S3第1話【エンター・ザ・ランド・オブ・ニンジャ】全セクション版
総合目次 シーズン3目次
エイジ・オブ・マッポーカリプス シーズン3
【エンター・ザ・ランド・オブ・ニンジャ】
1
せせらぎに魚が跳ね、木洩れ日に銀の鱗を輝かせた。穏やかな風に揺れる赤いモミジの下を歩いてくるのは、人間離れした美しさをもった女だ。ネオサイタマの人間が彼女を見れば、それが人間ではなく「オイランドロイド」であるとわかるだろう。しかも彼女は単なる機械ではない。自我を持つ、ウキヨと呼ばれる種族だ。
装いはアオザイ。明るいオレンジの髪を翡翠色の髪留めで留め、瞳の色もまた翡翠。瞳孔の奥には翼持つオイランドロイドの刻印があった。彼女の名はコトブキ。その手には歪んだバケツと手拭いがあった。彼女はせせらぎに身を屈め、手拭を洗い、バケツに水を汲んだ。
風が吹き抜けると、モミジは音を立てて揺れる。「とても美しい土地ですね」彼女は微笑み、呟いた。視線を川向こうに向けると……藪の間に立つ巨大な影と、目が合った。「GRRRR……」唸り声をあげ、涎を垂らすのは……アブナイ! クマだ! しかも瞳は赤く光っている! コトブキは息を呑み、後ずさった。
並のクマ、あるいはバイオパンダ程度の獣であれば、コトブキは持ち前のカンフーで退治する事ができるだろう。しかしそのクマはどこか異様なアトモスフィアを持っていた。理由はすぐにわかった。カラテの証……黒帯を締めているのだ! コワイ!
「ゴアアアオオオン!」次の瞬間、クマは回転ジャンプで川を飛び越え、コトブキに襲いかかった! 繰り出されるのは獣じみた踵落としである!「ハイヤーッ!」コトブキは間一髪のバック転で回避、カンフーを構えた。「これは一体……!」コトブキは訝しむ。確かに獣だ。だが……。
「ゴアアアッ! ゴアアーッ!」クマは踏み込み、連続爪打撃を繰り出す!「ハイッ! ハイヤーッ!」コトブキはクマの腕を打ち逸らし、後退した。獣だがカラテを持っている。これはもはやカラテビーストと言っても過言ではあるまい!「ゴアアアアーッ!」クマは身を沈め、タックルを仕掛けた!
コトブキのニューロンは高速回転し、この状況を打開できるカンフー・ワザを即座に参照した。垂直跳躍からの二段蹴りを……!「ハイ……」「イヤーッ!」その時である! 斜め上から飛び込んできた影が、クマの側頭部に蹴りを食らわせたのだ!「グワーッ!」クマがのけぞる!
トビゲリを繰り出して着地したのは、黒髪の若い男である。その動きはニンジャじみていたが、クマの首を蹴りひとつで捩じり切って跳ね飛ばすほどの力は持ち合わせていないようだった。フードが外れ、赤黒の火花が彼の身体の周りを乱れ散った。「マスラダ=サン!」コトブキが叫んだ。
マスラダはクマを睨み、カラテを構え直した。「ゴアアアオオオン!」クマは両手を高く上げ、威嚇姿勢をとった。放射される殺意! 危険だ! 二秒後には両手爪が振り下ろされ、この若者を無惨な惨殺体に変えるだろう!「ハイヤーッ!」「アバーッ!」コトブキがクマに肩から背中にかけてを叩きつけた! カンフー・カラテの強力なワザ、ボディチェックだ!
怯んだクマをめがけ、今度はマスラダが身を沈め……宙返りするように蹴った!「イヤーッ!」サマーソルトキックである!「アババーッ!」カラテビーストは仰け反り、仰向けに転倒! マスラダは危なく着地! クマは降参めいて四つん這いで走り去った!「ゴアアーン!」
「マスラダ=サン!」コトブキが駆け寄った。「無茶です! どうして!」「おれを病人扱いするな」マスラダは汗を拭った。だが今の怪物クマを殺せなかった事実は重い。危ういところだった。死がワン・インチ横を通り過ぎたのだ……。「わたしが貴方を守ります。だから、自分の身体を気遣ってください」「必要ない。やれる」
「無理をしてはいけませんよ」「お前も危なかったぞ。おれが入らなければ」マスラダは横倒しになったバケツを拾い、水を汲み直した。「そんな事はありません。すごいワザが出る筈だったんです」「行くぞ」マスラダは歩き出す。そして呟く。「スシさえあれば……」スシ。ニンジャの力の源だ。
「確かにこの森では満足なスシが得られません。コメがないのです」コトブキはマスラダを追った。「でも、スシの問題でしょうか? 貴方は深く傷ついて……」「……」マスラダは振り返り、コトブキを見た。コトブキは黙り、俯いた。マスラダはしかめ面で頷いた。二人は歩き出した。
ガレージにバイクが止めてある。バイクにはシグルーンという名がついている。元は強大なニンジャが用いていたインテリジェント・モーターサイクルであり、破壊された思考回路に超自然的な手段で別の機体のAIを融合させた代物だ。その名に違わぬ性能を持つが、予期せぬエラーが続いている。騙し騙し、ここまで旅を続けて来た。
シトカに留まるわけにはいかなかった。マスラダのニンジャスレイヤーとしての力をつけ狙うザイバツ・シャドーギルドは、あの街に密偵を残していると考えるのが自然だ。「今の自分の力はこの有様だ」と言って納得して引き下がる筈もあるまい。見つかれば死。居場所が知られた以上、危険は冒せない。
「きっと今晩には人里が見つかると思います」シグルーンのAIにLAN直結して確かめながら、コトブキはマスラダに言った。「根拠はありませんが、勘というか、希望的観測というか……」「どうだろうな。クマもうろついている」「あのクマ、奇妙でした。黒帯を……」
「ああ。妙だ。だが……」マスラダは首を振った。万全な状態であれば、ニンジャ洞察力、ニンジャ第六感等から、わかる事も多かっただろう。「……クソッ……妙な事は多い」マスラダは答え、ガレージの外で揺れるモミジの葉に目をやった。「この森自体が気に入らない」
「LANにも繋がらないのです。Wi-Fiもありませんし……」コトブキは溜息をついた。「タキ=サンに繋げること、できませんよね」答えるまでもなかった。理由は不明のままだが、マスラダは独自のIPアドレスを持っている……持っていた。そしてタキとIRC通信を行う事が可能だった。今はその力もない。
「セルフメンテナンス重点。思考が明晰です」シグルーンの電子マイコ音声が発せられ、UNIXライトが明滅した。コトブキは微笑んだ。「この子は調子が戻ってきましたよ」LANケーブルを外し、傍においたリュックの中から四角いオキアミ・バーを取り出し、二つに折った。「みじめなご飯ですね、ふふ」
コトブキはマスラダがオキアミを咀嚼するさまをじっと見る……「アイエエエエエ!」悲鳴! 二人は腰を浮かせた。「アイエエエエーエエエ!」またも悲鳴だ! 被さるように、やはり悲鳴、複数!「アイエエエエ!」「アイエエエエエ!」二人は駆けだした!
◆◆◆
モミジ樹液採りの仕事はハードだ。日が昇るより早く起床し、重いタンクを背負い、チューブ接続された専用の吸引ニードルを白い木の幹に突き刺す。樹液を採るには時間がかかる。その間は生きた心地がしない。カラテビーストがいつ襲ってくるとも知れないからだ。
タイクーンがこの地にもたらした邪悪なカラテが生態系を歪め、獣たちは黒帯を締めるに至った。カラテビーストの中で最も恐ろしいのはクマだ。爪や牙にくわえ、セイケン・ツキや踵落としなどのカラテを見舞ってくる。だがフルーツモンキーや鹿ですら、彼ら非力な民にとっては恐るべき殺戮者なのだ。
タイクーンが支配者となったのは10年前の事らしいが、その時まだリアムは10歳にもなっていなかった。物心ついたとき、彼をとりまく世界は既に「こう」だった。赤いモミジ、危険なカラテビースト……そして……ニンジャ。
親たちが諦め顔で語るには、タイクーン以前の時代も結局はジゴクだったという。暗黒メガコーポに紐づいた荘園領主たちが細かい支配領域を定め、市民を農奴として使役する……それが大昔のブリティッシュコロンビアの社会だった。タイクーンはそれらを暴力によってネコソギにした。彼はニンジャを従え、サラリマンの首を刎ね、敗軍の戦士を磔にした。血の川が流れた。
解放者がやってきた! そんなふうにぬか喜びする時間は1秒も無かったといえよう。タイクーンがもたらしたのは恐るべき圧政だ。彼が惰弱であると判断した文化は禁止され、焚書が行われた。インターネットも禁止された。惰弱だからだ。そう、かつては人々は電子世界で遠く繋がっていたのだという……。
以来、リアムの村の人々に割り当てられた仕事は、モミジの樹液採取である。タイクーンはモミジを好み、その樹液を好む。樹液は領民の栄養源でもある。しっとりとした黄金の液体は、長く働く力と健康を授ける。仕事は毎日だ。喜びも悲しみもリアムにははっきりわからない。インターネットもない。
「アイエエエ!?」それ故にだろうか、オリバーが真っ先にあげた悲鳴に反応するのが、少し遅れた。「アバーッ!?」リアムの胸が斜めに裂け、血が噴き出した!「逃げろ! カラテクマだーッ!」オリバーが叫んだ!「アイエエエエエ!」「アイエエエ!」樹液採取人達は重いタンクを背負い、脚が遅い!
「ゴアアオオオオン!」「アバーッ!」黒帯を締めたクマは護身猟銃を向けたオリバーに前蹴りを食らわせ、さらに凄まじいチョップでトドメを刺した! ナムアミダブツ!「ゴアアアア!」腕を振り回し、逃げようとする樹液ファーマーを追う! 誰かがうつ伏せに倒れ、タンクの下敷きに!「アバーッ!」ナムアミダブツ!
オリバーは地面で痙攣した。リアムは傷から溢れる血を押さえた。「た、助け、助……」「イヤーッ!」「イヤッ! イヤーッ!」その時であった! カラテシャウトと共に、木々の間から飛び出して来た影が三人! 白いニンジャ装束を着た彼らはタイクーンのゲニントルーパー達だ!「イヤーッ!」クマにスリケン投擲!「グワーッ!」
「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ゲニントルーパーは十字砲火スリケン投擲でクマを攻撃する! ……ゲニントルーパー……彼らはタイクーンのもとに集まったならず者たちであり、カラテ修行を積んだ結果、ニンジャとなったニュービー達。圧政の尖兵であった!
「た、助かったのか」リアムはモミジの木に寄りかかり、涙を流す。「GRRRRR!」クマがカウンターパンチでゲニントルーパー一人の首を刎ね飛ばした。ナムアミダブツ!「イ……イヤーッ!」「イヤーッ!」残る二人はスリケン投擲を継続! 怯むクマ! 更に、その時!「イヤーッ!」
クマの背後から投じられたトマホーク斧がクマの延髄をざっくりと断ち割った!「アバーッ!」噴き出す鮮血! ゲニントルーパーの一人を下敷きに圧し潰しながらうつ伏せに転倒!「アババーッ!」死亡! ナムアミダブツ!
「……フシューッ……」斧の投擲主はメンポから血なまぐさい息を吐き、斧を抜いた。「アイエエエエ!」「アイエエエエエ!」樹液ファーマー達が悲鳴を上げて腰を抜かす中、その者は尊大に斧の血を拭った。「くだらん獣めが」その者の装束は白くない。明らかにゲニンとは異質のアトモスフィアを持っていた。ゲニンがオジギした。「オツカレサマデス、ヘヴィフィード=サン!」
「イヤーッ!」「グワーッ!」拳! ゲニンは殴り倒される! ヘヴィフィードは不機嫌そうにメイプルサケをヒョウタンで飲み、どろりとした目で睨んだ。「獣ごときに俺のカラテを使わせやがって不甲斐無いクソニュービーめが」「スミマセン!」ゲニンはドゲザ! その後頭部を踏む!「クズめが」「ハイ!」
リアムは失禁していた。重傷の苦しみを、激しい恐怖が上回った。ゲニントルーパーは実際彼もよく見かける。威張りくさった兵隊どもで、いつも嫌な目にあわされている。それを統率するメジャーゲニンも見る。もっと威張りくさった隊長だ。だが、このヘヴィフィードという男が立ち上らせる狂暴のアトモスフィアは、それらと次元が違った。
リアムは目を合わせないようにして、とにかくこの男が去るのを待った。だが当然そう都合よくは済まない。ヘヴィフィードはリアムのもとへ歩いて来たのだ。「お前ェー……怪我をしておるなァー……」「ア……アッハイ」「いかんぞ。領民、なべて力強く健康たれ。タイクーンの有りがたき言葉だろうが」
「スミマセン」リアムは恐怖の涙を流した。ヘヴィフィードは明らかに苛立っている。しかし、己が怪我した事を謝らねばならないとは、なんたる不条理であろうか。そして彼は樹液ファーマーの死体を見た。「あれは何故死んでいる」「ク、クマに……」「違うな。あれは転倒死だ!」「アイエエエエ!」
他の者達も悲鳴をあげた。だがタンクが重く、思うように離れる事はできない。ヘヴィフィードは彼らを見渡し、怒りに目を血走らせた。「貴様らはァ! タイクーンの御慈悲を全身全霊で浴びながらァ! 衣食を保証されながらァ! さように反抗的に死んだり怪我したりしおるかァ! 不真面目過ぎはせんかァ!」「アイエエエエ! スミマセン!」「どうかお許しを!」
「カ……カラテビーストが、ワシらの樹液採取を邪魔するのでございます」ジェイソン翁が勇気を出して言った。「ワシら、頑張って……頑張って……襲われるのでございます」「何……?」ヘヴィフィードは目をすがめた。「つまり、庇護が足りぬと……? タイクーンの恩寵が……不足であると?」
「そのような事は決して! 事情を申し上げておるので……」「お前ならどうする」ヘヴィフィードはドゲザ継続のゲニンに問うた。「クチの減らぬ爺に与える罰は」「し、死刑がよいかと」「そうよのう」斧を弄ぶ。リアムは絶望と共に理解した。この男は、初めから残虐行為を行いたいだけなのだ。難癖だ。
いったいこの者は何なのか。この世界は何なのか。何故、リアム達はこんな目に遭うのか……!「死刑!」ヘヴィフィードは意気揚々と斧を振り上げ、投擲姿勢を取った!「待ちなさい!」その時、凛とした声が飛んだ! ほどなく、オレンジの髪の娘が走り込んできたのである!「そこまでです!」
「何だァ? 貴様」「わたしはコトブキです。悲鳴を聞いて走ってくれば、一体これは何事ですか!」「お嬢ちゃん! いかん!」ジェイソン翁が慌てた。「逃げなさい!」コトブキはヘヴィフィードを睨んだ。「その斧を降ろしてください」
「イヤーッ!」ヘヴィフィードは当然聞く耳持たぬ。コトブキをめがけ斧を振り上げ、投擲姿勢に……「イヤーッ!」「グワーッ!」ヘヴィフィードは背中を蹴られ、エビめいて反りながら倒れ込んだ!アンブッシュを決めたのは新たなエントリー者である。「ウヌ……」ヘヴィフィードは起き上がり、その者を睨んだ。
「一体全体……貴様ら……」ヘヴィフィードは困惑に目を血走らせ、二人を見比べた。リアム達は固唾を飲んでその光景を見守っていた。その者は……マスラダは……掌をあわせ、ヘヴィフィードに向かってオジギした。「ドーモ」チリチリと音を立て、赤黒い火花がフードのまわりを舞った。
「……!」コトブキは奥歯を噛みしめ、マスラダのアイサツを見守った。マスラダは眉間に皺を寄せ、目を閉じる。そして開く。赤黒の光がその瞳に一瞬灯り、そして、消えた。マスラダはアイサツした。
「……ニンジャスレイヤーです」
「ニンジャ……スレイ……何?」その名の不吉な意味にヘヴィフィードは困惑を深め、咳き込んでごまかした。思い出したようにドゲザのゲニンを蹴飛ばした。「起きろ! サンシタめが!」そしてアイサツを返した。「ドーモ。ヘヴィフィードです。貴様、自分が何をしたかわかッ……」「イヤーッ!」
オジギ終了と同時に、ニンジャスレイヤーは踏み込んだ! ヘヴィフィードは慌てて応戦の斧を……「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの拳がヘヴィフィードのメンポに、衝突した!
2
時間の流れが鈍化した。熱を帯びた拳がヘヴィフィードのメンポ(面頬)にめり込み、ゆっくり歪めてゆく。拳の熱がメンポに移り、赤熱させる。ヘヴィフィードは血走った目を動かし、ニンジャスレイヤーを見ようとする。……圧縮されていた時間が還元され、ヘヴィフィードは吹き飛んだ!「グワーッ!」
KRAASH! ヘヴィフィードはモミジの樹に背中から衝突! コトブキの瞳に僅かな間、さまざまな感情が去来。だが立ち止まっては居られない。彼女はハッとなった。「ハイヤーッ!」咄嗟のカンフー・カラテをゲニントルーパーに繰り出す! ゲニンは腕で拳を受ける。だが防御は甘い!
ゲニントルーパーが反撃しようとしたところに、ニンジャスレイヤーのヤリめいたサイドキックが襲いかかる!「イヤーッ!」「グワーッ!」ピンボールじみて射出され、叩きつけられて転がるゲニン! 地面のモミジが舞い上がる!「マスラダ=サン……!」「……」ニンジャスレイヤーは目で制する!
「ブハァッ!」ヘヴィフィードは頭を振り、樹を揺らして進み出た。彼は歪んだメンポに触れ、首を動かし、ボキボキと鳴らした。ニンジャスレイヤーは身構える。ヘヴィフィードは鼻を鳴らした。「随分いきり立ってやがるじゃ……」彼の手には斧がしっかりと握られたままだ!「……ねえか! イヤーッ!」
ニンジャスレイヤーは咄嗟の危険を感じ、上体を逸らす! その胸が斜めに浅く、裂けた!「グワーッ!」目にも止まらぬ速度で飛来し、彼を切り裂いた斧は、ドライブ回転して上へ飛び去って行った。ヘヴィフィードは地を蹴った! 接近!「イヤーッ!」カラテ!「グワーッ!」
ニンジャスレイヤーは防御を試みる。立て続けの拳が襲い来る!「イヤーッ!」「ヌウッ……!」ガードが弾かれる! さらなる拳!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは耐える! だが……!「ハイヤーッ!」コトブキがインターラプトに入る! ナムサン!
「イヤーッ!」「ンアーッ!」バックキックがコトブキのインタラプトを阻止した。彼女は胸を蹴られ、後ろへ倒れ込んだ。ジェイソン翁が慌てて彼女を受け止めた。「お嬢ちゃん! いけない。逃げなさい……」「ダメです!」その時! 上から斧がヘヴィフィードの元へ落ちて来た! 彼は受け止める!
残虐な目がギラリと光った。ヘヴィフィードは受け止めた斧を恐るべき速度で振り下ろした!「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの肩から胸にかけて、深く裂ける! ニンジャスレイヤーは膝をつき、崩れ落ちた。「グ……ヌ……!」「ニンジャスレイヤー(ニンジャを殺す者)だと? クズめ」
「……!」ニンジャスレイヤーはヘヴィフィードを睨んだ。目に赤黒い火が再び熾り、切り裂かれた服と傷が血と混じり合って、ざわめいた。「わたしが相手です!」コトブキはジェイソン翁を振り払い、再び向かってゆく! ヘヴィフィードは舌打ちし、斧を握り直し、後ろへ切り払う!「イヤーッ!」
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが身体を前に駆り立てた。コトブキの胴体を真っ二つにしたであろう斧斬撃は逸れ、モミジが舞い上がった。不意のタックルは瀕死の者が出せる勢いではなく、ヘヴィフィードは不意をつかれた。ニンジャスレイヤーと彼は争いながら地面を転がった!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」上になり下になり、ニンジャスレイヤーとヘヴィフィードは殴り合いながら転がった。やがて、執念か、運か、ニンジャスレイヤーが上になっていた。マウントをとった彼は、力任せにヘヴィフィードを殴りつけた。「イヤーッ!」「グワーッ!」
「この……」「イヤーッ!」「グワーッ!」更に殴りつけた! 殴られながら、ヘヴィフィードは頭の横に斧を探った。コトブキが咄嗟に斧を蹴飛ばし、それを阻んだ。ニンジャスレイヤーは更に殴りつけた。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
「貴様……」ヘヴィフィードは押し戻そうとする。だが、できない。ニンジャスレイヤーは血に塗れた拳を振り上げる。「おれは……」コトブキは……もはや言葉も発せず、動けない!「おれは……ニンジャスレイヤーだ……ニンジャ殺しの……ニンジャだ」「……!」ヘヴィフィードは呻いた。
ニンジャスレイヤーは息を吸った。深く吸った。その目に、拳に、赤黒い熱が燻った。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは拳を打ち下ろした。決断的な一撃がヘヴィフィードの顔面を、砕いた!「グワーッ!」「イヤーッ!」更に一撃! カイシャク!「サヨ、ナラ!」
ヘヴィフィードは爆発四散した。ニンジャスレイヤーは俯いた。コトブキが叫び、倒れ込むニンジャスレイヤーを抱えた。
……「何てことを……何てことをしてくれた……!」樹液ファーマーの一人が慄く声を、朦朧とする意識で聞いた。「殺ッちまった……!や、奴の兄貴が知ったら……どうなるか……!」樹液ファーマーの声は不明瞭な意識の闇に散り、消えた。
……(((マスラダ!))) ニューロンに微かな声が聞こえた。闇の中で、マスラダはそちらに耳を澄ませた。(((マスラダ……))) マスラダは手を伸ばそうとうする。(ナラク)赤黒くわだかまる火が、マスラダに反応する。マスラダの手を取ろうとする。
(((マス……ラダ……))) 赤黒の火に触れる事はできない。マスラダの手は空を切った。虚無の中に彼は倒れ込んだ。空には黄金の立方体が浮かび、冷たく自転していた。
ドオン……ドオン……ドオン……不気味な重低音が遥か地の底で鳴り響く。意味不明の光景がフラッシュバックする。トリイ。石。空洞。トリイ。石。鎖……ドオン、ドオン、ドオン、奴隷たちの打ち鳴らすタイコ。尊大に胸をそびやかし、儀式を見守るニンジャ。その傍らに……見覚えのある男。
ドオン。ドオン。恐ろしいタイコの音が光景を掻き消す。「……アユミ」マスラダは後ろ姿に呼びかける。アユミは振り返る。「カイ。どうしたの。切羽詰まった顔してる」「カノープス。お前の名前……」「……」アユミは頷く。「思い出したんだ。そこまでは」マスラダは言う。
「……そうなんだ。引いたでしょ」アユミは言った。マスラダは首を横に振った。記憶が重なった。「賞金稼ぎだろうが何だろうが、多少汚いカネだろうが、おれの知っているお前が納得して稼いだカネなら、信用するさ。……お前はニンジャで……おれの……」
おれの……0010011……マスラダは目を開いた。意識を取り戻した彼は硬いベッドに横になっていた。痛みが脈打っている。胸に手を当てる。治療が施されている。「コトブキ?」「よかった」コトブキがマスラダを見下ろしていた。コトブキはかすかに震えた。「……よかったです」マスラダの手を取った。
「ここは」「付近の空き家を借りました」「包帯は」「わたしです」コトブキは、けぶるような目で見つめた。言葉に熱がこもっていた。彼女はマスラダに屈み込んだ。「治せますよ。わたし、医療行為できます、マスラダ=サン……」「おれは……」マスラダは起き上がろうとするが、コトブキが阻んだ。「寝ていてください……」
マスラダはコトブキを見た。コトブキはマスラダをじっと見ている。瞳には四枚羽根のオイランドロイドが刻印されている。「マスラダ=サン。この家、きっと快適です。当面は、ここで暮らせます」「おい……」「ずっと休みませんか」
「何を言っている」「傷を癒して、それから……ここならLAN通信もできません。誰も気づかないです。ファーマーの皆さんと、時々アイサツをしたり、農作物を取引したり、わたし何でもできます。ここで暮らせます。平和です……!」「コトブキ!」マスラダは強引に起き上がった。
コトブキは首を振った。泣いている。「……おかしいぞ」マスラダは言った。「お前は、弱くなったのか」「……い、いいえ」コトブキはいっそう強く首を振った。そして咳払いして、ベッドを離れた。「気の迷いです。じ、自我があるので、こんな事もあります。時には……」
彼女は卓上のパックを手に取った。「見てください。やっと手に入れたんです」蓋を開けて見せる。「スシですよ。狼藉ニンジャを倒して、ファーマー達に恩が売れたので、食糧をもらう事もできました」サーモンのスシであった。「食べて、気持ちを切り替えましょう」
「……ああ」マスラダはコトブキを見た。「礼を言う」スシを取る。「わたしも食べますね」コトブキもひとつ取った。二人は無言でスシを食べた。カロリーが染み渡り、最低限の力が呼び起こされる感覚を、マスラダは味わった。
「おれはどのくらい寝ていた」「それほど経っていません」コトブキは答えた。マスラダは思考を巡らせる。「あのヘヴィフィードとかいうニンジャ。仲間が居るらしいが」「何ですか?」「聞こえた。意識を失う前にだ」「その件は……ええと、情報を集めます、わたし」コトブキは考え考え、答えた。
「樹液ファーマーの人々から情報を集めます。整理して、マスラダ=サンに伝えます」コトブキは拳を握ってみせた。「場合によっては荒事ですね。任せてください」「任せる?」「少なくとも今は、マスラダ=サンは怪我の治療に専念してください。万全の状態にならないと、何もできませんよ」
「おい」「気の迷いではありませんよ、これは」コトブキはパックを潰し、立ち上がった。「合理的判断から言っているんですから。わかっていますか」「……」マスラダは少し身体を動かし、傷の重さを自覚する。「わかった」「寝て起きれば全快しているかも。ニンジャですから」コトブキは部屋を出た。
マスラダは息を吐き、ドアが閉まるのを見守った。部屋を見渡す。ベッドの隣に、布に包まれた等身大の何かがある。布を取ると、それは磨かれた木の柱に丸い枝が幾つか突き出した物体……木人であった。サイドボードの上にはもとの家主の写真と思しき笑顔のカラテ姿の写真。マスラダは布を戻した。
◆◆◆
階段を下りたコトブキは、ピシャピシャと自分の頬を張った。軋む扉を開けて外に出ると、モミジは風に揺れ、濡れた空気が森のよい香りを運んでくる。おもむろに彼女は家の前でカンフー・カタを始めた。「ハイッ!……ハイッ!……ハイッ!」キアイと共にシャウトし、手を、脚を動かす。
「ハ……」コトブキは木陰の動物を見て手を止めた。「あ、ゴメン」動物……コヨーテは詫びた。「ドーゾ。続けて、気にしないで」コトブキは凍りついた。コヨーテは尻尾を振った。コトブキは後ずさり、身構える。「面妖です」「警戒しないでくれ。怪しいもんじゃないよ」「いいえ」
コトブキはカンフーを向けた。「人語を解するカラテビーストも居る……そういう事ですか?」「待て」「覚悟してください。禍根を残してはなりません」「ノー、ノービースト」コヨーテの姿が歪んだ。一瞬後、そこに立っているのは動物ではなく、黒髪の痩せた男である。コトブキは息を呑んだ。
男は整った顔立ちをしており、痣のような薄紫の隈をもっていた。髪を後ろに撫でつけ、ヒガンバナの刺繍が施されたサテンのスタジアムジャンパーを着、口の端を歪めた笑みを浮かべている。見るからに樹液ファーマーとは違った世界の人間であり、この森の気候にもそぐわぬ姿。異様なアトモスフィアだ。
「旅人よ。俺はアンタらに用があって訪れたのだ」男はかしこまって言った。言いながら、しかし、少し笑っている。コトブキはこの男を油断ならぬ存在だと感じた。「お名前は」「ああ、そこから始めたほうがいいよな。礼儀作法は大事」彼はアイサツした。「ドーモ。フィルギアです」
3
「ドーモ。わたしはコトブキです」コトブキはアイサツを返した。そしてカンフー・カラテを構え直した。「よくない事を胸に抱いてわたしたちを追ってきたのなら、鉄拳制裁します」「イヒヒヒヒ……警戒心が強いってのは悪い事じゃないよな」フィルギアは笑った。「俺、この前シトカに寄ってさ」
「シトカ?」「昔の仲間が居てね。キミも知ってる奴さ。スーサイドって名乗ってるだろ」「……!」「そう、そいつ。俺、十年前にアイツとネオサイタマでつるんでた。前にも会ったが、その時より元気そうで良かったよ。俺、テレビでシトカの日蝕の天変地異を見てさ……ちょっと気になって、色々調べまわったワケなんだよ」
「スーサイド=サンの事、本当ですね?」「なに? アイツの人となりを知ってるかって? そうだな、コロナが好きで、いっつもイライラしてて、几帳面で口うるさい。楽しい奴さ」「ウーン……」「こんな事に嘘はつかない……俺の目を見てくれればわかるだろ」コトブキはフィルギアをじっと見た。「……わかりました」
「わかったの? 大丈夫? ホントに?」「そうですね。わたしの目は節穴ではないので、害意が無い事は理解しました」コトブキはカンフーを解いた。「それで、何の御用ですか」「ニンジャスレイヤー=サンに会いたくてさ。伝えたい事が幾つかあって」「彼は面会謝絶です」「参ったね」
強い風が吹いて、赤いモミジを巻き上げた。コトブキは髪を押さえた。「立ち話もなんですから」彼女はドアを開けた。「一階になら入ってもいいですよ」「ありがたい。そこそこ長旅でさ。キミらと同じく……」
コトブキはフィルギアを座らせ、モミジのチャを淹れた。フィルギアは待たされている間、手持ち無沙汰に応接室の調度を見回した。「快適そうな家だなァ」「持ち主はもう亡くなったそうなんです。それで、使う事ができました」「ああそう。殺されたの? この国、物騒だからね」「物騒」
コトブキはチャのカップを持って、フィルギアの向かいに座った。「わたし達、シトカからずっと陸路で旅をしてきました。猛獣が黒帯を締めていて、危険でした」「ああ。タイクーンのカラテビースト。あれはタイクーンが作ったんだ。この地のモミジと同じにね。……この国の名はネザーキョウ」
フィルギアの目が何らかの凄みを帯びた。それは時を経て来た者がもつ説得力とでもいうべきものだ。「タイクーンは故郷を懐かしんで、理想化された世界を作った。このカナダの西に、勝手にね」……コトブキはチャを口にした。
……(何てことをしてくれた!)ヘヴィフィードの戦闘直後の情景が、村人との会話が、蘇った。
◆◆◆
イクサが終わると、何人かが応急処置を手伝ってくれた。だが、恐怖にとらわれた者もいた。「殺ッちまった……! や、奴の兄貴が知ったら……どうなるか……!」「仲間が居るのですか」コトブキは尋ねた。「ああ、そうだ、ヘヴィフィードには血を分けた実の兄弟あり。そちらの方が偉いニンジャだ」
「どうする……!」「ワシら皆、殺されっちまう……!」「おしまいじゃ!」樹液ファーマー達が言葉を交わした。「一体、どのような兄なのですか?」「残虐非道、炎を纏う恐るべきニンジャで、村一つ丸焼きにして、そこを畑にするっちうんじゃ!」「愛する弟が死んじまった事がバレたら……!」
「お、お前らのせいだぞ!」取り乱した村人の一人がコトブキを指さした。「下手に刺激すッから! いや、刺激じゃ済まねえ! こんな、イッキみてえな事に……!」「そうだ!」何人かが同意した。しかし、「バカモノ!」彼らを一喝したのはジェイソン氏だった。「このお二人は命の恩人だぞ! わからんか!」
恐怖に駆られ、責める相手を無理に探そうとしていた者達は我に返り、恥じ入った。ジェイソン氏はコトブキに詫びた。「スミマセン。しかし、こいつらの恐れもわかってやってほしい。ワシらは生殺与奪をタイクーンとその尖兵に握られておるんです。そういう暮らしなのですよ」
「ニンジャの親玉ですか」「この国の支配者です。最も偉い」ジェイソン氏は遠い目をした。そして尋ねた。「あなた方、どこから来なすったね。こんなところに」「シトカです。ウキハシを使ってネオサイタマに行きたいのですが……」「ウキハシ?」「ウキハシって何じゃ」村人達が囁く。
「その……」コトブキは言葉を探した。「都市に行きたいのです。調べたところ、一番近い主要都市がバンクーバーで、そこまで行く事ができれば」「バンクーバーに行きなさると? ヒ、ヒッ!」奇妙な神がかりの老いた女が進み出た。「アア、キネコ=サン! 怪我人はこちらじゃ」ウィッチドクターなのだ。
「ヒヒーッこの者かえ!」老女は痙攣じみて叫び、マスラダに駆け寄った。「ナァンニンジャ! ニンジャナァン!」「だ、大丈夫です! 応急処置はわたしが行いましたから……」「スピリットの助けで治癒が倍加される! わかっておるか! ナァンニンジャ! ニンジャナァン!」祈祷!「わかりました……」
老女はドゲザ状態、合掌した手を頭の上でこすり合わせた。「ナァンニンジャ! ニンジャナァン!」「ありがとうございます……」「バンクーバー! ヒヒーッ!」彼女は急に顔をコトブキに向け、笑った。コトブキは鼻白んだ。「わたし、何かおかしな事を言ったでしょうか」
「ここから南! バンクーバーまで! そんな大それた事が出来るとは思わんね、かわいらしいウキヨのお嬢ちゃん」老いた女は垂れ下がった瞼の下で瞳を不穏に輝かせた。「タイクーンの支配地を、黙って通過できるとはお考えなさるな!」「タイクーン……」
「タイクーンはこの地のカエデを好んだ。故郷のモミジに似ているとね。そして作り替えた。木を、草を、獣をね! 大いなる呪いじゃァ。タイクーンは十年のうちに、すっかりこの地を歪めちまったよ。ご覧、黒漆瓦屋根の家々を。血の川も直に見える。五重塔には気をつけなされ。ニンジャの見張りがおる」
「五重塔?」「気をつけなされや! ウキヨ!」老女はコトブキの手を握りしめた。「暗黒メガコーポの連合軍はタイクーンのニンジャ軍と激しくイクサしておる。ヒ、ヒヒ! 文明の連中はこの地の蜜に目がくらんどる。じゃが、どだい無理よ!」喉を鳴らして笑う!
「すぐにわかる! 燃える龍の名はオオカゲ! タイクーン御自ら鞍にまたがりィー……!」「婆さん、よせ」村人が制する。「婆さんはおかしなものを見過ぎたんだ」しかし聞き入れない。「付き従うはアケチ・シテンノ! その無慈悲なるカラテ! 邪悪也! 邪悪也! ま、マ……マッポーカリプス! ナァァウ!」
◆◆◆
「マッポーカリプス……」コトブキは呟いた。フィルギアは瞬きした。そして頷いた。「そう、言うならば、マッポーカリプスだ」「……」コトブキは我に返った。「村の方が、タイクーンの話をしていました」「うん?」「タイクーンとは何者ですか? 征服者なのでしょうか」
「ああ、そうだ。タイクーンはニンジャだ。昔に大暴れしたニンジャだよ……そして……イヒヒ……帰って来たのさ、ちょうど月が砕けた頃にね。それを知った時、そりゃ俺はたまげたもんさ……明らかに、アイツはこの世に戻って来ちゃいけないニンジャの一人だからさ」「……? どういう事ですか?」
「まあ、色々あるのさ。人に歴史あり、奴にも歴史ありってね……」フィルギアははぐらかした。椅子にもたれる。「あんまり詳しく話すと、俺が頭のおかしい奴だとキミに思われる。……それで、キミ達はこの後、どうするつもりなの」「バンクーバーのウキハシで……ネオサイタマに帰りたくて」
「うん、厳しいな、それ」フィルギアは言った。懐から携帯端末を取り出し、画面に何らかのスクリーンショットを表示させた。「これ、インターネットがある地域で取得したニュース。そんなに古い画像じゃない」……バンクーバーは、火の海であった。
◆◆◆
「「イヤーッ!」」カイトを背負った白いゲニントルーパー編隊が複雑な軌道を描き、企業連合軍の戦闘機とすれ違った。KA-BOOOOM! スリケン投擲を受けた戦闘機が火を噴き、斜めに落ちて行った。カイト編隊は赤く燃える空を大きく旋回、高射砲の戦列に襲いかかる!「「イヤーッ!」」
KA-BOOOM! 高射砲が爆発! ニンジャ編隊のマキビシ攻撃だ! だが、ナムサン! 編隊の横腹をめがけ、白い尾を引く対空ミサイルの群れが襲いかかる! BOOOM! BOOOM! BOOOOM!「「アバーッ!」」激しい爆炎がカイト編隊を焼き尽くす! ナムアミダブツ!
キイイイイン! ミサイル攻撃を成功させた二機の戦闘機はランデブーし、次なる敵を求めて、破壊された基地上空を通過……「ハンニャアアアアアア!」超自然の咆哮が空気を震わせた。戦闘機を追い来る異様な存在があった。それは黒い大蛇じみた物体である。大蛇。否、より正確に言うなら、龍であった。
そして龍には乗り手がいた。髑髏を意匠化した恐るべきメンポと、江戸戦争めいた武者兜。ニンジャ甲冑は金の縁取りを施した黒であり、腕は四本。手には槍とカタナを持つ。彼の目は赤く燃え、背中には黒旗を背負っている。「ハンニャアアアアアア!」龍が吼えた。
「然りだ、オオカゲ!」乗り手は厳しく同意し、槍で戦闘機のキャノピーを指し示した。操縦者が恐慌に陥るのが見える。「非ニンジャのクズごときが、鉄玩具で我が物顔に空を飛びおる! 惰弱、惰弱の極み!」「ハンニャアアアアア!」「焼き尽くせ! オオカゲ!」「ハンニャアアアア!」
キイイイイン! 戦闘機は左右にわかれた。どちらかだけでも生き残ろうという魂胆か。だが次の瞬間、まず右の一機が犠牲となった!「キャシャーッ!」黒い龍が首を曲げ、黒紫の炎を噴きつけたのである! KRA-TOOOOM! 炎に呑まれ、溶解した黒屑と化して墜ちてゆく! ナムアミダブツ! そして左の一機は?
運命を先に述べよう。左の一機も助からなかった。だがそれを仕留めたのは龍の炎ではなかった。「エイッ!」乗り手はヤリ持つ手に瞬間的にカラテを凝縮し、投じたのである。ヤリは戦闘機を貫通し、一撃のもとに破壊した! KRA-TOOOOOM! ナムアミダブツ!
「ハンニャアアアアア!」龍の咆哮が空をつんざく! 乗り手は四本の腕の一つで手綱を巧みに操り、龍を旋回させる。戦闘機を貫通破壊したヤリは空中でクルクルと回転しながら静止している。飛びながらそれを掴み取り、頭上で振り回した。「キャシャーッ!」地上へ黒紫炎攻撃! KA-BOOOOM!
KBAM! KBAM! KA-BOOOOM! 暗黒メガコーポの戦車列が黒紫炎に呑まれ、次々に爆発した。黒金甲冑のニンジャは龍の咆哮と共にアイサツした!「者ども音に聞け! 目にも見よ! 我がカラテ子々孫々代々語り継ぐべし! 我はネザーキョウのタイクーン! アケチ・ニンジャ也!」天上天下唯我独尊!
◆◆◆
「火の海……そんな」コトブキは手で口を押えた。「戦争なのですか?」「タイクーンがメチャクチャおっ始めたのは、ここ最近になってから。ネザーキョウの支配を固めきって、いよいよ領土を広げるぞッて事なのかも。タイミングが悪かったよ、キミ達は」フィルギアは言った。そして付け加えた。「……いや、偶然じゃないのかもしれないけどね」
「……そういった警告を伝えに来たのですか?」「繋がってるのさ、問題は」フィルギアは天井をちらと見た。「ニンジャスレイヤー=サンの調子は、どうだい。面会謝絶って言ったね」「……」「本当は直接話したいけど、まあいいや。ニンジャスレイヤー=サンは今ボロボロで……まずい事になるかも」
「まずい事? 何ですか」「キミ、 ”ニンジャスレイヤー” をどこまで知ってる……」フィルギアは彼女にどこまで話すべきか検討するように、一度言葉を止めた。コトブキは決断的に答えた。「聞いたままを彼に、わたしから伝えようと思います」「……そうか。ま、いいだろ」フィルギアは謎めいた目をした。「ニンジャスレイヤーには力の源がある。ニンジャスレイヤーにしか制御できない、膨大な力だ」
フィルギアの口元から、笑いが消えている。「ニンジャスレイヤーは大昔から何度も現れた。で、その膨大な力はしばしば溢れて、ひどい事態を引き起こして来たんだ。俺はそういう事態を思うと、心底たまらないんだよ」彼の声には悲哀があった。彼は冷めたチャを飲み、一息ついた。
「彼がそんな事をすると言うのですか」コトブキはフィルギアを睨んだ。「さあね。だけど問題はそこじゃない。今回はね」フィルギアは言った。「フリークアウトしない奴もいる。いた。十年前のニンジャスレイヤーも、よく抑えてた。で、二階の彼は……そうね。シトカは平気だった」「では、何ですか」
「アイツが力を制御できなくなったらさ……つまり……」フィルギアは手ぶりを交える。「二階の彼は、ボロボロだろ。そうするとさ……」フィルギアは手を高く掲げた。「こっちに用意されてる膨大なエネルギーはどうなるかッて話なんだ。しっかり繋がってないと、まずいんだよ……」
コトブキの相槌を待たず、フィルギアは天井を見ながら言った。「"これ" の名はギンカク。その末端が、地球に幾つかある。一つはネオサイタマ。もう一つはドイツ。で、悪い事に、もう一つ発見されてるんだけどさ」「悪い事に?」「ああ。ネザーキョウに、ひとつ」
「この国に……?」「そう。タイクーンの御膝元」フィルギアはコトブキに視線を戻した。彼はコトブキをじっと見た。「ギンカクの事は、俺もそこまで詳しくは知らないけど……今まで把握されてた二つは、ずっと静かだった。ニンジャスレイヤーが存在していなかったこの十年の間も、ずっと静かだった。そう簡単にいじれる代物じゃないッてこと。だけど、今回は嫌な予感がしてならないんだ。妙な事をしそうな奴が居るんだよね」
コトブキは瞬きした。じっと考える。フィルギアは呟く。「だから、心配なんだ」
4
空が光り、雨が降り始めた。「通り雨さ……」「どうするべきだと考えているのですか?」「べき、というか……そうだなァ。俺個人の考えとしちゃ、ギンカクはそっとさせておきたいよね。さっきも言ったようにさ。……ニンジャスレイヤーの力を以て、ギンカクを制す、それが一番だとは思う」
「ギンカクはこの国のどこに?」「悪い。まだはっきりとは」フィルギアは苦笑した。「出土の知らせと来訪者の噂。今はそれだけ。俺としてももっと調べてから来たかったが、あまり自由に動けなくてさ。五重塔にはニンジャが居て、睨みを利かせてるし。君らが協力してくれるなら、もう少し深く調べるよ」
「……」コトブキはカップに口をつけたが、すでに空だった。フィルギアは首を振った。「無理にキミらを動かす事は、俺にはできない。柄じゃないし。俺、ホントはフラフラ遊んでいたいだけのニンジャなんだ。ああ、俺の事は余計だな。キミらはここに居てもいいし……俺は別の手段を探す。それだけ」「マスラダ=サンと話をします」少し考えてから、コトブキは言った。
「ああ。それがいい。……ちゃんと話をしなよ。悪い事は言わない。面会謝絶もいいが……話をするのは、大事だぜ」コトブキは肩を落とした。「貴方が邪悪な存在でない事は、わかったように思います」「はは、即断は止めときな」
フィルギアは席を立った。「お茶をありがとう……ア、そうだ」思い出したように尋ねる。「で、ニンジャはどうするんだ?」「え……」「ごめんね。村の連中の話、小耳に挟んじゃってさ。揉め事、あるんだろ? タイクーンのニンジャが殺られて、どうのって。別の奴が来るんだろ? で、キミも関わってる」
「……」コトブキは決断的表情で、フィルギアを見た。「戦います」「キミが?」「はい」「正気かい?」フィルギアは驚いて見せた。「マジに面会謝絶なのか? 本当に?」「苦しい戦いの中で、マスラダ=サンはひどく傷つきました。敵は、わたしが倒します。今日、村の皆さんと作戦会議を行う予定です」
「そうは言ってもなァ。キミは当然ニンジャじゃないしさ……」「知恵と、決意と、力です」コトブキは断固として言った。「イヒヒヒ……いや、すまねえ」むっとしたコトブキに、彼は詫びた。「悪意はないんだ……大それた事を考えるもんだと思って、びっくりしちまってさ」
「頑張ります」「アイツの回復を待ったら?」「……」「あのさ」フィルギアは真顔になり、コトブキをじっと見た。「アイツを戦わせたくないッて気持ちはわかったが……それは……アイツの意志なのかな」コトブキの決断的表情は緊迫し、唸り声を上げそうだった。フィルギアは肩を叩き、出てゆく。
◆◆◆
フィルギアは濡れた地面を踏み、木造りの家を振り返った。二階窓に明かりは見えない。ほんの数呼吸。やがて彼は再び歩き出した。コヨーテは木々のあわいに消えた。
二階、マスラダは去ってゆくフィルギアを目で追っていたが、やがて窓辺を離れた。そして部屋の隅に向かう。等身大の物体を覆う布に手をかけ、引き剥がす。木人だ。彼はいまだ光沢の残るその表面に手を触れる。
「スウーッ……」深く吸い、「フウーッ……」そして吐く。指先に、チリチリと赤黒の熾り。すぐに消える。彼は不満げにそれを見る。突き出した木人の腕部に手を当て、何度か動かす。少し考え、頷き、木人を離れる。彼はベッドの上でアグラをかき、呼吸を繰り返す。「スウーッ……フウーッ……」
◆◆◆
タイクーンがインターネットを禁止し、ゲニントルーパーやスモトリトルーパーに巨大木槌によるUNIX破壊を行わせて以来、村のデータセンターはがらんどうとなり、催し事や決め事の際に使われる場所となっていた。今そこに、責任ある者たちが男女問わず集まっていた。
当然、思慮深いジェイソン翁も居た。乳飲み子を抱えた母親の姿もある。カラテビーストに片目を抉られた狩人や、若い衆、乙女、曖昧な老人も居る。誰もが、何か言葉を口にしようとしては、躊躇い、俯き、あるいは、わけもわからず頷き合って、時が過ぎるのを待っていた。
「遅くなりました」そこへ一人。声にならない感嘆の呻きが誰ともなく聞こえた。入って来たコトブキは妖精郷の住人じみた白い正装であった。「ドーモ。コトブキといいます。沢山の助けを頂いて、感謝しています」彼女は礼儀正しくオジギした。「連れの方は、状態はどうだね」「治しています」
「そうか……」暗い目を見交わす者もいた。マスラダのカラテを目の当たりにした者は、その武力を当然期待していたのだ。「心配いりません」その者らの雰囲気を察し、コトブキがきっぱり言った。「わたしの力で事足ります。皆さんの協力は必要ですが、危険は最小限です」「しかしねえ」「アンタに頼り切るわけにも」
「もう沢山だ」態度を決めかねる村人達を見て、ジェイソンは目を血走らせた。「……正直、そう思っていたところだ。……皆はどうだ」彼らの視線が集まった。「そうではないか?」「……」他の者らは互いの顔を見たが……反対意見も、出なかった。誰かが呟いた。「そりゃそうだよ」と。「限界だ」
「ジーンを忘れてはおらんな、お前ら」「ああ……」「勿論だ」「ジーンは笑顔のかわいい娘だったよ」子を抱えた女がコトブキを見て言った。「アンタは可憐だね。思い出してしまうねえ」「そうだ」「ジーン=サンは、今は?」コトブキは尋ねた。ジェイソンは首を振った。「おらん。親も、命を絶った」
婚礼の日の午後に現れたのが、ヘヴィフィードと、その兄だ。前日に付近を夜通し警備して回り、その帰りに村に寄った。兄弟はジーンを見初め、花婿をテウチにすると、ジーンを召し抱えた。翌日、遺体が川を流れて来た。誰も反抗できなかった。怒りは諦めに塗られ、だが、澱のように沈んだままだ。
「ヘヴィフィードの兄は、ヴォルケイノーという」ジェイソンはその名を口にするとき、声をひそめる。ニンジャの耳は千里に渡るという伝承が遺伝子に刻まれているからだ。「奴には誰も逆らえない。ヘヴィフィードは斧のタツジンだった。ヴォルケイノーは……ニンポを使うからだ」「ニンポですか」
「ニンジャとは、ただ秀でた支配種族というだけではないのだ」ジェイソンは語った。ブッダへの説法じみていたが、コトブキは黙って聞いた。「ヴォルケイノーは実際、怪物だ。肌は岩そのもの、熱を持ち、怒りと共に赤く燃え上がる。怒れば手が付けられない。村を焼いて、畑にする……」
「お、俺は……俺は焼け出されて、この村に来たんだよ」火傷の跡が痛々しい男が手を挙げた。「恐ろしい……」「そんなニンジャが今、弟が死んじまって、その怒りは……」「アナヤ……!」村人達は恐怖に心くじけ、囁き交す。ジェイソンはつらそうに眉間に皺寄せた。コトブキは意を決し、息を吸った。
「皆さん! 大丈夫です」彼女は明るく言った。「この作戦は、あなた方に及ぶ危険は最小限になっているんです。しっかり考えたんですよ」彼女はホワイトボードに歩き、心を和ませるイラストレーションを添えて、図解していった。まず、来訪するニンジャと、それを迎える彼女自身。
「クソ野郎が来たら、あなた方は、わたしを差し出します。最初は、従順にやりましょう」コトブキは自身の絵のまわりにスシや刺身の絵を描いていった。そして「セッタイ」「これが効く」とスローガンを書いた。「いいですか? ヘヴィフィードが死んだ理由を、まず、説明するのです」
「理由とは……?」「カラテビーストです」コトブキは獰猛なクマを描いた。黒帯を締めている。「実際目撃したとおり、恐ろしい獣にあなた方が襲われ、それを警備したのがヘヴィフィードと手下達でしたよね? 彼らの仕事はあくまであなた方の保護なんです。その点は大事です」
コトブキは自分を示した。「そこに、わたしが現れました! わたしはおかしくなったオイランドロイドで、わけのわからない行動をし、暴れました。この行動によってあなた方が命の危険に見舞われ、ヘヴィフィード=サンは注意が逸れ、カラテビーストの致命傷を受けてしまいます! わたしが罪人です!」
「そんな……ちょっと待て」「コトブキ=サン、あんた」当初コトブキに胡散臭げな視線を向けていた者達も、彼女を心配そうに見た。コトブキは安心させるように、笑顔になった。「そんな顔をしたらバレるので、本番ではダメですよ。わたしを下手人として、ヴォルケイノーに差し出してください」
「無茶では」「アンタは知らんだろうがヴォルケイノーは弟の比ではなく、ワシら誰もが悪行を知っていてだな……」「望みなき自己犠牲の意図はありません!」コトブキは請け合った。「いいですか、わたしはこのようにオシャレをしますし、オイランドロイドとしてセッタイします。サケを呑ませます」
「セッタイ……そして……?」「どんどん呑ませます。ベロベロにします。ニンジャでも酔います、わたし知ってますよ。そうなると、うまくジツもコントロールできない。カラテも弱まってしまうのです。その隙をついてアンブッシュをしかけます。皆さんは猟銃で襲います!」「いや……しかし」「うまくいくのか?」
コトブキは胸を張った。「少なくとも、隙は生じます。わたしに自我がある事を、ヴォルケーノ野郎は知りません。わたしはこう見えてカンフーのタツジンです。デス・タッチの知識もあります。いえ、知識だけですが、最終的には心臓をデリンジャーで撃ちます」「だが」「コトブキ=サン……」
「ジレッタイナ!」コトブキは叱咤した。「だってヴォルケイノーは遅かれ早かれ村に来るんでしょう? そうしたら、この作戦をやる事自体が不可能で、なぶり殺しです。一番の悲劇はそれです! わたしはヤルキに満ちていますし、この段取りは皆さんのリスクが低いです」
コトブキはサムアップした。「途中でバレたらわたしのせいにできますし……」「バカを言っちゃいけない! 見損なったらいかん」ジェイソンが言った。「アンタの事を下手人扱いしてのうのうと逃れはせん。一緒にやるからには、覚悟を決める。そうだろう皆」「お、おう」「そりゃ勿論だ……!」
「参ったなあ」窓の方向から別の声がした。外から窓枠に身を乗り出し、困り顔を見せたのは、フィルギアだった。村人達は驚愕した。「アイエッ!」「誰?」「旅人!?」「知人です!」コトブキが保証した。フィルギアはコトブキに尋ねる。「気になって戻って来たら……その作戦、キミ一人で考えたの?」
「確かに、わたし以外のブレーンの存在を疑うのも無理もないですね」コトブキは自信をもって頷いた。フィルギアは窓枠に突っ伏し、沈思黙考。「ウーン……そうだな……」「……?」「?」村人達は顔を見合わせる。フィルギアは窓を乗り越え、断りなしに入り込んだ。そしてホワイトボードを見た。
「いや……でもまあ……そうね、一見アレだが……」彼は爪先で床をタップし、指を噛み、ニューロンを高速回転させているようだった。「このヴォルケイノーはどんなニンジャ?」ジェイソンはやや怪訝としながら、フィルギアにその力の特徴を伝えた。フィルギアは頷く。「マグマ・ニンジャ・クランね」
彼はホワイトボードの和やかなコトブキの絵を見て微笑した。「酒の甕か。実際、悪くはないな……悪くは。マグマ・ニンジャ・クランの奴には案外これは……」コトブキはフィルギアの思考を邪魔せぬよう、奥ゆかしく黙っている。「このサケは何?」「種類は詰めていません」「メイプル・サケかな?」
「へえ、そうです」村人が答えた。「供するならば、メイプル・サケです。兄弟はメイプル・サケに目が無くて……」「ただ酔わせるだけだと、五分ってところだが」「わたしのセッタイでカンペキですよ」「食い合わせの助けを借りようか。この異常な生態系なら、マサシタケが生えてるかも知れない」
「それは茸ですか」「そう、茸」フィルギアはホワイトボードの余白に、まるでデッサンしたような写実の図画を描いた。「これ、探して。川の水が直接洗っていく地面に時々生える。見た目はマツタケに似てる。マツタケだと偽って食わせるんだ。焼いて、サシミにしてもいいし、ソバに混ぜてもいい」
「とても詳しいのですね」「ああ。色々試したもんだよ。長い人生、倦んでしまうから。とにかくいいか、メイプル・サケとマサシタケの相性は最悪なんだ。めちゃくちゃバッドトリップする。特にマグマの奴らは炎を纏うにもセイシンテキが必要で……」村人達がフィルギアをじっと見ている。
「アンタ、何者だね」ジェイソンが尋ねた。フィルギアは熱弁を自ら顧みるかのようにクールダウンし、コトブキの後ろに下がった。「……俺は博物学者だ。博物学者、って呼んでくれればいいよ。まあ、キミらにまた会う事も多分ないと思うけど……ちょっと寄っただけなんだ。この後も忙しい」
「どこかへ?」コトブキが訊き返す。フィルギアは頷く。「調子狂っちまった……悪いけど、俺、カラテはカラキシだし、そもそも、作戦を手伝う義理もないしね」「あの、ありがとうございました」「イヒヒ……いいか、だけどそもそも俺がさっき言った事、ちゃんと考えたほうがいいぜ。コトブキ=サン」
フィルギアは咳払いをひとつ、窓を乗り越えると、既にその姿はない。その場の者達はやがて我に返った。「……ならば、キノコは任せなさい」ジェイソンが言った。「アタシらでしっかり探すよ」乳飲み子を抱えた女が請け合った。コトブキは人々を見た。みな、コトブキの目を見て頷いた。
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「ハンニャアアアアア!」天を裂く咆哮を放ち、邪悪な龍はホンマルの展望階に帰還した。「イヤーッ!」龍の背から赤い手すりを越えて回転着地したニンジャを、第四寵姫のミズマルが待っていた。「おかえりなさいませ、偉大なるタイクーン」「タダイマ!」ドゲザする姫に一瞥もくれず、王は城内へ。
ミズマルはタイクーンの11人の寵姫の中でも特に気に入りの一人である。それであっても、彼は微笑み一つ与える事はない。彼の黒金甲冑には凄まじいニンジャアトモスフィアがまとわりつき、四本の腕は恐るべきカラテを漂わせている。彼はかつては二本腕であった。もう二本はオダ・ニンジャの腕だ。
タイクーン。その真の名を、アケチ・ニンジャ。彼は平安時代を終わらせた「江戸戦争」において、主君オダ・ニンジャをムーホンによって葬り、肉体を奪い、融合を果たした。オダのソウルはキンカク・テンプルに逃れ、彼の野望は未遂に終わったが、覇王と呼ばれるにふさわしいカラテが備わったのだ。
朱塗りの階段を降りると、巨大ブッダデーモン像の間である。そこには沙汰を待たせたサラリマンが震えながら正座していた。口には木の猿轡が噛まされ、傍らにはアケチ・シテンノの一人が立つ。クロームのキツネ・メンポを装着し、何らかの魔的な鎖をまとったニンジャだ。彼の名はインヴェイン。
アケチ・ニンジャのネザーキョウには様々な戦士が集まる。……集められてくる。食い詰めた傭兵、チンピラ、IRC経由で桃源郷の噂を信じてやってきた無軌道な若者、放浪の強力なニンジャ。彼らはアケチの印「コクダカ」を与えられ、邪悪なるカラテの尖兵となる。その中でもシテンノは最強の一角だ。
インヴェインはタイクーンよりも旧いニンジャである。だが、ネザーオヒガンの苦悶に満ちた雌伏の時を経て現世に帰還したタイクーンは、神話的な剣のタツジンである彼をねじ伏せ、コクダカで縛りつけ、腹心の一人とした。主君を見るインヴェインの眼差しは虚無的である。
「そうか、その愚か者の処断がまだであったな」タイクーンは祭壇の髑髏の杯を掴み、第七寵姫レネが注いだサケを呑み干す。オダ・ニンジャの髑髏である。そして彼は血走った目でサラリマンを見る。サラリマンは小刻みに震え続けている。もちろん、恐怖ゆえにだ。
「今一度御慈悲とご理解を……!」サラリマンは上ずった声をあげた。カタナ社の社章がむなしい。「へ……弊社のイノベーションはネザーキョウに革新をもたらす事は間違いなく……効率が200%に増えます!」「200%?……二倍だと?」タイクーンが眉間に皺寄せる。
「ハ、ハイ、左様にございます」「くだらねえ!」フスマを開いてエントリーした大柄な女のニンジャが、虫でも見るような冷酷な目でサラリマンを睨んだ。「ネクタイを締めてる奴にカラテの何がわかるンだ? ア?」アケチ・シテンノの一人、ヘヴンリイだ。耳の上に生えた角がアーク放電している。
「カ……カ……カラテではございません! インフラでございまして」「……インフラだと?」タイクーンがぴくりと反応した。「胡散臭えんだよ」ヘヴンリイは拳を固め、ミシミシと鳴らした。「ダマラッシェー!」タイクーンが一喝すると、ヘヴンリイは素直に一歩下がった。「申せ。インフラについて」
「つ、つまりですね……ネザーキョウは素晴らしいモミジ・メイプル経済で潤沢な……その……資源がございまして、クラウドストレージを利用する事で、非常に、その、栽培の効率を上昇させる事ができるのでございます……」「クラウドストレージ? 胡乱な……さてはインターネットだな」
「さ、左様でございます」サラリマンは勢い込んだ。広間に漂う殺気を訝しみながら。「UNIXサーバを各地に増設し、以て……」「惰弱」「アイエッ?」「愚民をインターネットに触れさせる気か。貴様」「エ……その……イノベーションがですね……」「インターネットは麻薬だ。堕落の源なり……」
「しかしですね……」「私に口答えするか、たわけ者」「アイエエエ!」サラリマンは失禁! 彼は若く、意気軒高で、イノベーションを武器にこのネザーキョウへ入り込み、そして捕らえられた。彼は考えが浅かった。かつてこの地にはネットもUNIXもあった。それをタイクーンは敢えて破壊し尽くしたのだ。
「ですが、良い事しかなく、WIN-WINなのです!」「聞き飽きたわ!」一喝!「そういうくだらんものは禁止だ! 民を弱くするばかりだ! 出直すがいい!」「アイエエエエ!」サラリマンはドゲザした。「出直しま、」「ジゴクでな!」タイクーンはタタミに踵を叩きつけた。サラリマンのタタミが回転した。
「アイエッ……」サラリマンは下階に落下した。下もまた広間であったが、東西南北に大窓が開かれている。サラリマンが震えていると、北方向、ぬう、と巨大な影が覗き込んだ。「アイエッ……」おお……ナムサン……それは鱗の表面をブスブスと沸騰させる黒紫の大蛇……否……龍であった。
龍は濁った目でサラリマンを見た。嘲笑のニュアンスをサラリマンは感じ取った。そして気づいた。広間は黒焦げだ。「やれい! オオカゲ!」上からタイクーンの声が聞こえた。龍は吼えた!「ハンニャアアアアアア!」鼓膜が破裂! そして、「シャギャーッ!」黒紫の炎が、噴きつけられた!
サラリマンは炎に呑まれ、悲鳴すら上げられぬままに融解し、広間の染みとなり果てた! ナムアミダブツ! ネザーキョウの地に常識は通用しない! 彼は命と引き換えにそれを知ったのである……!
「愚か者めが! サケがまずくなるわ」タイクーンは再び満たされたサケを飲み干し、髑髏杯をゴミめいて寵姫に叩きつけた。「ムフフ……ご機嫌麗しゅうございますな」ブッダデーモン像の陰から、今一人が進み出た。シテンノの一人、クセツである。
黒い包帯で全身を覆った不気味なニンジャは、長い手で顎を擦りながら、主君に苦言を述べた。「技術革新にも耳を傾けられよ」「当然だ。私を何だと思っておるか」タイクーンが睨んだ。「惰弱者の目を見れば、それが革新かブルシットかなど一目瞭然! 我は真贋を見極む! 奴は詐欺師よ!」「ハーッ!」
クセツはドゲザし、顔をあげた。「……して、こたびの遠征のご首尾は」「うむ。くだらん企業戦士のそっ首並べてまいったわ!」ナムサン! この勝利宣言は真実である。バンクーバーはネザーキョウの手に墜ちたのだ! ナムアミダブツ! 十年の支配の時を経、今やアケチの国は世界に牙を剥こうとしていた!
「私からも、ひとつ」クセツはほくそ笑み、指を立てた。ヘヴンリイはクセツを睨む。嫌っているのだ。「申せ。クセツよ」「例の件でございます」「あの何とかいう山師か。いつまで無駄な獄飯を食らわせておる。首を刎ねよ」「それが、幾つか聞き捨てならぬ物事を口にしまして……」「何だ」
クセツの姿が歪み、次の瞬間にはタイクーンの傍らに立っていた。彼はタイクーンに耳打ちした。「ヌウーッ……」タイクーンは表情を変えた。「まあ、よい。好きにせい」「ハーッ!」
◆◆◆
フェー……。見事な笙リードの音色が木々の向こうから聞こえてくると、村人たちの表情がいよいよ緊張に引き締まった。コトブキは頷いた。彼女はさきの妖精郷の姫じみた白いドレスにくわえ、白い花を髪にさし、唇に紅を引いて、可憐かつ魅惑的であった。
「予告通りですね」「ああ」彼らは今朝、村の塔に撃ち込まれた矢に括られたオリガミメールによって、ヴォルケイノーの到来を知らされていた。全身全霊でセッタイし、連絡を絶ったヘヴィフィードに関して情報を提供せよとの命令だ。セッタイ。然り。コトブキは大急ぎでなされた宴準備を見る。
モミジに囲まれた広場。テーブルは布で覆われ、そこに重箱が置かれている。重箱の中にはスシが満載。そして米俵。さらには酒樽。樽には「ご歓迎な」のショドーが奥ゆかしい。コトブキはそれらと同様に陳列された状態である。耳を澄ますと、ガサガサと茂みで音がする。村人が配置につく音だ。
フェー! フェエエー! 強調するように笙の音! アイサツ役の村人がごくりと唾を呑んだ。ドォン! ドオオン! その時、不可解な音が聞こえた。笙の音も止んだ。その音をはかりかねるうちに、案内役の村人に率いられた一団が、姿を現した。
「エッホ! エッホ!」白い装束のゲニントルーパーが六人。掛け声とともに、ミコシを担いできた。ミコシのシュラインは異様なアトモスフィアを放っている。中に誰かいるのだ。誰かとは、想像するまでもなく、ヴォルケイノーである。「到着でごぜえます!」案内役の村人が振り返り、オジギした。
フェ、フェー! しんがりの笙奏者が最後のフレーズを吹くと、ミコシは地面に降ろされた。「……」シュラインの扉が開き、中から一人のニンジャが現れ、立ち上がった。3メートル近い巨躯。溶岩じみた皮膚は赤熱しており、目は赤く光り、鋼のメンポから呼気が漏れる。終わりだ。誰かが思った。
「ようこそおいでくださいました……」「イヤーッ!」「アバーッ!」ニンジャがアイサツ役の村人の頭を掴み、地面に叩きつけて殺すまで、2秒。さらに一番近くにいたゲニントルーパーの頭を掴み、地面に叩きつけて殺すまで、もう2秒。その場が静まり返った。悲鳴すら上げられぬ。不条理だ。
「ヒッ……」「アイエッ……!?」村人ばかりではない。ゲニントルーパー達も恐怖に身を竦ませた。ニンジャはその場で顔を覆い、慟哭した。「ヘヴィフィード……愛するわが弟よ……」「どうされましたヴォルケイノー=サ……」「イヤーッ!」「アバーッ!」ゲニントルーパーさらに死!
「あ……愛する弟を弔うには……これでは足りぬ……」ニンジャはブツブツと呟いた。「わかるのだ……俺にはわかる。理屈ではない。弟は既にこの世におらぬ。それを感じる……」燃える涙とともに、彼は村人達を睨みつけた。そして、にっこりと目を細め、オジギした。「ドーモ。ヴォルケイノーです」
「ア、ア、アッ……」村人たちは後ずさりしかかるが、シツレイになるので耐えた。そしてオジギで応えた。「アリガトゴザイマス。ドーモ、ヴォルケイノー=サン。歓待いたします……」「矢文は見たな?」「アッハイ! 弟様の事で……」「そうだ……無惨にも殺されたとしか思えんのだ。何か知らないか」
コトブキはオイランドロイドの無表情を維持し、ひそかに歯を食いしばった。キアイだ。これは既にイクサである。コトブキも、村人も、覚悟のうえでコトにあたっている。今死んだ者達は戦死だ。心を乱せば、犠牲が無駄になる。
「カ……カラテクマです」進み出たのはジェイソン翁だった。「カラテビーストが村を襲いました。特別大きいクマです。ワシら、見たことがないほどの獣でした。村人の多くが殺され、このままではネングできる人数もいなくなろうかという時、弟様の勇敢な一団が駆け付けなすったのでございます」「フム……!」ヴォルケイノーの目が光った。
「ワシら、ヘヴィフィード=サンのおかげで、こうしてなんとか……貴方様に情報をお伝えし、旅の疲れを取っていただくご歓待ができたのでございます……!」ジェイソンはコトブキ暴走説をアドリブで取り下げた。ミコシから降りたヴォルケイノーの暴力があまりに危険だった為だ。
「愛する弟よ……ウ、ウッ、ウ」ヴォルケイノーは涙ぐんだ。「……しかし……奴はニンジャだ。俺が見込んだ戦士だ。共に多くの苦難を乗り越え、同じオイランを抱いてきた。そんな弟が、カラテクマに後れを取るだろうか……?」「そ……それなのです」ジェイソンは頷いた。
「極めて大きいカラテクマでした……とてもワシらでは歯が立たず、ゲニンの皆さんも次々に倒されました。ですがヘヴィフィード=サンは素晴らしい斧を振るい、カラテクマを追い詰めました。クマは逃げました! それをヘヴィフィード=サンは、追いなすったんで!」「……そして? そしてどうした」
「あっちです!」若いジョナスが森の奥を指さした。「そ、そして……戻ってこられなかったんで……! 何か、よくない事があったんじゃないかと、ワシら心配で……」「なんという事だ……」ヴォルケイノーの目が怒りに染まってゆく。「クマに殺される筈はない。何かが、あったのだ!」
「そうに違いありません!」「貴様らは何故、愛する弟を探しにゆかない」「……え?」「何故だ」ヴォルケイノーがジョナスに向かって一歩、二歩、踏み出した。「アイ……アイエ……」「アカチャン……ステキネ」不意に、コトブキが声を発した。村人たちは振り向いた。ヴォルケイノーは動きを止めた。
「アカチャン……オッキクネ」コトブキは身をくねらせ、魅惑的な仕草で手招きする。ゲニン達はごくりと唾を呑んだ。「オイランドロイドがいるじゃねえか……たまらねえッスね、ヴォルケイノー=サン」「イヤーッ!」「アバーッ!」ヴォルケイノーの拳! 死!「貴様の為のものではないわ!」
「フゥーム……フゥーム、オイランドロイド」ヴォルケイノーはひくひくと鼻を鳴らした。「よい匂いがするな。そして……なんだ? ン? これは……」「メイプル・サケです」ジェイソンが説明した。「一番新鮮な搾り汁で……特別なものでして。弟様に飲んでいただきたかった……」涙を拭う。
「ほう……一番新鮮な……」特級品はタイクーンに上納される。ヴォルケイノーは興味をひかれた。「そこのオイランドロイドは一体何だ」「へえ、クマ騒動の後に、村に現れた、はぐれドロイドなんです」ジェイソンは言った。「セッタイ・プロトコルを起動すれば、なにか情報が出るやも……」
「お疲れドスエ?」コトブキは首を傾げて微笑んだ。「英気を養って行かれてはアリンス?」「ほう。なかなかこなれたAIを持っておる。上物だぞ、これは」ヴォルケイノーは笑顔になった。「そ……そうなんですか!?」ジェイソンは食いついて見せた。「ワシら、これほどのものは見た事無くて……!」
「ハッハハハ! 知らんのも無理はない。インターネットすら許されぬ貴様ら下賤の者どもには到底わからん世界があるのだ」「ヘヘーッ!」ジェイソンはドゲザした。「どうか色々勉強させてくだせえ!」「どうれ、まずはひとつ!」ヴォルケイノーは敷物にアグラした。「サケを注げ、オイランドロイド!」
ドォン! 再び、奇妙な破裂音が聞こえた。「……?」ヴォルケイノーは怪訝にした。村人達は緊迫した。彼らにもわからぬのだ。「ドーゾドスエ」コトブキはサケを注いだ。ドレスの袖を手繰り、白い腕を垣間見せた。「確かめろ」ゲニントルーパー一人に命じ、彼はサケに集中した。
「ンー……これは確かに……」香りを楽しみ、そして琥珀色の液体を口に含む。「蕩けるような舌ざわりよ……! 成る程……!」「素敵アリンス」コトブキはヴォルケイノーの腕に身体を押しつけた。ドレスがブスブスと焦げはじめたが、限界まで我慢した。「ンンー。いいサケだ……確かにな!」
「これにマツタケのスシが合うのです、なあ?」ジェイソンがジョナスに水を向けた。ジョナスは繰り返し頷いた。「そうです! 俺ら、めったに食べる機会が無いんですが、今日はスシが作れました!」「何……? マツタケだと?」ヴォルケイノーは興味を示した。
ジェイソンは急いで重箱を取り、蓋を開いてみせた。「ど……どうですか。タケノコ、マツタケ、ネギのスシもあります。それからシカの肉です!」「チッ」ヴォルケイノーは舌打ちした。「野菜ばかりではないか。サーモンはないのか?」「サーモン……!」「山猿どもめが。海の幸がない! 食欲が失せる」
「しかし美味しいスシで……」「もうよい、もうよい」ヴォルケイノーは手をぱたぱたと振った。「サケは良いものだ。フン!」グビリグビリと飲む。「弔い酒よなあ。よいサケだ」村人達は慌てた。コトブキは身を乗り出し、ジェイソンの重箱のスシを素早く取った。「ウウウマーイ……」「何ッ?」
コトブキはひったくったスシを咀嚼し、頬を押さえ、恍惚の表情を浮かべた。「味覚判断機能アクティブ。コメの水分バランス、申し分なしドスエ。ネギの青味とシカの野性味が交互に押し寄せるアリンス……!」ドレスをはだける!「ンン……そんなにもか!」ヴォルケイノーはスシを取った!
その場にいる全員の視線が一点に注がれる!ヴォルケイノーはシカ肉のスシを食べた! そしてサケを呑む!「ドーゾドスエ」コトブキは素早くサケを注ぐ! ヴォルケイノーはマツタケ・スシを……否! マサシタケ・スシを、咀嚼した!
「成る程! 確かにこれは……うむ……」「ドーゾドスエ」コトブキはさらにサケを追加した。ヴォルケイノーはサケを呑んだ。マサシタケ・スシをさらに咀嚼!「メイプルの薫りを引き立て、そしてこの絶妙な歯ごたえは……アバーッ!?」
陸地に投げ出されたサーモンめいて、ヴォルケイノーの身体がビクンと跳ねた。コトブキは素早く身を引き、肩を見せていたドレスをきっちりと戻した。既にその手にはデリンジャーが握られている。「何……この……何だ……!?」「ヴォルケイノー=サン!?」「ドシタンス!」ゲニン達!
BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! 周囲の森で影が身をもたげ、ライフルを立て続けに発砲!「グワーッ!」「グワーッ!?」銃撃されるゲニン!「な……わ……アバ……これは……!」地面に手を突き、ヴォルケイノーが震える! 泡を吹く!「ア、アレルギーじゃねえですか!? 大変だ!」ジェイソンが慌ててみせる!
ブスブスと音を立て、ヴォルケイノーの身にまとう熱が燻り、目の光は失せ、溶岩めいた装甲は黒く冷えてゆく! 巨躯が痙攣する!「ア……フクスケだと……? これは一体……」ヴォルケイノーはうわ言を呟く。コトブキは彼のこめかみに銃口を当て、引き金を引いた! BLAMN!
6
「アバーッ!」銃弾がヴォルケイノーのこめかみを抉り、血が跳ねた。コトブキは反射的に顔をそむけた。血は焼けるように熱く、宴の品々に振りかかるとシュウシュウと音を立てた。「アバババーッ!」ヴォルケイノーはのたうち回る!「やったか!?」「どうじゃ!」村人達が色めき立つ!
「皆さん……!」コトブキは藪から出て来た村人達を見た。彼らはライフルに新たな弾を装填し、怒りに満ちた目でヴォルケイノーを見た。歓待役のジョナスが手近のボーを手に取り、ヴォルケイノーの頭を打ち据えた。「イヤーッ!」「グワーッ!」ジェイソンは息を呑んだ。「オイ……!」
「オゴ……オゴッ……!」ヴォルケイノーは前後不覚!「これは……フクスケ……どこだ……」コトブキはデリンジャーを構え直し、撃った。BLAM! BLAM! BLAM!「グワーッ!」村人が一斉にライフル銃を向ける!「撃て!」「やれーッ!」BLAM! BLAM! BLAM!「グワーッ!」
BLAM! BLAM! BLAM! BLAM!「ウワアアーッ!」……BLAM! BLAM!「クソーッ!」「ニンジャめ! フザケルナ!」「タイクーンフザケルナ!」村人達は慟哭しながら銃撃を続けた。撃たれるたびにヴォルケイノーの身体は撥ねた。やがてその反応すらしなくなった。「……死んだ」「やったんじゃ」「おお……」
不完全燃焼の石炭めいて、恐ろしい岩めいた死体は燻っていた。「コトブキ=サン」ジェイソンはコトブキを見た。その緊張しきった表情が、徐々に喜びに変わり始める。だがコトブキは引っかかっていた。他殺されたニンジャは……爆発四散する……筈では!?「待ってください! ジョナス=サン!」
「イヤーッ!」KRAAASH!「イヤーッ!」KRAASH! ジョナスは繰り返し、繰り返し、ボーをヴォルケイノーの頭に叩きつけた! コトブキはやめさせる!「離れたほうがいいです! まだ危険です!」「うるさいッ! どけ!」「ンアーッ!」押し退け、「俺の姉ちゃんは……! イヤーッ!」ボーを振り下ろす!
「……ンッ」ボーが止まった。ジョナスは戻そうとした。戻らぬ。何故ならボーを掴んでいるからだ。ヴォルケイノーが。燃える目で、ジョナスを睨み……上体を起こし……「イヤーッ!」「アバーッ!?」瞬間的な出来事……その場の誰もが時間が止まったように思った。燃え盛るニンジャが立ちあがった。
ボーが燃え爆ぜながら地面に転がり、次に、ジョナスが火達磨になって、崩れ落ちた。ジョナスのかわりに、そこにはヴォルケイノーが立っていた。胸をそらし、怒りに目を見開き、内なる火が……溢れ出した。
「アイエ……」驚きのあまり銃口を降ろした村人の眼前に、ヴォルケイノーが立った。カラテ訓練されていない者にとって、殺意をもったニンジャの速度は瞬間移動に等しい。ズグン、と嫌な音がした。横殴りのチョップが彼の腰を割り、ほとんど反対側に飛び出す寸前まで埋め込まれた。「アバッ」
「AAAARGH……」ヴォルケイノーは燃えながら振り返った。チョップを受けた村人は焼け崩れ、堆積物と化した。ヴォルケイノーの上半身から炎が溢れた。「う……撃て!」「撃てーッ!」BLAM! BLAM! BLAM!「イヤーッ!」銃撃に反応し、ヴォルケイノーはそちらへ跳んだ!「イヤーッ!」「アバーッ!」
前蹴りを受け、樹に叩きつけられながら燃え崩れる! 殺!「イヤーッ!」「アバーッ!」顔面を掴まれ、地面に叩きつけられ、燃え崩れる! 殺! BLAM!「イヤーッ!」「アバーッ!」銃弾をくぐるタックルからの頭突き! 殺!「AAAARGH!」咆哮! ナムアミダブツ! 解き放たれた暴力!
だが……どこか様子がおかしかった。見開かれた目からは溶岩めいた液体が迸り、しゃにむに腕を振り回し、樹木がへし折れる。ゴウ、ゴウ、と音を立て、火が迸り、また絶える。不完全燃焼じみている。「……コイツ……見えてねえぞ……」誰かが呟いた。生き残った村人達は銃を構え直した。そして、コトブキ。
「どこだ……! どこにいる!」燃える涎を垂らし、ヴォルケイノーは唸った。「非ニンジャのクズども……! チョウシニ、ノルナ!」コトブキはひとり、ゆっくりと重心を移し、カンフー・カラテを研ぎ澄ませていた。張りつめた表情には純度100の覚悟があった。村人達はゆっくりと銃の狙いを合わせた。
「ここだ、ニンジャめ!」そこへ突然叫び声をあげたのは、ジェイソンだった。「ジゴクへ行け!」「GRRR!」ヴォルケイノーは音の方向に向き直った。たちまち銃弾の嵐が注がれた! BLAM! BLAM! BLAM! BLAM!「グワーッ!」体制を崩す! そしてコトブキが地を蹴った!「ハイヤーッ!」背後! 掌打で襲いかかる!
平常時のイクサであれば、ヴォルケイノーの発する炎が、非ニンジャの近接カラテなど寄せ付けはしなかっただろう。しかし今の不完全燃焼は十分な守りとなっていなかった。コトブキの掌打が……入った!「グワーッ!」エビめいて反りかえり、苦悶するヴォルケイノー!
怒り狂った振り向き打撃がコトブキを捉え、上半身を吹き飛ばす。誰もがそう幻視した。だが、「こっちだ!」再びジェイソンが叫んだ! ヴォルケイノーの真正面で! そして手にした銃で撃ったのである! BLAMN!「グワーッ!」撃たれながら、ヴォルケイノーはジェイソンにチョップを叩き込んだ!
「グワーッ……!」ジェイソンは叩き伏せられた。ヴォルケイノーは再度、チョップを高く振り上げた。コトブキは決死の覚悟で向かっていく。悲しんではならない。敵を倒す……!「ハイ……ヤ……」つんのめるように、彼女の動きが止まった。
何故なら見よ。木を蹴り、トライアングル・リープする影。
「Wasshoi!」
コトブキの視界に、焼け焦げたような残像を刻み、その影は、チョップを振り下ろすヴォルケイノーのもとへ一瞬で至った。そして凄まじい跳び回し蹴りを食らわせていた。ヴォルケイノーの首が160度捻じ曲がった。遅れて、身体が回転した。「グワーッ!」キリモミ回転! 吹き飛ぶ!
KRAAAASH! ヴォルケイノーは樹木を薙ぎ倒し、仰向けに倒れ込んだ。焼ける影は片膝で着地し、深く呼吸し、ゆっくりと立ち上がった。ジェイソンはもはやほとんど見えぬ目で、彼の傍に立った影を見た。それは、ニンジャであるように思えた。彼の意識は闇に落ちた。
「マスラダ=サン」コトブキは名を呼んだ。薙ぎ倒された樹がミシミシと音を立て、ヴォルケイノーが起き上がろうとしている。だがコトブキはそのエントリー者をまっすぐに見ていた。コトブキの目から涙が流れ落ちた。彼女は、これは涙なのだ、と自覚する事すら忘れた。
影はヴォルケイノーを見据えた。手を合わせると、微かな赤黒の火花が散った。ゆっくりとオジギをし、アイサツした。
「ドーモ。……ニンジャスレイヤーです」
そして今この時、千里眼のジツをお持ちの読者の方は、彼らが借り上げた二階建て家屋に眼を飛ばしていただきたい。さすれば目に出来る筈だ。二階部屋の、壁ごと吹き飛んだ窓を。床に転がる、滅多打ちされた木人を。そして、先程森に響いたあの音との関連に気付かれる筈である。……その通りだ。
彼が被ったフードの表面を、幾たびも赤黒の火の波が走る。そしてその顔にはメンポ(面頬)が装着されている。「忍」「殺」。粗く、荒々しい、恐怖を煽るような字体の漢字に、熱が燻る。握りしめた拳にカラテが漲る。奇妙なアトモスフィアを帯びていたが……それはニンジャスレイヤーであった。
「ヌウウ……」ヴォルケイノーは立ち上がった。村人達がどよめいた。もはや横合いから銃を撃つ事すらできない。二人のニンジャの間に現出した礼儀作法の空間は超自然的ですらある説得力を伴って、彼らの不規則行動を牽制していた。
「ドーモ。ヴォルケイノーです」ヴォルケイノーはアイサツを返した。そしてこの時、ヴォルケイノーは瞬時に悟った。愛する弟ヘヴィフィードを殺したのは、このニンジャスレイヤーという存在であると。凄まじい怒りが彼のニューロンを循環する。マグマよ全身を駆け巡れ。「……!」できぬ。ぼやけた熱と痛みが返ってくる。フクスケはもう見えない。だが、ジツが乱れている。
「ニンジャスレイヤー=サン!」コトブキは叫んだ。「このニンジャは炎を使うんです。でも、今はうまく使えません! サケと幻覚で、弱っています! や……」拳を握りしめる!「……ヤッチマエ!」ニンジャスレイヤーはコトブキを見た。そして地を蹴った!
「イヤーッ!」「グワーッ!」トビゲリは瞬時にヴォルケイノーの顔面に届いた! 怯んだヴォルケイノーのワン・インチ距離に着地したニンジャスレイヤーは、大振りのフックで脇腹を殴りつける!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」殴る! 殴る! 身長差をものともせぬ果敢な連打である!
「ゴボッ……ゴボッ!」溶岩じみた涎をメンポ呼吸孔から吐きながら、ヴォルケイノーは頭上で高く掲げた手を組んだ。それをハンマーめいてニンジャスレイヤーの背中に振り下ろした!「イヤーッ!」「グワーッ!」うつ伏せに叩きつけられるニンジャスレイヤー! ナムサン!
「ズガタキェー……!」ヴォルケイノーは凶悪なるニンジャスラングを吐き、戻りつつある視界に憎き敵を刻み、今度は後頭部を掴んで再度地面に叩きつけてやろうと構えた。だがニンジャスレイヤーは地面に手をつき、すぐに起き上がった!「ヌ……!」ヴォルケイノーは血走った目を見開く!
ドクン! ニンジャスレイヤーの心臓が強く打ち、朦朧とした意識がほんのコンマ1秒、間近な過去をソーマト・リコールめいて閃かせた。
黙々と、手探りじみて木人に拳を打ち付けるマスラダを、窓辺にとまったフクロウが凝視していた。「面会謝絶なんだろ、キミ」喋るフクロウを、マスラダは横目で見た。
「妙な雰囲気を感じたから、ちょっと寄ってみれば、これかい」「……」マスラダは木人を打ち続ける。「彼ら、頑張って作戦会議をしてるよ。勝てるかどうかは……五分五分だな、うん」フクロウはカクカクと首を動かす。「戦うの? その意味はわかるかい、ニンジャスレイヤー=サン」「なにがだ」
「やっと返事してくれた、ヒヒ」「コトブキにした話の続きか」当然、マスラダにはあの会話が聞こえていた。そして、わかっている。そのフクロウ……フィルギアは指摘した。「今のキミにはナラクの力は感じられない。まるで残り火、残り滓みたいなソウルが見える」「……」
マスラダは再び木人を打ち始める。より強く。より深く。己の経て来たイクサを確かめるように。フィルギアはそのさまを凝視する。
「ギンカクだなんだと俺から伝えておいて、こんな事を訊くのもアレだけどさ……大丈夫?」「……」「コトブキ=サンがそうしたいように、まあ、ここで寝てる事も……」KRAAASH! 深いチョップが木人を抉った。「おれの目的は、おれが決める」マスラダは言った。「ずっとそうだ」
「ホホー!」フィルギアは翼をはばたかせた。羽根が室内に散った。「成る程! 確かにね。それが一番だ。……だが、そのいかにもおぼつかないソウルの状態……」「おれはニンジャスレイヤーだ。その名を変える理由も必要もない。どうでもいい」ズシン。ズシン。掌打を繰り出す。「おれの事を先回りして、うざったいぞ」
「オーケイ、オーケイ」フィルギアは頷いた。「まあしかし、あの娘の心配もわかってやりなよ。そんなふうに前だけ見てると、あの娘もさ……。俺はこの短いやりとりで、キミのそういうとこ、結構わかったぜ……ヒヒヒ……」ズシン。ズシン。「で、じゃあ、キミはどうするつもり? これから?」「決まっているさ」マスラダは言った。「後でまた来い」
……(((マスラダ)))……。
ナラクの声が微かにニューロンに響き渡る。マスラダはナラクを見る。ギンカクの鈍い光が、その存在を覆い隠す。
(待っていろ)マスラダは呟く。(おれは借りを返す)
ドクン! 心臓が強く打ち、静止画じみた現世の世界がニンジャスレイヤーの周囲に戻って来た。飛び上がりながらのアッパーカットが、ヴォルケイノーの顎をとらえていた。殴り上げながら、ニンジャスレイヤーは身体を捻った。キリモミに回転しながら、さらに、蹴った!「イヤーッ!」「グワーッ!」
KRAASH!……KRAASH! 身体をくの字に曲げて吹き飛んだヴォルケイノーは背中で樹木を叩き折り、さらに吹き飛んで、二本目の樹木に叩きつけられた!「グワーッ!」「……!」ニンジャスレイヤーは体軸を維持しきれず、地面に円のバーンナウトを刻みながら着地、手をついて己を支えた。トドメオサセ!
「動け」ニンジャスレイヤーは己を強いて、身体を前に動かした。一歩! 二歩! 三歩! 足跡が赤黒く燃える! そして走り出す!「イイイイ……」全速力! ヴォルケイノーをめがける!「イイイイイヤアアアーッ!」地を蹴る! そして跳ぶ! 繰り出す! ドラゴン・トビゲリめいた、凄まじきカラテを!
「アアアア!」ヴォルケイノーが力を振り絞り、全身から炎を噴き出させた! マグマ・ニンジャ・クランの秘伝、マグマ・バーニング・ムテキ! だが、ナムサン! 赤黒の火にひととき覆われたニンジャスレイヤーのトビゲリは、マグマの炎の守りを破り、巨体の喉笛を、脊髄を、過たず貫いたのであった!
KRAAASH! ヴォルケイノーの首が、頭が、砕けた! そして背後のモミジの樹が爆発するように粉々に砕け、横倒しとなった!「サヨナラ!」ヴォルケイノーは爆発四散した!
ニンジャスレイヤーはかろうじて着地に成功し、深く、深く息を吐き、ザンシンした。鮮やかなモミジの葉が渦を巻き、散っていった。
7
眼前の道が開け、粗末な風車小屋があらわれた。人里が近いか。ヘラルドはニンジャ第六感を研ぎ澄ませる。小屋を見やると、家の前の木につり下がった影がある。首を括った死体だった。「フン……」彼が歩きながらチョップを繰り出すと、ロープは風圧によって切断され、死体が転がった。
死体を蹴り転がし、そして小屋の中へエントリーする。「イヤーッ! イヤーッ!」荒っぽいカラテで、机を、調度を破壊する。入る前からわかっていた。ここにニンジャ存在はない。その破壊は腹立ちまぎれのものだった。だがやがて彼は部屋の中央に移動し、しゃがみ込み、床に指を当てた。
「ヌウウウ……」ぼんやりとした輪郭が、彼の周囲に蠢く。半ばトランス状態に入ったかれの口から、呟きが漏れる。「まだ……そう昔の事では……ない……宿を……貸したな。そして……」輪郭が薄れ、意味を為さなくなる。ヘラルドは立ち上がり、椅子を蹴り飛ばした。「……だが、奴だ。間違いない」
足跡は二人分。外へ向かい、そして……!「……!」彼は唸りをあげた。バイク痕が浮かび上がる。あの夜の不覚の記憶が蘇る。ヘラルドはニンジャスレイヤーを見つけ出し、追い詰め、アイサツした……しかしそこへモーターサイクルに乗った女が割って入り、ニンジャスレイヤーを、連れ去ったのだ!
彼はその目を憎しみに燃やし、胸を押さえた。彼の胸には黒い石が埋め込まれている。エメツの塊だ。エメツは彼の心臓と融合し、おぼろであった肉体を現世に繋ぎ止めている。ザイバツのニンジャ達はキョート城へ帰ったが、彼はそれを拒否したのだ。ヌケニン行為である。
胸のエメツは憎しみに応え、脈打つ。もはや彼の心臓そのものだ。彼は仮面めいたメンポに触れる。おお、ニンジャスレイヤーのカラテで砕かれし、顔の傷。己の情けなさの烙印だ。顔を失い、オナーを失い、心臓を失った。すべてニンジャスレイヤーのせいだ。「やつが、いなければ!」
「……ヤツとは、誰だね?」背後から声が投げかけられた。「イヤーッ!」振り向きざまに彼はスリケンを投擲した。スリケンは地面に突き刺さり、コヨーテはその横で口を歪めて笑っていた。「オイオイ! あぶねェな。助言者を殺しちまうところだったぜ、お前……だいぶ切羽詰まっているのかい」
「くだらん」ヘラルドは容赦なきカラテを構える。「正体をあらわせ。その手のヘンゲなど、私は見飽きている。私をそこらのくだらぬサンシタと同じに見ぬ方が身のためだぞ」「誇り高いニンジャかね! なかなか面白い……」コヨーテの姿が歪み、痩せた男が現れた。「ドーモ。フィルギアです」
ヘラルドは顔をしかめ、アイサツを返した。「ドーモ。ヘラルドです。貴様、この国の者ではないな」「ヒヒヒ、仰る通り。俺っていかにもネザーキョウが肌に合わない感じがするだろ……」「何が目的だ。蛇め」「蛇? なぜわかった?」フィルギアはからかうように舌を出した。「蛇の言う事は聞くものだ」
フィルギアは笑顔を深めた。「アンタ、誰かのこと……探してるんだろ。当ててみようか? まあ待て、俺を殺したらきっと後悔する……」「……!」ヘラルドは思考の後にチョップを降ろした。フィルギアは肩をすくめた。「赤黒のニンジャなら、確かにこの辺りを移動しているぜ」
「何故その者を私に対して挙げてみせた。交渉材料に何を企んでいる」ヘラルドの殺気が深まった。「殺すべきだな」「ア? 俺、何か間違った事言ったかい? 参ったな」「イヤーッ!」チョップが切り裂く! フィルギアは斜め後方の枝の上に座っていた。フクロウの羽根がモミジに混じって散った。「よせ」
「次の言葉には気をつけるがいい」ヘラルドは言った。「誰であろうと、私を阻み、謀る者には死を以て報いるぞ」「アー……アンタは誰かを探してここに来た。で、俺は、ネザーキョウに入り込んだ赤黒のニンジャを見ている。そうなりゃ、アンタの目当てがそいつだって事は自明じゃないか」「続けろ」
「赤黒のニンジャの名はニンジャスレイヤー。で、俺は過去に……ニンジャスレイヤーに酷い目に遭わされた事があって……アンタもそのクチじゃないか? って思ってね」ヘラルドはフィルギアを睨んだ。その目を凝視する。瞳孔の収縮から嘘を見破ろうとした。だが、深淵に呑み込まれる心地が返るばかり。
「私に追わせようというのか」「そういう事」フィルギアは枝から飛び降りた。「見ての通り、俺はアンタみたいな雄々しい戦士じゃない。ニンジャスレイヤーは……イヒヒヒ……恐ろしいからね……」「奴はどこにいる」「この先さ」フィルギアはヘラルドに近づいた。「ときにアンタは何故、奴を追う?」
「貴様が知る必要はない」ヘラルドは無慈悲に拒絶した。「だが、貴様の望みは果たされると言っておこう。私に力を貸すのならば」「それは素晴らしい」フィルギアは目を細めた。「ならば追え。奴はウキハシ・ポータルでネオサイタマに帰ろうとしているぞ。南……バンクーバーのポータルが最も近い」
「イヤーッ!」ヘラルドの手が閃いた。残像を伴うほどに速い、怒りによって高められたカラテだった。フィルギアは首を掴まれた。「……!」彼のこめかみを汗の粒が流れ落ちた。しかしその笑みはより謎めいて深まった。「信じるかどうかは、アンタが決めなよ。だが、俺を殺すのは得策じゃないな」
「この感触をおぼえておけ」ヘラルドは開ききった目でフィルギアを凝視する。「お前の命が今、私の手の中にあったのだ。お前が真実を口にしていようが、いまいが、どちらでもいい。どちらにせよ、私はニンジャスレイヤーの元に至る」ヘラルドはフィルギアを吊り上げ、やがて解放した。
「……バンクーバーはこの先の分岐路を右だぜ」フィルギアは指さした。「アンタとは、また会う事になるだろうな」「……」ヘラルドは踵を返し、歩き出し、やがて、走り出した。フィルギアはその背を見送った。
◆◆◆
遥か頭上の牢天井から染み出した水滴が落下し、水溜りに跳ねると、囚人は神経質そうに距離を取った。「ンンッ! おお、おお嫌だ!」彼は横を見た。朽ちた骸骨が錆びた鎖に繋がれている。「嫌だ、嫌だ! こんな人生は極めて不本意だ。そうだろう、ヤモリ君」壁に張り付いたヤモリに話しかける。
ヤモリはススス、と上へ這いあがり、囚人の手の届かないところまで逃げてしまう。「クキキキ……なんとつれない」彼は壁に背中をつけ、溜息をついた。「……」しかしその目はギラリと輝いた。彼のニンジャ聴力は、牢通路の石段を下りてくる足音を捉えていた。
ガシャン……。外扉の湿った開閉音の後、巨躯の影が鉄格子の外に現れた。囚人の笑みが深まった。彼は巨躯のニンジャの後ろに立つ、包帯姿のクセツを見ていた。「おや! アンタが来たという事は! 無罪放免と理解してよかろうな? いや良かった! あと一日も経てば私は不条理に耐え兼ね死んでいた」
「何の罪も赦されはせん」クセツは否定した。囚人は落胆し、笑った。「クィ、キ、キキ……では執行猶予かね? なんと窮屈な話だ。ネザーキョウには民主主義は無いのか?」「無い。くだらんからだ」「おお嫌だ! 私は偉大なるタイクーンの御役に立ちたい一心で献策申し上げたというのに!」
「やれ」クセツは巨躯の牢番ニンジャに顎で示した。牢番は錠を外し、囚人を解放した。「ヤッタ! まずはこのケチな獄をオサラバ! いやシツレイ。さらばヤモリ君! クェーケケケ!」騒ぎながら鉄格子を出た彼は拘束されたままの両手をクセツに示す。「さあ、執行猶予なので、外してくれないか」
「それはまだだ」「ほう?」「今後の貴様のはたらき次第と言ったところだな」「クセツ=サン、それはないィ……」「タイクーンはギンカクなどどうでもよいとお考えだ」「ほう! では貴公は?」「……タイクーンは貴様の処分は私に任せると仰せだ」「おやおや……」囚人は目を細めて笑った。
◆◆◆
風が吹き抜け、モミジが散るなか、動きやすいカンフー・ウェアを着たコトブキとニンジャスレイヤーは向かい合い、アイサツした。顔を上げ、二人は互いに拳を前に出し、それを逸らし、また拳を繰り出す動作を始めた。円を描くように足を運びながら、彼らは互いを木人めいて、打ち合う。
神秘的なカラテ・プロトコルに従い、二者は組み手を継続する。お互いの目を見据え、淡々と打ち合う。その相互の動きはマイめいてもいる。チョップを受け、側面を取り、掌打をゆっくり向け、躱し、身を沈め、飛び越え、打ち合い、離れ、近づく。
ニンジャスレイヤーはゼンを高めてゆく。生き残った村人達が墓前にセンコを備える光景がニューロンにフラッシュバックする。村はずれではコトブキが村人とハグをした。勇敢な老人は重傷を押して二人の見送りに加わった。彼らの今後の暮らしは過酷であろう。しかし彼らは恨み言をもはや言わなかった。
ネザーキョウはブリティッシュコロンビアのみならず、その東、彼らが与り知らぬ範囲まで、広大な支配領域をもつ。だがその実、点在する要塞都市の外は、この村のように、ニンジャの巡回とネングの取り立てによる管理である。北西へ旅し、国境を越えたい。村人の誰かが言った。
徘徊カラテビースト。あるいは別の巡回のニンジャ。五重塔の監視。領土からの脱出を阻む存在はあまりに多く、その提案にその場で頷く者はいなかった。恐らくまた会議が行われ……何らかの言い逃れを考えて、メイプル・ネングを納める安住の暮らしを継続するか、賭けに出るかが、選ばれるだろう。
しかしそれはニンジャスレイヤーとコトブキが見届けるべき事ではなかった。二人はシグルーンに間に合わせのメンテナンスを施し、再び、移動を開始した。フィルギアが指定した「待ち合わせ地点」を目的地に。
「ハイッ! ハイッ! ハイヤーッ!」コトブキの連続打撃をニンジャスレイヤーは右へ、左へ捌いてゆく。踏みしめる足、動かす両手の重みとバランスを確かめながら、彼はカラテを高めてゆく。やがて組み手プロトコルが一巡し、二者の動きは調和的に静止した。
「やっていきましょう」コトブキが言った。
S3第1話【エンター・ザ・ランド・オブ・ニンジャ】終わり
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