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【ライズ・アゲンスト・ザ・テンペスト】

◇総合目次 ◇エピソード一覧


この小説はニンジャスレイヤー第3部後半「鷲の翼編」のTwitter連載時ログをアーカイブしたものです。このエピソードは物理書籍未収録作品です。第2部のコミカライズが現在チャンピオンRED誌上で行われています。


◆◆◆



「イヤーッ!」「グワーッ!」えぐり込むようなニンジャスレイヤーの拳がスキールニルの心臓を強打すると、コンマ2秒後、焦茶色装束の偉丈夫のニンジャは渦を巻いたように一瞬、ねじれ、そののち、回転しながらフスマを突き破り、吹き飛ばされた。「アバーッ!」

 KRAASH!KRAAASH!KRAAASH!三層のフスマを破砕し、スキールニルはトコノマの木彫りワータヌキ像に衝突した。等身大のワータヌ像はバラバラに砕け、黒い木材が散らばった。「アバッ……アバッ!」「もはやオヌシの命運尽きたり」ジゴクめいて言い放ち、死神はタタミを踏みしめた。

「……マッタ」スキールニルは片手を掲げ、懐からマキモノを取り出した。「これが……これが今回のソウカイヤ・ミッション詳細……ハーッ……そして乱数表だ……好きに辿れ……だから……」血走った目は恐怖に見開かれている。ニンジャスレイヤーは立ち止まった。「頼む」スキールニルは言った。

「俺には弟がいる。ニンジャの俺が死ねば……奴は路頭に迷う」オシイレ・クローゼットの中で、ヤブハチは息を呑んだ。恐怖の涙が溢れた。ヤブハチは頬の内側を噛み、奥歯のガタつきを殺した。「頼む!」スキールニルは叫んだ。「だから……」「イヤーッ!」「アバーッ!」

 ニンジャスレイヤーはスキールニルの膝を踏み砕いた。もはや逃げられぬ。そして言った。「同じような命乞いを、オヌシはこれまで何度聞いてきた」「わかってる……わかってるさ」スキールニルは震えた。「虫のいい願いだって事はよ……い、いざテメエの命が危うくなった時、わかる事ッてのがあった」

 オシイレ・クローゼットのフスマには、朱色のオヒガン・ローズが美しく描かれている。それを一枚隔てて、ヤブハチはただ、力なく、スキールニルの……兄の死の瞬間を迎えようとしていた。「俺は」スキールニルは言葉を詰まらせた。ニンジャスレイヤーは……「イヤーッ!」スキールニルが仕掛けた!

「イヤーッ!」苦し紛れの攻撃はチョップで相殺された。「グワーッ!」スリケンを構えた右腕が吹き飛び、赤い血が噴き出す。「イヤーッ!」「グワーッ!」脳天を無慈悲なチョップが撃ち抜いた。「……善悪の審判に興味はない」ニンジャスレイヤーは言った。「サヨナラ!」スキールニルは爆発四散した。

 ヤブハチは一部始終を見ていた。ニンジャスレイヤーはオシイレ・クローゼットの方向を一瞥したように思えた。だが死神はフスマに手をかけなかった。死神はマキモノを懐におさめ、「イヤーッ!」ショウジ戸を蹴り破って、ヤクザの館を飛び出した。後にはヤブハチ唯一人が、闇の中に残された。

 ……ヤブハチの名は、今は、アルビオンという。アルビオンは、アマクダリ・セクトのニンジャである。


【ライズ・アゲンスト・ザ・テンペスト】


1

 岡山県!かつて邪悪なる修道会が悪行の限りを尽くした地点よりさらにその先、断崖を登った先に、静謐なるドラゴン・ドージョー始まりの地、ドラゴン・シュラインが存在する。生きて動く者は唯一人。専用の整地棒「クマデイ」を用いて白砂に見事な模様を描き、枯山水を作る者の名は、フジキド・ケンジ。

 またの名をニンジャスレイヤーという。赤黒の装束を着たニンジャは「忍」「殺」のメンポの隙間から白い息を吐き、背後の空を振り返った。彼の瞳の虹彩はジゴクの石炭めいて赤い。その視線の先には、01ノイズの渦巻く霞の向こう、ゆっくりと自転する黄金の立方体がある。

 生きて動く者は、彼一人。鳥影すらもない。「イヤッ!」ニンジャスレイヤーは短いカラテ・シャウトと共に枯山水の岩へ飛び移り、白砂を散らさぬように離れた。そして彼はシュラインの石段を昇った。灰が満たされた石壺にセンコを刺し、「イヤッ!」チョップの摩擦熱で火をつけ、煙を装束に焚きしめる。

 これはシュラインに立ち入るために必須の神秘的なプロトコルである。センコの煙は修行者に誘惑を囁くボンノの霊を退けるとされる。現実的な意味はなかろう。しかしその過程そのものがセイシンテキのために重要なのだ。やがてニンジャスレイヤーはシュラインの入り口に備えられた大鈴の縄を鳴らした。

 ガラン……ガラン……緑青に塗れた鈴は、遠い太古の昔から鳴るような荘厳な周波数を発した。ニンジャスレイヤーは懐から巾着袋を取り出し、そこから黒く錆びついた古銭を掌に乗せた。そしてそれらを賽銭箱の格子の中へ投げ入れたのである。ガゴン……ゴン……ゴゴン。ニンジャスレイヤーはオジギした。

 そして彼はシュラインの中へ足を踏み入れた。正座した彼を、ドラゴン・ブッダ像が睨み下ろす。精緻な像には凄まじい無言のアトモスフィアが宿る。並の修行者であれば失禁、或いはモータルであれば心停止に至る可能性すらあろう。だがニンジャスレイヤーは沈黙のうちに、膝の前に桐箱を置いた。

 桐箱の蓋をずらすと、中から鈍色の光が迸った。否。読者の皆さんのその印象は錯覚だ。しかし、迫力に打たれ、そのような錯視をしてしまったとしても、責められはすまい。箱のなかに収められていた品はそれほどの大業物であった。桐箱の蓋には、ドウグ社のエンブレムが焼き印で捺されていた。

 箱のなかに収められていたのは一対のブレーサー(手甲)……極小さく、「道具」「真打」と刻印されている……そして……おお、ゴウランガ……闇めいて光を返さぬ鎖で繋がれた、ヌンチャクであった。特筆すべき事には、ヌンチャクのボーは、一方が木によって、もう一方が金属によって作られていた。

 この造りには意味があった。これは決戦において、ニンジャスレイヤーが絶対に必要とする武器であった。正座したまま、彼は厳かにブレーサーを装着し、ヌンチャクを手に取り、桐箱を横にのけた。「スウーッ……ハアーッ……」彼はドラゴン・ブッダを見上げた。そして立ち上がった。

 ミシミシと音が鳴った。彼自身の筋肉と、関節が鳴らす音であった。ニンジャスレイヤーはじわじわと腰を落とし、中腰姿勢になった。そして、「イヤーッ!」ヌンチャク・ワークを開始したのである!「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」

 ZZZZOOOOOM!天高く、雷鳴が轟いた。それはかの敵のジツではない。この地に降り来る竜の息吹、嵐の拳である。彼は参拝に訪れたのではない。雷に臨むために、この地を訪れたのだ!「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」戦うために!「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」勝つためにだ!


◆◆◆


 ドラゴン・ブッダ像の膝下の台座へダンゴを奉納し、シュラインの外へ出ると、霧雨がパラついた。ニンジャスレイヤーの肩に雨粒が触れ、ほの白い蒸気となる。ドロドロと雷鳴が鳴り、雲の中で光が生ずると、0と1のノイズがさざなみめいて空を舞った。ニンジャスレイヤーは頷き、跳んだ。「イヤーッ!」

 屋根、そして岩肌へ飛び移り、更に飛び、槍めいて切り立った崖を掴んだ。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは崖の切れ込みや出っ張りに指をかけ、ニンジャ握力とニンジャ敏捷性を遺憾なく発揮して、さらに上の標高へ。KABOOOOM!稲妻が弾けた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは上りきった。

 遥か頭上を高速で雲が流れている。空は灰色だ。黄金の立方体は距離感の無い高度で冷たい光を投げている。ピリピリと音が響き、微かな稲妻の筋が閃いた。ニンジャスレイヤーはヌンチャクを構えた。「スウーッ……ハアーッ」チャドーの呼吸。その背からドラゴンが飛翔する如く、白い煙が立ち上る……。

 KRA-TOOOOM!「グワーッ!」ニンジャスレイヤーに落雷した!彼の視界は白く染まり、暗転した。よろめき、踏みとどまる。足元から全方向にビリビリと稲妻の余波が逃げていく。さながらそれは地に落ちた幼い神話のトカゲめいて。ニンジャスレイヤーは膝をついた。焦げた装束が血によって蘇る。

「スウーッ……」ニンジャスレイヤーはよろめきながら立ち上がった。「……ハアーッ……」命がある。雲間が光り、威圧するように雷鳴が鳴った。これは必要なダメージだ。今の落雷で呼吸を掴んだ。否、掴まねばならない。立て続けに落雷を受ければ、ニンジャスレイヤーは死ぬであろう。「スウーッ……」

(((フジキド!心せよ。次に落雷を受ければ犬死にだ)))ナラクに余計の言葉はなかった。「ハアーッ……」ニンジャスレイヤーは目を見開いた。充血した目元から血の涙が溢れた。血液は体熱に焼かれ、白煙に混じった。ニンジャスレイヤーはヌンチャクを握りしめる。ドロロロロ……雲が光る!

 混濁しかかった意識が徐々に晴れる中、ドウグ社のグランドマスターたるサブロ老人の言葉が浮かび、染み入った。(ヌンチャク。一方はブレーサーと同様、ドリームランド埋立地地中深くより掘り出された産業レリック鋼を素材としております。雷であっても、決して溶かされる事はありません)

 産業レリック鋼は、もとは埋め立てられた廃棄物である。有害物質によって腐食した金属が自重によって徐々に圧縮され、様々な奇跡的・複合的な要因をもって、奇怪な鉱石に変じる。電子戦争以前の微かな記憶を宿す、滅びの鉄である。(ナノカーボンの鎖が、もう一方と繋ぎます。こちらは、木です)

 材料となる木はサブロが用意したものではない。フジの樹海に、変性した黒檀が生える地点がある。ニンジャスレイヤーはマスターヴォーパルから地図を購入し、自ら求めて入手した。サブロは言われるがままにそれを用いたのだ。(削り、磨く過程で、私は木の呻きを聞きました。恐ろしい声を)

 サブロ老人は黒い表面を撫でた。(木でありながら、鋼のように重い。ナノカーボンの鎖と、この木が、雷を遮る助けとなりましょう)老人の声には静かな熱が篭っていた。(ご武運を)

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは虚空にヌンチャクを繰り出した!記憶の断片は白い熱と共に吹き払われた。一瞬遅れて破裂音が骨を揺らした。ニンジャスレイヤーは死んでいなかった。彼は黒檀の柄を持ち、産業鉄の柄を振り回した。産業鉄の柄は白金色に染まった。稲妻を吸い、捕らえ、輝いていた。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは腕のスナップを効かせ、ヌンチャクを振った。KABOOOOOM!十数メートル離れた地点に隆起した岩が爆ぜて砕けた。ニンジャスレイヤーは目を見開いた。(((慢心すべからず。来るぞ!)))「イヤーッ!」KABOOOOOOOM!

 ニンジャスレイヤーに雷は見えない。聞こえてもいない。ニンジャ第六感が、全身の皮膚感覚がかろうじて掴む予兆だけが頼りだ。それは人が朝の軒先で雨の兆しを感じ取るのにも似ている。兆しの感覚にすがりつき、たぐり寄せ、身体を動かす。すると、そのコンマ数秒後に、稲妻が来たる。

「イヤーッ!」KABOOOOOOOOM!……「イヤーッ!」KABOOOOOOOOOM!……不意にニンジャスレイヤーは倒れこみ、へばりつくように匍匐した。KRA-TOOOOOOM! タタミ数枚離れた地点に積まれた石に、落雷した。「スウーッ……ハアーッ……」体力の限界である……!

 ニンジャスレイヤーは寝返りを打って仰向けになり、大の字に手足を投げ出した。KABOOOOOM!ZZZZOOOOOOOM!見上げる厚い雲の内外に稲妻が荒れ狂い、降り来る雨が、焼け焦げた身体を冷やした。ニンジャスレイヤーは目を閉じた。


◆◆◆


 岡山県。大型オンセンハウス、「マサシの悟り」。オープンテラスに配置されたカラカサと長椅子のひとつ、闇に溶けこむように腰を下ろし、濃いマッチャを呷る者あり。もとより湯治客の数は少ないが、彼はそれら市民とはアトモスフィアを異にしていた。

 着流しの下、胸板や手足にはサラシが巻かれ、黒い覆面めいた布で鼻から下を覆っている。目元だけでも、幾つもの古傷を認める事ができた。岡山県のオンセンには外から多種多様な人間が訪れる。詮索する者はない。否、詮索しようものなら命に関わる。非ニンジャの本能的な恐怖がそれを知らせるだろう。

 アルビオンは冷たい風を感じた。こんな遠方であっても、0と1の風は流れる。「……」マッチャの表面にさざなみが走り、湯呑みがミシミシと音を立てる。アルビオンに同行者は無い。彼は独自に敵の足取りを追い、この地にたどり着いた。「あの……ダンゴドスエ」ナカイ・オイランが震える声をかけた。

 アルビオンは女を見た。オイランは盆を落としかけた。アルビオンは素早く盆を手で支え、己の横に置いた。四角い焼き物の皿の上に、ダンゴが二串乗っている。彼は覆面を引き下ろし、一粒ずつ咀嚼する。場合によっては、これは最後のダンゴの味だ。「……」オイランは震えながら立ちすくんでいる。

 アルビオンはダンゴの串を掴み、一度に咀嚼した。「アイエエエ」オイランが微かに呻き声を漏らした。アルビオンは目を離さない。長椅子から立ち上がる。オイランの首を掴み、その唇をいきなり荒々しく吸った。オイランは恐怖と高揚に朦朧となった。アルビオンは彼女を引きずるように自室へ連れて行く。


2

 KABOOOOOM!壮絶な落雷がショウジ戸を黒白に光らせた。アルビオンはショウジ戸を引き開ける。「近いな」吉兆か。凶兆か。大粒の雪がハラハラと降りきていた。等間隔のボンボリ柱が柔らかい明かりでそれを照らす。アルビオンはフートンを振り返った。オイランの汗ばんだ背中が濡れて光った。

 KABOOOOOOM!再びの落雷。オイランが寝返りを打ち、息を吐いた。「雷が……」女は呟いた。「お前、名前は」アルビオンは尋ねた。女はか細い声で答えた。「ヌノメ」「ふうん」アルビオンはタタミに腰を下ろした。デジタル時計表示を見れば、午前3時。不意に彼は問うた。「お前、故郷は?」

「……ドサンコ」「そんな遠方から、流れ流れて、この地か」「もとは湯治でした」ヌノメは答えた。「肺が弱くて。オンセンは効きました。だから帰ってもよかった。でも、帰ってどうするのか考えたら、急にどうでもよくなって」「それでオンセン・オイランか」「ここは静かで、平和です」「……そうか」

 ヌノメは乱れた髪を整え、室内のマシンを用いてチャを淹れる。アルビオンはそのさまを見守った。彼女が旅人の素性を訊いてくることはない。ぶしつけだからだ。アルビオンは自ら話しはじめた。「俺はネオサイタマから来た」「遠いところを。湯治ですか」「そう見えるか」「いいえ。……物騒なお話?」

「人を殺しに来た。違うな。ニンジャを殺しに来たのだ」「そうですか」「……平気のようだな」「もう、平気です」ヌノメは静かに答えた。「あなたは私を殺しますか」「そうだな……」アルビオンは半眼になり、開いた手帳に書かれた棋譜を見ながら、ショーギ盤に駒を並べ始めた。「死にたくないか」

「わかりません」「そうか」駒はショーギ盤でパチパチと音を立てる。「女を殺すのが好きなニンジャは随分居る。おれも似たようなものだ。無抵抗の相手を殺す、時にはわざわざ抵抗できないようにしてから殺す。そこそこ面白い」「……」「お前を生かすか殺すか、どうしたものかと考えている」

 アルビオンのニンジャ聴力はヌノメが唾を飲む音を捉える。駒を一つ。また一つ。アルビオンは横目でヌノメを見る。「己の生き死にはどうでもいい体だが、嘘だな。お前は恐れている」「それは……そうです」ヌノメは乾いた唇を舐めた。「痛みがあります」「そうだ。痛めつけて殺す。でなくば、つまらん」

 ヌノメは答えに詰まった。アルビオンは低く笑った。「恐怖からは自由でいられない。痛みからは自由でいられない。死にたがりとて、死ぬ間際は赤子めいて泣き叫ぶものよ」チャを飲み干し、ヌノメに突きつける。ヌノメは緊張した手つきでオカワリを淹れる。「……数日前にこの宿を利用した男が俺の敵だ」

「数日前に?」「思い当たるか。教えねば殺す」「……」アルビオンはチャを受け取り、飲んだ。「ハハハ。くだらん。奴の向かった先はわかっている。ドラゴン・シュラインだ。俺は……そうだな。明日にでもここを発ち、奴に挑み、殺すのだ」「敵の名前は?」「フジキド・ケンジ。ニンジャスレイヤー」

「テレビの」ヌノメは呟いた。アルビオンは頷いた。「あの報道はここまで届いているか。凶悪犯罪者フジキド・ケンジ。ハハハ。くだらん。奴はニンジャであり、我らアマクダリ・セクトの敵だ」ヌノメは複雑な思いを隠して聞いている。このアルビオンは、何故そのようなクリティカルな事実を明かすのか。

「奴は、おれの組織……アマクダリ・セクトの敵だ。だが、おれは組織にこの旅を明かしていない。戻ればケジメだ。いや、セプクか……どうだろうな……」駒を並べ終えた。小さな世界に、にらみ合う二つの城塞が出現した。アルビオンは一つ一つ駒を動かし、戦況を展開させてゆく。「奴は俺の兄を殺した」

「その……組織に、お兄さんも?」「否」アルビオンは駒を動かす。「そのとき、おれはまだ十代だった。おれはオシイレ・クローゼットに隠れていた。兄貴はおれの存在を奴に語り、生きながらえようとした。死神に……同情にうったえようとしたわけだ。敵は命乞いを聞かなかった。兄貴を殺した」

 アルビオンは言葉を切り、ヌノメの反応を確かめた。もちろんヌノメは言葉を見つけられない。どう答えれば正解か、わかりようもないからだ。アルビオンはそれを多少愉快に思った。ヌノメの困惑、心の揺らぎが、再び彼の肉欲に火を灯した。「どんなお兄さんでしたか」ヌノメがおずおずと尋ねた。

「屑だ」アルビオンは即答した。「組織の力を傘にきて、好き放題やってきた屑野郎だ……。死体の処理や見張り役をやらされた。飯を作るのも、飼っている奴らに餌をやるのも俺の仕事だった。俺は学校にも通えなかった。ロクにマンションの外へ出られなかった。ふざけた話だろう」ヌノメは眉をしかめた。

「そしてある日、ニンジャスレイヤーが兄貴を殺した。それから、兄貴の組織を滅ぼした。……ま、それは少し経ってから知った話だ。おれは唐突に自由を手にした。そして、ニンジャになった」盤上のショーギが終結した。アルビオンはヌノメを手招きし、抱き寄せた。「何故……仇を討とうと?」「さあな」

「でも、こうして岡山県まで……独りで……ケジメを覚悟して、そうまでして……」「ああ。程度は問題ではないのだろう。おれにとっては。是か否かだ」外の明かりがタタミとフートンを、ヌノメの白い胸を、浮き上がった鎖骨を照らす。夜が明けるにはまだかかる。「兄貴は……そうだな」彼は記憶を辿る。

 それは兄がソウカイヤの仕事を初めてこなした時だ。兄はZBRをキメまくってハイだった。玄関に現れるなり、スーツケースを開き、サイズのロクに合わないモンツキ・ハカマを床にぶちまけた。弟に用意した正装だった。兄は彼を写真屋に連れて行き、二人で写真を撮った。兄は独りで満足していた。

「ヤブハチ。俺とお前はな。この世で唯一の肉親だ。わかるな。兄弟は助け合わなきゃいけない。安心しろヤブハチ。世界はクソだが、俺はニンジャだ。なんでもできる。俺がお前を守る。だから、お前は俺に仕えろ。それが家族だ」アルビオンは呂律の怪しい兄の言葉を、冷ややかに聞いていた。

「ほら、笑え。ヤブハチ。笑えよ。写真はずっと残るんだ」兄はアルビオンの背中をどやした。アルビオンは目を細め、歯を見せて、ニイーッと笑った。ひどい写真になったが、兄は満足していた。結局あの写真が遺品になったか。たいていのニンジャは死ねば爆発して消える。兄もそれに倣った。

 ヌノメがゲホゲホと咳き込み、世界が戻ってきた。アルビオンは微かに震えた。白い背中を指でなぞると、ヌノメは嗚咽した。「殺すところだったな」アルビオンは呟いた。「死ぬのは嫌か」泣きながらヌノメは首を振った。否定とも肯定ともつかなかった。是非など決めきれぬままに事態は動いてゆくものだ。


◆◆◆


「アルビオン?」「そうだ」頷くと、目の前のニンジャ、ナンバーテンは組んだ腕を崩さず、小馬鹿にしたように首を傾げた。「アルビオンねえ」「由来も何もない。なんとなくだ」「気取り屋め」「そんな事はいい。何からやればいい。カワラ割りか」「好きにしな」ナンバーテンは欠伸を噛み殺した。

「イヤーッ!」積んだカワラは50枚。アルビオンは垂直に飛び、空中で5回転したのち、チョップを垂直に振り下ろして根元まで一気に粉砕した。「……そんなもんでカラテの証明にはならんわ」ナンバーテンはすげなく言った。「じゃあ、やらせるな。からかったのか」「お前がいきり立ってやがるからさ」

 ナンバーテンは元ソウカイ・シンジケートのニンジャで、中国地方のゲットーに身を隠し、悠々自適の暮らしをしていた。薄汚い雑居ビルの六階、鉄扉を開けると、驚くほどに贅を凝らした彼の棲家がある。シンジケートの崩壊のドサクサで、資金を横領する事に成功したというわけだ。

 ニンジャとなったアルビオンはカラテの師を探した。兄を殺した赤黒のニンジャの素性を探ると、すぐに、並のカラテでは歯が立たぬ相手とわかった。身近に兄というニンジャを持っていた彼は、一般的なニンジャのように、全能感や欲望に病的に溺れる事はなかった。彼は注意深く、辛抱強く立ち回った。

 最終的に彼が見出したニンジャが、このナンバーテンである。アルビオンはこの者に出会うまでに目星をつけたニンジャ三人に挑み、いずれも葬っている。しかしナンバーテンはそれらのニンジャとは別格の強さを備えていた。アルビオンはチョップひとつ当てられなかった。ドゲザと誠意で弟子になった。

「このご時世、カラテなど流行らんぞ。そこそこやるのが一番だ」ナンバーテンは言った。「強さを求めれば、よりさらなる強者があらわれる」「知ったような言葉は要らない。俺には殺したいニンジャがいる。そのために力をつけたい」「誰だ?」「ニンジャスレイヤーだ」「お前、ただのバカだな」

 ナンバーテンは辛辣に言った。「奴はベイン・オブ・ソウカイ・シンジケート。シックスゲイツのインターラプター=サンが破れ、ゲイトキーパー=サンが破れ、七つのニンジャソウルを憑依させたラオモト=サンが破れた。ソウカイヤを潰したのはザイバツではない。奴だ。ピンと来とらんな。だからガキは」

「知った事か」アルビオンは食い下がった。「奴は仇だ。俺の兄を殺した。兄の名はスキールニル。ソウカイヤのニンジャだった」「スキールニル?知らん。それで?」「奴を殺すことで俺は……」「お前は?」ナンバーテンが睨んだ。アルビオンは睨み返した。やがてナンバーテンは言った。「奴も復讐者だ」

 ナンバーテンは一呼吸おいて勿体つけた。そして続けた。「当然、そこのところの調べはついているんだよ。奴は妻と子をソウカイヤに殺られた。ニンジャにな。だからニンジャを殺している。奴は……」「同じか」アルビオンは鼻を鳴らした。「同じならば、あとはただ、勝って、殺すだけだ」

「プッ!」ナンバーテンは吹き出した。そして笑い出した。「ブハハハ……ハハハハハハ……ヒィーヒヒヒヒ!」膝を叩いて笑い、うずくまって笑った。笑い涙を指で拭い、「ああ、ああシツレイ、シツレイ」太い息を吐き、急に真顔になって、アルビオンを見据えた。「よかろう。案外いけるかも知れん」

 そうして、悠々自適のニンジャはアルビオンを迎え入れ、タマチャン・ジャングルでカラテ・トレーニングをつけ始めた。カワラを無駄に割らせる事はもはやなかった。ニンジャのインストラクションは量を必要としない。ひとえに、質だ。アルビオンのカラテは研ぎ澄まされていった。

「なぜ俺を弟子にした」自分から押しかけた身でありながら、アルビオンは師に尋ねた事がある。気まぐれに、中国地方いちのスシ職人の握るスシを食べさせられた席での事だ。「ニンジャの人生は長いらしい」ナンバーテンは答えた。「俺の心はな、とうに折れているんだよ。ラオモト=サンが死んだ時にな」

 ナンバーテンの低い声から感情を読み取る事はできない。「この暮らし。俺には何も不足はない。リスクもない。都会に比べりゃ、こっちの時間の流れはまるで蝸牛よ。俺こそがカチグミだ……」クリスタル・オチョコのサケが揺れた。「そこにお前のような若僧が現れた。割のいいゲームじゃないか。ええ?」

「全くだ。高みの見物していろ」アルビオンが悪態をつくと、ナンバーテンは乾いた声で笑った。「ちと飲み過ぎたわ」彼は息を吐いた。サケの水面が揺れていた。オチョコの底が小刻みにぶつかり、スシ・カウンターにカタカタと音を立てた。アルビオンは少しいぶかしんだ。

「ソウカイヤが滅び、ザイバツがやってきて、それも滅び、今ネオサイタマはラオモト=サンの後継を担いだアマクダリだ」ナンバーテンは言った。「なあお前。奴は復讐者だ……復讐者が、ラオモト=サンを滅ぼしてなお、ニンジャを殺し続けている。生きて、殺し続けている。考えた事があるか」「……?」

 ナンバーテンはアルビオンを見たが、同時に、どこか遠くを見ていた。「奴の復讐とは何だ……俺は……お前にカラテを授ける中で、しばしば思う……俺は……俺は何かを見落としているのではないか……奴の……」「センセイ?」ナンバーテンは瞬きした。彼は首を振り、アルビオンに追加のサケを注がせた。

「整い次第、お前にカイデン・ハナミをする」注がれたサケを一息に飲み、ナンバーテンは赤い目で見つめた。「そうしたら、お前はアマクダリ・セクトの門を叩け」「アマクダリだと?だが俺は、」「今はそれが近道だ。機をうかがえ。いいか」センセイは低く言った。「お前は奴を殺す為に強くなったのだ」


3

「コク。あるいはキョム」闇の茶室の中で、向い合ってアグラするナンバーテンは掌を上向け、謎めいて掲げる。「お前に叩き込んだカラテは復讐のカラテ。それは最終のヒサツ・ワザ習得の為の準備でもある。ニンジャスレイヤーを殺すヒサツ・ワザをだ」アルビオンは師の掌をまばたき一つせず見つめる。

 茶室に灯りは無い。風も無い。ただ沈黙と闇が師弟を囲んでいた。アルビオンは目を見張った。ナンバーテンの掌の上、何かが宙を蠢いた。それは闇よりなお暗いものであった。「コク、あるいはキョム。ネガティヴの力だ。これを操るニンジャは現代にも何人か存在する。ザイバツにも。アマクダリにもな」

「触ってみろ」「……」アルビオンは手を伸ばした。質量がある。「これは」「うまそうか」ナンバーテンはグルグルと喉を鳴らして笑った。「火や光や熱に触れることはできん。だが、コクはそうした事象のものではない。我々の世界と関わりが遠いがゆえに、物質的に干渉する。コク・トンはこれを操る」

「アンタは、どこでこんなものを覚えた」「ニンジャソウルがもたらした。それだけよ」ナンバーテンは凄みのある目で見返した。「ただのクジ引きだ。だが、扱いを知れば、どうという事はない。未開人にとって自転車は魔法だ。だが死を覚悟して自転車でコケシマートに通っておる現代人はおらんだろう」

 ナンバーテンはゆっくりと手を戻した。キョムは宙に留まった。アルビオンは注意深くそれを抱えるように引き寄せる。「世界を裏返し、こいつを引きずり出す。それを捏ねて武器にする。コツをつかめば、どうという事はない。キョムは泥のようにありふれた、つまらんものだ。これがお前の武器だ」

 アルビオンはおのれの骨髄の軋みを聴き、心臓の悲鳴を聴いている。脂汗が噴き出す。キョムがアルビオンの五臓六腑を害している。在ってはならないものだ!「グワーッ!」アルビオンは悲鳴を上げた。「落とすなよ!落とせばインストラクションは終わりだ。見込みなしだ。お前はカラテを鍛えた。耐えろ」

「グワーッ!」「何のために鍛えてきた!小僧!」ナンバーテンの目が爛々と輝いた。灰を掻き混ぜ、死んだ石炭に再び火を熾したかのような目だった。「何のためにだ!」「ふ、復讐、グワーッ!」「そうだ!復讐だ!お前はニンジャスレイヤーを殺す!」「兄を……兄を殺した憎き敵!」「ならば耐えろ!」

「グワーッ!」「モノにしろ!コク・トンを!お前は若い。燃料にする命の余剰が俺より存分に多い。そうとなれば簡単なジツだ。石を投げるように簡単だ!お前は何のために生きてきた!」「ふ、復讐だ」命乞いを受け入れられず殺害された兄。赤黒の死神はオシイレの中に気づいていた。捨ておいたのだ。

「奴を殺さねば俺は始まらない。奴を殺さねば俺は終われないのだ!」アルビオンは唸った。掌の上で不定形のキョムがめまぐるしく形を変えた。「AAARGH!」座するタタミが放射状に爆ぜた。アルビオンは立ち上がり、背後のタヌキ陶磁器めがけ、バチバチと音鳴らす右手を振りぬいた。「イヤーッ!」

 KABOOM!巨大なクナイめいた形状に練り上げられたキョムはタヌキ陶磁器を粉々に破砕し、粒子状に分解して、そのまま消失した。「カーッハハハ!」ナンバーテンがアグラしたまま呵々大笑した。「その感覚を決して忘れるな!モノにせよ!これぞメツレツ・ジツ!お前が依って立つヒサツ・ワザだ!」

「メツレツ!」アルビオンは叫んだ。「必ず殺す!奴を!」「殺して、そして?」不意にナンバーテンが低く尋ねた。アルビオンは振り向いた。彼は無造作に答えた。「セプクして、この世をサラバだ」「……」ナンバーテンは値踏みするように弟子を見た。「ま、どうあろうと死ぬならば、勝ちは決まりだな」


◆◆◆


 その日は朝から雪が降っていたが、出発を遅らせる程ではない。なによりアルビオンはニンジャなのだ。「マサシの悟り」の軒先、復讐鬼は長椅子に座り、微動だにする事がない。粒のような雪が背や肩に触れると、それらは瞬時に白い蒸気と化し、溶けて消える。やがてカラカサが雪を遮る。ヌノメだった。

「じき、ラマ屋が来ます」ヌノメは静かに言った。首筋や鎖骨のあたりに残る痣が見えた。アルビオンは嗜虐心に再び火がつく己を感じた。欲がまだあるのだ。生きる力が。よいことだと思った。死ぬのは敵を殺した後の事なのだから。「わざわざ送り出しに来るとはな」「はい」ヌノメは目を伏せて頷いた。

「もう戻れ」アルビオンは言った。「いいえ」ヌノメは首を振った。アルビオンは息を吐き、腕組みして、ラマ屋を待った。白い雪と01のノイズが舞う中、それはおそらく五分にも満たなかったことだろう。やがてラマ屋が、ゆっくりとラマを引いてきた。アルビオンは立ち上がり、カラカサの陰を出た。

「オタッシャデ」ヌノメがオジギをした。アルビオンはラマを駆り、山道を出発した。微かな雪、イラクサ、砂利、断崖。ネオサイタマから遠く離れ、広告ネオンすらもなく、ただ峻厳な自然が彼を導く。それでも頭上には黄金の立方体が超然と浮かび、ネオサイタマと変わらぬ冷たい光を投げかけるのだった。

 標高を上がるにつれて、空にかかる雲は厚みを増し、雪と風は強まった。風穴洞にたどり着くと、アルビオンはしばしアグラ・メディテーションを行い、己のセイシンテキを研ぎ澄ませた。キョムの手触りをニューロンに塗り重ね、生み出し、消す。メツレツ・ジツ修得の後も一日たりとも欠かさない日課だ。

 当初はキョムを捧げ持つだけで心臓の不規則な動悸が収まらず、血の咳と倦怠感を伴った。ニンジャ筋力もみるみるうちに減衰した。そのまま死ぬ事もおそらくあり得ただろう。アルビオンはそうした試練を越えた。拒絶反応は徐々に許容できる程度におさまり、キョムを引き出す為に要する時間も短くなった。

 今の彼は生涯もっとも鋭敏に研ぎ澄まされている。ニンジャ自律神経がそれを伝えてくる。アルビオンは宙に浮かぶキョムを圧縮し、潰して消す。ラマが悲しげにアルビオンを見る。己を待つ運命を知る動物の目だ。アルビオンはラマの首を捻って殺し、心臓を生のままに食らった。そして彼は風穴洞を出た。

 DOOOM……KA-DOOM……断崖を登るアルビオンの背を白黒に切り取るのは、空を荒らす稲妻の光だ。アルビオンはただ黙々と登り続けた。断崖の凹凸を指先が捉え、身体を引き上げる、その動作ひとつひとつが、闇に向かって伸びる復讐の階段の一段一段だ。その先にあるのは絞首台か、あるいは。

 KRA-TOOOOOOM!断崖から身体を引き上げ、仰向けに転がった彼が見上げる空を、ひときわ激しく強い稲妻の光が駆け抜けた。アルビオンは吸い寄せられるように稲妻の根本を見た。ドラゴン・シュラインの更にその先、切り立った峰の上、ニンジャの影が浮かび上がった。死神の影が。


◆◆◆


 ニンジャスレイヤーは熱された身体に触れる一粒一粒を感じている。雲の向こうの稲妻の唸りを聴き、土に触れる雨の音を聞く。目を閉じてなお、頭上の黄金立方体の存在感は少しも減じることがない。稲妻のダメージは甚大である。滅びの間際で踏みとどまった状態だ。だが彼はセイシンテキを感じていた。

 岡山県の高い標高にあり、彼はただ一人だ。センセイの存在もなく、ドラゴン・シュラインにドラゴン・ニンジャ・クランの者は耐えて久しく、ただニンジャスレイヤーだけが在る。ただニンジャスレイヤーだけが……ニンジャスレイヤーは目を見開いた。「イヤーッ!」彼は跳ね起き、カラテを構えた。

 空気の流れにニンジャソウルのアトモスフィアがある。異物の存在が。(((フジキド。聞こえておるな。ニンジャの息遣いだ。敵意だ)))ナラクが確認した。「スウーッ……ハアーッ……」ニンジャスレイヤーは深くチャドーの呼吸を繰り返し、カラテを練り上げた。傷はどうだ?どんなニンジャが現れる?

(数……一人)(((ググググ、見上げた根性也)))ナラクが嘲った。然り、敵は一人だ。少なくともドラゴン・シュライン付近に展開している別働隊の気配はない。しかし敵がアマクダリ・セクトならば、ただ一人で現れるとは考えにくい。絶体絶命か。

(((オヌシの不覚悟が呼び寄せた状況だ)))ナラクの呪詛がニンジャスレイヤーの全身の傷を苛む。「黙れナラク」ニンジャスレイヤーは呟き、向き直った。高山の靄の中からにじむようにして、そのニンジャは彼の攻撃圏に出現した。

 二者は同時にオジギを繰り出した。「ドーモ。アルビオンです」「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」アルビオンはニンジャスレイヤーを測っている。それがわかる。更に……それが何を意味するのかはわからぬが……アルビオンが唯一人でこの場に現れたことを、ニンジャスレイヤーの皮膚は感じ取った。

「オヌシ一人。別働隊の類いもなし。唯一人で私を殺しに来たか」「そうだ」アルビオンは認めた。「お前がこの地に潜んでいる事をセクトは知らぬ。俺一人が知り得た情報だ。何故ならば……」彼はカラテを構えた。「スキールニルというニンジャを知っているか」「ソウカイ・シンジケートのニンジャか」

「クッ……」アルビオンは鼻で笑った。「取るに足らぬサンシタの屑ニンジャの名をいちいち覚えているんじゃあない」ニンジャスレイヤーは無言。ジュー・ジツの構えで、相手の言葉を待つ。やがてアルビオンは言った。「スキールニルは俺の兄だ。お前は俺の兄を殺した。俺自身が、俺自身の手で仇を討つ」

「復讐か」ニンジャスレイヤーは低く言った。その目が炎を奔らせた。「よかろう。受けて立つ。来るがいい」二者はかすかに横に動いた。どちらも攻撃に出ない。アルビオンは慎重にニンジャスレイヤーの負傷の程度を測る。アルビオンは当初アンブッシュを検討した。だが無理と判り、正面から挑んだ形だ。

 アルビオンはニンジャスレイヤーの負傷原因を明確に結論づけた。落雷による負傷だ。アガメムノンのジツに対抗する手段を獲得すべく、自然の雷を利用した訓練を行っていた……合理的な判断ではある。実現可能性を度外視すれば。「繕っていようがわかる」アルビオンは言った。「構えるのもやっとだろう」

「ならば仕掛けて来い。みずから試せ」ニンジャスレイヤーは手招きする。「その身をもってわかるはずだ」赤黒の装束の肩から白煙の筋が立ち上る。アルビオンは前足に重心を移す。ニンジャスレイヤーがやや姿勢を落とし、後退する。二者の間に0と1の風が吹き込み、小さく渦を巻いた。

 カッ!上空、黄金立方体の横で稲妻の尾が閃いた。アルビオンは地を蹴った。「イヤーッ!」斜め角度からニンジャスレイヤーの顎めがけ左チョップ突きで仕掛ける。ニンジャスレイヤーは内から外へ腕を回して逸らした。「イヤーッ!」そこへ右膝蹴り!ニンジャスレイヤーの脇腹に突き刺さる!

「ヌウッ……!」死神の目がかすかに細まり、装束は焦げた破片を散らした。「イヤーッ!」左フック!ニンジャスレイヤーはガードする。「イヤーッ!」右アッパー!ニンジャスレイヤーのガードが弾かれる。「イヤーッ!」ヤリめいたサイドキック!「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは吹き飛んだ!

「イヤーッ!」アルビオンは前転からの連続側転でニンジャスレイヤーを追った。ニンジャスレイヤーは受け身を取り、防御姿勢を取る。アルビオンは側転の勢いを乗せて踵落としで襲いかかる。「イヤーッ!」「ヌウーッ!」KRAAASH!ニンジャスレイヤーの足元に蜘蛛の巣めいた亀裂が生じた!

「イヤーッ!」右チョップ!「イヤーッ!」左チョップ!クロス腕で受けるニンジャスレイヤーの身体が沈む!「天運は我に」アルビオンの目がギラリと光った。その時!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが跳んだ!ナムサン!サマーソルトキック!「我に有り!」アルビオンは読み切る!身を反らして回避!

 空中で無防備状態となったニンジャスレイヤーを睨み、アルビオンは右手を後ろへ伸ばした。その掌の空気が歪み、こごり、キョムを生じた。アルビオンは身体を沈め、勢いをつけて跳躍、右腕を振り上げた。キョムは巨大なクナイの形を作り出す!「メツレツ・ジツ!イヤーッ!」

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは空中でキリモミ回転し、地面をめがけフックロープを投げた。これがメツレツ・ジツ到達のコンマ3秒前。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの身体は地上めがけ加速した。アンカーめいて突き刺さったフックに自らの身体を引き寄せたのだ。メツレツ・ジツは空に消えた。

 だが着地したニンジャスレイヤーのワン・インチ距離へアルビオンは迫っていた。振り上げた左手が、ふたつめのキョムを掴んでいる。「イヤーッ!」それをニンジャスレイヤーに叩きつけた。「グワーッ!」刃物状に成形する暇は無かった。岩で殴りつけたようなものだ。だが、重い一撃である!

 キョムは質量を失い、分解消滅する。「イイイイイ……」アルビオンは畳み掛ける。3つめのキョム!右腕を振り上げる。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはその手首を掴み、カイシャクとなり得た追撃を阻んだ。「イヤーッ!」一方、アルビオンの左手はニンジャスレイヤーの右腕を掴んでいた。

「「ヌウウウーッ!」」二者の目が燃えた!ベゴン!ベゴン!音を立てて二者の足元の地面が沈み込み、そののち、より広く浅いクレーター状の凹みを形作った。二者は互いにせめぎあった。死神の装束は不完全燃焼の炉めいてブスブスと黒い火を散らす。アルビオンの膂力は仇のそれを凌ぎ始めた。

「ヌウウーッ……」ニンジャスレイヤーは抗った。アルビオンは力を搾り出した。「ニンジャ……殺すべし……」ニンジャスレイヤーが呟いた。アルビオンの心に、怒りとも高揚ともつかぬ感情が湧き起こった。「お前が……俺の」アルビオンが押す!「俺の兄……あのクズを……殺し……俺の時を止めた!」

 KRAASH!亀裂が拡がり、死神が片膝をついた。アルビオンの右手はキョムの球体を掴んでいる。正体不明のエネルギーが手の中で暴れ、使い手を害そうとする。アルビオンは憎悪と怒りを糧に、それを御する。死神の左手を押しのければ、彼の勝ちだ。側頭部にこの球体を叩き込み、砕き、分解して殺す!

「ニンジャ……殺すべし……」死神の装束は咳き込むように黒い火を繰り返し吐き出した。「忍」「殺」のメンポがメキメキと音を立てて軋んだ。しかしそれはまるで悲鳴、まるで苦痛の呻きだった。死神は傷つき、万全ではない。一方、アルビオンは弱いニンジャでは決してない。そして彼は復讐者だ。

 死神の頭が、勝利が、復讐が、ほんの1フィート先にある。アルビオンの視界からニンジャスレイヤー以外の存在が吹き飛んだ。否、もうひとつ。黄金の立方体が彼の復讐の成就の瞬間を待っている。「ニンジャ……殺すべし」死神は繰り返した。アルビオンは怒りと殺意を倍にも燃やした。「ふざけるな」

 スキールニルが死に、ヤブハチの時は停まった。ニンジャスレイヤーが全てを奪った。アルビオンには何もない。虚無しかない。復讐の成就。ただその為だけに生きている。それが彼を衝き動かす。目の前の死神の、なんとくだらぬ事か。「ニンジャ……殺すべし」なんと無力なチャントか!「ふざけるな!」

 右腕を押し出し、球状のキョムをニンジャスレイヤーの頭になお近づける。アルビオンはニンジャスレイヤーをこそ殺すのだ!「ニンジャ。殺すべし!」ニンジャスレイヤーが目を見開いた。黄金立方体の他、ただ二人だけが在る世界で、アルビオンはニンジャスレイヤーの双眸と対峙した。彼の背は粟立った。

 ニンジャスレイヤーにアルビオンを殺す理由はなく、アルビオンにこそ、ニンジャスレイヤーを殺す理由がある。己の精神を打ち据える鍛冶鉄槌の銘はそれだった。復讐の成就を目と鼻の先にして、彼はしかし、ニンジャスレイヤーの怒りを、憎悪を、殺意を、他でもない彼に向けられた激昂を感じていた。

(何故?)ニンジャスレイヤーの剥き出しの憎悪に打たれた復讐者アルビオンは、まず率直に、そう思った。それはこの極限状況の対峙において引き出されたマグマだった。(俺は……俺は何かを見落としているのではないか……奴の……)アルビオンの思考は、記憶に残されたナンバーテンの呟きと重なった。

 理不尽が道理を殺す。それが人であり、感情であり、復讐であった。フジキド・ケンジの殺意がアルビオンの道理を砕いた。アルビオンは……アルビオンは初めて慄いた。「兄貴」アルビオンは叫んだ。「兄貴!」右手のキョムが二倍に膨れ上がった。ニンジャスレイヤーは殺すべき仇!兄の仇!「イヤーッ!」

「イヤーッ!」KBAM!アルビオンの右手の感覚が失われた。その瞬間のニンジャスレイヤーの左腕は赤黒の炎のドラゴンめいて、その左手はドラゴンの怒れる顎(あぎと)めいていた。ニンジャスレイヤーの憎悪に燃える赤黒の目はアルビオンに注がれ、決してそらされることがない。

 ニンジャスレイヤーは己の左手に血中カラテを凝集し、以て、アルビオンの右手首の腱を断裂し、焼き切ったのである。キョムが繋がりを断たれ分解した。禍々しく変形したメンポと赤黒の瞳は悪夢じみた死神の具現化であったが、なおアルビオンを恐れさせたのは、センコめいた輝きを宿した彼の目だった。

 生じた隙をとらえ、瞬間的なカラテのせめぎ合いを制したのはニンジャスレイヤーだった。ニンジャスレイヤーが己の右腕を押さえていたアルビオンの左手を振り払った時、勝負は決した。そのまま彼の右手のチョップが、アルビオンの心臓をあやまたず貫いていた。「ゴボッ」アルビオンは吐血した。

 ニンジャスレイヤーは最後の力を振り絞り、チョップ手を引き抜いた。アルビオンは痙攣した。ニンジャスレイヤーはうなだれるように座り込んだ。アルビオンは左手でチョップを振り上げようとした。そのまま二歩後ずさり、強く震えた。KRA-TOOOM!カイシャクめいて、雷がアルビオンを直撃した。

 アルビオンはソーマト・リコール現象に呑まれながら、ニンジャスレイヤーの怒りの源に触れようとした。「サヨナラ!」復讐者アルビオンは爆発四散し、復讐者ニンジャスレイヤーは正座するようにうずくまった。強い雨が降り始めた。

 そのままニンジャスレイヤーは石めいて動かなかった。変形し果てたメンポは脱落して砕け散ったが、見開かれた赤い目にはいまだ熾火めいた力が残っていた。やがて彼の装束に赤黒の炎が再び灯り、チャドーの呼吸のリズムが再び生まれると、その手は再びヌンチャクを握りしめた。

「マサシの悟り」ではヌノメが雷雲を振り返り、遠く離れたタマチャン・ジャングルでは、引退したソウカイ・ニンジャのナンバーテンが、オイランを抱きながらスシに舌鼓を打っていた。

 鷲の翼が開かれるまで、あと10日。


【ライズ・アゲンスト・ザ・テンペスト】終



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