【キリング・フィールド・サップーケイ】
◇総合目次 ◇エピソード一覧
この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードは上記物理書籍に加筆修正版が収録されています。また、第2部のコミカライズが、現在チャンピオンRED誌上で行われています。
【キリング・フィールド・サップーケイ】
1
装甲巨大液晶を腹に吊り下げた大型マグロツェッペリンの編隊が、ネオサイタマの超高層ビル街を威圧的に泳ぐ。そこに映し出されるのは最新娯楽映画「ジーザスIV」。地上では、ぽかんと口を開けてトレイラー映像を見上げるジェット・パンクスの一人が武装ハッカーに撲殺され、万札を奪われていた。
マグロ液晶には、ローマ兵士軍団に囲まれる逞しい半裸の男……使徒の一人が彼にバスタードソードを手渡すと、たちまち壮絶なアクションシーン!『ジャッジがいない』巨大な赤色液晶に字幕が流れ、トレイラーの映像と連動する。地上ではフリーランスヤクザが武装ハッカーを脅し、万札を奪っていた。
『磔刑を逃れた彼に』タダーン!煽情的効果音。『新たな刺客!』タダオーン!ローマ軍の命令を受け、べん髪のカンフー男が剣を構えてあの男に斬りかかった。ナムサン!宗教道徳は死に絶え、民はついにあの男すら消費し始めたのだ。地上では、黒いレインコートを着た男がヤクザに肩をぶつけていた。
『裏切者を追いエジプトへ』彼はチャリオットで荒廃した砂漠を駆ける。戦車軍団が後を追う。『悲しい別れ』タダーン!茨の冠を被った彼は死に瀕した乙女と口付けを交わし、立ち上がる。俗悪と貨幣が神聖を蝕む。地上では「ザッケンナコラー!」ヤクザがレインコート男を威嚇しチャカ・ガンを抜く。
「……くだらねえ」レインコート男は背後から銃口を向けられても歩みを止めず、高層ビルのひとつを睨みつけながら舌打ちした。「アッコラー!?ダッテメッコラー!」面子を潰されたと思ったヤクザは、恐るべきヤクザスラングを吐き捨てながら、レインコート男の正面へと回り込み立ち塞がった。
レインコート男は止まらない。「コノヤロー!」激昂したヤクザは引き金を引いた。BLAM!重金属酸性雨で湿った大気に銃声が鳴り響く。だがレインコート男は一瞬早く、拳を握らない奇妙なカラテの構えから相手の腕をいなし、銃口を逸らしていたのだ。ワザマエ!
逸れた銃弾が『警察パトロール』と書かれたネオン看板にめり込むよりも速く、ヤクザの顔面に左右の掌打三発が叩き込まれていた。「イヤーッ!」「アババーッ!?」ヤクザはそのまま後ろに倒れ、薄汚い水溜りの中で死んだ。屈強なフリーランス・ヤクザを一瞬で殺すこの男、果たして何者か……?
「肩慣らしにもなりゃしねえ」レインコート男はヤクザの死体を蹴りながら、とても治安の悪いエンガワ・ストリートに向かった。途中、ソバ屋台の前を通る時にサケトクリを奪い、追いすがってきた老店主をキックで殺し、それを見て悲鳴を上げたストリートオイランを路地裏でファック&サヨナラした。
エンガワ・ストリートには、開発計画から取り残されたカビ臭い雑居ビルと電柱が立ち並び、無数のケーブル類が張り巡らされて、重金属酸性雨をしのぐアーケード的役割を果たしている。男はレインコートを脱ぎ、それを放り捨てた。煤けたハカマ・ウェアを纏う、堕落した中年武道家の姿が露になった。
◆◆◆
「アハー、アハー、アハー」小型クレーン装置の先端に備わったUNIX椅子の上で、痩せぎすの男が手を叩いて笑っていた。悪名高きハッカー・バロンのヒロシ・ヤスオである。「ヤスオ=サン、どうしたんですか?」側近のモチナガが問う。「公開前のジーザスIVを落としたぞ、アハー、アハー」
これは違法ダウンロード!神をも恐れぬ悪質ハッキング行為である。「アハー、アハー、皆で観てから、ヤクザクランに売るぞ」ヤスオはUNIX椅子に備わった三個のキーボードを高速タイプし、機械言語でクレーンを操作する。ハッカー・バロンの名に恥じぬ、殺人的なタイピング速度であった。
異形の甲殻類めいたクレーン装置が動き出すと、UNIX椅子は大きく旋回し、大型スクリーンの前でリクライニングした。いかついスキンヘッドの傭兵モチナガを含め、合計3人のボディガードも薄汚いソファに座ってスクリーンを見た。鎖で繋がれた奴隷サイバーゴス女4人が、ヤスオの横に侍った。
「君たちも見たいよね」「「ミターイ!」」「「スゴーイ!」」ヤスオは半ば自我崩壊した奴隷たちに優しくオシャクされながら皇帝のように笑った。「アハー、アハー、それじゃ、上映開始……」彼がコマンドをタイプすると、大部屋の照明が一斉に消え、雅楽的ブザーが鳴ってスクリーンの幕が開く。
だが、開いたのはスクリーンの幕だけではない。フスマが勢いよく開け放たれ、悲鳴が聞こえた。ヤスオら全員が背後を振り返った。廊下の照明に照らされ、ハカマ・ウェアを纏った武道家のシルエットが切り絵めいて浮かんだ。その顔には、瞳の無い白いサイバネ義眼が二つ、邪悪に歪んで輝いていた。
「ドーモ、おれの名はデソレイションです……DESOLATION!」その男は禍々しいアイサツを決めた。オジギすらせぬ、武道家にあるまじき態度!「アイエエエ…」悲鳴の正体は、内臓破裂状態で彼の足元に転がる傭兵ノブタであった。ノブタはこのアイサツに恐怖して失禁し、直後に絶命した。
「アイエエエエ!」不測の事態にハッカー・バロンは取り乱した。「何モンだ、てめえ!?」モチナガは殺人武器トンファーを構えて立ち上がる。そのトンファー捌きを見れば解るとおり、彼はかなりのカラテ高段者だ。他の傭兵も同様である。だがデソレイションは、嬉しそうに歯を剥き出して笑った。
「ウオーッ!」モチナガがトンファーを振り回しながら突撃!だがデソレイションはそれをいなして顔面掌打を叩き込む!「イヤーッ!」「グワーッ!?」モチナガは脳震盪を起こしスタン状態に!間髪入れず、アンダースローめいた動きで股間への掌打!これはコッポ・ドーの奥義、ボールブレイカー!
「イヤーッ!」「グワーッ!」掬い上げるような掌打が、モチナガの股間を容赦なく破壊!ナムアミダブツ!何たる卑劣な殺人技か!ビッグバンめいた激痛とともに小さく跳ね上がったスキンヘッド傭兵は、月まで飛んでいきそうな錯覚を味わった直後、とどめのコッポ・パンチを顔面に受けて絶命した!
リーダーであるモチナガが一瞬で倒されたことに驚いた残りの傭兵たちは、絶句し、敵までタタミ2枚の距離で立ち竦んでいた。コッポ・ドーの自然体の構えで悠然と立つデソレイションは、左右の傭兵を黒目の無い眼で順番に睨みつけ、挑発するように言った。「……アホウども、おれはな、殺し屋だ」
傭兵たちは、2つのボールが収縮するような恐怖を味わった。カラテ段位の差が明らかなのだ。ハッカー・バロンを見捨てて逃げるという選択肢もあるだろう。だが殺人カラテの使い手である彼らは直感していた。この部屋全体が、相手のキリング・フィールドと化しているのだと。逃げ場は無いのだと。
「アイエエエエ……そ、そいつを早くどうにかするんだ!大変なことになるぞ!」ヒロシ・ヤスオは脂汗をかきながらUNIXを操作し、クレーンの腕を旋回させる。殺し屋から少しでも距離を取るためだ。「「ウオーッ!」」2人の傭兵は覚悟を決め、トンファーを振り回しながら同時突撃した!
だが殺し屋は瞬時に立膝状態を作ってトンファーをかわし、左右の股間にダーカイ掌打を叩き込んだのだ。「イヤーッ!」ボールブレイカー!「コワイ!」ヤスオは両手で目を覆った。部屋の隅で、ワータヌキの置物だけがその惨劇を呆然と直視する。傭兵たちは無言で倒れ、ワームじみて痙攣していた。
「おい、降りて来いよ。テメェを殺しに来たんだ」デソレイションは懐からサケトクリを取り出すと、ケミカルコール臭い息を吐きながらゆっくり立ち上がった。「雇われたのか?そ、そいつより多く払うぞ」ヤスオがどもる。『主に祈れ』スクリーンではあの男がオープニングの決め台詞を吐いていた。
「そういう問題じゃねえのさ、美学だよ美学」「アーレエーッ!」デソレイションは助けを求めてすがり付いてきた奴隷ゴスのひとりを邪険に蹴り転がしてから、UNIX椅子に向かって歩み寄る。ヨタモノめいた角度で首をかしげながら。「アイエエエエ……」ヤスオが絶望のあまり失禁した、その時。
突如、床に敷かれたタタミの一枚が精巧なメカニズムによって回転し、黄色ニンジャ装束のニンジャが飛び出したのだ。「ムウーン!」太陽飾りの武者兜を被ったその逞しいニンジャは、素早い五連続側転を決めてデソレイションの前に立ちはだかる。「ドーモ、遅くなりました、レイディアンスです」
ごく短い静寂。映画配給会社からのウィルス攻撃が開始されたのか、天井を這うLANケーブルの何本かがバチバチと蒼白い火花を散らし、対峙する二者の顔を病的に照らし出した。「……ドーモ、デソレイションです」彼は身じろぎもせず、真白い眼でニンジャを睨み返しながら、殺す方法を算段した。
「どうだ解ったか!このイディオットめ!」レイディアンスの到着にヤスオは俄然勇気付けられ、殺人ウイルスへの対抗ハッキングを再開していた。「裏社会の人間なら、アマクダリ・セクトの名を聞いたことがあるだろう!このハッカー・バロンに逆らうことは、アマクダリに逆らうも同然なんだぞ!」
デソレイションとレイディアンスは、タタミ2枚の距離でカラテを構えて向かい合い、ライターが擦られればたちまち爆発しそうなほどの一触即発アトモスフィアを漂わせていた。両者の額にじわりと汗が滲む。
(((ハメられたか?いや、依頼者は堅気で、動機はヤスオへの怨みだ)))デソレイションはこの一件がアマクダリ絡みとは知らなかった。ただ、その組織がどれほど強大かは知っている。だが……荒んだ胸の奥に、暴威の風が吹いた。「今更しょうがねえ、殺すぞ」デソレイションは捨て鉢に笑った。
「ムウーン!」レイディアンスが動いた。タタミに深く跡が残るほど強く爪先で足場を蹴り、ロケットめいた速度で前方に突撃しながら、強烈なカラテ・パンチを繰り出したのだ。「イヤーッ!」それを掌でいなすデソレイション。掌打!それを払うレイディアンス。裏拳!いなす!掌打!払う!いなす!
掌打!「イヤーッ!」ヨコヅナ・スラップめいた一撃が、武者兜の隙間を縫って敵の右頬に叩き込まれる。だが浅い!「ムウーン!」レイディアンスは一撃で勝負を決めるべく、カラテの大技ローリング・ソバットを繰り出した。……コッポ掌打によって、わずかに三半規管が狂ったことに気付かぬまま。
「イヤーッ!」デソレイションは威力の減じたカラテキックを胸板で食らいながら受け止め、相手の脚を片腕でがっちりとホールドした。「ムウーン!」危険を察知したレイディアンスが、奥の手であるヒカリ・ジツを全身から放つ!漢字サーチライト並の光の爆発だ!「ウワーッ!」ヤスオが絶叫する!
デソレイションもまた義眼の閾値エラーによって一瞬視界を奪われ、真白い虚無の世界に立っていた。だが彼はブザマに隙を作ることなどなかった。敵の足を掴んだ瞬間から、コッポ・ドーの殺人連続カラテムーブを開始していた。彼の精神ははじめから、荒漠たるサップーケイ世界に立っていたからだ。
破壊すべき敵の肉体部位がどこにあるかは、見えずとも解る。掴んだ敵の足の筋肉が、どのように収縮し、がら空きになった敵の無防備股間が、どのように右斜め下に移動したか……そこへ寸分の狂いもなく、デソレイションの掬い上げるような掌打が!「イヤーッ!」「グワーッ!」ボールブレイカー!
レイディアンスはワータヌキめいて目を見開き、全身の骨を砕かれたかのごとく、力無く仰向けに倒れた。デソレイションは未だ敵の右足首をホールドしたままであった。フィニッシュ・ムーブはまだ続いていたのだ。覚束ない意識のまま、レイディアンスは確信する。相手もまたニンジャであったと。
「……」デソレイションはタタミに倒れる敵の股間に狙いを定めて片足を上げ、そしてコッポ・キックを容赦なく叩き下ろす。シャウトすらなく無言のまま。ビッグバンめいた激痛がレイディアンスの下腹部を中心に広がり、そして荒廃だけが残された。「サヨナラ!」レイディアンスは悶死し爆発四散!
それは人力テクノめいた背筋が凍るほどのシステマティック殺人術であった。彼はただひたすら、最も効果的な弱点を容赦なく狙うだけだ。平安時代に封印されたというこの魔技を振るう者は、あらゆる良心と人間味と敬意を捨て去ることを要求された。そしてデソレイションとはそのような男であった。
「そんな……レイディアンス=サンが……」閃光による衝撃から回復したヒロシ・ヤスオは、爆煙を掻き分けて近づいてくる殺し屋を見下ろした。ヤスオは高所のUNIX椅子に座ったまま、両手を上げて命乞いをする。「ジーザスIVの違法ファイルをあげます……!数億のカネが動きますから……!」
ヤスオが対抗ハッキングを止めたことで、再び映画配給会社の殺人UNIXウイルスが流入してくる。部屋の隅に積まれたUNIXモニタの一台が爆発した。ヤスオはLAN直結者ではないため、辛うじて命拾いしている。LAN直結には、ウイルス攻撃でニューロンを焼き切られるリスクがあるからだ。
「おい、降りて来い、そうしたら少し楽に殺してやる」暗闇の中、スクリーンの明かりに照らし出されたデソレイションは、バロン・ハッカーを見上げて心底気怠そうに言った。デソレイションの顔に表情はなく、電脳オイランハウスで情事を終えたばかりの無頼漢めいた無表情であった。
「ハイ、今降ります」ヤスオが両手を上げたまま言った。だが彼には降りる気などなかった。下腹部にインプラントされた小型サイバネ・アーム2本が音も無く密かに展開し、キーボードをタイプしていたからだ!そのカニング行為はUNIX椅子のモニタに隠され、デソレイションからは全く見えない!
BRATATATA!UNIX椅子の底部が展開し、ミニガンが火を噴く!だが「イヤーッ!」デソレイションは流れるようなブリッジで射撃を回避し、懐に隠していたスリケンを投げ放った!「アバーッ!」スリケンはヤスオの額に突き刺さる。ナムサン!ハッカーは体を左によろめかせて落下した。
額からスリケンを生やしながらも、ヤスオにはまだ息があった。そうなるように加減したからだ。デソレイションはタタミに仰向けになったヤスオを見下ろし唾を吐きながら、サイバネ義眼の撮影モードをONにした。「面倒だしチャカか何かで殺してえが……こうしねえと、依頼人が納得しねえんだよ」
「ヤメテー!」奴隷サイバーゴス女が、ヤスオを守るために殺し屋の足元にすがりつく。それを野良犬か何かのように蹴り飛ばしたデソレイションは、コッポドーを構えた。ハッカー・バロンは浜に打ち上げられたマグロじみて口をパクパクさせながら、両手とサイバネ・アームで反射的に股間を守った。
「アイエエエエエエエエエ!」「イヤーッ!」……ハッカー・バロンの絶叫がエンガワ・ストリート雑居ビルの窓から漏れ出し、すぐに停止した。インガオホー!その叫びは、ネオサイタマに降る冷たく湿った重金属酸性雨の音にかき消され、誰にも聴きとげられることはなかった。
◆◆◆
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」荒んだドージョー内では、黒いハカマ・ウェアに身を包んだ何人もの門下生が並び、マグロめいた目で木人にコッポ・コンビネーションを叩き込んでいた。前師範の偉大なウキヨエ肖像画は顔を塗り潰され、「反則する」「非道な」などのノボリが立ち並ぶ。
ここはデソレイションが経営する暗黒コッポ・ドージョーである。かつては反則技や私利私欲による暴力行為を禁じ、女性に護身術なども教える高潔なドージョーであった。ニンジャソウル憑依前のデソレイション……本名タギ・トワも、その凶悪性を師範タコロー=センセイに看破され、破門された。
かつて師範代の座についていたタギ・トワは、タコロー=センセイにその事実を隠したまま、密かに殺人依頼を請け負っていた。単純にカネのためか、あるいは法で裁けぬ悪党共に義憤を覚えたか……今となっては荒廃の彼方に忘れ去られたが……タギが嬉々として殺人術を振るったことは事実である。
すでにその頃から、彼の胸にはサップーケイが形作られ、侘しい風が吹き始めていた。その後破門され、ネンゴロであったタコローの娘との仲も引き裂かれたタギ・トワの精神は、荒廃を極めてゆく。やがて彼は邪悪なドージョー・ヤブリとして戻り、タコロー=センセイと娘を殺して師範の座を奪った。
読者の皆さんは、奇妙に思うことだろう。だがドージョー・ヤブリが行われた場合、門下生は新たな師範に忠誠を誓わねばならない……たとえどんなに卑劣な相手でも。さもなくばセプクだ。平安時代から続くこの伝統は、マッポーの世にも未だ残っている。かくしてタギはドージョーの支配者となった。
タギはその瞬間から捨て鉢だった。門下生に理不尽な暴力を振るい、ゲコクジョ・デュエルを誘って殺し、神聖なドージョーで酒を飲み、オイランを抱き、大っぴらに殺人稼業を営み始めた。またタコロー=センセイの教えをあらゆる手を使って貶めた。「正々堂々」のノボリは「反則する」に変わった。
タギ・トワは気まぐれに狼藉を働き、博打を打った。門下生が減ってくると、周辺のカラテドージョーに対してドージョー・ヤブリを行い、新たなマグロの目の門下生を連れてきた。彼の居室であるトコノマには、戦利品であるカンバンが十数個、敬意を払われることもなく雑然と積み上げられていった。
いかなネオサイタマといえど、タギの自己破滅的な犯罪行為は目に余るものだった。ある日、仕事を終えた彼は廃工場でヤクザクランによる待ち伏せ射撃を受けた。インガオホーで実際死ぬと思われたが……彼はいつの間にかニンジャソウル憑依者となっており、覚醒した力で窮地を脱してしまったのだ。
そして今、エンガワ・ストリートから帰った彼は、トコノマで依頼人に殺人映像を見せている。皮肉にも、デソレイションに唯一残っている人間味があるとすれば、それは殺人稼業への誠意だ。デソレイションは当の昔に殺人稼業の意義を忘れ、自らに課したノイズまみれのプロトコルと化してはいるが。
上空……汚染されたどす黒い雷雲の中を、マグロツェッペリンの編隊がうっそりと飛んでゆく。『裁きの日は近い……』重金属酸性雨にぬめった液晶ディスプレイには、逞しく日焼けした上半身を露にしながら高々とバスタードソードを掲げるあの男の姿とLED字幕が、暗示的に映し出されていた。
ズガガーン!ズガガガガーン!激しい雷鳴が鳴り、ソリマチ・ハイウェイを走る武装ヤクザベンツ軍団を照らす!車内には、アマクダリ社章バッジを左胸に輝かせるクローンヤクザたち。そして最後尾車両には、月飾りの武者兜を被り腕組みで座る、青色装束のニンジャ。その瞳は復讐の炎に燃えている!
ズガガーン!ズガガガガーン!再び雷鳴。空が破れたように重金属酸性雨が叩きつける。同時刻、デソレイション・ドージョー・ビルの前には、防塵トレンチコートにハンチング帽の男が立っていた。彼は鋭い目で見上げ、窓に貼られた「コッポ・ドー」「募集中」「月謝」などの欺瞞的ショドーを睨む!
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プゥオオオーン、プゥオオオオオオオーン……荒みきった電子コムソ・シャクハチの音が、デソレイション・コッポ・ドージョー内に鳴り響く。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」マグロめいた目で木人トレーニングや実戦組手を繰り返す門下生たち。未来の殺人カラテマン、その数は20名弱。
広大な畳敷きドージョーの北と東には縁側があり、ショウジ戸で仕切られた小部屋がいくつも並んでいる。これらの部屋には、ドージョー・インナーサークルの人間しか立ち入ることを許されない。それぞれの小部屋のショウジ戸の前にはアンドン・ライトが立てられ、神秘的な炎をゆらめかせる。
かつてこれらの部屋で、高潔なるタコロー=センセイは瞑想やショドーなどを行っていたのだろう。だが今夜、そのうちのひとつから漏れ出してくるのは、高級オイランたちのとろんとした嬌声と乾いた笑い声……そして若い男の嗚咽。
「アイエエエエエエ……」鼻と耳を紐ピアスで繋いだその小太りのサイバーゴスは、タタミの上に正座し口元を手で押さえながら、3Dボンボリモニタに映る殺人映像を見ていた。ボンボリをはさんだ向かい側には、数段高くなったタタミの上に座るデソレイション。彼は6人ものオイランを侍らせている。
「どうしたんだい、トバツ=サン、あんたの依頼通りにしてきてやったんだ。ハッカー・バロンも、その兵隊どももな。ハナビみてえに、弾け飛んださ……フゥー……」デソレイションは半分剥かれたフルーツの如き痴態のオイランが掲げる薬物キセルを吸い、荒野の如き無表情のまま煙を吐いた。
「アハハ……アハハハハ……」床に転がったゴスオイランが3Dモニタを指差し、ハッカー・バロンの情けないズームアップ映像を見て笑った。「アーン……」「アーン……」右からはイチジクを、左からはタマゴ・スシを半分咥えたオイランがしなだれ、それを口移しでデソレイションに捧げようとする。
ナムアミダブツ……!なんたる堕落ぶりか!さらに周囲には丸いスシ重箱が重ねられ、酒瓶がいくつも転がっている。だが当のデソレイションに笑みは無い。ニンジャと化して殺人稼業を続けるうちに荒みきった彼の心は、もはや薬物でも、オイランでも、博打でも、満たされることはなくなったのだ。
「アイエエエ……ブッダ……」依頼人は吐き気と失禁をこらえながら、必死に3Dモニタを凝視する。3ヶ月前、クラブでDJを勤める建気なサイバーゴスであったトバツは、卑劣なハッキングと暴力により婚約者をハッカー・バロンに奪われ、しかもハズカシメされた彼女は恥辱のあまりセプクしたのだ。
怒り狂ったトバツは、ありとあらゆる手段で復讐を試みた。だが敵は私兵ギャング団を持つハッカー・バロンである。同級生もマッポもヤクザも、トバツを助けてはくれなかった。そんな時彼は、殺人稼業を営む堕落したカラテマンの噂を聞きつけたのだ。
今宵、始めのうちトバツは昂揚感に囚われながら殺人映像に見入った。自分が無敵のカラテ有段者となり、ギャングどもを殺してゆくような快感を味わった。だがそれもコッポ・ドーの禁断技が繰り出されるまでのことだった…(((ああ……なんたる非道!……ブッダ!僕がこれを望んだのか!?)))
敵の体を容赦なく破壊し、身動き不能の状態に追い込んでから、確実に処刑してゆく……デソレイションのサイバネ・アイに録画されたその非道なダーティファイト映像を見ているうちに、トバツはこの殺し屋の荒みきった魂を覗きこんでいるかのような錯覚に襲われ……恐怖が復讐心を塗り潰したのだ。
「ハッカー・バロンで終わりじゃねえのさ……フゥー……ほら、巻き戻すぜ……床に転がってる傭兵もひとりひとり、始末してやった。目を覆ってもらっちゃあ、困るな……依頼人が最後まで見届けて納得しなかったら、カネを受け取れねえ……」デソレイションは真白いサイバネアイで依頼人を見た。
「アッハイ」トバツは小さく失禁してから、両目を覆っていた手を膝の上に戻す。この男を怒らせれば、自分も殺される気がしたからだ。トバツはもはや、殺し屋に対して敬意など微塵も抱いていなかった。早くこの化け物にカネを払って帰りたい……そしてフートンに入って寝たい……それだけだった。
正座するトバツの横には、フロシキ包みの重箱。その中には依頼のために借金して作ったカネが、違法素子の形で納められている。彼が新築住宅をローンで買い、その住宅ローンをネコソギ・ファンド社の仲介で債権化してもらうと、いくらか借金マージンが貰える……最近とても人気の借金システムだ。
国税による再生オペレーションを受けたネコソギ・ファンド社とアマクダリの暗黒癒着については、いずれまた語る機会があるだろう。いずれにせよこれが、彼が依頼料を工面できた理由である。とはいえ、この依頼料は法外な金額ではない。デソレイションは堅気の市民からしか依頼を受けないからだ。
当然その依頼料も、堅気の市民が工面できる範囲を超えない……なぜそのような殺人料金システムを今なお守るのか、それは当のデソレイションにも解らないだろう。彼は真白の荒野に捨て置かれた、半ば壊れたデヴァイスのように、かつての行動を反復し続けているだけだ。危ういノイズを増しながら。
「オミソレ・シマシタ……」最後の傭兵が絶命するのを見届けたトバツは、恐怖に顔を歪めながら深々とドゲザし、闇社会プロトコルに従ってクエスト完了承諾のヤクザスラングを捧げた。デソレイションが頷く。そしてトバツは顔を上げ、重箱を差し出そうとし……3Dモニタの残り映像を横目で見た。
3Dモニタの映像は、後始末を全て終えたデソレイションがハッカー・バロンの部屋で録画した、意味の無い最後の10秒間だった。デソレイションはまず、光に引き寄せられる蛾のようにジーザスIVのスクリーンを一瞥し、唾を吐き捨てると、それから奴隷ゴス女たちを見た。映像はそこで終わった。
「あ……あの……」「何だ…?」トバツは浜辺に打ち上げられたマグロのように口をパクパクさせた後、殺し屋に問われ、一度口篭った。それから頭を下げ直して重箱を差し出そうとし……思い留まった。「み、見間違いでなければ、最後に映ったゴスガールズの中に……こ、婚約者のワモ=サンが……」
「婚約者はセプクしたんじゃねえのか?依頼の時に、そう聞いてたぜ」デソレイションは顔色ひとつ変えず、キセルの煙を吹いた。オイランたちは震え上がるトバツを見て、ケミカルなクスクス笑いを漏らした。「いえ……彼女の死体を確認したわけではなかったんです……」トバツは混乱し、取り乱す。
「フゥー……見間違いだろ」デソレイションは煙を吹きながら、面倒臭そうに立ち上がり、3Dボンボリを蹴飛ばしてずかずかと依頼人に歩み寄った。「いえ、でもあれは……」トバツはそれに気付かぬまま、タタミを凝視し、ニューロンの中の記憶を整理しようとする。直後、身体が浮かんだ。
「アイエエエエ!」トバツは喉の奥から悲鳴をしぼりだす!彼はデソレイションに片手で襟首をつかまれ、絞首刑じみて高々と掲げられていたのだ!足がぷらぷらと揺れ、タタミからは1メートル以上離れている!コワイ!「おれはな、ハメられた時以外、依頼人にゃ絶対手を上げねえ主義なんだが……」
まさにベイビー・サブミッションである。ニンジャソウルが殺意を導く。だが彼の魂に染み付いたプロトコルがこれを阻んだ。「…ああ、全員殺したぜ。今回は特別に、お互いここで終わりにしようや」「ハイ!オミソレ・シマシタ!」トバツは赤子のように泣きながら、歯を食いしばってそれを認めた。
「イヤーッ!」デソレイションは依頼人をショウジ戸に向かって投げ捨てた。「アイエエエ!」トバツはフスマを突き破り縁側に転がる。プゥオオオーン、プゥオオオオオオーン……荒みきった電子コムソ・シャクハチの音!門下生らは見て見ぬ振りをし、マグロめいた目で木人トレーニングを繰り返す!
痛みにうめき上半身を起こすトバツ。彼は重箱を掴んで隅の戦利品山に無造作に放り投げるデソレイションを見た。それは十数個のドージョー・カンバンが敬意なくゴミのように詰まれた山であった。トバツが嗚咽を漏らす。……その時!「ウオーッ!」突然、隣のタタミ部屋に通じるフスマが開いた!
「ゲコクジョ!センセイ、俺はもう限界だ!マグロの目になる前に俺はあんたにカラテを挑む!」そこに現れたのは、ハカマ・ウェアを纏ったヤバレカバレの門下生……アキラであった!しかも彼の横には、ゴスオイラン装束を着せられたワモの姿が!彼女は戦利品オイランとして持ち帰られていたのだ!
「ワモ=サン!生きていたのか!」トバツが叫ぶが、自我を破損したサイバーゴスオイランは困惑した表情で辺りを見渡すばかり。「……ならデュエルだ、広いところでやるか?」デソレイションの口元に邪悪な笑みが浮かぶ。「今ここでだ!イヤーッ!」アキラはマシンガン・カラテを構えて突進する!
アキラが所属していたマシンガン・カラテドージョーはドージョー・ヤブリを受け、門下生の半数が奴隷となった。残り半分はその場で殺されるか、セプクしたのだ。才能あるアキラは門下生となりツキビトの位階まで進んだ。彼は今夜、ワモの湯浴みと身支度を命じられ、隣部屋で控えていたのである。
依頼人とのやり取りを聞き、怒りが限界に達したアキラは、勝てぬと解っていながらフスマを開いたのだ!「ウオーッ!」突撃するアキラ!その構えはコッポ・ドーではない。とても速い連続パンチが印象的なマシンガン・カラテドーの構えだ!「アーレエエエ!」豊満なオイランたちが半裸で逃げ惑う!
デソレイションは拳を握らない奇妙なコッポ・ドーの構えでこれを迎え撃つ!「ウオーッ!」「イヤーッ!」「ウオーッ!」「イヤーッ!」「ウオーッ!」「イヤーッ!」アキラのマシンガン・カラテは全て受け流される!そして「イヤーッ!」「グワーッ!」コッポ掌打が顔面を痛打!ナムアミダブツ!
「まだまだ……ウアーッ!?」首を振って再びファイティング・ポーズを構えるアキラ。だが彼の下半身は狂牛病の牛めいてよろめき、積み上げられていた丸いスシ重箱を崩しながら倒れた。コッポ掌打により平衡感覚を一時的に失ったのだ。その恐ろしさは、門下生である彼自身が最も良く知っている。
「これでも使うか」デソレイションは箪笥からスラッシュ・ナックルダスターを取り出し、アキラに向かって放り投げた。彼のカラテドージョーでは、ナックルダスターの使用は反則行為とみなされ禁止されていた。だが、この男を倒すためならば……アキラは屈辱にまみれながら、その卑劣武器を見た。
「何を迷う、そいつを嵌めてかかってこい。お前はおれにゃあ、絶対に勝てねえんだ」デソレイションが言う。背後で「反則行為する」「手段を選ばない」のノボリがはためくのがアキラには見えた。このままでは殺される。それもただでは死ねない。コッポドーの禁断技を受けて、激痛の中で死ぬのだ。
アキラの手が卑劣武器に伸びる。「そうだ、おれが見たいのはな、そういうカラテだ。ルール無用の、ヤバレカバレの、命をかけたカラテだ……!おれがタコロー=センセイを殺した時のような……!」デソレイションは表情の無いサイバネアイで門下生を見下ろしながら言った。
ザリザリザリ……デソレイションの視界にノイズ。粗悪なサイバネ手術がもたらした過去の残響の異常再生だ。視界に真白いサップーケイが重なり、右斜め前に死ぬ直前のタコロー=センセイの映像が現れる。その口は「インガオホーが……」と告げた。次の瞬間、ノイズは水に溶ける墨のように消えた。
「……マシンガン・カラテドージョーを愚弄するな!」アキラは歯を食いしばり、ナックルダスターを放り捨てる。そして立ち上がり、再びカラテを構えた。勝ち目なしと知りながら。デソレイションは急に醒めた声になる。「……それじゃあ勝てねえよ、おまえ……コッポ・ドーは無敵なんだ」
アキラの再突撃!無言でこれをいなし、コッポキックで両膝を破壊するデソレイション!「グワーッ!」無防備股間を晒し仰向けに倒れるアキラ!プゥオオオーン、プゥオオオオオオオーン!荒みきった電子コムソ・シャクハチの音!見てみぬ振りで木人トレーニングを繰り返す門下生たち!……その時!
不意に重いエントランス・フスマが開け放たれ、トレンチコートの男!ズガガーン!ズガガガガガーン!雷鳴に続き重金属酸性雨の激しい雨音。ただならぬカラテを感じ取りデソレイションはそちらを見やった。雷光によって侵入者のシルエットが影絵の如く浮かび、ドージョーの畳に長く不吉に伸びる!
ドージョーは静まり返った。「誰だ」とデソレイションが言った。「……ドージョー・ヤブリだ」と暗黒非合法探偵フジキド・ケンジは言った。重金属酸性雨を孕んだ冷たい風がびゅうと吹き込み、ノボリが荒々しくはためいた。
3
コッポ・ドージョー内は一瞬静まり返った。その直後、門下生たちは再びマグロめいた目に戻り、黙々とトレーニングを再開する。あたかも、暗黒地下ショーユ工場で石臼を回す奴隷たちのように。誰にもデソレイションを倒すことなどできまい……門下生らは半ば人生を諦め、毎月月謝を納めているのだ。
トレンチコートの男は、縁側に立つデソレイションを睨みつける。そして静かに歩み寄った。燃え上がるような怒りを秘めて。デソレイションはオイランにセラミック酒瓶を運ばせ、物珍しそうにその男を見る。そして「暴動」と毛筆で書かれた大瓶の蓋を外し、軽く煽った。強いカラテを感じ取りながら。
「誰かは知らないが、帰るんだ……!こいつに勝てるものか……こいつは、ニンジャ……アバーッ!」警告を発したアキラの鳩尾に、デソレイションが蹴りを入れる。野良犬でも蹴り飛ばすかのように、無造作に。それからデソレイションは男に問うた。「どこでやる」「……奥でやろう」「着いてこい」
デソレイションとその男は初対面であったが、示し合わせていたかのように、神聖なるタタミ部屋へと向かった。「ねえ、貴方死ぬわよ!アハッアハッアハハハ!」床に転がったオイランが、ドージョー・ヤブリを笑う。トバツは呆気にとられながら、二人の男の背と閉じられるフスマをぼんやり見ていた。
ドージョーの最奥にある神聖なるタタミ部屋は約40畳。部屋の隅には、割れた酒瓶や漆塗りの杯、イカジャーキーなどが乱雑に投げ捨てられている。凄まじい荒廃だ。壁沿いにはショドー、ノボリ、木人、サンドバッグなどが並んでいるが、いずれもろくに手入れされず、荒れ果てるがままとなっていた。
室内の空気は刃物のように鋭く張り詰めていた。先を歩いていたデソレイションが、白線のところで立ち止まり、ゆっくりと踵を返した。片手に酒瓶を持ち、ハカマ・ウェアの胸元はだらくしなく半開きになっている。ジュドーの試合であれば、審判からイエローカードを出されるほどの堕落ぶりだ。
デソレイションは白いサイバネアイで、反対の白線の前に立つドージョー・ヤブリの姿を見た。いつの間にかそこには、トレンチコートにハンチング帽ではなく、赤黒いニンジャ装束を纏う男が立っていた。「テメェ、やっぱりニンジャか」デソレイションは酒を呷り空瓶を投げ捨てた。口元は笑っていた。
静寂。雷光が忍び込み、壁に飾られた「武田信玄」のショドーを青白く照らす。「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」ネオサイタマの死神が先にアイサツを決めた。「ドーモ、デソレイションです」(((…コイツは何者だ?アマクダリの刺客か?タコロー=センセイよ、ついに俺もインガオホーか?)))
敵の構えを見ながら思案するデソレイションの胸を、煤けた風が吹きぬけた。思考と人間味を奪い、彼を殺人カラテマンへと変える、暴威の風が。デソレイションはユーモアなど解さない。荒みきった彼の心をカンフル剤めいて衝き動かすのは、惰性めいたオイラン衝動と、命を賭けたカラテの昂揚感のみ。
「……その暴威で何人のモータルを行きずりに殺めた」ニンジャスレイヤーの鋼鉄メンポから、ジゴクめいた蒸気が吐き出される。サンシタニンジャであれば、恐れをなして逃げ出すほどのプレッシャーだ。だがデソレイションの口元には不敵な笑みが浮かんでいた。「めんどくせえ、とっととやろうぜ」
再び雷光がネオサイタマの夜を裂き、上空のホロトリイ・コリドーに電磁ノイズを走らせたのとほぼ同時に、両者は動いた!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは右腕をムチのようにしならせ、目にも止まらぬ速度でスリケンを投擲!「イヤーッ!」ミニマル掌打でこれを弾くデソレイション!ワザマエ!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは続けざま、左腕をムチのようにしならせ、目にも止まらぬ速度でスリケンを投擲!「イヤーッ!」ミニマル掌打でこれを弾くデソレイション!ワザマエ!さらにデソレイションはコッポ・ドーの奥義スリ・アシで一気に距離を詰める!あまりの速さに残像が生まれる!
瞬時に懐へと潜り込まれるニンジャスレイヤー。たちまち熾烈なカラテ・ラリーが開始される!「イヤーッ!」デソレイションのコッポ掌打。「イヤーッ!」それを腕を回すように薙ぎ払いパンチへと繋ぐニンジャスレイヤーのカラテ。「イヤーッ!」薙ぎ払う掌打!「イヤーッ!」薙ぎ払うカラテ!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
それは実際、おそるべきカラテであった。あのニンジャスレイヤーがジリー・プアー(訳注:徐々に不利)を感じるほどに。コッポ・ドーの特徴は、拳を握りこまず、開いた掌で戦うこと……ゆえにモーションが通常のカラテよりも小さく、超至近距離の打ち合いではデソレイションの側に分がある……!
ならばスリケンだ。「イヤーッ!」「イヤーッ!」敵のエルボーをダッキングでかわした直後、ニンジャスレイヤーはバックステップからの連続側転で一気に距離を開こうとするが……ナムサン!そもそもバックステップが不能!カナシバリ・ジツを受けたかのように、ニンジャスレイヤーは隙を晒した!
ナムアミダブツ!これはいかなるジツか?「アホウめが!」卑劣!それまで打撃で上段に注意を引き寄せていたデソレイションは、相手のバックステップを見切り、直前に右足先を踏みつけていたのだ。ウカツ!ジツならぬダーティ・トリック!「グワーッ!」バランスを崩し無防備股間を晒すフジキド!
「サップーケイ!」禁断のフィニッシュブローを決めるべく、デソレイションは小さなスリ・アシから、大きく開かれた敵の股間に対して掬い上げるようなコッポ掌打を繰り出した!アブナイ!「グワーッ!」神聖なタタミ部屋に響き渡る呻き声!だが……おお、見よ!崩れ落ちたのはデソレイション!
果たして、一瞬の間に何が起こったのか!?……時間を0コンマ3秒前に巻き戻さねばなるまい。デソレイションがコッポ掌打を繰り出す直前、ニンジャスレイヤーの片眼が赤く光り、センコのように小さくなった。迫り来る脅威を前に、フジキド・ケンジの内に眠るナラク・ニンジャが目覚めたのだ。
(((愚かなりフジキドよ、こ奴の使う技は暗黒カラテのひとつコッポ・ドー。開祖たるコッポ・ニンジャは、ソウルを八つに引き裂かれ、流派は八つに分かれたとも…)))(((対抗策を示せ、ナラク)))(((敵の狙うてくる場所はお見通しぞ。儂に代われ)))その会話はニューロンの速度で!
「イヤーッ!」直後、ニンジャスレイヤーは後ろに引いていた脚をさらに開き、一瞬にして完全なる前後開脚姿勢を取ったのだ!ゴウランガ!デソレイションの掬い上げるようなコッポ掌打は行き場を失い捌かれる!さらにニンジャスレイヤーは、バランスを崩した敵の股間へ無慈悲なるカラテパンチ!
「グワーッ!」崩れ落ちるデソレイション!だがボールブレイカーほどの致命打ではない。ニンジャスレイヤーは素早く立ち上がり、前屈みになった敵の顔面に高速膝蹴りを叩き込んだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」のけぞるデソレイション!さらに鳩尾へケリ・キック!「イヤーッ!」「グワーッ!」
Zzzzzt……デソレイションの視界にノイズが走る。「ウオーッ!」ヤバレカバレで掌打を繰り返す堕落武道家!だがその乱れ切ったムーブでは、研ぎ澄まされた殺意であるニンジャスレイヤーにはかすりすらしない!「イヤーッ!」右ストレート!「グワーッ!」「イヤーッ!」左!「グワーッ!」
「イヤーッ!」右!「グワーッ!」「イヤーッ!」左!「グワーッ!」
「イヤーッ!」右!「グワーッ!」「イヤーッ!」左!「グワーッ!」
「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
(((愉悦!)))「忍」「殺」メンポが歪み、ナラク・ニンジャはデソレイションより何倍も邪悪な笑みを浮かべる。カマユデにされたタコめいてぐらつくデソレイション。トドメオサセー!敵の心臓を狙って、アイアンクロー・ツメを繰り出すニンジャスレイヤー!「サツバツ!」……だがその時!
ニンジャスレイヤーは不意に殺人フィニッシュ・ムーブを止め、デソレイションの乱れたハカマ・ウェア襟元を掴む。そしてジュー・ジツの大技トモエ投げを決めた!トモエとは法と混沌が拮抗する神秘的瞬間の呼び名である。スゴイ!「イヤーッ!」「グワーッ!」人間大砲めいて飛ぶデソレイション!
KRAAAAASH!デソレイションはとても上等な鶴の墨絵が描かれた銀箔フスマを突き破る!「グワーッ!」そしてタタミの上で血を吐き、ブザマな姿をさらした!タダーン!ドージョー内の門下生たちの目を覚ますべく、アキラが部屋にあった銅鑼を叩く!タダーン!
「…ドージョー・ヤブリは成し遂げられた」破れたフスマの奥から、ニンジャスレイヤーの声。その姿は暗く、門下生やオイランからは見えない。片目は未だ油断なくナラクを宿しているが、肉体を制御するのはフジキドであった。(((何故殺さぬ、腑抜けたかフジキド)))(((黙れナラク!)))
ニンジャスレイヤーは闇の中から片腕を突き出す。その手に握られているのは、デソレイションの巻いていたブラックベルト!伝統に則った完全なるドージョー・ヤブリのプロトコルだ!「ウワーアアアアー!」「アイエエエエエエエエ!」「ワオーッ!ワオオオーッ!」ドージョー内に湧き上がる歓声!
続けざま、ニンジャスレイヤーは闇から手を伸ばし、戦利品山の上に置かれたデソレイション・コッポドージョーの邪悪なカンバンを掴む。そしてカラテパンチ!「イヤーッ!」一撃粉砕!「暗黒コッポ・ドージョーは解散する……オヌシらは自由だ」「ウワーアアアアー!」「ワオオオーッ!」歓声!
「ふざけ、やがって……」デソレイションは歯を食いしばりながら、ニンジャスレイヤーを見上げる。身体が動かぬ。「ヤッタ!これはすごいですよ!殺人狂の怪物め!ファックオフだ!」トバツはガッツポーズを作ると、部屋の隅に捨て置かれた重箱と婚約者を確保し、縁側へと脱兎の如く逃げ出した。
「……立て」目的の半分を成し終えたニンジャスレイヤーは、闇の中から手を伸ばし、破損フスマの脇でブザマを晒すデソレイションの襟首を掴みあげた。殺人狂の怪物か、と、我が事のように歯噛みしながら。「おれをどうするんだ、カイシャクか」「奥でインタビューする。その後、カイシャクする」
ニンジャスレイヤーは言った「死ぬ前に洗いざらい喋るがいい。アマクダリ・セクトの秘密についてな。暗黒ドージョー収益がどのようにネコソギ・ファンドに流れたかも」「アマクダリ・セクトだァ?」デソレイションの顔は昂揚も消え無表情。彼がユーモアを解する者ならばその皮肉を笑っただろう。
「テメェ、アマクダリの刺客じゃねえのかよ……」デソレイションは特に何の感慨もなく、ただ事実をそう呟いた。次の瞬間「「「「「ザッケンナコラー!」」」」」ドージョー内に突如響き渡る、血も凍るようなヤクザスラング!無機質なマシンガン音!「アイエエエエエエ!」門下生が何人か死んだ!
果たして何が!?アマクダリ・セクトのクローンヤクザ軍団が、一斉にドージョー内へと雪崩れ込んできたのだ。十数名がエントランスの灯篭の間で隊列を組み、クローンならではの統一感で一斉射撃を行う。その中心には腕を組んだ武者兜のニンジャ……ムーンビームの姿が!
「キル・エム・オール達成重点!女子供も生かすな!根絶やしにしろ!」ムーンビームは両目を殺意でぎらぎらと輝かせながら、LAN直結したサイバーグンバイでヤクザ軍団に命令を下す。盟友レイディアンスをデソレイションに殺され、残るサーカディアン・スリーは彼独りとなってしまっていた。
偶然エントランスの近くにおり、ヤクザ軍団に対して無謀な突撃を行った門下生カラテマンの一人が、クローンならではの一斉射撃を受けて蜂の巣になった。「アイエエエエエ!」血飛沫を撒き散らしながらダンスし、ネギトロじみた死体に変わる。他の門下生たちは木人などの物陰に隠れ銃撃を凌いだ。
「ヌゥーッ……!」ニンジャによる無差別殺戮を目にしたニンジャスレイヤーは、盲目的な怒りに囚われかけたが、それを御して素早く状況判断を行った。この殺し屋ニンジャはアマクダリ・セクトの駒ではない。直ちにカイシャクしてヤクザ軍団とあの武者兜ニンジャを叩かねば、死体が増えるばかり!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは殺人的チョップを振り下ろす!もはやそれを弾き返すだけのカラテは、デソレイションに残っていない。だが……彼の右手にはいつの間にか、卑劣武器スラッシュ・ナックルダスターが!狡猾なる殺し屋は、足指で密かにそれを引き寄せ、片手に装備していたのだ!
スラッシュ・ナックルダスターとは、超音波ブレードを内蔵したブラスナックルである。瀕死のデソレイションにも、その作動スイッチを押し、敵の脚を切りつけることくらいはできる。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの脛がレガースガードごと切り裂かれた!あたかもトーフのように!
傷はさほど深くない。ニンジャスレイヤーが直前でチョップを収め高速バック転を行っていなければ、彼の脛は完全に切断され、サイバネ化を余儀なくされていたであろう。「イヤーッ!」バック転回避終了後、ニンジャスレイヤーはスリケンを連続投擲!
「グワーッ!」デソレイションは何発もスリケンを受けながら、畳を転がって逃げる。血が拙いショドーめいてタタミに擦り付けられる。急所への命中は巧みに回避されていた。ヤクザクランから銃撃を受けて瀕死に陥った、あの廃工場の夜めいて。そのまま彼はブザマな姿で縁側の下へと転がり込んだ。
「アイエエエ!」メイン・ドージョーからさらなる悲鳴!ヤクザ軍団が展開し、ムーンビームが直々に殺戮を開始したのだ。(((愚かなりフジキド!)))ニューロンに響くのはナラクでもフジキドでもないニンジャスレイヤーの声!「イヤーッ!」彼は迷い無くタタミを駆け、縁側から高く跳躍した!
鍛え上げたカラテも銃弾の前では無力。その厳然たる事実を再確認し、戦意喪失した門下生達。彼らは物陰に隠れたまま、高く跳躍する赤黒いニンジャの姿を見上げた。そして、あっと息を呑んだ。「イイイイヤアアアーッ!」ニンジャスレイヤーは空中で身を捻りながら、全方位にスリケンを連続射出!
「グワーッ!」「アバーッ!」「グワーッ!」「アバーッ!」「グワーッ!」「アバーッ!」スリケンが額や喉元に突き刺さりクローンヤクザが一瞬にして6人死亡!ワザマエ!死体に変わったヤクザたちは緑色の血飛沫を撒き散らしながら、仰け反って天井に数発マシンガンを撃ち込み、後ろに倒れる!
そして……ゴウランガ!驚くべきことに門下生は無傷!クローンヤクザだけを狙った見事な精度である。さらに「イヤーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」着地と同時にスピンキックで2人のクローンヤクザを蹴散らす!残るヤクザは半数ほど。だがここで、ムーンビームが背後からアンブッシュ!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」敵のトビゲリを、振り向きざまのカラテでガードするニンジャスレイヤー。ムーンビームは鮮やかなツカハラ回転で灯篭の上に着地!電子シャクハチ音と悲鳴とマシンガン射撃音が響く中、睨みあう両者。「ドーモ、ムーンビームです」「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」
「イヤーッ!」アイサツ終了直後、ムーンビームはイザヨイ・ジツを繰り出す!月光を集積し、その両目からたいへん危険なビーム光線として放つジツだ!CHOOM!CHOOM!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはこれを紙一重のブリッジで回避!「アバーッ!」後方でクローンヤクザが焼死体に!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケン投擲の後、低空トビゲリで灯篭を破壊!再びツカハラ回転着地するムーンビームを、近接カラテに持ち込んだ。「「イヤーッ!」」互いにストレートを打ち出し、拳と拳が激突!大気が震動する!「忍」「殺」メンポからジゴクめいた蒸気が漏れる!
「……グ、グワーッ!」ムーンビームが苦しげな声をあげる。拳にヒビが入ったのだ。「イヤーッ!」間髪入れず、ニンジャスレイヤーは上段回し蹴りを放つ!「イヤーッ!」ムーンビームはこれを際どいブリッジ回避!胸の上を黒い炎の円弧がかすめ、ムーンビームの装束表面を口惜しそうに焦がした。
ムーンビームは反射的にバック転で距離を取り、タタミ2枚の距離でカラテを構え直す。「グググ……ヒカリニンジャ・クランの三人衆か。……その首、刈り取って供える。トワイライト=サンの後を追って、オヌシもサンズ・リバーを渡るがいい……」ニンジャスレイヤーは禍々しい声で言い放った。
「貴様が……ニンジャスレイヤー=サン、貴様がトワイライト=サンを……!」ムーンビームは怒りを露にする。だがニンジャスレイヤーの瞳には、それよりさらに黒く禍々しい憤怒の炎が燃えていた。それは全ニンジャへの怒りであり、未熟さゆえに凶悪ニンジャを取り逃がした己への怒りでもあった。
「「イヤーッ!」」二者はドージョー全体を縦横無尽に駆け、再びカラテを激突させる!木人が何体も破壊され、ショウジ戸が破られた。ドージョー内はケオスの極みと化す。クローンヤクザ残党に突撃する門下生もいれば、奪われていた己のドージョー・カンバンを担いで必死に逃げ出す門下生もいた。
「イヤーッ!」「グワーッ!」「アイエエエエ!」BRATATATATATA!「イヤーッ!」「アババババーッ!」……ドージョーを満たすジゴクめいた喧騒が……遠ざかる……。錆び付いた業務用ダストシュートの中を真っ逆さまに落下し、ビルの裏路地へと吐き出される瀕死のニンジャがひとり。
荒城の月……アフターマツリの虚脱感……事後のオイランの憂鬱……デソレイションは遠ざかるイクサの熱に名残惜しさを覚えながら、ブザマに路地裏を這いずっていた。叩きつける雨の音が、遠い万雷の拍手のように聞こえ始める。重金属酸性雨にまみれた冷たい汚泥が、顔とハカマ・ウェアを汚した。
「オイコレナニコレ」「撃っちゃうの、撃っちゃうの!?」レインコートを着たヨタモノたちが、ラジカセのBGMに乗ってデソレイションを取り囲む。キャップを斜めに被ったボス格の男が、自分の無慈悲さを見せ付けるために、不似合いなほど重厚なチャカ・ガンを抜いてハンマーを起こした。
ブザマな死を観念したのか、デソレイションは何事かを小さく呻いた。そして「撃っちゃったァー!」ボス格の男が引き金を引く!KBLAM!だが……銃弾は地面にめり込む。ニンジャソウルが不意に高まり、デソレイションの肉体を動かしたのだ。彼は横に転がり、うつ伏せから仰向けの状態になる。
「アッへ?」ボス格の男が目をしばたかせた直後、その両膝が破壊され、彼の体はダルマ・レッキングめいて裏路地の汚泥に引きずり込まれた。「アイエエエエエ!?」BLAM!BLAM!BLAM!BLAM!デソレイションは声もなくチャカ・ガンを奪い取り、残りのヨタモノたちを殺害した。
ズガガーン!ズガガガガガーン!ネオサイタマの夜空を、再び雷が切り裂く。デソレイションはほとんど無意識のうちに、ヨタモノの着ていた黒いTシャツを剥ぎ取り、覆面のごとく自らの顔を覆った。神々に呪われモータルの世界に放逐された怪物めいて。いまや彼は、完全なるニンジャと化していた。
「おれは……デソレイション……DESOLATION……!」殺し屋は歯を食いしばりながら立ち上がる。「簡単ローン借金」と書かれたピンク色のネオンサインが向かいの雑居ビルで瞬き、血に染まった歯茎を照らし出す。彼はヨタモノからレインコートを剥ぎ取り、ハカマ・ウェアを包み込んだ。
ネオンサインが火花を散らす。デソレイションは老婆のように背中を折り曲げ、骨折と内臓破壊とスリケンの激痛に耐えながら、よたよた歩いた。彼は裏寂しいストリートに留まる車の窓を割り、出張オイランを待っていたサラリマンを引きずり出して殺すと、車を奪い取ってネオサイタマの闇に消えた。
上空には大型ディスプレイを吊るしたツェッペリンが舞う。ジーザスIVの配給会社と対立関係にある別な暗黒メガコーポが、辛口評論家によるネガティブ攻撃を行ってた。「胸糞悪くなるイディオット映画で最低の経験をあなたは手に入れる……あの男は前々作で死ぬべきだった……ゴルゴダの丘で…」
4
ネオサイタマ第七総合病院、自我科。
「あの実は、ニンジャが……」トバツの声はドクターに遮られる。「これはもう、典型的な心的外傷と急性薬物中毒とIRC中毒による、一時的な自我崩壊ですね」ドクターはサイバー聴診器を外しながら、渋い顔で事務的に言った。ワモはサイバーサングラスをかけたまま、ぽかんと車椅子に座っている。
「君たち若い子はね朝から晩まで薬物とIRCをやりすぎです」ドクターがその言葉を言うのは朝から数えて数十回目だった。「増えてるんですよ、すごい勢いで増えてる。だからこんな専門科ができる。でもお薬と機械ありますからね。入院した方がいいですね、お金あれば。IRC遮断できますからね」
ドクターの言葉は冷酷かつ画一的であったが、真実でもあった。十数年以上前から……LAN直結技術が普遍化し、ハッカー達がコトダマ空間の伝説を囁きあうようになってから……重度のIRC中毒で自我を失う若者が増え始めた。直結された人格とIPが混線し……希薄化あるいは変容してゆくのだ。
「ということは、入院すれば直るんですね。嬉しいです!」トバツは短絡的な笑いを笑った。「そうですね、直ると思います」ドクターが渋い顔で言った。ドクター自身も軽度のIRC中毒であり、堅苦しい定型の言葉しか喋れなくなって久しい。妻と物理空間で話す時も、彼は終始このような口調なのだ。
車椅子を押すトバツは、晴れ晴れとした顔で診察室を出た。薄暗いセルロイド調の廊下には、軽度から重度まで大勢の患者達が並び、各々が覗き込むIRC端末のサイバー光で顔を照らし出されていた。壁には眩暈を誘うほど超高速で流れる赤色ドット文字盤が多数。これもまた、マッポーの世の一側面か。
「どうでした?」両膝を簡易サイバネ化したアキラが問う。「フィックスできるらしいです。お金は借金したのでたくさんありますから入院させます。退院したら幸せな生活を送るんです」トバツが言った。それから不快そうに顔をしかめた。エレベータを降りてこちらに近づいてくる男を発見したからだ。
その男は薄汚い防塵トレンチコートを着込み、ハンチング帽を目深に被っていた。ドージョー・ヤブリのあの男だ、とトバツは直感した。眼光は鋭く、常に焦燥感に囚われているかのような、どこか険のある顔つきだった。その男の存在は、周りの人間たちを実際穏やかならざる心地にさせた。
「ドーモ。……私の本業は実はドージョー・ヤブリではない。あの混乱の中で伝え損ねたが……私の名はイチロー・モリタ。探偵をしている」彼は付け加えた「まっとうな探偵ではないが……」私立探偵タカギ・ガンドーの事を思い出しながら。ガンドーは今ガイオン下層か、それともオキナワで静養中か。
「イチロー・モリタ=サン……まさか貴方が」アキラが驚きの表情を作った。暗黒非合法探偵の都市伝説を知り、藁にもすがるような想いで依頼メッセージを送信したのは、アキラだった。暗号化された依頼メッセージはナンシー・リーによるUNIX解析とフィルタリングを経て、彼に届けられたのだ。
「何しにきたんですか?」サイバーサングラスの下で、トバツはデソレイションに向けたのと同じ目を、その胡散臭い探偵に向けた。「あの殺し屋は恐らく、まだ生きている……」イチロー・モリタが言った。……無論、その名は偽名である。彼の本名はフジキド・ケンジ。すなわちニンジャスレイヤー。
「エッ!薄気味の悪いことを言わないでくださいよ、きっと路地裏でのたれ死んでいますよ!」トバツは震えた。そして死神を目の当たりにしたかのように、探偵から目を逸らした。消え去ってくれ、と心の中で祈りながら。その拒絶の態度は、アキラからもイチロー・モリタからも、容易に見て取れた。
彼ならばもっと巧くやってのけただろう、と心の中で歯噛みしながら、探偵は小さなオリガミ・メールを取り出してトバツに渡す。「万が一、あの殺し屋の影がちらついたら……連絡をいただきたい……」「ハイ」トバツはそれを受け取り、尻ポケットに捻じ込んだ。「シツレイした」探偵は踵を返す。
「ハァーッ、ハァーッ……モリタ=サン、待ってください」アキラがサイバネ膝のクランク音を鳴らしながら追いすがる。探偵は振り返った。「あの男の情報か」「いえ、消息不明です。ドージョーは放置されて、無人のままですし」「そうか……連絡方法は知っての通り」「カラテを教えてください」
フジキドは思いがけない言葉に驚き、一瞬目を見開いて、アキラを見た。それからいつもの表情に戻って、かぶりを振った。「……私にカラテを教える資格は無い。私はセンセイではない。ただの探偵だ。他をあたってくれ」「あなたもニンジャだからですか?」アキラは声を潜めながら食い下がる。
フジキド・ケンジは答えない。エレベータに向かい歩を進める。「だとしたら、ニンジャになるための秘密を……」アキラが食い下がる。フジキドは不意に振り返り、アキラの目を覗き込む。「一線を踏み越えるな……!」ジゴクめいた恐ろしい声で「私には無理だ、人に物事を教える資格は、無い……」
アキラが震え上がり棒立ちになっている間に、探偵は自我を見失った患者の群れに紛れて、エレベータで下に運ばれていった。責任放棄であろうか?……否、ドージョー・ヤブリのプロトコルによれば、カンバンを破壊され解散が宣言された時点で、門下生らは自分で行き抜く道を模索せねばならぬのだ。
アキラは現実の中で自省した。ニンジャとは何だったのか。何をムキになっていたのか。不意に気恥ずかしくなった。ニンジャなど実在しない……フィクションの存在だ。自分は何か一足飛びに安易な手段でカラテを高めようとしていたのでは……それがニンジャだったか。彼はそう結論づけ恥じ入った。
……今宵も、冷たい重金属酸性雨がネオサイタマを濡らし、漢字サーチライトが夜闇を切り裂いていた。
同時刻。第七総合病院から十数キロ離れた薄暗い路地を、黒い旧型セダンが違法スピードで蛇行運転していた。背面ガラスには銃弾痕。タイヤの数箇所にスリケンが突き刺さり、正常な運転は不可能。セダンは一列に並んで歩道を歩いていたペケロッパ教徒6人を連続で跳ね殺し、ブロック塀に激突した。
「クソが……まだ脚が治っちゃいねえんだぞ……」デソレイションはひしゃげたドアをニンジャ筋力でこじ開け、車外へと出る。下半身は黒いハカマに素足。上半身は目出し覆面とタンクトップが一体化した、硬質ラバーを思わせる質感の黒い生成ニンジャ装束。助手席のオイランはすでに死んでいた。
ブロック塀の先には、だだっ広い廃駐車場。錆び付いたフォークリフトがセダンの激突を受けて傾き、キイキイと軋んだ音を立てた。赤い炎に包まれたスリケンが何発もセダンに突き刺さり……KADOOM!オイルタンクが爆発。デソレイションは片足を引きずり、爆風を背負いながら逃げた。
KREEEEEKKKK!耳障りな軋み音を立てて、廃駐車場のドアが外から開かれる。ヤクザベンツが数台並び、デソレイションの逃走経路を塞ぐように威圧的なライトを閃かせていた。窓からはクローンヤクザたちがトミーガンを構える。ベンツ軍団の前に腕を組んで立つのは、アマクダリの追っ手。
「ドーモ、デソレイション=サン。ホットショットです。……お前のごとき下等な野良ニンジャがサーカディアン・スリーを殺し、追っ手を殺し続けて、ここまで逃げおおせるとはな。組織はお怒りだ。ゆえに、この私が遣わされた」アマクダリ・ニンジャはごきごきと指の骨を鳴らしながら歩み寄った。
「ドーモ、デソレイションです……どいつもこいつも、くだらねえ。さっさとやろうぜ」暗黒武道家は捨て鉢なコッポ・ドーを構えた。その口は黒装束に覆われ、表情は一切読めない。真白いサイバネアイだけが不気味に光る。ホットショットはほくそ笑む。久々にカトン・ジツを思う存分使えるからだ。
「イヤーッ!」ホットショットは神秘的パターンで腕をしならせた。すると炎に包まれた6メートルの金属鞭が瞬時に生成され……白熱した液体飛沫を撒き散らしながらデソレイションに襲い掛かる!「イヤーッ!」デソレイションは紙一重でこれを側転回避!飛沫が彼の背中と腕の肉をわずかに焦がす!
ヒュパウン!ヒュパウン!ホットショットは鞭を素早く引き戻すと、野蛮な猛獣を威圧的する猛獣使いの如きポーズで、廃駐車場のコンクリート床を叩いた。ぼとぼとと金属液体が溶け落ち、コンクリートが燃えるが、鞭自体が燃え尽きることは無い……カトン・ジツによって生み出された武器だからだ。
デソレイションは鞭の動きを追い突撃を試みるが……ヒュパウン!機先を制する鋭い一撃が床に叩きつけられる。彼はこれを間一髪でバック転回避した。……脚が痛む。死にたくねえ。後ろに下がる。敵が距離を詰める。大きく動けばヤクザの弾幕で蜂の巣。広さはどうだ。いけるか。もっと誘い込め。
デソレイションは鞭攻撃をかわしながら、油断の無いスリ・アシで後方へじりじりと下がる。一方のホットショットは、獲物を追い詰める昂揚感に満たされながら、敵の退路を少しずつ奪ってゆく。(((相手はジツを持たぬサンシタ……このまま間合いを保って戦えば、敗北可能性が見当たらん…)))
デソレイションは廃駐車所の中央付近まで下がる。背後にはスクラップカーが積み重ねられ、もはや退路無し。肉の焦げる匂いが、錆び付いた大気を満たす。ホットショットが一気に止めを刺すべく、鞭を振り回した時……不意にデソレイションは腰溜め姿勢から両腕を高く掲げた!「サップーケイ!」
「グワーッ!?」ホットショットは一瞬ひるんだ!敵が真白い閃光を放ったかのように思えたからだ。……しかしそれは実際違った。次の瞬間、デソレイションとホットショットの姿は廃駐車場から消え……純白のショドー紙に墨絵で描かれたかのごときモノクロームの荒れ野で対峙していたのである!
廃駐車場の外では、クローンヤクザたちが一斉に首をかしげていた。突如、もやがかかったように廃工場内の見通しが悪くなり、ホットショットの描いていた炎の軌跡が消え失せたからだ。びゅうと侘しい風が吹き、戦場跡の夜露にも似た冷気が、クローンヤクザたちの背中を撫でた。
「……さあ、カラテしようじゃねえか」デソレイションは再びコッポ・ドーを構える。足元には彼が殺めた者たちの物言わぬ死体や骸が転がり、崩れた石灯籠の横では首の無いオイランが音の無いシャミセンを弾いていた。時折横殴りのノイズめいた突風が吹きつけ、二者の輪郭を頼りなく揺らめかせた。
「ジツを持っていたのか!?」ホットショットは白黒に変わり果てた己の姿に驚きつつ、鞭を振り下ろそうとした。だがカトン鞭は消えていた。デソレイションが邪悪な笑みを浮かべる。「おれのジツだ。そして、てめえのジツは無しだ」硬質ラバーめいた黒い覆面が、僅かに引き伸ばされてしわを作る。
「何だ!何だこれは!?ゲン・ジツの類か!?」ホットショットは後ずさりしながら、腰に吊ったアイクチ・ダガーで己の掌をえぐった。ゲン・ジツに対する最も一般的な対処法。だが結果は、掌から吹き出した黒い血がサンスイめいたサツバツ空間に垂れ、水に溶ける墨のように雲散しただけであった。
「イヤーッ!」デソレイションがスリ・アシで距離を一気に詰める。脚の負傷ゆえ完全ではないが、敵を至近距離の打ち合いに持ち込むには十分な速度。何も問題は無い。殺し屋稼業を営んでいた時も、万全な状態で戦ったことなど数えるほどしかない。これはスポーツなどではなく殺し合いなのだから。
「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」ホットショットは覚悟を決め、眼前の敵に対しカラテを繰り出す!カトン・ジツのみではない確かなワザマエがそこにある!だがデソレイションはシャウトすら発さず、淡々とコッポ・パリングでこれを捌く。そして……「イヤーッ!」痛烈な掌打!続けざまに肘打!
「グワーッ!」ホットショットは回転しながら後方へ吹っ飛び、廃れた石灯篭に命中!だがそこに物理存在感は無く、やはり水に溶ける墨の如く灯篭は消え失せた。地面に倒れた敵へと、デソレイションが歩み寄る。「イヤーッ!」反射的にホットショットは、カトン・スリケンのモーションを取る。
……否、カトン・スリケンは生み出されない!全てのジツは打ち消されているのだ。「アホウめが!」デソレイションは鳩尾を蹴り飛ばす!「グワーッ!」ホットショットは目を剥きながら十数メートル転がって逃げる。だがどこまで転がっても、無限のサップーケイが続いているかのように思われた。
「ガハッ!……ジツが!私のジツが働かない!何たる卑劣なジツか!」ホットショットは黒い血を吐き立ち上がった。平衡感覚喪失をニンジャ平衡感覚で辛うじて相殺しながら。「もっと言え。卑怯な戦い方はおれの十八番だ。何でもいんだよ。勝てりゃあな。モンドムヨーだ」デソレイションが近づく。
「イイイヤアアアーッ!」ホットショットはアイクチ・ダガーを構えながら、ジュー・ジツを構えて突撃!デソレイションはこれをコッポ・パリングで捌いた後、ほとんど無意識の反射のようにカラテを働かせ、相手の手首を捻ってへし折ると、そのまま顔面に再度の掌打を叩き込んだ「イヤーッ!」
「グワーッ!」再び吹っ飛ぶホットショット!「まったく、おれにお誂え向けのジツだ。テメェ、さっきまでの威勢はどうした。ボール見せろ。ニンジャソウル見せろ。扱い方を知らねえのか。おれも最近知ったんだがな、オイランみてえに扱えばいいのさ」デソレイションは処刑人じみた足取りで迫る。
「殴ってよォ……蹴ってよォ……」デソレイションは敵を足蹴にしながら言う「……足腰立たなくなる位までブン殴ったらなァ、そのうちしおらしく、言うこと聞くようになったぜ……このジツもな……イヤーッ!」再び無慈悲な鳩尾蹴り!「グワーッ!」サッカーボールめいて転がるホットショット!
ホットショットは再び血咳を吐き立ち上がる。無音。圧倒的な無音。暴威の風が吹きぬける。デソレイションとホットショットの胸を詫しく突き抜ける。ホットショットはヤバレカバレの目つきを作る。カラテだ。叫び突撃する。音が消えた。デソレイションは邪悪な笑みを浮かべる。カラテが交錯する。
ホットショットのカラテストレート。捌く。前方回転踵落とし。捌く。バックナックル。捌く。再度の逆バックナックル。捌き、がら空きの腹部に膝蹴り。ホットショットの体が揺らぐ。続けざまのボールブレイカー。ホットショットは声の無い叫び声を上げる。その脚を掴もうと、骸が骨の手を伸ばす。
デソレイションはザンシンを決める。前屈みになったホットショットは、小股で数歩前に歩いた後……倒れ爆発四散した。「呆気ねえ」デソレイションが無表情で呟く。びゅうと侘しい風が吹き、ホットショットの爆煙を吹き流した。ザリザリザリと横殴りのノイズ。視界が乱れ、サップーケイが消える。
……クローンヤクザたちが廃工場跡に乗り込んだときには、すでにデソレイションの姿は無かった。ただ、ホットショットのものと思われる爆発四散跡がひとつ。デソレイションは炎上するセダンの横を抜けて強引に逃げ出し、道路に立ちはだかって車を止め、運転サラリマンを殺してこれを奪っていた。
デソレイションはまたしても死地を逃れた。だがアマクダリの刺客は手強くなる一方……敵は本気だ。本気で殺しに来ている。デソレイションはハンドルを右に大きく切りながら言った。「その前に、テメェをおれのサップーケイに引きずり込んで、道連れにしてやるぜ……ニンジャスレイヤー=サン!」
5
夜。ネオサイタマ中心部。マルノウチ・スゴイタカイビル屋上。
雨は無く、時折強い風が吹く夜だった。赤黒いニンジャ装束を身に纏った男が、張り出した厳めしいシャチホコ・ガーゴイルの上に爪先立ちで座る。数年前、このビルの中階層で悲劇的な事故が起こった。一介のサラリマンであった彼の妻子はニンジャによって殺され、彼はニンジャを殺す者となったのだ。
フジキド・ケンジの目は、ネオンとLED文字の海に埋没する酷薄なメガロシティに注がれる。だが心はそこにない。彼の心は、ゼンめいた深い瞑想の中にあった。彼には定期的に、このような孤独な時間が必要であった。妻子の死を悼み、憎悪を新たにし、また己が何者なのかを問い直すための時間が。
「バゲン」「清算」「必ず買う」……スゴイタカイビルは、あの夜の惨劇などとうに忘れ去ったかのように、最新型オイランドロイドが微笑む商業垂幕を掲げている。売場拡張のために慰霊碑も撤去された。だがここは依然として彼の妻子の墓標であり、彼は墓守であり、ネオサイタマの死神なのであった。
あの夜……ニンジャ同士のマルノウチ抗争によって妻子を失った夜……瀕死のフジキド・ケンジは激しい憎悪と殺意によって生き伸び、妻子の仇のため全てのニンジャを殺すと誓った。その悲痛な叫びが邪悪なるナラク・ニンジャのソウルを招き寄せ、それがフジキド・ケンジを死の淵から救ったのだ。
一般的なニンジャソウル憑依者とは異なり強烈な自我を有していたナラク・ニンジャは、何度となくフジキドの肉体を乗っ取ろうと試みた。そして衝突が生まれた。だが長く過酷なイクサの中で……ラオモト・カンやザイバツ・シャドーギルドとの戦いを経て……両者のソウルはある種の和解を遂げたのだ。
(((ナラクよ、何故オヌシは、ザイバツとの最終決戦で鳴りを潜めていたのか……)))ジェット・パンクスの集団に取り付かれて破壊され、ワビサビめいて静かに墜落してゆくマグロ・ツェッペリンの一隻を彼方に見ながら、フジキドは独りごちる。答えは無い。サツバツとした風が吹き付けるのみ。
以前ならばナラク・ニンジャのソウルに完全に肉体を明け渡し、制御不能の暴走状態に陥っていたような状況下でも、現在ではフジキドが完全にニンジャスレイヤーとしての手綱を握っている。そんな時、フジキドとナラクの精神は、いわば高速回転するトモエ・パターンめいた神秘的共振状態にあるのだ。
共振は最大のカラテをもたらす。だが共振を深めるたび、彼の自我と人間性は蝕まれる……フジキドはそう感じていた。かつては完全なニンジャに変貌することをただ恐れた。ナラクの底知れぬ憎悪と暗黒をただ恐れた。今は違う。人間性を失えばアマクダリには勝てぬのではないかと彼は考え始めている。
ぼろぼろの鴉たちが、シャチホコ・ガーゴイルの口の中に突き刺されたニンジャの生首から肉を啄む。その中には、アマクダリの下部組織「サーカディアン・スリー」のニンジャ、ムーンビームとトワイライトの髑髏もある。……手強い相手であった。だが、アマクダリ・セクトの全貌は未だ見えない。
ソウカイヤの残党が結成したと思しきアマクダリは、ネオサイタマ全域を支配下に置く。だが敵は狡猾であり、いくらアマクダリ・ニンジャを拷問しても、ソウカイヤのように組織の秘密を吐くことはない。アマクダリ・アクシスと呼ばれる幹部級を探し出さねば、組織規模や本拠地すらも解らぬのだ。
フジキドの目は、遥か下方の商業LED文字板に、特徴的なカタカナ文字列が高速で流れるのを認めた。ナンシーからの暗号メッセージだ。読み解く。「ジェット・パンクスの首領がニンジャ可能性」。協力者である彼女は、暗黒非合法探偵イチロー・モリタへの依頼や情報をこうして伝えてくれるのだ。
短い瞑想の時間は終わりを告げた。迷いをイクサに持ち込めばブザマな死を招く。今はただ、ニンジャ殺すべし……!「Wasshoi!」ニンジャスレイヤーは全ての葛藤を振り払い、跳ぶ!極彩色のネオンの濁流の中へと!
◆◆◆
エンガワ・ストリートから数キロ離れた新築マンションの一室。
ドッギュドッギュドッギュドッギュ……室内には非人間的なサイパーテクノのビートが流れる。「アイエエエエエ!」そして悲鳴!割られた窓からは強い風が吹き込み、蛍光ブルー色のカーテンを静かに揺らしていた。おお、ナムアミダブツ!暗い室内で、果たして何が起こっているというのか……!?
「アイエエエエエエ!」悲鳴の主はサイバーゴスDJのトバツである。その襟首を片手で掴んで吊り上げるのは……デソレイション!「奴の居所、吐け。ニンジャスレイヤーを。あの野郎を殺す」闇の中で真白いサイバネアイが輝く。「アイエエエエエ!?ニンジャナンデ!?そんな人知りません!」
「あのドージョー・ヤブリだ」デソレイションは舌打ちしながら問い直す。「アイエエエエエ!あいつの連絡先なんか知りません!私が呼んだんじゃないですから!」嘘ではなかった。トバツはあの日、受け取った連絡先情報を丸めて、オイシイ・スナックの袋と一緒に病院のゴミ箱に捨てていたからだ。
デソレイションは舌打ちした。殺されるな、とトバツは直感し、生存本能からニューロンが加速した「や……やっぱり知ってましたァーッ!だから殺さないで!」「言ってみろよ」「あ……あいつと連絡を取れる元門下生を知ってます!そいつが探偵を呼んだんです!その元門下生の居所、知ってます!」
殺し屋は元依頼人をテクノUNIXに向けて放り投げた。サイバーテクノBGMが鳴り止み、トバツの咳き込む音だけが室内に響いた。「こ……これで許してくれるんですよね!?あなた……殺し屋のタギ=サンは、仕事が終わったら依頼人の生活には立ち入らない……ポリシーだって聞きましたよ……」
そうだったろうかとタギ・トワは思考した。廃墟の中に唯一残された人間性の破片を、手探りで探し出すように。だがトバツの目と態度を見ると、胸を暴威の風が吹き抜け、思考は水に溶ける墨のように消え去った。覆面とタンクトップが一体化した黒い生成ニンジャ装束に骸骨めいた白い線が描かれた。
壊れたテクノUNIXがバチバチと火花を散らし、そのニンジャの上半身と無表情な顔を照らした。「アホウめが、おれの名はタギ・トワではない。おれはな、デソレイションだ……DESOLATION!」「アイエエエエエエエ!」死神が自分を見下ろしているように感じ、トバツは密かに失禁した。
◆◆◆
ニンジャスレイヤーは再び、スゴイタカイビル屋上にて独り佇む。その手には、中世ペスト医者めいたメンポを被るニンジャの首級がひとつ。ジェット・パンクス団の背後にいた邪悪なニンジャ、シュリーカーの首である。
油断ならぬ相手であった。それを証明するように、赤黒い装束はボロ布のように所々が破れ、その内側の肉体は酷い傷を負っている。シュリーカーは強敵であったため、危険とは知りながらも、またもナラクとの共振状態に入ってしまった。慎重な方法を取ることもできたが、彼には時間がなかったのだ。
「何故時間がない……?」遥か彼方に渦が浮かぶ西の空を睨みながら、フジキドは眉をひそめた。数日前から胸に取り憑いている、この不穏な焦燥感の正体は何なのか?顔の前で握りこぶしを作り、自問する。「……デソレイション」あの危険なニンジャを殺し損ねたことを、ずっと引きずっていたのか。
いや、あの男は既に、アマクダリの手で始末されている可能性もある。だが何故か、そうは思えなかった。そしてこうしている今も、裏路地で市民らが殺されているのだ。……もう一度、あの凶悪ニンジャを捜そう。スシを食べフートンに入るという選択肢を捨て、満身創痍のフジキドは立ち上がった。
その時!下界のLED文字板にナンシーからの暗号が流れた。フジキドのニンジャ動体視力はそれを見逃さない。解読を試みる。「デソレイションの居所が分かったのでこの前のドージョーに来てください。よろしくお願いします。アキラ」ニンジャスレイヤーは胸騒ぎを覚えネオンの濁流へと飛び込む!
「Wasshoi!」マルノウチ・スゴイタカイビル最上階から急降下したニンジャスレイヤーは、中階層に突き出したポールで大車輪回転を決め、低空飛行を行っていた小型コケシ・ツェッペリンの上に着地した。(((……これは罠。あからさまな罠……)))その上を駆け、別のビルへと跳び渡る。
(((思い上がりだったか……?ニンジャスレイヤーとしてではなく、探偵としてドージョー・ヤブリを行い、門下生を解放するなど……)))赤黒いニンジャは深い苦悩とともに、ツチノコ・ストリートのビルを跳び渡った。(((ただ唐突に現れ、デソレイションをスレイすれば済んだ事……)))
誰にもその姿を認められること無く、彼はネオサイタマの夜を渡る。因縁のコッポ・ドージョービルが近い。急がねば。突風が吹き付ける。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは跳躍し、上空を飛ぶマグロツェッペリンの腹に鉤付きロープを引っ掛け、空中ブランコめいた動きでハイウェイを飛び越える!
KRAAAASH!ニンジャスレイヤーはきりもみ回転しながら暗黒コッポ・ドージョーの強化フスマ窓を突き破った。シュリーカーとの一戦で負った脚の傷が痛み、鋼鉄メンポの奥で顔をしかめる。血の染みや銃弾痕が残るタタミを前転し、抜かりない立て膝状態を作る。不気味な静寂がそこにあった。
「アキラ=サン……どこにいる……!」ニンジャスレイヤーの声が、荒れ果てたドージョー跡に響き渡る。「反則する」「非道な」などと書かれたノボリが傾き、窓から吹き込む風に揺られてキイキイと錆び付いた音を立てる。縁側では壊れたタングステン・ボンボリ灯がバチバチと火花を散らしていた。
邪悪なニンジャソウルを感じる。ニンジャスレイヤーの目に、憎悪の炎が燃え上がる。今夜ここで何が起こったか、フジキドは全てを察したからだ。「…会いたかったぜ、ニンジャスレイヤー=サン。あのアホウはもう、トバツ=サンといっしょにオタッシャしたがな」暗闇からニンジャの声が聞こえた。
「要するに、テメエをおびき出して殺すためにな、ニンジャスレイヤー=サン。コイツにゃ、死んでもらった……」闇の中でタングステン・ボンボリ灯がバチバチと明滅し、荒廃したドージョーの奥からデソレイションが姿を現した。殺人稼業と暴威がハカマ・ウェアを纏ったかのような男であった。
デソレイションは破れたショウジ戸をだるそうに蹴破り、門下生の死体を紙屑のように縁側から投げ捨てた。再び火花が散り、骸骨模様のソウル装束に包まれた彼の上半身と頭部を照らし出す。ニンジャスレイヤーは敵を睨みつけ、無言のまま歩いた。鋼鉄メンポからジゴクめいた蒸気を吐き出しながら。
ウシミツ・アワーを告げる鐘が、夜のネオサイタマに響く。「ドーモ、デソレイション=サン、ニンジャスレイヤーです」赤黒いニンジャはアイサツし、ジュー・ジツを構えた。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、デソレイションです」堕落武道家もコッポ・ドーを構えた。両者の距離はタタミ五枚。
呼吸を整え、睨み合ったまま、ニンジャスレイヤーは敵の姿をくまなく観察した。敵もまた、手負いの状態と見えた。下半身は黒いハカマ。上半身はラバーめいた黒いタンクトップと覆面が一体化した……所謂ジュドー・キラーと呼ばれる類の古武道装束だ。袖も襟も無く、ジュー・ジツを決めにくい。
「オヌシを殺す」とニンジャスレイヤー。「どうせおれは長くねえ……。アマクダリのヤクザ共がしつこいからな。その前にテメエを殺す。道連れにする」デソレイションは吐き捨てるように言った。銃の照準を合わせるように、前方に突き出した右掌を相手のボディ・センター延長線上に重ねながら。
「殺し屋と暗黒武道家の矜持をハイクに詠み、セプクでもするがいい。それすら出来ぬ、臆病なニンジャがいると聞いたが」ニンジャスレイヤーが言い放つ。敵は動じない。間合いを詰める。タタミ四枚。死のメタファー。最後の鐘の音。上空に接近する武装ヘリ。降下するアマクダリ・アクシスの刺客。
アマクダリ中枢の放った恐るべき手練、シズケサとシャドウドラゴンがコッポ・ドージョーの屋根を突き破るのとほぼ同時に、両者は動いた!「イヤーッ!」突撃するニンジャスレイヤー。「サップーケイ!」キリングフィールド・ジツを放つデソレイション。ナムアミダブツ!両者は忽然と……消えた!
「……これは……」ニンジャスレイヤーは、デソレイションが生み出したモノクロームのサップーケイ荒野に引きずり込まれていた。彼の赤黒いニンジャ装束も色を失い、ただ侘しい風が荒野と己の胸を吹き抜けてゆくのを感じた。魂をヤスリにかけられるような、サツバツとした風であった。
「くだらねえ邪魔者は、ここにゃあ入って来れねえ……さあ、カラテしようぜ。マッタナシだ。どっちかが死ぬまでのカラテだ……」デソレイションはコッポ・ドーを構え直した。黒いラバー状の覆面が僅かに縦にのびる。髑髏が笑っているかのように見えたが、彼の白いサイバネアイに表情は無かった。
(((フジキドよ……! この装束……こ奴に憑依したニンジャソウルの正体は、コロスニンジャ・クランの……)))内なるニンジャソウルが警告を告げる。だがナラクの声は、錆び付いたプロパガンダ音声塔のノイズめいて、次第に遠ざかっていった(((……アーチニンジャ・ソウル……)))
ナムアミダブツ!敵は強大なるアーチニンジャソウル憑依者!しかも謎めいたジツにより、ナラクの力が封じられてしまった!ならばどうする?……答えは明白、カラテあるのみ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは突き進む!立ち枯れススキの陰では、アキラが誇り高い死に顔で虚空を見つめていた!
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……「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」一進一退の攻防。ショドーペーパーのように真白い荒野が、ニンジャスレイヤーとデソレイションを包んでいた。色彩は存在せず、カラテをぶつけ合う2人のニンジャも、墨絵めいたモノクローム存在へと変わっている。
しばしば砕かれた灯籠やワータヌキ置物、苦悶の表情を浮かべる物言わぬ死体や、ぼろぼろのノボリなどが荒野に現れ、水に溶ける墨のように消えてゆく。だがそれらがカラテに干渉することはない。デソレイションのサイバネ視覚器官に蓄積されたノイズが、無意識のうちにジツと混ざり合っているのだ。
己の師、タコロー=センセイに叩きのめされ破門されたあの夜。デソレイションは両目を潰され、コッポドージョーのダストシュートから裏路地へと投げ出された。一命を取り留め、元依頼人である闇サイバネ医師のラボでサイバネアイと記憶素子を埋め込んだ直後から、彼のサップーケイは始まったのだ。
サップーケイ荒野に現れる死者は、ユーレイなどではない。消去したはずの録画映像の断片が消えず、ニューロン内ノイズとして残響しているのだ……「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」無音の荒れ野に二人のニンジャのカラテシャウト。荒れ果てた「正々堂々」ノボリが揺れる。
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの痛烈なカラテフック。「イヤーッ!」デソレイションはそれを捌き即座にコッポ肘打ちへ。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはそれをジュー・ジツで捌く。何たる油断ならない攻防!タコローやその娘や門下生のノイズが、侮蔑に満ちた眼差しで彼らを見上げていた。
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」一度手の内を見せ合い、殺し合った両者……無論カラテは長期戦の様相を呈する。実力伯仲。サウザンド・デイズ・ショーギの古事を思い起こさずにはいられない。彼らはカラテを巧みに捌き続け、不可避のクライマックスへと向かうのだ……!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」両者とも、万全の体調にはほど遠い。中央リキシ・リーグのスモトリであれば当然のように休場するほどの傷を、戦闘開始前から負っている。だが何も問題は無い。ここはジュドー・コンペティション会場ではなく、殺し合いの荒野なのだから。
びゅう、と侘しい風が吹き抜ける。二者の体に横殴りのノイズが混じった。ニンジャスレイヤーは、己の胸にもその風が吹き抜けてゆくのを感じ、危険を察知する。敵のジツの正体は解らぬが、このような空間内に長居すれば、必ずや良からぬ作用を受けることは必定……ゆえに勝負に出る!「イヤーッ!」
ニンジャスレイヤーは膝を曲げて低く沈み込み、敵のコッポ掌打を下に回避する。そして地面を蹴り、一撃で敵の首を刈るべく、飛んだ……!これは伝説のカラテ技、サマーソルト・キック!だが負傷した脚がその精度を狂わせ……「イヤーッ!」捌かれる!デソレイションは即座に相手の片足をホールド!
無防備股間を狙ったボールブレイカーか?……否!既に一度奥義を破られているデソレイションは、より確実な肉体破壊手段を取った。彼は装束の背に挿していたチャカガンを高速で抜き、ホールドした敵の足首に近いふくらはぎ部分へと、ゼロ距離射撃を行ったのだ!KBLAM!「グワーッ!」卑劣!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは敵に掴まれた足を支点として体を捻り、跳躍!もう片方の足でデソレイションの側頭部へと首刈りカマめいたカラテキックを叩き込む!「グワーッ!」浅い!だが辛うじてホールドを脱したニンジャスレイヤー!着地から三連続バック転で距離を取る!「イヤーッ!」
BLAMBLAMBLAM!デソレイションは無表情でチャカ・ガンを撃ち尽くす。ニンジャスレイヤーはこれを全弾回避し、タタミ5枚の距離でジュー・ジツを構え直した。タツジン!「この手も、もう使えねえな」デソレイションは空の銃をさも当然のごとく投げ捨て、自らもコッポ・ドーを構えた。
「ヌウーッ……!」ニンジャスレイヤーは敵から視線を逸らすこと無く傷を確かめた。貫通はしていない。筋肉と腱の反応が悪い。色彩を失った黒い血が流れ出る。一時撤退すべきか。このジツから逃れる方法は解らぬが。……風が吹き、また幾つもノイズ躯が現れた。糾弾するような眼差しのトバツも。
「そいつはな、テメエの名を呪いながら死んでいったぜ、ニンジャスレイヤー=サン……」デソレイションは防御を緩めた挑発的姿勢で歩み寄る「テメエと関わったばっかりに、死ぬハメになったからだとよ。なあ……ふざけやがって……こいつらは注文が多いんだよ……なあ、ふざけやがって……」
「テメエ、まさかまだ、こいつらが救えるなんて考えてるんじゃねえだろうな。探偵も殺し屋も、同じようなもんさ。ましておれ達ゃ、ニンジャだ」デソレイションが躯を踏み消す。魂を荒廃させる風が吹く。「……来いよ、カラテだ。おれを殺し、テメエを殺す……!」両者の距離は、タタミ2枚……!
「生憎だが」フジキドの瞳に憎悪の黒い炎が燃え、カラテが踏み込まれる!銃弾に抉られた痛みなど、妻子を襲った悲劇に比べれば如何ほどの物か!片足の不自由など、抵抗不能の状態で殺された彼らに比べれば如何ほどの物か!「オヌシのセンチメントに付き合う暇は無い……!ニンジャ、殺すべし!」
デソレイションはジュドー・キラー装束の覆面の奥で、不揃いな歯を剥き出しにして笑った。そしてカラテが再開した。「イヤーッ!……」「イヤーッ!……」「……」「……」ホットショットと戦った時と同じく、両者のカラテ・シャウトすらも次第に霞んでゆき……ワビサビめいた無音空間と化す!
ニンジャスレイヤーのカラテ!デソレイションが捌く!カラテ!捌き、相手の顎に掌打が命中!カラテ!捌く!カラテ!捌き切れず、肋骨にクラックを入れる重い拳の一撃!カラテ!体勢を整え直し、捌く!カラテ!デソレイションが捌き、目潰し掌打!紙一重のブリッジで回避するニンジャスレイヤー!
コッポ・ドーが急所狙いを得意とする肉体破壊武術であることを、ニンジャスレイヤーは前回の戦いで学んだ。ゆえにデソレイションは戦法を変更する。ニンジャスレイヤーのカラテ!捌かずに掌底をくり出すデソレイション!((グワーッ!))アイ・ウチ!両者の顔面が全力のカラテを浴びて波打つ!
両者は仰け反りも後ずさりもせず、激しい打ち合いを開始する!ゴウランガ!ニンジャスレイヤーのカラテフック!デソレイションのコッポパンチ!同時に命中!カラテフック!コッポパンチ!またも同時に命中!モノクロームの血飛沫が円弧を描いて宙に浮く中、殺意に満ちた視線が交錯し火花散らす!
両者はさらに十数発の打撃を互いの頭部へと叩き込む!ここでデソレイションの動きが変化!身を低くしてフックをかわし、相手の側面へと潜り込んでから腹部へ膝蹴り!痛打!目を剥くニンジャスレイヤー!続けざま、キドニーへの痛烈な逆肘打ち!これを自らの肘で辛うじて弾くニンジャスレイヤー!
両者は半背無向けの状態から、再び向き直って至近距離の打ち合いへと移行する。片脚の負傷により、多くのカラテ・マニューバを封じられているニンジャスレイヤーが不利か。下手に不完全な足技を繰り出せば、敵の前に大きな隙を晒してしまう。ゆえに、危険を承知で正面からの殴り合いとなるのだ。
再び壮絶な乱打戦!無数の死体や瀕死者の残留ノイズが周囲に現れては、墨のように溶け消えてゆく!オイランたち!依頼人たち!はじめは泣き咽び、復讐を懇願し、果たし終えれば我に返り恐怖と侮蔑の目を向ける者たち!約束が違うと言い出す糾弾者の目!(消えろ!)ひときわ強い風が吹き抜ける!
サツバツ!全ての過去の残響は吹き流された!荒野には二人の復讐者だけが残り、互いのカラテをぶつけ合うのみ!もはやデソレイションを縛る亡霊は存在せず!彼はもはや殺し屋でもタギ・トワでもない!彼に残された執着対象は、眼前のこの男のみ!黒い炎の焚火へと引き寄せられる、蛾のように!
ニンジャスレイヤーが動く!あれはチャドー奥義、タツマキケン!一度の跳躍で連続の回し蹴りを敵顔面に叩き込む、恐るべき暗黒カラテだ!デソレイションが仰け反り、サイバネアイが砕け散る!だが浅い!銃弾の傷か!?コッポ掌打で平衡感覚が狂ったか!?……シマッタ!隙を晒した姿勢で着地!
デソレイションの体は反射的に、コッポ・ドーの殺人フィニッシュムーブへと突き進む!膝砕きから鳩尾へのコッポ・キック!体をくの字に曲げて僅かに後ずさるニンジャスレイヤーの爪先を踏み付け、脳を揺らすコッポ掌打をこめかみ部へ!そして無防備になった股間へ……ボールブレイカーが迫る!!
……だが、一度見た技を食らうニンジャスレイヤーではない!足を踏まれた不安定姿勢から、斜めに斬り上げるチョップで掌打を弾く!痛打!敵の腕骨にクラック!しかしデソレイションは足の踏み付けを離さない!重ね合わされた両者の左足の甲は、シックスインチ・ネイルで地面に打たれたかのよう!
ニンジャスレイヤーは不安定姿勢のまま両足に力を漲らせ、後足を蹴り出す!敵腹部を狙うポン・パンチだ!銃弾に抉られた筋肉が引き千切れるほどの瞬発力!対するデソレイションも上半身を捻り、両掌を敵胸部に対して叩き込むための予備動作を取った!コッポ・ドーの禁じ手、ビヨンボ・バスター!
……衝突!激しいカラテ斥力の発生によりシックスインチ・ネイルの拘束が解け、ニンジャスレイヤーとデソレイションはよろよろと後方に数歩後ずさった。風がびゅうと侘しく吹き、サツバツ空間に音が戻る。
「……グワーッ……!」デソレイションはもがくように宙を引っ掻きながら、後方に倒れる。彼の腹部は情け無用のポン・パンチによって貫通し、脊椎までも折られていた。一方「……グワーッ……!」ニンジャスレイヤーも苦しげに胸を押さえ、その場で膝立ちになった!
「……ハァーッ!……ハァーッ!ス……ハァーッ!ス……ハァーッ!ス……グワーッ、い、息が……吸えぬ…!」恐るべき魔技!ビヨンボ・バスターにより、呼吸器官へとコッポ振動波が叩き込まれ、空気が一方的に体外へと排出されているのだ。それは堕落武道家が最後に放った捨て身の一撃であった。
デソレイションが仰向けのまま乾いた高笑いをあげる。ナラクがいれば、暗黒カラテの力によってこの窮地を切り抜けられたかもしれない。だがこの空間において、フジキドは孤立無援であった。「……ハァーッ!……ハァーッ!」彼は窒息の危機と戦いながら、その場で神秘的なザゼンを組む。
「……ハァーッ!……ハァーッ!」フジキドは眉間に深い皺を刻みながら、懸命にチャドー呼吸を試みる。だが吸えぬ!貴重な酸素は失われてゆくばかり!他の打開策を模索すべきか……?だがその時、ドラゴン・ゲンドーソーから授かったインストラクション・ワンが、衰えぬ輝きとともに脳裏に蘇る。
「……ハァーッ!……ハァーッ!」フジキドはなおもチャドー呼吸法を試みる。だが吸えぬ!(((方向性は正しい……!俺がそう信じたのならば……!)))顔を歪め己に言い聞かせた。乱れた呼吸をワビチャめいた静寂へと引き戻すべく。(((一度で通らねば、千度試みる……進むのみ……!)))
「……ハァーッ!ス……ハァーッ!……ハァーッ!ス……ハァーッ!……ハァーッ!ス……ハァーッ!……スウーッ!……ハアーッ!……スウーッ!……ハァーッ!」おお、ゴウランガ!呼吸が戻った!ニンジャスレイヤーは再びその瞳に黒い炎を燃やし、立ち上がる!
「……オヌシの負けだ、デソレイション=サン。カイシャクしてやろう……ハイクを詠むがいい」ニンジャスレイヤーは大の字で倒れた敵を見下ろす。もはやソウル生成装束すらも形を維持できないのか、タギ・トワは堕落武道家の上半身をあらわにしたまま、ごぼごぼと血を吐いていた。
「インガオホーが……必ずやインガオホーが……必ずやインガオホーが……」侮蔑に満ちた目のタコロー・ヒサノリ=センセイが墨絵映像として現れ、タギ・トワの死を暗示するかのように、ノイズ混じりの音声を何度もリピートしていた。ニンジャスレイヤーは敵をカイシャクすべく足を振り上げた。
「ちくしょうめ……コッポ・ドーが破られるとは……。だがな……ニンジャスレイヤー=サン、テメエも道連れだ……。テメエもおれと同じサップーケイの中で死ね!」デソレイションは捨て鉢に笑った。ニンジャスレイヤーは足を踏み下ろす!「イヤーッ!」「サヨナラ!」デソレイションは爆発四散!
びゅう、と侘しい風が吹き、デソレイションの爆発四散跡を水に溶ける墨めいて吹き流した。あとには何も残らなかった。ニンジャスレイヤーは周囲を見渡した。デソレイションを殺したにも関わらず、彼は今なおモノクロームのまま、躯が転がる真っ白い荒野にいた。「……ジツが……解けぬだと?」
まだ敵がいるのか?ニンジャスレイヤーはジュー・ジツを構え、四方に抜かり無く注意を向けた。だがそこに生あるものは何一つ存在せず、デソレイションが残していった、ざらざらと粗っぽいサツバツ映像の残響だけであった。依頼者に混じってトバツやアキラが現れ、糾弾するような目を彼に向けた。
びゅう、と突風が胸を吹き抜ける。魂をヤスリ掛けされるような感覚が彼を襲い、体の輪郭は横殴りノイズによって揺らいだ。松明をくわえた鴉があの地平の果てに飛んでいればよかったのだが。ナラクに呼びかけるも声は無い。数歩よろめいた後……ニンジャスレイヤーはおもむろに疾走を開始する!
ニンジャスレイヤーは無数の幻影をかき消しながら、カラテの力で荒野を駆ける!果てが見えない!だが速度を増すにつれ……瞳の炎が赤みを帯び出す!白黒世界の中を赤黒い装束が駆け抜ける!何が起こっているというのだ!?解らぬ!彼自身にも解らぬ!だが今は…走れ!ニンジャスレイヤー!走れ!
それはナラクの力ではなく、一重にニンジャスレイヤーのカラテであった!カラテはさらなる速度を生み出す!……おお、見よ、漂白されたサップーケイ世界が色を持ち、血に染まり、断末魔の絶叫が響き始める!彼は知っている、己を突き動かす不浄な力の正体を!そして己もまたニンジャである事を!
「イイイヤアアアアーーーッ!Wasshoi!」跳んだ!ドラゴン・トビゲリ!陰鬱なサップーケイ空間は、ハンマーで叩き割られた鏡のように木っ端みじんに砕け散り、ニンジャスレイヤーの肉体は荒れ果てたコッポ・ドージョーへと再エントリーした!前方回転着地し、新たな敵の存在を察知する!
バチバチと電子ボンボリが火花を散らした。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、シャドウドラゴンです」タバツとアキラの死体を放り捨てながら、影の輪郭を持つ恐るべき竜人型ニンジャが、破れたショウジ戸の向こうでアイサツした。
「ドーモ、シャドウドラゴン=サン……」ネオサイタマの死神の右の瞳が、センコの火のように禍々しく変形してゆく!「……ニンジャスレイヤーです」オジギ終了直後、背後からアンブッシュ!音も無く、ソウル痕跡すら隠して接近してきたシズケサが、絞殺単繊維ワイヤーを引いた!「イヤーッ!」
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはそれを紙一重のしゃがみ込みで回避し、背後に対して肘打を放つ!シズケサはムーンサルト回転でこれを抜け目無く回避した。「アマクダリの犬めらか!」ニンジャスレイヤーは鋼鉄メンポのスリットからジゴクめいた蒸気を放つ「……その首、刈り取って帰る!」
◆◆◆
自我科を抜け出したワモは、万札のたくさん入ったバッグを持ってタクシーに乗っていた。その胸は豊満であった。「もうちょっとスピード出ないの?」「もう十分ですよ!これ以上出したらマッポに捕まっちゃいますよ!」初老の運転手はインナーミラーで彼女の刺激的な腿をちらちら見ながら返した。
「アッ……アブナイ!」運転手は前方をふらふらと歩くトレンチコートの人影を暗闇の中に認め、急ブレーキを踏む。ナムサン!タクシーに傷がついたら解雇だ!「ンアーッ!」シートベルトを正しく閉めていなかったワモが座席から転げ落ちる!
ヘッドライトに照らされたそのハンチング帽の男は、衝突を回避しようとして弱々しくよろめき、重金属酸性雨に濡れた歩道でゴミ箱にもたれかかっていた。「大丈夫、ぶつかってないな!」降りてきた運転手が胸を撫で下ろす。「スゴイ・バカ!」ワモも降り、その浮浪者じみた男に唾を吐きかけた。
「……シツレイした……」満身創痍のその男……フジキド・ケンジは、ワモの顔を見て何か言いかけたが呑み込み、再びハンチング帽を目深に被り、泥と血まみれのトレンチコートで歩き出した。シャドウドラゴンとシズケサが予定外の交戦を嫌い、速やかに撤退したため、彼は辛うじて命を拾ったのだ。
DRRRRR……タクシーは再び夜のネオサイタマを走り出す。ワモにはカネがあったし、ショック状態からも戻り、全てを思い出した。彼女はそもそも年収が低そうなDJのトバツを見限って自らハッカー・バロンの愛人となり、自分は恥辱でセプクしたとの嘘をサイバーゴスクラブに流していたのだ。
自我科に入院していた彼女はIRCもLAN直結もできない退屈な生活に嫌気がさし、治療半ばでネオサイタマ総合病院を飛び出した。カネも服も無いのでひとまずトバツの家に向かうと、彼はどこかに消え去っていたため、ワモはカネと薬物をせしめてタクシーに乗ったのだ。
「どこ行こう……」それがワモの目下の悩みだった。だが、カネと薬物さえあれば何でもできるだろうという確かな安心感があった。そして彼女はふと窓の外を見やり、重金属酸性雨の中を飛ぶマグロツェッペリンの大型モニタに釘付けになる。「映画館……」「ハイヨロコンデー!」運転手が応える。
ズームムムムムムーン……映画館には広大な宇宙を感じさせるスペイシーなサウンドが重苦しく鳴り響き、これから始まる安っぽい非現実エクスペリエンスを期待させた。ワモは一番大きなスクリーンを選んだ。同じ列になかなかカワイイなサイバーゴスたちが数名座ったので、早速LAN直結した。
タダーン!勇壮な銅鑼の音が鳴り響き、スクリーンが展開した。タダオーン!「ジーザスIV」の大仰な題字が映し出された。「アハー、アハー、アハー…」ワモたちは興奮の3D体験を約束するレッド&グリーンのサイバーグラスをかけ、ザゼンドリンクを決めながらぽかんと口を開けてトリップした。
重金属酸性雨がしとしとと降る夜だった。スクリーンではあの男がバスタードソードを掲げ、そのセクシーに鍛え上げられた上半身と憂いを帯びた瞳で、浮ついた女性客たちの心を虜にしていた。
「前の方がよかったな」前の席では何人かのパンクスが不満を述べていたが、ジーザスVの作製はすでに決定していた。
【キリング・フィールド・サップーケイ】終
N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)
シリーズを通しても最凶の敵のひとりに数えられる、堕落武闘家デソレイションの登場エピソード。フジキドは彼のコッポドーと虚無の荒野を打ち破れるのか? 恐るべき殺人技、ボールブレイカーがニンジャスレイヤーを狙う! 全ての色彩と音が削り取られた、壮絶なる死合いの世界が彼を待ちうける! メイン著者はフィリップ・N・モーゼズ。
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