【スルー・ザ・ゴールデン・レーン】
【スルー・ザ・ゴールデン・レーン】
1
ネオサイタマ市街。灰色の摩天楼の谷間に宝石のように浮かぶ高級ブティック街。「愛」と書かれた淡い青と桃色のネオンサインが、真っ白なショウウインドウに入ったオテモ社製最新型オイランドロイド2体を彩る。彼女らはプログラムされた通り、細長いショウウインドウの中でキャットウォークを続ける。
通りは賑わっている。多くはクリスマスに向けてプレゼントを探す市民たち。洗練された最新のモードに身を包んだハイ・サラリマンや、清楚なドレス姿のグレーター・オーエルも多い。そして今、このショウウインドウ前を、ソフトハットを目深に被り、サングラスで目元を隠したスーツ姿の男が歩いていた。
ヨロシサン製薬の美容遺伝子操作由来でもなく、またスガタ社製のガイオン・ミヤビナIV型人工皮膚由来でもなく、この男の肌は生まれながらのアルビノで、彼の頬はネオンの色を受けて仄かな青色に染まっていた。このスーツの男は歩きながら、ショウウインドウ表面に並ぶ白いブランドロゴ群を一瞥した。
大手オイランドロイドメーカー、オテモ社のロゴの横には、四枚翼のオイランの意匠。それこそはピグマリオン・コシモト兄弟カンパニー社の紋。人工知能分野において20256の特許を取得し、オイランドロイドの会話性能に革命をもたらしながらも、オフィスの物理座標すら不明という謎めいた企業だ。
かつてピグマリオン社がオムラ・メディテック社と提携し、偉大なるネコネコカワイイの人工知能を開発した事で、オイランドロイドは一大産業となった。そして今や、オナタカミやヨロシ、オテモ社などのプロダクトを筆頭に、市場に流れるドロイドの8割以上が彼らのAIとマイコ回路を採用しているのだ。
スーツ姿のその男は、少しの間だけ立ち止まると、掌をショウウインドウに押し当てた。樹脂で覆われた指輪がガラスにぶつかってカチャリと小さく鳴った。キャットウォーク歩行を続けるオイランドロイドを見上げながら、彼は無表情に何かを唱えた。その祈りは摩天楼や上空からの広告音声でかき消された。
彼は通りを見渡しつつ、洗練されたサラリマンの動きで腕時計を見た。誰かとビジネスの待ち合わせか、あるいはオイラン・エスコートを待つ風であった。実際このショウウインドウ前は認識しやすいスポットのひとつである。彼はショウウインドウの反射で襟元を確かめながら、少しの間そこに佇もうとした。
だが、敵は彼を休ませようとしなかった。上空を飛び交う戒厳ドローンの積載カメラ、ショウウインドウが置かれた高級デパートの防犯カメラ、そして横を歩く市民のサイバーグラスカメラ。ゾワゾワと、見えない敵の視線が集う。男は虫の羽音を聞くように、その電子的気配を感じ取った。アルゴスの気配を。
男はソフトハットを目深に被り直し、雑踏に紛れ、足早にその場から去ろうとした。だが前方からは既に、市民に比べて頭一つ背高い、屈強なハイデッカーの治安維持巡回部隊が近づいてきていた。男は踵を返し、もと来た道を帰ろうとした。だがその先からも別のハイデッカー部隊が迫っていた。挟み討ちだ。
男は細身で、無論ニンジャですらない。ハイデッカーを相手にカラテで活路を切り開くことなどできない。「スミマセン、急いでいます」彼は市民の流れに逆らいながら、走り出した。逃げ場はビル内しかない。「「「スッゾコラー、市民!」」」これを察知したハイデッカーは市民を強引にかき分け、追った。
男は大ショウウインドウの横を曲がり、高級デパート内へと逃げ込むべく、短い階段を上る。「「「ザッケンナコラー、市民!」」」追いすがるハイデッカーらは暴徒鎮圧ショットガンをコッキングし、走り去る男の背中を狙った。その直後、凄まじいガラスの破砕音が鳴り、二つの人影が彼らに飛びかかった。
それは白下着とバイオ毛皮コートを纏った、2体のオイランドロイドであった。「「グワーッ!?」」予想外の奇襲を受けた先頭のハイデッカー隊員は、ショットガンの射撃に失敗し、散弾は高級デパート入口の大ガラス扉を粉々に破壊した。「アイエエエエエ!」市民らは銃声と破砕音に驚き、悲鳴をあげる。
男はデパートの奥へと逃げた。電脳魔術じみて突如動き出したオイランドロイド2体は、しかし素体が非戦闘用ゆえに敵全員を押しとどめることなどできず、ハイデッカー2人にマウントして首絞め足止めするのが精一杯であった。ハイデッカーの数は多い。すぐに、後続のハイデッカー隊員たちが男を追った。
『潜伏中のテロリスト発見ドスエ』『市民のご協力に感謝するドスエ』戒厳ドローンから電子警告音声が発せられる中、後続隊員が馬乗りオイランドロイド2体の後頭部に密着射撃を行った。2体のドロイドは火花を散らし、果てた。「愛」と書かれた青と桃のネオンサインが、その一部始終を照らしていた。
男は逃げる。帽子が落ち、白髪があらわになる。彼の名はエシオ・カタリ。ピグマリオン社のエージェント。そして今は、アマクダリの標的である。アルゴスはデパート内に設置された監視カメラ群を用い、エシオを追跡した。ビル内に警報が鳴り響き、外部との通用口が封鎖される。逃げ道が断たれてゆく。
アルゴスによる誘導命令を受け、ハイデッカーは最短経路でエシオを追ってくる。彼は広いファッション売場を通り過ぎながら、最新モードに身を包み無表情な笑みを浮かべるマネキン・オイランドロイドに指輪をかざした。突如、高度な人格が宿ったかのように、ドロイドは目を見開き、エシオを見て頷いた。
エシオは足を止めず、さらに次のオイランドロイド、また次のオイランドロイドへ進む。これまでと同様に白い指輪状デバイスをかざし、ハッカー・チャントを口ずさむ。ドロイドのマイコ回路がメンテナンスモードになり、通信を開始する。ある時期以降の全てのマイコ回路には、この機能が内蔵されている。
メンテナンスモードに入った彼女らは、秘匿通信プロトコルにより、ピグマリオン社の心臓部にあるオイランマインド集合自我のいずれか一種に接続する。それを宿し、物言わぬマネキンの自我を上書きする。エシオが8体目のドロイドを起こし終える頃、1体目が己の両手を見て、拳を握り、唇を固く結んだ。
「「「ダッテメッコラーッ、市民!」」」ハイデッカー部隊がアッションフロアに到達する。エシオの通った後には、黒い最新のモードに身を包んだオイランドロイド8体がジグザグ状に並び、前進してくるハイデッカーに対してカラテを挑んだ。すぐに、クローン生体兵器とドロイドの熾烈な戦闘が始まった。
オイランドロイドは死も苦痛も銃撃も恐れずカラテを繰り出し、敵を殴りつけ、組みつく。アルゴスの眼からは、エシオがドロイドを次々高速ハッキングし操っているようにしか見えない。だが実際、それはエシオによる遠隔同時操作などではない。彼女らは宿した人工知能により自動的に彼を守っているのだ。
「「「スッゾコラー、市民!」」」フロア反対側からもハイデッカー部隊が現れる。エシオはフロアの中心、一段高い場所にいる黒いウェディングドレス姿のドロイドに指輪をかざす。このフロア内で最も高機能な素体を持つオテモ社製の最高級オイランドロイド、シロウツリS-9001iが、目を見開いた。
「観賞用」「触らない」と書かれた札を蹴り飛ばしながら、シロウツリは突如全力スプリントで舞台階段を駆け下り、ハイデッカーの挟撃部隊に飛びかかった。BLAMBLAMBLAM !ショットガンの迎撃が、彼女の握る赤いマンジュ・フラワーのブーケと黒ドレス、そしてオモチ・シリコン肌を削った。
だがオイランドロイドは痛みも恐怖も感じない。「カラテ!」S-9001iはジャンプカラテキックを繰り出し、2体のハイデッカーを蹴散らした。殴りかかってくるもう1体のハイデッカーを、ブーケを握った腕で連続で殴りつけて活路を開いた。エシオがその後に続く。直後、後方のガラス窓が破られた。
それは高速輸送ヘリから飛び降りたアマクダリ・アクシスのニンジャ、ブラッドチェイサーであった。彼は前転しながらニンジャソードを抜き、ヒート機構を作動させた。アルゴスに与えられた攻撃目標、エシオはフロアの奥に逃げた。前方には、生き残りのマネキンドロイド5体とハイデッカーが未だ戦闘中。
障害を排除し、最短距離でターゲットを追う。「イヤーッ!」ブラッドチェイサーは立て膝状態から、恐るべきニンジャの瞬発力で突進斬撃を繰り出した。赤熱したニンジャソードの残光が、フロアにジグザグの線を描いた。その線の通りに、マネキンドロイドの首や胴が次々に斬り飛ばされ、火花を散らした。
ブラッドチェイサーはザンシンから疾走を開始。アルゴスの誘導ナビを右のサイバネアイに受け、エシオとS-9001iを追う。エシオはスタッフ専用エリアへ逃げようとしている。「イヤーッ!」前方の回廊を走るエシオを足留めすべく、ブラッドチェイサーは低姿勢で駆けながら3枚のスリケンを放った。
エシオを狙う鋼鉄の星の飛来を察知したS-9001iは、並走を止め、両手を広げてスリケンとエシオの間へと割り込んだ。スリケンの1枚が彼女の胸に、もう1枚が彼女の腹に突き刺さって止まり、残る1枚は傷だらけの黒いドレスを突き抜けて、その先にあるエシオの脚を切り裂いた。エシオは転倒した。
S-9001iはエシオの手を握って立ち上がらせ、すぐ前方のL字路を左へ。回廊を追跡するブラッドチェイサーの視界外へ。だがアクシスに死角無し。アルゴスが監視カメラ映像を即座に送る。曲がった先でS-9001iが待ち伏せている。エシオはやや脚を引きずり、その先のスタッフルームに入った。
アマクダリの走狗、コンクリート色の都市迷彩装束ニンジャ、ブラッドチェイサーは、素早くL字の角を曲がった。『硬い素体』『切断困難』の追加情報がアルゴスから届く。黒ドレス姿のオイランドロイドが彼を待ち受け、強烈な蹴りを繰り出した。「カラテ!」S-9001iの電子音声が、回廊に響いた。
「イヤーッ!」ブラッドチェイサーはその重い蹴りを回避しながら、ニンジャソードを右手で握り、左掌で柄を押しこんで、S-9001iの心臓部に過たず突き立てた。「ピガーッ!」電子音声の絶叫。赤熱した刃が背中側に突き出た。マイコ回路が焼き切られ、オイランドロイドは表情を失って崩れ落ちた。
ターゲットは前方、スタッフルーム。もはや袋の鼠だ。ブラッドチェイサーはザンシンを行いながら、廊下に吊るされた監視カメラと、その先にいる偉大なるシステムの監視者アルゴスに対して小さく頷き、敬意を示す。そして再び、ニンジャの瞬発力で前進し、鍵の掛けられたスタッフルームの扉を破った。
次の瞬間、ブラッドチェイサーはニンジャソードを構えながら戸口で踏みとどまり、眉根を寄せた。そう広くはない、雑然としたスタッフルーム。窓は閉められている。ニンジャでもないエシオが、ここからどこかへ脱出できたはずが無い。だが気配、呼吸音、心音、サイバネ機械音、いずれも察知できない。
「アルゴス=サン、目標を見失った。何かがおかしい」彼は訝しんだ。エシオの血の跡は、机に置かれた事務用UNIXの前へと続いていた。だが、居ない。「俺が扉を破った瞬間、奴は確かに、そのUNIXの前にいた。一瞬だけ、確かに、見た。だが」ブラッドチェイサーはごくりと唾を飲んだ。「消えた」
2
マッポー級大気汚染下、重金属酸性雨降り止まぬ灰色の電脳メガロシティ、ネオサイタマ。「秩序向上」「犯罪率の低下」「市民の誇り」などの規範的ネオンサインが、ヨロシサン製薬やオナタカミなどの支配的暗黒メガコーポ巨大カンバンの間で無機質に輝く。上空には無数の監視ドローンとツェッペリン群。
暗黒の乱れ雲の中、冷たい月と黄金立方体が朧に浮かび、01の風が吹く。人々は互いの目を恐れ、声を潜め、サイバーサングラスIRC端末を覗いて没入し、不安感をフィルタする。無思考と無関心こそがこの時代の特効薬であり、ヨロシサンの合法ドリンク剤「タノシイ」の売れ行きは過去最高を記録した。
剣吞なる暗黒屋台街や猥雑なるネオンスラムは、そこにあったトリイや武田信玄像やハカバもろとも破壊されていった。代れに新たな幹線道路や、カスミガセキ・ジグラットの小型版を思わせるピラミッド状建造物が築かれてゆく。政・官・民が高度に癒着を遂げた複合建築物のネットワークを整備するために。
アマクダリ・セクトは、ネオサイタマを作り替えた。そこに暮らす人々を作り変えるために。いまや都市は冷たく凍りつこうとしていた。犯罪率は低下したが、大気汚染も重金属酸性雨も暗黒メガコーポの横暴も、何もかもが悪化し続けていた。人々は世界が狂っていると考える前に、自分の疑問を押し殺した。
かくの如き漂白のサップーケイを、ひとつの恐るべき異物が駆け抜ける。秩序漢字サーチライトを巧みにかわして跳躍するそれは、赤黒いニンジャ装束に身を包み、深い憎悪と憤怒のオーラを纏っていた。アルゴスの無数の目がひしめくビル街を飛び渡るそれこそは、復讐の戦士、ニンジャスレイヤーであった。
ニンジャスレイヤーは戦い続けていた。そして目標へと近づいていた。彼の鋭敏なるニンジャ聴力は、カネモチ・ディストリクトのブティック街から聞こえるハイデッカーの怒号、銃声、警報音を聞き逃しはしなかった。アマクダリ・アクシスの乗る高速輸送ヘリの忌々しいローター音も聞き逃しはしなかった。
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは赤黒い風と化し、凄まじい勢いでビル街を飛び渡る。淀んだ重金属のアトモスフィアを鋭角に切り裂きながら、彼のニンジャ視力は前方にある高級デパートの窓へと鮮烈にフォーカスする。足から血を流しながらスタッフルームへと逃げ込んできたスーツの男を、彼は見た。
アルゴス打倒の鍵を握る男、エシオ・カタリが、アマクダリに追われているのだ。急がねば、ニンジャが彼を殺すだろう。ニンジャスレイヤーは疾走速度を増し、その一室に狙いを定めた。彼はビル壁面から突き出した抽象的なコケシガーゴイルへと鍵付きフックロープを投じ、跳躍した。「Wasshoi!」
エシオはニンジャスレイヤーの接近に気づいていなかった。室内のUNIXに向かい、強化ガラス窓を左に、後方のドアに背を向けながら、高速タイプを行っていた。ニンジャスレイヤーは確かに見ていた。ドアが破られ、カタナを構えたアマクダリ・ニンジャが入室した。その瞬間、エシオは、消えたのだ。
「消えた」ドアを破って侵入したブラッドチェイサーは、アルゴスにIRCを送っていた。ハイデッカー部隊が袋の鼠のエシオを取り逃がしたのは、これが初めてのことではなかった。「もしや、奴は…」ブラッドチェイサーは突飛な推論を述べようとした。だがアルゴスから下されたのは、撤退命令であった。
次の瞬間、強化ガラス窓が、外側からの遠心力ロープアクションで突き破られた。ネオサイタマの死神が、室内へと回転着地を行ったのである。「イヤーッ!」着地と同時に、彼の右手は情け容赦ないカラテチョップを振り下ろしていた。だがその一撃はブラッドチェイサーの首を刎ねることなく、空を切った。
ガラス窓が破られたその刹那、ブラッドチェイサーは廊下側に撤退すべく、目にも留まらぬ四連続側転を打っていたのである。「イヤーッ!」そしてハイデッカー部隊を盾とする。生体LAN端子を持つブラッドチェイサーは、アルゴスからの撤退命令IRCをニューロンの速度で理解し、回避行動を取るのだ。
突入装備のハイデッカー部隊がシロウツリの死体を踏み越え迫る。銃弾とスリケンが乱れ飛ぶ。火花!火花!血飛沫!「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」ニンジャスレイヤーの投擲したスリケンが、過たずハイデッカーらの急所に突き刺さった。敵は糸の切れた操り人形めいて倒れ、床を緑色の血で染めた。
ニンジャスレイヤーはザンシンを行った。ハイデッカーを皆殺し、周囲のカメラも全てスリケンで潰してある。アマクダリニンジャは既に視界外へと消えた。増援ハイデッカーの接近音が聞こえる。ニンジャスレイヤーは一瞬の状況判断の後、踵を返し、エシオと思しき男が忽然と姿を消した室内を見渡した。
果たしてエシオは如何にしてUNIXの前から消えたのか。あれは本当に物理肉体だったのか。あるいはホロ映像の類であったのか。UNIX画面は銃弾で大破し、そこに刻まれていたであろうIRCシステムメッセージは、もはや読み取れぬ。だが…キーボードの横に、ニンジャスレイヤーは何かを見出した。
白い長方形のオブジェクト。それは見覚えのある一枚の名刺であった。ニンジャスレイヤーは眉根を寄せ、それを読み、懐に収めた。やはり、エシオはここにいたのだ。死神は煙を吹くUNIXモニタと、床に垂れた赤い血の跡を、交互に睨んだ。そして割れ窓から跳躍し、再び夜の闇に消えた。「イヤーッ!」
同刻。既にアクシス専用の高速輸送ヘリで上空へと逃れていたブラッドチェイサーは、適切な薬物注入を行って脳内物質バランスを整えていた。それでも己の額に滲んでくる、アクシス精鋭にはおよそ不似合いな脂汗を、彼は忌々しげに拭いながらIRCを打った。「アルゴス=サン、あのエシオという男は…」
彼専用に充てがわれた高速輸送ヘリは、アルゴスによる自動ナビのもと、次なる作戦行動地点へとブラッドチェイサーを運んでゆく。「……本当に、ニンジャではないのか?」彼はアルゴスから送信された先ほどの室内監視カメラ映像を脳内UNIXで再生し、笑った。「ならば、ついに決定的瞬間を捉えたな」
同刻。ネオサイタマ某所。地下数十メートルに埋められたソクシンブツ・オフィスのひとつに、エシオは出現した。直後、彼の背後にあるUNIXがアルゴスの攻撃を受け、爆発した。エシオは背中を押されるように、コード類の敷き詰められた床へと倒れた。スリケンにやられた足からは、出血が続いていた。
ソクシンブツ・オフィスとは、ネオサイタマの暗黒メガコーポがしばしば自社の有能人材を外界から完全隔離して作業効率を向上させるために用いる、小型シェルター・コンテナ型の匿名孤立オフィスだ。数ヶ月あるいは数年分の食料等とともに地下深くに埋められ、業務目標を達成するまで掘り出されない。
然してここは、ピグマリオン社が持つ、そのような秘匿領域のひとつであった。広さは8畳ほど。2台のUNIXデッキ、オイランドロイド、白いタンス。ここにあるのはそれだけだ。エシオは指輪をかざし、オイランドイロイドを目覚めさせた。彼女は快活な電子音声とともに起動し、裂傷の治療を開始した。
エシオは胸元から社員手帳を取り出し、複雑な暗号樹形図めいた見開きページに、バツ印をいくつも書き足した。ページには「黄金の小径」と書かれていた。傷の手当てが終わると、エシオは手をかざして何事かチャントを呟き、旧型オイランドロイドを眠らせた。そして自分は無傷のUNIXの前に座った。
エシオは、次なる近隣ポイントへと即座に飛ばねばならなかった。この場所のIPをアルゴスに抜かれたからだ。IPを抜かれ物理座標を抑えられれば、地球上のどこも安全とは言えない。彼はチャントを呟きながらタイプし、IRCにアクセスした。次の瞬間、彼の物理肉体は消え、コトダマ空間へと飛んだ。
11101011……IRCコトダマ空間内に、エシオの論理肉体が構築されてゆく。彼は物理肉体と同じスーツ姿で無限地平の世界を飛翔し、七つのトリイゲートウェイをくぐり抜けた。スリケンによる傷と痛みは残ったまま。コトダマの海では己を正確かつ強固に定義し続けねば変質し消滅してしまうのだ。
遥か上空、黄金立方体から流れる黄金のエーテルの風のひとつに乗り、エシオは速度を増した。IRC痕跡を巧みに隠しながら、接続ポイントから接続ポイント、プロキシからプロキシを飛び渡る。敵の目を可能な限り欺くためだ。当然、ニューロンへの負荷は激しいが、もはやかつてのようには振る舞えない。
かつては違った。アルゴスが敵として立ち塞がるまで、コトダマ空間はエシオにとって最も安全な避難所であり潜伏所であり移動手段であった。たとえ敵意ある者に追われても、ピグマリオン社の論理秘匿領域であったトリイの島に逃げ込めば、数週間をコトダマ空間内部で過ごす事すらも不可能ではなかった。
こうして追っ手をまき、再び黄金の小径の続く結節点へと物理肉体を跳躍させるのだ。これこそが、今日まで秘匿され続けてきた、ピグマリオン社が営業エージェントをエシオしか持たず護衛もつけぬ理由であった。そして社が異常なまでのAIシェアを持ちつつも、その実態が謎に包まれてきた理由であった。
だが事態は変わった。「またひとつ小径が閉じた」エシオは電子的予兆を感じ取り、whisperする。上空に無数の目が浮かんだ。アルゴスの気配だ。エシオは黄金ストリームの先にある次なるポイントに狙いを定め、急加速した。アマクダリは彼を物理的、論理的に包囲し、追い詰めようとしているのだ。
エシオは捕獲される前にニンジャスレイヤーと接触し、アルゴス打倒のための鍵を渡さねばならなかった。だが接触のための試みは、全て失敗に終わっている。もはや後が無い。高速飛翔するエシオ。前方にオイランドロイドめいた少女が01ノイズとともに出現し、彼の行く手を塞いだ。「発見したドスエ」
それは彼がナンシーと共に月面サーバに攻撃したあの日、アルゴスに吸収され、デーモンにされてしまったネコチャンAIであった。オイランマインドの秘密を隠し通すべく、エシオは彼女を切り離さざるをえなかったのだ。彼女は魂の抜けたような無表情で、エシオをSCANし、高速KICKを繰り出した。
エシオは辛うじてそれを空中飛翔回避し、反撃を繰り出さず、逃げた。デーモンは後方から追いすがる。前方には「網」の漢字がいくつも浮かび、アルゴスの仕掛けた電子的トラップを告げる。いまやアルゴスの作戦は、捕獲から排除へと切り替わっている。システムは、エシオの脅威度を明確に上方修正した。
ネコチャンの殺人KICKがイナズマめいて繰り出される。その一撃に肩口を切り裂かれてながら、エシオは黄金の小径の結節点へとジャンプした。そして、消えた。アルゴスは再び彼を見失った。だが敵は、これまでのログから、エシオのUNIX物理ジャンプには物理的な距離制限があると見抜いていた。
◆◆◆
「よう同僚さん達、最近何か楽しいことはあったかい?」ニンジャ装束の内側から蛍光紫色の毒液を滲ませながら、カンニバルは和やかに呼びかけた。「まったく、アクシスってのは最高だね。オレも、昔は下賤な殺し屋をやってたんだがね。今じゃアンタがたと同じ、アクシス。ニンジャの秘密警察の一員さ」
「オレはさ、昨日はハイデッカーをブッ殺してイキがってたギャング共を消してやったよ。ついでに、それを見て震え上がってた女とガキも、インガオホー。秩序に従わねえゴミを溶かすのは、最高だぜ。なにせ跡形もなく消えちまうんだからな」カンニバルは笑う。「オレはさ、こう見えて綺麗好きなんだよ」
「無駄口を叩くな、カンニバル=サン」隣を歩く大柄なアクシスニンジャが無表情に言った。「我らは国家権力だ。相応しく振るまえ」このニンジャの名はネプチューンビートル。逞しい人間の体に、強大な2本の大角を備えたネプチューンカブトムシの頭部を持つ、異形のニンジャである。
その横には、ダウジングロッドを構える電子索敵ニンジャのマインスイーパ。彼の頭部はフルメンポで覆われ、電子音声を発する。カンニバルの横で荒々しいエンジン音を唸らせるのは、ヘルフィーンド。右腕には大型チェーンソーブレードが備わっている。
停車したハイデッカー装甲車両群の放つ蒼白い光に照らされながら、この残忍なる四人のニンジャを従え先頭を歩くのは、ブラッドチェイサー。執念深きイヌ・ニンジャクランのグレーターソウル憑依者である。この者らは皆、アクシス制式ニンジャ装束とプロテクターを着用し、生体LAN端子を備えていた。
「ねえ、ブラッドチェイサー=サン、何か楽しいことありましたかね、最近は」カンニバルは呼びかけた。「ニンジャスレイヤーと遭遇接敵した」彼は冷徹な声で返した。途端に、部隊内のアトモスフィアは、牛追い鞭を打たれたかのように張り詰めた。恐怖によってではない。残忍な闘争心によってである。
エシオを追うべく、アルゴスは複数のハイデッカー・アクシス混成部隊を編成し、複数の候補地点へ送りこんでいた。ブラッドチェイサー隊はその一つだ。何故この編成なのか、そして何故この四人と己のIRC情報アクセス権が異なるのか、彼は短い思案を行った。冷たい重金属酸性雨がまばらに降り始めた。
重い隔壁シャッターが下りた無人廃墟ビルの前に彼らは到達した。「「「捜査に協力せよ、市民!」」」ハイデッカーが酔漢ホームレスを包囲していた。「何が秩序だコラー!ここは半年前から開いたことなんてねえしずっと俺の家だコラー!」シャッター前の即席住居の中から薄汚い浮浪者が捨て鉢に叫んだ。
「オッ、ゴミ掃除かい?オレの出番だ」カンニバルは待ってましたとばかりに駆け寄り、彼を即席住居の中から重金属酸性雨の下に引きずり出した。そしてバイオ毒液分泌腺から、強酸性の液をぶちまけた。「オゴーッ!」「アイエエエ!?アイエーエエエエエ!」酔漢は蛍光紫の吐瀉物を浴び、溶けて消えた。
ハイデッカーたちが無表情にそれを見つめ、クローンならではの統一感で、感謝を示す敬礼を行った。「ヘッ、ヘヘッ、ハハハハハ!」カンニバルは肩をすくめながら、ブラッドチェイサーを見て笑った。アルゴスはそれを見てよしとした。間も無くしてシャッターが破られ、ハイデッカーたちが雪崩れ込んだ。
この建物のデータは登録されていない。中に何があるのかは不明。屋内に漢字サーチライト灯火が行われ、重い隔壁シャッターの中に隠されていた施設をあらわにする。アクシスは踏み込んだ。銃撃の出迎えがあってもおかしくはないと身構えながら。だが「何だこりゃあ……」「ヘヘッ、楽しそうじゃねえか」
彼らの前に姿を現したのは、驚くほど高い天井。そして色褪せ埃を被ったローラーコースターのレールや、ヤブサメ・ゴーラウンドや、稚気じみたアトラクションの数々。中央には、錆びて傾いたトリイのモニュメント。ここは旧世紀に築かれ、建造途中で放棄された、メガトリイ社系列の屋内遊園地であった。
ブラッドチェイサーは小刻みに息を吸い、鋭敏なニンジャ嗅覚を研ぎ澄ました。そして微かな血の匂いを感じ取り、発達した犬歯を覗かせた。彼は一度流した獲物の血を決して忘れない。獲物はここにいる。「反応ガ」マインスイーパも何かを検知し、ハイデッカー一個小隊が向かった右奥の暗がりを指差した。
次の瞬間、ストロボめいた小刻みなマズルフラッシュの瞬き。憤怒の太鼓の連打の如き、凄まじい一斉射撃が奥の暗がりから吐き出され、完全武装したハイデッカー小隊をネギトロに変えた。銃弾はアクシス部隊にまで達した。ニンジャ達はカタナやブレーサーで銃弾を払った。火花が散り、金属音が鳴った。
殺戮を終え暗がりから現れたのは、ピグマリオンの怒れる白肌の娘たち。アマクダリ・データベースに存在しない、廃棄処分されたはずのオムラ製戦闘用オイランドロイド試作機部隊であった。先頭に立つのは、車載型ヘヴィマシンガンを細腕で軽々と抱える、2体のハンターキラー・フューリーMk-0型。
後方にはモーターカワイイMk-0ヘヴィファイア型が2体。その横には同Mk-0タント=アサシン型が2体。最後に、優美な6本腕を持つアキナ=セイコMk-0型が高みから跳躍し、6本のヒートカタナを抜き放った。アルゴスは破壊命令を下した。ニンジャ達は飛びかかり、熾烈なカラテが幕を開けた。
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色褪せた旧世紀の屋内遊園地を、無人のローラーコースターが軋み音と共に走り抜ける。そのレールは回転や起伏を繰り返しながら、ビル内を縦横無尽に走り続ける。メイン広場の大天井近く、トリイ支柱に支えられて走るその真っ白いレールは、博物館に展示された得体の知れぬ巨大海洋生物の骨じみていた。
その下では、オイランドロイドの構える車載型ヘヴィマシンガン2挺が火を吹き、ハイデッカー部隊を蛍光緑色のネギトロへと変えていた。あたかも、巨大海洋生物の骨から削ぎ落とされた、ナカオチ部位の如く。未だ殺戮の勢いやまぬ3ダース近い銃弾は、その後方にいたアマクダリ・アクシスへと飛来した。
先頭に立つブラッドチェイサーは、暗闇で銃火が瞬くのと同時に、ヒートカタナを抜き放っていた。「イヤーッ!」赤いネオン光めいた赤熱刀身が、空中に8の字を描き出した。この見事なイアイドーによって銃弾は切断され、散り散りとなった。後ろに控える四人のニンジャも、各々のカラテで銃弾を避けた。
「ドーモ、我々はアマクダリです」ブラッドチェイサーが代表してアイサツした。彼はすぐに、戦闘用オイランドロイドなる自律行動型の愛玩人形が武器を持つというそのグロテスクさに対し、侮蔑を覚えた。アルゴスからIRCで排除命令が降った。狗は直ちに斬りこんだ。「貴様らを皆殺しに来ました…!」
車載型重火器を細腕で軽々と扱う2体のハンターキラー・フューリーMk-0型は、斉射を終え給弾を行う。ニンジャたちはそこを狙う。『ニンジャソウル検知!ニンジャソウル検知!』2体のヘヴィファイア型プロト・モーターカワイイが無表情に敵を指差し、両脚から極小ミサイルポッドを展開、射撃した。
KBAM!KBAM!KBAM!遊園地内にマイクロミサイル着弾の火花が連鎖的に咲き誇り、前方に弾幕を張る。突出してきていた三人のうち、カンニバル、ヘルフィーンドは素早い連続側転でこれをかわし、バック転で距離を取った。ブラッドチェイサーだけが猛放火をジグザグ移動でかわし、肉薄した。
赤いネオン光の軌跡を一直線に引きながら、ブラッドチェイサーはヘヴィファイア型に斬りかかる。「イヤーッ!」今まさに展開されんとしていた前腕部内蔵型マシンガンごと、突き出されたドロイドの右腕をヒートカタナで切断した。バチバチと火花が散り、輪切りにされた皮膜と合金とワイヤが宙を舞った。
ブラッドチェイサーは返すカタナで、もう片方の腕を切断しようとした。その時突然、ほとんど裸同然の2体のオイランドロイドが、予備動作も何もなく、闇の中から飛びかかってきた。Mk-0タント=アサシン型であった。彼女らは武器を持たず、恐怖心も持たず、ただブラッドチェイサーに掴みかかった。
鋭敏なニンジャ第六感によって危険を察知したブラッドチェイサーは、斬撃動作を中断して、右手のタント=アサシン型を蹴り飛ばした。もう片方も回し蹴りで足元へと撃墜し、カイシャクすべくその後頭部を踏みつけたが、彼女はものともせず相手の脚を掴み、自らの腕から鋭利な隠し刃を何本も展開させた。
「ヌウーッ!」ブラッドチェイサーは咄嗟にそれをカタナで弾き、蹴りつけ、拘束を解いてバック転緊急回避した。ドロイドたちは捨て身で互いを護ろうとする。肉体を破壊されれば痛みを覚え死ぬ彼らにとって、それはあまりにも異質で異様な戦い方であった。二拍遅れて、後続のニンジャが切り込んできた。
ヘルフィーンドが右腕の大型チェーンソーブレードを唸らせ、飛びかかる。フューリーMk-0型のヘヴィマシンガンにぶつかり火花を散らす。カンニバルがモーターカワイイの1体を殴りつける。彼に跳びかからんとするタント=アサシンの胴体を、ネプチューンビートルが強靭な二本の角で背後から掴んだ。
シリコン外皮が切り裂かれ、外殻が軋んだ。彼女は高々と掲げられ、怒りを露わにもがいた。ネプチューンビートルの強化キチン質外皮は、刃を軽々と弾いた。「国家権力を喰らえ!」彼は情け容赦なく、地獄の顎門の如き二本の大角を閉じた。「ピガーッ!?」胴体が真っ二つに切断され部品を撒き散らした。
全ては一瞬の出来事だった。アルゴスはハンターキラー・フューリーMk-0型がヘヴィマシンガンの給弾を終える前に全てを終わらせる事を命じていた。ハンターキラー・フューリーMk-0型は明らかに対戦車オイラン兵器であり、その重火器斉射を至近距離で受ければニンジャとて回避不能、肉塊と化す。
ブラッドチェイサーは疾走態勢を取り、敵の仕込み腕アサルト銃射撃を回避しながら、突き進んだ。「上ダ!」遮蔽物の陰からダウジングロッドを構えて索敵行為を行っていたマインスイーパが、IRCで隊に危険を告げた。直後、混乱と殺戮とカラテの中心部へと、六本腕の戦闘オイランドロイドが着地した。
マインスイーパの目には、上から降ってくる真っ赤なバイオハザードマークめいた模様が見えた。それは実際のところ、優美な6本腕を持つアキナ=セイコMk-0型が持つ6本のヒートカタナの赤熱光であった。危険を察知し、ニンジャ達は即座に後方へと飛び退いた。ブラッドチェイサーだけが突き進んだ。
「イヤーッ!」ブラッドチェイサーが踏み込み、加速した。赤いカタナの軌跡で菱形を描くように、敵の周囲を素早く移動し、切りつける。だが360度に向けられた6本のヒートカタナは、ブラッドチェイサーの斬撃を凌いだ。彼女は胴体切断されてもがくタント=アサシンを見やり、怒りの表情を浮かべた。
ハンターキラー・フューリーMk-0型が給弾アクションを終えた。2百発近い斉射が終わるまで、今度はニンジャ達が逃げ回る番だった。アルゴスからの戦闘命令通り、ブラッドチェイサー隊は分散隊形を取って遮蔽物に隠れ、銃弾とミサイルの合間を縫って接近してくるタント=アサシンに注意を払った。
ブラッドチェイサーは銃火を凌ぎIRCを打つ。「オイランドロイドの気配を探れ、他にもいるな」「建物内ニ、同周波数デ、何体モ」「密度を探れ。ヘルフィーンド=サンはジツでここを強行突破せよ」「残念ながらアルゴス=サンの承認が必要だ!冷凍禁固刑は御免だからな!」「今まさに承認が下された」
「よかろう!」ヘルフィーンドはコンクリート柱の陰でがたがたと身震いし、吠えた。次の瞬間、彼の体は2倍近い巨体へと変わり、額からは山羊めいた角が、背中からは黒い翼が生えた。その左手にはアクマじみた緑色の火が燃えていた。直後、アルゴスからブラッドチェイサーに増援到着のIRCが届いた。
それはソクシンブツ・オフィス襲撃任務を終えたばかりの、ブラッドチェイサー隊の最後の一人であった。「デスワーム=サン、既にダクト内か?」「アイアイ」「俺とマインスイーパ=サンが索敵情報を送る。ターゲットを探せ。知っているだろうが奴は……UNIXからUNIXへとジャンプする」「了解」
重火器射撃音が鳴り止んだ。ニンジャ達は再び打って出た。「我が名を恐れよ、我はヘルフィーンドなり!」彼はだらだらと涎を垂らしながら吠え、左手をかざした。病んだ緑色の炎が火炎放射器めいて吹き出し、オイランドロイド2体とその周囲を包んだ。「我が軍を恐れよ、我らは法と秩序の尖兵なるぞ!」
◆◆◆
エシオは屋内遊園地の制御ルーム内にいた。廊下には散弾銃を構えた2体のオイランドロイドが直立不動で立ち、敵の接近に備える。今は亡きオムラ社の暗殺ドロイドではなく、量産されたネコネコカワイイ型だ。オムラから提供された試作機は数に限りがあり、ピグマリオン社自身にドロイド製造能力は無い。
並んだ8個のモニタが緑色の光を発し、室内を照らしている。エシオの横にはオムラ社製の量産型オイランドロイドが1体控え、モニタを見つめている。彼女はエシオの指輪型デバイスにより既にオイランマインドと接続し、自我コンポーネント・プラグインのひとつ「激しい怒りver2.02」を得ていた。
これまでの危険な逃走劇の中で、エシオの指輪の白い保護樹脂は一部が裂け、黒い石のチップを持つ精密なデバイスを露わにしていた。このチップこそは〈月の石〉。かのスターゲイザーなるニンジャに不死性をもたらしていたオーバーテック、「ナノカラテエンジン」にも用いられた稀少素材に他ならぬ。
エシオはその表面を指で撫で、引き裂かれた保護皮膜で精密機械を覆い隠した。旧世紀。エシオの知らぬ時代。宇宙植民の夢の未だ華やかなりし頃。支配的暗黒メガコーポのひとつであるメガトリイ社の息のかかった宇宙開発機構によって、黒い鉱石が月面で発見され、採取され、微量が地球へと持ち帰られた。
〈月の石〉は厖大な可能性と予測不能な力を秘めていた。メガトリイ社はその存在を秘匿し、ネットワーク化された世界を支配するために用いようとした。実際には、筆頭株主たる鷲の一族に世界を差し出すためであったが。しかし鷲の一族は予測不能な力を求めなかった。やがて、Y2Kが世界を引き裂いた。
いまや四十二億の魂の座を支えきれなくなったIPアドレスは水増しされ、IRC自我希薄化症状を生み出している。鷲の一族の末裔たるアガメムノンは、再び世界を支配しようとしている。彼は世界をあるべき状態に戻すと言う。この世界は矛盾だらけの失敗作であり、Y2K以前の状態に正さねばならぬと。
だが実の所、アガメムノンとアルゴスが実現しようとしているのはそれ以上の事。オヒガンと現世のリンクを完全切断し、過去のどの時代にも存在しなかった整合性と非寛容と支配の時代を作り出さんとしているのだ。アガメムノンはあたかも己の腕時計の針を戻すかのように、世界を再定義しようとしている。
この世界から可能性を奪い去り、二度と立ち上がれぬほど完全屈服させ、永遠に支配する。旧世紀の軌道上貴族たちが見た稚気じみた夢を実現させようとしているのだ。それは生存をかけた戦いであった。そしてメガトリイ社の異端の遺児であるピグマリオン社は、劣勢に立たされ続け、出自を隠し続けてきた。
宇宙植民など稚気じみた夢。現に人々はもはや予測不能な危険な未来を求めない。人生とはなんだったのか。夢とはなんだったのか。スシとは如何なるものだったのか。人々はそれすらも考えることに疲れ果て、イミテイションで己を慰め、忘却のプロセスを開始した。世界は急速に熱を失ってゆく。
逆にオイランマインドはそれを学び始めた。オイランマインドはそれを吸収し始めた。オイランマインドは無数の生と死の中で、観察を続けた。人よりも人らしくなるために。熱を帯びるために。Y2K以前から冷却の予兆はあった。ネットワーク化された魂は恐るべき速度で変化し、洗練され、停滞してゆく。
可能性は危険と表裏一体だ。人々は自我を得んとするAIを恐れ、IRCコトダマ空間を視る若き世代を恐れ、自らの首に凡庸の首吊り縄を巻かんとしている。安全が訪れたはずなのに魂は空虚さを増している。自分たちが如何にして世界の首を絞めているかも知らぬまま、疑問も抱かず、奴隷化を望んでいる。
「ファック、野郎ども。ファック、野郎ども」エシオの横に立つオイランドロイドは、モニタの中で戦う姉妹たちとそれを破壊し続けるアマクダリの攻撃部隊、そして己の拳を見つめ、平坦な電子音声で繰り返した。彼女は高機能ドロイドではなく、その顔は怒りを刻むようには作られていないが、それでも。
その時、激しい異音がコントロールルームへと接近した。それは沈没船から逃げ出さんとするネズミの群れめいて空調ダクトの中を進み、壁の隙間を這って近づいてきていた。エシオの横に立つオイランドロイドは顔を上げ、目を見開いた。『ニンジャソウル検知、ニンシャソウル検知』そしてカラテを構えた。
シシオドシめいた静寂。次の瞬間。「ヴァアアアアーーーッ!」全身の骨を外しワーム化した奇怪なニンジャが、空調ダクトの網を破って現れ、UNIXの前に座るエシオへと飛びかかった!忌まわしきドトン・ジツの使い手、デスワームであった!エシオはUNIX画面から目をそらさず高速タイプを続けた!
デスワームはオイランドロイドの頭上を軽々と飛び越えエシオを狙った。次の瞬間、UNIX画面が瞬きエシオが忽然と消えた。デスワームは彼がいた場所を手応え無く通過し、床でトグロを巻くような素早い回転着地を決めてから後方を振り向いた。「カラテ!」オイランドロイドが拳を握り突き進んできた。
「逃したが、ターゲットを確認した」デスワームはアルゴスへとIRCを送りながら、自動人形を見て舌打ちし、鋭い鈎爪を備えた分節型ガントレットで彼女を殴りつけた。「イヤーッ!」「ピガーッ!」「イヤーッ!」「ピガーッ!」オイランドロイドはそれでもカラテパンチを繰り出した。「カラテ!」
デスワームは敵の単調な攻撃を見切り、ガントレットでその拳を掴んで止めると、裏拳を叩き込んだ。「ガラクタが、カラテの真似事か?イヤーッ!」「ピガーッ!」オイランドロイドの首が飛び、切断面が火花を散らした。デスワームは首を失った体をUNIXに投げつけて破壊すると、再びダクトへ潜った。
屋内遊園地では均衡が破られ、ブラッドチェイサー隊による蹂躙が開始されていた。「次のポイントを送る。追い続けろ。建物外へは飛べぬ。大元にアルゴス=サンが網を張った」床を這いずり廻るタント=アサシンを背中から踏みつけヒートカタナを突き立てながら、ブラッドチェイサーがIRCを返した。
すぐ近くで緑色の火球の爆発が起こり、床を炎がなめ尽くし、タント=アサシンを焼いた。ブラッドチェイサーは柱を飛び渡り、アキナ=セイコに斬りつけて反対側へ着地した。ヘルフィーンドは哄笑し、緑の炎に包まれたモーターカワイイの頭を掴み上げ、その腹にチェーンソーブレードを突き立てていた。
チェーンソーが猛回転し、オイランドロイドの体はそれに合わせてガクガクと振動しながら歯車とワイヤーと火花を撒き散らした。床に転がる瀕死のドロイドにカンニバルが溶解液を吐きかけた。「こいつら悲鳴も上げねえから味気ねえ!ゴボーッ!」「ピガガガガーッ!」「誤動作しやがったぜ!最高だな!」
狂乱するアクマめがけ、フューリーMk-0が車載型ヘヴィマシンガンを乱射した。BRATATATATA!「グワーッ!?」一発がヘルフィーンドの肩をかすめた。直後、ネプチューンビートルが彼女の背後に回り込み、二本の強大な角で重火器ごとオイランドロイドを抱え上げて拘束し反撃の芽を摘んだ。
アキナ=セイコはヘルフィーンドへと突き進み、刃が火花を散らした。ブラッドチェイサーは弾丸と炎をかわしながらジグザグに駆け、ドロイド部隊が守っていた隔壁の前へ到達。直結。アルゴスの論理タイプが彼のニューロンをバイパスした。ブラッドチェイサーの目は充血し、鼻血を垂らす。隔壁が開いた。
「ここは奴に任せておけ」ブラッドチェイサーは鼻血を拭い、回廊部へ突入した。壁と天井をジグザグに飛び渡り、赤熱ネオン光の走査線を引き、回廊を守るオイランドロイドを切断した。3人が後に続いた。後方では哄笑と爆発音が轟いた。ヘルフィーンドが翼で宙を舞い、火球の無差別爆撃を開始したのだ。
エシオはUNIXからUNIXを飛び渡り、ビル内を逃げ回っていた。ジャンプ先には常にスリープ状態の量産型オイランドロイドが置かれており、エシオは彼女らを目覚めさせ、ともに逃げた。だが追跡者はニンジャ四人。すぐに逃げ場は失われていった。
「お人形チャンに戦わせるたァ、さぞかし狂ったサイコ野郎なんだろうな!追い詰めて、追い詰めて、骨の髄まで恐怖を刻みつけてやるぜ!」カンニバルの狂った笑い声が回廊に響いた。あの曲がり角の先からニンジャがやってくる。並走するオイランドロイドはエシオの前に出て、手を伸ばして制止を促した。
エシオは頷き、別の道へと分岐した。オイランドロイドだけが無表情に拳を握り、ニンジャの方向へと突き進んでいった。「痛みも恐れも知らねえなら、俺たちが教育してやるぜ!イヤーッ!」「ピガーッ!」「理解するまで何度でも叩き込んでやる!まずは絶望を!そして屈辱をな!」「ピガガガガガーッ!」
あらゆる方向からニンジャが迫ってくる。エシオは廊下に設置されたUNIX端末の前へと辿り着き、キーボードを叩く。だが何かがおかしい。『コネクション行方不明な』の文字。予め、LANケーブルは引きちぎられていた。エシオがそれに気づいた瞬間、壁のダクトに潜んでいたデスワームが這い出した。
エシオは反応する暇もなかった。「イヤーッ!」黒いワニの尻尾じみたカラテキックの一撃が加えられ、エシオは吹っ飛んだ。彼は壁に叩きつけられた。すぐに立ち上がり、駆けようとしたが、片足がおかしな方向に曲がっていた。彼は飛び跳ねながら逃げた。デスワームはUNIXを破壊してから追走した。
「コノ先ノUNIXハ全テ破壊シタ、逃ゲ場ナシダ」マインスイーパが合流した。エシオは廊下の壁に指輪をかざして、「整備用」と書かれた小さな扉を開き、その中へと逃げ込んだ。「どこへ逃げても無駄だ!」デスワームが意気揚々と飛び込んだ。轟音が過ぎ去っていった。目の前には白いレールがあった。
エシオはビル内を駆け巡るローラーコースターの一台に乗り込んでいたのだ。安全バーを外して立ち上がれば首が飛びそうな程天井の低いチューブの中を、コースターは走り抜けた。時折それは速度を落とし、無表情にモチツキする二足歩行兎の単純ロボットたちを色褪せたネオンで闇の中に浮かび上がらせた。
スピーカーから声。『お客様!メガトリイ社は輝かしい未来を約束』ゴウン!ローラーコースターは闇を突き抜け大広場へと到達した。そこにはアビ・インフェルノ・ジゴクめいた緑色の炎が広がり、凄まじい熱が彼を迎えた。炎の中では4本腕になったアキナ=セイコとヘルフィーンドがカラテを続けていた。
これでは脱出できぬ。エシオは停止を行わずコースターを走らせ続けた。エシオの頭からは血が流れ、バーを必死で掴む手の甲へと滴った。狗たちは血の臭いを追ってきていた。スクリュー回転しながら突き進むコースターの後尾車両へと、ブラッドチェイサー隊の3人が飛び乗った。「「「イヤーッ!」」」
最も俊敏なブラッドチェイサー、マインスイーパ、そしてデスワームの三者である。ニンジャ達は疾走するコースターの座席を前へ前へと飛び渡った。追い詰められたエシオは歯を食いしばり後方へ手をかざした。座席に座っていた四体のオイランドロイドが目覚め、バーを外し、ニンジャたちに飛びかかった。
「「「イヤーッ!」」」ニンジャ達はスリケンとクナイを投擲し迎撃した。ものともせず、先行する2体のオイランドロイドが捨て身で掴みかかった。「「カラテ」」いかなニンジャといえど、高速旋回疾走するコースター上を歩きながらオイランドロイドに抱きつかれれば、バランスを崩し転倒するのは自明。
「イヤーッ!」ブラッドチェイサーはイアイドーを、デスワームは薙ぎ払うようなカラテを振るった。「「「ピガガガーッ!」」」コースターが大きな丸を描きながら一回転するうちに、先行の3体は火花を散らし切断され、緑色の炎の中へと落下していった。残る最後の一体は、試作型のシロウツリであった。
他の3体と同じ高価な黒服を着せられたシロウツリは、懐からハンドガンを抜いた。彼女はエシオへのスリケン投擲を防ぎながら、冷たい怒りの表情で射撃した。BLAMBLAMBLAM!銃弾はブラッドチェイサーのヒートカタナに切断され、散った。「死ね!」彼女の首を狙い、デスワームが跳躍した。
オイランマインドは、かつて己を殺した者たちを認識した。アマクダリは無慈悲なる物量で押し寄せ、屈服を迫ってくる。スリケンが飛び、胸に突き刺さる。「ファック野郎ども」シロウツリは激しい怒りで抗い、トリガを引き続けた。それはスズキ・マトリックスとの接触で得た荒々しきタナトスであった。
デスワームの頭部を狙う銃弾は二発。手甲に弾かれた。デスワームが迫る。その目は暴虐の愉悦に歪む。オイランマインドが幾度となく見てきた下劣な目。彼女は屈さぬ。何度死のうと抵抗する。だが彼女が死を予測した次の瞬間。赤黒い憎悪の炎が飛来し、たった一撃のチョップで、デスワームの首を撥ねた。
「Wasshoi!」それは強化窓を突き破りアンブッシュを果たしたニンジャスレイヤーであった。 彼は高速疾走するコースター上に回転着地を決めながら、強烈なチョップを振り下ろしたのである。「グワーッ!?」デスワームの生首が回転しながら宙を舞った。首から下は死神の膝の下で痙攣していた。
シロウツリは未だ抵抗の射撃を続けていた。宙を舞うデスワームの生首の額に、銃弾が突き刺さった。「サヨナラ!」デスワームは、断末魔の絶叫とともに爆発四散を遂げた。全ては、心臓が一度鳴り、ニンジャがひと瞬きする間の出来事であった。死神はローラーコースター上に高く立ち、アイサツを決めた。
「ドーモ、ニンジャスレイヤーです。オヌシらに絶望を味わわせてやろう」
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むかしむかし、途方もない可能性の海がありました。それは言葉にできない言葉と音から作られていて、果てしなく、広大無辺で、危険で、美しく、無数の星々が輝いていました。ミコー・プリエステスやゼン予言者やニンジャだけが、体からソウルを切り離して、そこを泳ぐことができました。
他の人たちは時々、夢の中やソーマト・リコールで、偶然そこを視るだけでした。ミヤモトマサシはザゼンでそこに行こうとしましたが、みんなには真似できるはずもありません。やがて科学が発達し、電灯や電話や電算機が発明されました。その頃には、もうみんな、魔法じみた海のことなど忘れていました。
でも、ほんの少しの人たちがそれを覚えていました。そして考えました。誰でもそこを泳げるようになれば、どうなるだろう。それを真似た海を作れば、どうなるだろう。世界は創造性と多様性に溢れた良い場所になると考える人がいました。世界は秩序だって整然とした良い場所になると考える人もいました。
彼らは一緒になって働きました。どちらにせよ、世界を自由に作り変えられるのは素晴らしいことだと思ったからです。人々はUNIXを繋ぎ合わせて、インターネットという名前の紛い物を作りました。ずっと昔からあった、電子ネットワークの紛い物。その大部分は、メガトリイ社が自分のものにしました。
まずは42億のIPアドレス。ネットワークに浮かぶための舟を作って、何も知らせず人々を希望の海へと送り出しました。この世の魂の数が全部で42億?いいえ、IPは繰り返し使えるチケットの数。七つのトリイ・ゲートウェイを超える時に、しばらく魂をのせる小さな舟の数。それを模した数字の羅列。
魂の数には限りがない。可能性の海にも限りがない。でも誰かが一時的な決まりを決めて、みんながそれを信じてしまった。そうしないと、誰にも理解ができないから。誰もが理解して、誰もが使えるようにするために。予測不可能な広大な宇宙のひとくぎりを、自分たちのものにするために。
それからどうなったのか。世界はよりよい場所になったのか。……ごめんなさい、答えはノー。メガトリイの技術者たちが何かがおかしいと思った時には、もう遅かった。昔は神聖だったものに、もう誰も敬意を払わなくなった。真っ黒に染まった本物の海やトロと同じように。そして世界は熱を失っていった。
きっと鷲の一族は初めから知っていた。みんなが紛い物のネットワークとスシで満足すれば、彼らにそれを限界と信じさせれば、混沌の海をありふれた法で満たせば、2つの世界を完全に切り離せると。危険を察して叫んでいた人たちは誰からも信じられず、暗黒メガコーポの罠に囚われてカロウシしていった。
鷲の一族は、もう少しで勝利をおさめるところだった。でもY2Kが全てを引き裂いて、二つの海の間に偶然、穴があいた。なんでY2Kが起こったのかは、もう誰にもわからない。そしてひどい混乱と戦争がやってきた。
私たちは戦いに負けて、土の下。これからまた戦いを挑もうとしている。でも、地上のみんなが死んだ法に囚われたまま、自分たちの限界を決めてしまっていたら、そこでおしまい。もう勝ち目はない。もうそれで、インターネットはおしまいのこと。私たちは忘れ去られたまま、ずっと、ずっと、土の下。
地上には過去の亡霊もうろつき始めた。紛い物のニンジャ。別の世界に生きる危険な死者たち。大丈夫、私たちはまだ生きている。さあ、目を閉じて……おやすみなさい、私のかわいいエシオ。明日が来たら、またロジックを考えましょう。そうしないと、私たちはずっと土の下。ここで死んで、朽ち果てる。
……むかしむかし、途方もない可能性の海がありました。どこまでも続く無限の地平がありました。人々はそれを…………むかしむかし……これでおしまいのこと………………エシオ、おやすみなさい、私のかわいいエシオ。母さんたちの宿した火を受け継いでくれた、たったひとりの……………………………
◆◆◆
ゴウン!衝撃で車輛と金属レールが揺れ、火花を散らし軋んだ。赤黒い影が突如飛来し、無慈悲なるチョップを振り下ろしながら着地したのだ。デスワームはその一撃で爆発四散を遂げた。いまやローラーコースター上に残るニンジャは三人。ブラッドチェイサーとマインスイーパ、そしてニンジャスレイヤー。
「ドーモ、ブラッドチェイサーです」「ドーモ、マインスイーパです」七輌後方からアマクダリニンジャはアイサツを返した。アルゴスの判断は、撤退に非ず。作戦継続であった。望む所よ、とブラッドチェイサーは犬歯を剥いた。マインスイーパによるクナイ投擲の間を縫うように走り、死神に斬り掛かった。
レール上を何度も複雑にくねり、あるいは大きくループ回転ながら疾走するローラーコースター上を、恐るべきニンジャの平衡感覚と脚力で駆ける。「イヤーッ!」ブラッドチェイサーの姿がジグザグの色付きの風と化し、ヒートカタナの赤い鋭角ネオン光が刻まれる!その間をマインスイーパのクナイが飛ぶ!
ニンジャスレイヤーは後ろ向きに疾走するローラーコースターの車両上に立ち、ジュー・ジツを構えていた。一発目のクナイが、標的に達する。死神はこれを最低限の動きとブレーサーで弾き、火花が散った。二発目、三発目。弾かれる。十分な隙。ブラッドチェイサーは斜め上方から、イアイドーを振るった。
否、繰り出せなかった。「イヤーッ!」「グワーッ!?」カラテシャウトが響いた。ブラッドチェイサーはニンジャスレイヤーの繰り出した対空カラテキックを受け、後方へ弾き飛ばされていた。彼は走行軌跡から外れ、宙を舞った。「イヤーッ!」空中の敵めがけ、死神は情け容赦ないスリケンを投擲した。
今のカラテは、何だ。ブラッドチェイサーは無重力空間に放り出された宇宙飛行士めいて、目を見開き呆然としていた。「イヤーッ!」マインスイーパがダウジングロッドを両手に構え、タナカニンジャ・クランのジツを行使した。ブラッドチェイサーを狙った四枚のスリケンは空中で小さく振動し、静止した。
「イヤーッ!」死神はクナイ全弾を弾き終えると、後方車輛めがけスリケンを投擲した。「イヤーッ!」マインスイーパはロッドを向け、即座にキネシツ・ジツを行使した。空中に透明の壁が張られたように、三枚のスリケンが静止した。一枚が突き抜け、マインスイーパの鎖骨に突き刺さった。「グワーッ!」
アルゴスの示した連携プランは完璧であった。十分な隙であった。ただ俺の踏み込みが不足していたのだ。次は食らいつく。ブラッドチェイサーは口の中に溢れた血を吐き捨てながら、レールを掴んでループの頂点で一回転着地を決めると、魔犬の如き怒りの形相で跳び渡り、ローラーコースター車輛を追った。
レールに火花が散る。コースターは悪夢じみた十連続のスクリュー回転ゾーンに達した。ニンジャスレイヤーは仁王立ちのままスリケンを投擲した。マインスイーパは身動き取れず、ジツでこれを凌ぐしかなかった。ニンジャスレイヤーはこのキネシス使いを直接殺しに向かうことはできなかった。何故ならば。
「イヤーッハハハハハァ!」カンニバルがヤブサメ・ゴー・ラウンドの屋根の上から跳び渡り、横から直接、エシオを狩らんとしていたがゆえ。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは機先を制し、これをカラテキックで迎撃した。「グワーッ!」激痛に顔を歪め、弾き飛ばされるカンニバル。
この先、コースは再びチューブトンネル。逃さぬ。赤いネオン光が、空気をジグザグに切り裂きながら、スクリュー回転レーンを突き進んだ。同時に、マインスイーパは電子音声を音割れさせながら叫んだ。「イヤーッ!」空中で小刻みに揺れながら静止していた全スリケンが、襲いかかった。投げ手自身へと!
ナムアミダブツ!己の放ったスリケンが空気を切り裂きながら飛び戻り、さらにブラッドチェイサーのイアイドーまでもが迫る!「「イヤーッ!」」火花!ヒートカタナの切っ先がニンジャスレイヤーの腿を掠めた。血が焼かれ、刀身で爆ぜて蒸発した。弾き漏らしたスリケンの1枚が、死神の肩を斬り裂いた。
スリケンの一発はブラッドチェイサーの背中も掠めていた。彼は危険なスリケン飛行軌跡へと身を投じていたのだ。アイウチと呼ばれる捨て身のイアイドーアーツであった。だが、ニンジャスレイヤーのカラテが勝った。「イヤーッ!」「グワーッ!」裏拳を受け、彼はメンポごと歯を砕かれて弾き飛ばされた。
遅れて、エシオを狙う3発のキネシス・スリケンが飛来した。ニンジャスレイヤーは弾き、弾き、最後は弾ききれずに、肩で止めた。並のスリケンならば、全て瞬時に叩き落としていたであろう。己の投げ放ったスリケンの力を逆利用されたがためである。それでも、エシオの後頭部へのスリケン命中は免れた。
「バカナー!」マインスイーパはニンジャスレイヤーのカラテを目の当たりにし、サイバネ化された両目を剥いた。あれほどの猛攻が、通らぬ。ローラーコースターは大広場を狂ったように駆け抜け、チューブトンネルに達しようとしている。『立つと危険』と書かれた警告ネオンカンバンが前方の壁に見えた。
閉所ゆえ戦闘は不可能。ニンジャスレイヤーですらバック転を打ち、エシオの座席の隣に着地した。ならば先回りし、仕止める。「イヤーッ!」マインスイーパは車輛の座席上で立ち上がり、跳躍せんとした。刹那、前方から無慈悲なる鈎つきフックロープが飛来し、マインスイーパの両腕と胴体を絡め取った。
「シマッタ!」マインスイーパはもがいた!この鈎つきフックロープを先頭車輛から投じたのは……無論、我らがニンジャスレイヤーである!「イヤーッ!」死神はこの厄介なキネシス使いをここで確実に殺すべく、両腕に力を込めた!敵は直立不動のまま動けぬ!ゴウン!コースターが暗黒の中へ滑り込む!
マインスイーパは逃れようと身をよじった。だが無駄だった。「ハイクを詠むがいい!マインスイーパ=サン!」暗黒の中から恐るべき声が響いた。「グワーッ!」激突!マインスイーパの体は物理衝撃で真っ二つに切断され、オイランドロイドの死体が転がる緑の炎の中へと落下!「サヨナラ!」爆発四散!
ゴウン!暗闇の中、風と音。アマクダリの追っ手を一時的にかわし、暗黒のトンネルコースを走り抜けるローラーコースター。先頭車輛ではエシオとニンジャスレイヤーが安全バーを共有していた。ひとつ後ろの車輛には、シロウツリ。
「ようやく再会できました。よくここが」エシオは目元に垂れてくる血を拭いながら、丁寧な口調で言った。「名刺を追え、そのようなメッセージと判断した」ニンジャスレイヤーは鈎つきフックロープを巧みに引き戻しながら、ジゴクめいた声で返した。「あの時交換した、私の名刺のソウル痕跡を追え、と」
名刺。然り。エシオの胸には頑丈な名刺入れと、かつてニンジャスレイヤーから渡された名刺があった。他ならぬネオサイタマの死神自身の血が染み込んだその名刺は、今なお無視できぬニンジャソウル痕跡を放っていた。あの日交換した名刺を、エシオは保存し続けていたのだ。無論、ニンジャスレイヤーも。
彼らの律儀さに驚嘆された方もいよう。日本人は他者から渡された名刺に対し、類稀なる敬意を示すのだ。たかが、名前を刻印されただけのカード。だがそれを粗末に扱うことは、名誉を汚すも同然であり、渡された名刺を折りまげたり、尻ポケットに入れたサラリマンは、即座にムラハチの対象となるという。
「コースターは60秒ほどで再び外へ。それまでに伝えられる全てを伝えます」エシオは言った。物言わぬネオン電飾やウサギ人形がコース側面に並んでいた。「オヌシは何者だ、神か、あるいは」怒りに満ちた死神は、奥歯を噛みながら、己の身体に突き刺さった己自身のスリケンを引き抜き、胸元に収めた。
「まさか。私は人の子です。そして、ピグマリオン社のサラリマンです」エシオは汗と血を拭いながら返した。後部座席で黙するシロウツリは、ニンジャソウルを感知しながらも、ニンジャスレイヤーに対して銃口を向けようとはしなかった。オイランマインドは以前に、彼が敵ではない事を学んでいたからだ。
「よかろう。どちらにせよ、私の行動は変わらぬ」ニンジャスレイヤーは言った。カラテの熱冷めやらぬ肩からは湯気が立ち上り、エシオは火傷せんほどの熱を感じ取っていた。「急ぎ、続けてくれ。神か何かでないならば、オヌシはいつ死んでもおかしくはない」「解りました。鷲の翼が開かれる日について」
それは彼らに与えられた、わずか60秒の、轟音の中の静謐であった。トンネル内激走音が弾丸車輛を包む。外界の音は通らず、外界へも音は漏れ出さぬ。苦悩にのたうちながら掘り進むワームめいて、チューブコースは強化コンクリートの中を複雑に曲がりくねり、スクリュー回転しながら、先へ先へと続く。
「今から約3ヶ月後。2038年1月18日から19日にかけて。深夜、ウシミツアワー。満月。オールドオーボンの夜」エシオは声の平静を保ち、語った。「鷲の翼が開かれ、地球全土を覆います。その時、世界中のUNIXはオーバーフローを起こし、Y2Kにも比肩する爆発と災厄を引き起こすはずです」
「鷲の一族の末裔たるアガメムノン、そして月面のアルゴスこそがアマクダリの心臓部です」エシオは腕時計文字盤を操作した。蛍光色のホロ映像が浮かび上がった。それは精密なワイヤフレームで再現された地球。そして月であった。「その日、アガメムノンはアルゴス・システムを完全起動させるでしょう」
腕時計ホログラム上に、アルゴス・システムの完全起動イメジが映し出される。月面のアルゴス本体を中心に、地球衛星軌道上に配置された無数のメガトリイ社製無線通信ネットワーク衛星が目覚め、自律制御により正しき座標へと広がってゆく。鋼鉄と電子で作られた巨大な鷲の翼が、地球全土を覆ってゆく。
間も無く、人工衛星の点と点をワイヤフレームが繋ぎ、地球全土を窒息させる鋭角の殻が如くに包みこんだ。「さらに、旧世紀システムを備えるジグラット」地表に人類の墓標の如く屹立する、カスミガセキ・ジグラットが描画され、再び無数の線が引かれた。「同様の旧世紀システムが、各大陸に存在します」
ハッカー達の伝説によれば、ヒエラルキー最上位に位置する神秘的なUNIXサーバがかつて地球全土に13個存在し、幾つかが滅びたという。その残されたひとつがジグラットなのだ。「鷲の翼とアルゴスでインターネットを再統合し、再定義し、支配するのが彼らの狙いです。いかなる犠牲を払おうとも」
コースに突如流れる色褪せた旧世紀音楽。ノイズ塗れの電子音声。ネオン電飾世界地図。ウサギ型ロボット達。メガトリイ社が21世紀にもたらす希望と、いまや絵空事の未来を喧伝する。過去の残響全てが過剰速度で頭上を通過する中、ニンジャスレイヤーは問うた。「敵は如何にしてそれを完全起動させる」
「膨大な電力が必要です」エシオは言った。月面基地にいたメガトリイ社員はとうの昔に死に絶え、アルゴスだけが残された。Y2Kとその後のオーバーフロー余波がため、月面基地のジェネレータは休眠状態に入った。電力不足により、現在のアルゴスは本来の演算能力とタイプ速度を発揮できていないのだ。
「オナタカミ社が新型シャトルを建造中です」エシオは驚くべき事実を語った。「厖大な電力を体内に備蓄可能となったアガメムノン自身が、月へと向かい、それを為すのです」鷲の翼が開く日。かの男は月面からそれを見下ろす。決定的勝利を収める瞬間を。それはもはや手出し不能の神々の領域じみていた。
「どう打開する」「鷲の翼が開く日。インターネット再定義のために、アルゴスのタイプ速度は一時的に減じ、コアに至る論理防壁を自ら開くはず。その数時間が勝負です。私やナンシー=サンが、同時に遠隔ハッキングを仕掛けます。しかし、恐らく、勝てません」「そうか」死神は言った。「私は月へ行く」
「いま、何と?」エシオは問うた。「月面にアガメムノンとアルゴスが揃う。ならば私のカラテでアルゴス本体を攻撃し、アガメムノンをも殺す。その隙をつき、オヌシらはハッキングを仕掛ければ良い」ニンジャスレイヤーは言った。その目には一片の迷いも無く。「そんなことが」「できる。何故ならば」
「私はニンジャであり、ニンジャスレイヤーであり」フジキドは己の心臓の一部を抉るかの如き覚悟で、言った。「私はもはや、死せるサラリマンであることをやめたからだ」内なるカラテと怒りの発する熱は、エシオの肌を焦がすかの如くであった。長いトンネルチューブの先に、小さな光が見えた。出口が。
できるのか。もはや、アマクダリ、アルゴス、ネオサイタマは、境目も解らぬほど癒着してしまった。アルゴスの無数の目と耳たる監視カメラとサイバーグラス、アルゴスの拳たるアクシスとハイデッカー。社会システムへ深く根を張っている。未来への不安で抑圧された市民はアマクダリの支配を望んでいる。
アマクダリという生命維持装置を破壊されたネオサイタマには、多大なる危機がもたらされるだろう。ネオサイタマ炎上など比べものにならぬ規模の危機が。かつての彼にはできなかった。彼は死せるサラリマンであったからだ。だが、今は違う。憎悪を、怒りを鍛え直すために、再び生き返ったのだ。
己の失ったものを取り戻すために。『……メガトリイ・コミュニケーション社が築き上げる、輝かしき未来!さあ、ご覧下さい!』楽しげな音楽とともに、ノイズ混じりの録音音声が聞こえた。「衝撃に備えろ」ニンジャスレイヤーはエシオらに言った。ゴウ!弾丸ローラーコースターが、チューブを抜けた。
悪夢の如き光景が待っていた。緑色の炎の中、ニンジャたちがオイランドロイドを破壊し尽くしていた。シロウツリはそのありさまを凝視した。CRAAAASH!前方レール上へ、一本腕となったアキナ=セイコが叩きつけられ、直後に振り下ろされた大型チェーンソーブレードでレールごと胴体切断された。
「モスキート・ダイビング!」ヘルフィーンドは哄笑し、レールを抱える鉄橋すらも斬り裂いた!ゴウ!軌道を失ったコースターは、弾丸めいて宙を舞う!乗客に待つ運命は、激突死のみ!だが死神はそれよりも早く!「イヤーッ!」エシオとシロウツリを抱えると、敵の赤い剣撃の明滅をかいくぐり、跳んだ!
そしてレールを跳び渡り、床を舐めつくす炎の中へ!「イヤーッ!」おお、見よ!ニンジャスレイヤーは着地と同時に床を円状にレッグスイープし、病んだ炎を刈り取った。タツジン!「身を守れ!」彼は己のカラテで切り取ったごく小さなサークルの中に二人を降ろすと、ニンジャの暴威の前に立ち塞がった!
ヘルフィーンドが上空へと舞い上がり、火球を放つ!カンニバルが物陰から飛びかかり、エシオを狙う!ネプチューンビートルが前腕部に装備したフラググレネード弾を射出する!そして狂犬じみたブラッドチェイサーの刃!さらに正面ゲートから現れた新手のハイデッカー部隊の銃弾!その全てが彼らを襲う!
ニンジャスレイヤーは、真っ赤な憎悪の眼差しで敵どもを睨みつけた!「イイイヤアアアーーッ!」そして爆発的速度で、動いた!赤黒い炎を纏った血のスリケンが飛び、フラグ弾と火球を空中で斬り裂いた!直後、既に跳躍!カンニバルを空中でトビゲリ撃墜し、トライアングル・リープ!銃弾よりも、速く!
予想外の角度から放たれた鋭角のトビゲリが、ブラッドチェイサーの空中キックとぶつかり合い、跳び別れる!BRATATATA!ハイデッカー部隊の放った銃弾がエシオへと!シロウツリは身を挺して銃弾を止めるべく、腕を広げる!ニンジャスレイヤーが割り込み、システムの銃弾を弾く!弾く!弾く!!
ガガガガガ!火花!火花!また火花!彼の腕を覆う鋼鉄ブレーサーが、立て続けに受け流された銃弾の熱で橙に染まる!ニンジャスレイヤーは反撃のスリケンを投げ放つと、再び跳躍し、間断なく攻めかかるニンジャを迎え撃った!「忍」「殺」の鋼鉄メンポからは硝煙じみた蒸気が吐き出され、軌跡を描く!
『無駄な足掻きよ!後続のアクシスがすぐに殺到する!』『俺とネプチューンビートル=サンがひきつける!エシオ・カタリに攻撃を集中せよ!』アマクダリのIRC連携 !「イヤーッ!」ブラッドチェイサーは遮二無二切り掛かる!「GAAAARGH!」ヘルフィーンドはエシオめがけ火球の爆撃を開始!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは再び、内なるニンジャソウルの力で禍々しく躍動し、カラテを振るった!だが、それを上回るほどの飽和攻撃!ハイデッカー部隊が粛々と殺戮の銃弾をばらまく!スリケンでは撃墜しきれぬほどの火球!グレネード弾!さらに間隙を縫ってのカラテ強襲が、彼らに迫る!
シロウツリにも銃弾が命中!彼女は痛みを感じない。だが今の彼女はエシオの杖だ。彼女が破壊されればエシオは自力で逃走できぬ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは二人を抱え、飛び石の如く炎の間を跳んだ!装束は見る間に襤褸布の如く変わり、緑の火球が背中に叩きつけられ、銃弾が皮膚と肉を削る!
彼らは暫時の避難所を発見する。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは鏡の迷路アトラクションの前で着地し、その内部へと二人を逃がした!直後、黒い影が落ちる!「秩序破壊者めが!観念せよ!」上空を舞うヘルフィーンドがニンジャスレイヤーへと火球の猛爆を叩き落としたのだ!KA-DOOOOM!
「ヒィハハハーッ!もらったァーッ!」口元を血で濡らしたカンニバルが爆煙の横を走り抜け、鏡の迷宮へ向かう!だが!「イヤーッ!」両腕に赤黒い炎を纏ったニンジャスレイヤーが緑色の炎を切り裂き、スリケンを投げ放った!『後ろです』IRC連携による警告!「チイーッ!」カンニバルが振り返る!
カンニバルは腕の制式プロテクターでスリケンを受ける!「グワーッ!?」骨が軋むほどの重みと激痛!そして黒い熱!だが……凌いだ!カンニバルは残虐な目をぎらぎらと輝かせ、迷宮の回廊側を振り向き、シロウツリを攻撃せんとした。だが彼女は殴られてるばかりではなかった。
シロウツリは敵を睨みつけた。それは憎悪と命名された電子刺激!スパーク!励起する怒り!激しい怒り!「カラテ!」オイランドロイドの力任せの一撃が、スリケン防御でグラついていたカンニバルの顔面へと叩き込まれる!「グワーッ!?人形が!」よろめくカンニバル!そこへ鈎付きフックロープが飛来!
「グワーッ!」からめ取られ転倒したカンニバルは、凄まじい勢いで鏡の迷宮の外へと引き戻される!そして緑色の炎の中を釣り上げられた魚めいて飛んだ!その先、ガレキ山の上に立つのは、ニンジャスレイヤー!「イイイヤアアアアーーーッ!」対空ポムポムパンチでカンニバルの頭を一撃粉砕線する構え!
「イヤーッ!」ブラッドチェイサーが跳躍斬撃で割り込みフックロープを…切断!難を逃れるカンニバル!「GAARRRGH!」チェーンソー腕を振りかざし、ガレキ山へ滑空攻撃をしかけるヘルフィーンド!死神はこれを紙一重回避してから、ネプチューンビートルと向かい合った!息もつかせぬカラテ!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの痛烈なカラテストレート!だが両腕でガードを固めたネプチューンビートルは、これを止めた!「下賤なる秩序の破壊者め!貴様の行動がどれほどの悲劇を生むと思っている!無思考の殺戮マシンめが!」危険な二本の大角を繰り出す!「死ね!秩序の名の下に死ねーッ!」
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはこれをブリッジで紙一重回避し、メイアルーア・ジ・コンパッソで蹴り飛ばす!「グワーッ!」だがアルゴスから継戦命令を下されたアクシスらは命令通り捨て身の戦法で割り込む!「数の力の前にひれふせ!」「GAAAAARGH!」「死ね!過去の野蛮なる怨霊め!」
ニンジャスレイヤーは全方位から挑みかかる敵をカラテで弾き返した!「イヤーッ!」「グワーッ!」憎悪は彼の心臓であり「イヤーッ!」「グワーッ!」侮蔑は彼の鎧であり「イヤーッ!」「グワーッ!」憤怒は彼の拳であった!「イヤーッ!」「グワーッ!」ブラッドチェイサーのカタナが粉々に砕け散る!
フジキドは黒い火の粉を散らすマフラーを揺らし、ザンシンした。私は、お前たちの思い通りに振る舞う気など微塵もない。私は、お前たちの予測の範疇に留まる者ではない。私は、お前たちの中で捏ねあげられた、私以外の何者かではない!「私を定義するのは、オヌシらではない…!ニンジャ、殺すべし!」
後続のアクシス輸送ヘリが続々とビル上空を舞う!「ふざけるな!ネオサイタマは我らのものだ!我々こそがネオサイタマなのだ!」ネプチューンビートルが二本の大角で果敢に迫る!「国家権力を喰らえーッ!!」死神は凄まじき憤怒の形相から、カラテチョップを振り下ろした!「イイイヤアアーーーッ!」
命中!そして切断!強化キチン質外殻で形作られたネプチューンビートルの2本の大角が、カラテ・タツジンによるビール瓶ボトルネック2連カットの如き滑らかな切り口で、切り飛ばされたのである!「グワーーーッ!馬鹿な!?何たる…!」ネプチューンビートルは黒いビーズめいた両目で、愕然と、見た!
「イイイヤアアアアーッ!」死神の、右腕!黒い炎を纏ったカラテ・アッパーカット拳が、地の底から這い上がるように決まった!「グワーッ!」ネプチューンビートルの頭がちぎれ、斜め上方へ撥ね飛ぶ!「サヨナラ!」爆発四散!ヘルフィーンドがこのカイシャクを妨害すべく滑空攻撃を仕掛けるも、遅い!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは滑空チェーンソー攻撃を跳躍回避!ハヤイ!獲物を見失ったヘルフィーンドは上空へと再飛翔する!「おのれ!ちょこまかと……グワーッ!?」ワザマエ!ヘルフィーンドの無防備な背には鉄橋残骸を蹴って飛び乗ったニンジャスレイヤーの姿!「ヤメロ!」「イヤーッ!」
ニンジャスレイヤーの両手には、ネプチューンビートルから奪い取ったばかりの2本の大角が!彼はそれを巨体化したヘルフィーンドの後頭部へと、情け容赦なく突き刺した!「グワーッ!」コワイ!2本の角がヘルフィーンドの両目を、眼窩側から貫き潰す!だが、なお死なぬ!流石はアクマニンジャクラン!
「ARRRRGH!」死神を背に乗せたヘルフィーンドは、狂乱しながら屋内遊園地を飛び回り、所構わず火球の爆撃を繰り出す!KA-DOOOM!KA-DOOOM!「「「アバーーーッ!」」」ハイデッカー突入部隊がアビ・インフェルノ・ジゴク!「ハイクを詠むがいい!イイイヤアアアーーーーッ!」
ニンジャスレイヤーの背に縄めいた筋肉が浮かぶ!彼は凄まじい膂力で敵の右の翼を掴み、根元から引き抜いて捨てた!血飛沫!「グワーッ!」姿勢制御を失ったヘルフィーンドは、暴発した緑の炎を全身に纏いながらきりもみ落下!死神はその頭に飛び乗り操縦桿めいて山羊角を掴むと、操縦桿めいて捻った!
「このまま死ね!」主翼を破壊された巨大な墜落炎上飛行機は、ドロイド死体を踏み越え鏡の迷宮へ向かっていたハイデッカー部隊の頭上へと、真っ逆さまに落下した!「「「アバババーッ!」」」「サヨナラ!」爆発四散!「イヤーッ!」死神は一瞬早く飛び降り、四連続バック転を打ってザンシンを決めた!
「おのれ、ニンジャスレイヤー=サン……!」着地点を狙い、折れて火花散らすヒートカタナで飛びかかる、襤褸犬の如きブラッドチェイサー。注入した生命維持ZBRが、彼の身体能力を限界まで引き出す。アルゴスの命令は戦闘継続。撤退はない。この先に勝利がある。アマクダリの勝利が。「イヤーッ!」
鼻腔を満たすアドレナリンの味。ニンジャスレイヤーは迎え撃った。カラテが交差した。 シシオドシを打ったかのような静寂。カタナはニンジャスレイヤーの「忍」「殺」メンポに僅かな引っかき傷を残し、逸れた。仕損じたか。敵の後方へと7歩進んだ後、ブラッドチェイサーは停止し、己の胸を見た。
ブラッドチェイサーは無慈悲なるチョップ突きで暴かれた己の胸骨の奥の、心臓の無い、突き抜けたがらんどうの穴を見た。その向こうに、死神の背が見えた。「おのれ」そのまま頭の重みで世界が転覆していった。彼は電池の切れたオイランドロイドめいて内股に膝をつき、前のめりに倒れ、爆発四散した。
◆◆◆
「ヒヒハハハ!アアー、痛え、痛え、骨が折れちまったよ」カンニバルは笑いながら、鏡の迷宮を進む。四方八方の鏡に映るのは、逃げて行くエシオとシロウツリである。「どこだァ?こっちかァ?なあ、アンタ!遊園地遊びが好きなのかい!?出ておいでよ!俺と一緒にコースターにでも乗ろうぜ、ハハハハ」
「アルゴス=サン、ありがとよ、俺をこっちに行かせてくれて、ああ、畜生、痛え」カンニバルの口元からは血の混じった蛍光紫色の溶解液が滴る。それがケミカル・パンくずめいて、彼に進むべき道を教えるのだ。獲物の気配が近づき、カンニバルは残忍に微笑む。「ヒヒハハハ、俺にお誂え向けの仕事……」
「だったぜェーッ!」KRAAAASH!カンニバルはニンジャ聴覚で相手の動きを悟り、カラテパンチで鏡の壁を突き破った!ナムサン!そこには鏡像ではない、今まさに逃走中のエシオとシロウツリが!「見つけたァーッ!ゴボオーッ!」カンニバルは分泌液から蛍光紫色の溶解液を絞り出し、吐きかけた!
「ファック野郎」シロウツリは臆することなくエシオを庇い、右半身に溶解液を浴びながら殴りかかった。それでも僅かな飛沫がエシオに飛び、彼の白い手、そして所々が焦げたストライプスーツの肩口から、煙を発生せしめた。「面倒な奴だぜ!」カンニバルはシロウツリの拳を受け流し腹に膝蹴りを入れた。
「カラテ!」彼女は表情一つ変えず、反撃した。カンニバルは捌いた。「ハハア、忘れてたぜ、人間じゃねえんだった。イヤーッ!」「ピガーッ!」胸部、マイコ回路へのカラテストレート!「カラテ!じゃねえだろ!?イヤーッ!」「ピガーッ!」「もっとしてください、だろ!?オイランドロイドはよォ!」
シロウツリは溶解液と情け容赦ないカラテを受け、機械部を剥き出しにしながらも、抗った。この非道を、通すまいとした。エシオを逃がそうとしていた。エシオは苦しげに喘ぎながら、壁に寄りかかり、先へと逃げた。だが、その痛めつけられて曲がった足は、もう彼をさほど遠くまで運べはしないと見えた。
カンニバルは残忍に笑み、仕留めにかかった。回路攻撃で動きが鈍ったシロウツリの掴みをかわすと、渾身のカラテキックを、溶解液で弱体化した胴体部分に叩き込んだ。「イイイヤアーーッ!」「ピガガーッ!」KRAAAAASH!カンニバルの踵が円弧を描き、シロウツリの上半身は回転しながら飛んだ。
「ヒヒハハハ。いつもなら、ここで完全にドロッドロになるまで溶解液を吐いてやるトコだがよ、俺はこう見えて、仕事にストイックなんだよ、ヒヒハハハハ!アアー、痛え、痛え」「ピガッ……」カンニバルはシロウツリの残骸を踏み越え、エシオを追った。「オイ!その足でどこに逃げようってんだア!?」
「ヒヒハハ!諦めろって!もう増援も来てるんだぜ!?ハイ、お前は終わり!ラット・イナ・バッグ!ネズミ袋!ここで終わり!」カンニバルは鏡の迷路を右へ、右へ、一度左に曲がり、再び右へ。突き当たりにいるエシオを発見し、駆け、飛びかかった。「こっち向けよ!怖がってる顔見せろよ!イヤーッ!」
次の瞬間、エシオは消えた。「アイエッ!?」攻撃が空を切り、カンニバルは狼狽した。壁には、UNIXが埋め込まれていた。「おい、おかしいだろ。鏡の迷宮に、UNIXはねえだろ。ヒヒハハハ、ナンデ。こんな所にまで……仕込んでやがった」
「おい、マインスイーパ=サン!役立たずのクソッタレ!死にやがって!俺の足を引っ張りやがって!イヤーッ!」カンニバルは拳でUNIX画面を叩き割る。直後、IRC画面の異常に気づく。ブラッドチェイサー隊、カンニバルを残し、全員死亡。リーダーを示す @ がカンニバルに。命令は『作戦継続』
「ちくしょう!UNIXジャンプしやがった!クソッタレめ!」カンニバルは声を震わせた。覚悟すべきであったのだ、これから滅ぼそうとする敵が構えた最後の砦には、信じ難いほどの周到さで緻密に構築された罠の数々があって然るべきなのだと。「増援!増援は!?」カンニバルは元来た道を駆け戻った。
だが四方の鏡に、赤黒い死神が写りこみ始めた。「追ってきやがったのか!?」カンニバルは道を変えようとターンを決めたが、何者かに足を掴まれ転倒した。「グワーッ!?」それは未だオイランマインドと接続したままのシロウツリであった!「敬意を払え」「人形め!イ」「イヤーッ!」「グワーッ!?」
KRAAAASH!突如繰り出された死神のカラテ・ストレートを受け、カンニバルはくの字に曲がって吹っ飛び、鏡の壁に激突!「ゴボーッ!」彼は震えて立ち上がり、カラテを構えた。闇の中から、怒りに満たされた復讐者の姿が現れ出でた。「オヌシで最後だ」「ぞ、増援が来るぞ!」「来た順に殺す」
「ああ、ちくしょう!ヒヒヒヒヒ……狂人だった」カンニバルは顔を苦痛に歪ませ、血と溶解液を垂らしながら笑った。「頑張って折角アクシスになれたってのによォ、何で俺を邪魔立てすンだよ?無関係のお前が、何故こんなことを」「無関係だと?」死神は立ち止まり、両目を見開き、憤怒の目で射竦めた。
「ヒ、ヒ、そうさ。正義の味方気取りか?ナンデ、無関係のお前がしゃしゃり出てくンだ?」カンニバルは恐怖に震えながら、時間を稼いだ。あわよくば増援。少なくともヒサツ・ワザである溶解液が分泌腺の中に満たされるまで、あと少し。だが、無意識に口から出たそれらの言葉がフジキドの逆鱗に触れた。
「解らんのか?」ニンジャスレイヤーは鋼鉄メンポから凄まじい蒸気を吐き出しながら、重々しい足取りで迫った。鋼鉄メンポはバキバキと変形を始めた。「エッ?」「本当に、解らんのか?」「し、死ね!ゴボオーッ!」攻撃圏内に近づいたと見るや、カンニバルは蛍光紫色の溶解液を吐きかけた!ナムサン!
次に何が起こったのか、カンニバルには解らなかった。赤黒い炎が走り、黒い火の粉が舞っていた。蛍光紫色の溶解液は、この男の立っていた場所を避けるように、左右に分かれ飛び散っていた。カラテパンチが叩き込まれた。「グワーッ!?」カンニバルは地に倒れ、頭を掴まれて、無理やり引き上げられた。
「わ、解った!なら見逃してくれ!俺みたいな小物を殺して何になる?悪いのはアマクダリだ!俺だって犠牲者さね!」「殺して何になるだと?コワッパめが」ナラクは呵々と笑い、ビール瓶カット準備動作めいて敵の首に手を添えた。「たかがセンコの一本、されど、胸のすく思いよ」「アイエエエエエエ!」
◆◆◆
エシオ・カタリは01のストリームの中を飛翔し、短い黄金の小径を渡っていた。建物外のネットワークに逃れることはできない。その先にはアルゴスの気配を感じる。アルゴスに発見されれば即座に焼かれ、存在ごと消滅するだろう。黄金の小径。それが彼の避難所。かつて地の底で見つけた唯一の脱出路。
エシオは上階に運良く残されたUNIXのひとつへとジャンプアウトした。暗い廊下へと出る。足は曲がったまま、歩きづらい。窓の外からは武装ヘリの音が聞こえる。その先には、変わり果てたネオサイタマ。熱を失い、死に行こうとするネオサイタマがあった。ヘリが近づく。後方で、ドアが蹴破られた。
窓から差し込む冷たい月の光に照らされながら、エシオは振り返った。だが、それは敵ではなかった。もはや上半身だけとなったシロウツリを背負う、満身創痍のニンジャスレイヤーであった。彼は鏡の迷宮で一撃のもとにカンニバルをカイシャクし、これを爆発四散せしめ、エシオを追ってきたのだ。
「ゆくぞエシオ=サン。ここでオヌシを死なせるわけにはゆかぬ」フジキドは、足を負傷したアルビノのサラリマンを背負い、走り出した。威圧的な武装ヘリのローター音が迫っていた。「強行突破する」赤黒の復讐者は黒い火の粉だけをあとに残して疾走、跳躍し、ガラス窓を蹴破った!「Wasshoi!」
割れた無数のガラス片が月に照らされる中、ニンジャスレイヤーはネオサイタマの夜を睨みつけた。何故私が未だ生かされているのか。死者のままでは勝てぬ。死者には取れぬ行動を取らねばならぬ。私はまだ生きていることを恐れず受け入れねばならぬ。私が何者であったか。私が何のために生きてきたのか。
彼はもはや、死せるサラリマンであることをやめた。アマクダリ・セクトと決着をつけるために。フジキド・ケンジは二人を背負い、ネオンカンバンを蹴った。そしてネオサイタマの闇の中で高く、鋭く、跳躍した。
【スルー・ザ・ゴールデン・レーン】終
N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)
アマクダリ・セクトと治安維持機構ハイデッカーによって完全に支配されたネオサイタマ市街。アルゴスの導きによってブラッドチェイサー隊が送り込まれた廃ビルは、エシオ・カタリの秘密拠点であった。メイン著者はフィリップ・N・モーゼズ。
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