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【サンセット・アンド・ヘヴィレイン】

◇総合目次 ◇初めて購読した方へ ◇三部作アーカイブ

この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません(このエピソードは書籍未収録の第1部時系列エピソードです)現在第2部のコミカライズがチャンピオンRED誌上で行われています。




【サンセット・アンド・ヘヴィレイン】



「どんな味がするんだい」イノウは気紛れに問うた。「錆びた鋼鉄の味さ」ミホは吐き捨てるように言い、半ばほどまで吸った手巻きの薬物カクテル煙草を指で挟んで、目の前にちらつかせた。「あんたも試す?」「人のレシピは吸わねえんだ」イノウはゆっくりと首を振った。 

「さっさと殺したいね」ミホが細く煙を吐きながら言う。彼女の頭髪はピンク色で、片方の側頭部を剃り上げている。おかしなほど滑らかで白い顔は、バイオサイバネ皮膚だ。「ああ」イノウは答えた。「何で押し込み強盗をやめて、対企業のビズを受けようと思ったのさ。クソみたいな仕事だよ」とミホ。

「俺は結局、上がいねえと落ち着かねえんだ」イノウは使い慣れたオクダスカヤ社製の湾岸警備隊アサルトライフルAAV-229を傍らに立てかけた。「誰かのために殺すのが最高さ」「へえ」ミホが目を見開く。確実に薬物が決まっている。「無抵抗の一般人を殺すと、良心がとがめるとかいうクチ?」

「いいや」イノウは顔色ひとつ変えない。「4回ほど集合住宅を襲撃して、ガキもババアも殺してみたが、良心はウンともスンとも言わなかった。代わりに解ったのは、民間人じゃ緊張感がねえって事さ。あいつら、撃ち返してこねえんだ」「同感だね、アタシもそのクチさ」ミホは乾涸びた笑いを笑った。

「このビズ成功したら、結構なカネが入るけどさ、アンタどうするの?」「さあ。オキナワにでも高飛びして、引退か」「アンタ、無理だよ。殺しが何より好きって顔に書いてある」「そうだな」イノウは傷だらけの顔で、ようやく微笑んだ。皆、狂っている。だがこの場にいる誰もその言葉を口にしない。

「インカミング重点」後方の茂みの中から、ハッカーの冷徹な電子音声が聞こえた。彼は大型の無線LANユニットを背負い、ハンドヘルドUNIXを高速タイプしている。「約120秒後に、目標は予定通りこの地点です」「よおし」ミホは煙草を吸い終え、イノウもサイバーゴーグルを額から下ろした。

 薬物煙草の甘いケモピーチ臭が消え、イノウは不快そうに鼻を鳴らした。病んだオゾン臭が大気中に満ちている。微かな重金属の雨粒。じきに雨は強くなるだろう。上空はマッポー級大気汚染に夕暮れの色が乗算され、違法イクラ工場廃水めいたマーブル模様を生み出す。狂った世界だ、と彼は舌打ちした。

 欠伸が出るほど交通量に乏しい二車線道路。西側は丘で、ガケ崩れ防止用に配置されたバリケードめいたコンクリと茂み。イノウ、ミホ、そしてハッカー。三人の傭兵はこの中に身を潜め、大型輸送トラック“な44-28”の通過を待っていた。ショーギ板とコケシを満載にした、オウテ社の車両である。 

 ショーギ板とコケシは、それぞれ別の場所で低コスト大量生産されたプロダクトである。ところが、この先にある高級ショーギ名産地として名高いヤナギヤマ・ヴィルでこれらを組み立てると、最高級のハンドメイド・ショーギ板として流通可能となる。誰もが気づかなかった盲点、法の抜け道である。

 ヤナギヤマ・ヴィルは推定人口200。江戸38年に作られた小規模なアーティザン・コミュニティだ。だがこの偽装によりオウテ社が享受する利益は、年間数百億規模。ゆえにヴィル周辺はオウテ社の兵やセントリー・タレットが重点配備され、接近は不可能。輸送車両の奇襲が最も理にかなっている。

 顔見せぬ依頼人は、オウテ社と敵対関係にあるどこかの暗黒メガコーポだろう。彼らにとってイノウ達は、いわば使い捨ての犬だ。作戦に成功しようと失敗しようと、暗黒メガコーポの関与は表沙汰にはならない。それでも犬たちは、進んでこのような危険ビズを受ける。カネのため、そして殺すために。

 そう、彼らは積荷を奪って売り捌く海賊まがいの事をするわけではない。オウテ社の偽装を暴き、株価を暴落させるのだ。それで私腹を肥やす、何処かの誰かのために。「来なすった」イノウは銃身とケーブル直結されたサイバーゴーグル照準の視界の端に、"な44-28"の特徴的な車体を見た。

 イノウは乾き始めた唇をなめた。アドレナリンが遥かに良く湧き出してきた。銃を構える。AAV-229は、銃身下部に特殊弾薬の発射機構をアタッチメント追加できる。サイバーゴーグル照準でロックオン重点。論理トリガを引いた。バシュン、と音を立てて、オレンジ色の自己推進弾が射出された。

 依頼者から提供されたその握りこぶし大の特殊弾頭は、軌道制御を行いながら、"な44-28"の角ばった脳天へと鋼鉄のカニめいてしがみついた。爆発は起こらない。代わりに、無線LANアンテナを何本も伸ばした。"な44-28"は速度を緩めず走行を続ける。「ヒットした」イノウが言った。

 後ろの茂みで、ハッカーは背中の違法無線LANユニットを最大出力にし、ニューロンの速度で論理タイプした。強烈な電磁波で、イノウは少しだけ眩暈がした。「アバッ…?」輸送トラックの運転席で操縦ユニットとLAN直結していたオウテ社員が、鼻血を垂らして死んだ。ハッキングを受けたのだ。

 大型輸送トラックは罠に嵌まった鋼鉄のマストドンめいて軋み、左右にグラグラと揺れながら暴れ、目の前の道路を斜めに塞ぐような角度で急停車した。それは危うく横転しかけたため、イノウは眉根をひそめたが、ハッカーの遠隔操縦で辛うじて持ちこたえた。イノウは斜面を下り、ミホも続いた。

 重金属酸性雨がまばらに降り始めた。血相を変えて車両から降りたスーツ姿のサラリマンが、IRC端末に向かってヒステリックに何かを喚き立てながら、オレンジ色の無線LANユニットを指差している。イノウはAAV-229の三点バーストをサラリマンの心臓周辺に撃ち込み、容赦なく射殺した。

 斜面を下り切った直後、イノウは道路の側面にあるコンクリートフェンスへ滑り込んだ。数発の銃弾が飛来し、この即席バリケードに突き刺さる。反対側のドアから降車していた軽武装のオウテ兵が、イノウに対して反撃を行ったのだ。兵士はヘルメットの下で己の企業名を叫びながら制圧射撃を続けた。

 そこへ、側面からミホが笑いながら飛び掛かった。彼女の手に握られたスダチカワフ社製のショックメイスSS-21が、不吉な青いLED誘導灯めいて光った。「イヤーッ!」「グワーッ!」敵はしたたかに殴られ、電磁ショックを浴びて蹌踉めいた。すかさずイノウが三点バーストを浴びせ射殺した。

 ミホは、うつ伏せに倒れた敵のヘルメット後頭部を念入りにショックメイスで叩き続けていた。重サイバネを警戒すれば当然の行為だ。飛び散った血が青い電磁光の上で爆ぜ、鉄とオゾンの臭いに変わった。イノウはクリアリングを行い、車内に銃口を向けた。運転手は既にニューロンを焼かれ死んでいた。

 敵を殲滅した。イノウは積荷を確認すべく、反対側のドアから降車し、"な44-28"トラック後部の積荷カーゴへ向かおうとした。だが、運転席から降りた瞬間、彼は気づいた。積荷カーゴのドアが開いている。「イヤーッ!」「ンアーッ!?」直後、謎のカラテシャウトとミホの悲鳴が聞こえた。

 イノウは誰よりも信頼できる相棒、AAV-229をしっかりと構えながら、ヘッドライトの横を通って素早くトラックの反対側へと回り込んだ。少し先で、ミホの振るうショックメイスが虚しく空振りし、電磁光の円弧を中空に描いていた。敵と戦闘中なのだ。そして敵は、黒装束のニンジャだった。

 恐怖よりも速く、彼は三点バースト射撃を行った。だが、敵はブリッジで全弾回避したのだ。直後、「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャのチョップ突きがミホの鳩尾に決まり、彼女の背中側へと貫通していた。スプリンクラーめいた血飛沫。ニンジャは腕を引き抜き、二歩下がってザンシンした。 

「ニンジャ!?」イノウは恐慌に陥りかけながら、再び敵を射撃した。「イヤーッ!」ニンジャは片手間に銃弾をジャンプ回避しながら、空中蹴りで念入りにミホの顎を蹴り上げた。「ンアーッ!」重サイバネを警戒すれば当然の行為だ。ピンク色の頭は高く飛び、赤い血飛沫が間欠泉じみて吹き出した。

「ニンジャ……」イノウが再射撃を試みた直後、重い衝撃が胸を叩いた。38、いや40口径弾で撃たれたような鈍く鋭い衝撃。プロテクターに加え四重構造ケブラーを着込んでいなかったら、即死だっただろう。「ナンデ……」胸部に刺さった3枚の鋭いスリケン。いつ投擲されたのかも定かではない。

 イノウは力無く四歩後ずさり、ゆっくりと仰向けに倒れた。的外れの三点バースト射撃が、斜め上方の空に向かって吐き出された。「アイエエエエエエ!」ハッカーの狂乱じみた電子音声と、彼が持つLAN直結型ピストルの射撃音が聞こえた。「イヤーッ!」そしてニンジャのシャウト。「アバーッ!」

 果たして何が起こったのか。二重三重の陰謀であろうか?否。イノウには知る由もないが、戦場に立たず一つ上のレイヤで争う者たちにとっては、極めてシンプルな事態であった。オウテ社は保険を掛けていた。輸送車襲撃の電子的気配を察知した彼らは、ソウカイヤにニンジャ派遣を依頼していたのだ。

 アドレナリンが湧く。イノウはショックから立ち直り、獣めいた叫び声とともに身体を起こし、連射する。BRATATATA!「イヤーッ!」だがニンジャは背向け状態から銃弾を連続側転回避する。まるで悪夢を見ているようだ。だがこの悪夢には鈍い痛みがあった。「イヤーッ!」「グワーッ!?」

 目にも止まらぬカラテ技によって、イノウはたちまち戦闘不能に陥った。ライフル銃もサイドアームも瞬時に奪われた。イノウは本能的に悟った。敵は手加減をしていると。獲物を捕獲し、尋問するために。イノウはコンテナの側面に叩き付けられ、頭を持ち上げられた。自爆装置も察知され、奪われた。

「ア……ア……」ゴーグルを砕かれたイノウは、腫れた目で敵を見る。その彼方にはマーブル模様の空。「アイサツがまだだったか?ドーモ、サンセットです」ニンジャはそう名乗った。サンセット。夕暮れ。狂った世界の色。皮肉な名だ。イノウは自嘲気味に、ニューロンの中でその言葉を繰り返した。

「お前を殺さないでいる理由は解るな?」ニンジャが言った。「ムダな事はやめて、さっさと殺せよ……俺は湾岸警備隊上がりだ……拷問しようが何も吐かねえ」「ニンジャの拷問を体験した事はあるまい」サンセットは冷酷な声で言った。イノウの瞳の奥に、確かな恐怖の色が一瞬走った。

「お前は狂ったふりをした臆病者だ」サンセットは嘲笑うように言った。「拷問を恐れる臆病者は自爆装置に頼る」「……だ、だが俺たちゃ…何も知らねえ……解るだろ……ただの犬さ……」「俺は犬をいたぶり殺すのが大好きだ、特に、鍛えられた猟犬を……」BE-BEEP!不意にクラクション音。

 その苛立たしげなタクシークラクションは、コンテナの向こう側から聞こえた。むべなるかな、斜線を跨いで暴走した大型輸送車"な44-28"は、完全に道路を塞いでいるのだ。「虫めが」サンセットは舌打ちし、尋問を続けた。「特に、鍛えられた猟犬をなぶり殺すのが……」BE-BEEEP!

「DAMNIT」サンセットはイノウを放り捨て、片膝を踏み砕いてから、もう片足を掴んで引きずった。「極度汚染大気の空。重金属酸性雨。溢れる違法サイバネ。マグロの死に絶えた海。暗黒メガコーポの支配。確かにこの世界は狂っているが、生温い。これからお前に真の理不尽を見せてくれよう」

 イノウの装甲ヘルメット後頭部が、荒いアスファルト路面に小刻みに叩きつけられ、ガチガチと鳴った。恐怖に歯を鳴らすように。サンセットは彼を引きずりながら、不運な黄色タクシーに向かって歩いた。何をするかは想像に難くない。彼らを恐怖に陥れ、殺すのだ。ただ鬱陶しいという理由だけで。

「降りて来い」とサンセットは嘲笑うように言い放ち、手招きした。運転手は突如現れたニンジャを見て、本能的パニックを起こしているはずだ。相手が取るであろう反応は二つしかない。失禁し腰を抜かすか、震え上がりながら命令に従うか、二つに一つである。だが、実際はそのどちらでもなかった。

 運転手はゆっくりとドアを開け、確かな足取りで車外に降りた。「何……!?」サンセットが大きく目を見開き、後ずさった。ニンジャが、後ずさったのだ。何が起こっているのかイノウには想像すらつかぬ。「貴様は……まさか……!」「そのまさかだ、サンセット=サン」運転手は、ニンジャだった。

 それは赤黒の装束に身を包み、「忍」「殺」の漢字が刻まれたメンポで口元を隠したニンジャだった。彼はタクシーのドアを閉めると、両手を合わせオジギした。イノウにはそれが、この世界の狂気の色が形を為した存在のように見えた。「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」「ドーモ、サンセットです」

 オジギ終了直後、二者のカラテが激突した。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが先に動き、強烈なカラテ飛び膝蹴りを繰り出す。ハヤイ!「グワーッ!?」サンセットはこれをブロック防御し直撃を避けるも、後方の斜面へと弾き飛ばされた。ここでイノウはついに精神力が途切れ、道路で卒倒した。

「イヤーッ!」「グワーッ!」サンセットは逃走を試みたが、二度も行く手を阻まれた。次いでスリケンの投げ合いを挟み、カラテを構えて睨み合った。「待て、ニンジャスレイヤー=サン、お前は俺に何の恨みが……!?」「ソウカイヤがオウテ社にニンジャを派遣したという情報はアタリだったな」

 サンセットの額に脂汗が滲む。死神は噂通りの手練だ。「待て、ニンジャスレイヤー=サン、そこまで知っているのなら……見ろ!俺は任務を遂行していただけだ……!輸送トラックを襲う極悪犯罪者どもを迎撃して何が悪い……!?お前とは何の関係も」「ニンジャ、殺すべし」そして噂以上の狂犬だ。

 いまや、サンセットは完全に気圧されている。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが仕掛けた。「イヤーッ!」サンセットはバック転で紙一重回避!そのまま8連続側転を決め、最後はオリンピック自由形競泳選手のスタート飛び込みめいた鋭い跳躍で、トラックコンテナへと逃げ込んだ!「アバヨ!」

「何処へ逃げようと無駄だ…!」死神は怒りに燃える眼差しでサンセットを追い、コンテナ内へと乗り込んだ。敵もまた油断ならぬ手練だ。追いつめられ頭だけ穴に入れるウサギめいて、このコンテナに逃げ込んだか?そうではあるまい。ニンジャスレイヤーは警戒を怠らぬまま、目の前のフスマを開く。

「バカな……行き止まりとは……!」ニンジャスレイヤーが足を踏み入れたのは、タタミ敷きの四角い小部屋であった。それはシュギ・ジキと呼ばれるパターンで、十二枚のタタミから構成されている。四方は壁であり、それぞれにはチューリップ、ひまわり、彼岸花、水仙の見事な墨絵が描かれていた。

◇◇◇

「ウッ…ゲホッ!ゲホーッ!」イノウは目覚め、咽せ、気管支に入った水を吐き出す。脇腹が痛む。肋骨が何本か折れたに違いない。ここは留置所か、それともアサイラムか。俺はバケツいっぱいの水を浴びせられ、悪夢から叩き起こされたのか。そう考えたが、違った。土砂降りの重金属酸性雨だった。

 イノウは痛みを堪え、上半身を起こした。声を上げる。返答は無い。皆死んだ。死体が転がっている。いくつもだ。太陽は既に地平線に沈み、重金属酸性雨が視界を覆い隠している。あの謎のタクシーは?……無い。ニンジャの気配は?……無い。それ以外は全て、彼が気を失ったときのままだった。

 どれほど気絶していた。ほんの一瞬か、それとも数時間か。彼はダイバーズウォッチの盤面を睨んだ。逞しい左腕に鋭い痛みが走った。プロテクターの胸に突き刺さったままのスリケンだった。彼はそれを一枚一枚引き抜いて捨てた。道路にスタックし、金属音が鳴ったが、雨音がそれをほとんど吸った。

 それは質量を持つ厳然たる事実だったが、イノウのニューロンは頑に、ニンジャ存在を否定していた。「…長居はできねえ」じきに、事態を察知したオウテ社の兵がこの道をやってくるだろう。そうなれば死ぬだけだ。その前に、この化物じみた大型トラックを動かし、ネオサイタマまで逃げねばならぬ。

 イノウは這い進み、遠くに転がったアサルトライフルAAV-229をマイルストーンめいて目指した。後頭部を念入りに砕かれたオウテ社企業戦士の死体が、すぐ横に転がっていた。「ふざけやがって……」彼はAAV-229を杖代わりにして立ち上がり、砕かれた膝を庇いながら運転席に向かった。

 直結運転手の死体を捨て、ドアを締めた。操縦方式をマニュアルに切り替え、重いハンドルを握る。アクセルを吹かす。頭の向きを切り返さねばならない。だが何度も失敗した。「ブッダファック…!」片側の前輪がアスファルトから外れ、非舗装地面の上にあるからだ。それは豪雨で泥濘と化していた。

 薬物も切れかけている。じきに、今よりも凄まじい痛みが襲うだろう。外ではミホの振るっていたショックメイスが豪雨に打たれ、LED誘導灯めいてチカチカと明滅し、火花を散らして消えた。直後、イノウは別の光を見た。それはネオサイタマ側から近づく2台のマッポビークルのパトライトだった。

 イノウは舌打ちし、ハンドルの上で頭を抱えた。重金属酸性雨に覆われた灰色の世界を、パトライトは緩慢に接近してきた。彼は覚悟を決めた。銃を運転席に残し、ドアを開け、転げ落ちるようにブザマに外に出た。激痛が走った。それから輸送トラックのヘッドライト光の中に正座し、バンザイした。

 マッポビークルが停車した。「助けてくれ」イノウは腹の痛みに顔をしかめながら、叫んだ。装甲マッポビークル2台。銃を構えて下りてきたのはマッポ3人、デッカー1人。デッカーは重サイバネだ。だがそもそも、彼らとやり合う気など無い。勝ち目が無いのだ。「助けてくれ」もう一度叫んだ。

「これほど物わかりのいいスラッシャーも珍しいな」「抵抗する気はねえよ」「何だか解らんが、手錠をかけさせてもらうぞ」デッカーが言い、側近らしきマッポを連れて歩み寄る。部下2人に周囲のバイタルサインを確認させながら。「いいか聞いてくれ、ブッダにかけて真実を言うぞ」イノウが言った。

「取引したい。俺たちゃただの物取りじゃねえ」イノウはサイバネ手錠で拘束されながら続けた。「このコンテナにゃ、オウテ社の偽装工作を暴く、とんでもねえスキャンダルのネタが積まれてる。大量のショーギ板とコケシ、そして偽造IDと桐製の梱包ボックスだ」「……それで?」デッカーが問う。

「俺たちゃ、とある暗黒メガコーポの依頼で、この輸送トラックを襲撃した。で、案の定殺し合いになって、仲間が全員死んじまった」「司法取引をしたいなら、たわごとは留置所で聞いてやる」「それじゃ遅いんだ、この輸送トラックがオウテ社に渡る前に、"個人的に"取引したいって言ってんだよ」

 それは法外な賭けだった。だがイノウは何としても生き残り、カネを手にしなければならなかった。運転席で考えた限り、これ以外に術は思いつかなかった。このまま逮捕されてトラックもオウテ社の手に渡れば、死刑を免れたとしても、いずれ依頼者またはオウテ社の刺客に始末されるのは間違いない。

「つまり?」不明瞭な入力に対するシステム文言めいて、デッカーが問うた。「山分けしようぜ、俺と、あんたらで。おまけに、あんたらは社会正義も果たせる」「大胆にも本官を買収しようと言うか。余罪が増えたな」「一人一千万は固い」「そんな無法が通ると思うか」「それがネオサイタマだろ?」

 金額を聞き、横にいるマッポの表情が微かに変わったのにイノウは気づいた。「大したタマだ」デッカーは無表情に笑った。「ちなみに、この後はどうする手筈だった」「このトラックを積荷ごと、ネオサイタマ埠頭のとある倉庫に運ぶ。あとは他の奴がやる」「物理アドレスは?」「今はまだ言わねえ」

 デッカーは唸った。そして耳元に手を当て、トレーラー内の捜索を終えたマッポからの報告を聞いた。そこには謎めいたタタミ部屋と血の跡しか無かった。「まったく大したタマだ」「そうだろ」イノウは安堵の息をついた。「手錠はすぐに外してやる」「ありがてえ、俺を運転席に……」BLAM

 背中から撃たれ、イノウは水溜りの中に倒れた。マッポの一人が、運転席にあった彼の銃を構えていた。「狂った世界に、狂った野郎共だ」デッカーが言った。「念入りに、もう少し撃っとけ」BLAMBLAMBLAM!銃弾が上から雨のように叩き付け、イノウの体は小さくリズミカルに弾んだ。

「クソ忌々しい死体やら武器やらを全部トラックの積荷に放り込め。俺が運転する。オウテ社に引き渡す」デッカーが言った。マッポたちが敬礼し従った。何をすべきかは解っている。このトラックをいくらか先まで運ぶ必要がある。そこはオウテ社の私有地境界だ。そこで襲撃事件が起こった事にする。

「プロ傭兵でしょうかね」と側近マッポ。「ハック&スラッシュだろ。あいつは湾岸警備隊上がりか」とデッカー。「湾岸警備隊ってのは、サイコパス養成所なんですかね?」「マトモな呑み友達もいるぜ。話の分かる奴さ。武器も処分してくれる」「なんでこいつらは後先考えず行動するんでしょうね」

「狂ってんだろ」デッカーはトラック後部を一瞥した。他のマッポたちが、マグロめいた死体を荒っぽく投げ込んでいた。シュギ・ジキ部屋、彼岸花の絵には穴が開き、血に染まっていた。ニンジャは影も形も無い。イノウの横にミホが仲良く転がされた。この部屋の意味を、彼らは考える気もなかった。

 デッカーと側近マッポが運転席に座った。デッカーは荒っぽいハンドルさばきで前輪を軟泥から脱出させ、堅牢な一直線の舗装道路にトラックを復帰させた。積荷の死体がシュギ・ジキ部屋で揺れた。二台のマッポビークルを従えてトラックは前進。巨大な車輪が、ミホのショックメイスを踏みしだいた。

「コケシがどうこうってのは何だったんですかね」「だから狂ってんだよ、妄想だろ」とデッカー。車内はしばしの沈黙。「……今回はどのくらい儲かりますかね。また家族でオキナワ旅行行けますかね」以前、逃げ出したショーギ職人を捕獲しオウテ社に引き渡した時には、かなりのカネが手に入った。

「どうせハシタ金だろ」デッカーは渋い顔を作り、地平線の彼方を見た。「今回はうちの管轄の面倒を半分押し付けるんだからよ」日は沈み、どこまでも遠く、叩き付けるような重金属酸性雨が振っていた。それからデッカーは車内に残る焼け焦げたニューロンの臭いを飛ばすために、薬物煙草を吸った。

 初めから、このトラックに資材など積まれていなかった。襲撃者をカウンターするためだけのものだった。物言わぬ死体として転がるミホ、イノウ、ハッカーも、ここにいない顔見えぬ依頼者も、デッカー達も、誰もそれを知らなかった。どう足掻いても犯罪者達がカネを手にする事は出来なかったのだ。

 トラックは黒い長い道を、オウテ社の私有地に向かって進んでいった。不可避の運命へと。……その時、暗いシュギ・ジキ部屋で、死んだはずの男が不意に目を開き、彼岸花の下で身を起こした。サイバネか?否、念入りに撃ち込まれた銃弾は確かに彼を殺していた。

 彼は甦ったのだ。ニンジャソウル憑依者として。そして自分が何者になったかを悟り、邪悪な笑い声をあげた。そして、己のニンジャネームを呟いた。「……ヘヴィレイン」それは悪くないと思った。積荷カーゴの屋根には、激しい重金属酸性雨が叩き付け、そのノイズがシュギ・ジキ部屋を圧していた。

 この日、邪悪なニンジャが一人死に、新たな邪悪なニンジャが一人生まれた。それは終わり無きカルマのサイクル、あるいはマッポーの一側面を示しているのだろうか。やがてヘヴィレインは再び死神と対峙するが、それはまた別の話だ。……少なくとも、あのデッカー達は、オキナワには行けぬだろう。




【サンセット・アンド・ヘヴィレイン】終わり


N-FILES

メガコーポの雇われ傭兵であるイノウたちは、オウテ社の輸送トラックを襲撃。だが積荷カーゴには、ショーギ板とコケシの代わりに、ソウカイヤのニンジャが乗っていた。メイン著者はフィリップ・N・モーゼズ。

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