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【サツバツ・ナイト・バイ・ナイト】

◇総合目次 ◇エピソード一覧


この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正番は、上記リンクから購入できる第3部の物理書籍/電子書籍に収録されています。「グラマラス・キラーズ」ではこのエピソードが2巻に収録。また、第2部のコミカライズが現在チャンピオンREDで行われています。



【サツバツ・ナイト・バイ・ナイト】


 今宵も、重金属酸性雨がネオサイタマを濡らす。地平の果てまで続く灰色の摩天楼と、猥雑なネオンサインの群。ハイテックの掃き溜め。その中心部で全人類の墳墓の如く威圧的に聳えるのは、カスミガセキ・ジグラット。電子貨幣経済という名の神を崇める神殿めいた、数百階建ての超高層建築物である。 

 カスミガセキ・ジグラットは、暗黒メガコーポ各社のオフィスとネオサイタマ市役所、さらに数々の施設群がキマイラのごとく融合し癒着した、地上の万魔殿の如き場所である。その威容の前では、オオキイ級の宣伝マグロツェッペリン編隊でさえも、オキナワ水没都市の廃墟ビルに群れ集う魚群に等しい。 

 その上層部分に居室を構えられるのは、ネオサイタマ市長かその補佐官、あるいは暗黒メガコーポ各社のトップクラスのみ。彼らはいわば、経済とハイテックという名の神々を崇め、弱者らを生贄に捧げる司祭であり、利己的な破戒僧でもあり……そしてネオサイタマの……いや日本の真の支配者でもある。 

 下界を行き交う市民らは、透明PVC傘越しにカスミガセキ・ジグラットを仰ぎ見る。かつて暗黒時代に、農民たちがゴシック様式大聖堂を見上げたように。だがその壁面にブッダやその使徒達の像は無く、暗黒メガコーポや市役所のLED電光掲示板、垂れ幕、株価推移グラフなどが無機質に並ぶだけだ。 

 だがその内部で何が起こっているのか、マケグミ・サラリマンたちは知らないし、興味も抱かない。彼らはツェッペリンから投射されるオイランドロイド・アイドルデュオの非人間的カワイイビートに乗って、会社と自宅を往復しながら、手元の携帯IRC端末で夜な夜なサイバースペースに逃避するのみ。 

 そして今、ジグラット内のネコソギファンド社オフィスで、恐るべき商談が進められていた。かつてソウカイ・シンジケートが擬装用に設立したネコソギファンド社は、ソウカイヤ壊滅時に倒産しかけたが、政治的救済措置によって破綻を免れ、現在はアマクダリ・セクトの隠れ蓑として機能しているのだ。 

 漆塗の大円卓に向かい、葉巻をふかすハーフの少年。紫色のスーツ上下に、中世貴族を思わせるコケシカット。彼はネコソギ・ファンド社のCEOであり、社員は彼一人だけである。彼の眼は恐ろしいまでに冷酷で、カタナのごとく切れ味鋭い。変声期を迎えていない声だけが、ひどく違和感を感じさせた。 

「オモチ社の株を全て売却しろ」少年は3Dボンボリモニタのデータを分析しながら、音声コマンドを送った。これで数百万単位のサラリマンが路頭に迷い、重役らはセプクするだろう。彼は幼少の頃より帝王学と経済学を叩き込まれた。そして実際、市場操作に関してテンサイ級の才能を備えていたのだ。 

 ネオサイタマ株式市場は24時間眠らない。「オモチ社株売却!」「全売却ヨロコンデー!」電算室ではクローンヤクザたちが命令を復唱し、UNIX操作を行う。彼らは社員ではない。よって給料を支払う必要も無いため、コストが大幅に削減できた。そして何より、フジオのように裏切る危険性もない。 

 だが、ラオモト家に災厄をもたらした許し難い裏切者、フジオ・カタクラことダークニンジャは滅びた。長らくソウカイヤやアマクダリと対立関係にあった、あの目障りな西のニンジャ組織、ザイバツと共に。「ムハハハハ!愚かな奴だったな!ぼくにとって残る敵は、ニンジャスレイヤー。そして……」 

 ……その言葉を遮るように、ライオンに「支配力」と書かれた黒いフスマが開く。姿を現したのは、乳白色のスーツに身を包んだ容姿端麗な男……執事のアガメムノンである。壁際に控えていたチバの護衛役、愚直なるネヴァーモアと四人のクローンヤクザも、この男に対し一斉に剣呑な目を向けた。 

「ご機嫌麗しう、ラオモト=サン」アガメムノンは大統領めいた完全無欠のスマイルを送る「ヨロシサン製薬によるプレゼンの準備が整いましたが……ご覧になりますか?」「無論だ」チバは平静を装いつつ、席を立つ。(((どうせ、ぼくが頷こうと頷くまいと、お前は商談をまとめるんだろう?))) 

 アガメムノンに先導されながら、チバとネヴァーモアは金箔張りの廊下を歩く。黄金の空を飛ぶ鶴のウキヨエが全面に描かれた、見事な廊下である。マッポーの世においては、経済力こそが真の力だ。チバはそう教えられていた。江戸時代のダイミョにとっては、コメ畑と兵の数が力の象徴だったように。 

 だが、世を支配するのは経済力だけではない。政治力もまた重要な要素だ。弱冠12歳のチバには、まだそれが理解できない。マネーゲームとはまた違う類の戦争だからだ。ゆえに彼は、知事の秘書として高い政治力を振るうアガメムノンが自分を傀儡君主のごとく祭り上げる事に、二重の怒りを覚える。 

「ドーモ、ラオモト=サン。新しいクローンヤクザができました」ヨロシサンの営業が恭しくアイサツする。ハンカチで額を拭きながら顔を上げた彼は、少年の暴君的な眼に対し恐怖を覚えた。ラオモト・カンであれば、飴と鞭、様々な顔を使い分けたであろう。チバは俗物的な狡猾さに欠けているのだ。 

「……どうした?早くプレゼンを続けろ。タイムイズマネーだ」プレジデントチェアに腰掛けたチバは、さらに不機嫌そうな目つきで営業を睨む。「ハイ!大変お世話になっております!こ、今回ご紹介いたしますのは、Y-14型Aの戦闘特化版、通称アサルトヤクザです。こちらをご覧ください!」 

 一同は、防弾ガラス越しに階下のトレーニンググラウンドを見下ろす。おお、ナムサン!このような施設が政治中枢内に隠されていようとは!そこには、防弾防刃スーツの上からヤクザスーツを着込んだマッシヴな新型クローンヤクザが10人並び、一糸乱れぬ前ならえや休め動作を繰り返していた! 

「Y-14型アサルトヤクザは無敵です!ライオンだろうが、デッカーだろうが、某社のモーターヤブだろうが敵ではありません!」顔を真っ赤にして熱狂的にまくしたてる営業。「ライオンを放せ」チバは机の上にあるブザースイッチを押して命じる。フスマが開き、巨大なバイオライオンが出現した! 

 ARRRRRGH!バイオライオンは闘志を剥き出しにして襲い掛かってくる!ナムアミダブツ!クローンヤクザたちは素早く隊列を組み、クローンならではの統一感で胸元からチャカを抜くと、おそるべきヤクザスラングを吐きながら一斉にトリガを引いた!「「「ザッケンナコラー!」」」 

 だが流石はバイオライオンである!2桁の弾丸では倒せる気がしない!凶悪な顎を限界まで開き、クローンヤクザ軍団に飛びかかる!3人がパウンスで押し倒された!「「「ダッテメッコラー!」」」淀みないヤクザスラングを放ちながら、クローンヤクザたちはドスダガーを抜き放つ!壮絶な肉弾戦だ! 

 淡々と振り下ろされるドスダガー!全身を切り裂かれ、唸り声をあげるライオン!Y-13型は、ここまでのタフネスを発揮できなかった!「従来のクローンヤクザの教育プログラムを、カラテに一本化しました!汎用性を捨てたことで生まれた、この新たな力です!」営業は力強い握りこぶしを作った。 

 1分後、そこにはネギトロめいた猛獣の死体だけが残されていた。「「「スッゾコラー!」」」生き残った9人のクローンヤクザは敵に痰を吐きかける。コワイ!「ムハハハハ!やるではないか!」満悦のチバ。営業も会心の笑みを作った。だが、チバの口元が再び残忍に歪む……「バイセクターを放せ」 

「アイエッ?」ヨロシサンが冷汗を流す。トレーニンググラウンドにブザーが鳴り響き、「武道館」と書かれたフスマが開いた!「イヤーッ!」連続側転を打ちながらエントリーしてきたのは、巨大なギロチン・チャブを背負ったニンジャだ!「「「ザッケンナコラー!」」」ヤクザ軍団はチャカを発砲! 

 BLAMBLAMBLAM!だが発射された弾は、特殊合金製のギロチン・チャブに弾き返された!手に汗握り、ハンカチで額を押さえながら見守るヨロシサン営業!「イヤーッ!」全身の半分をサイバネ化したそのニンジャは、円盤投げめいた大きな動作から、巨大な円形の刃物を勢いよく投擲する! 

 ここで、火力を最大化するためにボーリングのピンめいた突撃隊列を取っていたことが、クローンヤクザたちにとって裏目に出てしまった!巨大バズソーめいた刃物が迫る!ストライクか!?だが……何事も無くクローンヤクザたちの場所を通過した?ブッダ、これは何だ?幻か何かを見ているのか?! 

「「「ザッケン……アババーッ!?」」」1秒後、ヤクザ全員が腰部分で胴体を切断され、上半身を転落させる!即死!切れ味が鋭すぎたのだ!ギロチンは回転音を上げながらブーメランめいて戻る。「インガオホー!」バイセクターは流れるような動作で再びそれを背負い、電子音声の雄叫びを上げた! 

「ムッハハハハハ!ムッハハハハハ!」哄笑するチバ!ヨロシサンの営業はショックのあまり、陸に打ち上げられたマグロめいて床に倒れ、口をパクパクさせていた。そして近くに居たアガメムノンに弁解する。「た、大変申し訳ありません!重火器さえあれば!重火器さえあれば本領を発揮します!」 

 このままではY-14Aの導入に失敗してしまう!営業は複数のニンジャを前にした恐怖とプレッシャーのあまり失禁しながらも、必死の形相でセールストークを続けた。「ラオモト=サン、いかが致します?」とアガメムノン。「まあよい、ヤクザは所詮ヤクザ、駒はこの程度の強さで十分だ」とチバ。 

「そ、それでは!」営業は立ち上がると、チバの前に向き直って正座した「商談成立ですか!」「ムハハハハ、よかろう!」チバは笑い、直後に少年とは思えぬ邪悪な表情を作った「…だが貴様はぼくへの礼儀を欠いた。お前が話すべき相手は、ネコソギファンドCEOのこのぼくだ!」「アイエッ!」 

「イヤーッ!」ラオモト・チバの右フックが正座した営業の顔面を捉える!「グワーッ!」左フック!「イヤーッ!」「グワーッ!」右!「イヤーッ!」「グワーッ!」左!「イヤーッ!」「グワーッ!」右!「イヤーッ!」「グワーッ!」左!「イヤーッ!」「グワーッ!」営業の鼻血が噴き出す! 

「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!ヌンチャクだ!」チバが後ろに手を差し出すと、ネヴァーモアが黒いヌンチャクを渡す。「イヤーッ!」ヌンチャクが正座した営業の顔面を捉える!「グワーッ!」右「イヤーッ!」「グワーッ!」左!「イヤーッ!」「グワーッ!」右!「イヤーッ!」「グワーッ!」 

 チバはカラテのタツジンではない。だが、その鬼気迫る暴虐ぶりは、部屋の隅に控えていた他の二人のヨロシサン製薬営業を失禁させるのに十分な光景であった。次いでチバはアガメムノンの顔を横目で見た。全ては予想済みだと言いたげな、アルカイックな笑みがあった。それが彼をさらに苛立たせた。 

「ハァーッ!ハァーッ!ボタンだ!」激しく息を切らしたチバが後ろに手を差し出すと、ネヴァーモアが赤いボタンを差し出す。「貴様はぼくのオフィスを汚した、ゆえに、生かしては、おかん!」容赦なく押下!すると営業の足元が開き、殺人マグロのプールへと落下した!「アイエーエエエエエエ!」 

 それでもチバの怒りは収まらない。マイクを握って命令を鳴り響かせた!「バイセクターよ!ディスエイブラーと組み、アサルトヤクザ軍団を連れて出撃しろ!ニチョーム・ストリートの邪魔者どもを制裁するのだ!」「……お言葉ですが」アガメムノンが口を挟む。 

「何だアガメムノン=サン!ニチョームへの攻撃は、お前も賛成していただろう?!」チバがやや感情的に食って掛かる。だがアガメムノンの足元に雷光が走ると、チバは息を呑んで言葉を収めた。「……ぼくの命令を……反故にする……気なのか?」「いえ、賛成です。ですが、奥の手も必要でしょう」 

 果たして、いかなる脅威が罪無きニチョーム・ストリートに迫っているのであろうか?アマクダリ・セクトの恐るべき陰謀を覆い隠すかのように、カスミガセキ・ジグラットの周囲にはひときわ陰鬱な重金属酸性雨が降り注ぎ、天上にはギロチン・チャブめいた満月が不吉に顔を覗かせていた……。 


 清楚な女学生服に身を包んだ着た少女が、ひとり、昼間の教室に所在無く立ち尽くしている。ガラス窓から差し込んでくる暖かな陽光。ここはキョート・リパブリックか?それとも、重金属酸性雨降り止まぬネオサイタマには極めて不似合いな、春の晴天か? 

「……アタイはどうして……?」少女は……ヤモト・コキは、落ち着かぬ素振りで周囲を見回す。その胸は平坦だった。手には何も持っていない。鞄も、バタフライナイフも、カタナも。得物がないのはいささか不安だ。いや、そもそも……どうして自分は、こんな所に居るのか? 

「ヤモト=サン、いた!」教室の後ろのフスマが勢いよく開かれ、息を切らせてクラスメイトの一人が駆け込んでくる。「アサリ=サン?」ヤモトが問いかける「なんでアタイ、ここにいるんだっけ?」「忘れたの!?」アサリはヤモトの腕を引いた「新入生を勧誘しないと、オリガミ部は廃部なのよ!」 

「そうだっけ?」ヤモトはアサリの手を握って走る。ロッカールームの近くまで駆けると、オリガミ部の他の面々。「ヤッター!」「カワイイヤッター!」彼女らは大袈裟に手を振ったりネコネコカワイイ・ジャンプを決めて2人を歓迎した。廊下にはスクランブル交差点めいて、大勢の学生達が行き交う。 

「オリガミ部に入りませんかー!!」「オリガミ部に入りませんかー!!」とても大きなピンク色の折鶴を抱えながら、部員たちは声を上げる。しかし学生達は目もくれず通り過ぎる。「ほら、ヤモト=サンも声出さないと!」「え……アタイは……そういうの得意じゃないから……」ヤモトは躊躇した。 

 この年齢特有の、校内で目立つ事への気恥ずかしさだろうか?……いや、違う。ヤモト・コキの胸に無意識のうちに去来したのは、自分にそのような資格があるのかという、漠然とした問いだった。何の資格だろう?とヤモトは自問した。平穏な日常を送る資格……?仲間と戯れる資格……?それとも……? 

 思考は中断する。「ね、ヤモト=サン!お願い!廃部になっちゃうよ!」アサリが目を閉じ、敬虔なブディストめいた礼拝姿勢で懇願してきたからだ。ヤモトは顔を少し赤らめ、その大仰なポーズを止めさせると、自分もピンク色の大きな折鶴を持って声を上げた。「オリガミ部に……入りませんかー!!」 

「「「「オリガミ部に、入りませんかー!!!」」」」ヤモトたちは折鶴を上下させながら懸命に声をかける。しかし誰も立ち止まらない。大廊下を挟んだ反対側の壁には時計が掛かり、針は淡々と無慈悲に回転を続けている。焦燥感。「アサリ=サン、あの時計、変じゃない?」「変?」「回転が速い」  

 アサリはヤモトの指し示す時計を見た「……普通だと……思うけど」「そっか、ゴメン。じゃあ、気のせい」ヤモトは謝り、また部員全員で声を合わせた。成果は上がらない。だが一体感がある。皆と一緒に居るという無邪気なグルーヴ感が。ヤモトが小さく笑おうとしたその時……後ろから、男の声。

「ドーモ、ヤモト・コキ=サン……!」声は一つではない。不穏!いつしか校内は夜闇に包まれている!ヤモトは折鶴を投げ捨て、振り返った。ナムサン!そこには、死んだはずの父親!その横には、やはり死んだはずのソウカイニンジャ、ソニックブーム!その他にも、大勢のニンジャやヤクザたちが! 

 ……「ンァーッ!」ヤモトはフートンを蹴って飛び起きた。まるで重金属酸性雨の中を歩いて来たかのような異様な寝汗で、全身がぐっしょりと濡れている。その手には、無意識のうちに抜かれたカタナ、ウバステ。ヤモトは乱れた息を整えながら、鋭いニンジャの目で周囲を見渡し、耳を澄ました。 

 窓の外には、しとしとと重金属酸性雨。「……大丈夫」ヤモトは紺色の紐が巻かれたカタナの柄をぎゅっと握りながら、そう呟いた。ここに敵はいない。過去の亡霊もいない。ここは彼女が身を寄せる、特殊歓楽街ニチョーム・ストリートのバー「絵馴染」。その上階にある、従業員用八畳間のひとつだ。 

 

 その日の夕暮れ。若者向けの商業施設が猥雑に立ち並ぶ、アマザケ・ストリート。ネオ・カブキチョやニチョームからは遠く離れている。ビルとビルの間には無数の電線やLANケーブルが張り巡らされ、枝葉の天蓋のごとく空を覆い隠し、少々の重金属酸性雨を防ぐアーケード的な役目を果たしていた。 

 灰色のパーカーフードを目深に被ったヤモトは、右手に服飾店のバッグ、左手にカタナを隠した細長い布袋を持ち、ごく普通のネオサイタマ市民めいて街を歩いていた。いや、正確には、身のこなしの端々にキョート的な奥ゆかしさがある。ぴんと伸びた背筋、均整の取れた足の運び、そういった部分だ。 

 ヤモトは足を止め、ライトサイバーゴス系ブランド「電動」のショウウィンドウに映った、飾り気のない自分の服装を見る。ザクロの小言がニューロンに蘇る……「アータはね、若くてカワイイなんだから、そんな服着ちゃダメよ!もっとこう、シュッとした格好なさい!男共がハッと振り向くような!」 

 ニチョームの守護者、ネザークィーンことザクロは、ヤモトの庇護者である。ザクロは、簡易宿泊施設を転々としていたヤモトを、自らのバー「絵馴染」に迎え、行くあてができるまで無期限で滞在することを許したのだ。ザクロもまたニンジャソウル憑依者であり、ヤモトの苦悩をよく理解していた。 

 だからこそザクロは、未だに過去の亡霊にとらわれるヤモトのことを案じてもいた。苦悩は理解するが、辛気臭いヤモトを見たいわけではない。それにいつかは、行くあてを見つけなければいけないのだ。……ヤモトが悪夢にうなされた朝、ザクロは彼女に言った「…アータ、今日はお休み取んなさいな」 

 朝のこと。「絵馴染の仕込みは?」ヤモトは朝食を取りながら向かいのザクロに答えた。表情が固い。「今日はどうせヒマよ」ザクロは目を閉じ、腕を組みながら答えた。「でも、ニチョームのパトロールが」「アーもう!それもいいの!アータはね、気負いすぎ!もうちょっと、自分が楽しみなさい!」 

 そして現在、夕暮れ。数ヶ月ぶりに若者向けの街を歩き、服や靴を買ったことで、少しは気が晴れた。半日だけ、ただの人間に戻れた気がした。欲を言えば、誰か友達が……同年代の友達が隣にいてくれたら、もっと良かったのに。そう考えてから、これは身に余る高望みだろうか、とヤモトは自問した。 

 (((高望み?そういう考えがダメなのよ!もっと楽しみなさい!そう、恋とか!なに気後れしてるの!マータ昔のこと?アータに笑ってほしい人だって、いたンでしょ?!)))何度も聞いたザクロの小言がニューロンに木霊する。「だからザクロ=サンは、あんなに楽しそうに服を選ぶのかなあ……」 

 そう呟いた直後、ヤモトは向こう側から歩いてくる軽薄な無軌道大学生の一団に……アサリらしき姿を認めた!息を呑み、フードをさらに深く被った。それから、横にあるモージョー・ガレット屋台のノーレンを潜り、薄汚い席に座る。後ろを無軌道学生が通り過ぎる。耳を澄ます。アサリではなかった。 

「何にしやす?」「イカ・モージョー」上の空で答えた。ニンジャとなったあの日から、アサリとは違う時間が流れている。ソウル憑依者は老化が止まるという噂も聞いた。なら十年後、二十年後……どうなっているのか?そんな事を案ずるまでもなく、自分はイクサの中で死ぬのか?……それとも…… 

 それとも、先に世界が終わるのか?屋台には、狂信的マッポー教団のハッキング電波が混じったラジオのヒットチャート番組が流れていた。あとは、モージョーの焼ける音と、鉄板を叩く鉄ゴテの音だけ。ふたつ隣の席に、独りだけ客がいた。トレンチコートを羽織り、ハンチング帽を目深に被った男が。 

 

◆◆◆

 

 トレンチコートにハンチング帽のこの男……暗黒非合法探偵フジキド・ケンジは、つい先程、アマザケ・ストリートの暗い路地裏で難事件をひとつ解決したばかりであった。それは取りも直さず、アマクダリ・セクトの邪悪なニンジャを無慈悲なカラテで追い詰め、爆発四散させてきたことを意味する。 

 コートに隠れた彼の背中には、生々しいスリケン痕がふたつ、新たに刻み付けられているのだ。事件解決後、フジキドはインタビューから得た情報を反芻するために、この屋台に入った。プレーン・モージョーを頼み、鉄ゴテで焼き立てを口に運ぼうとした時……彼は新たなニンジャの気配を感じ取る。 

 カウンターに独り座したまま、フジキドはニンジャ聴力を集中させた。ラジオの周波数を合わせるように、雑踏からニンジャの息遣いだけを探る。……ニンジャソウルを放つ少女の、独りごちる声が聞こえた。その中には、ザクロの名。知った名だ。彼は最低限の防御姿勢を取り、モージョーを口に運ぶ。 

 そしてヤモト・コキ……恐るべきシ・ニンジャのソウルを憑依させた少女が、それと知らぬまま同じ屋台に入ってきたのだ。フジキドの緊張感が静かに高まる。ニチョームのニンジャ達とは、知らぬ仲ではない。共闘した事もある。だがそれでも、彼がニンジャスレイヤーであることに変わりはないのだ。 

 ニンジャスレイヤーは狩猟者である。全てのニンジャを屠ると誓った復讐者である。彼に憑依したナラク・ニンジャのアティチュードは、今も全く変わらない。だが、フジキドは違う。人間性を保ったまま、狂気にも屈さぬニンジャソウル憑依者が稀にいることを、ザイバツとの戦いの中で知ったからだ。 

 ヤモトとフジキドは、視線を交錯させた。二者の間に、ある種の緊張感が走る。屋台内の空気が、ピンと張り詰める。その関係は、サバンナで一定距離を取って不意に遭遇した、狩猟帰りの猛獣ハンターと戦闘意志の無い雌ライオンのそれに近い。平穏とサツバツが入り混じった難解なアトモスフィアだ。 

「ザクロ=サンは元気か?」フジキドが少し柔らかい表情で聞いた。「ハイ、元気です」ヤモトは無意識のうちに安堵の息をつき、鉄板に広げられた旨そうなイカ・モージョーに目を落としながら答える。それから、要らぬお節介で付け加えた「またいつでも、来て下さいって」「いや……迷惑が掛かる」 

「迷惑……」ヤモトが呟いた。シ・ニンジャのソウルが、胸の奥底で、ナラク・ニンジャに対する警戒信号を発していることを、微かに感じ取りながら。心内で呟く(((大丈夫……敵じゃないから……)))。屋台の主は、裏に並ぶモージョー・エキス・ドラム缶のところへ、エキスを掻き混ぜに出た。 

 店主の一瞬の不在を見ると、フジキドはヤモトの横に少しだけ体を寄せ、声を殺してこう囁いた。「……アマクダリ・セクトは得体の知れぬ組織だ。ソウカイヤよりも、ザイバツよりも狡猾で容赦が無い。奴らの狙いは、この私だ。そして、この私と関係のある者や協力者を、全て排除しようとしている」 

「じゃあ、フジキド=サンが長らく絵馴染に来ないのは……!」ヤモトはザクロが照れ笑う姿を思い浮かべながら、嬉しそうな表情で右手を見た。直後!ヤモトの顔がイクサの表情に変わる!フジキドの右眼に灯るジゴクめいた炎……ナラクの眼を見たがゆえ!吹き出る冷汗!右手が袋のカタナに伸びる! 

「イヤーッ!」機先を制し、フジキドが鉄ゴテをヤモトの喉元めがけ投擲!サツバツ!「イヤーッ!」椅子に座ったままブリッジ回避するヤモト!そのまま驚くべきニンジャ敏捷性でウバステを抜き放ち、カウンターに飛び乗る!ポケットに隠していたオリガミがひとりでに宙に浮き、折り畳まれ始める! 

「イヤーッ!」フジキドも椅子から飛び離れチコートを脱ぎ捨てる!傷跡から滴る血によって一瞬にして生成される赤黒のニンジャ装束!口元には「忍」「殺」の鋼鉄メンポ!間髪入れず五枚のスリケンをシ・ニンジャめがけ、投げ放った!「行け!」浮遊機雷めいたオリガミ・ミサイルがこれを相殺! 

「アイエエエエ!ニンジャナンデ!?」失禁するモージョー店主!「待って、戦いたくない!」ヤモトがカタナを構えて叫ぶ。「サツバツ!」ニンジャスレイヤーはメンポから硫黄の息を吐き出し、近接カラテを挑むべく飛びかかった!ナムサン!ワン・インチ距離ではオリガミの爆風は使用者にも危険! 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」ショッギョ・ムッジョ!激突するカラテ!「イヤーッ!」強烈なジャンプ・ポン・パンチがヤモトの腹部に命中する!肋骨が軋み、折れる!「ンァーッ!」くの字に折れ曲がって弾き飛ばされるヤモト!ドラム缶に激突し、そのまま路地裏の暗がりへと転がってゆく! 

「ハァーッ!ハァーッ!」ヤモトは激痛に耐えながら、違法投棄UNIX山の中で体を起こした。頭の裂傷部から滴る赤い血が、顔半分を真っ赤に染めていたが、この暗がりではただの黒い墨のようだ。「イヤーッ!」屋台の屋根を蹴ったニンジャスレイヤーが、ネオサイタマの死神が、再び接近する! 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ヤモトも相手を殺す覚悟でウバステを振り回す。周囲には亀や鶴の形に折られたオリガミ・ミサイルがわずか数枚浮遊し、バリアめいて彼女を護っている。だが、あまりにも頼りない。「イヤーッ!」横薙ぎの剣撃! 

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはこれを軽々と回避し、無慈悲なるチョップをカタナの峰に叩き込む!キィィイイイイインという鋭い音と共に、ウバステが真っ二つに砕けた!「!」ヤモトが声にならぬ声を発する!「イイイイヤアアーッ!」その一瞬の隙に対し、サマーソルト・キックが放たれた! 

「ンァーッ!」ヤモトの体がキックの衝撃で跳ね上がる!恐れおののいたモージョー店主は、屋台の陰に隠れながら、路地裏に描き出されるニンジャたちの影絵を見ていた。男の影が一回転して飛び、着地。折れたカタナを握った少女の影は、そのまま空中で首が千切れ……爆発四散!「……サヨナラ!」 

 

「……フジキド=サン、フジキド=サン……?」ヤモトの声が、フジキドの耳に届く。フジキドはニューロン内に無意識に描かれた戦闘シミュレーション光景から醒め、息を吐いた。彼は滝のような汗を流していた。戦闘は、実際のところ起こらなかった。モージョー店主が戻り、キャベツを刻み始めた。 

「すまぬ……大丈夫だ……」フジキドはチャドー呼吸で精神統一を図ってから、トークンを屋台カウンターの上に置くと、手指を微かに震えさせながら立ち上がった。(((……ナラクよ、やり口が狡猾になったな)))フジキドはニューロンの中で独りごちる。だが、返事は無い。また、冷汗が湧いた。 

「もう、行くんですか?体調……汗が凄い。顔色も」ヤモトが案ずる。カタナ袋は椅子に預け直され、ポケットにはオリガミの1枚がはみ出している。「大丈夫だ」先程中断した会話を思い出し、サラリマンめいたぎこちない笑顔を作った「すまぬ、行けぬ訳があるのだ、今は。必ず、アマクダリを潰す」 

 フジキドはノーレンを潜り、雑踏に消えた。ヤモトは独り、焦げ始めたモージョーを慌てて裏返す。「ふうー……」緊張感から開放され、腰が抜けたように脱力していた。相変わらず、フジキドという男の性格は掴めない。ザクロ=サンの趣味も解らない。ただ、彼はどこか、自分に似ている気がした。 

 (((フジキド=サンが、本当に幸せを感じる時はあるんだろうか。ニンジャ殺戮だけが幸せなのか?)))ヤモトは考えた。カギや、ショーゴーや、アサリの顔がニューロンを過った。それから、ザクロの小言がまた耳の奥で鳴り、思わず眉をしかめて眼をつぶった。(((アタイの、幸せか……))) 


 灰色の朝。曇り。不夜城ネオカブキチョの巨大ビル群が落とす長い影の下で、セクシャル・マイノリティたちの避難所、ニチョーム・ストリートが目を覚ます。ザクロの経営するバー「絵馴染」のシャッターが開き、竹ぼうきで日課の清掃を行うために、ヤモト・コキが外に出てきた。 

 古い歓楽街の朝は、どこも似ている。満タンのポリバケツ、割れて転がったサケ瓶、側溝からはみ出した嘔吐物……カラスたちが我が物顔で翼を広げ、気だるげに垂れ下がった電線の上を飛び去ってゆく。夜闇とネオンの化粧を落としたストリートは、低血圧オイランめいて、まだ眠そうに横たわっている。 

 ヤモトは少し肌寒い空気を感じながら、ほうきを動かす。向かいのゲイマイコポルノショップ「真剣味」から、丸坊主にあごひげを生やした若いゲイマイコが出てきて彼女にアイサツし、ブラシとバケツで店の前の嘔吐物を処理し始めた。早朝のゴミ出しや清掃は、まだロクに客も取れない新入りの仕事だ。 

 ゲイマイコは「ラテン」と繊細ミンチョ体で縦書きされたノボリを、女性よりもしなやかな動きで担ぎ、またヤモトに一礼して「真剣味」に帰っていった。ヤモトも静かに一礼を返す。彼女はこの街の住人のひとりとして認められるのみならず、ザクロの助手として静かなリスペクトを受けてもいた。 

 ヤモトはこの街が好きだった。むろん、彼女自身は特殊性癖を持つ訳ではない。しかし、マイノリティを差別せず、全てのものを許容するこの街の優しさが、闘争と別離の中で傷付いたヤモトの心を癒してくれたのだ。冷酷なキョートの格差社会に生まれた彼女にとって、この猥雑さはある種の救いだった。 

 ヤモトはストリートの左右を見渡し、左の並びの清掃がまだ終わっていないことに気付くと、ほうきを持ってオスモウサウナ風呂「キマリテ」の前に向かう。この街のニュービーだった時から、ヤモトはこうした謙虚な心配りを忘れない。奥ゆかしさ……それは彼女がキョート時代に身に付けた美徳である。 

「あー、ヤモト=サンじゃなーい!」「ヤモト=サン、オハヨ!」シャム双生児めいた特殊結合サイバネ手術を施した双子の人気ユーレイゴス、オブツダンとセンコウが、お互いの眠た目を擦りながら、両手にワイン瓶を持って歩いてくる。また昨日も、セプク・ショーの仕事が深夜まで続いたのだろう。 

「オハヨ、今日もお疲れさま」ヤモトは顔を上げ、穏やかな笑みを返した。「カワイイヤッター!ヤモト=サン、桃みたいな肌!」オブツダンがけらけらと笑い、センコウは妹の人差指を舐めながらヤモトに色目を投げる「……ね、ヤモト=サン、いつでも遊びに来ていいよ、3人いっしょに、遊びましょ」 

「ダメよー。困ってるじゃないー」妹がたしなめると、姉は陰気に笑ってワインを煽った「カワイイのに誘わないと、シツレイだし」。このような事はチャメシ・インシデントだ。だが心配は無い。この街の住人は、自分達の趣味を他者に無理強いすることはないからだ。観光客のほうが余程無礼である。 

「アッ!ドッソイ、スミマセン!」横のシャッターが開き、ほうきを持った眠そうなスモトリが出てきた。「あ、おはようございます」ヤモトが礼をする。「ホントよおー、いいところだったのに…」双子は小さく笑いながら遠ざかる。「ヤモト=サンを撫でたかったなあー」センコウがおどけて笑った。 

「掃除してもらった上に、邪魔まで!」スペード眼帯をつけたスモトリ崩れは、酒焼けした声で謝罪する。ケジメしかねない勢いだ。ばつが悪くなり、ヤモトも謝る。スモトリは奥からオスモウ惣菜を持ってきて、それをフロシキで包んで渡した。ヤモトは礼儀正しく2度これを断り、3度目で受け取る。 

 ヤモトもザクロも「キマリテ」の焼肉や密造酒は大好きだ。ヤモトは礼を言った。「味に奥ゆかしいキョートの人に褒めてもらうと、ウレシイ」とスモトリ。ヤモトは優しくかぶりを振る「……この街のほうが、アタイの住んでたガイオンより何倍も奥ゆかしいよ」。そして朝食を作るために踵を返した。 

 

◆◆◆

 

 チャブの上にはベジタブル・スシ、味噌汁、海苔、紫色のピクルス、お茶などが並ぶ。典型的な日本の朝食だ。「キマリテ」からもらったタマゴもある。「これ、美味しいわね」チャブに座ったザクロが、オスモウ惣菜を口に運びながら言う。向かい合って座るヤモトも、それに同意した。 

「ね、ザクロ=サン」ヤモトがお茶を飲んで話を切り出した。まだ自分の中で答えが見出せていない疑問について「……会いたい人がいて、でも、会うと迷惑が掛かるかもしれない……っていう状況、ザクロ=サンはどう思う?」「アーラ!珍しいじゃない、アータがそんな話してくるなんて!」 

「マ、迷惑ったら迷惑ね」「やっぱり迷惑なんだ」ヤモトがアサリの顔を思い浮かべながら呟く。「でもね」とザクロは思い人の顔を思い浮かべながら続ける「アタシがもし待つ側だったら……そんなの、会いに来てほしいに決まってるじゃない!迷惑が何よ!迷惑したいのよ、アタシは!禁断の恋よ!」 

 ヤモトは別離して久しい親友を想うあまり、ザクロの最後の言葉が耳に入っていない。「ニンジャでも、同じことなのかな?」「当たり前じゃない、ニンジャでも人間でもおんなじよ」「でも、会うと身に危険が迫るかも」「だ、か、ら、こ、そ、よ!明日には散るかもしれないのよ。だから守るのよ!」 

「じゃあ、周りの人にまで迷惑かけちゃうかもしれない時は?周りの人の……普通の人たちの幸せを、壊しちゃうかも……しれないなら」「……重い話ね」ザクロが熱いお茶を啜った「そうよね。別に守らなくちゃいけないものがあるとなると、マー、フクザツよね。……ああ、そういうコトなのね……」 

「……だからあの人は……でも……」今度はザクロが野太い腕を組んで、何か物思いに耽ってしまった。ヤモトは、ザクロと何か話が噛み合わないことを不思議がりながら、箸を置いて朝食を終えた。それから、昨日のモージョー屋台での一件を思い出してザクロに伝え、自分は屋上へと上がった。 

 まだニチョーム・ストリートの空気は早朝に片脚を突っ込んでいた。「絵馴染」の低い屋上に上がったヤモトは、愛刀ウバステを抜き、イアイドー・トレーニングを行う。彼女の日課の一つだ。あの時教わった太刀筋、カラテ、剣捌き……全てを忘れぬように、反復する。早朝の冷たい空気を、刃が斬る。 

 凛々しい音。自然と背筋が伸びる。100回ワンセットの素振りを終えると、ヤモトはウバステを構えたまま目を閉じ、瞑想を行った。脳裏に浮かぶのは、先程フジキドの事を伝えた時のザクロの笑顔、そしてニチョームの人々の奥ゆかしく暖かい生活。それらを守りたい。それが自分の幸せでもある。 

 数週間前、ザクロから今後の身の振り方を問われた時も、ヤモトはそう答えた。心からそう思っていたからだ。しかしあの夜、ザクロはその言葉に納得しなかった。「アータ、何か無理してるでしょ?何か、もっと大きな幸せ、諦めてない?」……ザクロの直感が迷いを見抜いたのだ。 

 ヤモトは長い自問自答の果てに、答えに行き着いていた。アサリのことだ。かつてソウカイヤの賞金首となったヤモトは、親友に別れを告げた。だが、既にソウカイヤは破滅している。ならば、彼女に会いに行ってもいいのでは?だが、それが新たな災いを招く危険性は?それを防ぐにはどうすればいい? 

 ……その答えはまだ見つかっていない。ヤモトは深呼吸した。そして世界を流れる風や、香りや、音や、言葉や、熱や……様々なものに対しニンジャ知覚力を集中させる。階下に、暖かい熱をひとつ感じる。それはニンジャソウル。ザクロは香りで感じ取ると言っていたか。個人差があるのかもしれない。 

 いずれにせよ、ヤモトのニンジャソウル感知能力や痕跡探査能力は、まだ一人前には程遠い。これほど近くにいるザクロのソウル感知でさえ、精神を集中させねば不可能だ。昨日、同じ屋台にいるニンジャスレイヤーの気配にさえ気付かなかった程だ。まだまだ自分は未熟なのだ、とヤモトは溜息をつく。 

「強くなろう」……そしてまた彼女は素振りを再開した。いつもなら、ここでヤモトの顔は少し強張った。ザクロの足を引っ張らないため……他者から託されたものを守るため……そうした責任感を、無意識に課してしまったからだ。だが、今は少し違う。悲壮さの先に、おぼろげな光が見え始めていた。 

 トレーニングを終えたヤモトは、僅かな時間を使い勉強をする。もうすぐ、高校の教科書が一通り終わる予定だ。それからふと思い立ち、机の引出に仕舞ったオリガミ束の中から2~3枚を取り出し、願いを篭めながら鶴を折った。数十日かけ千羽の鶴を折れば願いがかなうという、伝統的ブードゥーだ。 

 予定よりも少しだけ遅れて「絵馴染」に降りると、ニチョーム自治会の役員2人がザクロに一礼し、半分開いたシャッターから身を屈めて出て行くところだった。ザクロの表情はやや硬かったが、ヤモトに気付くと、すぐに嬉しそうな顔に変わった。「アラ!いい顔になったじゃない」 

「そ、そうかな?」ヤモトは驚いた。やはりザクロ=サンは何でもお見通しなのだろうか、と考え、少し涙ぐんではにかんだ。「少し気持ちが前に進んだんでしょ?」「うん、でもまだ解決は……」「アータなら、そのうち解決できるわよ。……で、ニチョームを守りたいって気持ちも、変わらないの?」 

「うん」ヤモトは強く凛とした表情で言った「ニチョームの皆が幸せなら、アタイも幸せだから。……でも、それだけじゃなくて、アタイの個人的な幸せも探すから」「ヨクバリね」ザクロが笑った「でもいいのよ。女の子はヨクバリで!」「そのために、強くならないと、もっと」「そうね……」

 ザクロは繊細な指使いで下唇の辺りを撫で、少し思案した。「……アータ、自治会の会議、出たこと無いわよね?」少し低い声で問う。相手を認め、覚悟を試す時の声だ。ヤモトが頷く。「今日出てみる?ニチョームを……嫌いになるかもしれないけど。汚い部分も、見えるから」。ヤモトは再び頷いた。 



 大気が張り詰めていた。ネオサイタマの穹に浮かぶ新月は、今宵の殺伐から目を逸らそうと、固く静かに閉じられていた。冷たい風。酷薄な風。ギロチンめいた殺意を孕んだ風。重金属酸性雨はしばし止み、ネオンの汚濁の海に霊峰フジサンの如く神々しく聳え立つのは、カスミガセキ・ジグラットの威容。 

 DRRRR……。夜闇に紛れパンキチ・ハイウェイを進む、アマクダリ軍団。ヤクザを満載にした武装ベンツが2,4,6……1ダース。そしてサイドカー付きの武装ハーレー。ハイウェイは偽の工事命令によって封鎖されており、彼らはジグラットの浮かぶ絶景を左手に見ながら悠々とニチョームへ迫る。 

 武装ハーレーにうち跨るは、筋骨隆々の異常巨体を紺のニンジャ装束で包むディスエイブラー。その腕には鎖が巻かれ、背には電子基盤が備わった鋼鉄カンオケ。サイドカーには痩身のサイバネニンジャ、バイセクター。殺人武器ギロチン・チャブが、ハイウェイ・ボンボリの灯を浴びて定期的に鈍く光る。 

「そろそろインタビューが必要だな……奴らのドージョーの位置を…」バイセクターの人造声帯から電子音声が発せられる。金属のボディを包む布装束が風を帯びて膨らむ。「……ドージョーな?」ディスエイブラーが怪訝な顔で訊ねた。「何でもない」バイセクターは無表情に返した「電子的デジャヴだ」 

「俺がニンジャになったのも、こんな夜だった」高速の彼方を睨みながらディスエイブラー「ラオモト=サンからニンジャネームを授かり、いくらも経たないうちに……ソウカイヤは壊滅した」「作戦遂行に何ら意味の無い話だ」とバイセクター。「シックスゲイツは俺にとっての伝説だ」と巨漢ニンジャ。 

 パンキチ・ハイウェイは死の静けさに包まれていた。巨漢は続ける「あんたはかつて、シックスゲイツだったと聞いた。ニンジャスレイヤーとの戦いで……瀕死の重傷を負ったと」。双眼鏡めいた両目で無表情に虚空をズームしながら、バイセクターは電子音声で返す「名誉と肉体とパートナーを失った」。 

 無表情な電子音声に、深い憎悪が滲み出ていた。「俺は肉体の8割を失い、集中治療室で眠り続け、目覚めてからソウカイヤの破滅を知った。恥辱だ」とバイセクター「……ハイル・アマクダリ。全てはラオモト=サンのために。……任務に集中しろ。ニチョームを襲撃し、邪魔者どもを断頭する。残虐に」 

 

◆◆◆

 

 トントコトントントトントントトンアーハイハイハイハイ……三階のオザシキから電動タタミが突き出し、羽織袴の老人が小気味よい声とともに小太鼓をリズミカルに叩く。「ギリシャ」「ロマン」「サウナ」……神秘的なカーブを描く縦長のカタカナ・ネオンサインが、虹色のグラデーションを繰り返す。 

 ここはニチョーム入口にランドマークめいて立つ、12階建てのストリップ雑居ビル「ゼン・トランス」。斜めにカットされたT字路沿いの壁には、巨大なエロチックブッダ黄金坐像が埋め込まれ、虹色にライトアップされている。各階のバルコニーからは、無数のPVCノボリが斜めに突き出している。 

 少し離れた公道沿いの電柱には、マッチョな極太ゴシック体で書かれた「爆破して破壊」「ニチョームが悪い」「法案を通すぞ」などのアジテーション紙が無数に。ニチョームを快く思わぬ者は、少なからず存在するのだ。公道はニチョームのテリトリー外であり、住人達には剥がすこともままならない。 

 小太鼓やテクノの音に心躍らせながら、ペケロッパ・カルトと思しき2人のハッカーがニチョームの雑踏を酔歩していた。「今日はどこに行くんですか?」「やっぱりLAN直結小屋ですよね」「私もそうです、安息日ですからね」「顔が見えないのがいいですよね!」「ペケロッパ!」「ペケロッパ!」 

 その時!アンタイブディズム・ブラックメタルバンド「カナガワ」の1stアルバム「コロス・オブリヴィオン」を大音響で鳴らしながら大通りを走っていた黒塗りバンが、突如ニチョーム側にハンドルを切った!アブナイ!「アイエエエエエ!」「アバババーッ!」「ペケロッパ!」轢き殺される市民! 

 悲鳴をあげ、クモの子を散らすように逃げ惑う市民たち!バンはそのまま壁に激突!だがニチョームを守る装甲防壁はビクともしない!「ペケロッパ!アイエエエエ!ペケロッパ!」同胞を目の前で失ったハッカー教団員の片割れは、トマトスパゲティめいた死体の前にへたりこんで、成すすべなく失禁! 

 直後、破壊衝動と暴力衝動が黒いロングTシャツとスリムジーンズとトゲトゲのブレーサーによって形を成したかのような、10代後半のブラックメタリストたちが溢れ出して来る!手にはツルギやツヴァイハンダーやフレイルや火炎瓶などの物騒な武器!「ペケロッパ!」ハッカーは頭を粉砕され即死! 

「コロセー!コロセー!」「殺戮の中に暗黒の橋が現れ俺たちをブッダの神殿へと導く!」獣じみた声で武器を振り回し暴力衝動を満たす少年たち!「ザッケンナコラー!」「スッゾコラー!」ニチョーム自警団のヤクザ・ウォリアーたちが即座に動いた!チャカとドス・ダガーを構え、交戦状態に入る! 

 燃え上がるバン。市民らは道路沿いに並ぶ装甲防壁の後ろに隠れ、サイバーサングラス越しに成り行きを見守った。映画か何かを見るように。黄金ブッダ坐像も無言でこれを見守る。「アイエエエエ!」次々射殺される反ブッダ勢力。これしきの戦闘は、ネオサイタマではチャメシ・インシデントなのだ。 

 ……数十メートル離れたニチョーム中心部。オスモウサウナ「キマリテ」のカワラ屋根の上を、ヤモト・コキとザクロが足早に歩く。先程までは駆け足だったが、速度を落とした。ザクロの手には紫のフロシキに包まれた重箱。彼女らのニンジャ聴力と視力は、大通り沿いの戦闘を感知していた。 

「……手出ししなくても、テガタ=サンたちの……圧倒的勝利?」ヤモトが聞く。ザクロは小さく頷いた。「アータ、だいぶ、解ってきたじゃない」独善的に動けば、自警団のメンツを潰す。それはリスペクトを欠くシツレイな行為だ。彼女らが……ニンジャが動くのは、必要最小限でなければならない。 

 数秒前。最初の悲鳴が聞こえた時、ヤモトはすぐにイクサの顔に変わり、ザクロよりも一瞬速く路地裏の壁を蹴って屋根に上った。そして堅物テガタの身を案じた。それがザクロには好ましかった。……ザクロは重箱の中身が乱れていないか確かめてから、隣の屋根へ飛び渡った。ヤモトもそれに続いた。 

 ザクロとヤモトはそのまま誰にも見られることなく看板を蹴り渡り、ゼン・トランスの屋上へと着地。そして番人にアイサツ。「「ドーモ」」「ドーモ」狙撃銃を構えた自警団員タギザワが、狙撃姿勢のまま一礼する。足元には2個の薬莢が転がっている。2人の反ブッダ暴徒が射殺されたという意味だ。 

「収まった?」ザクロが問う。「ああ、被害はゼロだ。いい気分じゃねえけどな」タギザワはくわえ煙草を吐きながら言った。「ガキみたいな奴を撃つんだぜ。でも仕方ねえ。薬でキマっちまってるからな。ホント、どうしようもねえ時だけさ、撃つのは。……昔はこんなじゃなかった。年々物騒になる」 

「……世論もな。この街の終わりも近……」「何辛気臭いコト言ってんのよ、ヤメテ!」ザクロは勇気づけるように笑った。ヤモトは言葉を思いつかず、ただオジギした。下界ではまた、小太鼓の楽しくも哀しい音が鳴り始めた。上映後のエンドロールには興味が無いように、市民らは黙々と流れ出した。 

「……あ、やっぱり」ヤモトは釈然としない理不尽を胸に抱え、踵を返した「タギザワ=サン。アタイに何か、できること、ないですか?アタイ、ニンジャですから、きっと何か……」「会議に出るんだろ?初めて」「ハイ」「頼んだぜ」初老の狙撃手はそう言って、また視線をストリートに落とした。 

 

◆◆◆

 

 同時刻。マルノウチ・スゴイタカイビル屋上。 

 西のガーゴイルの口に右手を引っ掛け、ビル壁面にロッククライミングめいた姿勢で張り付く男あり。両足は壁を地面のように固く踏みしめ、左手は大気やエテルやニンジャソウルの流れを感じ取る感覚蝕腕のように脱力して垂れ下がり風に揺れる。ニンジャ装束は赤黒。口元のメンポには「忍」「殺」。 

 数年前、このビルの中階層でサツバツたる惨劇が起こった。マルノウチ抗争である。そして彼、ニンジャスレイヤーが生まれたのだ。このビルは彼の妻子の墓標であり、彼はいわばその墓守である。暗黒非合法探偵の仕事を開始してからも、彼は夜毎、必ずこのテリトリーへと戻った。そしてザゼンした。 

 ソウカイヤが健在であった頃は、彼の首を狙い、絶え間なく刺客が送り込まれてきたものだ。ラオモトの命を受けた実力者もいれば、昇給を狙う無謀なサンシタもいた。だが、それも昔の話だ。いまや、ネオサイタマの死神にしてソウカイヤの破滅と呼ばれ恐れられる彼に、敢えて戦いを挑む者は少ない。 

 メンポと覆面の狭間に覗くニンジャスレイヤーの鋭い眼は、西の方角を睨みつけていた。彼方にはニチョーム・ストリート。今宵は空の様子がおかしい。軍用機がいつになく多い。飛行ルートが変更されているのか。湾岸警備隊の大型武装ツェッペリンが、カイジュウめいた巨体で曇天を西へ泳ぐ。不穏。 

 ブブブン、ブブブン、と覚束ない羽音を鳴らしながら、バイオアブが飛んできてカラスに啄ばまれた。この高さまで虫が昇ることは、実際珍しい。インセクツ・オーメン……不吉な報せを意味する、平安時代のコトワザだ。詩聖ミヤモト・マサシに死の予兆を伝えたのも、アブとハチであったと伝わる。 

 ニンジャスレイヤーは、静かにチャドー呼吸を繰り返す。そして動かず。ニチョームが襲撃される確証は、未だ無い。この状態で動けば、逆に彼らを危険に晒す。ネザークイーンの政治力は高い。それを信じよう。ソウカイヤ、ザイバツ、アマクダリ……三組織に不可侵条約を結ばせてきた、その手腕を。 

「だが、この胸騒ぎは何だ?」フジキドはそう口に出していた。ソウカイヤの刺客、ヒュージシュリケンとアースクエイクによってドラゴン・ドージョーを破壊された、あの夜の記憶がフィードバックする。だらりと垂れた左手が、湧き上がるカラテによって固く握り締められた。 

 ニンジャスレイヤーはシャチホコ・ガーゴイルの上に飛び乗り、アグラ・メディテーションの姿勢を取った。チャドーの呼吸を続ける。ドラゴン・ゲンドーソーの教えを反芻する……次いで、私立探偵タカギ・ガンドーの教えを……。フジキド・ケンジは眼を閉じ、しばし沈思黙考した。風が吹きぬけた。 

 

◆◆◆

 

 同時刻。ニチョーム・ストリート38番地。「本格派な」「心呼ぶ」「エモーショーン」などのロマンスを重点した清楚なノボリが立ち並ぶ、ハードレズビアン・ゴシックポルノショップ「フラ・ダ・リ」のショウウインドウ前。 

 ニチョームの深みに達しかけていた6人の無軌道大学生らも、ゼン・トランス前で鳴り響いたバンの激突音、そして雑踏の間に野火の如く広がる緊張感に気付いた。彼らは特殊性癖の持ち主ではない。このストリートを歩く若者の多くは、怖いもの見たさで集う、彼らのようなノーマル者たちだ。 

 6人のうち3人は男子、3人は女子である。「コワーイ!」「スゴイコワーイ!」女学生はTVプログラムや映画から学んだキンタロアメ的言葉を吐く。「「ダイッジョブダッテ!」」白のサイバーポロシャツから精悍な腕を覗かせる2人の男子が、軽薄な儀式めいた定型文で笑い、彼女らを抱き寄せる。 

 女子大学生のもう一人……アサリはまだ入部したばかりで、困惑している様子だ「……あ、危ないんじゃないですか?物騒な場所だって聞きましたけど……」「ダイッジョブダッテ!」もう一人の男子先輩が笑う。しかしアサリの反応が思わしくないため、知恵を振り絞った。「僕はカラテ10段だ!」 

 あの真面目だったアサリが、何故このようないかがわしい街で、しかも無軌道大学生らと行動を共にしているのか?……親友ヤモト・コキと別離した後、大学へと進学した彼女は、何か奇跡めいた巡り会わせを求めてオリガミ部を探した。だが不運にも、アサリの進学した大学にオリガミ部は存在しない。 

 オリガミ部を作ろうかとも思ったが、入学早々からそんな目立つ行動を取れば、即ムラハチだ。しばらく燻っていた彼女だが、いつまでも高校生めいたオボコ・アトモスフィアを漂わせていては、友達ができないのではないかと恐れ、運動部に入ることにした。体を動かせば悩みも晴れるかと考えたのだ。 

 ALAS!ここで彼女は、ネオサイタマの大学に広く存在する暗黒トラップに引っ掛かってしまったのだ。中学時代にケマリの経験があった彼女はケマリ部に入部した。何故かケマリ部が2つ学内に存在することに気付かぬまま。1ヶ月経っても何故かケマリは行われず、代わりにこの歓迎会に誘われた。 

 変わらなくちゃ。もう高校生じゃない。新しい友達ができるかもしれない。無邪気にもそう考えたアサリは、これまでの自分から一歩踏み出すために、思い切ってライトサイバーゴス系ブランド「電動」で全身を固め、今夜の歓迎会に参加した。無論、その容姿はぎこちない……傍目にも、自分自身でも。 

「チャメシ・インシデントさ!僕らが守る!ヤクザだってカラテで倒す!サムライ!」男子先輩が笑う。雑踏も落ち着きを取り戻してきた。「でも」顔を上げたアサリは、男子先輩の背後に映るオブツダンとセンコウのどぎつい猥褻動画を思わず直視してしまい、大型サイバーサングラスの下で赤面した。 

「アサリ=サンってスゴイマジメだよね、頭が良さそう」「もしかして、アタシ達、スゴイバカに見えてるかな?アサリ=サン、高校時代、何部?」「オリガミ部……」「「マジメー!」」無軌道女子大学生らが笑った。アサリは足が震えてきた。何か自分は間違ってしまったのではないか?ムラハチか? 

「まあまあ仲良くしようよ!ユウジョウ重点!お酒が足りないんだ」最年長のジョックス男子が、サイバーグラスの下で白い歯を覗かせながら笑った。その言葉に、アサリは何かを抉られる感覚を覚えた。「僕らでもお酒が飲める店があるはずだよ……ほら、あそこなんてどう?……えっと……絵馴染?」 

 

◆◆◆

 

 こうして、一歩また一歩とアサリに危機が迫る頃……彼女の親友ヤモト・コキと絵馴染のオーナーであるザクロは、ニチョーム自治会定例会議に参加するため、ゼン・トランスの屋上から従業員用階段で8階へと降りていた。 

 この階にはかつて、サイバー海鮮ストリップ劇場「大きい烏賊」があったが、店子が夜逃げしたため、それ以降は自治会の会議室として使われている。天井はコンクリ剥き出しで、蜘蛛の巣まみれのLANケーブル類が垂れ下がる。床も御影石プレートが乱暴に剥がされ、数枚が残されて粉塵まみれだ。 

 ヤモトは初めてこの階に足を踏み入れた。もっと整然とした、オフィスめいた場所を想像していたので、少しだけ困惑し、粉っぽさに咳き込んだ。壁には大きな烏賊とLANケーブルにファックされるマイコの大ウキヨエが何枚も貼られ、このジャンルでの経済的成功の困難さを無言のうちに訴えていた。 

 絵馴染の2人は、青いボンボリ・ライトでまばらに照らされたストリップ・ステージの上へと進む。壇上には、フェイク・ヒノキ材を表面に張られた金属性テーブルが四角く並べられ、ちぐはぐの席が十数個置かれている。すでに壇上には、数名の参加者たちが着席し、彼女たちの到着を待っていた。 

 参加者らの間には、すでに重い空気。ニチョーム自治会の役員は、一癖もふた癖もある曲者ぞろいだ。意外に思われるかもしれないが、その半数以上は経営者やヤクザ崩れなどであり、ノーマル者である。無論、セクシャルマイノリティに寛容であり、またニチョームを愛している点では共通しているが。 

 甘い嬌声が、ヤモトの耳に飛びこむ。周辺地域を担当する上級マッポのヒロシゲの上に、オブツダンとセンコウが跨り、左右からサケをオシャクしているのだ。服は着ているが、まるでブッダ坐像である。彼は遊び人めいたスーツを着て、エルビスを彷彿とさせる力強いサイバーサングラスをかけている。 

「スゴイ!スゴスギル!」ヒロシゲは興奮し、両手のサケグラスを交互に口に運ぶ。喪服を着た双子は扇情的に胸や腰を押し付ける。ナムサン!何たる退廃!数々のいかがわしい行為を目にしてきたヤモトも、不意打ちを喰らったように、思わず頬を桃色に染める。だが下は向かない。シツレイにあたる。 

「アーラ!どこの映画スターかと思っちゃったじゃないの!ヒロシゲ=サン、髪型変えた?ううん、今日も男前ね!惚れちゃいそうよ!」ザクロは場の雰囲気を和ませる意味も込め、明るいトーンで言った。「ドーゾ。いつものよ」ヒロシゲの前に置かれた重箱。その中身は……黒紫の危険な甘味! 

 ヤモトは驚きのあまり口元に手を当てた(((オハギだ……!)))。マイノリティへの搾取行為を防ぐため、ニチョームは違法薬物を徹底的に排除する、実際クリーンな街である。ザクロは特に厳しい。18歳になるまで、ヤモトに飲酒も許してくれなかった。それが、あろうことか……オハギなのだ。 

 (((オハギなんだ……)))ヤモトは様々なことを考え、少し愕然としていた。ザクロはヒロシゲの脂ぎった額に営業的なキスをすると、踵を返し、ヤモトのところに戻りながら右手と顔でわざとらしい嘔吐のジェスチャーを作る。これがニチョームの汚い部分か。ヤモトは口をきゅっと固く結んだ。 

「じゃ、揃ったようだし、始めるぜ」自治会長がシケモクを灰皿でもみ消す。ユーレイ双子は上級マッポに何事か耳元で囁いて壇上から去る。「あ、私も帰りますわ。まあ、いつもの感じで、ね、ニチョーム問題なし!」と、オハギを持って席を立つヒロシゲ「何かあったら、フラ・ダ・リまでIRCで」 

「ん、ソデタ議員はどうしたのよ?」と着席したザクロは参加者の顔ぶれを見渡しながら問う「まさか、彼女ももう、万事問題ナシで帰ったんじゃ無いわよね?」「ああ……」自治会長が白髪交じりの頭を掻きながら答える「秘書サンからIRCがあってな、交通渋滞で、今日は遅れるそうだ」「アッソ」 

 机に置かれた議題プリントアウトには「マイノリティ迫害法案の可決へ向かう」「マイノリティを切り捨てると経済効果だ」「世論とかが厳しい」などの文字。抑圧された市民たちは、経済の祭壇に捧げる生贄を求めているのだ。だが、自治会長はそれよりも重要な写真を封筒から出し、ザクロに回した。 

「酷いな……」ザクロが低い声で言った。拳が微かに震えている。ヤモトが写真を除きこむ。ショッキングな死体が写っていた。数週間前、アマクダリ・セクトに追われてニチョームに逃げ込んだ、哀れなゲイマイコの惨殺死体である。何か些細な秘密を掴んだのではないか、との嫌疑がかけられたのだ。 

 ニチョームは条約を締結し、アマクダリの傘下にある。粗っぽい言い方をすれば、ここにいる2人もアマクダリ・ニンジャなのだ。アマクダリはソウカイヤ時代の失敗から学び、組織の秘密を守るため、少数精鋭のプロパーニンジャと、テリトリーごとに分かれた複数の下部ニンジャ組織から成るらしい。 

 だが、ザクロは虚偽の報告を行い、このゲイマイコを匿って、キョートへ逃がすための手筈を整えた。何しろ、このゲイマイコは、何ら秘密など知っていなかったのだから。逃げ仰せるかと思ったが……。「シンカンセン・ステーションに向かう途中で……やられたようだ」自治会長がライターを擦る。 

「単刀直入に言う」自警団の独りが立ち上がった「ザクロ=サン、あのゲイマイコを逃がすのは、あんたの独断じゃなかったってことは、ようく解ってる。自治会だ、自治会の総意だ。だがな、俺は反対したんだ。アマクダリを敵に回すのは上策じゃねえ……あんたも、そう言ったろ?それが、これだ!」 

「ちょっとやめないか」自治会長がドスの利いた声で諌める。だが団員は止まらない。「この街にニンジャがいるから、奴らから重点マークされるんじゃねえのか?なあ、あんたらは確かにニンジャだよ。だから、いざとなっても、何とかなるって思ってんじゃねえか?あんたらが、この街を、危険に…」 

「スッゾコラー!」自治会長が灰皿で机を殴りつけ、おそるべきヤクザスラングを飛ばした。興奮した自警団員も恐れ入り、冷静さを取り戻して着席する。「すまねえな。こいつ、ゲイマイコの護衛につけてたお友達を、殺されてんのさ」自治会長がシケモクを吹かしながら、つとめて穏やかな声で言う。 

 ザクロは低い唸り声を上げながら、考え込んでいた。そのうちのひとつは、ヤモトを最悪のタイミングで自治会議に連れてきてしまったことだ。実際、ヤモトは愕然としていた。抜き身のカタナが擦れ合うような、サツバツとしたアトモスフィアに、胸が苦しい。ここも、ある種のイクサの場なのだ。

「一蓮托生だ。仲間割れは最悪の末路だぜ。だが、こいつの気持ちも、解る。なあ、皆でサケを一口飲もうぜ。ユウジョウだ。そいつで水に流す。そして解決策を考える」と自治会長。ザクロとヤモトと自警団員が目を合わせ無言で頷いた……その時!緊急事態ブザー音と共に、非常ボンボリが明滅する! 



 非常ボンボリが回転。その色は赤。レッドアラート。最悪の事態だ。緊張の糸が張り詰める。通信機が混線し、慌しいノイズ。ニチョーム自治会の全員が席を立ち、自警団からのIRC通信を待つ。その一瞬を惜しむように、ヤモト、ザクロ、そして彼女らを非難した自警団員ノタゴは、オチョコを掲げた。 

「「「ユウジョウ」」」三者は素早く視線を交錯させ、オチョコに注がれた少量のサケを飲み干す。直後、錆び付いたスピーカーから、ゼン・トランス前警備隊長テガタの声がノイズ交じりで響いた。「畜生め、正面からクローンヤクザ……!数ダースだ!何が起こるんだ!?戦争でも始まるってのか!?」 

 ストリートからはバクチクめいた銃声。役員たちは、ストリップステージの壁に掛けられたショットガンやカタナを手に取る。ザクロのレザージャケットが展開し、わずか3秒で黒光りするレザーニンジャ装束へと変わった。ヤモトの口元を隠すように、桜色のマフラーめいた淡い布メンポが出現する。 

 二人はさも当然のごとく、ストリートに面した窓へと疾走した。ハードル競技めいて鮮やかに蹴破る。冷たいネオサイタマの夜風と、七色のネオン光を全身に浴びる。ソクシ級の高さ。だがそれは常人の話。彼女らはニンジャだ。「烏賊」「合法」と書かれたカンバンを蹴り渡り、イクサの場へと躍り出る! 

 一方、絵馴染のバーカウンターに突っ伏し、アサリは酷い頭痛を覚えていた。カクテルが利きすぎたのだろうか。「気分が悪いなら、トイレまで運ぶよ」先輩男子がアサリの肩に過剰に触れながら囁く。欺瞞!実は彼がアサリのグラスに合法薬物を混入させたのだ。代理のゲイマイコが不安そうに見守る。 

 その時!絵馴染の店内に灯るムーディーな間接照明が火花をバチバチと散らしながら消え、非常ボンボリが赤く回転!「アーレエエエ!」「タスケテー!」オイラン装束を着た非力なゲイマイコらが、ストリートから指定避難場所の絵馴染へと駆け込んでくる!無軌道大学生らは物物しい雰囲気に圧される! 

「ヤクザ!ヤクザがスゴイの!」「ものすごい数のヤクザ!」「ザクロ=サンとヤモト=サンは!?」ゲイマイコが次々雪崩れ込んで来る。「ワーコワーイ!」バリキで理性が飛んだ無軌道女子大生は、無邪気に男子の逞しい胸にすがりついた。「ヤモト…サン?」アサリは混濁した頭でオウム返しに呟く。 

 ストリートでは既に、激しい戦闘が展開されていた。「ダッテメッコラー!」テガタに率いられたエクス・ヤクザ自警団の6名は、一般客やストリートの住人を奥へ奥へと避難させながら、クローンヤクザの波状攻撃に対抗する。しかし、誰が見てもこの戦況は明らかにジリー・プアー(徐々に不利)だ。 

 テガタは正面のアサルトヤクザを殴り飛ばしてから、左耳に装着したIRC通信機のノイズ除去スイッチを押す。「突破される!あと頼む!」「スッゾコラー!」ドスダガーを構えたアサルトヤクザが、側面死角から迫る!コワイ!そこへ、ビル屋上から銃声!タギザワの狙撃だ!クローンヤクザは即死! 

「いつもすまねえな…」テガタは一瞬だけ屋上に目配せしてから、周囲の自警団に檄を飛ばす。「ダッテンジャネッゾコラー!シャッコラー!」「「「シャッコラー!」」」復唱される恐るべきヤクザスラング!だが何と悲愴で頼もしいことか!皆満身創痍だ。テガタ自身も脇腹に浅い刀傷を受けている。 

 ニチョーム自警団は横一列に並んで壁を作った。だが、おお……ナムアミダブツ!彼らが倒した12人は、敵の攻勢第一波に過ぎない。20メートル先の道路に緊急展開された車止め鋼鉄トリイの周囲には武装ベンツが並び、古代ローマ密集陣形めいた重い足取りで迫る数十人のアサルトヤクザ軍団の姿! 

「「「スッゾコラー!」」」自警団は再装填したチャカ・ガンで一斉射撃を加えた。だが、敵の最前列が構えるケンドー機動隊仕様の暴徒鎮圧盾によって、銃弾は雨粒の如く弾き返される。アサルトヤクザ軍団の黒い革靴が、一糸乱れぬ軍靴のごとく、「治安を守りたい」と書かれたビラを踏みしだいた。 

 もはやこれまでか?自警団はドスダガーを構え直し、衝突に備える。……その時!「武田信玄」のネオンカンバンを蹴ったヤモトとネザークイーンが飛来し、アサルトヤクザ軍団の真っ只中へと飛び込んだのだ!「ザッケンナコラーッ!」ザクロの怒号!直後、数名のクローンヤクザが弾き飛ばされる! 

「イヤーッ!」ヤモトも愛刀ウバステを抜き放ち、桜色のつむじ風めいてイアイを閃かせる!「「「アバババーッ!」」」周囲のアサルトヤクザは、防刃スーツに守られていない喉元を切り裂かれ、緑色の血をスプリンクラーめいて撒き散らしながら即死!「やってくれたぜ!」テガタと自警団員が唸る。 

 周囲のビルでは、ニチョーム住人達が息を呑んでストリートの戦闘を見守っていた。これで流れを変わるか?……誰もがそう思った矢先!車止め鋼鉄トリイに折り重なるように突っ込んでいた武装ベンツの山をジャンプ台代わりに使い、サイドカー付ハーレーがヤクザ軍団の頭上を飛び越えたのだ! 

「アイエエエエエ!」不運な自警団員をネギトロに変えながら、武装ハーレーは重々しく着地する!そして摩擦熱でアスファルトに炎の円弧を擦りつけながら、滑るように後方へ回転した。 

「イヤーッ!」サイドカーから飛び降り、回転着地を決めるバイセクター。「のけい!」それと同時にディスエイブラーの大音声が響き渡る!ヤクザ軍団は直ちに戦闘を停止し、整然と前倣えをして列を作り直すと、ストリートの両脇に向かって走った。ヤモトとザクロを武装ハーレーのライトが照らす! 

 一瞬の沈黙。サツバツとした風が吹き、ズタズタになった街宣ビラが宙に舞う。「ドーモ、ディスエイブラーです」「ドーモ、バイセクターです」アマクダリ・ニンジャ勢が先にアイサツを決めた。「ドーモ、ネザークイーンです」「ドーモ、ヤモト・コキです」ニチョーム勢が続いた。 

「……不可侵条約を忘れたのか?」ネザークイーンが低い声で唸る。ザクロ自身も、その言葉にほとんど意味が無いことを悟りながらも。「アマクダリ・セクトは裏切りを許さん」ディスエイブラーはハーレーから降りると、近くで仰向けに倒れている虫の息の自警団員を踏みつけながら言った。 

 めきめきと骨の軋む音。「アバッ!」大岩のような足に両膝を破壊される自警団員。その呻き声を聞き、イタミニンジャ・クランのソウル憑依者ディスエイブラーは愉快そうに口元を歪ませた。「止めろッ!」ヤモトがウバステを構えて叫んだ。「……慌てるな小娘」バイセクターが機械音声で威嚇する。 

 ザクロは怒りに満ちた目で、かつ冷静に敵の出方を窺っていた。交渉の余地があるのか否かを見極めるために。「こちらのアイサツがまだだ」バイセクターは顎をしゃくって、相方に指図する。嗜虐行為への期待に我を忘れかけていた巨漢ニンジャは、思い出したように背中のカンオケのスイッチを押す。 

 (((何だ……?)))ヤモトは、ぞくりと、背中に悪寒が走るのを感じた。肌が粟立つ。ウバステの柄を強く握り締め直した。ネザークイーンも、鼻をすんすんと鳴らし、露骨に顔を歪ませる。「……ハカバの臭いかよ」。直後、ディスエイブラーに背負われていたカンオケが、勢い良く開け放たれた! 

「……キョムー……」姿を現したのは、ユーレイじみた灰色のニンジャローブを纏う、見るからに不吉なアンデッド・ニンジャ!顔はフードに隠れ、足は無く、ネガティブ・カラテの力により空中30センチ付近を浮遊している!ストリートに戦慄が走り、常人たちは小さく震えて全員一斉同時失禁した! 

「……キョムー……」灰色のアンデッド・ニンジャは虫の息の自警団員へと滑るように近づき、心臓に半実体の手を突き刺した。「アイエエエエエ!」絶叫する自警団員!「代わりにアイサツしてやるぜ、こいつはスペクターだ」ディスエイブラーが残酷そうな歯を剥き出しにして笑った「カラテを吸う」 

「ケジメで手打ちにする気は?」ザクロは子指を立て、歯をバキバキと鳴らしながら言った。「無い」とバイセクター。「……は、早くやろうぜ?」巨漢は御預けを喰らった犬のように涎を垂らす。「アイエエエエ!アイ……アイ……」カラテを吸われ続けた自警団員の悲鳴が弱弱しくなり……事切れる! 

 ザクロは自警団員の断末魔の叫びを合図に突き進んだ!「……ザッケンナコラーッ!」モンドムヨー!敵は初めから、ニチョーム自治会と自警団の全滅を狙って奇襲を仕掛けてきたのだ!ヤモトも駆け込む!アイサツで生まれた一瞬の静寂は死に絶え、自警団とアサルトヤクザ軍団は再び交戦を開始する! 

 ストリートが血と怒号に染まる!一方、ゼン・トランス中階から突き出したタタミレールの上では、サイバーサングラスをかけた翁が未だイナセな小太鼓を叩いていた。その横へと、新たなレールが突き出す。そこに座すのは、サイバーサングラスをかけ、電子シャミセンを抱いて座るヤリテ・バーバだ。 

「まだやってんのかい、下は」ヤリテ・バーバは翁と数メートル挟んで向かい合い、歯の無い口で鬱陶しげに言った。「ああ、やってるみたいだよ」翁も小太鼓を叩きながら言う。横を小型グレネード弾が飛んでゆく。彼らは盲目だ。ストリートではまだ、いつもの小競り合いが続いていると思っている。 

 ヤリテ・バーバはストリートに向かって唾を吐くと、電子シャミセンのチューニングを行った。「ニチョームをナメやがって!ボリューム上げようじゃないか!」「ヨロコンデー」翁がタタミのダイヤルを回すと、ストリート中のスピーカーから重テクノ音が響いた!ズンズンズンズズズンズンズンズズ! 

「イヨォー!」翁が撥を構え、人力ミニマルテクノめいたリズムを刻みだす。「ハッ!ハッ!ハッ!」ヤリテ・バーバも合いの手を入れながら激しく弦を弾く!ベケベンベンベン!ベケベンベンベン!「ハッ!」彼方では、ヤモト・コキがギロチン・チャブを紙一重でかわしながら、高く鮮やかに舞った。 

 ヤモトは空中で3回身を捻りながら、ストリートに着地する。買ったばかりのサイバージャージとスニーカーは、もう血塗れだ。背中合わせにザクロとたった二人で陣形を組む。「動きやすそうじゃない、それ」「うん」彼女らを包囲するのは数十人のアサルトヤクザ、そして三人のソウカイニンジャ! 

「「「スッゾコラーッ!」」」ヤクザ軍団がドスダガーを抜いて突き進む!「「イヤーッ!」」再び動き出した二人は、拳とカタナで目の前の敵に応戦する!「小癪なーッ!」塔の如く聳え立つはディスエイブラー!腕に巻いていた鎖を外して頭上で振り回し、投げ放つ!その先端にはカマめいたフック! 

「イヤーッ!」ネザークイーンは背後から迫る鎖を察知し、紙一重のブリッジ回避だ!フックは交戦中のクローンヤクザの左腕に突き刺さる!「グワーッ!」「イヤーッ!」巨漢ニンジャは力任せにそれを引く!そのままヤクザは宙を舞い、ディスエイブラーの背負うカンオケの中にナイスシュート倍点! 

 ナムアミダブツ!このカンオケは単なるスペクターの運搬容器などではなく、れっきとしたディスエイブラーの装備品だったのだ!「アバババババーッ!?」鋼鉄カンオケの蓋が閉じ、内部で恐るべきシュレッダー装置が作動した!まるでスシ屋だ!「アーッアバー!アバババーアッババーアバババー!」 

 骨の軋む音!肉の裂ける音!そして苦痛に喘ぐヤクザの悲鳴!「もっとだ!」ディスエイブラーは残忍な笑みを口元に浮かべ、次なる得物を求めて鎖を振り回す。次は女だ。女を爆発四散させたい。カンオケの下が開き、タタキめいた姿に変わり果てた虫の息のクローンヤクザが吐き出された!コワイ! 

「イヤーッ!」再びディスエイブラーが鎖を投げる!「イヤーッ!」ヤモトは高く跳躍し回避!背後に光る電光カンバンには、マグロの切身を挟んだ黒い箸がそれを何度もショーユに浸す映像と、「味これが好き」と書かれた文字が不吉に明滅する!「イヤーッ!」空中の隙を狙ってのギロチン・チャブ! 

「シ・ニンジャ!」ヤモトが叫ぶ!瞳が淡い桜色に光る!サクラ・エンハンス!ポケットに忍ばせたオリガミがひとりでに鶴や亀の形に折り畳まれ、ある種のカラテミサイルとなってギロチン・チャブを迎撃する!だが弱い!小爆発の華を容赦なく剪定するバズソーめいて、巨大回転刃がヤモトに迫る! 

 ヤモトは咄嗟にウバステを構える!その刀身もまた桜色の燐光を帯びている!甲高い回転音が迫り、インパクト!「ンアーッ!」ヤモトの身体が弾き飛ばされ、ウバステに僅かな刃こぼれ!肉体切断は辛くも免れたが、ジャージが一部切り裂かれ、血が滲む!背中から落下!「ヤモトォ!」ザクロが叫ぶ! 

 アスファルトに叩きつけられたヤモトめがけ、ドスダガーを構えたヤクザ軍団が飛びかかる。ザクロがカラテを振り絞って救援に向かおうとするが、ヤモトはそれより一瞬早く身を起こし、放たれた矢のように垂直跳躍して押し潰されるのを回避し、足元に折り重なるヤクザ軍団を頭から踏みつけた。 

 バラバラバラバラ、バラバラバラバラ……上空には、血の臭いを嗅ぎ付けたサメのように、ネオサイタマ市警の黒光りする無人偵察ヘリが3機、低空飛行で近づいてきた。「抵抗は攻撃可能性ドスエ……」聞き慣れた電子マイコ音声。ゼン・トランス屋上からそれを見るタギザワは、微かな安堵を覚える。 

 バラバラバラバラ……「ネオサイタマ市警は市民の皆さまの安全を重点し……」NCPDのペイントが施されたヘリは、漢字サーチライトでストリートの闇を切り裂きながら、暴徒鎮圧用硬質ラバーミニガンのバレルを不気味に回転させる。だがその銃口は……銃を収めたタギザワに!?「……ブッダ?」 

 

◆◆◆

 

「ムッハハハハハ!イディオットどもめ!」ラオモト・チバは脂の乗った大トロを金髪オイランの箸で口元に運ばせながら、グンバイを掲げて哄笑した。その声がアマクダリ地下秘密基地の統合戦略室に響く。巨大UNIXディスプレイには、世界地図や日本地図や株価やカメラ映像が映し出されていた。 

 タラップの上に置かれたアルミ質の大型戦略チャブ。そこに座るのはラオモト・チバとアガメムノン、そして4名の情報解析クローンヤクザ。二者の背後には、ボディーガードめいて威圧的に立つネヴァーモアと、謎めいた雰囲気を漂わせるシャドウドラゴン……竜めいたその顔から表情は読み取れない。 

「スペクターを映せ!」チバがグンバイで指図する。「ハイル・アマクダリ!ヨロコンデー!」情報ヤクザがUNIXキーを叩くと、自警団員たちから次々とカラテを吸い取るアンデッド・ニンジャの姿が映し出された。「何やってるんだ!ニンジャだ!ニンジャを殺せよ!」チバは眉間を凶悪に歪める。 

「ニンジャの抹殺は、作戦の半分に過ぎませぬぞ」アガメムノンがチバを諫めた「それに、スペクターの力は実際恐ろしい」「買いかぶりすぎじゃないか?あいつ……リー先生は、ソウカイヤの崩壊前に逃げ出したんだぞ?」「ツキジのニンジャ・ネクロマンサーは、我らにとって好ましい同盟相手です」 

「ふん、まあいい…」チバは不満に歪む口元をグンバイで隠す。戦略チャブの背後に飾られた虎ビヨンボとも相まって、帝王のごときアトモスフィアを醸し出す。「対外的にはどう釈明する?この事態を」「抜かりはありません」アガメムノンは人差し指をすっと立て、情報ヤクザにスマートに指図する。 

 巨大UNIXディスプレイには、緑色のワイヤフレームを背景にアサルトヤクザが2体映し出される。一回転した後上半身が裸になり、背の入墨をズームアップした。ブッダ!何たる狡猾か!片方は「キング・オブ・ゴリラ」、もう片方は「タイ」……宿敵ヤクザクラン同士の抗争に見せかけているのだ! 

 それだけではない!腐敗しきったネオサイタマ市警マッポの八割はアマクダリのコントロール下に入っており、ニチョームの肩を持つマイノリティ市議会議員らもすでに暗殺済みだ!マイノリティが経済を停滞させるという抜け目ない世論操作により、大衆はニチョームの壊滅をむしろ歓迎するだろう! 

 火炎瓶を投げる暴徒、弾圧され磔にされるペケロッパ教徒、ブッダを殺せと叫ぶアンタイブディストたち、それらを映画のワンシーンめいて鑑賞するのは、緩やかな搾取構造にはめられた市民たち……無数のイメージがUNIX画面に映し出される。「これが私のイクサだ」アガメムノンは掌を合わせた。 

 

◆◆◆

 

「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」絵馴染では、バーカウンターに突っ伏したアサリが、サイバーサングラスに隠れた顔を紅潮させていた。「アサリ=サン、ダイッジョブ?」先輩が聞く。「今体温……今何度あるんだろ……」意識が朦朧としてきた。それに抗おうとすると、頭痛や吐気が止まらない。 

 店内では、ゲイマイコ自警団が声を潜めてバリケードを築き、アサルトヤクザの侵入に備えている。手にはショック・ジッテなどの自衛武器。だが、その構え方はいかにも覚束ない。対照的に、ドリンク剤とアルコールで理性が飛んだ無軌道大学生たちは、ライドショーに居合わせているかのような様子。 

「お手洗い……」アサリは口元に手を当てて立ち上がった。胃液が何度も逆流してきているのを、必死で胃に押し戻す。立ち上がると、急に体温が下がり、血の気が引いた。ふらつく彼女の肩を、男子先輩が支えた。「ダイッジョブダッテ!チャメシ・インシデントダッテ!」 



 戦闘が続くニチョーム・ストリートに鳴り響くのは、重低音サイバーサウンド!小太鼓と鐘の混じる人力ミニマルテクノ!「ハッ!ハッ!ハッ!」武装ヘリの風圧が近づく中、タタミレールに座した盲目のヤリテ・バーバが一心不乱にシャミセンを弾き、声も枯れよと歌う!「ショッギョ・ムッジョー!」 

 攻撃をニンジャと自治会に分散するというアマクダリの目論見は、功を奏し始めていた。アサルトヤクザ部隊がゼン・トランスのエントランス階段へと突入し、階段でショットガンを構える自警団員と交戦する。アマクダリに操作されたネオサイタマ市警の武装偵察ヘリが、各フロアにミニガン斉射を行う。 

 避難が遅れている非力な民間人や自治会役員らを助けるため、必然的にヤモトとザクロは屋内とストリートに分断され、お互いの弱点をカバーしながら背中合わせで戦うことができなくなってしまったのだ。アブハチトラズ……ニチョーム勢の良心と団結心に付け込んだ、悪辣な戦法である。 

「ホロウ、ナッシン、エンター、サツバツ、ホロウ、ナッシン、エンター、サツバツ……」翁が低いサイバーボイスで歌う中、ザクロはストリートで孤軍奮闘する。一方のヤモトは、屋内に侵入したクローンヤクザを背後から斬り捨てながら階段を駆け上り、双子姉妹と合流して上階の無事を確認していた。 

「上は」とヤモト・コキ。「ノタゴ=サンが守ってる」とオブツダン。気丈な声だ。上級マッポより遥かに。「でもタギザワ=サンのIRCが」とセンコウ。背後、階段室の大ガラス越しに、武装ヘリの機影。「許さない」短く言い捨てると、ヤモトはハードル競技めいた姿勢でガラスを割って飛び出した! 

「ホロウ、ナッシン、エンター、サツバツ、ホロウ、ナッシン、エンター、サツバツ、ホロウ、ホロウ、ホロウ、ナッシン、ホロウ、ホロウ、ホロウ、ナッシン…!」ストリートの音圧がヤモトを包む。「イヤーッ!」窓枠を蹴り、タタミ・レールを駆け、武装ヘリに飛びつき、ミニガン駆動部を次々破壊! 

 三機目の武装ヘリの給弾部を桜色の燐光をまとうウバステが切断した直後、ストリートにネザークイーンの叫び声が響き渡った。ヤモトは息を呑んで武装ヘリの足場に掴まり、上下さかさまの世界を見る。状況判断の時間すら惜しむように、ヘリ下腹部を両のスニーカーで蹴って真っ逆さまに降下する! 

 時間を十秒前に巻き戻そう。ザクロは、アマクダリ・ニンジャ2人の飛び道具十字砲火をムテキ・アティチュードでしのぎ、群がるクローンヤクザ軍団にエネルギースリケンを浴びせていた。戦況はジリー・プアー(徐々に不利)だが、ヤモトが戻るまでは持つはず……そこに、スペクターが乱入したのだ。 

「……キョムー」アビスの底から響くような声と共に、隙だらけのジュー・ジツの構えで、スペクターはザクロの前に現れた。カラテ・ドレインは危険であることが、ザクロにも直感的に解っている。次の飛び道具十字砲火までは、数秒の猶予。ならば素早くカラテを叩き込み、弾き飛ばして距離を取る。 

 敵の動きは、緩慢……!ネザークイーンは腰の捻りをきかせて、痛烈な右回し蹴りのカラテキックを叩き込む。「イヤーッ!」「……キョムー……」ナムサン!手ごたえは皆無!かわされたのか?否!ネザークイーンの攻撃は、スペクターの胴体を左から右へと突き抜けたのだ!「……何よ、これ……?」 

「……キョムー……」心臓目掛け繰り出されるヤリめいたチョップ!ザクロはこれを側転で難なくかわしてから、即頭部へとケリ・キック!「イヤーッ!」またしても手応え無く貫通!形を成した濃霧か、あるいは水面に写った朧な人影を攻撃しているかのように、一瞬だけ空間が乱れ、また戻るのだ! 

「何よコイツ!オバケ!?バカじゃないの!?」ネザークイーンは八連続バク転を打って距離を離し、間もなく繰り出されるであろうディスエイブラーとバイセクターの十字砲火に備える。ムテキ・アティチュードで守りを固めるのだ。だが「……キョムー……」滑るように纏わりついてくるスペクター! 

「「イヤーッ!」」予想通り、同時に投げ放たれるフック付き鎖とギロチン・チャブ!「イヤーッ!」ムテキ・アティチュードを構えるネザークイーン!「……キョムー……」接近するスペクター!本当にムテキで対抗できるのか?迷うザクロの視界右隅に、ゼン・トランスの黄金ブッダ象がちらついた。 

 (((嫌な予感。アタシ、そういえば、前にもこんなことが何度か……これはブッダのメッセージ!?三度目……ブッダも……えーと、あれよ、三度目は怒る!?)))ネザークイーンは生死を賭けて一瞬の判断を行った。ムテキを解き、フック付き鎖を喰らう覚悟で側転を打ったのだ!「イヤーッ!」 

「……キョムー……」先程までネザークイーンがいた場所に向けて、ヤリめいたチョップを打ち込むスペクター。その横を通過してゆくギロチン・チャブ。そして……「グワーッ!」鎖先端の刃物が、ネザークイーンの左足に深々と突き刺さったのだ!「イポン!」ディスエイブラーが力任せに鎖を引く! 

「グワーッ!」ザクロはカンオケに放り込まれるのを防ぐため、全力でそれに抗い…アキレス腱断裂!ナムアミダブツ!痛々しい叫びがストリートに響く!間髪いれず、ブーメランめいて返ってくるギロチン・チャブ!横に転がってこれを間一髪でかわす!「ザクロ=サン!」ヤモトがストリートに着地! 

「ヤモトッ!後ろッ!そいつヤバイわ!」ザクロは血相を変えて叫んだ。ウカツ!ザクロを助けたい一心で状況判断を急いたヤモトは、ニンジャソウルを感知できていなかったのだ。気配無く、アスファルトの上を滑るように背後へと迫る、スペクターの存在を。「…ッ!」ヤモトが振り返る!だが遅い! 

「……キョムー……」ヤリめいた半実体のチョップが、ヤモト・コキの背から左胸を貫通し、彼女を高く掲げた。ヤモトは小さく痙攣し、スニーカーをぷらぷらとさせ、ウバステを取り落とす。「ヤモトーッ!」片脚で立ち上がろうとするザクロに、ディスエイブラーのもう片方のフック付き鎖が迫る! 

「……キョムー……」「アイエエエ……」ヤモトは顔を蒼白させ、悲鳴ともつかぬ悲鳴を洩らした。胸の奥に、確かにあった、暖かい何かが……カラテが、失われてゆく。「嫌だ!嫌だーッ!」ヤモトが叫ぶ!「イヤーッ!」ザクロは咄嗟のムテキ・アティチュードで全身を鋼鉄化し、鎖攻撃を弾き返す! 

「ザッッッ……ケンナコラー!」ザクロは一瞬の迷いの後、エネルギースリケンを放つ!ヤモトが多少巻き添えを食らうのは覚悟の上!カブーム!半実体の肉体が大きく乱れ、亡霊はヤモトの胸から手を引き抜いて後方へと逃げた!「……キョムー……」「ンァーッ!」そのまま地面に倒れるヤモト! 

「ヤモトーッ!」ザクロは片足で這い寄り、ヤモトを抱え起こした。「カ……ラテ……!カラテ!」ヤモトは悪夢から醒めたように、酷い汗を全身に纏い、覚束ない指先でウバステの柄を握る。「いい声で鳴くじゃねえか」ディスエイブラーが舌舐めずりする「お前のカラテは失われたぜ、永遠になア」 

「嘘だッ!」ヤモトはウバステに桜色の光を灯し、バネ仕掛けのように立ち上がると、荒削りな憤怒を露にディスエイブラーへ突進した。「ヤモト!止まれーッ!」ザクロが絶叫する!ヤモトは巨漢の周囲を守るクローンヤクザに斬撃を浴びせようとするが……太刀筋がおかしい!まるで素人のカラテだ! 

 小学生の頃、頭を強打した後で簡単な足し算を頭の中で試したように、思い出を辿る……カギ・タナカ……コインランドリー……イアイドー……。それはカラテ・ドレインの産物か、それとも極度の混乱ゆえか?鮮明に覚えていたはずの光景が、霧のように朧だ。(((永遠に?)))ヤモトは恐怖した。 

 その恐怖と迷いを、ディスエイブラーが狡猾に突く。丸太のように太い腕で、彼女を真正面から力任せに殴りつけたのだ。「イヤーッ!」「ンァーッ!」体をくの字に曲げて弾き飛ばされるヤモト!ナムアミダブツ!ジュー・ジツの基本たる衝撃吸収動作すらも覚束ない!そのまま血塗れの道路を転がる! 

◆◆◆

 一方その頃、絵馴染では。口元に手を当てながら、アサリがお手洗いへと向かっていた。男子先輩がにやにやと笑いながら肩を貸す。「エー!アサリ=サン、ダイッジョブー!?」「スゴイ・シツレイー!?」同学科の女子2人が薄笑いを浮かべていた。友達の前で嘔吐すれば大学でのムラハチは確定だ。 

「あ、大丈夫です……だ、大丈夫です……」アサリはこみあげる胃液を飲み下しながら、ふらふらと奥へ歩く。怖い、とにかくムラハチだけが怖い。4年間、あるいは永遠のムラハチ。そしてお手洗いのドアを開け……何故か、男子先輩も一緒に入ってくる。「……ナンデ?」アサリが困惑する。 

「ダイッジョブダッテ!ダイッジョブダッテ!」男子先輩はチャントのようにそう繰り返す。だがアサリはその共通言語セットを持ち合わせていない。男子先輩は面倒臭そうな顔を作り、ポケットからタブレットを取り出す。「じゃあほら、これ、楽になるよ」「……え、それシャカリキ……違法な……」 

 これでアサリは全てを悟った。自分の愚かさを。高校生めいたアトモスフィアから脱するために……あの痛々しくささくれ立った過去の記憶を癒すために、何と性急で無思慮な行動を取ってしまったか。今、彼女の胸元には、バタフライナイフが忍ばせてある。物理的にも精神的にも、彼女の最後の砦だ。 

 だが、ここで刃を抜けるのか?相手は曲がりなりにも、大学の先輩だ。たとえバタフライナイフで威嚇し、危機を脱したとしても……その先には暗黒の大学生活が待ち受けているのではないか。ならどうする?されるがままか?あの時のように?路地裏に連れ込まれて、暴行されかけた時のように!? 

 (((ヤモト=サン、助けて!)))アサリは親友の名を祈るように叫び、胸元からバタフライナイフを引き抜いた! 

 一方その頃、ニチョーム・ストリートでは。ヤモトとザクロが背中合わせに中腰に立っていた。一瞬でも、どちらか片方が気を抜けば共倒れ。周囲にはクローンヤクザの死体が山と積まれている。だが、アマクダリ勢は今なお無傷であり、彼女らが疲弊してゆく様をサディスティックに鑑賞していたのだ。 

 先程まで鳴り響いていたサイバーミュージックも、プログラムされた無機質な電子音しか聞こえない。タタミレールの上には、翁とヤリテ・バーバがうつ伏せに倒れている。「……!ハイ、ドーモ!」さらなるアサルトヤクザをけしかけようとしていたバイセクターが、内蔵IRCのメッセージに気付く。 

「ハイ!スミマセン!遊びすぎました!すぐに殺します!ジーク・ラオモト!ヨロコンデー!」バイセクターは自分にしか見えない3D映像のラオモト・チバに対して恭しくオジギをする。それを聞き、ディスエイブラーがじゃらじゃらと鎖を鳴らす。サツバツとした風が、ストリートを吹き抜ける。 

「ザクロ=サン」ヤモトが息を切らせながら言った。「なーに?」ザクロが吹っ切れた顔で言う。「今誰かが、どこかで、アタイの名前を呼んだ気がしたんだけど」「けど?」「どこか解らない。近くかも。遠くかも。そのひとを、助けに行きたかった。ずっと。明日世界が滅びるとしたら、真っ先に」 

「行きなさいな。こいつらを倒してから」ザクロはディスエイブラーを睨む。止めを刺しに来るとすれば奴だ。足がもう言うことを聞かない。「でも、もう、カラテが無いんだ」ヤモトは力無く言った。ザクロは言葉に詰まり、呟く。「こんな時、あの人、来るかしら。来ないわよね、御人好しだから」  

 2人同時にカンオケの中に放り込もうという算段だ。スペクターは建物の陰で半死のヤクザたちからカラテを吸っている。「奴は来ないか……」バイセクターは無表情な機械音声で呟き、攻撃命令を下した。「イイイイイヤアアアアアーッ!」ディスエイブラーが両腕の鎖を頭上でグルグルと回転させる! 

 ヤモトとザクロは、霞んだ視界でそれを見る。次の一撃を耐え切ることは、恐らく不可能だろう。少なくとも片方がカンオケに吸い込まれるはずだ。そして、もう片方が後を追う。……おお、ブッダ!まだ寝ているのですか!?それとも薄目を開け、この惨劇をよしとしているのですか!?……その時!! 

「イヤーッ!」ゼン・トランスの屋上からスリケンが投擲され、ディスエイブラーの背中に突き刺さった!「グワーッ!」アンブッシュを受ける巨漢ニンジャ!その場にいた全員が、聳え立つエロチック雑居ビルを仰ぎ見た!「ニンジャスレイヤーか!?」アマクダリ秘密基地の全員も映像に見入る! 

 それは「WASSHOI!」の掛け声もなく前方回転し、エロチックブッダ坐像の頭の上に着地すると、直立不動の姿勢で腕を組んだ。だが……そのニンジャ装束の色は赤黒ではない!墨汁めいた漆黒!そして鋼鉄メンポには「殺」「伐」の文字!「ドーモ、はじめまして……サツバツナイトです……!」 

「サツバツナイト!?」「サツバツナイトだと!?」「何者だ!?」どよめき立つアマクダリ秘密基地!「ニンジャスレイヤーではないのか!?」チバがグンバイをへし折る。「新月ノ/夜闇ニ紛レ/殺伐ノ騎士……」シャドウドラゴンは、静かに、ほぼ無意識のうちにハイクを呼んでいた「……字余り」 

「バイセクター=サン、応答しろ」アガメムノンがIRC通信を送った。直後、通信画像が乱れる。「ニンジャスレイヤーではないのか!?交戦経験があるだろう?ドラゴン・ドージョー放火作戦で!……何だ?……何故画像が乱れた!?何が起こっている!?」 

「ニンジャスレイヤーならば今すぐプランBだ。答えろ、バイセクター=サン!」「……私のカメラアイがアンブッシュにより破壊されました」バイセクターは平淡な機械音声で言い放つ。無傷のサイバネアイに憎悪の炎を燃やしながら。「奴はニンジャスレイヤーではない……よって我々が殺します」



 再建築の波から取り残された薄汚いニチョームは、いわばネオカブキチョという巨大な城塞に寄り添う中世貧民街の風情であった。華々しくも儚い虹色ライトは消え、いまや非常ボンボリの赤い明滅と暗闇だけがストリートを覆う。魔女狩りの松明を恐れる抑圧者めいて、住人らは固く鍵を閉め祈るばかり。 

 そこへ、サツバツとした夜の闇を装束として纏ったかのように、その男は現れたのだ!全員がアイサツを終えた直後、サツバツナイトは前方回転跳躍し、黒い怒りを投げ放つ!腕が鞭のようにしなり、目にも止まらぬ速度で8枚のスリケンが飛ぶ!「イヤーッ!」「グワーッ!」被弾するディスエイブラー! 

「イヤーッ!」バイセクターは紙一重の側転でこれをかわし、即座にギロチン・チャブ投擲姿勢を取る。失ったはずの鼻腔の奥に、焼け焦げるタタミの臭いがフラッシュバックした。空気を切り裂きながら飛ぶ巨大円盤!だがサツバツバイトは空中で身体をひねり、刃の無い上部を踏み台にして再ジャンプ! 

 サツバツナイトは何事か押し殺した禍々しいシャウトを放ちながら、ストリートに着地した。ヤモトとザクロに背を向けつつ、2人を守るような、極めて近い場所に直立不動の姿勢で立つ。そして……ジュー・ジツを構える。無言のうちに、自らがアマクダリに敵対する者であることを伝えているのだ。 

 背後の電光カンバンでは、サシミをショーユに浸したオイランが、それを何度も口に運ぶ映像がループしていた。「貴方は一体……」ザクロが朦朧とした意識のまま問う。「……答える必要は無い」そう言い終わらぬうちに、アサルトヤクザ軍団とアマクダリ・ニンジャは全方位から総攻撃を仕掛けてくる! 

「「「ザッケンナコラーッ!」」」押し寄せるヤクザ軍団!「イヤーッ!」サツバツナイトが腕を横に薙ぎ払うように振ると、五枚のスリケンが投擲され無防備な喉元に命中!「「「アバババーッツ」」」五人即死!続けざま、鎖とギロチン・チャブの十字砲火を紙一重のブリッジでかわす!「イヤーッ!」 

 サツバツナイトの強さは圧倒的だった。少なくとも、ヤモトとザクロの目にはそう見えた。ヤモトはぎこちない剣捌きでアサルトヤクザ1体に苦戦しながらも、注意力を再びストリート全体に広げた。心が乱れている。呼吸を整えないと。そして、あの亡霊が接近してくるのを見た。「……キョムー……」 

 同じ頃。ニチョームの遥か上空を、一機の湾岸警備隊所属ジェットファイターが超音速で駆け抜けてゆく。「コーッ、シュコーッ」6本のLAN直結ケーブルを頭から生やしつつ物理操縦桿を握るのは、アマクダリ・ニンジャのデストロイヤーだ。「コーッ、シュコーッ……プランBへの移行は?ご命令を」 

「コーッ、シュコーッ……」デストロイヤーはUNIXパネル上の「発射します」と書かれた文字に指をかざし、IRC通信に注意を払う。だが最終命令は届かない。プランB実行可能空域からの離脱まで5秒、4、3、2、1……音速戦闘機は空域を離脱し、数分後の再突入に備え飛行ルートを模索した。 

「なんでプランBに移行しないんだよ!」アマクダリ地下秘密基地では、ラオモト・チバが金髪オイランの差し出してくるオーガニック・スシを払いのけ、戦略チャブの向かい側にいる参謀に食って掛かっていた。参謀アガメムノンは平時の沈着冷静な顔に戻り、両手で台形を作って口元を隠している。 

「……よろしいか?」アガメムノンは立ち上がり、人差し指を上にかざした。戦略チャブの周囲にいる者にしか見えない規模で、ゼウス・ニンジャソウル由来の電撃が小さく走る。チバは椅子に深く座り直した。「……プランBはニンジャスレイヤーが現れた時にのみ実行すべき作戦です」参謀は続ける。 

「交戦経験のあるバイセクターもそれを否定しました」「だが」チバは下唇を苛立たしげに噛む「奴は……もしかするとニンジャスレイヤーの変装じゃないのか?」「推測だけでは危険です。……仮にそうだとすれば、あからさま過ぎましょう。むしろ、何らかの第三勢力が仕掛けた罠も警戒すべきです」 

 チバは歯噛みした。こんな時、父ラオモト・カンならば、有無を言わさず強引にプランBを実行しただろう。邪魔者に変わりはないからだ。「……おい、バイセクター!」チバはIRCを飛ばす。バイセクターはラオモト家信奉派の代表格だ「どうなんだッ、本当にニンジャスレイヤーじゃないのか!?」 

 バイセクターは忠実な駒だ。機械だ。絶対に自分を裏切らない。チバにはその自信があった。アマクダリ地下秘密基地のIRC音声スピーカーから、激しい戦闘ノイズ交じりの平淡な合成音が流れてくる。「……違います。奴はそんな小細工をする男ではありません。サツバツナイトは私が殺します……」 

 再び場面はニチョームへと戻る!バイセクターがIRCメッセージを送信し終えた直後、サツバツナイトが急激に間合いを詰め、近接カラテを挑んだ!「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ワザマエ!押され気味ではあるが、見事なジュー・ジツで敵の攻撃を捌くバイセクター! 

「イヤーッ!」「グワーッ!」均衡を破るサツバツナイトの膝蹴りが鳩尾に決まる!だがサイバネ義体に弱点臓腑は存在しない!「イヤーッ!」「グワーッ!」首元に肘を叩き込むバイセクター!黒漆塗りのサイバネ義体表面パーツが割れてガラスのように舞い散る中、両者の視線が交錯し、火花が散る! 

「「イヤーッ!」」鍔迫り合いに入るカラテチョップ!二者はアイサツを交わした瞬間から、互いの正体を見抜いていた。だが両者ともに、その忌々しい名を口に出す事は許されぬのだ!一方は、ニチョームとの無関係を装うために!もう一方は、この怨敵をプランBなどではなく自らの手で殺すために! 

 バイセクターのカラテは、ヒュージシュリケン時代の比ではなかった。ギロチン・チャブをかわして間合いを詰め、一気にカラテに持ち込むことでこれを爆発四散させる……サツバツナイトの作戦は完全に空振りに終わってしまったのだ。一旦間合いを離すべきか?彼が思案したその時、背後から迫る鎖! 

「イヤーッ!」足首を狙って投げ放たれた、ディスエイブラーの鎖鎌である!サツバツナイトはこれを辛うじて回避するも、その動作によって一瞬の隙が生まれる!「イヤーッ!」バイセクターは上半身のみをサイバネによって360度回転させ、強烈なフックを敵の腹部に叩き込んだ!「グワーッ!」 

 だが浅い!サツバツナイトは連続バク転を打ち、間合いを離す。上半身を戻したバイセクターは、ザクロに対し投げ放っていたギロチン・チャブの戻りを掴んで背負い、カラテを構え直した。「無能のウスノロめ、連携が甘い」彼は平淡な合成音でディスエイブラーを罵倒する「俺を殺す程の勢いでやれ」 

 敵は予想外の戦力。一方のニチョーム勢はどうか?サツバツナイトは連続バク転を打ちながらのごく短い一瞬で、周囲の様子を窺った。ザクロは鎖やチャブを辛うじてかわしつつ、まだ息のある自警団員を救おうとしている。ヤモトは得体の知れぬ亡霊じみたニンジャに付き纏われ、回避が精一杯だ。 

 それと同じ状況判断をバイセクターも行っている。肉を失うことで、彼の判断力は鋭敏に研ぎ澄まされていた。「どれを狙う」ディスエイブラーの知能を試す。かつての相棒のように動けるのかを。「イヤーッ!」鎖はザクロが抱えていた自警団員の身体を捉え、背中の鋼鉄カンオケに放り込んだ。 

「アババッババッバー!」シュレッドされ放り出される団員!「……テメッコラー!」ザクロは怒りに顔を歪めながらも、力無く地面にへたりこむ。血が失われ過ぎている。断裂したアキレス腱の周囲からは、まだ出血が続いていた。「ハァーハハアー!」イタミを補給し愉悦を味わうディスエイブラー! 

「シックスゲイツには遠く及ばぬ。愚鈍」鎖が投げられる前に、バイセクターは連続側転を決めギロチン・チャブ投擲姿勢を取っていた。「イヤーッ!」その狙いはバク転を打ち終わるサツバツナイト!さらにその後方でスペクターと交戦中のヤモト!アブナイ!これはアドバンス・ショウギめいた戦法! 

「ヌゥーッ!」後方のヤモトの気配を察したサツバツナイトは、ジャンプしてギロチン・チャブを真上から踏みつけ、これを停止させる防御策を思いついた。だがその直後、投擲方法がこれまでと違うことに気付く!巨大円盤は地面に対して垂直に……アスファルトを切り裂きながら迫ってきていたのだ! 

「イヤーッ!」サツバツナイトは両腕を顔の前で上下に重ね、迷わず防御体制を取る。衝撃!ノックバック!ギロチン・チャブの刃が腕の装束を切り裂き、その下に隠されたドウグ社製ブレーサーすらも焼き切ろうとする!高熱で腕が焼け焦げる!ギプスをバズソーで切断される時のような紙一重の感覚! 

 一方ヤモト・コキは、スペクターのヤリめいたチョップをかわすため、電柱に括り付けられたスクーターのハンドルを蹴って、空中に逃れていた。オリガミはもう残っていない。精神力を振り絞り、道端に転がっている薄汚いチラシや街宣ビラを浮かせ、桜色の光を放つオリガミ・ミサイルに変えて放つ! 

 ヒコーキ、タコ、鶴、カエル……ひとりでに折り畳まれ敵を追尾する紙屑たち!だが精彩を欠く!雨に叩かれ泥にまみれた桜の花弁めいて、曇り灰色がかった光の軌跡!それはとりもなおさず、現在のヤモトの瞳に灯る光の色でもあった。POW!POW!POW!頼りない小爆発が亡霊に浴びせられる! 

 (((やっぱり効かない……?)))ヤモトは猫のようにしなやかに身を捻りながら着地し、膝立ちの状態でウバステを構えて隙を殺す。爆発によって生じた煙を抜け、何事も無かったかのように現れるスペクター。いや、ヤモトの前に立ちはだかるそれは、初めて遭遇した時よりも遥かに巨大に見えた。 

「……ARRRRRRRGH!……」スペクターは大きく息を吸うように両腕を開いて仰け反ってから、ネガティブ・カラテの力を吐き出した。風無き風がヤモトに吹き付ける!少女の瞳が恐怖に見開かれる!過去の亡霊たちの声が、悪夢の如く耳にまとわりつく!灰色のローブの奥に映るは無数の死者! 

 ヤモトはブリザードに晒されたかのように顔を歪めつつも、弱弱しい桜色の光を放つウバステを水平に掲げ、抵抗の意志を示した。その光を見たスペクターは、ニンジャローブ覆面で隠された顔の目元を片手で遮り、一瞬だけ怯えたような姿勢を作る。(((……怯えてる?))) 

「……ARRRRRRRGH!……」だがスペクターは再び大きく息を吸うように両腕を開いて仰け反ってから、ネガティブ・カラテの力を吐き出した!過去の亡霊に混じり、オリガミ部の幻影までもが霧めいて!「ヤモト=サン」アサリの亡霊が生気の無い瞳で言った「サンズ・リバーで待ってるよ」 

 何たる邪悪な精神攻撃か!カラテがあれば、ヤモトは怒りに燃え立ち上がっただろう!だが彼女のカラテは奪われたのだ!激しい動揺!その時、背後からディスエイブラーの鎖攻撃が迫る!「ンアーッ!?」右足を絡め取られ、地面に顔を叩きつけられ、力任せに引き寄せられる!「イヤーッ!イポン!」 

 ヤモトの体が宙を舞う。ソーマト・リコールすらも覚束ない。取り落とされるウバステ。混濁する記憶。自治会議の残響。ネガティブの悪夢。(((……アサリ=サンは死んだ?みんな、死んだ?何故?ニンジャだから?アタイがニンジャだから?生きてるだけで、一緒にいるだけで、迷惑だった?))) 

 ヤモトの視界がスローに変わる。カンオケが近づく。ソーマト・リコールは飛び降り自殺未遂事件の日まで巻き戻る。あの日宿ったもうひとつの魂。名前しか知らないシ・ニンジャ。ショーゴー。カギ・タナカ。何も残せなかった。それどころか。悔しさで涙が溢れた。「ニンジャで……ごめんなさ……」 

「イイイイヤアアアァーッ!」その時!サツバツナイトによって弾き飛ばされたギロチン・チャブが、澱んだ重金属大気を切り裂きながら飛び、ディスエイブラーの鎖の一本を切断したのだ!「サツバツ!」殺伐たる夜の化身は、ネオサイタマの死神は、両腕から大量の血を流して跳躍する!高く!高く! 

 人間の両目に赤黒いジゴクめいた光を宿しながら、サツバツナイトは空中に放り出されたヤモトへと迫る!……ヤモトは、かつて欺いた死神が、再び自分のもとに現れたのかと錯覚した。あるいは嘆きを終わらせる慈悲の天使か。それはトビゲリ・カイシャクにより、一瞬でもたらされるだろう……と。 

「イヤーッ!」だがサツバツナイトは傷付いた彼女の体を優しく抱き、「大好評」のネオンカンバンを蹴った!ゴウランガ!翁の伏すタタミレールを蹴ってムーンサルトしてから、さらに突き出し灯篭を蹴って、ギロチン・チャブの再投擲をかわし、クローンヤクザたちのチャカガンをかわし、高く跳ぶ! 

「GOGOGOGOGO!!」敵の射撃がストリートを飛び回るサツバツ・ナイトに集中した一瞬を見計らい、自警団員ノタゴが建物のドアを蹴り開けて一気に飛び出した。その後ろには、オスモウサウナ「キマリテ」の若いスモトリも続く。アブナイ!これは実際とても危険だ!ヤバレカバレである! 

「……ちょっとアンタ達!何してんの!自殺志願の英雄気取り?流行んないわよ!」ザクロが両手を振って退却を訴える。だがノタゴは止まらない。チャカ・ガンで目の前のアサルトヤクザを撃ち抜くと、ザクロに駆け寄り、地面に女めいた格好で横たわる巨体を2人がかりで抱えた。「え、アタシ?」 

 ノタゴとスモトリは視線を交わして頷くと、仲間たちが心配そうに見守る武装ドアめがけて一目散に駆け戻る。「「ダッテメッコラーッ!」」これに気付いたアサルトヤクザが、チャカ・ガンを連射する!「アイエエエエエ!」スモトリが脇腹に被弾!「アイエエエエエ!」またもスモトリが脇腹に被弾! 

 三人は倒れ込むように武装ドアの中に飛び込んだ。他の仲間がすぐに内側からこれを閉め、大きなコケシやイカのオブジェなどを積み上げて、バリケードを再構築する。「アイエエエエ!アイエエエエエエ!」呻き声を上げるスモトリ。「誰か、お医者様!アタシより先にこの子!」血相を変えるザクロ。 

「2人とも上の手術台に。その位じゃ死なないから」階段から声が聞こえた。彼女の右手には応急サイバネ処置用ハンドドリル。白いゴシックドレスを返り血で染めたセンコウとオブツダンが、彼女の臨時助手を果たす。「出張外来日じゃなくて、ラッキーね」闇医者バシダは甲高いドリル音を鳴らした。 

 階段には応急処置済みと思しき負傷者らがあふれ、包帯やサイバネギプスを巻き、憔悴した様子で座り込んでいた。ザクロが助けた者もいる。「よし、あと一息だぜ」ノタゴは若い連中を手招きし、ザクロを臨時手術室へと運ぶ。「ちょっと!ちょっと!手術は!」ザクロの上ずった声が、上階に消えた。 

 一方、ニチョーム・ストリートでは。サツバツナイトのムーンサルト跳躍によって足場タタミを揺らされた翁が、粉っぽさに咳き込みながら上半身を起こす。ヘリの爆発に煽られて倒れ、そのまま気絶していたのだ。「おい、おい、いるかい」翁はヤリテ・バーバに問う。だが彼女はすでに事切れていた。 

「何だい、いないのかい、しょうがねえなあ」翁は袖をまくると、「BPM」「ボリュム」と書かれたダイヤルを捻り、ストリートに流れていた電子合成テクノ音を調整した。よりファストに!ラウドに!「ハッ!ハッ!ハッ!ハッ!」それから小太鼓を叩き、サイバーボイスで今宵のサツバツを歌った。 

 (((制御できている、今のところは)))「殺」「伐」のスリットから、殺戮蒸気機関めいた硫黄の煙が洩れる。サツバツナイトはストリートの左右を飛び渡りながら、畏怖を感じさせる古き声で言った。「小娘。シ・ニンジャのこわっぱ」「ハイ」ヤモトは答えた。「ジツを使え。あれは難儀な敵だ」 

「でも、もうアタイは……」ヤモトは己の無力を訴えた。また悔しさで涙が溢れてきた。(((まだ時間が必要だ。あと一息で狩れるという誤った考えを……与える)))サツバツナイトは鎖を紙一重で回避し、チャカ・ガンの銃弾を右脛にかすめさせた。(((最後までやり通せるか……あるいは))) 

 (((黒い炎を使えば……正体は見破られる)))サツバツナイトは「病院」と書かれたカニカンバンの脚を蹴った。直後、ギロチン・チャブが飛来し、大爪を切断する。「ともかくジツで何とかせよ、小娘。奴は怯えておる、サクラの死のジツに」「カタナが……」「オリガミでよい」「効かなかった」 

 (((苛立ってきている……限界が近い)))ザクロは無事に退避したと気付く。敵はザクロの逃げ込んだビルに対し攻撃指示を下そうとしている。(((上出来だ、ひとまずは……)))ひときわ大きく跳躍し、エロチック雑居ビルのカワラ屋根を蹴ると、ヤモトと背中合わせでストリートに着地した。 

「やれるか、シ・ニンジャ」サツバツナイトの瞳が次第に黒へと戻る。「やってみる」ヤモトは言った。華奢な拳を握り、ぎこちないジュー・ジツを構える。カラテは失われたままだが、毒気が抜け、その目には微かに……淡く透き通った桜色の燐光が宿り始める。アマクダリ勢が彼らに向き直る。 

 迫るヤクザ軍団!「イヤーッ!」サツバツナイトは腕を横薙ぎに振る!5枚のスリケンが放射状に投げ放たれた!「「「アババーッ!」」」「百発のスリケンで倒せぬ相手だからといって、一発の力に頼ってはならぬ。一千発のスリケンを投げよ……あのユーレイを殺すべし」。ヤモトは頷き、跳躍した。 

「シ・ニンジャ……!」ヤモトは再びその名を呼んだ。ある日突然、自分のもとに降ってきて命をくれた、ニンジャソウルの名を。(((……頭をクリアに……体を動かす……)))。目の前に迫ってきたアサルトヤクザの胸板に向かってトビゲリを決め、そのまま流麗なムーンサルトで斜め後方に飛ぶ。 

 風が心地良い。翁の声。まだ歌ってる。ヤモトは身体を捻り別のヤクザの頭に着地すると、ハードル競技の姿勢で、飛び石めいて頭から頭を渡ってゆく。体は、どう動けばいいか初めから知っていた。死と紙一重の躍動の喜び。あの時のようだ。初めてニンジャの力を開放し、アサリを暴漢達から救った。 

 鎖とギロチン・チャブは、サツバツナイトが引き付けている。背後から追ってくるのはスペクター。その腕は長い。(((もっと引き離す)))ウバステを発見する。勢い良く前方回転しながらそれを拾い、サクラ・エンハンスの淡い光を灯す。死者を送るボンボリの灯火めいた光を。そして駆け続ける。 

「イヤーッ!」ヤモトは走り抜けざまに、チャカを構えるヤクザの手首を切り飛ばそうと試みた。SLAAASH!甘い太刀筋!やはりカギから授かったカラテは、失われたままだ。返り血がひとすじ顔を撫でる。「……シ・ニンジャ……!」ヤモトの心を怒りが包む。そしてなお速く駆ける。絵馴染へ。 

 絵馴染が近い。亡霊との距離は十分に離れた。なお駆ける。(((亡霊からカラテを奪い返すことは?シ・ニンジャなら、できるはず)))「……シ・ニンジャ!」ヤモトは鬼気迫る表情で呼びかけた。桜色のマフラーメンポが金属めいて硬質化する。少しずつ、自分が人間から剥離してゆくのを感じる。 

 ヤモトは2階の自室へと跳躍するために上を見上げ、足のバネで一気にジャンプしようとした。その時、絵馴染のバーカウンターから、何十個ものガラスが割れる音と、乱暴な男の怒声と、いくつもの悲鳴が聞こえた。ナムアミダブツ!その中には、聴き紛うはずのない、アサリの悲鳴が混じっている! 

 何故アサリがここに?絵馴染で一体何が?ゲイマイコたちは無事なのか?まさかアサルトヤクザが中に?ニューロンの中に無数の文字が浮かび上がる。二階へと跳躍するか、否か。判断猶予はあと、タタミ3枚、2枚、1枚!「イヤーッ!」ヤモトはハードル競技めいた姿勢で、絵馴染の窓を突き破った! 

 絵馴染のカウンターの上では、アサリを人質に取った無軌道大学生男子が、バタフライナイフを持ってゲイマイコらを威圧していた。彼はトイレでアサリからナイフを奪ったが、悲鳴をゲイマイコに聞かれて外側からこじ開けられ、理性を失ったのだ。なお他の大学生らは、隣のトイレ室で前後していた。 

「オッ、オイ!抵抗するなよ!ゲイマイコども!そっちの席に座れ!」無軌道大学生はマッポに突き出されることを恐れていたが、今の所は、TV番組から着想を得た人質作戦が功を奏していた。(((チャメシ・インシデントだろ!このまま安全な退廃ホテルに逃げ込んで、本格的に前後したい!))) 

「アイエエエエエ!」アサリは酷い有様だ。ソフトサイバーゴス衣装は引き裂かれ、嘔吐物にまみれている。頭が割れるように痛い。「ゴボボボーッ!」またも激しく嘔吐!目元がサイバーサングラスに隠れていなければ、羞恥心のあまり彼女はセプクしていただろう!「……助けて……ヤモト=サン!」 

 ブッダに救いを求めるかのごとく、アサリが親友の名を呼んだその時!KRAAAAAAASH!絵馴染のフロント窓上部が蹴破られ、オニめいた形相をマフラーメンポで隠すヤモトが突入してきた!ナムアミダブツ!そのまま無軌道大学生の横顔に鋭いトビゲリを入れる!「イヤーッ!」「グワーッ!」 

 ヤモトは空中に浮いたハードル競技姿勢のまま……突き出した右足の、磨り減ったスニーカーの靴底が、無軌道大学生の顔面にめりこむのを感じながら……下を見た。放たれた矢のように彼女が頭上を跳び越していくのを見上げ、アサリもそれに気付く。視線を交わす。「ユウジョウ!」「ユウジョウ!」 

「アイエエエエエエ!」オウガキリング、シャドウタイガー、ナカムラ……様々な日本酒瓶やワイングラスを割りつつ、カウンターから転げ落ちる無軌道大学生!「今よーッ!」ゲイマイコの年長者が華奢な腕で警棒を掲げて、仲間たちを率い襲い掛かる!ヤモトは着地からターンし、アサリに向き直る! 

 ヤモトの顔半分を覆い隠すマフラーメンポは、いつしか硬質化が解け、一瞬だけ彼女の顔に屈託の無い笑みが戻った。高校時代に、ほんの一瞬だけ笑った、あの笑いが。だが一方のアサリは、困惑を覚えながらも、視線を逸らした。ヤモトを恐れたからではない。自分の有様に羞恥心を覚えたのだ。 

 (((アサリ=サン……やっぱり迷惑な……?)))視線を逸らし言葉に詰まるアサリを見て、ヤモトの心を躊躇が曇らせる。だが彼女は動きを止めなかった!もっと速く!急がねば亡霊が追いついてくる!そのままヤモトはカタナを咥え、嘔吐物も構わずアサリを抱き上げると、二階への階段を駆けた! 

「アイエエエ!ンッダヨ!ゲイマイコの分際で!マイノリティの分際で!」違法薬物シャカリキの力で痛みなど感じない無軌道大学生はカラテを振るい、警棒攻撃を乱暴に振り払う!「アレーッ!」「アイエエエエ!」悲鳴をあげ尻餅をつくゲイマイコ!「アーポウ!」彼はそのまま扉を蹴破り外へ脱出! 

 脱出を成し遂げた無軌道大学生は、ストリートのサツバツたる異様に気付く前に、ケミカルな征服感と多幸感に包まれ後ろを振り返る。床に転がるゲイマイコたちに指を向けて唾を吐き、口汚く罵った。「インガオホー!ゲイマイコどもめ!俺を馬鹿にしやがって!俺はカラテ十段なんだ!マイッタカ!」 

 無軌道大学生が絵馴染のドアを閉めると、不意に周囲が暗くなった。「……キョムー……」「虚無ゥ?」正面を向き直ると……ナムサン!そこには灰色ニンジャローブ装束の亡霊が浮遊し、深い影を落としていた。胸に突き刺さるヤリめいたチョップ!「アイエエエエ!」奪われるカラテ!インガオホー! 

 一方、アサリを抱き抱えたヤモトは、絵馴染のスタッフ用階段を駆け上っていた。その距離は短い。久方ぶりの親友が再開の時間を分かち合うには、残酷すぎるほど短い。 

 ヤモトは足でフスマを開け(シツレイな行為だ)、古く薄暗いタタミ部屋にアサリを下ろす。自室……というよりは、他のゲイマイコたちとシェアしている部屋だ。アサリは薬物のせいで、判断力が急に鋭敏になったり、泥のように鈍くなったりを繰り返していたが、どれがヤモトの机かはすぐに解った。 

 ヤモトはカタナを机に置いてすぐに自分のフートンを敷き、そこでアサリをくつろがせる。「鍵締めておくから、さっきの奴、2階には来れないから」ヤモトは一瞬一秒を惜しむように言った。アサリはまだ事態が飲み込めていない。こんな所にヤモトが暮らしているという事実を咀嚼するので精一杯だ。 

「ごめん、アサリ=サン、もう行かなくちゃ」ヤモトはカタナを片手に、もう片手で自分の机の引き出しを引っ張って外した「でも次は、すぐにまた、戻るから。すぐに」。アサリはヤモトの机の前の壁に貼ってある「勉強」「イアイドー」などのショドーや、色褪せた写真の数々をぽかんと眺めていた。 

 アサリは写真を目で追った。オリガミ部の面々。アサリとヤモトが2人で撮った写真。「逢いたい」と少女らしいピンク色のペンで、小さく控えめに書かれた文字。いままでの空白期間が、一気に埋められるような、情報の滝に打たれる眩暈。アサリはサイバーサングラスを外し、泣きながら微笑んだ。 

「……逢いたかった」アサリは堰を切ったように泣いて、微笑もうとして、そう三度繰り返した。それを見て、ヤモトは救われた気持ちになった。両手が塞がっているのがもどかしかったが、これ以上ここに留まっているわけにはいかなかった。「すぐ戻るから」ヤモトとアサリは視線を交わし、頷いた。 

「……キョムー……」「アバババババーアバッバーババババーッ!」一方その頃、絵馴染の店外では無軌道大学生がスペクターによるカラテドレインを受けていた!「アババババー!」大学生は顔を左右に振って激しく抵抗していたが、徐々にその気力も萎え始め、生気そのものが消え去ろうとしていた。 

「……キョムー……」「アバババババーアバッバーババババーッ!」だがスペクターはなおもカラテドレインを止めない!「アバババババーアバッバーババババーッ!」無軌道大学生の瞳から光が吸われ、スペクターの新たな力になろうとしていた。「こっちだ!」絵馴染屋上から、毅然とした少女の声! 

「……キョムー……」スペクターはそちらを仰ぎ見た。屋上から突き出した洗濯物干竿の上に立つヤモト・コキ。右手にはウバステ、左腕には机の引き出しを抱えている。「お前の相手は、アタイだ!」ヤモトが挑発する。亡霊は廃人のようになった大学生を放り捨てると、壁伝いに上昇を開始した。 

 スペクターが追ってくる。過去の亡霊が。ヤモトはごくりと唾を飲んだ。やれるだろうか。やってみよう、シ・ニンジャ。奪い返してやろう。心のうちでそう語りかけると、ヤモトはニチョーム・ストリートの上に渡された電線ケーブルの上へ軽やかに飛び渡った。(((建物に近すぎると、危ない))) 

「こっちだ!ついてこい!」ヤモトは亡霊を挑発しながら、電線ケーブルの上を駆ける。軽量級ニンジャのヤモトだからこそできる芸当だ。スペクターが追いすがる。下ではまだ激しい戦闘が続いている。(((見せてやるんだ。何ができるか。カラテが奪われても、アタイは空っぽじゃない))) 

「イヤーッ!」ヤモトは向かいの雑居ビル屋上にあった灯篭を蹴ってムーンサルトジャンプを決め、ひときわ高く跳躍しながら、左手に抱えた引き出しの中身をばら撒いた。「見せてやる!」再びソウルに呼びかける。その中に収められていたのは、折りかけの千羽鶴と、数百枚はある桜色のオリガミ! 

 オリガミが自動で折り畳まれて桜色の光を灯す。千枚は無論初の試み。ジツを集中させまた広げる……その繰り返しで、一瞬にして精神力が削られてゆく。(((乱すな……心を乱すな……)))ヤモトはインストラクションを繰り返した。最初は周囲数十センチ……だが直後には、巨大な夜桜と化した! 

 一瞬、下で戦っている者も、建物内に避難した者らも、全員が息を飲んでその夜桜を仰ぎ見た。「……キョムー……!」スペクターはシ・ニンジャのジツが放つ桜色の光に対して本能的な怯えを見せ、節くれだった両手を、自らの頭部の前に突き出した。陽光に怯える吸血鬼が、防御姿勢を取るように。 

「……ホロウ、ナッシン、エンター、サツバツ、ホロウ、ナッシン、エンター、サツバツ、ホロウ、ナッシン、エンター、サツバツ、ホロウ、ホロウ、ホロウ、ナッシン!……」翁はショッギョ・ムッジョの即興詩を歌い続ける!「行けッ!」ヤモトが、シ・ニンジャが、死刑宣告めいて亡霊を指差した! 

 ゴウランガ!それは春の終わりめいた一陣の突風!全てのオリガミ・スリケンが、一千枚の桜色の小爆弾が、圧倒的な弾幕となって亡霊に押し寄せる!半実体のネガティブ・カラテによって耐えようとするスペクター!被弾箇所が霧のように歪み……だが再生する間もなく、次のスリケンが命中する! 

 猛烈な桜色の爆煙が、スペクターを包む込む!消滅したか?だが、まだカラテは戻らない。ヤモトは身を捻って再び電線ケーブルに着地すると、愛刀ウバステにありったけのサクラ・エンハンスの力を注ぎ、その刀身を桃色に染めて駆けた。スペクターを包む爆煙めがけて、跳躍!「……シ・ニンジャ!」 



 夜桜を見上げ、一瞬の静寂。直後に再開するイクサ!「イヤーッ!」ディスエイブラーの大振りフックをかわし、その腕の上からさらに跳躍するサツバツナイト!続けざま、バイセクターに対し鋭角トビゲリを叩き込む!「イヤーッ!」「グワーッ!」完璧なガードの上からでも漆塗りサイバネ義体が軋む! 

 サツバツナイトは着地の隙を消すべく、六連続の側転に空中回し蹴りアクションを挟んでフック鎖を蹴り返し、タタミ5枚の間合いでジュー・ジツを構えてバイセクターと睨み合う。その時、上空で小爆発が起こった。「……サヨナラ!……」スペクターが爆発四散し、ネガティブ・カラテが散ったのだ。 

 爆煙の中から緩やかに旋回して舞い降りるのは、カタナを構え、桜吹雪めいた燐光を纏う少女。サツバツナイトの瞳が一瞬、フォーカスを絞られたカメラアイの如く変わる。額に滲む汗。シ・ニンジャのソウルを色濃く感じ取る。(((……生かせばいずれ禍根を残す……)))古い警句が脳裏に反響する。 

 旋回着地したヤモトは、コンパスめいた姿勢で伸ばした右足を一回転させ、カタナを水平に構える。死神めいた決然たる表情。カラテが全身を駆け巡る。失われたはずのカラテが、戻った。シ・ニンジャは亡霊からそれを奪い返した。まだ戦える……彼女は小さく呟いた……戻ってきた、みんな戻ってきた。 

 シ・ニンジャならば、敵全員をサンズ・リバーに流せたかもしれない。大勢の犠牲とともに。だがこの女の死神は、未だ発展途上で、礼儀正しく奥ゆかしくあった。ヤモトは多くの物事に短い感謝を告げ、ディスエイブラーへと低姿勢で駆け込む。砕けかけたウバステの刀身に、桜色の灯りが色濃く燈った。 

 ヤモト目掛け、円盤を投擲せんとするバイセクター。だがサツバツナイトが弾丸のように間合いを詰めてそれを妨害し、畳1枚の距離でカラテを交える!「「イヤーッ!」」その瞳は、黒い人間のそれに戻っていた。「……オヌシの相手は、この私だ」「……ヨロコンデー」無表情の機械音声は何を思うか。 

 (((大丈夫だ……信じよう)))カラテを打ち交わすサツバツナイトとバイセクター!斜め上方の大電光ネオンカンバンでは、花火を背景に大きなサシミがショーユに浸される映像が再びループし、「味これが大好き!!」の文字がレインボー点滅していた。(((センセイが私を信じたように……))) 

 二者はいつしか路地裏へと戦いの場を移す。バイセクターは相手をデッドエンドへと追い込み、ギロチン・チャブを縦投擲した。「イヤーッ!」割れる電子音声。かつて彼は、大型スリケンをブーメランめいて投擲するという戦闘スタイルを取っていた。細い路地裏ではそれが仇となった。だが、今は違う。 

 アスファルトに火花。猥雑に張り巡らされたLANや配管を切断しながら、パンヤンドラムめいた威圧感で地を這うギロチン・チャブ。サツバツナイトは学ぶことになった……生かせば禍根となる。高い代償だ。回避すべく跳躍した所へ、温存されていたバイセクターのサイバネ・トビゲリが突き刺さった。 

「イヤーッ!」「グワーッ!」黒漆塗りの金属爪先が、サツバツナイトの鳩尾を深々とえぐる!さらに、背後へと転がっていったギロチン・チャブは、そのままデッドエンド壁を垂直に駆け上って空中に飛び、狙い済まされた軌道でサツバツナイトの背中を切り裂いた!ナムアミダブツ!「グワーッ!」 

「イイイヤアアアーッ!」そのまま空中でサイバネ上半身を360度捻り、1秒後に猛烈な回し蹴りを放つバイセクター!その狙いは仇敵の首級!「ストライク!」憎悪の込められた電子音声が壁に反響する!……だがその足首はサツバツナイトの腕でガードされ、抱え込まれた!「サツバツ!」 

 サツバツナイトの両眼は再び、赤黒い光の軌跡を中空に描き始めていた。バイセクターは恐怖した。失われたはずの背中に、怖気が走る感触。その恐怖を、怒りとソウカイ・シックスゲイツの矜持で塗りつぶす。「イヤーッ!」口元のサイバネメンポが左右に展開し、吹き矢めいた円筒形の舌が突き出す! 

 だが毒針が射出されるよりも一瞬速く、サツバツナイトの無慈悲なチョップが敵の顎ごとそれを破壊した。過去の亡霊を、過去の悪夢を振り払うように、サツバツナイトは力強くそのチョップを水平に振り切った。「イヤーッ!」「グワーッ!」激しいノイズが、アマクダリ秘密基地へと叩きつけられる! 

 バイセクターは胸板を蹴って緊急回避。両者は路地裏に着地し、カラテを構え直した。「……サンシタ風情が粋がるでない」夜の化身はジゴクめいた煙を吐き出し言い放つ「……たとえオヌシに千の奥の手があろうと、叩き潰し、踏みにじり、殺す」背の傷は密かに黒炎で焼かれ炭化し、止血されていた。 

 一方メインストリートでは。ヤモトがディスエイブラーに対して、ジリー・プアー(徐々に不利)な戦いを強いられていた。投げつけられる鎖を回避し、懐へ飛び込む。そして斬りつけるが……「イヤーッ!」「イイーッ!」浅い!その苦痛はむしろ、イタミ・ニンジャクランにとってはオハギも同然! 

「イヤーッ!」ヤモトは素早い側宙で距離を取った。怪力を振るう巨漢ニンジャ相手に接近戦を続けるのは分が悪い。しかも戦闘経験に乏しいヤモトは、イタミ・ニンジャクランのジツを未だ理解できてはいないのだ。「小娘!貴様のイアイドーなど、剃刀を噛んで歯肉を裂くほどの痛みしか感じんぞ!」 

 それは暗喩ではない。イタミニンジャらは、肉体に与えられた苦痛をニンジャ回復力に変える危険なジツを持っており、彼にとっては剃刀をチューインガムめいて噛むことなど、チャメシ・インシデントなのだ。そしてさらに……「イポン!」ヤモトに回避されたフック鎖が、無軌道大学生を釣り上げる! 

 マグロめいて宙を舞う大学生!そのカラテは枯れ果て抵抗など不可能。鋼鉄カンオケが近づく。これはただの拷問器具ではない。餌のネギトロ化と連動して、ディスエイブラーの脊髄にインプラントされた激痛装置が働く……サディズムとマゾヒズムがWINWIN関係になったイタミの永久機関なのだ! 

「アイエエエエエ!アイエーエエエエエ!」恐怖の叫びを上げる無軌道大学生!コワイ!カラテ十段をドレインされて廃人と化した上に、超嗜虐ニンジャの手にかかってネギトロにされようとは、何たる悲劇!……だがその時!「ザッケンナコラーッ!」「グワーッ!」思いがけない角度からのトビゲリ! 

「イヤーッ!」艶のあるフェティッシュ装束に身を包んだそのニンジャは、空中で大学生をキャッチすると、壁を蹴って三角飛びし、ニチョームの仲間が待つビルの前に着地した。それはネザークイーン!「あとお願いね!」エルビスめいた上級マッポと自警団員が飛び出し、大学生を屋内に保護する。 

「ザクロ=サン!」ヤモトが叫ぶ。「もう直ったわよ!」ザクロの足首の骨にはサイバネギプスが直打ちされ、痛々しい応急処置が施されていた。完治には程遠いが、これなら戦える。仲間は無論、どんな客でもニチョームで人死には出させない。裁くのはマッポの仕事。それがザクロのポリシーなのだ。 

「ウオオオオーッ!?……アーッ?アアーッ!?」ディスエイブラーは餌を前にお預けを食らった犬めいて涎を垂らし、闇雲に暴れ回り、しまいには鎖フックで自傷行為を始めた。だが自らが与えた苦痛では、イタミ・ジツは働かない……クラン外の者からは理解不能だが、それは実際繊細なジツなのだ。 

「イタミを!もっと!」空腹の野獣めいて暴れ狂う、ディスエイブラー!鎖が主武器ではあるが、その異常巨体と怪力ゆえ、薄いビル壁程度であればショウジ戸のごとく突き破る。ザクロとヤモトはこの野獣の周囲を旋回するように走り、ビルや商業施設への攻撃を防ぎながら、反撃の機会をうかがった。 

 

◆◆◆

 

 一方その頃、アマクダリ・セクト地下秘密基地では。 

 再到着した無人偵察ヘリのカメラ映像、アサルトヤクザの残り人数を示す人型、株価推移、情報統制状況、マッポの動き、デストロイヤー戦闘機再接近までの秒数、交通封鎖状況、ニンジャデータベースを用いたサツバツナイトの正体解析……大型戦略UNIXには、データが目まぐるしく映し出される。 

 アイサツ時にバイセクターから送信されてきた、サツバツナイトの粗い正面画像。戦略UNIXによって3D立体化されたその顔が緑色のワイヤフレーム上に出現し、アマクダリ・ネットのデータベースに登録された様々なニンジャの頭部3D立体映像と横並びになって回転。明らかに高度な解析技術だ。 

 だが、そこに現れるのは「不一致な」の文字列のみ。実際、ニンジャ解析は困難だ。ニンジャ個性の大半は、装束、メンポ、武器、名前の四点に集約される。ゆえに正体を偽った場合、暴くのは至難の業。イクサ場で直に見れば、ソウルの痕跡から正体看破も可能だが、地下秘密基地に座していては……。 

「サツバツナイトを映せ!他はどうでもいい!どうなんだ!?ニンジャスレイヤーなんだろ!?」チバは苛立っていた。正体の最有力候補は、ニンジャスレイヤー。だが、バイセクターの答えはノー。……プランB移行可能までの猶予は、残りわずか数十秒だ。それを逃すと、襲撃計画全てが水泡に帰す。 

 ラオモト・チバはIRC通話チャネルをバイセクターに限定し、株価や猶予時間の数字を見ながら叫んだ。「ディスエイブラーが狂乱したぞ!囮にしてプランBを発動できる。バイセクター、お前だけでも戦線離脱しろ!」「その必要はありません」「何故だ!?」「猟犬……は私を逃がさないでしょう」 

 ラオモト・チバの首筋に、ぞわりと汗が吹き出る。(((猟犬?今、バイセクターは何を口走った?あの機械じみたニンジャが?)))理解不能。チバが本能的に察したのは、フジオ・カタクラにも似た背信の臭い。何か遥か遠くを見て、自分を捨てていこうとする者が放つ、あの独特の……不快な臭い。 

「プランB!全ニンジャを抹殺せよ!」チバは立ち上がり、命じた。その眼は、分不相応な力を手にした我儘な少年ではなく、容赦無き帝王の眼であった。「尚そ…」アガメムノンですらも、言葉に詰まり、眼を疑う。ラオモト・カンか武田信玄かと見紛うばかりの覇気を、少年が一瞬だけ放ったからだ。 

「……英断を支持いたします」アガメムノンは不気味なほど静かな笑みを浮かべ、プランBの移行を承認した。その腹の底は窺い知れない。そして……ナムアミダブツ!戦略UNIXに映し出されるのは、タケウチ・ウイルス改善弾頭が搭載されたブツメツ・ミサイル!着弾までの長い秒読みが始まった! 

 

◆◆◆

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」バイセクターに対し、連続で叩き込まれるサツバツナイトのカラテ!義体の要所要所が破壊され、黒漆塗りの破片が飛び散る。だが敵は倒れない!むしろカラテを高めつつあった!「イヤーッ!」「イヤーッ!」真正面から激突するチョップ! 

 両者の右腕が小刻みに震える、鍔迫り合いめいたカラテ!「あの時、カイシャクしておくべきであったな」サツバツナイトがカメラアイを睨んだ。瞳の無い、底知れぬ機械の闇。「もはや、恐怖も憂いも無い」バイセクターの……否、ヒュージシュリケンの平淡な電子音声が、破壊された顎の奥で鳴った! 

 それは虚勢でもハイクでもない。彼の半電子化されたニューロンは、地下基地から発せられた全IRC通信を理解していた。味方の犠牲すら厭わぬプランBの強引な発動。これぞ黄金時代のラオモトの采配。もはや憂いは無い。「……憎悪だけがある!」直後、サイバネ上半身が360度回転!アブナイ! 

「イヤーッ!」鍔迫り合いの力をジュー・ジツで受け流し、カラテへと変えて、バイセクターは回転チョップを繰り出した!「サツバツ!」だがネオサイタマの死神に二度同じ手は通用しない!咄嗟に体勢を整えこれを受け止める!再度の鍔迫り合い!「……私の中にもある。貴様らへの憎悪と、狂気だ」 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ナムアミダブツ!激しいカラテの応酬! 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ついに腹部への重い一撃!体勢を崩し後ずさるバイセクター!間髪入れずサツバツナイトが踏み込む! 

「イイイヤアアアアーッ!」それは伝説のカラテ技、ポン・パンチ!サツバツナイトの拳がバイセクターの右脇腹を破壊し、サイバネ肋骨が粉砕される!「グワーッ!」バイセクターの義体はワイヤーアクションめいて吹っ飛び、路地裏からメインストリートへ吐き出された!「……ディスエイブラー!」 

 仰向けで痙攣するバイセクター。「サツバツ!」一気に頭部に追い打ちを加えてカイシャクすべく、サツバツナイトが飛びかかってきた!「イヤーッ!」間に割って入るフック付き鎖!サツバツナイトはバイセクターの頭が一瞬前まで転がっていた場所のアスファルトを膝で割り、前転で着地の隙を消す! 

「……スクエイク、退避を……」電子的デジャブで意識を混濁させながら、鎖フックに引っ掛けられたバイセクターの義体は、宙を舞った。「イポン!」狂乱したディスエイブラーが野獣の如く叫ぶ。おお、ナムサン!何たるアニマルめいた行動か!最後のシックスゲイツは、カンオケへと吸い込まれる! 

 命令どおり、カンオケの蓋が閉じられ、内部の刃が回転する!メキメキという破砕音!カンオケと背中を繋ぐ円筒状のサイバネ機構が、ディスエイブラーの激痛装置を作動させる!「グワーッ!」バイセクターの絶叫!「……アーッ!イイーッ!」ディスエイブラーは激痛を感じ、喜びに打ち震えた! 

 ヤモトとザクロは敵の共食いめいた行動に困惑しながら、ディスエイブラーの周囲を旋回していた。攻撃の糸口が掴めない。そこへサツバツナイトが加わる。三者は同心円状に旋回し、無言で頷き、闇雲に振り回される鎖を回避しながらスリケンを投擲した。マストドンを狩るかのごとく。 

 ヤモトとザクロは憔悴しきっている。敵はイタミニンジャ。一撃でケリをつけねば。サツバツナイトの眼に、無慈悲な炎が燃える。そして、跳躍。背後からのドラゴン・トビゲリ。スローモーション化する世界。巨漢の後頭部を捉える。かつては二人で。いまは独りで。だが、センセイの教えは胸の内に。 

「イヤーーーーーーーーーッ!」彼の足先は、巨漢の頭の中心線を僅かに外している。それでいい。回転が必要なのだ。通過。「グワーーーーーーーーーッ!?」ディスエイブラーの頭が180度、360度、720度……まだ回るというのか!?おお、ナムアミダブツ!1080度回転し、ねじ切れる! 

 スローモーションが終わる!「サツバツ!」着地するサツバツナイト!背後では、ディスエイブラーの頭がシャンパンの栓めいて上方へと勢い良く飛ぶ!間欠泉のごとく吹き上がる鮮血!だが……爆発四散しない!カンオケは未だ作動している!おお、心臓の弱い方はこのページをめくらないで戴きたい! 

 コワイ!巨漢は首を失いつつも鎖を振り回し、サツバツナイトに猛然と迫ってきたのだ!コワイ!それはイタミ・ジツのなせる技か!?あるいは、拷問カンオケ内で責め苦を味わうバイセクターが、妄執めいた超常のカラテでそれを操っているのか!?はたまた、その両方なのか!?いずれにせよコワイ! 

「……おったのう、昔、貴様のような手合いが……」サツバツナイトの目が赤黒く光る。メンポの奥で口元は愉悦に歪む。そう言い終わらぬうちに、彼は両眼の赤黒い光の軌跡を残しながら、後方へと駆け、左右のフック鎖を回避し、首を失ったディスエイブラーの肩を飛び越えて、背後に回り込んだ。 

 それは一瞬の出来事であった。サツバツナイトは拷問カンオケの蓋を破壊し、ニンジャソウルの痕跡を残すサイバネ義体を強引に引きずり出したのだ。ネギトロ装置が止まり、油が切れたかのように、ディスエイブラーの動きが鈍くなってゆく。 

 虫の息のバイセクターは、電子音声でうわごとを吐き続ける。「……スクエイク、アースクエイク、それでいい、俺たちの勝利だ……ミサイルが……全てを……アースクエイク、アース……」「イヤーッ!」その悪夢に帳を下ろすかのごとく、サツバツナイトはサイバネ頭部にカイシャクを加えた!

「……サヨナラ!」ヒュージシュリケンは、黒漆塗りの金属に囚われた過去の亡霊は、ついに爆発四散を遂げた!その直後、空中から落下してきていたディスエイブラー頭部も断末魔の叫びを上げる!「……サヨナラ!」続けざまに爆発四散!粉じみた爆風を浴びて顔を覆う、ザクロとヤモト! 

 爆煙が晴れると、サツバツナイトの姿は消えていた。「そんな、まさか……巻き込まれて?!」周囲を見渡すザクロ。「……ザクロ=サン、あれ!」ヤモトが斜め上方の空を指差す。ニンジャ動体視力は確かに捉えた。点のように小さな戦闘機の機影と、彼女の世界に終わりをもたらす一発のミサイルを! 

「イイイイヤアアアアーーーーーーーッ!」あれはサツバツナイト!ザクロが指差す先には、ニチョームの家々の屋根を飛び渡り、ミサイル飛来方向めがけて長大な助走を始めるサツバツナイトの姿が!一体何をしようというのか!?いかなニンジャとて、この行動はヤバレカバレ以外の何物でもない!  

「インポッシボーーーーー!!」ザクロの悲鳴にもにた叫び声を右手後方に聞きながら、サツバツナイトはなおも助走の速度を増した。より高く、速く飛ぶために。ザーッ、と耳元のインカムにノイズが走り、YCNANからの緊急IRC通信が入る「……奴ら完成させていたのね。タケウチ弾頭よ……」 

「……そのようだ」サツバツナイトが短く返す。ドラゴン・ドージョー壊滅の暗いイメージを振り払いながら。「……どうするつもり?」とYCNAN。「……向かって走っている」「……正気なの?蹴り返すつもり?」「……そこまで狂ってはいない」彼は助走に集中し、それ以上返事を返さない。 

 (((そこまで狂ってはいない)))サツバツナイトはエロチック雑居ビルの灯篭を蹴り渡り、もう一度心の中で呟いた。残されたカラテを振り絞り、駆ける。ミサイルを睨みながら。(((孤軍奮闘というわけでも……ないようだ)))彼はゼン・トランス屋上で狙撃銃を構えるタギザワの姿を見た。 

 彼は死の淵にあった。サンズ・リバーに片足を突っ込んでいた。ミサイル飛来を告げるザクロの叫びが、彼を正気づかせた。そのような時にこそ、人はヤバレカバレの力を振るえる。彼は自分の正気を疑った。ミサイルを狙撃するなど、正気の沙汰ではない。だが彼は行動した。ボルトを引き、射撃した。 

 石粒のように小さな弾丸は、ブツメツ・ミサイルの尾翼を霞めて、弱弱しい金属音を鳴らした。しくじったな、と彼は直感した。だが、あながち無駄でもなかった。微かに軌道が変わった。自動制御プログラムが働くまでの一瞬、理想的な飛行角度を生み出す。横の胸壁を蹴って、黒いニンジャが跳んだ。 

 その光景を見たとき、ザクロは衝撃のあまり卒倒した。サツバツナイトがゼン・トランス屋上から高く跳躍し、ブツメツ・ミサイルの尾翼にしがみついた。体勢を整える。言うことを聞かせる。まるでロデオだ。軌道がさらに変わる。ミサイルがニチョーム・ストリートの地面すれすれを飛んでゆく。 

 まだ奥の手がある。凄まじい風圧に対抗しながら、サツバツナイトは高性能IRC通信機からLANケーブルを延ばした。「非常識な」と書かれた金属板を強引にこじ開け、中から現れた端子にLAN直結する。YCNANが即座に飛行制御プログラムを書き換え……無線による緊急爆発を防ぐ。 

 家屋に激突する寸前でミサイルの軌道が変わる。上空へ。地上に着弾させるには余りにも危険な代物だ。着弾すればタケウチ・ウイルス改善は周囲数キロに拡散する。飛散したウイルス自体は数時間で死滅するが、サツバツナイト本人だけでなく、ヤモトやザクロを死に至らしめるのに十分すぎる時間だ。 

 いま、目の前を、ミサイルが飛び去っていった。ヤモトは唖然として、その軌跡を見つめていた。そしてそれは、再び上空へと……消えていったのだ。 

 

◆◆◆

 

「何が起こっている!?何故着弾しないんだ!?」チバは、マイナスに変わって久しい着弾秒読み数字を睨みながら、怒り狂っていた。わずか一瞬だけ放った父譲りの覇気は、既にどこかへと消えていた。IRC通信を戦闘機ニンジャに送る。「もう一発だ!もう一発撃ち込め!デストロイヤー=サン!」 

「コーッ、シュコーッ!了解です」デストロイヤーは冷静にかつ冷酷に通信を返した「只今緊急旋回を終了し、再びニチョーム攻撃可能空域へと……コーッ、シュコーッ!そんな……まさか!?あれは……!」突如、激しい混乱を見せるデストロイヤー!どよめき立つ秘密基地!「何だ!?一体何が!?」 

「カメラを切り替えろ」アガメムノンが情報解析ヤクザに命令を下す。直後、戦略UNIXに映し出されたのは、戦闘機の前方から高速接近するブツメツ・ミサイル!しかもその上には、サーフィンめいた姿勢で立つ謎の黒ニンジャ!「ズームしろ!」チバが命ずる!そのメンポには「殺」「伐」の文字! 

「イイイイヤアアアアアアアアーーーーーッ!」YCNANのハッキングと、サツバツナイトによる軌道微調整により、ミサイルは戦闘機へとまっしぐらに飛ぶ!「コーッ!シュコーッ!コーッ!シュコーッ!アイエエエエエエエ!アイエエエエエ!」デストロイヤーは正気を失い、目を剥いて絶叫する! 

 インガオホー!アマクダリ秘密基地の巨大UNIXモニタには、デストロイヤーと戦闘機の爆発四散を意味する、横殴りのノイズが映し出されていた!「ウアアアアアアーーーーーーッ!ウアアアアアアアーーーーーーッ!」チバは泣き叫び、棚のコケシやペーパータイガーを乱暴に薙ぎ払って落とす! 

 アガメムノンは沈思黙考の姿勢を崩さぬまま戦略チャブを見つめ、次なる一手を練った。今回の失敗は、大きな問題にはならない。大局で見れば、プラスになるだろう。ラオモト・チバが思っていた以上に使える駒であることが解ったからだ。「……サツバツナイトも……正体不明のまま死んだ……か?」 

 ……そう、サツバツナイトもまた、ニチョーム・ストリートを守るために犠牲となり、地上数百メートル上空で散ったのか?……否、いかなる監視カメラも、その瞬間を捉えることはできなかっただろう。着弾直前の跳躍で爆炎を逃れ、撒き散らされたタケウチ・ウィルスからも逃れた、ひとつの影を! 

 賭けに勝利したその影は、額の汗を風圧で拭い、黒ニンジャ装束を脱ぎ捨てる。中から赤黒いニンジャ装束が現れた。そして百メートル下を飛行していたマグロツェッペリンに向け、ドウグ社の鉤付きロープを投げ放った!「Wasshoi!」放物線を描き上昇する彼の正体は……ニンジャスレイヤー! 

 そう、ニンジャスレイヤーである!彼はニチョームとの関係性を否定すべく、サツバツナイトを名乗り戦っていたのだ!「Wasshoi!」ドウグ社の鉤付きフックロープを駆使して、彼はマグロツェッペリンの上へと回転ジャンプして着地し、そのままネオサイタマの夜闇へと消えた! 

「良かった……ニチョームは……守られたんだ……」ヤモトは遥か上空を見上げながら、そう呟いた。目が霞む。限界だ。ヤモトは緊張の糸が切れたかのように、ふらりと背後に倒れそうになった。それを支えるアサリ。戦闘が終わったと見た彼女は、一目散に外に駆け出し、手を握り合っていたのだ。 

 未だストリートに出てきている民間人は一人もいない。自警団員ですらも。ほとんどヤバレカバレで、外に駆け出してきたのだ。アサリの足もおぼつかない。言葉もなく、そのまま血の海に二人、腰を下ろした。膝の上に、ヤモトの頭。目を閉じて寝息を立てるヤモトの顔を見て、ほっとしてまた泣いた。 

 ……その時!数メートル離れた路地裏の影に、アサリの背を狙う銃口あり!「ザッ……ケンナコラー」何たるしぶとさか!下半身を切断されたアサルトヤクザが上半身を起こし、震える右手でチャカ・ガンを握っていたのだ!ブッダ!寝ているのですか!?ザクロも自警団員もこの脅威に気付いていない! 

 ようやく再会を果たしたヤモトとアサリ……そのユウジョウは、最悪の形で引き裂かれてしまうのか!?……その時!遅れてきた男が路地裏へと静かに降り立ち、両手を突き出してカラテ・シャウトを放った!「イヤーッ!」「アババババババア-ッ!?」生命力を吸収され絶命するクローンヤクザ! 

 アフロヘアーのシルエットを持つその謎めいた男は、アサリがクローンヤクザの絶叫に気付くよりも速く、背を向けて再び路地裏の闇に消えた……。 



「夜のオイランニュースです」蛍光サイバーグラスをかけたオイラン・ニュースキャスターが、着物の前をさりげなく開き、左肩から胸までを露出させて淡々と原稿を読み上げる。「先日、ネオカブキチョのニチョーム・ストリートで発生した、ヤクザクラン同士の血で血を洗う抗争……痛ましい事件です」 

「NCPDは鎮圧のため催涙ガス弾を使用した模様。ミサイルを発射する戦闘機を見たという噂が電脳IRC空間に広まっていますが、これは終末論教団ペケロッパ・カルトの誇大デマゴギーです」オイランは前を閉じデスクの下で大胆に脚を組みかえる。「観光中の民間人も多数巻き込まれましたが……」 

「ミイラ取りが呪われてミイラになる。平安時代のコトワザです」社会派スモトリ・コメンテーターが渋い顔で言う「怖い物みたさでそんな所に行く奴が、悪い。それから勿論、ニチョームという低俗なグレーゾーンの存在自体が害悪なのではないかと、こう、私はね、以前から申し上げてきたわけですよ」 

 画面後方では、ニチョーム、非合法、薬物、癒着、などを連想させる画像が浮かび上がり、サブリミナル的にコラージュされた。「「「コワイ!ニチョーム、コワイ!」」」客席から声が上がる。「ではここでヨロシサン製薬からのCMです」オイランはあくまでも知性的な無表情を崩さぬままオジギした。 

「まったくだぜ、バンザイでも落とされてりゃ良かったのにな。おお、臭え臭え」ヤクザテーブルに足を投げ出し、ふんぞり返ってTVを見上げるその潔癖症アマクダリ・ニンジャは、ニチョームの空気を吸い込むことすらも断固として拒否するように、口元をサイバー・ガスマスクで覆っていた。 

「それにしても臭えなあー!なんでかなー!」スキンヘッドに太い血管が浮かぶ。彼の名はディクテイター。おそるべき古代ローマカラテの高段者にして、アマクダリ・セクトから派遣されてきた監視者である。「……ん?何だ貴様ら、まだそこにいたのか?」ディクテイターは自治会役員らに向き直った。 

 オハギなどを持参してアイサツに訪れた自治会役員らは、はらわたが煮えくり返るような思いで、この屈辱に耐えていた。当然、その中には、ヤモトやザクロも含まれている。「何か不満があるのか、貴様ら。この私に逆らうことは、アマクダリへの反逆に等しいんだぞ?ンンーッ?解っているのかな?」 

 役員らは高級御影石製の床に視線を落とし、歯を喰いしばる。そこにはディクテイターの趣味を反映し、「第四帝国」の文字が純金ミンチョ体で描かれていた。全てニチョームの金で作られたものだ。「よし、ではネオ・カブキチョから高級オイランをデリバリーしろ!スシもだ!貴様らは臭いから帰れ!」 

 そしてこのオイランやスシに支払われる金も、全てニチョームが賄わねばならぬのだ。ナムアミダブツ!植民地総督めいた横暴!だが、ディクテイターを排除することはできない。新たに締結された不平等条約により、ニチョームは自治権を失い、アマクダリのテリトリーに組み込まれてしまったからだ。 

 

◆◆◆

 

「悔しいーッ!」ザクロは絵馴染のカウンターで吼えた。グラスが何個も積み重ねられている「でも負けないわよ!今に見てなさい!」。隣で微量アルコール入りのマッチャ・フィズを呑むヤモトは、やや眠そうな目で何度もうん、うんと頷く。彼女の気持ちは全て、ザクロが大声で代弁してくれていた。 

「アータ、そろそろ寝なさいな。夜更かしはお肌に悪いわよ。また明日から、笑って生きてくんだから!」オスモウ・リキュールをショットグラスに注ぎながらザクロは言った。「ザクロ=サンは?」「自警団の人たちと、ちょっと呑むから」「うん」ヤモトは頷いた。まだ自分が加わるべき話ではない。 

 ヤモトは二階へ向かい、ゲイマイコを起こさないようにそっとフスマを開けた。その安らかな寝息を聞きながら、自分の机の前に行き、フートンを敷く。窓の外から差し込むエロチック雑居ビルのレインボーネオンが、壁に貼られた新しい写真を照らした。あの事件の二日後に、アサリと撮った写真だ。 

 あの死闘の後、ヤモトはまる一日眠り続けていた。そのままカロウシするかとさえ思われた。アサリは自らの意志でニチョームに留まり、ヤモトを看病した。ザクロは、アサリ自身も事件に巻き込まれ精神的ショックを受けていることを察し、二人のためを想い、彼女を一時的に絵馴染に迎え入れたのだ。 

 二日目、ヤモトはニンジャ耐久力によって驚異的回復を見せ、いつもと同じく早朝に目覚めた。いつもと違っていたのは、彼女を苛む過去の亡霊が、一時的にかあるいは永久にか、消え去っていたことだ。ヤモトはオリガミ部の面々やショーゴーらとともに卒業式を迎える平穏な夢を見ながら、目覚めた。 

 その朝、ヤモトは無意識にウバステを抜き放つこともなく、静かに目を開き、上半身を起こした。他愛無い夢だとすぐにわかった。昔はよく見ていたはずなのに、見なくなって久しい類の。直後、アサリが抱きついてきた。夢ではない、他愛無い現実にヤモトは困惑し、感謝し、笑みを浮かべた。 

 今回のところは、ヤモトが恐れていた事態は起こらなかった。世界は終わらず、彼女が眠っている間も、無慈悲なほど淡々と続いていた。そして二人とも、自らの世界に帰らねばならないことを知っていた。ヤモトはニンジャの世界へ。アサリは大学へ。四日目の早朝に、アサリはニチョームを離れた。 

 ……回想を終えたヤモトは、頬に涙が伝っていることに気付いた。しかし、やわらかく結ばれた彼女の口は、力強く笑っていた。フートンに入る前に、もう一度夜の空気を吸って、気持ちを落ち着かせよう。ヤモトはそう考え、ウバステを握って窓枠を蹴った。陰鬱な重金属酸性雨はいつしか止んでいた。 

 ニチョームのカワラ屋根や屋上を、ヤモトは軽やかに飛び渡る。ストリートを見下ろせば、「キマリテ」の若いスモトリや、「真剣味」のゲイマイコや、「フラ・ダ・リ」の双子がいる。数は減ったが、自警団員もいる。ゼン・トランスの屋上では、壁に立てかけられたタギザワの狙撃銃にオジギをした。 

 守れるだろうか、と、ヤモトは独りごちた。それから、カラテを振り絞ってミサイルに飛び乗るサツバツナイトの最後の姿を思い返した。あの事件の後、彼が目撃されたという話は聞かない。はたして、彼は何者だったのか。しかしサツバツナイトは、ヤモトに重要なインストラクションを残していった。 

 ジグラットが威圧的な影を投げ落とす。明日世界が終わるとしたら何をするか。そのためには何が必要なのか。「……カラテだ、カラテなんだ……!」ヤモトは生の喜びと、死者への厳かな敬意に満ちて、また走り出した。翁の小太鼓の音に合わせ、ヤモトは内なるカラテの導くままに、夜の闇を駆けた。


【サツバツ・ナイト・バイ・ナイト】終


N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)

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