで精魂尽き果て、無人廃ビルの階段下で共に休眠状態に入っていた。ニンジャが接近すれば、察知できたかもしれぬ。
だが彼らは眠り続け、何者かの手で階段下から一室に運ばれていた。さらに薬物投与の上、処刑装置をつけられ放置されたのだ。殺そうと思えば殺せた筈。敵は己をいたぶり殺す気なのだ。ニンジャスレイヤーは姿見えぬ卑劣な敵に抗うように、シャッターをハードル競技めいて蹴破りスラムへ飛び出した。
冷たい重金属酸性雨が死神を出迎えた。『警告ドスエ。同じエリアに留まり続けた場合もルール違反とみなし、爆死ドスエ』電子マイコ音声が告げる。彼は無表情な殺戮者の目で走り続けた。スシを補給したい。だがウカツに動けば死。まずはルールに従い、この装置の全貌を解き明かさねば……!
「見たか……やったぞ!奴は終わりの無いゲームに足を突っ込んだ!絶対に勝利できぬゲームにな!」ウェイダは喉を鳴らし笑った!「ボス、完璧でした。奴は生存の望みがあると信じたでしょう」「あのメッセージはな、ジェイクのために考案していたものだ。咄嗟の出任せじゃあ、こうはいかねえ!」
「数時間後、目標速度は100キロを超える」「100キロ……!」ウィンドブラストは息を吐いた。仮に100キロで全力疾走中に爆発した時の破壊力は、運動エネルギーにより静止時の何倍にもなるだろう。ニンジャである彼すら戦慄させる処刑装置なのだ!「そして、24時間後には数百キロだ」
「数百キロ……!」ウィンドブラストは再び身震いし、息を吐いた。それは人類には……いや、たとえニンジャソウル憑依者の短距離スプリントであっても達成不可能と思われる、途方もない数値であった。「ボス、つまり24時間走り続けることは理論的に不可能…」「ああそうだ」ウェイダは笑った。
「では、もうひとつの条件は」「ハッキングをしねえ限り、この場所は割り出せねえ。だがハッキングを試みた途端に……KABOOOM!奴は腰から上が消し飛び、ブザマな死体を晒す」ウェイダは無慈悲な表情で葉巻を燻らせた。「楽しませてもらおうじゃねえか、ネオサイタマの死神とやら……!」
◆◆◆
……1時間後。室内にはサムライヘルム・オブ・デス・クラン内のグレーターヤクザ上位4名が呼び集められていた。皆、その額や掌をじっとりと汗ばませている。血で血を洗うヤクザクラン間抗争の開始にも匹敵するほどの、ただならぬ剣呑アトモスフィアが、場を支配している。
ウェイダたちは固唾を飲み、2×4に配列された大型モニタの映像を見つめている。処刑装置に内蔵されたカメラが爆殺目標の表情を下からとらえた映像。および足元をとらえた映像。さらには爆殺目標の現在地点マップ、および時速、心拍数、震動パターン、脈拍数、トータル歩数、体温、などだ。
「ウェイダ=サン、信じ難いデータです」この装置をプログラムしたクラン専属のハッカーが、己のハンドヘルドUNIXに示されたシミュレーション結果を見て顔を青ざめさせた。「勿体ぶるんじゃねえ、とっとと言え!」「アッハイ……や、奴は、覚醒後から急激に健康状態を回復しています……!」
実際その通りであった。長時間に及ぶ休眠から醒めたニンジャスレイヤーは、時速30キロで1回、さらに時速40キロで1回、スシデリバリー・バイクの背後を走り巧みに後部積荷のスシを奪い、これを摂取していたのだ。「し、信じ難いことですが、奴は24時間……走り切るやもしれません……!」
そして現在、ニンジャスレイヤーの走行スピードは時速45キロにも達している。「まだ慌てる時間じゃねえ……どの道、24時間もチンタラやってたら、アマクダリに察知されちまうからな」ウェイダは部下の顔を見渡してから、葉巻を吹かして言った。「爆殺シミュレーションの結果はどうなんだ?」
「これを見てください」ハッカーはモニタと直結した。ポリゴン演算された死神が、様々なパターンで映し出された。「静止時、走行時、数百キロ走行時、どの場合でも確実に爆死します」画面には爆発で腰から上を失った下半身が数百メートル走ってから倒れる、残忍な映像が映し出された。ナムサン!
「……いいか、てめえら。俺がこれから言い渡すのは、皿の上のスシを摘んで口に運ぶよりも簡単な仕事だ。奴を妨害すりゃいい、それだけだ」ウェイダは金装飾チャカ・ガンの銃口をニンジャスレイヤーの映像に向けながら言った。それが何を意味するかは、グレーターヤクザたちにとって明白だった。
「奴はケツに火のついた爆弾だ!俺たちもそうだ!アマクダリに目を付けられる前に始末してキンボシしかねえ!」ウェイダの目には狂気が宿り始めていた。「この野郎のせいでソウカイヤは崩壊し、うちのクランが持ってたネコソギ社の株券も一度紙クズになった!元を正せば全てこいつだ!殺せ!」
◆◆◆
……2時間後。ニンジャスレイヤーは死の持久走を続けていた。既に時速は60キロ。「ハァーッ……ハァーッ……ハァーッ……!」ゴールは見えぬ。敵本拠地も不明。回復速度とペースアップによる疲弊が拮抗する。ニンジャスレイヤーは汗を垂らしながら夜のメガロシティを駆けた!マグロのように!
「ザッケンナコラー!」前方廃倉庫の影に、ライフル銃を持った妨害クローンヤクザの姿!ニンジャスレイヤーはスナイパー暗視ゴーグルにも匹敵する精確さでそれを見抜いた!「イヤーッ!」疾走ペースを緩めずスリケン投擲!「グワーッ!」額に突き刺さりクローンヤクザ死亡!銃弾は足元を霞める!
「スッゾコラー!」前方大型トリイの影に、ライフル銃を持った妨害クローンヤクザの姿!ニンジャスレイヤーはスナイパー暗視ゴーグルにも匹敵する精確さでそれを見抜いた!「イヤーッ!」疾走ペースを緩めずスリケン投擲!「グワーッ!」額に突き刺さりクローンヤクザ死亡!銃弾は足元を霞める!
「「「「ダッテメッコラー!」」」」道路の前方を封鎖するように、チャカ・ガンを構えた妨害クローンヤクザの姿!BLAMBLAMBLAM!ニンジャスレイヤーはジグザクのスプリント走行で銃弾を回避しハードル競技めいて蹴り殺す!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
「ハァーッ……ハァーッ……ハァーッ…!」ニンジャスレイヤーは巧みな着地から、再びマラソン・スタイルで駆け始めた。失ったペースを取り戻すべく、カラテを振り絞る。一連の妨害行動は着実に彼の体力を奪っていた。足を止めて死体をあらためる余裕もない。敵本拠地に繋がる情報も得られない。
ようやく妨害第3波を突破した。ニンジャスレイヤーは汗を拭ってから、細心の注意を払い、違法改造IRC端末を取り出す。彼は処刑装置に内蔵された小型監視カメラに気取られぬよう、前方を向いたままIRC端末を操作し、ヤバイ級ハッカーにして協力者ナンシー・リーへと緊急アラートを送った。
それは幸いにも、わずか数秒でレスポンスを得た! #NSGOKUHI :YCNAN: ドーモ(OJIGI)、私の力が必要?||| #NSGOKUHI :MORITA: ドーモ。走り続けねば爆発する。そのような装置を取り付けられた。ウカツに動けば遠隔起爆されるだろう。端末操作も精一杯だ。
数十秒以上、返信は得られなかった。直結ハッカーのタイプ速度を鑑みれば、異常な長さの沈黙である。……無理からぬことだ。さしものナンシーも、この想定外の極限状況にいかに対処すべきか即座に判断できなかったのだ。ニンジャスレイヤーは返信を待ち、警戒を怠らず、カラテの力で走り続けた。
「ザッケンナコラー!」突如後方から黒塗りヤクザバンが猛追!BLAMBLAM!妨害クローンヤクザが窓から発砲。死神は咄嗟にIRC端末を仕舞うと、銃弾を左右に回避。アスファルトに火花が散る!ニンジャスレイヤーは並走状態に持ち込みスリケン投擲!「イヤーッ!」「グワーッ!」殺害!
「スッゾコラー!」大型カンバンの影に、ライフル銃を持った妨害クローンヤクザの姿!ニンジャスレイヤーはスナイパー暗視ゴーグルにも匹敵する精確さでそれを見抜いた!「イヤーッ!」疾走ペースを緩めずスリケン投擲!「グワーッ!」額に突き刺さりクローンヤクザ死亡!銃弾は足元をかすめる!
敵の気配無し。ニンジャスレイヤーはマラソン・スタイルに戻り、IRC端末を取り出す。そこにはナンシーからの質問が溢れていた。音声通信ができれば話が早い。だがそれでは、動きが全て敵にツツヌケとなる。IRC端末操作を行っている事すら、目撃されるのは危険だ。死神の眉間を脂汗が伝う。
「ハァーッ……ハァーッ……ハァーッ…!」ニンジャスレイヤーは顔を前方に向けたまま走り、視界の端にちらりと右手のIRC端末画面をとらえ、操作した。装置の詳細をナンシーに伝えた。新たな行動を起こす時は、何もかも綱渡りだ。マインスイーパー班めいた繊細さと大胆さが同時に要求される。
#NSGOKUHI :YCNAN:情報の不足。音声通信は危険。今その装置とIRC端末をLAN直結できる?|||#NSGOKUHI:MORITA:ハッキングは即座に爆発と告げられた。|||#NSGOKUHI:YCNAN:様子見だけよ。それで爆発するなら、どの道、打つ手は無し。
ニンジャスレイヤーは装置の表面を撫で、感触だけでLAN直結端子を必死に探りあてた。(((可能だ……)))では直結すべきか否か。開始から3時間強で、既に平均時速は65キロに達そうとしている。果たして24時間後にどれほどの速度に達しているか…。彼はごくりと唾を呑み、意を決した!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは目にも留まらぬ早業で、IRC端末と装置をケーブル直結した。その動きはコントロール室や妨害クローンヤクザに察知されず、また装置から警告BEEP音も鳴らない。タツジン!成功である。彼らは悪魔のUNIX爆殺装置を解除する最初の関門を突破したのだ!
0101110111……ナンシーの論理肉体は7つのトリイ・ゲートウェイを超高速で飛翔して抜け、IRCコトダマ空間にダイブした。そして装置の制御システムに辿り着く。電子空間に浮かぶ彼女の前にイメージ化されたのは、システムを守るように旋回しながら泳ぐ無数のマグロの群れであった。
厄介な仕様だ。マグロ群体は球状に泳ぎ、システムへの侵入を許さない。突破を試みようとすれば、ハッキング行為として装置に感知される。 #NSGOKUHI :YCNAN:頭が痛いわ。少なくとも、制御システムのレスポンスを上回るタイプ速度が必要よ。リモートでは無理。物理直結しかない。
装置との物理直結。それは即ち、ナンシー・リーがニンジャスレイヤーと高速並走する必要性を意味していた。しかも単純なUNIX電子制御ではない。仕様も知れぬ、オーダーメイドの機械制御をハッキングする必要がある。空中給油じみたシチュエイションだ。しかも敵から見咎められてはならない。
#NSGOKUHI :YCNAN: しばらく潜って、何か手を考えてみるわ。||| ナンシーからの返信を確認する猶予は、ニンジャスレイヤーにはなかった。「スッゾコラー!」グレーターヤクザの運転する所属不明のバイオスモトリ輸送トレーラーが突如彼を追い抜き、中の積荷を転がしたのだ!
「アイエエエエエエエ!」哀れなバイオスモトリたちがアスファルトに叩き付けられ、丸太めいて跳ねながら転がってくる!何たる卑劣な妨害トラップか!「イヤーッ!イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは連続ジャンプでこれを回避!後方に無惨な落下事故死体を残し、死神は夜のネオサイタマを駆けた!
4
「ザッケンナコラー!クソ野郎め、また失敗しやがった!しかも派手に失敗しやがって!」ウェイダはサイバネ腕をヤクザデスクに叩きつけた。彼の怒りは収まらず、金装飾チャカ・ガンの銃口を、グレーターヤクザのオチダの口に捩じ込む。「てめえら、何でこんな単純な事ができねえんだ!エエッ!?」
「その目は何だ、オチダテメッコラー!?」「モゴッ、モゴーッ!」「クローンヤクザを無駄に浪費しやがってコラー!何か言いたい事があんのかコラー!」ウェイダの怒りは凄まじい。白い頭髪と髭が逆立たんとする勢いである。「走り続けにゃ死ぬ奴の足を狙って、銃弾ブチ込むだけだろうがコラー!」
「し、しかし奴はニンジャです!」乱暴に銃を引き抜かれたオチダが言った。「ニンジャだと思うから殺せねえんだコラー!マグロだと思って殺せコラー!脚を撃つだけだろうがコラー!」BLAMN!ウェイダの銃弾がオチダの脛を撃ち抜く!「アイエエエ!」室内の緊張感を高める見せしめ残虐行為だ!
「銃弾が無理なら何でもいい!あの野郎をペースダウンさせるか、衰弱させろ!」ウェイダは全盛期の抗争時代を思わせる鬼気迫る表情で、他のグレーターヤクザ全員に銃口を向け、睨みつけた。かつてたった一人でマン・オブ・ウォー・ヤクザクラン幹部を皆殺しにした残虐性は、今なお伝説的だ。
「いいか!もう5時間近く経過してんだ!後がねえんだぞ!俺はいま、信用できる同盟クランの連中に声をかけてる!」「「「ハイ!」」」「クランの構成員全員から、今月のミカジメ・フィーを先行徴収しろ!」「「「ハイ!」」」「そのカネも全てクローンヤクザと装甲リムジンとチャカに突っ込む!」
室内にウィンドブラストの姿は無い。ウェイダは既に最後の切札を死神抹殺のために放ち、待機させているのだ。この札を使う勝負所を見誤ってはならぬ。だがこのゲームに勝利するには、冷静な戦略性と同時に、クラン構成員を狂気で突き動かすカリスマヤクザ暴力が必要なのだ!有無を言わさぬ暴力が!
「いいか、この戦いに勝てば、サムライヘルム・オブ・デス・ヤクザクランの名が裏社会に轟き渡る!殺せ!死神を殺せ!奴を殺した野郎が俺の跡目だ!」「「「ヨロコンデー!」」」ウェイダの内側から溢れ出す暴力オーラ存在感、あるいはソンケイに打たれ、グレーターヤクザたちは深々とオジギした!
おお、ナムアミダブツ!ニンジャスレイヤー爆殺にかける何たる執念!同じ頃、数々の妨害に耐えながら平均時速90キロで走るネオサイタマの死神も、この装置を生み出した男の狂気的執念を改めて感じ取っていた。複雑なレイヤを何層にも介しているが、これはもはや一人の男と男の執念の戦いなのだ!
イシイ・ウェイダは銀色の卓上マイクの前に座り、額の汗を拭った。「ニンジャスレイヤー=サン、これまではほんの小手調べだ。だが、まだまだ夜は長い。……楽しませてもらうとしよう!」そして勝利不可能なはずのゲームに挑み続けるネオサイタマの死神に対して、再び宣戦布告を行ったのだ。
「ハァーッ…ハァーッ……ハァーッ…ハァーッ…!」ニンジャスレイヤーの息は粗く、時折苦しげに眉根を寄せる。持久走に特化すべく、両脚はすでに感覚を失い、別な生物の如く自動的に動き続けている。ナンシーが給水ポイントめいて配置した応急キットを拾い、彼は急場を凌いだが、長くは持つまい。
「「「ワドルナッケングラー!」」」左右からリムジンに乗った妨害クローンヤクザが接近!射撃!BRATATATA!「イヤーッ!」死神はスプリントと一瞬のペースダウンで緩急をつけ回避!スリケン投擲殺!「「「グワーッ!」」」だがこれは苦しい!急激なペースアップダウンは持久力を奪う!
200メートル後方、獲物の血の匂いを追う獰猛な鮫めいて、ウィンドブラストが乗る装甲ヤクザベンツがなめらかに走る。ニンジャ同士の戦闘となれば、確実にアマクダリの目を引くだろう。失敗は許されぬ。彼は険しい表情で腕を組み、前方の死神と各種データを交互に見ながら、出撃命令を待った!
一方その頃、パンキチ・ディストリクトに隠された、サムライヘルム・オブ・デス・ヤクザクランの電脳麻薬製造工場では。
「キューン!キューン!」イケスめいた薄汚い水槽の中に浮かぶイルカ。頭部からは何本ものチューブが伸びる。こうして抽出されたデータが、電脳麻薬の素材に用いられ、無辜なる市民を破滅へと導くのだ。「キューン!」誰かが水槽の横を通るたび、イルカは懇願するようにヤクザやハッカーを見る!
「ハシバ=サン、ハシバ=サン」薄汚い合成レザー前掛けをかけ、頭の右半分をサイバネ改造したハッカーが、ソファに座って電脳トリップするハシバを揺らした。「……何だ……うるせえな……」彼は焦点の合わない目で立ち上がり、ハッカーの胸ぐらを掴む。「アイエエエエ……!ア、IRCです!」
「IRC……」ハシバはポケットの中で震動し続けていたIRC端末を取り出した。表示されたメッセージを見て、彼の電脳トリップは一発で吹き飛んだ。ジェイクを始末して、今日の彼の業務は終了したはずだった。だがこの数時間のうちに、組長イシイ・ウェイダからの通信が何度も入っていたのだ!
「ドーモ、ハシバです」「ハシバテメッコラー!」ウェイダの痛烈な怒声が浴びせられる!ただならぬ事態だ!だが何を言っているのかは、ハシバには理解し難かった。彼が装置をセットしたのはジェイクではない?ニンジャスレイヤー?戦争?「…ファック?」ハシバは混乱し一旦IRC端末を切った。
直後、ハシバは、自らが置かれた立場の危険さだけを認識する!「オゴーッ!」くずおれ嘔吐!全身が氷のように冷たくなり、凄まじい吐き気と緊張感がハシバを襲う!「オイ、どうなってんだ」彼はまだ左右に浮かんで見えるサイバーイルカに語りかける!「オイ、あれは確かにジェイクだったよな?」
『サイバネに溢れたこの世界で、ジェイクかどうかを精確に定義するのは難しいね』「じゃあどうすんだ」『ソンケイを信じるんだ』「つまり俺が奴をジェイクだと認識した事が重要なわけだろ」『そうさ』『彼が俺はジェイクじゃないって言っても、彼自身にそれは証明できないんだ』「そうだよな!」
ハシバは……おお、その電脳麻薬逃避者は、再びIRC着信を取った。「ハシバテメッコラー!」「ウェイダ=サン。ブッダに誓って、俺はマジでジェイクの野郎を捕えて、あのクソ装置を取り付けたんです」「ケジメ逃れの方便かコラー!開き直ってんじゃねえぞテメッコラー!何がクソ装置だコラー!」
「ウェイダ=サン、いいですか、落ち着いて。怒りはもっともです」ハシバは左耳に端末を当て、右手で小さくチョップを行い、自らを説得するように言った。「でも俺はマジでジェイクを捕えたんですよ。それが一瞬でニンジャスレイヤーだかになった?つまり、こうだ、ジェイクがニンジャスレイヤー」
「ラリッてんじゃねえだろなハシバテメッコラー!いいからとっとと事務所出てこいテッメコラー!」ウェイダは受話器を叩きつけ通信を切断した。「フゥーム……」ハシバは深い息を吐き、クソのような一日を反芻し、思案した。そして小刻みに震えながら、口元を押さえた。「やべえな、チクショウ」
ハシバはZBR煙草を吹かし、座り込んで思案した。「やっぱり直結はすごくアブナイだったのでは?」ハッカーが案ずる。直後、ZBRがスパークした。「やべえぞ!」ハシバは目を大きく見開くと、ハッカーを突き飛ばして走り出した!そして施設の裏に停めた私物のヤクザカマロを急発進させた!
「あの剣幕は、ただ事じゃねえぞ!」冷たい夜風が、ハシバの顔を引き締める。ハンドルを握ってスピードを出すと、さらに頭が冴え渡ってきた!「ジェイクが偽物だってんなら、俺に最初に命令すべきは……ハシバてめえ!本物のラッキー・マザーファッキン・ジェイクを捕まえて来い!そうだろ?!」
車は時速90キロを超え、スラム街交差点を危険なドリフトカーブ!「なのに何だ?ジェイクなんざもうどうでもいいような口ぶりだ!」『別の事で怒ってるんじゃないの?』『欲求不満なメル=サンの気を引こうとして電脳麻薬を渡してたのがバレちゃったのかな?』サイバーイルカの声が脳内に響く。
「ンアーッ!」同じ頃、邪魔なのでモニタ室から追い出されたイシダ・メリッサは、バスタブに蛍光ブルーのサイバージェルを入れ、脳内インストールした電脳麻薬でトリップしながら身悶えしていた。そしてIRC端末を操作する。「ブルー・メン・タイ、切れた……。ハシバの野郎に……連絡しないと」
「ファック!俺を誘う罠か!?解ったぞ、完全に解った!」ハシバは急カーブを決めながら、メルからの不可解なタイミングでの着信を拒否した。「ウェイダ=サンは狂って、俺を消すつもりだ!家に戻ってみろ!クローンヤクザが俺を御出迎えで、俺が次にあのクソ装置を括り付けられるって寸法か!」
ギャギャギャギャ!逃走用資金を調達するために自宅へ向かっていたヤクザカマロは、反対車線へと危険なドリフトカーブ!「おい、アベ」ハシバはIRCで部下を呼び出す!「ドーモ、ハシバ=サン」「ビジネスはどうだ」「芳しくないです」「そうか、てめえ、いま何処だ」「ルームランナーの店です」
「あそこか、悪くねえな」ハシバは頷きながらアクセルを踏み込む。「てめえに五年払いで300万貸してたろ」「ハイ」「利子つける代わりに返済延長してたよな」「ハイ」「あれな、今日返せ。今取りに行くから、用意しとけ」「無茶ですよ!」「無茶ですよじゃねんだコラー!誠意見せろコラー!」
「ファック……何が起こってやがる……」アベは切断されたIRC端末を見ながら、掌に脂汗を滲ませた。ハシバの剣幕は異常だ。何かがおかしい。先程も別件で、クランの総合IRCチャネルを介し、ミカジメを先行振込するよう緊急指示が来たばかりだ。だが彼の如きレッサーヤクザに全貌は見えぬ。
アベはハシバを尊敬していた。むろん、昨今の彼が己の将来を憂いて電脳麻薬の罠にはまっていた事など、アベには知る由もない。かつてハシバは慢心やウカツとは無縁の偉大なグレーターヤクザであり、ソンケイとは何かを自ら体現し、裏社会に足を踏み入れたばかりのアベの面倒を見てやったものだ。
確かなのは、カネが必要な事、そして自分のケツにも火がついている事だ。「トラタテメッコラー!」アベは肩をいからせて店内を歩き、客と暢気にIRC通話する店主を見つけて怒鳴った。導火線がバチバチと音と立てている。アベは今月のミカジメを全く徴収できていない。いわんや300万をや!
アベの怒りは爆発寸前だった。3分前、彼はバーガーを食し終え、ジョークまじりで手製巻き煙草を吸い終えた後、一転、ヤクザスラングを浴びせトラタを震え上がらせた。ナメた態度を取る相手に対し恐怖を刷り込む、典型的なヤクザ・メソッドを使ったのだ。だがそこへハシバの着信が入り中断した。
「俺とIRCどっちが大切だコラー!」アベはトラタの胸ぐらを掴んだ!トラタは受話器に手で蓋をしながら呻いた!「き、聞いてくれ、アベ=サン。デカい仕事だ!マジだ!ついに俺の努力が報われる時が来たんだ!裏の仕事じゃないんだ!最高級ルームランナーを至急買いたいって女がいるんだ!」
「ゲホゲホッ!その女のトレーラーが店の前に来る!積んでセッティングしたら手間賃込みで200万だ!ヤッタ!ミカジメもこれで払える!な!?」「200万だと?」アベは耳を疑った。話がウマ過ぎる。違法店を摘発するマッポの罠では?だが何故マッポがルームランナーを?「……俺に代われ!」
「ドーモ、あんた、なんでこんな夜中にルームランナーが今すぐ必要なんだ」アベは警戒を怠らぬまま、IRC音声通話を行った。「貴方のビジネスじゃないでしょ。私は今すぐルームランナーが欲しいだけよ。信用できないなら前金を振り込むわ。10秒以内に返事をして。ノーなら切るわ」女の声だ。
(((この女はマッポじゃねえ)))内なるソンケイがアベに告げた。(((そして何者かは解らねえが、この女はファッキン・シリアスだ。マジで即座にルームランナーを手に入れる覚悟だ。そうしねえと自分が死んじまうかのようなシリアスさだ)))アベは感服した。売ってやろう、と結論づけた。
「切るわよ」「300万だ」「いいわ」「100万前金で振り込んでくれ」「いいわ」100万円が即座にトラタ・ハリマナカの運動機器とビデオの店に振り込まれた。キーを連打してUNIX画面を睨み、冷や汗を垂らしながら、トラタがアベに無言で頷いた。「よし、何時に来るんだ?」「3分後よ」
実際3分後、謎のコーカソイド女を助手席に乗せた冷凍マグロ運搬小型トレーラーが、アスファルトに火の跡を刻むほどのカーブを決めて到着した。急き立てられたアベとトラタは息を切らしながら最高級ルームランナーを運び、がらんどうの暗いコンテナ内に積み上げ、設置し、スタンバイ状態にした。
そして200万が振り込まれた。「ハァーッ、ハァーッ……なあ、あんた、何者だい?」黒いヤクザシャツを汗だくにして道路に座り込むアベが、サングラスを外し、そのクールな女に声をかけた。だがトレーラーは既に急発進し、決戦のパンキチ・ハイウェイへと向かう道路を走り始めていたのだった。
5
夜のパンキチ・ハイウェイ。しばし重金属酸性雨は止み、嵐の前の静けさのごとき様相を呈する。卑劣なる爆弾を装着されたニンジャスレイヤーは、時速100キロにも迫らんとする勢いで、死のマラソンを続けていた。
「フゥーッ……ハッ、フゥーッ……ハッ!」ニンジャ装束に身を包んだウィンドブラストは、装甲ヤクザベンツの後部座席にザゼンし、独特な呼吸法で精神統一をはかる。前方200メートルを走る死神の後ろ姿を、彼は睨んだ。(((ニンジャスレイヤー=サン、貴様をアノヨへ送ってやるぞ……!)))
「高周波部品」「ワンナワー」「錦鯉」「優先買取」「INOUE」……既視感のあるネオン看板群が、中央分離帯で虚しく輝く。それはウィンドブラストのニューロンに働きかけ、レッサーヤクザ時代の殺人クエストの緊張感と、不確かな光景をフラッシュバックさせた。夜、雨、銃声、火花、血の臭い。
(((奴は……まさか24時間走破することさえ視野に入れているのか?)))脂汗が滴る。ウィンドブラストは車内UNIXコンソールを見ながら、逸る気持ちを抑え、命令を奥ゆかしく待った。(((ボス、俺はいつでもやれます)))死神との交戦チャンスは一度きりだろう。仕損ずれば、彼は死ぬ。
一方、ヤクザクランの事務所では、ウェイダ、グレーターヤクザ、ハッカーが、固唾を呑んで大型モニタを凝視する。死神に装着された装置は、現在の走行位置を告げ、ハッカーが進路予測を行う。この速度を維持し続けられる場所は限られており、時間が経過するほど走行ルート予測は容易になるのだ。
だがそれはアマクダリに察知される可能性が増す事をも意味する。いつウィンドブラストという切り札を使うべきか?ウェイダはチャを啜り、虎の如く唸った。「十数分で立体交差頻発エリアです!」ハッカーが眼鏡を直し高速タイプを続けた。「別ハイウェイに飛び移られると物理追跡が途切れます!」
「バイタル情報はどうだ?奴は何時間持つ?」ウェイダが問う。クランが持つ即時使用可能マネー、すなわち銃弾の残数は、決して無限ではない。「未知数です」ハッカーが返す。「ウ、ウェイダ=サン……見て下さい」床に座り込んだオチダが、大型モニタのひとつを指し示した。「何だ、オチダ=サン」
「ターゲットの顎が、微妙ですが、時折上がるようになってきました。奴はこたえてやがる。危険な状態が近い」オチダは、走行妨害失敗で失ったオナーを取り戻すため、命を賭けた進言を行ったのだ。「俺にはフルマラソンの経験があります。今が奴を殺るチャンスです。間違いならセプクする覚悟です」
「ヌゥーッ…」ウェイダは腕を組み、唸った。ここまで廉価版クローンヤクザY-14L部隊、パチンコ玉、オイル、車両止め、動物、ガスなどの卑劣な手段を用い、死神の体力を削ってきた。この先の中央分離帯には、クラン内で最高の狙撃スキルを持つグレーターヤクザが潜伏している。…勝負の時だ!
「いいか、この先の狙撃が最後のトラップだ!そこを超えられたら、攻撃を仕掛けろ!」ウェイダからの命令だ。「ボス、了解です」ニンジャは前方を睨み、ゆっくり息を吐く。「奴を殺せるか!?」「殺せます」「殺せ!ウィンドブラスト=サン!殺せ!クランの名誉が、てめえの双肩にかかってる!」
「ヨロコンデー!」ウィンドブラストは再び呼吸法を行いながら、車載UNIXコンソールを操作し、高揚感に溢れる旧世紀のサーフミュージックを再生した。これはレッサーヤクザ時代からの彼のジンクスだ。これは誰かを殺す時の曲なのだ。そして今夜、彼はニンジャスレイヤーを殺さねばならぬ!
BLAM!狙撃ライフルの銃声が夜のパンキチ・ハイウェイに轟いた。それはニンジャスレイヤーの腿をかすめ、スプレーガスめいた血飛沫を噴出させしめた。だが中央分離帯カンバンに隠れたアンジョに、二発目を撃つ余裕は無かった。ニンジャスレイヤーのスリケンが、額に突き刺さっていたからだ。
「ハァーッ……ハァーッ…!…ハァーッ!」ニンジャスレイヤーは腿へのダメージを認めながらも、走行バランスを保ち、駆けた。彼は中央分離帯で死体を晒す狙撃ヤクザの横を通過しながら、ニンジャ動体視力を駆使し、敵組織の正体に繋がるヒントを探る。だがヤクザバッジもタトゥーも確認できない。
走行速度が増すほど機動力は制限され、敵は狙撃精度を増すだろう。いかな超特急エクスプレスでも、前方レール上から運転手を狙撃するのは、さほど難しくない。持久戦はジリー・プアーだ。…死神がIRC端末に手を伸ばしかけた時、後方から装甲ヤクザベンツが猛然たるスピードで追い上げてきた!
装甲ヤクザベンツは、抜かりなく1車線空け、赤黒の死神のやや斜め後方位置で高速並走した。そのルーフの上には、焦茶色のニンジャ装束を纏った男が、殺意に満ちた目で死神を睨む。驚異的なバランス感覚である。「ドーモ、ウィンドブラストです」そのニンジャは腰だめ姿勢でアイサツを決めた。
「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」死神は走り続けながら首をひねり、前方から右斜めやや後方へと視線を移してアイサツを決めた。「遂に…ニンジャの……お出ましか。洗いざらい……吐いてもらおう」やや息が乱れる!「その必要はないぞ、ニンジャスレイヤー=サン!ここが貴様のオブツダンだ!」
両者は直ちには仕掛けぬ。サバンナで遭遇した二匹の猛獣めいて睨み合ったまま、ハイウェイを並走しながら睨み合う。眉間を伝う汗。「フゥーッ……ハッ、フゥーッ……ハッ!」ウィンドブラストは姿勢を微調整し、呼吸を整えた。彼は車上から必殺のブラスト・トビゲリを繰り出す好機を狙っている!
(((車線移動でかわすか?間に合うまい。跳躍か?俺のトビゲリが生み出すブラスト波動によってバランスを崩し死ぬ)))ウィンドブラストは汗を拭う。(((奴の生存選択肢は一瞬の減速か、一瞬の加速のみ。どちらだ、どちらに動く、ニンジャスレイヤー=サン!)))睨み合いと無言の心理戦!
(((もう少し前に出せ、もう少しだ……!)))彼は腰だめ姿勢を保ちながら運転ヤクザにIRCを飛ばす。トビゲリのための角度を調整しているのだ。死神は無言で相手を睨み続けた。時速100キロで走行する車上からのトビゲリは極めて危険だ。パンキチ・ハイウェイに爆発寸前のカラテが漲る!
(((愚かなりフジキドよ……奴のソウルはカゼニンジャ・クラン……あれは超自然の突風を生み出すブラスト・トビゲリの準備動作に相違無し!)))ニンジャスレイヤーの脳裏にナラクの声が響く。(((対抗策は、一瞬の加速か一瞬の減速のみと知れ……!)))直後、敵は遂に、ルーフを蹴った!
「ヒサツ・ワザ!イイイヤアアアーッ!」装甲車のルーフに足型が残るほどの凄まじい踏み込みとともに、ウィンドブラストは斜め前方へとトビゲリを撃ち込んだ!何たるカラテ!彼の全身をエメラルド色のニンジャオーラが包み込み、それが超自然の突風となって攻撃範囲を増すのだ!ナムアミダブツ!
「ヒサツ・ワザ!イイイヤアアアーッ!」装甲車のルーフに足型が残るほどの凄まじい踏み込みとともに、ウィンドブラストは斜め前方へとトビゲリを撃ち込んだ!何たるカラテ!彼の全身をエメラルド色のニンジャオーラが包み込み、それが超自然の突風となって攻撃範囲を増すのだ!ナムアミダブツ!
だが…手応え無し!敵は加速すると読んだウィンドブラストは、甘かった。死神は確かに加速した。だがその瞬発力は、彼の想像を超えるスピードを生み出したのだ。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはカラテを振り絞り、スプリント回避!超自然の突風が彼のワン・インチ背後を吹き抜ける。紙一重!
だがウィンドブラストには二段構えの作戦があった。敵のいた場所をトビゲリ通過した彼は、着地から勢いを殺さず、そのままハイウェイを時速100キロで斜めにスプリント!道路端の防音フェンスを蹴り、ピンボールめいた角度で跳ね返ると、再びブラスト・トビゲリを撃ったのだ!「イヤーッ!」
「イヤーッ!」だが再びニンジャスレイヤーが読み勝つ。極限状態の心理戦を何度も潜り抜けてきたネオサイタマの死神は、次は急減速でこれを回避したのだ!それでも超自然の風圧により僅かによろめくニンジャスレイヤー。ナムサン!直撃していれば間違いなく転倒し、爆発死していたであろう。
だが時速計は…果たして大丈夫なのか!?いま彼の胸の赤色LEDは、辛うじて100キロを表示していた。急加速によって稼いだ速度が平均化され、60キロ台の急減速を可能にしたのだ!「イヤーッ!」ウィンドブラストは前転着地。隣の車線を100キロで並走し、一か八かのカラテを挑みかかる!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」二者は下半身をマラソン・スタイルで固定したまま上半身だけを横に捻り、二脚歩行戦車の戦闘めいて凄まじいカラテ応酬を開始した!高速戦闘を得意とするウィンドブラストは、一歩も退かぬ!「死ね!ニンジャスレイヤー=サン!死ね!」
その頃ナンシーを乗せたトレーラーは、ニンジャスレイヤーと合流すべくパンキチ・ハイウェイをひた走っていた。「お願い、応答して……!ここで合流に失敗したらもうチャンスは無いの……!」コンテナ内、最高級ルームランナーの横でIRCを睨みながら、合流地点までのカウントダウンを行う。
「まだIRC応答はないのか?」運転席からバリトンボイスの通信音声。運転手のデッドムーンだ。「無いわ」ナンシーが答える。「敵と交戦中なのかもしれない。このコンテナはもちろん、IRC端末での連絡すら、悟られてはならないのよ。この作戦が露見したら……即座に遠隔爆破を起動されるわ」
一方、サムライヘルム・オブ・デス・ヤクザクランの事務所では、全員が表情を凍りつかせていた。アマクダリからのIRC通信が入ったからだ。「あと少し…あと少しというところで!」「ウェイダ=サン、どうすンですか」「…一度無視だ。ウィンドブラストにゃ知らせるな。あいつの勝利に賭ける!」
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」二人のニンジャは、連続カラテパンチと、円を描くようなジュー・ジツ受け流しを駆使し戦う。だがワザマエは死神が格段に上である。「イヤーッ!」不利と見たウィンドブラストは横から肩をぶつけ、形振り構わぬ走行妨害チャージに出た!
「ヌゥーッ……」ニンジャスレイヤーがよろめく。胸のLEDモニタの数字が減り、死のカウントダウンを開始する。彼は両脚にカラテを注ぎ込んで辛くも復帰し、ウィンドブラストに対して勢いよく肩をぶつけた。危険行為だ!「イヤーッ!」「グワーッ!」中央分離帯側によろめくウィンドブラスト!
「殺れ!死神を殺せ!転倒させろ!あと少しだ!」ウェイダはサイバネ拳を握り、己の側近へモニタ越しに檄を飛ばした。そこへ無情にも、アマクダリからの緊急IRC着信。もはや無視はできぬ。グレーターヤクザ全員が固唾を呑み、ウェイダの顔を見た。彼は覚悟を決め、銀色卓上マイクの前に座る。
不気味なBEEP音とともに、大型モニタにアマクダリ紋が映し出される。その向こうにいるのは、首魁ラオモト・チバだ。ソウカイヤを牛耳っていたラオモト家の世継だ。ウェイダはちらちらと隣のハイウェイ戦闘映像を見ながら、汗を拭った。「ドーモ、ウェイダ=サン」「ドーモ、ラオモト=サン」
しばしの沈黙。かつてソウカイヤ傘下にあったウェイダのクランは、今はアマクダリ傘下として上納金を納めてはいるが、自治権を許され、監視ニンジャも派遣される事なくヤクザビジネスを営んできた。だが実際は、電脳麻薬販売など、本来は上に許可を取るべきダーティな案件を多数抱えているのだ。
「ウェイダ=サン、僕に何か報告すべき事があるんじゃないのか?」穏やかな、しかしそ威圧的なチバの声。父親譲りの酷薄さを感じ、ウェイダは舌上と喉の奥が一瞬にしてサハラ砂漠のように乾いた。実際はサイバネ化により失われた残響感覚である。「ハイ、スミマセン」ウェイダは咳払いした。
「死神の事ですな」ウェイダが言う。「そうだ。奴が3つのディストリクトを移動し、ハイウェイを走行中との情報が入った。どこかのニンジャと交戦しながらな」「そうです、坊ちゃん。あの野郎は……ニンジャスレイヤー=サンは、最早死んだも同然!」会話のペースを掴むべく打って出るウェイダ。
「死んだも同然?どういう意味だ」チバが問う。ウェイダはクランの痛くない腹を探られぬよう誠意をもって答えた。死神は死のマラソン爆弾により、マグロめいて走り続けねばならぬ事。その位置やバイタル情報を掴んでいる事。手勢が妨害にあたっている事。報告の余裕がなかった事(これは嘘だ)。
チバは事態の把握にやや時間を要した。「つまり、お前たちはニンジャスレイヤーを爆殺できる……?」「ハイ、その通……」ウェイダはちらりと戦闘画面モニタを見て顔をしかめ、サイバネ拳を震わせた。『イヤーッ!』『グワーッ!』死神のキドニーブローがウィンドブラストの背中に命中したのだ!
「どうした、何か不都合な事でもあるか?」チバは眉根を寄せる。戦闘映像内でウィンドブラストが反撃のカラテパンチを死神に命中させたのを認めると、ウェイダは重い安堵の息を吐いてから報告した。「滅相もない!ただ、ウチの大切なニンジャがしくじりかけたもんで……ただ、それだけです!」
「成る程、そうか……成る程……」チバは司令椅子で葉巻を吹かしながら、ウェイダから送られてきた死のマラソン中継映像を見やり、コマンドグンバイで顔を扇いだ。「その爆弾は、確実に奴を殺せるんだろうな?」「過剰量のプラスチック・バクチクです。重サイバネ野郎でも確実にアノヨ行きです」
「ムッハッハッハ……」チバは暴君めいて笑う。「ムハハハハハハ!でかしたぞ、ウェイダ=サン!良くやった!奴はマグロめいて死ぬのか!」「坊ちゃん、アマクダリに貢献でき、光栄の極みです」ウェイダは汗を拭う。「奴が苦しみ、絶望の中で死んでゆく様を、そこからゆっくりとご堪能ください」
「……だが、もう余興は十分だ。お前のニンジャが押されているのだろう?ウェイダ=サン、即座に爆破装置を起動しろ。殺せるうちに殺せ。それが僕が奴との戦いから学んだ教訓だ」チバが葉巻を揉み消しながら言った。ニンジャスレイヤー爆殺の瞬間を待ちわび、愉悦に身震いしながら。
「いえ、それが」ウェイダは言葉を濁した。死神はまだカラテを続けている。「それが、どうした?ウェイダ=サン」チバはそうした機微を見逃さない。己を裏切ろうとする者や計略に陥れようとする敵意に対し、彼は人一倍敏感なのだ。「遠隔爆破の機能は、備わっていないんです」ウェイダが答えた。
「備わっていない?ハッキングでも受けて故障したとでも?」何か臭うな。チバは椅子から身を乗り出し、氷のように冷たい目でモニタを睨んだ。「いえ、ハッキングに対しては完璧な防衛体勢を敷いていますが…」「そもそも何故、こんな装置を取り付けた?取り付ける余裕があるなら、殺せたろう?」
ウェイダは唸るような深い呼吸を行った。(((流石はラオモト=サンの息子だ、下手なゴマカシは通じねえ……腹を割るしかねえ)))少しでも対応を誤り不信感を与えれば、たとえニンジャスレイヤー爆殺に成功しようとも、彼のヤクザクランはアマクダリに隷属させられオナーと自由と失うだろう。
「ドーモ、スミマセン。これは全て、ニンジャスレイヤーへの憎悪と、キンボシ独占に目がくらんだ、この老いぼれイシイ・ウェイダの責任」彼はドゲザした。事務所の全員が恐れ入った。ウィンドブラストが死闘を続けているのと同様、彼もプライドを捨て、クランを守るべく死力を尽くしているのだ。
「ケジメは後でいい。質問に答えろ。どうやって奴に爆弾を装着した」チバが無慈悲に言い放つ。「別な野郎と取り違えたんです。ラッキー・ジェイクって名の、ケチな賞金首です。気絶してる所を……」ウェイダが事実を語る。「……取り違えた?」チバが怪訝な表情を作り、グンバイで口元を隠す。
アマクダリ秘密基地の3Dモニタに、ジェイクの断片的データが表示される。重サイバネの犯罪者。脅威度軽微。アマクダリが動くまでもない小物。だがそれ以前にどう見ても日本人ではない。「豚でも見分けがつくぞ。もう少しマシな嘘をついたらどうだ」「それが……担当者がラリっていたとしか…」
チバは、俄にはウェイダの真意を汲み取れなかった。(((仕事中にラリっているような奴が、ニンジャスレイヤーに爆弾を装着できるとでも思っているのか……?)))グンバイで口元を隠したまま、戦略チャブの斜め前にいるアガメムノンを見やる。参謀も判断を保留し、硬い表情で首を横に振った。
「……まあいい、顛末はあとで聞く」チバはネヴァーモアを指先で招き、葉巻をくわえた。いずれにせよニンジャスレイヤー爆殺寸前は事実だ。掌がじっとりと汗ばむ。ウェイダの鬼気迫るテンションが、チバにまで伝染していた。いまやアマクダリ司令室にも、張りつめた異様なアトモスフィアが漂う。
ラオモトに倣い、チバは部下の野心を尊重する。野心が無ければ、ヤクザは勤まらぬからだ。しかしそれは同時に、忠誠心によって支えられねばならぬ。ウェイダの反応はシリアスだ。だが何かが引っかかる。(((ウェイダの所にエージェントを送って、締め上げるか……)))チバは葉巻を燻らせた。
「おい、ウェイダ=サン。既にアクシスを載せたヘリが現地へ出動中だ。お前はこちらに奴のナビ情報とバイタル情報を流し続けろ、いいな」チバが命ずる。ウェイダは了解する。だが彼の目と心は戦闘画面のウィンドブラストを祈るように見つめていた。(((殺れ…!殺れ…!殺ってくれ……!)))
「ウェイダ=サンを殺れだと!?」急カーブを切りながらヤクザカマロを激走させるハシバは、片手でIRC通話を行う!彼はアベの待つ非合法ショップに向かわず、Uターンした。何故か?脳内を泳ぐ2匹のサイバーイルカが、アベも彼を待ち構えて殺そうとしている、と、危険を報せてくれたからだ。
『ああ、そうだ。ハシバ=サン、何やら今夜、あンたのクランがザワついてるらしいじゃねえか。同盟相手に声かけてY-14かき集めたり、イキのいい傭兵がいねえか聞き回ってる……だろ?』IRCの相手は、ハシバが密かに接触を持っていたマン・オブ・ウォー・ヤクザクランの顔役、ゲンダチだ。
「詳細は知らねえ。ウェイダ=サンがついにトチ狂ったんだろ。でもな、止める奴なんか誰もいねえ。上から順番に、みんな狂ってくのさ。フザけた話だろ……」ハシバは交差点でドリフトをしくじり、老婆を跳ね飛ばした。「アイエエエ!」『なら好都合だな、あンたにとっても、我々にとっても……』
(((……ファック!)))ハシバは急停車しハンドルを叩いた。『どうした、怖じ気づいたか?』「少し待ってくれ」ハシバは車から降り、重金属酸性雨の中に立ち、愛車の車体後方のヘコみを確認して激昂した。「アイエ……救急車…」「スッゾコラー!」ハシバは倒れた老婆を射殺!「アバーッ!」
ハシバは何事も無かったかのように愛車に乗り込み、ネクタイの乱れを直してから、アクセルを踏み込んだ。ギャギャギャギャ!ヤクザカマロは急発進!その目的地はサムライヘルム・オブ・デス・ヤクザクランの事務所ビルだ!「待たせたな、ゲンダチ=サン。ジジイを殺す。やってやろうじゃねえか」
「ああ、ああ、そうだ」ハシバは頷き、提示される条件に合意する。ゲンダチは、ハシバが待遇に不満を持つ腕利きグレーターヤクザである事を知っている。だがそれは、少し前までの話だ。いつの間にか垂れてきた鼻血を拭いつつ運転するハシバを見れば、ゲンダチもこの計画を思いとどまっただろう。
「ほとぼりが冷めるまでオキナワ潜伏は可能だな?」だがIRC音声通信を聞く限り、ハシバは完璧なヤクザで、どんなに困難で非道なビズもやり遂げると思わせる凄みがあった。「そうか、女を連れてってもいいな…?」ハシバはサイバーグラスをかけたメルの白い裸体と鮮烈なリップを脳裏に描いた。
「…よしわかった。だが、ウェイダ=サンは強敵だぜ。サイボーグでカラテが蘇りやがった」ハシバは煙草を吹かした。カマロは時速100キロで破滅へ突っ走った。「奴の胸は俺のパンチだけじゃなく、弾も弾き返す。無理だって言ってんじゃねえさ、より確実にビズをやるためだ。いい武器はねえのか」
「直結型ヤクザガン…AY77か?75?悪くねえな」車を飛ばすハシバの目と脳には、暗闇に浮かぶネオン文字が飛び込み、過ぎ去ってゆく。「それを青ストライプスーツのY-14が持ってくる?4人?そうだな、十分だ……!」アクセルを踏み込む。カマロは二匹のイルカを伴って夜の闇に消えた。
一方その頃、遠く離れたパンキチ・ハイウェイでは、デッドヒートが最高潮を迎えようとしていた。時速100キロで走り戦い続ける2人のニンジャを祝福するかのように、再び重金属酸性雨が降り始める。……遠雷の音。ナンシーとの合流地点、そしてアマクダリの放った武装ヘリが刻一刻と近づく!
「イヤーッ!」死神の右フックが叩き込まれる!「グワーッ!」ウィンドブラストに痛打!だが彼は歯を食いしばり走行姿勢を立て直すと、逆にチャージ攻撃を仕掛けた。「イヤーッ!」「グワーッ!」死神の上体が揺れ、側壁側へと押される。泥臭い攻撃だが、それは走行ペースとスタミナを確実に奪う。
「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーが押し返し、走行車線を右へと移動する。ウィンドブラストの肩のワン・インチ横を、中央分離帯のネオンカンバンがかすめる。接触は即、敗北を意味する!「イヤーッ!」ウィンドブラストは睨み返し、死神の背中にカラテフック強打!「グワーッ!」
両者は再び中央車線へと戻り、並走し、睨み合う。最後の心理戦だ。見えぬカラテが激突する。体力が限界へと近づく。熾烈なイクサである。……サイバネティクスが発展し、外見も、記憶すらも、もはや自己と他者の境界線を引く保証とはならぬ未来……そこではカラテこそが己を己たらしめるのだ!
両者ともに、この一撃で敵を殺す覚悟を決めた!先に仕掛けたのはウィンドブラスト!「イヤーッ!」跳躍!後頭部を狙った回転カラテキックだ!蹴り足をエメラルド色のオーラが纏う!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの背中に縄のような筋肉が浮き上がり、渾身の力を籠めたチョップを振り下ろす!
「グワーッ!」ウィンドブラストは空中で目を剥いた。時間が静止したかの如き、奇妙な浮遊感が彼を包んだ。彼は自らの蹴り足がチョップ切断された事を、そして己のカラテの完全敗北を悟った。だが不思議と、後悔も恐怖も無かった。己にニンジャスレイヤーは殺せなかった。ただそれだけの事だった。
そして世界の速度は急加速した。片脚を失ったウィンドブラストは着地に失敗し、時速100キロの上体で転倒。全身をアスファルトに削り取られながら、血みどろで後方へと猛スピードで転がってゆき、スリリングなサーフミュージックを再生し続ける装甲ヤクザベンツのフロントガラスへと激突した。
クローンヤクザは右へ左へとハンドルを切った。そして中央分離帯のネオンカンバンに激突し、もろとも爆発炎上した。サツバツ……!火柱を背に、ニンジャスレイヤーは時速100キロで駆けた。「ハァーッ……ハァーッ……」装置の自動マイコ音声が無情にも110キロへのペースアップを告げた。
心臓がいまにも破裂しそうだった。カラテを振り絞って走る。数字が103、次に106へとカウントアップする。ニンジャスレイヤーの視界が霞み、しきりに顔をしかめる。顎の上がる頻度が増す。危険な状態だ。ウィンドブラストを殺すと決めた時点で、彼は24時間完走の選択肢を切り捨てていた。
敵の物理監視は全て断った。だがアマクダリの武装ヘリが近づいている。もはや万事休すか。彼は震動するIRC端末に気づいた。彼はそれを見て、横を振り向いた。「マグロ・サンダーボルト」と側面にペイントされた神聖なる冷凍マグロトレーラーが、時速150キロで猛追し、死神と並走していた。
6
夜のパンキチ・ハイウェイを、冷凍マグロトレーラーとネオサイタマの死神が走る。ニンジャスレイヤーは最後の力を振り絞って車線変更を行い、コンテナの後方10メートルの位置を追走した。両者の時速はジャスト110キロ……その誤差は極めて僅かだ!
運転席のデッドムーンが汗を拭い、車載後方カメラと同期を行いながら、ナンシーに呼びかけた。「立体交差目前。ハッチ開くぞ」コンテナ内の通信グリルから声。「いいわ」ナンシーも決然たる眼差しでコンテナの後部ハッチを睨んだ。敵の再物理監視が始まる前に、何としてもシステムを欺くのだ……!
ゴゴゴゴゴ……後部ハッチが重々しい軋み音とともに開いた。ニンジャスレイヤーは真正面を見据えた。暗いコンテナの中央部には、スタンバイ状態の黒いルームランナーが見えた。次に、その横に立ち深呼吸するナンシーの姿を見た。その表情は硬い。
ナンシーは固唾を呑む。(((やれるかしら?……きっとやれるわ、今回も)))彼女はこの作戦を実行するため、最も効率的な物資調達方法と合流ルートを演算した。最難関はここからだ。失敗すれば己も死ぬ。チャンスは一度きり。両者は視線を合わせ、タイミングを測り……ナンシーが静かに頷いた。
ニンジャスレイヤーはかすむ視界を再フォーカスし、ルームランナーに狙いを定め、跳躍した。「イヤーッ!」……ゴウランガ!彼は狙い過たずベルト上に着地。ベルトが激しく波打った。床に入念にボルト留めされた筐体が荒れ狂った。だが辛うじて、無限軌道ベルトは死神を支え、動作を続行したのだ!
それは丁度、クモの巣の如きハイウェイ立体交差地帯がトレーラーを覆い隠した時だった。すべては、F1ピットインめいた精確さで行われた。システムと同期したデッドムーンは即座に、ルームランナーの走行スピードと車の走行スピードが共に110キロ前後になるよう、なめらかな速度調節を行った。
最高級ルームランナーが軋む。長くは持たぬ。「ハァーッ……ハァーッ……!」死神はLAN直結のために、筐体の強化ラバーグリップを握りしめ、走った。ナンシーはLANケーブルを握り、横に立った。わずかな揺れと震えで二度タイミングを逸した後、彼女はついに、装置へのLAN直結に成功した。
01101110111……ナンシーの論理肉体は無数のマグロが球状に遊泳するIRCコトダマ空間へ到達した。具象化された侵入警戒システムだ。意を決してハッカー・チャントを唱えた直後……彼女はニューロンの速度で加速し、侵入警報システムの内側へと到達した。……誰にも気づかれる事無く!
火花を散らし始めたルームランナーの横で、ナンシーの物理肉体を鼻血が伝った。(((やはり速度感知は位置情報とバイタルデータの複合……)))想像を絶するタイピング速度で、守護天使は電脳空間を飛翔し、邪悪なる爆発装置のシステムを己の支配下に置いた。(((……さあ、反撃の時間よ)))
ハッキング成功から22秒後、侵入警戒システム切断。28秒後、バイタルサインに偽装データ送信開始。46秒後、映像と音声に偽装データ送信開始。ナンシーは一旦直結を解除し、憔悴した顔で立ち上がった。ニンジャスレイヤーを載せたルームランナーが、徐々に減速していった。
「もう喋って大丈夫。残りも順番にやっつける」ナンシーが言った。彼女はひとつ死線を潜り抜けたのだ。死神はまだ会話できる状態ではなかった。グリップにもたれ、時速40キロで走行を続けていた。「ハァーッ……ハァーッ…」いかなニンジャとて、急激ストップは心停止を引き起こしかねぬからだ。
デッドムーンは巧みな運転で、ハイウェイの車の流れに乗った。「あとは座標データ、起爆装置……」ナンシーが再ダイヴのために精神統一を行う。「ハァーッ……ハァーッ…、ハァーッ………ハァーッ……!」ニンジャスレイヤーは深く頷くと、上体を起こして過酷なクールダウン走行を続けた。
◆◆◆
その男は、サングラスで隠したサイバネアイで周辺と店内の様子を入念にうかがってから、トラタ・ハリマナカの運動機器とビデオの店を訪れた。「ドーモ」コートを着た体格のいい男だ。トラタはそれが裏の客であることを一瞬で見抜いた。すなわち、この店で扱う銃器や薬物を買いにくる客の事だ。
トラタは気難しいバーテンダーめいた目で、その男を見た。新顔には警戒が必要だからだ。「クールな店だ。いつか俺も、前後するくらいデカい部屋に住んで、トレーニング機器を置きたいと思ってる」男は砕けた笑顔で語りかけ、レジに近づいてきた。敵の警戒心を奪う独特のアトモスフィアがあった。
アベは店内にいない。ルームランナー納品直後、トラタの口座から現金300万円を何回かに分けて下ろすため、外に出たからだ。「ビデオでも買うかい?」トラタは広い額に脂汗を滲ませ笑った。レジ下の拳銃にちらりと目を落としながら。男のサイバネアイは、その動きと反射も完全に見抜いていた。
「とびきり卑猥なヤブサメ・ビデオはある?」男が聞いた。「それは無えな」トラタが渋い顔で首を振った。「そうか」男は煙草を吹かしながら、頷いた。彼は今夜、これ以上もめ事を起こしたくなかった。だが逃げ果せるために銃は必要だった。だから危険を冒した。「トロ粉末で銃を買いたいんだが」
「見せてみな」トラタが言った。「ドーゾ」男は歯を見せて笑い、お互いプロフェッショナル、何事も無く売買成立してくれよ、と祈りながら、包みをカウンター上に置いた。それでも万が一、トラタと戦闘になった場合の勝算を抜かりなく計算しながら。「上物だな」トラタが油断無くブツを確かめた。
「そりゃそうだ」男は丸腰をアピールしながら言った。ヤクザでないトラタは、彼がクランの賞金首である事を知らなかった。300万を全て吸収されてしまったトラタだ。売る気はある。だが少し引っかかる。「計測器にかけて査定するから、少し待ってくれ」「急いでるんだが」「そんなにかからねえ」
しばしの沈黙。男は薄汚い柱に片足の裏を当てながら、天井モニタの卑猥なワークアウト・ビデオを見ていた。「すげえな」「……ついでに買うか?」トラタが脂ぎった汗を拭いながら計測器を操作し終えた。その時、店のドアが空き、アベがやって来た。男はわずかにどきりとし、煙草を口元へやった。
男は末端構成員のアベを知らなかった。ルームランナー納品時にヤクザジャケットを脱ぎ、汗だくになっていたアベは、クランバッジもつけていない。「……何だオイ、まだ営業してんのかよ、トラタ=サン」アベはオイラン・バーガーのシェークを啜りながら、店内の椅子にどっかと腰を下ろした。
アベは商売には口を出さない。それに今は考えるべき事がある。クランに何かが起こっているのだ。バッグの中の万札を見ながら、アベは時計を確認した。ハシバはまだ来ていないのか。「ン……?」視線を感じ、アベは男の方を見た。両者は何事も無く、すぐに目をそらした。アベはシェークを啜った。
「査定終わりだ、何が欲しい」「直結型だ。AY70系を」男はカウンターに向かって歩いた。「無茶言うなよ、AY60系しか出せねえ」「……オイ、トラタ=サン、ハシバ=サンはまだ来てねえのか?」焦燥したアベが、思わず苛立ちながら割り込んだ。その名を聞き、男はまた口元に煙草を運んだ。
「いや、来てない。連絡も無い」トラタがアベに言い、また男とのビズに戻った。「この際贅沢は言わない。AY60系でいい」男は取引を急いだ。アベはIRC端末を操作しながら苛立たしげに踵を鳴らした。クランのIRC部屋ログを見るが、レッサーヤクザである彼には限定的な情報しか解らない。
(((数時間前に、ハシバ=サンは賞金首のラッキー・ジェイク始末した。その数時間後に、クラン全体が戦争みてえにどよめき出した……何か関係があンのか?)))アベは知恵を振り絞り、クランのデータベースを漁った。(((ジェイク……不法入国ガイジン、重サイバネ……)))
アベの呟きは小さな声になっていた。「身長185前後……脳内UNIXの自動翻訳により不確かな日本語……サイバネを隠すため品の無いコートとサングラス着用……」トラタはちらりと上目遣いでカウンターの前のガイジンを見た。男はまた煙草を吸った。「……緊張すると煙草を口元に運ぶ……」
「よし、ならAY64の認証無しがあるぜ……」トラタは脂ぎった汗を滴らせながら、今度はちらりとアベを見た。アベは眉をひそめて首を横に振った。アベは大口径銃をガイジンの背中に向けて構え、ゆっくりと立ち上がった。距離はタタミ3枚。「オイ、あんた、コナで銃買おうってのか?名前は?」
男は…内蔵武器を全て使い切って丸腰のラッキー・ジェイクは、両手を上げてゆっくりと振り返った。質問には答えなかった。「ザッケンナコラテメッコラー!」アベがじりじりと距離を詰めた。室内のアトモスフィアは爆発寸前だった。ジェイクはサイバネアイで敵の全身をスキャンし、呼吸を整えた。
「てめえジェイクだろッコラー!」「イヤーッ!」アベが言い終わらぬうちに、ジェイクはブラックベルト級の速度で踏み込み、アベの腕を掴んだ!危険な賭けだ!「アッコラー!」BLAMN!銃弾が壁に命中!「イヤーッ!」「グワーッ!」ジェイクはカラテエルボーを叩き込み、銃を奪わんとする!
「イヤーッ!」さらにカラテエルボー!「グワーッ!」仰け反り銃を取り落とすアベ!だがここで、トラタがカウンターの後ろに架けられていた売り物のバットを掴み、背後からヤバレカバレで殴り掛かった!「ウオーッ!」「グワーッ!」ナイスバッティング!咄嗟に振り返ったジェイクの顔面に命中!
「庶子!」ふらつくジェイク!「ダッテメッコラー!」この好機を逃さず、アベの痛烈なケリ・キックがジェイクの鳩尾をえぐる!「オゴーッ!」「ウオーッ!」腕をガクガクと痺れさせながらも、トラタは再びジェイクの強化頭蓋後頭部に対しフルスイングした!SMASH!ジェイクの脳を揺さぶる!
アベは銃身を掴んで拾い上げ、銃底で顔面を殴りつけた。「イヤーッ!」「グワーッ!……ア……ア…」左目のサイバネアイを割られたジェイクは、鼻と口を血塗れにし、浜に打ち上げられたマグロめいて卒倒した。「オイ、売りモンの手錠あるな」アベが折れた歯を吐きながら言った。トラタが頷いた。
だが興奮したトラタは血塗れのバットを構えたまま、粗い息を吐いていた。アベは生け捕りが必要なことを説き、もう一度手錠を取って来るようトラタに言った。「ジェイクが生きてやがる……どういう事だチクショウ……」そしてIRC端末で抜かり無く、ハシバとクランチャット部屋に報告を行った。
アベは銃を向けたまま、ジェイクを見張り続けた。相手が気絶から回復する様子は無かった。「アイエエエ……アベ=サン、俺の手首、折れちまったかも……」トラタが手間取った末に手錠を持ってきて、それでジェイクを拘束した。アベはIRC端末を食い入るように見つめたが、返信は一切無かった。
焦燥感だけが募る。アベは床にうずくまり、IRC端末、カネ、そしてジェイクを見た。見えない導火線がバチバチと火薬庫に近づいている予感がした。「……事務所だ。何かが起こってやがる。オイ、こいつを俺の車のトランクに載せるの手伝え」「手首が……」「スッゾコラー!」「アイエエエエ!」
(((ハシバ=サン……今夜一体、何が起こってンだ……!サムライヘルム・オブ・デス・ヤクザクランに……!)))ギャギャギャギャギャギャ!死んだはずの賞金首をトランクに載せたアベの中古ヤクザセダンは、荒々しくドリフトしながら急発進!重金属酸性雨を切り裂き、ヤクザビルへと走った!
一方その頃、災禍の中心たるヤクザビル最上階では。アマクダリから派遣された冷酷なるエージェントニンジャのブラックストーンが、ウェイダをドゲザさせた上に、ニンジャスレイヤー爆殺作戦の指揮権を簒奪していた。
最初にその話を聞かされた時、ブラックストーンは死神が置かれている状況を、何ひとつ信じてはいなかった。ヤクザクランを締め上げるだけだろうと思っていた。だが武装ヘリ内で情報を閲覧した彼は、データや映像、そしてヤクザクランの必死さを知り、事態が極めてシリアスであることを認識した。
(((それだけではない。これは願ってもいない好機。労せずして己がニンジャスレイヤー爆殺作戦の指揮を取れる……!)))事務所の椅子に腰を下ろす頃、この異常な状況とアトモスフィアは、ブラックストーンがアマクダリ構造内で失っていた、ソウカイヤ時代の野心の炎を静かに煽り立てたのだ。
「いいかァ、貴様ら。隠している事があるなら、今のうちに全て吐いたほうが身のためだぞ。この作戦を成功させた後も、俺は貴様らを監視下に置く」ブラックストーンが睨みつけた。室内には、見せしめとして無作為カラテ殺害されたモチダの死体が転がっている。「後で露見したら、これより惨いぞ」
『ドーモ、間もなくニンジャスレイヤーの通過予定座標に到達』アクシスの乗り込んだ武装ヘリ編隊から、IRC通信が入る。「ドーモ、ターゲットは時速110キロでパンキチ・ハイウェイを走行中。カウントダウン開始する。交戦準備に入られたし」ブラックストーンが大型モニタを見ながら返した。
「ここはまさに無敵の城塞ではないか!」ブラックストーンは、マップ上を移動する赤い光点と、進路予測演算データを見ながら、唸るように笑った。ニンジャスレイヤーの位置は完全把握している。さらに奴はこの本拠地を知らぬ。知る術も無い。万一知られたとて、到達前に自分は退却すれば良いのだ。
「「「ヌゥーッ……」」」ウェイダたちは床に正座させられ、屈辱に震えていた。クランの独立自治権もこれまで。だがサボタージュする気はない。クランから多数の犠牲者を出した彼らは、この死神爆殺だけは何としても最後までやりとげねばならぬ!失敗すれば、彼らのオナーは地に落ちるだろう!
「接触まで5……4……3……2……」ブラックストーンは黒いニンジャ覆面の奥で、愉快そうに目を細めた。ウェイダたちは、口惜しげな複雑な表情で、モニタを見た。アマクダリ・アクシスは精鋭中の精鋭だ。さらに武装ヘリまで有している。彼らはいとも容易く走行妨害を成し遂げることだろう。
だが……長過ぎる沈黙。いかなるデータにも異常が見られない。「何が起こった、奴は走り続けているぞ!」『攻撃目標を捕捉できない』「……何だと?」ブラックストーンは眉根を寄せた。ナムサン!武装ヘリ編隊は、冷凍マグロトレーラーが混じったハイウェイ車列の上を虚しく横切っていったのだ!
『車列しか確認できない。データは正確か』「……誤差だろう。座標情報はラグが生ずる。次はもう少し速い段階で、待ち構える形を取れないか。何しろ奴は時速110キロだ」『了解した』通信が閉じた。「……何だこの不手際は?」ブラックストーンは苛立ち、正座するヤクザたちの間を闊歩した。
一方パンキチ・ハイウェイでは、運転席のデッドムーンが後部コンテナに対して通信を行っていた。「ヘリが通過していきやがった。大丈夫なのか」「位置情報のハッキングが固いの」時速30キロで走り続けるニンジャスレイヤーの横で、ナンシーがダイヴ前の深呼吸を行った。「またすぐ潜るわ」
ナムサン……!敵が持つ座標情報は未だ正確なのだ。敵の爆撃機が上空を通過するのを固唾を呑んで待つ潜伏兵の気分を、ナンシーは味わっていた。彼女はじっとりと汗ばんだ髪を搔き上げ、LANケーブルを握る。急がねば、いずれ敵はこの作戦の大胆なトリックに気付くだろう!
「あと5分程で、どうにかしてくれ」デッドムーンが違法カキノタネを噛みしだいた。「具体的なタイムリミットね。何?」ナンシーが問う。「この先で渋滞だ」デッドムーンが電光掲示カンバンを睨みながら、忌々しそうに言った。速度減少。それは爆死だ。「……解ったわ」ナンシーは小さく頷いた。
一方アマクダリも、三度のニアミスを繰り返し、目標捕捉に失敗していた。徐々に焦燥感が募る。「奴が……バイクや車に乗った可能性は?」ブラックストーンが問う。「ゼロです。データを見てください」ハッカーが反論した。「仕様上も不可能です。ご説明した通り、実際走らないと検知され爆発です」
「そうなるな」ブラックストーンが舌打ちする。彼はこの装置の仕様を、ブリーフィングで把握している。解っていながら、それでも念を押したのだ。「まだ焦る時間じゃあありません。しかもこの先は渋滞だ。それで憂いも疑念も晴れるでしょう」ウェイダが絶対の自信とともに言った。
……そして。無慈悲にも、時間は刻一刻と過ぎ去り、トレーラーは渋滞エリアに近づく。「どうだ」呼びかけるが、ナンシーからの返信無し。没入を続けているのだ。ニューロン疲労は計り知れない。ここが正念場だ……デッドムーンは汗を拭い、スペイシーな車内BGMをボリューム10にした。
「できる所までやってみる。少し揺れるぞ……!」ギャギャギャギャギャ!冷凍マグロトレーラーはあたかも、アステロイド地帯に突入したロケットめいて、徐々に密度を増してきた車の間を巧みに追い抜き、ジグザグ疾走する!時速は120キロ!100キロ!140キロ!凄まじいアップダウン!
デッドムーンが決死のドライブを続け、ついに渋滞に飲まれようとしたその時……アマクダリ司令室にどよめきが走った。ニンジャスレイヤーの位置情報を示す光点が、立体交差部分で垂直に曲がり、時速200キロ近い急加速を見せたのだ!『何が起こった』「奴が……別のハイウェイに飛び降りた!」
『時速200キロだぞ!』「相手はニンジャスレイヤー=サンだ、侮るな!」ここが正念場だ。ブラックストーンが唾を呑み、隣に立つウェイダに問うた。「そうだろう?」「ハイ。これまでのペース配分から見て、自殺行為としか思えねえ……!奴は死ぬ前に何かを為そうとしてるのやも……!」
「……死ぬ前に一矢報いようてか?」ブラックストーンが脂汗を滲ませる。光点の速度は再び110キロに減速したが、ヘリでの追跡困難な市街地へ分け入った。「奴はそういうタマです」ウェイダが唸った。死神爆殺への執念が、いつの間にか、両者の間に奇妙な協力的アトモスフィアを醸成していた。
ニンジャスレイヤーは、生命の危機に陥った時、一時的にニンジャソウルの力を暴走させ、怪物的能力を発揮することがアマクダリ内でも知られている。この動きはそれではないのか?!「まさか、奴はここへ……!?」「違います、方向が、まるで違います!」ハッカーも必死でUNIX演算を行った!
ブラックストーンは、己がニンジャスレイヤー爆殺のキンボシに目が眩んでいたことに気付いた。このヤクザたちは本気だ。プライドもオナーもかなぐり捨て、一丸となって死神を爆殺しようとしているのだ!彼はチバに対し緊急IRCを打った!「ドーモ!」「どうした、締め上げて何か解ったか?」
「彼らはシリアスです!死神を殺す、ただその執念です!」「その装置とアクシスで本当に殺せるのか?」チバが未だ半信半疑だ。「無論殺せます!ただのモータルのヤクザ共が!死神を殺す!殺せると言っているのです!何故我々がそこで及び腰になるのか!」ブラックストーンの目は妄執に輝いていた。
ヤクザたちが雄々しい閧の声をあげた。ブラックストーンは机を叩き、チバに力説した!「今すぐこの座標情報をアマクダリの全員に!全員で奴を狩るのです!」『畏れ多いぞブラックストーン=サン!』「黙れアクシス!通信ではソウルや覚悟は伝わらんのだ!フェイス・トゥ・フェイスを重んじろ!」
「殺せます!ニンジャスレイヤー=サンを!今ならば!」ブラックストーンは吼えた。チバはアガメムノンを一瞥した後、しばし熟慮し、自ら決断した。…このような狂気めいた執念が無ければ、死神は殺せないのではないか。座標情報もそれ自体は有用だ。「やってみろ。必ず殺せ」「ヨロコンデー!」
ギャギャギャギャ!ハシバの駆るヤクザカマロは事務所ビルまであと100メートルに迫った。正面エントランスにはいつものように、クラン名の書かれた赤電子チョウチンが掲げられ、警備クローンヤクザ2体が厳めしい顔で立っている。「何だありゃあ…?!」ハシバは眉根を潜め、目をしばたいた!
クローンヤクザが着ているのは黒スーツだ。しかしハシバの目には、それが蛍光グリーン格子模様のスーツに見えたのだ!(((蛍光グリーン格子……!?ファック!聞いてねえぞ!マン・オブ・ウォー・ヤクザクランが指定したのは青ストライプだ!…蛍光グリーン格子は敵か……味方か……!?)))
『敵だよ』『もちろん敵』「敵か!」ハシバは一瞬の判断の後、エントランス付近でヤクザカマロをドリフト気味に急カーブ!「スッゾコラー!」「「ザッケンナコラアバーッ!」」ナムサン!身構えたサムライヘルム・オブ・デス・ヤクザクランのクローンヤクザ2体が、一瞬でネギトロじみた死体に!
ギュギュギュ!ヤクザカマロは血の線を引きながら急停車!ハシバはチャカ・ピストルを無造作にヤクザスラックスに突っ込み、車を降りた。そしてエントランスから地階を覗き込む。誰もいない。やはり何かが起こっているのだ。乗り込もうとして、武器の不足に気づいた。「待てよ……合流が先だ!」
ハシバは往来を見渡した後、何食わぬ顔で車に戻り、少し走らせてから煙草に火をつけた。数分待ったが青ストライプが来ない。あの約束は実際起こった物理事象かと不安になった。ハシバの疑念が頂点に達しようとした時、直結銃をケースに入れた青ストライプ4人がドアをノックした。「……よおし」
「……またアクシスが目標捕捉に失敗しただと!?」ブラックストーンは司令机を拳で叩き割った。事務所から遠く4区画離れたオミコシ・ディストリクトのスラム街を時速120キロで移動する光点を睨みながら。「アクシスほぼ全員が出撃してこの体たらくか!?」
同様の報告が、オミコシ・ディストリクトにテリトリーを持つアマクダリ下部組織2個から繰り返しもたらされた。進路予測によって、さらに隣接ディストリクトの下部組織に対しニンジャスレイヤー・アラートが出されたが、そのどれもが機能しなかった。防衛線突破ではなく、発見不可能だったのだ。
チバは即座にアトモスフィアのあやしさを読み、出撃したアクシスの半分を待機状態へ戻した。「次こそは……次こそは必ずや……!」ブラックストーンは重圧の中、ウィンドブラストがハイウェイで交戦する録画映像や、浮浪者じみた男がニンジャスレイヤーに変わる映像などを確認し、己を説得した。
「とっとと次の進路予測を立てぬか!」「待ってください、位置情報データのバイナリを……バイナリを確認させてください!」ハッカーが鼻血を垂らしながらブラックストーンに進言した。「どういう事だ?」「位置情報の誤差が大きくなっているのかもしれません。一度リセットしバイナリ確認を!」
ギャギャギャギャ!アベの駆るヤクザセダンは事務所ビルまで100メートルに迫った。正面エントランスにはいつものように、クラン名の書かれた赤電子チョウチンが掲げられ、警備クローンヤクザ2体が厳めしい顔で立って……いない!「何だ……何が起こってる!?」ネギトロめいた死体だけだ!
ギュギュギュギュ!ヤクザセダンが急ブレーキをかけた!「グワーッ!」気絶から覚醒していたジェイクが、再び嘔吐感に襲われた。間違いなく自分は今、トランク内にいる。しかも、全身を覆う袋か何かを被せられ、手錠を嵌められた状態だ。盲目と拘束の合わせ技は、虜囚に凄まじい恐怖をもたらす。
「スッゴコラー!」アベがトランクを開きながら、焦燥感に駆られてヤクザスラングを叫んだ。トランクの中にいたのは……血を滲ませるイルカ!?違う、どう見てもイルカなどではない!それは動き辛いイルカのコス・プレイ衣装を着せられ、さらに覗き穴部分をガムテープでふさがれた、ジェイクだ!
「とっとと起きろジェイクテメッコラー!」何故イルカなのか?どんなサイバネを有するかわからぬジェイクに対し、手錠だけでは不安と考えたアベは、頭陀袋か全身拘束具が無いかトラタに訊ねた。ビデオ店である彼の店には当然、手錠のようなプレイ用品が置いてある。だが拘束具は品切れだった。
焦ったトラタは正気を疑われるのを覚悟で、特殊プレイ用の全身着ぐるみを持ってきた。アベは激しい眩暈に襲われながら、イルカを選んだ。彼が経験豊富なグレーターヤクザであれば、他に効果的な即興の拷問具や拘束具をいくつも思いついただろう。だがレッサーの彼とトラタにはこれが限界だった。
アベは警備ヤクザに手伝わせる予定だったが、彼らはもうネギトロだった。仕方なく、ジェイクの重い片足をアベは一人で持ち上げ、トランクの縁にかけた。「とっとと降りろやジェイクテメッコラー!起きてんだろッコラー!」そして大口径拳銃の銃口を、イルカ・コスの頭部にごりごりと押し付けた。
「アイエエエエエエ!」その効果はてきめんだった。ジェイクは激しい恐怖に襲われ、身体をふらつかせながら、トランクの外に転がり落ちてブザマに呻いた。「とっとと立てッコラー!」アベはほとんど無我夢中で腹部に蹴りを入れて立ち上がらせると、ジェイクを引き連れてエントランスを抜けた!
「ハッキング可能性だと!?どういう事だ!」ブラックストーンはIRC通信を一時切断していた。「有り得ない事ですが、位置情報のバ、バイナリに不審点が……!」ハッカーは心臓破裂寸前の表情で訴えた。室内のヤクザ全員が、にわかにどよめいた。「偽……偽位置情報を受信していた可能性!」 78
その通りである。かの冷凍トレーラーは、立体交差後、間もなく渋滞に呑まれ、停止した。コンテナ内には、ニンジャスレイヤーの姿もあった。では、なぜ爆発しなかったのか?ナンシーの偽装データが、姿見えぬ非実在のデコイ・ランナーを生み出し、ネオサイタマ市街地をスプリントし始めたからだ!
武装ヘリの監視がパンキチ・ハイウェイから離れたのを見計らい、休む間もなく、死神はトレーラーから離脱した。彼の胸には、未だ装置が残っている。何故か?ハッキングには成功したが、遠隔爆破システムの正体はつかめず、また装置破壊時の爆発は電子制御トリガではなく機械制御と解ったからだ。
では、ニンジャスレイヤーは今、どこへ向かっているというのか……!?
「デコイ遮断!ご、ご覧下さい……間もなく座標光点が修正されます!」ハッカーが声をうわずらせた。全員がモニタを凝視した!光点は、オミコシ・ディストリクトから正反対方向であるパンキチ・ディストリクトへと一直線に突き進む!「まさか奴は……まさか奴は……!」イナズマめいた速さ!
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「デコイ遮断!ご、ご覧下さい……間もなく座標光点が修正されます!」ハッカーが声をうわずらせた。全員がモニタを凝視した!光点は、オミコシ・ディストリクトから正反対方向であるパンキチ・ディストリクトへと一直線に突き進む!「まさか奴は……まさか奴は……!」イナズマめいた速さ!
「まさか……奴は…!」ブラックストーンは屋上ヘリに発進準備命令IRCを送りつつも、判断力を失わず問うた。「待て、奴はハッキングに成功したのだな?では何故未だに座標情報が送られてくる!?」「装置解除はハッキングでどうこうできる代物じゃねえんです!オイ、あれだ!」ウェイダが叫ぶ!
「ハ……ハイ!」側近グレーターヤクザのオチダが血相を変え、銀色に輝くジョイスティックめいた合金デバイスを机から出し、ウェイダに手渡した。「何だ……それは……?」ブラックストーンは嫌な脂汗を滲ませながら、マップ光点とデバイスを交互に睨み、限界までアマクダリ本体への報告を堪えた!
「起爆スイッチを……隠していたのではあるまいな!?」「こいつは制御デバイスです!この制御デバイスを装置にささねえ限り、奴が装置を解除することは絶対に……!」ウェイダがデバイスを握り、必死の形相で叫んだ!……その時、ヤクザビル最上階めがけ、鋭いロープアクションを敢行する者あり!
次の瞬間!「Wasshoi!」KRAAAASH!赤黒い影が勢い良くガラス窓を突き破り、驚異的な判断速度でスリケンを投擲した!「グワーッ!」ウェイダは腕をやられ、デバイスを取り落とす!デバイスは床を回転しながら滑る!そして回転着地を決める死神とブラックストーンの中間地点で停止!
刹那、シシオドシめいた死の静寂が、室内を圧した。ヤクザは反射的にチャカ・ガンを抜いたが、場に満ちるずしりと重いカラテが彼らを押さえつけた。二人のニンジャは睨み合い、アイサツした。「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン……ブラックストーンです……!」
「「イヤーッ!」」アイサツ終了から0コンマ5秒、両者は同時に、解除デバイスめがけ跳んだ!そして凄まじいカラテ応酬!「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ノーガードの激しい打ち合い!ニンジャスレイヤーは疲弊に加え、装置への物理衝撃を避けねばならぬため、苦しい!
「ザッケンナコラテメッウェイダッコラーッ!タマットルゾコラーッ!」そこへフスマを蹴り開け、マン・オブ・ウォー・ヤクザクランの刺客と化したハシバが、クローンヤクザを引き連れ登場!BRATATATATA!直結型ヤクザガンの掃射だ!「グワーッ!」「アバーッ!」ヤクザが射殺される!
「グワーッ!ハシバテメッコラー!裏切ったかーッ!」サイバネ脚を撃たれ歩行不能と化したウェイダが、間一髪机の背後に隠れ、チャカで応戦!BLAMBLAM!「「「スッゾコラー!」」」他のヤクザも応戦!たちまち室内は、銃弾とカラテが乱れ飛ぶ、ネギトログラインダーの如き修羅場と化した!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ブラックストーンの拳が、死神の顔面に命中!(((……ニンジャスレイヤー=サンは疲弊している!カラテ殺害し、不名誉を帳消しに出来る……!)))ブラックストーンは打ち交わすカラテに確信を深めた!だがそれを乱す銃弾のケオス!
BLAMBLAMBLAM!BRATATATA!乱れ飛ぶ銃弾!「イヤーッ!」「イヤーッ!」両者は移動しながら戦闘を続ける!ブラックストーンは、己のワザマエならば暫くの間、被弾を完全回避しながら戦えると踏んだ。一方ニンジャスレイヤーは捨て身であった!その覚悟がカラテに滲み出た!
BLAM!銃弾がニンジャスレイヤーの腿に命中!この場に留まればさらに被弾する!だが彼は些かも揺らぐ事なく、ブラックストーンに対して、均衡を破る痛烈なカラテストレートを叩き込んだ!「イヤーッ!」「グワーッ!」壁に弾き飛ばされるブラックストーン!BLAM!肩へ追加被弾する死神!
即座に前傾疾走し、追い打ちを狙うニンジャスレイヤー!だが次は、オートマチック・ヤクザガンの斉射弾幕が両者の間を横切る!この弾幕を通過せんとするのは、いかな死神とて自殺行為!BRATATATATATA!「ヌウーッ!」ニンジャスレイヤーは咄嗟の連続バック転で緊急回避!アブナイ!
「ヌゥーッ!」机の背後まで弾き飛ばされたブラックストーンが、ネックスプリングで立ち上がる。だがその足元にすがりつくのは、部下からリレー方式で渡された制御デバイスを握るウェイダ!「ブラックストーン=サン、すまねえ、ヘリまで一緒に連れて行ってくれ……!敵クランのレイドだ……!」
「調子に乗るなイディオットめ!イヤーッ!」「グワーッ!」デバイスを奪われた上に蹴り飛ばされるウェイダ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーがトビゲリ!「イヤーッ!」ブラックストーンは一瞬速く八連続側転で回避し、割れたガラス窓から屋上へ向かう!「イヤーッ!」それを追う赤黒の死神!
「誰かいねえか!?ラッキー・ジェイクの野郎を捕まえた!……オイ!何が起こってる!?誰か!返事してくれ!」前が見えず足元のおぼつかないジェイクを後ろから蹴って追い立てながら、じりじりと廊下を進むアベ!そこかしこに死体がある。コンクリート越しに銃声が聞こえ始めた。だがまだ遠い。
「……誰だおめえ……うちのレッサーだな……?」先の十字路、壁際にもたれかかった瀕死のグレーターヤクザのシンダが、その声を聞いて霞む目を開いた。「シンダ=サン!一体何が!?」アベが問う。「……敵クランのレイドだ……内部に誰か裏切り者が……!」その時!「ザッケンナコラーッ!」
BLAMBLAM!通路の先にいた敵クランの刺客クローンヤクザが射撃したのだ!「グワーッ!」弾丸は前を歩いていたラッキー・ジェイクに命中!彼は死を覚悟し、サイバネの火花が散る!「スッゾコラー!」アベは咄嗟に屈み姿勢を取り、ジェイクを遮蔽に使い連続射撃!「アバーッ!」敵を射殺!
「グワーッ!」盲目状態のジェイクは激痛と恐怖で倒れ、身動き不能となる。「……もうジェイクなんざどうでもいい。ウェイダ=サンが……アブねえ……司令室へ……急げ!」「ヨロコンデー!」弾切れの大口径銃を捨て、シンダのチャカを受け取ると、アベは単身駆けた!そしてフスマを蹴り開ける!
「スッゾコラーッ!」腹の底から沸き上がったヤクザスラングを叫び、アベはチャカガンを前方に突き出した!そして困惑した!死体まみれの室内にではない!銃弾で半ば破壊された遮蔽ヤクザデスクを挟み、タタミ5枚の距離で膠着状態に入っていた二人を見たからだ!片方はハシバ!片方はウェイダ!
銃口を両者の間に向けたまま、アベは視線を右へ左へと動かす!どちらを撃つか、一瞬で判断せねばならぬ!その迷いを見てハシバが叫ぶ!「アベ!そのジジイを殺れッ!殺れーッ!」「ハシバを殺れ!裏切りおったわーッ!」ウェイダも顔面を覆うシリコン皮膚を半ば破壊された状態で、必死に叫んだ!
「……ダッテメッコラー!」BLAMBLAMBLAM!アベは撃った!ハシバを!「グワーッ!」銃弾はハシバの利き腕を破壊!BRATATATATA!ハシバはアベに向かって闇雲に銃撃!銃弾が身体をかすめる!「ウワーッ!」アベは遮蔽を取るため、ウェイダの横へと無我夢中で飛び込んだ!
ハシバは後方に弾丸をバラまきながら、フスマを抜けて逃走した。まだ追っ手の気配は無い。ヤクザはあらかた死に絶え、アベはウェイダを助けようと抱え起こしていたからだ。「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」ハシバは必死で駆け、そして廊下に転がるイルカを見て、止まった。
「……何者だテメッコラー!どこから出て来やがったコラー!」ハシバは激しい動揺を見せ、屈み込んでイルカの襟首を掴んだ。その横でシンダはすでに力尽き、死体へと変わっていた。「た、頼む、助けてくれ……。ここから逃がしてくれ……」血塗れのイルカがわらにも縋るような声で言った。
一方その頃、数百メートル上空のヘリコプター機内、輸送スペースでは!激しいカラテ攻防の末に、ニンジャスレイヤーがブラックストーンのマウントを奪っていた!
ブラックストーンの震える右手には制御デバイス。(((これを後少し、窓から投げ落とし破壊……!)))「イヤーッ!」「グワーッ!」だが鉈めいたチョップが、その足掻きを断ち切る!切断した腕からデバイスを奪うと、ネオサイタマの死神はそれを自らの装置の背ロック部分に迷い無く挿入した。
ガゴンプシュー!「シマッタ!」ブラックストーンは目を見開く!装置が完全停止し、ニンジャスレイヤーの胸から装置がはがれ落ちる!「イヤーッ!」「グワーッ!」間髪入れず、死神は怒りに満ちたマウントパンチを叩き落とした!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
ブラックストーンは己のカラテと戦意が粉々に打ち砕かれゆくのを感じ取った。ニンジャスレイヤーは「忍」「殺」メンポから蒸気めいた息を吐き出し、インタビューした。「……新たなニンジャ組織が現れたかと思えば、結局はアマクダリか。よく考えたものだ。正体を名乗らず卑劣な手段を用いて私を」
「……待て!人違いだったのだ、ニンジャスレイヤーサン!ヤクザクランが、貴様をガイジンの賞金首アウトローと間違え、偶然にも装置を…」「イヤーッ!」「グワーッ!」「ブラックストーン=サン、斬新な命乞いだな。どうやら長く苦しみたいと見える」死神は拳を握り、インタビューを続行した。
一方地上では、重金属酸性雨の中をヤクザカマロが、車線を左右に大きくブレながら走行していた。「ハァーッ……ハァーッ……ハァーッ……」運転席には手負いのハシバ。酷い発熱だ。その隣の助手席には、手錠をハシバの銃で破壊してもらったイルカが、頭を垂れて、押し黙ったまま座っていた。
彼らは逃げ続けた。サムライヘルムのベンツ2台が、ハイエナめいて交互に追い回してきた。ハシバは窓からの銃撃と驚異的な運転で、どうにかここまで逃げた。「……息が苦しくて死にそうだ」盲目の不安を募らせたイルカが、そう呟いた。ハシバが問う。「何が欲しい」「ドスダガーか何かを……」
「使ってくれ」ハシバは前方とナビ情報に目を注ぎながら、ダッシュボードから無造作にドスダガーを取り出し、手渡した。「……ウッ!……ウッ!」イルカはそれを受け取ると、胸元のあたりを手探りし、ごわごわした布部分に穴を開けた。そして両手を突っ込み、びりびりと引き裂いた。
「フゥーッ……」ヒレ状の手でイルカ頭部をフードめいて後ろに倒し、ジェイクが顔を出した。そして隣にいる命の恩人を見た。ハシバだった。ハシバもまた横を見た。イルカはジェイクに変わっていた。だが、それがイルカかジェイクかは、今のハシバにとって、もはやさほど大きな差異ではなかった。
ハシバは何かを納得したかのように頷き、また殺風景なアスファルト道路を見た。ジェイクも前を向いた。長い長い沈黙があった。「……なんで俺を助けた?」やがてジェイクが問うた。「……俺は啓示を受けたんだ。自分の愚かさに気づいた」ハシバがイルカに対して言い、その顔を苦痛にしかめた。
次第にブレが増し、速度が落ち始めた。「どうした、まだパンキチ・ディストリクトだぞ」ジェイクが問うた。このままではヤクザベンツに追いつかれ、捕えられる。「ハァーッ……ハァーッ……ちくしょう……アクセルが踏みこめねえ……脚が折れちまったか……?」ハシバが言った。足元は血の海だ。
「……俺が運転する。道を教えてくれ」ジェイクが言った。「わかった」ハシバは頷き、路肩に停止した。ジェイクがドアを開けて外に出た。重金属酸性雨。人気の無い長い長い道路。後方に不吉なヘッドライト。「ハァーッ……ハァーッ……」呻き声をあげながら、ハシバが助手席に這い映った。
「……庶子!」ジェイクは一瞬躊躇した後、ヤクザカマロの運転席側に走り、ドアを開けて乗り込んだ。そしてハシバを助手席に乗せたまま、アクセルを踏み込んだ。足元で、びちゃびちゃと血の音が鳴った。「次を右……それから左……スラム街へ……」ハシバが息も絶え絶えに言った。
「ここで……停めてくれ……」電脳麻薬製造工場の前で、ハシバが言った。そしてドアを開けて、よろめきながら降りた。「オイ、待てよ、何だここは。追いつかれちまうぞ」イルカが聞いた。「大丈夫だ、お前はイルカで、俺の中の幻覚だ。電子ノイズが生み出したヴィジョンだ。メッセンジャーだ」
ジェイクは背筋が凍えるような思いを味わった。ハシバは、精神を宇宙の彼方へ飛ばしてしまったようだった。「待て、俺はラッキー・ジェイクだぜ」イルカが言った。「ラッキー・ジェイク、あのクソ野郎め」ハシバは雨の中、電脳麻薬製造工場に向かいながら笑った。「あいつもイルカだったんだ」
「待てよ!俺が運転しただろ!オイ!」ジェイクは叫ぶが、ハシバには聞こえなかった。後方にヘッドライト光が見えた。ジェイクはニューロンがちりちりと焼けるような感覚を味わって、焦り、舌打ちし、ヤクザカマロを工場の駐車場に乗り捨て、スラム街に逃げた。そしてネオサイタマの闇に消えた。
ハシバは工場で働くハッカーを射殺しながら進み、電脳麻薬抽出イルカ水槽の前にやって来た。彼の耳はもう何も聞こえなかった。ただ内なる声と、イルカの発する超音波だけが、彼のニューロンを震わせていた。そして何かうわごとをいいながら、銃口を水槽内のイルカの頭に向かって突きつけた。
「ハシバ=サン!銃を下ろしてくれ!頼む!」すぐ近くにアベがいた。クローンヤクザとともに追跡してきたのだ。だがその声はハシバに聞こえなかった。ハシバがトリガを引く寸前……BLAMBLAMBLAM!アベたちの弾丸がハシバを撃った。ハシバの銃弾は水槽ではなく天井に突き刺さった。
ハシバは銃を取り落とし、全身から血を流し、浜に打ち上げられたマグロめいて口をぱくぱくと動かした。「キューンキューン!キューンキューンキューン!」イルカがインガオホーを告げるかのように鳴いた。「俺を哀れむのか」ハシバが開いた瞳孔でイルカを見ながら独りごちた。そして事切れた。
大の字で天井を見つめるハシバを、アベたちが銃を構えながらぐるりと取り囲んだ。そして生命活動停止を確認すると、ウェイダにIRC通信を行った。「……サヨナラ……!」同じ頃、上空ではブラックストーンが爆発四散を遂げていた。その断末魔は、死の狂想曲の終わりを告げるかのようだった。
マグロたちの戦いは終わったのだ。
◆◆◆
「……スゴイ店ですね」アベが心の底から言った。今日この高級ヤクザバーに入店してから三度目だ。彼はまだ経験の浅いレッサーヤクザだった。「まあな」向かいには、偉大なグレーターヤクザのハシバが座り、強化ガラステーブルの上で、メン・タイ刻み入り手製巻き煙草の見本を見せていた。
二人はサケを呑みながら、それを吹かした。あまりの強烈さにアベは頭がクラクラした。「ドラッグは嗜み程度にしとけ。格下に自分がどれだけタフか見せつけるのに使う程度だ」ハシバが言った。「ハイ」「ドラッグに溺れるヤクザは、所詮、下の下だ。そういう奥ゆかしさを欠いた奴は、いずれ死ぬ」
どんな家に住みたいかなどの雑談の後、しばし二人は無言で煙草を吹かし、サケを呑んだ。「…いずれ、苦しい二者択一に迫られる事もあるだろう。俺たちゃマグロみたいなもんで、泳ぎ出したら、止まれねえんだ。カネが回ったらなおさらだ」「どうやって選べばいいんスか?二者択一を」アベが問う。
「人間、追いつめられた時、切羽詰まった時に、本性が出る。何事もな、フェイス・トゥ・フェイスだ。ソンケイを積め。そうすりゃな……相手の目を見りゃ解る」「目を?」アベがハシバを見た。「そうだ」ハシバが頷いた。「嘘吐きの目、ラリってる野郎の目、シリアスな野郎の目……そのうち解るさ」
「……俺にも?」「まあ、頑張るこった」ハシバが言った。「そしてクズ野郎を見抜いたら、容赦なく撃て。躊躇すればクズ野郎はお前を利用しようとする。撃ち殺して、ツバを吐きかけて、死体を蹴りつけてやれ。慈悲なんざ見せるな」「ハイ」アベが言った。「じゃあ、これだ」ハシバが札束を置いた。
「これは?」アベが問うと、ハシバは笑って立ち上がった。メン・タイ刻み入りZBR煙草を吸っても、彼は平然としていた。アベには無理だった。彼はハシバに積み上げられたソンケイを感じた。「貸して欲しいって言ってたろ。そろそろクルマでも買っとけ。イカつくてクールなやつをな……」
ハシバは笑いながらバーから出て行った。アベはソファに座ったまま、その光沢ヤクザスーツの背中をずっと見ていた。
【マグロ・サンダーボルト】終
N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)
「ニンジャスレイヤー=サン!君は走り続けねばならない!マグロのように!ペースダウンした時、君は……その装置に仕込まれた爆弾もろとも爆発する!」何たる陰謀!走れ!ニンジャスレイヤー!サンダーボルトの如く!メイン著者はフィリップ・N・モーゼズ。
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