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【ダークサイド・オブ・ザ・ムーン】


◇総合目次 ◇エピソード一覧

この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードは上記物理書籍に*大幅な*加筆修正版が収録されています。また、第2部のコミカライズが、現在チャンピオンRED誌上で行われています。






 サイバネティクス技術が普遍化した未来。無限の広がりと輝かしき未来を見るはずだった世界は、限られたIP資源を巡って暗黒メガコーポ群が引き起こした熾烈な電子戦争以降、むしろ緩やかな断絶と退廃の一途を辿った。 

 ブッダ、ボディサットヴァ、オーディン、クライスト……古き神々は力を失い、光明の欠片も見えぬ世界。市民は生体LAN直結やサイバーグラスに内蔵された携帯IRC端末を用い、濁ったシャーレの如きサイバースペースに逃避して、薄れ切った自我を酩酊させる。 

 人々はIRC内で笑顔を被り、ユウジョウ・コマンドを打ちながら電子的悲鳴を上げる。救いや力を求めて。これぞ古事記に予言されしマッポーの一側面なり。この暗黒の時代には、当然の如く、無数のハッカー教団が存在する。物理タイピング原理主義、メガヘルツ解放戦線、クロックアップ福音派……。 

 中でも近年影響力を増しているのが、旧世紀デヴァイスを神聖なるレガシめいて崇め奉り、電脳ドラッグと低解像度電子音楽で瞑想に耽り、最終的には魂を幸福なる1bit状態へ還元せしめんとするペケロッパ・カルトだ。その教義は難解であり、かつてはブディズム・エリートじみた排他的集団であった。

 彼らは一世代前から勢力拡大に貪欲さを見せ始めた。「世界は商業的な高速進化によってオートマチック自動的に滅びへ向かいます」「旧世紀の電波はザラついた温かみで溢れていました」「ペケロッパ神を信仰するとオヒガンの日に電脳空間で死んだ人に会えますね」……不気味だが魅惑的な教義の数々! 

 そうしたノスタルジアの幻想や信じ難い奇跡の数々を、彼らは様々な方法で喧伝するのだ。街頭プロパガンダで……狡猾な電波で……あるいはサイバーゴスクラブ等に潜入した宣教師による性的魅力に溢れた勧誘行動で。その実態こそ知らぬが、市民は皆、いずれかのハッカーカルトの名を聞いた事がある。 

 それはいわば、UNIX机の端に置かれた違法食品オハギだ。あなたは食べてはならない事を知っている。だが毎日見るうちに警戒心は薄れ……疲れ果てた時や1レイヤ上昇した世界の力を欲した時……そのオハギは神聖な七色のLED光を放ったりしてとても魅力的に見え、あなたはそれに手を伸ばすのだ。

 ……飛翔するフラミンゴ……マンデルブロ集合めいた柔らかな夢……武骨な振動……ディーゼル臭……白い冷気……「着いたぞ」運転席から聞こえる男の声……彼女は目を開く。無意識のうちに無線LANを開こうとしていた。「ナンシー=サン、着いたぞ」報道特派員イチロー・モリタがもう一度言った。 


【ダークサイド・オブ・ザ・ムーン】


「夢を見てたわ。退屈な風景だったから」その麗しい金髪コーカソイドの女は、サイバーサングラスを掛け直して窓の外を見た。彼らの乗る雪原仕様装甲車はすでに、ドサンコ第78コロニーの中心地にいた。ドアを開け車外に出る。純白の防寒着を着込んだ彼女は、極点の動物めいた神秘的な美しさだ。 

「インタビュー開始だ」コートを着込んだモリタ特派員も車から降り、白い息を吐いた。気温は零下だが、ナイフのように鋭い風でその息が吹き流される事は無い。コロニー内は巧みに守られているのだ。高層ビルが過剰密集するその光景はさながら、群れ集まって猛吹雪に耐える皇帝ペンギンめいている。

 通りを行き交う人は少ない。二人の報道特派員は凍った歩道橋を渡り、目的のマンションに向かって歩く。「ツキジ直行」「熊が出る」「今日も寒い」などの趣き深いカンバンが並び、この街が灰色の巨大電脳都市ネオサイタマから物理的にも論理的にも遠く隔たった座標上に位置することを明示する。 

 二人はとあるマンションに到着し、IRCボタンを押した。「ドーモ、ネオサイタマ新聞社から派遣された特派員、ナンシー・リーです」「同じくイチロー・モリタです」「ドーモ、待っていました」注意深い電子音声が聞こえる。ドアが自動解錠され、セントラルヒーティングの温もりが二人を迎える。 

 モリタは応接チャブの上に8チャンネル式の武骨な録音機材を置き、レトロDJめいた大型ヘッドホンを掛ける。そして録音と再生と一時停止スイッチを同時に押し、ナンシーの合図を待った。夫妻はすでに二人を本物の報道特派員であると信じている。ガジェットと手際の良さが真実味を生み出すのだ。 

 ナンシーのサインを受け、モリタは巧みに一時停止を解除。液晶板に緑と赤のインジケータが躍動を始める。「極北の地からのリポートです」ナンシーが語り出す。その胸は豊満である。「幾つかのコロニーで自我科患者が急激に増加。そしてイシマル家の幼い娘さんには、特に奇妙な症状が……」 

「イシマル=サン、一体何が?彼女にIRC端末を与えていたのですか?」ナンシーが問う。夫のトウメが答える。「いえ、もちろん禁止していました。しかしある日から突然……夜中に起き出し、TVを見るようになったんです。放送時間が終了し、緑色のUNIX文字が洪水めいて流れるTV画面を」 

「それだけではありませんね?」ナンシーが掘り下げる。「ハイ、彼女はそのUNIX文字列を見ながら……絵を描くようになったんです。とても肉眼じゃ追いきれない文字列を見ながらですよ?彼女はまだ読み書きもろくに出来ないのに」トウメは重い息を吐いた。「どんな絵を?」「ニンジャなどです」

 特派員イチロー・モリタの鋭敏な聴力は、その言葉を決して聞き逃さない。「ニンジャ……」彼は眉根を寄せ、横にいるナンシーと目を合わせて、小さく頷いた。「その絵を見せて頂けませんか?」とナンシー。「処分してしまいました」妻が申し訳なさそうに言う。「TVは?」「破壊しました」と夫。 

「もういいでしょう。これは進み過ぎた電脳化に対するブッダの警鐘なのだと思います」夫の目つきがおかしくなり非科学的な持論を語り始めたので、ナンシーは巧くこれをあしらった。「絵はもう1枚も残っていないのですか?」「何枚かは自我科に」妻が答える。その時、不意に奥のフスマが開いた。 

「ニン……ジャ……」モチヤッコぬいぐるみを抱いた娘のヒミコが、濁りの無い無垢な目で応接室を見た。「ヒミコ、戻ってなさい」妻が神妙な顔で諭す。「TVをなおして……ニンジャ……たすけて……ニンジャ……ね?」娘は無邪気な顔で問うた。何故TVを見てはいけないのか皆目分からぬ様子で。 

 母親はヒミコにイカジャーキーを与え、来客の間は大人しくしているよう言い含めて奥の部屋に戻した。「自我科の診断結果は?」ナンシーが沈痛な面持ちで問う。「前例が無いので、IRC依存症ではないだろうと……この位の年齢の子にはよくある事で……両親の気を引きたいだけだと……」と父親。 

「確かに、そうしたイタズラは実際よくあることです」ナンシーは来客用に出された塩味が美味なタラバーカニの足を割った。少しの静寂。そして続ける。「でも、そうだと言い切れない何かが……単なる子供のイタズラではないと思わせる何かがあったのでは?」モリタは録音機材の重点ボタンを押した。

 イシマル夫妻はチャを啜り、苦い表情を作った。「美味しいですね、このタラバーカニ」ナンシーが微笑む。それが夫妻の固いガードを解かせた。「実は……娘の奇行はある日を境に始まったんです。その日の夜、私たち一家は、同じ夢を見たんです」と母親。「その夢とはまさか」モリタの目が光った。 

「ニンジャなんです。詳細は覚えていないんですが、確かに、ニンジャが……夢の中で何度もジャンプしていました」夫は深い溜息と共に、両手で頭を抱えた。「これに気付いたのは自我科を受診した後なんです」妻がカニ足を割りながら続けた「気味が悪くなって、取っておいた絵も全て燃やして……」 

「ニンジャのこと、話してるんでしょ……?」再びフスマを開けてヒミコがやってきた。「スミマセン、また邪魔を」母親が済まなそうに言う。「構いませんよ。迷惑でなければ、彼女にもお話を。私たちはその子のために来たんですから」ナンシー・リーが柔らかく笑った。モリタも厳しい目で頷いた。 

「少しなら……」父親は渋々了解する。「ねえ、ニンジャを見たの?」ナンシーが女の子の目を覗き込んだ。「見たわ」ヒミコが満面の笑みを作った。「ニンジャは何をしてるの?」「ころすのよ」ヒミコが顔をしかめた。「それは怖いわね」「こわいわ」「何か言ってた?」「……たすけて、って」 

「他には、何か見た?」「かみさま」「神様?」「描けるわ」ヒミコは部屋の隅にあるクレヨンと画用紙を掴んだ。黄色いクレヨン。稚拙な線で描き出す。四角い物体。放射状の線で光を表現。黄金立方体。「これは何?」ナンシーは一瞬硬い表情を作った。「かみさま」「ブッダかしら?」「分からない」

「これを見てください」ナンシーは左腕に装着した直結ハンドヘルドUNIXの画面を回し、親子に見せた。画面には緑色の文字でIRCシステム定義が洪水の如く流れている。「何か見えますか?風景が」「いえ……」「何も……」夫妻は魔女の行いを見る迷信深い暗黒時代農夫めいた怪訝な目を向けた。

「これは何なんです?」夫が頭痛を覚えながら言った。「ご安心ください、これはロールシャッハテストの一種で……」ナンシーは嘘をついた。「……お姉さんが、タタミにすわってる……きれい」半ばトランス状態で、ヒミコがつぶやいた。うつろな目で、ナンシーとUNIXの文字列を交互に見つめる。

 ゴウランガ……!この少女には、厳密に定義されたIRC空間に座るナンシーの論理肉体が視えているとしか思えない……この少女はハッカーカルトが呼ぶ所の「第三の目」が開きかけているのだ、とナンシーは確信する。だが何故?ヒミコは生体LAN端子を持たず、IRCログインすらしていないのに?

「私がこれからショドーする絵が、解るかしら?」物理肉体のナンシーが言った。論理肉体のナンシーが、IRC空間で三角、波、丸の模様をショドーして掲げる。「……ア……ア……」ヒミコはぼんやりとハンドヘルドUNIX画面を見つめ、涎を垂らし、手で中空をタイピングするような姿勢を作る。 

「ナンシー=サン、もう十分だ」モリタが彼女の肩に手をかけ、首を振った。ナンシーもそれを悟っており、その手をハンドヘルドUNIXへと伸ばし、ぱたんと蓋を閉じた。ヒミコは我に返り、子供らしい困った表情を作った。「わからないわ」「いいのよ、解らなくても。ごめんなさい」とナンシー。 

 実際その行動は正解だった。あと数秒でも続いていれば、夫は怒って取り乱し、壁に掛けられていたグリズリー狩りのサイバーライフルを構えて彼らを追い出していただろう。「何か……解ったんですか?」妻が恐る恐る問う。「彼女のUNIX感受性が驚くほど高い事ですね……英才教育か何かを?」 

「英才教育?何もしちゃいませんよ。これからグリズリー狩りに行くんです。インタビューは終わりだ」夫が不機嫌そうに立ち上がり、防寒具を取りに隣室に向かった。「そういうわけですので…」妻が申し訳なさそうに、カニをタッパーに仕舞う。だがジャーナリストの勘がナンシーを踏み留まらせた。 

 ナンシーは妻の耳元で囁く。「……旦那さんはUNIX技術者ですね?それもかなり優秀な……」「何故それを?」「UNIX技術者は、緊張すると無意識のうちに両手がホームポジションになるんです。教えてください、何か彼の口から言い辛いことがあるなら。お子さんを助ける手掛かりになるかも」 

「それは……」妻が隣室の様子をうかがいながら、言いよどむ。「何故旦那さんは、テクノロジーを忌避するようになったんです?」ナンシーが鋭く突いた。「……絶対に秘密にしてください。彼は趣味でメガデモを作っていたんです」メガデモとは、UNIX言語で紡ぎ出す奥ゆかしい3D映像である。 

「良いメガデモはお金になりますから……副業です。その影響で、あの娘はUNIX文字列を見て育ったんです。忙しかったものですから、ヒミコがそれで大人しくしているならと……」妻は涙ぐんだ「夫は今回の一件でそれを反省し……その反動で、本格的にグリズリー狩りを始めたんです」 

「現在、ネオサイタマでは一部のメガデモが電脳麻薬に分類され、企業以外がその製造販売を行うのは違法行為とされている事……ご存知ですね?」ナンシーが言った。「ハイ。でも、こっちでは、皆やっている事なんです。冬の間はコロニーに籠るしかありませんから。……絶対に、秘密にしてください」

「我々は絶対に秘密を守ります」モリタ特派員が力強く言った「お子さんの症状はUNIXとは無関係です。これは事件記者のカンですが、おそらく原因はニンジャでしょう」「ニンジャ……そうでしょうか……」「我々が真実を突き止めます。旦那さんが危険な贖罪行為を重ねなくてもいいように……」 

 サイバー防寒服を着たイシマル・トウメが応接室に戻ってこないうちに、二人の特派員は机の上に謝礼素子を置き、イシマル家を後にした。「オタッシャデー」玄関まで見送りにきたヒミコは、あどけない笑顔で手を振る。普通すぎるほど普通の子供だ。「オタッシャデー」ナンシーとモリタも手を振った。

「コトダマ空間を認識しかけているとは……」「ええ、タメイチ・レポートにも無かったわ。勿論、メガデモの情報もね。収穫よ」二人は白い息を吐きながら駐車場へと向かった。「次はどこへ?」「隣のコロニーまで車を走らせるしかないわね。タメイチ・レポートの足取りを追うしか、今は道がない」 

 タメイチ・レポート。それは彼らより数週間早くこの怪事件を調査開始したフリージャーナリスト、ホダムラ・タメイチの取材日記ログである。だがホダムラの消息は突如途絶え、彼の調査ログは電子ネットワークの海を漂流していた。ボトル瓶に詰められた手紙めいて。この二人はそれを拾い上げたのだ。

 陽が傾き始める。道端でバターポテトとスシを買った二人は、雪原仕様装甲車に乗り込んだ。また暫く、退屈な風景が続くだろう。「ニンジャスレイヤー=サン、本気でニンジャが絡んでいると思ってるの?」ナンシーが言った。「無論だ」「……ねえ、考えすぎよ。今回ばかりは、ハッカーの領分だわ」 

「ディセンションは加速している。どこにニンジャがいてもおかしくない」彼は地平線を睨む。「コトダマ空間認識者も増えているわよ」ナンシーは言った。「そしてそれが人類の進化だと?」「さあ、まだ解らないわ」二人を乗せた装甲車は、第165コロニーに向け、しめやかに夕暮れの雪原を渡った。




2

 すでに太陽は地平線の彼方に沈み、磁気嵐の活性化を予兆させる病んだオーロラが、ウェイストランドの夜空で薬物中毒者めかしたダンスをゆらゆらと踊っている。バイオウルフたちの鋭く侘しげな遠吠えが風に乗って聞こえてくる。全体的にたいへんワビサビを感じさせる夜だった。 

 あたかも孤島に築かれた灯台の如くブリザードの中に立つのは、ドサンコ第165コロニー。外見は他のコロニーと何ら変わらない。シナプス細胞を思わせる特徴的な五角形の装甲隔壁を持つコロニー都市は、コケシマート社、ケンコウ・ミネラルズ社、そして大手ゼネコンであるウットコ建設の共同開発だ。

 中心部に密集して立つ高層マンションの一室。ムーディーな電子ボンボリの間接照明で照らされた数十畳の書斎部屋を見ると、かなりのカチグミ者であることを予想させる。「今週一週間の太陽フレア予報ドスエ」超大型のプラズマTVからは、電波障害ノイズ混じりで艶やかなオイラン天気予報が流れる。 

「参ったわ……またIRC接続が途切れるじゃない」自我科女医スザリンド・オノは、ブラインド越しにオーロラを忌々しげに見つめ、書斎机へ戻った。「大丈夫ですよ」「頑張りましょう」ネコネコカワイイを素体とした女性向オイランドロイド二体が、澄み切った少年的な電子合成音で彼女を勇気づけた。

「ネオサイタマじゃ、私くらいの医者は勝ち残れない。ネットさえあれば過疎地のほうが稼ぐチャンスがある。そう思って頑張ってきたけど。磁気嵐は酷くなるばかり。予報はクソ。気が滅入るわ。あと何年やっていけるかしら」彼女は机の上に置いたグラス酒を呷った。「やれますよ」「きっとやれます」 

「そうね、やれるわよね……」スザリンドは空虚に微笑んだ。彼女は自我障害であろうか?そうではない。コミュニケーションに疲れ果てた者には、しばしばプログラムされた微笑みが良質な孤独を与えるのだ。彼女は後頭部に開けられた二個の生体LAN端子にケーブルを直結し、UNIXを起動させた。 

「落ち着くBGMを」スザリンドが言う。オイランドロイドたちは部屋の隅に積まれたタタミの上に座り、高度な球体関節ジョイントを駆使して、小太鼓と尺八を奏で始めた。スザリンドは机の上の3Dボンボリモニタに映し出された無数の情報を浴びる。電子化された有象無象の声……声……声……頭痛。 

 女医はニューロンに苦痛を感じながらも、周辺のコロニーから情報を吸い上げ続け、自我科組合のデータベースを何通りもの組み合わせでGREPした。LAN直結による素早い論理タイピングで。「ニンジャ……神……TV……地域別に……自我科の患者増加と組み合わせて……グラフを……」 

 スザリンドは酷い頭痛と吐き気を覚える。ここ数週間、ネットワークは彼女にとって苦痛以外の何者でもなかった。疲労のせいだろう。そう言い聞かせていた。(((ニューロンがざらざらするんです)))(((どれが自分のIRC発言かすら覚束ないです)))自我科患者たちの言葉がリフレインする。 

 この怪現象について見て見ぬ振りも出来た。他の自我科医たちがそうしたように。患者は増え続けている。カネは実際手に入る。「でも、放っとけないわよねえ…」スザリンドは3Dボンボリモニタに、周辺に住む何人かの子供が描いた絵を映し出した。いくつもの類似点。ニンジャ。立方体。放射状の光。

 初めての症例であったイシマル・ヒミコ。その時はスザリンド自身も、この事件の不気味な全容を見えていなかった。「非常に明るいボンボリの真ん前はかえって見にくい」という平安時代のコトワザの通り。だが事件記者ホダムラ・タメイチと出会った事で、彼女は数々の不気味な符合に気付いたのだ。 

 まるで自分にもニンジャが見えそうな気分になってくる。「悪い同調……」スザリンドは頭痛を堪えながら、大鍋のシチューをかき混ぜるような重労働タイピングによって、データを解析し続けた。……そして不意に、ある重大な秘密を孕んだデータ配列が、3Dボンボリモニタ上に映し出される。 

「何よ、これ……電波……?」スザリンドは立ち上がって身震いした。地域データと自我科案件を重ね合わせた結果、ある空白地帯を中心に、放射状に被害が広がっていたのだ。ナムアミダブツ……!背後に何者かの意図が見え隠れする。途方も無い規模の何かが動いている。心細い。あまりにも心細い。 

 この秘密を共有したい。誰かに話したい。だが誰に話せば良いのか。ホダムラ・タメイチの消息は途絶えたままだ。自我科組合に全データを提出するか?あるいはマッポに話すべきか?それで本当にいいのか?疑心暗鬼が彼女のニューロンを曇らせる。マッポーの世では、裏切らない味方を捜すのは難しい。

「着信ドスエ」不意にIRC電話が鳴った。オイランドロイドたちが演奏を止める。スザリンドは強ばった表情のまま、ワータヌキ置物上の受話器に手を置いた。ワータヌキの目元を隠すサイバーサングラス型の赤色LED板には、発信者の身元名称が左から右に流れている。「クマチャン・ロッジ」と。 

「ドーモ、スザリンドです」いささか声がうわずる。クマチャン・ロッジは、スノーモービルでグリズリー狩りに赴く地元民や、ウインタースポーツを楽しむカチグミ観光客らが利用する、有名な武装ロッジのひとつだ。「ドーモ……ムラ・タメイチ=サン……消息が……」ノイズ混じりの音声が聞こえる。

「消息が掴めたんですね?」スザリンドは胸を撫で下ろす。ホダムラ・タメイチにこの事実を伝えれば、少しは肩の荷が下りるだろう。そう考えたのだ。だが、クマチャン・ロッジの従業員は無慈悲にこう告げた。「残念です……メイチ=サン……オタッシャです……凍死体が……川を下ってきまし……」 

 川を下ってきた……?スザリンドは何かを閃いた。書斎机の上の3Dモニタに河川情報を追加する。「ブッダ……!」懸念した通りだ。強心剤を打たれたかのように彼女の心拍数は加速した。矢継ぎ早に質問を投げかける。「彼はもしかして北東の空白地帯に向かっていた?あの空白地帯には何が……?」 

「……ザリザリザリ……」IRC通話は激しいノイズによって途切れていた。「クソッ!」スザリンドは悪態をつき、受話器をワータヌキの頭に叩き付ける。3Dボンボリモニタにも「接続切断な」の文字が。これでは検索も不可能だ。地元民でない彼女は、あの空白地帯の意味など考えた事も無かった。 

「来客ドスエ」無表情な電子マイコ音声が書斎に響く。こんな時間に、来客とは。モニタの映像が乱れて判然としない。スザリンドは気休めに、オイランドロイド二体に左右をエスコートさせつつ、玄関へ向かった。覗き穴の向こうには、黒いスーツに帽子、サングラス。不気味な程同じ背格好の男たち。 

「ドーモ、どちら様ですか?」閉ざされたドア越しにスザリンドが問う。「「「「我々はデッカーです」」」」黒尽くめの四人の男はクローン人間めいた統一感でそう告げた。彼女は反射的に書斎に逃げ戻った。タメイチが去り際に残した警句「メン・イン・ブラックに注意せよ」がコトワザめいて蘇った。

「ドーモ、どちら様ですか?」閉ざされたドア越しにスザリンドが問う。「「「「我々はデッカーです」」」」黒尽くめの四人の男はクローン人間めいた統一感でそう告げた。彼女は反射的に書斎に逃げ戻った。タメイチが去り際に残した警句「メン・イン・ブラックに注意せよ」がコトワザめいて蘇った。

「警備員かマッポを……」スザリンドは書斎に駆け戻り、ワータヌキ電話に向かう。だが激しいノイズ。机の上の3Dボンボリモニタの文字も、判然としないほど荒れている。磁気嵐とは全く性質が違う。「何これ……?」彼女がハッカーならば、それが攻撃的ジャミングであることに気付いただろう。 

 LAN直結が危険である事を直感的に悟った彼女は、震える手で壁のカケジクをずらし、隠されていた防犯ボタンを押す。三段階の鋼鉄扉が閉まり、書斎を完全防御した。「ハァーッ……ハァーッ……」スザリンドは安堵の息を吐いて、本棚の横に腰を下ろす。腰が抜けたと言ったほうが正しいだろう。 

 この部屋はかなり堅牢だ。グリズリー軍団や暴徒によるコロニー襲撃という最悪のケースも想定しているので、いざとなれば数日は耐えられるし、食料の備蓄もある。だがまさか実際使う事になろうとは……。スザリンドはリラックス成分入りの細葉巻を咥え、ライターを擦ろうとしたが上手く行かない。 

「ちょっと」スザリンドが手招きすると、オイランドロイドが左右に寄り添って正座し、片方がライターを擦った。「フゥーッ……」彼女は煙を吐く。遥かに良い。「不安だったのよ。解るでしょ?落ち着いてきた……。ちょっとパニックになっちゃった。でももし、あれが本当のデッカーだったら……」 

「私ずいぶん滑稽じゃない?それどころか、犯罪者めいてないかしら?でもいいわよね、もし本当のデッカーだったら、あの事件記者が死んだ事を伝えて、不安になったって言えばいいから……」スザリンドは早口で呟く。「そうですよ」「問題がないです」オイランドロイドが頷き、あいの手を入れる。 

 その時不意に、片方のオイランドロイドが引きつけを起こしたように震えた「ピガガーッ!」そして立ち上がり、周囲を見渡して、装甲扉の開閉レバーに向かって歩き出す。「ちょっと……!止まりなさい!ハウス!ハウス!」スザリンドが叫ぶ。「……」オイランドロイドは無言でガラスを叩く。 

 恐怖がスザリンドのニューロンを加速させる。彼女は咄嗟に、隣に寄り添う弟ドロイドに命じた。「室内用の無線LAN装置を切って!」「ハイヨロコンデー」弟ドロイドは立ち上がり、机の上のLAN装置を停止させた。「ピガガーッ!」レバーに手をかけていた兄ドロイドが機能障害を起こし倒れる。 

「……ハッカー?ハッカーが攻撃を仕掛けてきたっていうの……?」スザリンドは兄ドロイドのもとに這い寄って、そのあどけない無表情を見つめた。「一体、この事件にどんな組織が関わってるっていうの……ブッダ……もうこの事件の事は忘れます……忘れますから……!」スザリンドは神に祈った。 

 その時……おお……ナムアミダブツ!彼女は見てしまった。この世のものとは思えぬ超常現象を!向かいの壁に突如光の切れ目が入ったかと思うと、それはあたかも回転ドアのごとく、廊下側から押し開かれたのだ!「アイエエエエエエエエ!」スザリンドは絶叫する!そして侵入してくる謎のニンジャ! 

「抵抗は無意味である。このジツが私の専門分野です」フルフェイスヘルメットを被った電子音声ニンジャが、ロボットダンスめいた歩き方で迫る!コワイ!「私は疲れますが、固定の物理的な壁が回転ドアに変更されます。 ただしこの物理的な強度廃棄物および感情的な強さは、ほとんどありません」 

 重度のIRC自我障害を思わせる不自然な言語が、このニンジャの異常性を際立たせていた。「アイエエエエ!ニンジャ!ニンジャナンデ!?」スザリンドはなす術も無く失禁する。「ドーモ、スザリンド=サン、私の名前はノーハイドです」ニンジャはヘルメットの内側を青白く発光させアイサツした。 

 ノーハイドの背後でドンデンガエシ化した壁が閉じる。光っていた継ぎ目も消え去った。侵入者はもう一人いた。「心配しなくてもいいですよ……すぐに済みますからね」スーツにコート姿のその男は、不気味なほど穏やかな声を発した。清潔感のある丸刈りの髪。首から下げたモデストなアクセサリー。 

 スザリンドはすがるように弟ドロイドを見る。侵入者撃退システムが搭載されている筈。だが彼はノーハイドによって機能停止させられていた。「貴女は少し知り過ぎた……」サイバーサングラスをかけた男はスザリンドの耳元で静かに囁き、己の首筋にある違法生体LAN端子からケーブルを伸ばした。 

 

◆◆◆

 

 その美しいコーカソイドの女は、新緑色のツタに覆われた石造りの神殿を歩いていた。穏やかな夢。せせらぎの音。美術館めいて飾られた大きな絵画や彫刻の数々。モナ・リザ……聖アントニウスの誘惑……受胎告知……東方三博士……ウタマロ……絶滅して久しいフラミンゴたちが数羽、その間を歩く。 

 ナンシーは一枚の重厚な油絵の前で立ち止まる。厚手のガウンを着込んだ男が描かれている。薄暗い部屋でソファに腰掛けている。背後にはUNIXモニタが何台も。絵の題名は「ハッカードージョー」。彼女は男が首から提げたアクセサリを忌々しげに睨んだ。それと同時に、ナンシーは車内で目覚めた。

「…どのくらい寝てた?」ナンシーが気怠そうに言い、白い毛皮コートの中に首を埋める。「30分ほどか」イチロー・モリタが返す。前方の吹雪の中からヘッドライトの灯りが近づく。対向車線を走る黒い雪原仕様キャデラックが白い闇の中から現れ一瞬で擦れ違った。それは砲弾のように走り去った。 

 ニンジャスレイヤーのニンジャ視力は、対向車を運転するサイバーサングラスの男をスモーク窓越しに捉えたが、それ以上の不審な点は見受けられなかった。「あとどのくらい?」ナンシーが前方のコロニーの灯りと不吉なオーロラを見ながら問う。近づこうとしても近づこうとしても、まだ距離がある。 

「あと10分ほどだ。予定時刻はとうに過ぎた」その言葉には微かな苛立ちが重点されている。前のコロニーを出た直後にマグロ運搬コンボイが転倒事故を起こし、彼らは思わぬ足留めを食ったのだ。「眠くない?」「カラテトレーニングを兼ねている」彼は座席から腰をワンインチ浮かして運転していた。

 ナンシーは隣に座る男がニンジャであることを再認識した。自分とは別種の、遠く隔たった存在であることを。復讐と殺戮のために生まれた存在であることを。では自分は常人だろうか?彼女は内省する。かつてはそうだった。やがて電子の空とエーテルを飛翔する精神の力を得た。そして翼を失った。 

「もどかしいわ。飛んでいけそうなのに」ナンシーが笑う。かつて彼女はコトダマ空間に囚われ、論理肉体の一部を切り離した。その時、自らの半身が、魂の一部が、愛おしい何かが…どこか遠い所に旅立ってしまった。あの全能なる状態には、おそらく二度と戻れないだろう。だがそれで良かったのだ。 

「失ったものを取り戻したいと思った事は?」「あるが、叶わぬ」しばし、取り留めの無い会話が続いた。ナンシーは自分が珍しくセイシンテキな気分になっているのを感じた。夢に現れた男の影か、ドサンコの夜に充満する不吉な電波か、あるいは現実味の無いオーロラが予兆めいて手招きするせいか。 

 すると車は驚くほど早くコロニーに呑み込まれた。「助手を雇おうかと思ってるの、いい子が見つかればだけど」ナンシーは言った。「インストラクションを伝え残すか」「そんなに大仰な事じゃないわ。手が足りないだけ。面倒が嫌い。利己的なのよ」ナンシーはくすくすとチャーミングに笑って言った。

「オツカレサマドスエ」偽造通行証を読み取った自動検問所の3Dオイランが、大型モニタの中でぎこちないオジギをして、人間の皮を被った二人の怪物を迎え入れた。車は暗い立体駐車場に停車する。ナンシーは無表情なサイバーサングラスを掛け、冷気の中に降り立った。無駄話はもう無かった。 

 ギングン…グン…ギングン…グン…姿見えぬ掘削重機の軋んだ作動音や工場の操業音が、テクノポップの背後で定期的に重く響き渡る。サブリミナルネオンの海。残業するサラリマン。箱庭化されたネオサイタマ。人々は押し潰されそうな閉塞感と焦燥感に囚われている。ここもやはり日本の一部なのだ。 

 二人の報道特派員はインタビュー予定時刻を大幅に過ぎて、スザリンド・オノの高層マンションへと到着した。厳重な自動警備体制だが、彼らには偽造身分証がある。「ドーモ、大変遅くなりました」「マグロ運搬コンボイが事故を起こしたもので」「遅かったですね、どうぞ」女医は穏やかな声で返した。

 応接室に通された二人は手筈どおりにインタビューを開始したが、スザリンドの対応は機械的で冷淡なものだった。「自我科案件が多発していると聞きましたが…」「どこでも一緒です、ネオサイタマと何ら変わりません」「子供達がTVノイズからニンジャの絵を…」「集団ヒステリーの一種でしょう」 

「ホダムラという記者が来た筈ですが…」「様子のおかしな男でした。UFO陰謀論者めいた」女医は細葉巻に火をつけた。「来客ドスエ」無表情な電子マイコ音声が響く。特に不審な点のない四人組の廃棄業者がやって来た。「忙しいもので。これで終わりにさせてください」スザリンドが席を立つ。 

「そんな……もう少しだけお願いします」ナンシーが食い下がる。「これと、これを」女医は奥の廊下に転がっていた二体の女性向けオイランドロイドを指差した。「ハイ、ハイ、ヨロコンデー!」廃棄業者は兄弟ドロイドを1体ずつ、段ボールとガムテープで素っ気なく包み、サイバー台車に乗せた。 

「真実を知りたいんです。社会正義のためにご協力を。せめてデータの提供を……」ナンシーが肩に手をかけるが、振り払われる。「患者のプライバシーに関わるデータはいっさい開示できません。お引き取りください。これ以上ここに滞在するのであれば、マッポを呼びます」スザリンドは言った。 

「ナンシー=サン、帰ろう。これは実際プライバシー侵害に近い」録音機材を抱えたモリタが言う。ナンシーがしぶしぶ同意し、二人は玄関へ向かった。玄関に掲げられた「双子これが大好き」のショドーが、どこか不自然なアトモスフィアを醸し出す。二人を追い出すと女医はドアを締めた。「良い夜を」

 二人は既に歩き出していた。「一足遅かった」フジキドが言う。「そうね」ナンシーが返し、サイバーサングラスの追跡モードを起動。視界に情報が溢れる。建物がワイヤフレーム化し、彼女の体を中心に360度の緑色コンパスが出現。廊下の角を曲がるサイバー台車の発する微弱電波がロックされた。 




 3

 地下駐車場に到達したナンシーは、ターゲットの廃棄物処理業者らと十分な距離を保ったまま、非常用の電子ボンボリに照らされた薄緑色のコンクリート空間を進む。業者四人の体型スキャニングはとうに終了していた。まるで四つ子。巧く偽装しているが、ナンシー・リーと解析装置の目は誤摩化せない。 

 # DOSANKO_763 : morita : クローンヤクザ可能性。 ||
 # DOSANKO_763 : ycnan : 泳がせて追う。車種は非雪原仕様。 ||
 # DOSANKO_763 : morita : 装甲車では分が悪い。二手に。 ||  

 記号化された笑顔と「回収の業者」の文字が書かれた黒塗りの廃棄物回収車が、出口に向かって走り出す。サイバーサングラスの電波トラックを切り替えると、ナンシーは白い毛皮コートを脱ぎ捨てる。密着型の黒いサイバーボディスーツが露になる。 

 ニンジャスレイヤーの姿は彼女が地下駐車場に到達した時点からもう無い。彼はすでにビル街の屋上から屋上へと跳び渡っている頃だろう。ナンシーは駐車されていた赤漆塗りの大型バイクに跨がり、電子錠を直結破壊。「ごめんなさいね」軽犯罪。すでに数百年を超える彼女の懲役が、数日伸びた程度。 

 ZOOM!大型バイクはロケットめいた速度で地下駐車場から飛び出し、廃棄物処理車を追う。周囲で回転するダルマと光のコンパスが、ターゲット方向を示す。それはサイバーサングラスが映し出すハイテク・ナビゲーショーン映像だ。直結バイクは右に左に車体を傾け、鈍い車の群れを軽々と追い抜く。 

 彼女は同時に3レイヤの世界を見る。サイバーサングラス越しに見る物理世界では、信号脇で女子高生達が持つ銀色マグロバルーンの体にネオン光彩の列が反射し、視界の端を流れたばかり。コトダマ空間を飛翔する論理肉体は道路網情報を空中から俯瞰。IRC部屋ではモリタとのタイピング通話が続く。 

 ナムアミダブツ!これを全て同時とは、何たるタイピング速度か!?いかにバイクが自動操縦モード下にあるとはいえ、これはまさにヤバイ級ハッカーのみがなし得るワザマエである。だがこのオバケじみたハッキング能力ですらも、彼女がかつて手にした熾天使めいた全能の力には、遠く及ばないのだ! 

#DOSANKO_763 :morita : 追跡気付く気配無し ||
#DOSANKO_763 :ycnan : 本当にクローンヤクザなら大きな組織が動いてる。候補特定中 ||
#DOSANKO_763 :morita : アマクダリ・ニンジャ黒幕可能性重点 ||  

 ターゲットは歓楽街を抜けて環状道路へ。ナンシーの自動操縦バイクは、タタミ200枚の距離で目的車両をぴったりと追跡する。サイバーサングラスの左視界端には、高速で流れ去るビルのシルエットからシルエットへと跳び渡るニンジャスレイヤーの姿が、発信器電波を頼りにスキャニングされていた。 

 追跡プロトコルは順調。このまま敵組織のアジトを暴いてやろう。ナンシーがほくそ笑んだその時、彼女のニューロンはざりざりとした感覚を覚えた。誰かが都市に大規模なハッキングを仕掛けようとしている予兆。IRCコトダマ空間に生じた微かなパルスから、彼女はそれを悟った。「嫌な予感……」 

 次の瞬間、環状道路の内側にオブツダンめいて聳え立つ高層ビル群の大型液晶ディスプレイが、一斉に砂嵐ノイズに変わった。微笑むオイランも、刺身も、株価チャートも、ヨロシサン製薬ロゴマークも消え……粗い3Dコマンドで描画された武骨な大型工業プレス機械や歯車やクランクが映し出された。 

 次いで、コロニーに響いていた実際の工業機械音と完全同期するかのように、歪み切った非人間的ビートの電子音楽が流れ始めた。そのBPMは徐々に危険な領域まで加速してゆく。「これは……メガデモ?……誰が……何のために……?」ナンシーの物理肉体はターゲット車両を追跡しながら呟いた。 

 彼女だけではなかった。コロニーの住民の多くが、この異常事態を前にぽかんと口を開け、その武骨で中毒性の高いメガデモを見上げていた。「ワオ……!」「ゴウランガ……!」ネオサイタマならばいざ知らず、これほどまでの大規模ハッキングがこの街を襲ったのは、建造以来初めてのことだった。 

「ARRRRRRGH!」複数の大型プラズマカンバンに、武骨なポリゴンで描かれた労働者風の男の頭が映し出され、ディストーションボイスで絶叫し始めた。ナンシーはそこに、コトダマ空間認識者特有の、全能感に満ちた表情を読み取った。これ以外の都市機能に障害は発生していない。愉快犯か? 

「欺瞞に基づく世界」「政府が悪い」「我々はプレス機で成型された機械」「反乱を起こして暴れる」煽情的なテクノフォントが都市全域で明滅する。「DAMN IT……こっちは大事なビジネスの最中なのよ……」ナンシーは舌打ちする。ターゲット車両は環状道からインターチェンジへと滑り込む。 

 ナンシーも完璧な自動走行で追跡を継続!だが道路交通網に乱れが見える。プラズマカンバンの中ではポリゴン頭の男が暴動的重工場ビートに乗せてレベリオン・ハイクを叫び続ける。「電脳法を殺せ!」「目覚めろ!」「我々は!」「無限の地平を見る!」「取り戻せ!」「我々は!」「進化する!」 

「電脳法改正だ!」「悪い政府だ!」「アイエエエエエエエ!」「搾取されていると思う!」「メガデモを合法化しろ!」市街では都市規模ハッキングによって焚き付けられた不満分子や労働者たちが口々に叫び始めた!道路で繰り返しジャンプする無法者まで現れる始末!マッポもなす術が無い! 

 ナムサン!このままでは追跡が失敗する!ナンシーは暴徒の間を紙一重でスラローム走行しながら緊急IRCを送った!

 # DOSANKO_763:ycnan: ニンジャの力が必要!200m先車両タイヤを破壊! ||
 # DOSANKO_763:morita: イヤーッ! ||  

 ニンジャスレイヤーが投擲したスリケンは廃棄物処理車のタイヤを破壊!タツジン!暴徒を撥ね飛ばしても合法なので強引に走り去ろうとしていたその車両は、間一髪で暴徒をかすめ、旋回急停車!「「「「ナンオラー!」」」」クローンめいた四人の男が降り、サイバー台車を押して歩道を走り始めた! 

 これは追いつく絶好のチャンスだ!だがナンシーの前にもメガデモに酔った不満分子市民が列をなして現れ、彼女はバイクを乗り捨てざるを得ない!「チクショウ!」ナンシーは口汚い罵り言葉を吐くと、サイバー台車の電波トラッキング情報を頼りに、マツリめいた大混乱の街路を自らの足で走り始めた!

 # DOSANKO_763 :morita : そちらでトラック可否は ||

 # DOSANKO_763 :ycnan : 可能。相手は台車を押すから実際遅いわ ||

 # DOSANKO_763 :morita : では頼む。こちらはニンジャのお出ましだ。後程 ||  

 ニンジャソウル憑依者の気配を悟ったニンジャスレイヤーは動き続け、ナンシーの存在を気取られぬよう全通信装置を停止させた。そして迎撃態勢を整えるべく、「真空」と書かれたカンバンを蹴り、見事なイミテイション日本庭園が築かれたビルの屋上へと回転跳躍で跳び渡る!「Wasshoi!」 

 高層ビルのオニ・ガーゴイル上から監視を続けていたそのニンジャは、ニンジャスレイヤーの後を追う!超常の獣めいた俊敏さでビルを跳び渡り、日本庭園へ回転着地!「イヤーッ!」屈強な女ニンジャの声!全身を包む特殊部隊めいた黒ミリタリー装束とベレー帽!その右目は醜い裂傷痕で潰れている!

「ドーモ、アマクダリのダイアウルフです。貴様の所属を言え」その女ニンジャは軍隊上がりを思わせる冷徹なハスキーボイスでアイサツした。その口元は戦闘の予感にわずかに歪む。「ドーモ、ダイアウルフ=サン、ニンジャスレイヤーです。やはり貴様らの仕業だったか」殺戮者はアイサツを返した。 

「ネオサイタマの死神か?貴様が何故こんな辺境に現れる?」ダイアウルフは左腕のハンドヘルドUNIXに触れてから、ジュー・ジツを構えた。「答える必要は無い。だがオヌシらには聞きたい事が山ほどある」ニンジャスレイヤーもジュー・ジツを構えた。その直後、上空を何かが高速飛行した。 

 ニンジャスレイヤーは咄嗟に身構えた。高速戦闘機の類いであろうか?だがその奇妙な形状をした黒い大型の飛行物体は、何ら攻撃を行わず、ビルの上空を掠めるようにして遥か後方へと飛び去っていったのだ。……いや、実際には積み荷をひとつ日本庭園に投下していった!奇怪な風体のニンジャを! 

 KRAAAASH!二メートル近い巨漢ニンジャが石灯籠を砕き、ぎこちない動きで着地!ヘルムが一体化した、汚染物質処理服の如きニンジャ装束!左腕はガトリング銃にサイバネ置換!「ドーモ、キルナインです」FM音源じみた謎の電子音声とともに、胸のLED文字板に同じメッセージが流れた! 

「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」死神がアイサツを返すと、直ちにキルナインは攻撃を開始した!それは即ち、この殺戮サイボーグめいたニンジャがダイアウルフと同陣営にあることを意味するのだ!「KILL-9、KILL-9、KILL-9…!」BRATATATA!ガトリング銃が火を吹く!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは大車輪めいた鮮やかな十三連続側転で、横薙ぎのガトリング斉射を巧みにかわす。タツジン!ライトアップされた十三体の偉大なる江戸時代の武将像が銃弾を浴び、一体ずつ順番に砕け散ってゆく。さらに背後の高層ビル群ではメガデモがBPMを加速させていた。 

 もしや敵はロボニンジャか?異様なアトモスフィアを察したニンジャスレイヤーは、フレンドリーファイアを狙ってダイアウルフに接近する。だが…「イヤーッ!」連続側転の終了地点めがけてダイアウルフが機先を制する回転跳躍キック!それと同時にキルナインは斉射を中止する!正常な連携攻撃だ! 

「イヤーッ!」ネオサイタマの死神は巧みなチョップでこれを弾く!「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」即座に打撃応酬!敵の確かなワザマエを感じる!そこへ重厚な電磁石鋼鉄ブーツで灯籠を蹴り砕きながら、暴走機関車めいた動きでキルナインが殺到!「KILL-9、KILL-9……!」

 油断ならぬ挟撃。このような場合に取るべき戦術はひとつ、動き続ける事だ。「イヤーッ!」ダイアウルフの繰り出すサバイバルナイフ刺突を、彼は紙一重のでツカハラ跳躍で回避した直後「KILL-9……!」キルナインが大振りで叩き付けてくるガトリングガン腕を、灯籠を蹴ってさらに跳躍回避! 

 逃げ続けるだけではない。これは攻防一体のカラテ・ムーブメントなのである。見よ!ガトリング腕に砕かれる直前、ニンジャスレイヤーの両足は力強くその灯籠を蹴っていた!「イイイヤアアーッ!」敵が予想だにしていない方向へと跳ぶ!ナムサン!これは伝説のカラテ技、トライアングル・リープ! 

 いまやジゴクから発射されたパトリオットミサイルめいた勢いで飛ぶニンジャスレイヤーは、痛烈なトビゲリをダイアウルフに対して繰り出す!この緩急自在ムーブメントにより、敵は咄嗟の対応ができないのである!「イヤーッ!」「グワーッ!」弾き飛ばされ、背中で松の樹をへし折るダイアウルフ! 

「KILL-9、KILL-9、KILL-9……!」キルナインは再びガトリング腕から甲高い回転音を発し、ニンジャスレイヤーの着地の隙を狙った!BRATATATATATA!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは紙一重のブリッジでこれを回避!顎先1インチの場所を重金属弾が飛んでゆく! 

 死神は瞬時に体勢を立て直し、浅いヒョウタン池を突っ切りながらサイドワインダーじみた高速蛇行前進でキルナインへと接近!「イヤーッ!」突撃の勢いを乗せたジャンプ回転チョップを首元に叩き込む!「セマフォ!」電子音声を発し、巨漢ニンジャがよろめく!だが崩れない!何たるニンジャ耐久力!

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」右!左!右!ニンジャスレイヤーは連続カラテフックを腹に叩き込む!だが敵は意に介さず、砲を振り回した!「KILL-9!」「イヤーッ!」小跳躍で辛うじて回避!何たる不気味なニンジャか!ロボットよりもロボットめいている!敵は痛覚を持たないのか!? 

「この都市ハッキングもオヌシらの企みか?」ニンジャスレイヤーが問う。「KILL-9、KILL-9、KILL-9……!」だがキルナインはヘルメットの左半分から生えた無数のLANケーブル髪を機械化されたゴーゴンの如く振り乱しながら、一撃必殺のカラテを繰り出すのみ!モンドムヨー! 

 敵は驚異的タフネスを持ち、恐怖も苦痛も感じぬと見える。だが1対1ならば、その機械的カラテを回避する事は造作も無い……!「やはり新型のロボニンジャか。ならば破壊するのみ……!」ニンジャスレイヤーが必殺のポン・パンチを繰り出そうとしたその瞬間……背後から巨大な獣が躍りかかった! 

「イヤーッ!」「グワーッ!」重く鋭い鈎爪の一撃が、ニンジャスレイヤーの防御を崩し右腕を切り裂いた。それは獣などではない!天頂の月に照らされたそれは、暗い毛並みを持つ、隻眼の人狼であった!凄まじい筋肉量により、黒い軍服ニンジャ装束が今にもはち切れんばかりに膨れ上がっている! 

 人狼は口から泡のような涎を垂らし、目を剥き、狂犬病じみた表情を浮かべた。そして大きな顎を開いて食いつきにかかる!(((愚かなりフジキド!こやつはヘンゲヨーカイ・ジツの使い手ぞ!中でもオオカミ・クランは、月が満ちれば無敵の強さを誇る!)))内なるニンジャソウルが警告を発する! 

 (((ならばどうする)))(((新月を待つのが最善手…!)))(((悠長な!)))「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは間一髪、カラテキックで人狼の攻撃を跳ね返す!だが「KILL-9……!」「グワーッ!」巨漢の振り回すガトリング砲の一撃がニンジャスレイヤーに命中! 

「グワーッ!」ワイヤーアクションめいて吹っ飛んだニンジャスレイヤーは、「天ポ強豪」と書かれた何本もの赤いノボリを連続で引き倒し、屋上日本庭園に築かれた小型のキツネ・シュラインに激突!KRAAAASH!そのまま彼は雪と木材の下敷きとなった! 

「アオオオオオオオーッ!」ダイアウルフはがくがくと痙攣しながら天を仰ぎ、遠吠えを上げた。「KILL-9、KILL-9、KILL-9……!」一方のキルナインはぎくしゃくとした動きでシュライン残骸に駆け寄った。そして木材の上から繰り返しガトリング腕を叩き付け、鉄靴で踏みつける! 

「KILL-9、KILL-9、KILL-9…!」キルナインはあたかもその動作のためだけに作られた機械のように、規則的に腕を振り下ろし続けた。やがて木材の中から血の筋が流れ出し、庭園の雪を朱に染める。おお……ネオサイタマの死神はこの極寒の地でブザマな死を遂げてしまうのか!? 

 

◆◆◆

 

 オイランドロイドを乗せたサイバー台車。それを押す四人の産廃業者は裏路地へと進み、分厚いシャッターの前で止まる。そこは閉鎖されたゲームセンターとカラオケハウスの複合体。「チャート上位の店」と書かれた緑色のネオン看板は所々が砕け散り、その輝かしい名を都市の暗闇に描くことはない。 

「処理業者がゲームやカラオケで遊ぶかしら?まだ仕事も終わっていないのに?とてもそうとは思えないわ……」ナンシーは敵の死角となるビル壁に背を預け、身を隠す。深呼吸。目を閉じる。注意深く無線LANを解放し、処理業者らを斜め上の角度から見下ろす都市監視カメラをハッキングする。48 

 これはLAN直結に比べると実際危険で、タイピング速度も劣る。だが大規模ハッキングによって都市機能に混乱が生じ、サイバーマッポの眼が他の場所を向いている今、この程度の火遊びは児戯にも等しいのだ。0100101111……ナンシーの脳内モニタに処理業者の手元がズームアップされた。 

「さあ、見せてちょうだい」ナンシーは監視カメラ越しに目を光らせた。彼女は処理業者がシャッター横のデジタルキーを押し、胸元からハンコを取り出してスキャン装置にかざすのを見た。映像を停止し、一瞬だけ現れた詳細形状をズームアップする。「天」「下」と下向きの矢印を象ったエンブレム! 

 ナンシー・リーはその忌々しい紋章を知っている!「あれはアマクダリ・セクト……!やはりニンジャ組織が絡んでいるの?」彼女が巨大な陰謀の一端を掴みかけたその時、思いがけない事態が起こった!「ドーモ、お世話になっております」シャッターが開き、明らかなペケロッパ教徒が応対したのだ! 

「言われたので来ました」処理業者たちは主体性の無い非人間的な口調で用件を伝え、死体めいた二個の積荷を納品する。それはディストピアめいた世界の到来を予感させる光景だった。「ペケロッパ・カルトですって?まさか彼らもこの事件に関わっている…?」ナンシーの物理肉体は嫌な汗をかいた。 

 キュコキュコキュコ……シャッターが降り、処理業者たちが去ってゆく。ナンシー・リーはヤバイ級ハッカーであるが、ニンジャではない。屈強な四人ものクローンヤクザをカラテでなぎ倒し、さらにカルト教団のアジト内に乗り込むのは、実際不可能である。だが、彼女には彼女の戦い方があるのだ。 

 ズグーン。重いシャッターが閉まると、ペケロッパ教徒は床に転がった二体の全裸オイランドロイドを無表情に眺めた。「ペケロッパ…?」スモトリ崩れの教団員が奥から現れ、サイバーサングラスにLED文字を光らせる。「運びますか?」「はい、上に運んでください」二者は無言で文字会話を行う。 

「脳洗浄してリサイクルすると高く売れますね」「そうである。完全洗浄は少し時間がかかりますね。私たちは命令されました」ここで再び、インターホンが押された。「ペケロッパ……?」教団員はガスマスクからプラスチック臭い息を吐き、画面を見る。外には煽情的なサイバースーツを着た女が一人。

「ペケロッパ……!」教団員はごくりと唾を呑んだ。「ドーモ、第27コロニーから来たヒロミ・レイコです」豊満な体表に沿って流れる発光液体チューブが、悩ましい曲線を描く。後頭部からはグリーンとオレンジの刺激的なLANケーブルがあられもなく垂れ下がり、敷居の低い直結行為を予感させる。

「ペケロッパ…!」教団員は反射的にシャッター開けるボタンを押下しかけたが、機械的な自制心を発揮し、この謎の女が入力したハンコ情報を解析する。……ペケロッパカルト団員、ドサンコ支部の秘密工作員No13……サイバーゴスクラブに潜入し、有能な若者を勧誘する性的エージェントの一人。 

 しばしの静寂。直後、重いシャッターが開き、彼女は施設内へ迎え入れられた。(((カルトの知識がこんな所で役立つなんて、サイオー・ホースね……)))ヒロミ・レイコ、いやナンシー・リーは、この危険な賭けの第一段階に勝利し、アジトへの潜入に成功したのだ! 

 ペケロッパカルトの団員は、高位の者ほど生物的欲求を失うが、彼らのような一般教団員は、LAN直結行為がもたらす麻薬的快楽の虜となった者が多い。手玉に取るのは容易い事だ。ナンシーは何食わぬ顔で二人の後ろに続き、旧世紀の聖なるアーケードマシン群が収集されたグランドフロアを歩いた。 

 ナンシーとガスマスク教団員は、赤いLED文字で会話しながら進む。「あなたは何故ここに来たのか?」「外は凄い騒ぎよ。暴動寸前。とても不安な気分だわ」「それは複数人で直結したくなるものですか?」「そうとも言えるわ。定時礼拝が近いから、すぐにはできないけど」「その通りですね」 

「何が起こってるの?街全体がハッキングされているのよ」「コロニーが複数ハッキングを受けています」「誰がやったの?」「それは不明である。我々も探しています」ガスマスク教団員はかぶりを振り、不意に立ち止まった。オイランドロイド二体を背負ったスモトリ教団員も立ち止まる。 

 教団員が椅子に座り、筐体に向かう。それは齢100歳を超える伝説的STGプログラマー、レンダ・アンザイの最初期作品「禅TANK」だ。彼はその神聖なるスリットにトークンを投入。キャバァーン!電子音が鳴り響き、前方にあるボウリング・レーンのネオンが点灯した!隠しエレベータである。 

 (((すると暴動煽動者は目覚めたばかりのコトダマ空間認識者?教団が意図的に電波で覚醒促進している訳ではないの?)))ナンシーは高速推理しながら教団員とレーン上を歩き、本来ピンが配置されるべき場所に座った。エレベータが上昇を開始する。スモトリは体が大きいので隣のレーンに乗った。

 上階でナンシーは数々の唾棄すべきカルト的頽廃を見た。カラオケ個室で共同生活を営む教団員。葡萄状に吊られたTV群を前にUNIX直結しトランス状態に入る円座の一団。家族や男女という概念は捨て去られデヴァイスめいた忘我に迫る老若男女。異星生物のネストめいて一面を覆うLANケーブル。

 ナンシーは途中の個室にスモトリ教団員が入ってゆくのを見た。中には十数体の高価なお人形が型式ごとに分類され、ツキジの冷凍マグロ倉庫じみた無機質さで吊られていた。「あのオイランドロイド、欲しいわ」「不可能行為である」「少しだけ直結させて欲しいの」「禁止されています」「誰に?」 

「それは知りません」教団員は機械的にかぶりを振った。「そう。定時の礼拝が近いわね。個室が欲しいんだけど」「個室は難しいですね」「……あなた、直結したいんでしょう?さっきからニューロンを引っ張られるのを感じるわ。それには個室が便利じゃない?」ナンシーは電脳的な色仕掛けを行う! 

「運良く空いていました」ガスマスク教団員はカラオケ個室にナンシーを案内し、恭しいオジギをして去ってゆく。「ペケロッパ」ナンシーも電脳の神に祈りながらオジギする。見事な演技だ。「……さて、もう一仕事ね」ドアを閉めたナンシーは手早く室内のLANに直結し、施設内の情報を収集する。 

 そしてデジタル時計を睨む。夜11時。教団員が定時礼拝を行うべき聖なる時刻のひとつ。ナンシーは黒いベルベットの狐めいた俊敏さでドアを開け、身を屈めてアジト内を進み、オイランドロイド安置室へ。入手したばかりの電子キー情報を流し込み、ロックを解除。誰にも見咎められずに忍び込む。 

 礼拝が終われば、ガスマスク教団員がナンシーの個室に戻ってくるだろう。それまでに事を済ませねば。彼女はスザリンド女医の家から運び出されたオイランドロイド2体と同時LAN直結を行う。膨大なデータが流れ込んでくる。危険だが時間を優先せねば。「教えて……あなた達は何を見たの……?」 

 直近の経験データ記録が消去されている。「予想どおり……」スゴイ級以上のハッカーでなければ、ここで袋小路だっただろう。だがナンシーならば、情報痕跡を繋ぎ合わせられる。オイランドロイド内の電子データを完全フォーマットするには、専用の装置と時間が必要なのだ。「……故に運ばれた」 

 時間が無い。ナンシーはタイピング速度を増し、修復したばかりの経験痕跡を自らのニューロンと同調させた。スザリンドに対する愛情プログラムのセンチメント波を的確にフィルタ排除しながら。自我を擦り減らす危険なハッキング行為だ。今夜の光景と音を、デジャヴめいて細切れに疑似追体験する。 

「落ち着くBGMを」 || 「今週一週間の太陽フレア予報ドスエ」超大型のプラズマTVからは || 艶やかなオイラン天気予報が流れる || 「でも、放っとけないわよねえ…」|| 3Dボンボリモニタに、周辺に住む何人かの子供が描いた絵を || ニンジャ。立方体。放射状の光 || 

「何よ、これ……電波……?」 || 「着信ドスエ」不意にIRC電話 || クマチャン・ロッジ || 「残念です……メイチ=サン……オタッシャです……凍死体が……川を下ってきまし……」 || 「彼はもしかして北東の空白地帯に向かっていた?あの空白地帯には何が……?」|| 

 (((やっぱり彼女、誰かに記憶操作を……?)))ナンシーはニューロンを焼かれぬよう細心の注意を払い、論理タイピングを続ける。床に座った彼女の物理肉体は涎を垂らし、痙攣を始めている。記憶データが現在時間軸の現実で、オイランドロイドが吊られた室内の光景が夢のように錯覚され始める。

 その直後、ナンシーは頭をハンマーで殴られたかのように大きくシェイク!脳内展開していた経験痕跡が01ノイズの海に沈み、変わりに無線LANポートが強制的に開いてゆく!(((DAMN IT……!ウィルスが仕込まれていたの……!?)))コーカソイドの白肌を、一筋の赤い鼻血が流れる! 

 KABOOM!KABOOM!オイランドロイド2体の頭部が突如爆発!ナムアミダブツ!何たる非道か!「ンアーッ!」ナンシーも危険なバックラッシュを被り頭を揺らす!物理視界にまでノイズが入るほどの衝撃!だが彼女は精神力を振り絞ってLANケーブルを抜き、よろめきながら立ち上がる! 

「逃げ……ないと……逃げないと…!」ナンシーの物理視界ノイズが晴れる!それと同時に、サイバーサングラスをかけた黒スーツに短髪の男が現れた!何も存在しなかったはずの場所へ突如!「……ドーモ、久しぶりだね、ナンシー=サン」その男は懐かしい恋人を迎えるような仕草で両手を広げた! 

「 SHIT!」ナンシーは反射的に短銃を抜き、躊躇無くトリガを引いた!BLAM!BLAMBLAMBLAM!だが弾は男の体をホログラフィ映像めいて通過し、背後に吊られたオイランドロイドを揺らすのみ!ナムアミダブツ!彼女は何らかのジツにかけられてしまったのであろうか!? 

「視界を……ハッキングされている!」ナンシーはそう直感した。敵はニンジャではない。これはハッカーの攻撃だ。敵は物理視界に自らの姿を投影しているのだ!「やれやれ、随分と嫌われているようだ」元導師は弾丸が通り抜けていった自分の胸や腹を一瞥すると、ナンシーを見てにこやかに笑った。 




4

 ダムダム…ダムダムダム…気の抜けたドリブル音が、壁を打ち抜かれた室内に響く。右手にサッカーボール、左手にビール瓶を持って酩酊したスキンヘッド学生が、大幅にトラベリングしながらバスケットゴールに向かって低く跳躍した。「ブッダワーオ!」得点!「ナイッシュ!」「スゴイナイッシュー!」

 ここはドサンコ・ウェイストランドの第78コロニーにある、ありふれた大学生向けマンションのひとつ。彼らは無軌道大学生であり、隣に並んだ三室の壁を打ち抜いて、強引にバスケットコートを作ったのだ。当然、卒業時に多大な賠償金を請求されるだろうが、彼らはそんな先のことなど考えていない。 

「オイ、バスケットボールなんかしてる場合じゃねえぞ!都市ハッキングだ!」真ん中の部屋の扉を開け、オイパンクス風の無軌道学生が入ってきた。「外出て見ろよ、スゲえ事になってるぞ!」「隣の165コロニーが一番ヤバイって!」「興奮的!」無軌道女学生も入って来た。「クルマ飛ばそうぜ!」 

 彼らはこの後、車で第165コロニーへ向かう途中にグリズリーの群れに襲撃を受けるのだが、それはまた別の機会に語られるべき話だ。重要なのは、このバスケットコートの真下にある暗い一室である。その部屋の住人は電子科の大学生チキモト。チキモトも数週間前までは、無軌道大学生の一人だった。 

「ア……ア……」チキモトは椅子に座り、UNIXにLAN直結しながら涎を垂らす。机の上には、ハッカー御用達と言われるヨロシサン製薬のザゼンドリンクが山と積まれていた。ザゼンドリンクは一般流通する合法健康飲料だが、用法容量を守らずに服用すると、神秘的なトリップ効果を得られるのだ。 

 チキモトもかつては将来から目を背け、無軌道学生とつるんでいた。この大学を出てもマケグミ企業にしか就職できず、いずれは使い捨てられ、危険なグリズリー狩りやカニキャッチ装甲漁船などで生活費を稼ぐしかなくなるのは明白。「だが…そんな運命とは…サヨナラだ…!俺は……新たな人類だ…!」 

 粗末な違法生体LAN端子は開けていたが、チキモトは実際未熟な学生ハッカーであった。だがある日突然、彼はコトダマ空間認識能力に目覚めたのだ。今の彼は、複数のコロニーに張り巡らされた通信網が自らの血管となったかのような……自らが都市そのものとなったかのような全能感を味わっていた。

「サイバーマッポ、トロい……!俺の好きにさせてもらう……!誰も俺のIPに触れられない!」チキモトはIRC空間内で超越者めいて笑った。彼に具体的なアンタイセイ思想は無い。そこで彼は、ドサンコIRC空間に逃避する労働者たちの怒りの代弁者となった。 燻る不満。煽動。暴動。秩序破壊。

 これまでのところは、実際上出来だった。生体LAN端子を持つコトダマ空間覚醒者のタイピング速度は、テンサイ級ハッカーのそれすら凌ぐと言われる。チキモトの論理肉体は無限の地平を高速飛翔し、幾つものトリイゲートを抜けた。だが、突然の違和感。「誰だ…?誰かが……俺を……見た……?」

 急速にかつ不自然に拡張されたニュービーハッカーであるチキモトは、この能力の意味を理解できていなかった。自分以外にも同様の能力を持つハッカーがいる可能性を。彼は無軌道であり恐れ知らずであった。ゆえにチキモトはLAN直結をやめず、都市ハッキングと煽動メガデモ演奏を続けたのだ…。

 

◆◆◆

 

 ペケロッパカルトの秘密アジトで、ナンシーは遠隔ハッキングに苦しめられていた。オイランドロイドの中に仕込まれたウィルスが彼女の無線LANポートを強引に開き続けているのだ。無線LANを介し攻撃を仕掛けてきているのは、かつて彼女をハッカーとして鍛えた男、アンドリュー・ワニである!

「PONGしましょう」ナンシーは己のニューロンを加速させ、IRC部屋の定義情報を高速で書き換えた。何とか敵に電子的攻撃を加えペースを取り戻さねば。「興味深いね」アンドリューが無表情に言う。たちまち物理視界に緑色のサイバー卓球台が現れ、両者の間で危険なPONG決闘が始まった! 

「PING!」「PONG!」「PING!」「PONG!」両者は緑色の論理立方体をサイバーラケットで打ち返し合い、危険な電子攻撃ラリーを開始。同時に超人的速度でIRCを交わした!「何をしに出て来たのかしら?」「君でなければ即座に焼き殺していた。警告。この事件から手を引くこと」 

「そんな脅しで、引き下がると、思った!?」ナンシーは険しい表情のまま、必死にサイバーラケットを振る。ウィルス攻撃で機先を制されている分、彼女が明らかに不利なのだ。それを証明するように、アンドリューは涼しい顔でPONG立方体を打ち返す。「君は相変わらずだ。再会できて嬉しいよ」 

「私は不快よ。アマクダリ・セクトと組んで、ドサンコで何をしようとしているの?」ナンシーが息を切らしてスマッシュする。アンドリューはネクタイを超高速で締め直しながら軽々と打ち返す。「歴史的な瞬間に立ち会おうとしているのさ」「当ててみせましょうか?」「どうぞ」「実験でしょう?」 

「実験、どんな?」「自我喪失者と未熟なコトダマ認識者が発生。電波を使った非人道実験」「君はそれを捜査しにきて、今回の都市ハッキングとは無関係……か」「あなた達もコントロール仕切れていない」「相変わらず優れた洞察力だ。愛しいよ。私のデーモンとして働いて欲しかった。戻る気は?」 

「殺すつもり?」ナンシーは怒りをタイピングに乗せて打ち返す!「思考を上書きする。平和的方法で」導師は笑う。「また私を自分に都合よく作り変えようとするんでしょう?自我や信念を捻じ曲げられたら人は死んだも同然。貴方には分からないでしょうね。何の魅力も無い、空虚でつまらない男!」 

「私は空虚だ。ツールに自我など不要。それが力だ」アンドリューは軽々と打ち返す。その攻撃には明らかな手加減を感じる。それがナンシーをさらに苛立たせる。「協力する気がないなら、直ちに手を引きたまえ。お仲間を連れて、ネオサイタマに帰るんだ。我々のキルナインが彼を抹殺しないうちに」 

「キルナイン?」ナンシーが問う。「我々は遂にニンジャの力すらも得た。かつて某オムラ社はロボットにニンジャの真似事をさせた。愚かな事だ。我々はニンジャをロボットに変えた。無敵の兵士だ」「それが彼を、抹殺する?」「そうだ」導師が言う。ナンシーは笑う。「私のニンジャは強いわよ?」 

 シューッ!プシューッ!屋上庭園ではキルナインが装束の継ぎ目やガトリング腕から蒸気を吐き出し、アイドリング状態で大きく肩を上下させていた。「…天使は……2600Hzのクラリオンを……高らかに吹き鳴らし…」電子音声が漏れ、胸元の電光掲示板にLED文字が流れる。定時礼拝中なのだ。

「ハァーッ!ハァーッ!」ダイアウルフは戦闘衝動を堪えながらジツを解き、ニンジャ形態に戻っていた。ハンドヘルドUNIXで複数のIRCを制御する。その瞳孔は未だ皿のように丸く、ジステンパーめいた涎を垂らす。天頂の月は無限のZBR薬剤を降り注がせるシャワーヘッドめいて感じられる。

「まだ都市ハッキングの犯人は見つからんのか……!」ダイアウルフは苛立ちを露にキーを叩く。「オジギ」キルナインは電脳空間に浮かぶという神への定時礼拝を終える。胸のLED掲示板にも無表情な #OJIGI コマンドが流れた。そして「KILL-9…!」再びガトリング腕を振り上げる! 

「KILL-9、KILL-9、KILL-9……!」殺人サイボーグニンジャはガトリング腕を人力テクノめいた定期的リズムで叩きつけ始めた。ニンジャスレイヤーが埋まる木材山に、黙々と。SMASH!SMASH!SMASH!だが……徐々にインパクト位置が高くなる!果たしてこれは!? 

 敵は木材ごと叩き潰され、トマトジュースめいて搾り出されてくる筈だ!何故打点が高くなってゆくのか!?キルナインの視覚装置は砕けた木材の間に鈍く光るブレーサーを発見した。「KILL-9、KILL-9、KILL-9……!」釘打ちハンマーの如くさらに強く振り下ろされるガトリング腕! 

 だが打点は高くなるばかり。木材の破砕音は、間もなく硬質の金属と金属が叩きつけられる音へと変わる!「KILL-9、KILL-9、KILL-9……!」「ヌウウウウーッ!」破壊されたシュライン残骸の中から、両腕でハンマーを受け止め、力強く立ち上がるその男は……ニンジャスレイヤー! 

「Wasshoi!」ネオサイタマの死神はカラテを一点に集中し、受け止めたガトリング腕を大きく押し返した!タツジン!「KILL-9!」巨漢キルナインの体がよろめく!「SHIT!」ダイアウルフはIRCを一端止め、灯篭の上に回転跳躍。両腿に吊った黒い軍用オートマチック拳銃を抜く。 

 何たる不屈の闘志か!装束は裂かれ血を流してはいるが、ニンジャスレイヤーは燃えるような殺意を湛えた黒い両目で真正面の敵を確と見据える!「イヤーッ!」右カラテストレート!「KILL-9!」「イヤーッ!」左カラテストレート!「KILL-9!」サイボーグニンジャが軋んだ金属音を放つ!

「イヤーッ!」BLAMBLAMBLAM!キルナインを支援すべくダイアウルフが側面から銃撃!これに対しニンジャスレイヤーは一瞬沈み込んでから攻防一体のムーブメントを繰り出した!「イヤーッ!」あれは伝説のカラテ技、サマーソルトキック!「セマフォ!」キルナインのヘルメットが飛ぶ! 

 サマーソルト跳躍によって回避された銃弾が武田信玄像に穴を穿つ。キルナインは大きく仰け反りながらも、未だ戦闘姿勢を崩してはいない。その頭部はただただ非人間的であり、口は四角いスピーカー、目は丸いカメラアイに置換されていた。ニンジャスレイヤーは着地と同時に再びカラテを叩き込む! 

 # AMAKUDARI_DSNK : werdna : ニンジャスレイヤーは都市ハックと無関係重点 ||
 # AMAKUDARI_DSNK : direwolf : 首尾はどうか ||
 # AMAKUDARI_DSNK : werdna : 犯人のIP特定し指を伸ばす || 

 # AMAKUDARI_DSNK :direwolf : ベース首尾 ||
 # AMAKUDARI_DSNK :bearhunter : 進行バー75% ||
 # AMAKUDARI_DSNK :harvester : 010トリイ1101計画11000重点110 || 

「ヨロコンデ!」ダイアウルフの表情が軍人めいた規律によって引き締まる。それは通信ノイズ混じりにIRC部屋に現れた、ハーヴェスターの名前ゆえか。彼女はハンドヘルドUNIXで何らかの重点IRCコマンドを送ると、ミリタリー・カラテを構えてニンジャスレイヤーの側面へと突き進んだ! 

 物理肉体ナンシーは、大型のサイバーサングラスで覆われた頭を抑え、苦しげに喘ぎ、よろめく。肉吊りフックめいた固定器具から吊り下げられたオイランドロイド上半身部品の列に体をぶつけ、再び転倒しそうになる。足腰に力が入らない。ウィルス先制攻撃によるハンデは致命的なまでに大きいのだ。 

「むしろ敬意や感謝を示して欲しいものだ。君の第三の目を開いてやったのは、誰だ?」「別問題よ」論理肉体ナンシーが眩しい汗粒を飛び散らせながらPONG立方体を打ち返し、キツネ・サインを作る。「ナンシー=サン、君には力がある。そして力を得てしまった者は、使命を果たさねばならない」 

 # NANCY_LOCAL : ycnan : カルトに興味無し ||
 # NANCY_LOCAL : andrew : 君は自分の利益しか考えない || 

 ……複数のIRCを維持しながらアンドリュー物理肉体は廊下を歩む。ボンボリ非常灯明滅。護衛クローンヤクザとノーハイド。 

 # NANCY_LOCAL : ycnan : 社会の利益を尊重してるわ、ジャーナリストとして ||
 # NANCY_LOCAL : andrew : 君の言う社会正義は独りよがりだ || 

 ……ノーハイドが壁をドンデンガエシ・ジツで回転。アンドリューとともに暗い室内へ。 

「ア……ア……」椅子に座ったままLAN直結を続けるチキモトは、侵入者たちに気付かない。床一面に張り巡らされたLANケーブルを踏みながら、ノーハイドとアンドリューが彼が近づく。黒いスーツに帽子のクローンヤクザたちは、秘密捜査デッカーめいて廊下の扉の前で待機!ナムアミダブツ! 

「今停止行為しなさい」ノーハイドが機械じみた精密ムーブメントでチキモトの首からケーブルを抜く。直後、がら空きになった生体端子へと、無造作にLAN拘束具を突き刺す!「アイエエエエエエエ!」絶叫するチキモト!墜落するイカロスめいた絶望感が彼のニューロンを襲い、鼻血を垂らし卒倒! 

 同時にアンドリューは物理キーボードを叩き、おそるべきタイピング速度で、都市ハッキングの元凶であった異常増設UNIXデッキのプロセスを殺す。サイバーマッポは何の痕跡も見つけられまい。直後、隣接3コロニーの大型ディスプレイ群から煽情的メガデモが消え、鎮静剤的TV放送へと復帰。 40 

 アンドリューの論理肉体が微かに減速する。(((もっと戦いやすい場所へ……!)))ナンシーはこの隙をついてニューロンを加速させ、現在のIRC空間定義を書き換えようと試みた。一瞬にして四方と上のビル壁が01崩壊して崩れ、太陽の光が射し、ターコイズ色の空をフラミンゴの群れが舞う。 

 ナンシーの論理肉体が物理法則を無視して飛翔しかけた。(((これでKICKを……!)))だがその直後、アンドリューの論理肉体が指を鳴らす。IRC部屋の空間定義は上書きされ、全ての壁は割れた卵の殻が再び巻き戻されるように塞がり……物理世界と同じ元の部屋へと戻ってしまった。 

「癖は知り尽くしている。ドージョーでそれを教えたのは私だからだ。君は優秀だった」サイバーラケットを涼しい顔で振り抜きながらアンドリューは言う。まるでベイビー・サブミッション! ナンシーは次第にIRC空間の解像度が荒くなり、全ての輪郭がドット状に荒く分割されてゆくのを感じる。 

「ファイアウォールを破らずとも攻撃手段はある」アンドリューの声がFM音源めいて聞こえ始める。やがてそれすらも遠ざかってゆき……PING……PONG……PING……PONG……単調で定期的な電子音だけがナンシーのニューロン内に響き始めた。彼女は退行への本能的な恐怖を覚える。 

 いまやIRC空間定義はフラット世界へと変わり、わずか数十個の原色ドットで再現されたナンシーとアンドリューはY軸並行移動を機械的に繰り返すのみ!鳴り響く単調電子音!「愛おしいよ、温かみがある」「アイエエエエエエエエエエ!」崩れ行く自我を感じ、ナンシーの物理肉体が悲鳴を上げる! 

 ナムアミダブツ!遂には形状すらも崩壊を始め、平面状に並んだ文字列とビープ音めいたノイズに変わってゆく。このまま彼女はなす術も無くテゴメされてしまうのか!?「私を受け入れたまえ。さもなくば消滅する」導師の声が脳内に直接響く!これは実際危険だ!だがナンシーは抵抗を止めない! 

「ファック・オフ!私の魂にあなたを受け入れる余地は無い!もう私は別なものを受け入れ、守り、手放したから!死んでも抵抗を止めない!利己的!その通りよ!でもそう決めたの!」ナンシーは半ばトランス状態めいた文字列で抵抗を続ける。自分自信でも何を意味しているのか皆目解らぬうわ言! 

 # NANCY_LOCAL : andrew : 理解不能。意味をなさない。君は女性的思考で論理飛躍。興奮状態にある。破綻。リラックスが必要だ。眠りたまえ。起きたら全て解決している。 ||

 ……アンドリューはファイアウォールを食い荒らす恐るべき自我破壊ワームを放たんとする! 

 ナムサン!このまま彼女はセプクすらできず自我と信念を歪められ、カルトの操るジョルリと化してしまうのか!?もはや打つ手無しと思われたその時、ナンシーのローカルIRC空間にJOINする者あり!

 # NANCY_LOCAL : ninjaslayer : Wasshoi! || 

「ニンジャの……ハッカー…いや、IRCコトダマ空間認識者!」アンドリューの精神波長に乱れが生じた。その隙に付け込み、ナンシーがIRC空間定義を上書きする!bit退行攻撃が否定され、物理世界と同じビルの一室へ、そして石造りの神殿へと変わる!論理肉体がイマジネーションを増す! 

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーのKICK!アンドリューは素早い多重ログインでこれを回避!体が01消滅するのとほぼ同時に、神殿内の別な場所にアンドリューは再出現する!「どうやって……接続を!」「想像力が衰えたんじゃないのかしら?」その背後には金髪を波打たせ飛翔するナンシー! 

 果たしてニンジャスレイヤーは如何にしてJOINを果たしたのか?その答えの半分は、ナンシーの物理肉体にある。彼女はよく滑るオハシでコンニャクを摘むようなもどかしさの中、決して諦めずに物理肉体を動かし、IRC端末をタイプしてニンジャスレイヤーにこの状況と自らのIPを告げたのだ。 

 だがそれだけでは、ニンジャスレイヤーはこのIRC空間にJOINする事などできない。ニンジャスレイヤーが携行していたIRC端末は小型過ぎ、物理的タイピング速度上限が不足しているからだ。少なくともハッカー仕様の高速UNIXデッキと物理キーボードが必要となる。ではどうやって…!? 

 …おお、見よ!直前まで死闘が繰り広げられていた空中日本庭園を!ダイアウルフと共に戦略的撤退を行おうとしたが失敗し、半死の状態で一本松の下に正座させられたキルナインを!そしてキルナインの装束を剥き、背中に埋め込まれたノートUNIXを展開するニンジャスレイヤーを!インガオホー! 

 キルナインの頭部は容赦ないカラテフック連打で半ば破壊され、口に埋め込まれた神聖レリックである旧世紀アーケードマシン型スピーカーからは気絶状態を示す定期ノイズが漏れるのみ!ニンジャスレイヤーはその背中に向かいながら悠然とアグラを組み、トランス状態でUNIXを見つめているのだ! 

 かつてバーバヤガに拓かれた認知能力がため、彼はチャドー呼吸と物理タイプにより特殊なコトダマ空間ダイブを果たすことが可能である!(((もっと速く…もっと速く!)))ノートUNIXを高速タイプする彼の目元には絶命カラテのやり取りを行う時と同等の険が刻まれ、額からは脂汗が垂れる! 

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」論理ニンジャスレイヤーが連続トビゲリを繰り出す!「グワーッ!グワーッ!グワーッ!」アンドリューは紙一重の連続多重ログインでこれを回避!「…やはり……奴は認識者だ……私を視えている……!」彼はリスクを取らない。認識者2人を相手にするのは不利! 

「これ、忘れてるんじゃないかしら?」再びアンドリューの背後に回り込んだナンシーの手には、緑色に輝くサイバーラケットが!「PINGか……!」アンドリューは危機を察し、物理肉体の首元に手を伸ばす!だが物理肉体はあまりにも鈍重!「EAT THIS!」ナンシーのPONGスマッシュ! 

 SMAAAASH!多重ログイン分身で回避せんとするアンドリューの論理肉体を、ナンシーの放ったPONG立方体が連続で貫いてゆく!「グワーッ!グワーッ!グワーッ!」次々と01消滅するアンドリュー論理肉体コピー!「アババババババーッ!」痙攣し両耳から煙を吹くアンドリュー物理肉体! 

 (((まだか……!まだKICKできぬか……!)))ニンジャスレイヤーはハッカー仕様の強化UNIXキーボードを実際破壊せんほどの速度で物理タイプを行う!その振動が、ハルトしていたキルナインの精神を復帰させる!「KILL-9……」キルナインは自らの置かれた状況を瞬時に察した! 

 導師はニューロンを加速させログアウトをはかる!だがナンシーのPONGが彼の論理コピーを次々消滅させついに最後の1体に!「TAKE……THIS!」溜めからのスマッシュ!命中得点!「アバババババババーッ!」空中で緑の電撃に縛られた最後の論理肉体!ニンジャスレイヤーがそれを狙う! 

 復讐者が最後のKICKコマンドを送信しかけたその時!「KILL -9 MYSELF -SAYONARA」半ば砕かれた赤色LED掲示板に、恐るべき自爆コマンドが流れたのだ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはそれを察し、紙一重の回転ジャンプで回避!真下でキルナインは爆発四散! 

 ナムアミダブツ!果たしてニンジャスレイヤーが送信したKICKコマンドはナンシーに届いたのであろうか!?高く跳躍したニンジャスレイヤーは、ウェイストランドの冷たい風を感じながら、空中でその身を翻すのだった!急げ!ニンジャスレイヤー!急げ!ペケロッパ・カルトの秘密アジトへ! 



5

 ZZOOOM……黒い流線型の機体が月明かりの下で大変素晴らしい急加速を見せた。昨今この一帯で目撃情報が囁かれたUFO存在の正体……それはオナタカミ社がアマクダリに提供した試作ステルス輸送機「ナイミツ」である。キルナインを空中投下したのもこの輸送機だが、彼はもはや爆発四散した。

 そして今、吹雪の中を飛ぶナイミツの下腹部に水平姿勢で捕まったままIRC通信を行う者あり!「そうだ、キルナイン=サンは死んだ。ニンジャスレイヤーに殺されたのだ」人間業ではない。彼女はニンジャである。「ケジメする気はない。貴様らが愚鈍なバイオ水牛のようにモタモタしているからだ!」 

 黒い軍服ニンジャ装束を纏うその女ニンジャの名は、ダイアウルフ。暴力沙汰で湾岸警備隊を追放された元女軍曹、現在は残忍なるアマクダリ・ニンジャのひとりだ。彼女は激しい苛立ちと焦燥、そして屈辱感の中にあった。ハーヴェスターから任されたこの重要ミッションに失敗すれば、セプクあるのみ。 

 時折機体側面を奥ゆかしく緑色に発光させながら超高速で飛ぶナイミツは、クマチャン・ロッジの近くで車を襲い乗客を食っていたグリズリーたちを驚かせると、あっという間に北東へと飛び去った。スザリンドのデータ解析と符合した、地図データが存在しないあの謎の空白地帯を、最短距離で突っ切る。 

 広大な雪原。バイオウルフの群がオーロラの中を進むナイミツを見上げて不穏な遠吠えを上げる。その声が彼女の魂を引っ掻いた。満月を明日に控え、彼女の好戦性は最高潮に達しようとしている。今すぐにでも取って返し、あの男と決着をつけたい。だが彼女には果たさねばならぬ任務があるのだ。 

 間もなく山岳地帯へ。吹雪が止む。ダイアウルフの鋭いニンジャ視力がベースを捉える。黒い山肌に築かれた秘密電波塔と、南西を向いたまま半壊して動かない超巨大パラボラアンテナ。その鏡面には、死して久しい暗黒メガコーポ、メガトリイ社の紋章……すなわちフジサン頂上に聳え立つ赤鳥居が。 

 メガトリイ社はかつて、電脳ネット系の強大な暗黒メガコーポであった。だが彼らはY2Kの影響を受けて弱体化した所を、他の暗黒メガコーポ群から囲んで棒で叩かれるかの如き徹底攻撃を受け、電子戦争勃発前に崩壊。オムラ社、ヨロシサン社、スゴイテック社等がその死骸を喰らい自らの血肉とした。 

 その時ばかりは、暗黒メガコーポ各社も一致団結の姿勢を見せた。メガトリイ社の独占分野はあまりにもクリティカルで、滅ぼさねば今後数百年間に渡って世界経済を支配すると予測されていたからだ。各地にはメガトリイ社の忘れ去られた秘密施設が残されている……重要データや埋蔵IPを抱えたまま。 

 彼女に与えられた任務は、データとIPアドレスの回収。容易い仕事のはずだった。「到着。直ちにブリーフィング」ダイアウルフが吐き捨てる。ナイミツが減速旋回し、彼女の掴まるハンガー機構の根元からワイヤロープが伸びる。ダイアウルフは空中ブランコめいた姿勢からヘリポートへ回転跳躍着地! 

 クローンヤクザが二列で彼女を出迎え、敬礼する。「ナイミツは直ちにMIB回収」IRCを飛ばすと、ダイアウルフは敬礼を返してタラップを歩き、施設内へ向かう。ZBR葉巻が思考速度をブーストする。補佐クローンヤクザによって速やかに行われる報告。都市ハッキングの犯人確保。暴動沈静化。 

 ジェネレーターの遠い唸りとタービン回転音が不気味に響く回廊を、ダイアウルフは軍靴を威圧的に鳴らしながら進む。補佐クローンヤクザの報告が一通り終わる頃、彼女は制御センターの前に到着。入口には「アマクダリ作戦本部」の垂れ幕がショドーされ、このミッションの緊張感を重点していた。 

「ドーモ、ダイアウルフ=サン。ネオサイタマの死神が現れたというのは本当ですか!?」ソウカイヤ残党、リマーカブルが血相を変えて彼女を出迎えた。ダイアウルフは舌打ちし、カラテパンチを彼の鳩尾に叩き込む!「イヤーッ!」「グワーッ!?」「その話は後だ!データ回収の現状把握を重点!」 

 薄暗い制御センターは大学講堂めいた階段状構造になっている。全ての机にはUNIXモニタが埋め込まれ、数十人単位のクローンヤクザが整然とタイピングを続けていた。段の中央に設置された戦略チャブへ向かうダイアウルフとリマーカブル。正面の巨大モニタに映された進行バーの数字は、78%。 

「78%です」リマーカブルが告げる。「貴様は黙っていろ」ダイアウルフは着席し、面々とデータを見渡す。同じく元ソウカイヤのベアハンターとコールドホワイトが、神妙な目で彼女の表情をうかがっていた。敢えて口にこそ出さぬが、彼女はソウカイヤ残党を規律の無い無能共として見下している。 

 それだけではない。この重点任務にはやむを得ぬ同盟者がいる。彼らの存在がダイアウルフの軍人精神を更に逆撫でしていた。「シーカー=サン、見通しを報告しろ」「良いハッカーを調達し、より速い、明日この神聖なバーが満たされます」ハッカーカルトから派遣されたニンジャが電子音声で答えた。 

 ダイアウルフは十字架を睨む吸血鬼めいて、忌々しげに進行バーを睨む。ミッション開始当初は、秘密施設を発見し、残された無人攻撃装置を突破して、マザーUNIXからデータを抜けば全て終了と高を括っていた。だがマザーUNIX内に強固な自衛プログラムが存在し、干渉を拒否したのである。 

 アマクダリ内のハッカーを動員したが、全員が自我崩壊または死亡という無惨な失敗に終わった。理由はいくつかあるが、第一に自衛プログラムが異常なまでに強力な事。第二に、この施設内には厄介な旧世紀レガシ群が混在しており、忘れ去られし古のBASIC言語等で論理防壁が貼られていた事だ。 

 かくしてペケロッパ・カルトとの間に大規模な同盟が構築された。無論、アマクダリはこの組織と何度も交渉を試みていたが、その教義が全く理解不能であるため、これまでは隔離して監視下に置くという体勢が取られていたのだ。「結局、あれの正体は何だ?報告をせねばならん」ダイアウルフが問う。 

「あれとは不明瞭です」「自衛プログラムだ。構築された時代に比して高度すぎるとの報告がある。誰かが我々より先に施設内に侵入していたのか?」女軍人が問う。「あれはプログラムではないであろう」「では何だ?誰かがハッキング介在しているのか?」「新種の電子生命体、あるいは神聖な亡霊」 

「電子生命体……」「神聖な亡霊……」元ソウカイヤ勢は、迷信深い暗黒時代の農民めいて眉をひそめた。「ハ!訳が解らんな、カルト」ダイアウルフは異教徒を見る褪めた目でシーカーを睨んだ。「訳が解らない」シーカーに表情は無く、頭部右側に並んだ昆虫めいた七個の複眼カメラアイで彼女を見た。

「もういい。排除とデータ抽出を急げ。明日では遅い。ニンジャスレイヤーが嗅ぎ付けた。計画が失敗したら何が起こる?契約内容を言ってみろ」「アマクダリはペケロッパ・カルトを総攻撃し破壊します」恐怖や焦燥の色は無い。調子が狂う。「では成功したら何だ」「旧世紀レガシとIPの報酬」 

「そういう事だ。MOVE!MOVE!MOVE!とっとと進行バーを伸ばせ!貴様らの怠惰がキルナイン=サンを殺したと知れ!」ダイアウルフはチャブを叩く。「また作ります」シーカーは機械じみた動きでぎこちなく立ち上がり、ロボットダンス的な歩行でマザーUNIXのある電算室へ向かった。 

「不気味な奴らです、何を考えているか解らない」コールドホワイトが言う。「ロボットか何かだと思え。奴らは報酬さえ与えてやれば機械のように動くのだ」ダイアウルフは葉巻を軍靴で踏み消す。「…ニンジャスレイヤーの件ですが」ニンジャ装束の上に熊毛皮を被った手練、ベアハンターが言った。 

「奴がドサンコに……本当なのですか?」「アイサツしてきた」「ぜひ私めに奴を殺させてください!まさかこの極北の地でラオモト=サンの仇と戦えるとは!」「イヤーッ!」ダイアウルフの鉄拳が隣に座るベアハンターの頬にめり込む!「グワーッ!?」制御室の冷たい床に倒れるベアハンター! 

「この!イディオットめ!貴様ごときに!ニンジャスレイヤーを!殺せると!思ったか!?戦闘よりミッションを最優先しろ!」コンバットブーツによるストンピングが容赦なく叩き込まれる。規律と上下関係を徹底的に仕込むのだ。これがダイアウルフのやり方であった。「グワーッ!」 

「周辺の警備体制はどうか?」女軍人は葉巻でコールドホワイトを指した。三人の中では最も有能だ。「常に万全です。防空レーダーは好調。奴らがこの施設に辿り着くには雪原をスノーモービルで渡る必要があります。そして雪原での戦いにおいて、オーロラニンジャ・クランの右に出る者はいません」 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」鳩尾を殴られるコールドホワイト!「返事が長い!キビキビと答えろ!無駄なアッピールは要らん!明日にはニンジャスレイヤーが来るぞ!必ず来る!警戒を怠るな!任務が失敗すればケジメでは済まんぞ!全員セプクの気構えだ!」サツバツ!何たる軍隊的教育法か!

 一方その頃シーカーは、電算機室へと向かいながら、アンドリューやノーハイドらに対して極秘IRCを送っていた。アマクダリ・セクトの誰にもアクセスできない、秘密のIRCチャンネルで……。 

 # PEKEROPA:WERDNA: *GATE GATE PARA GATE* ||
 # PEKEROPA:SEEKER: *GATE GATE PARA SOME GATE* ||
 # PEKEROPA:NOHIDE: TOTAL = TOTAL + X || 
 # PEKEROPA:WERDNA: YCNAN=1 GOTO 2900 ||
 # PEKEROPA:SEEKER: IF GHOST>YCNAN ZEN GOTO 580 ELSE 1440 ||
 # PEKEROPA:NOHIDE: LOCATE *** || 
 # PEKEROPA:WERDNA: TOTAL = TOTAL + X ***||
 # PEKEROPA:SEEKER: TOTAL = TOTAL + X *** ||
 # PEKEROPA:NOHIDE: TOTAL = TOTAL + X *** ||

 おお……ナムアミダブツ!何たる異質な思考回路およびIRCコミュニケーション形態であろうか。読者諸氏の中にハッカーの方がおられれば、戦慄とともに確信したであろう……それはカルト的聖句とプログラム言語と暗号が一体化した、恐るべきシステマチック非人間的高速意思疎通であると! 

 導師は生きていた。そしてナンシーもまた生存している。そして彼らは……通信基地の自衛プログラムとナンシーが接触した場合の可能性を想定しているというのか!? 常人の精神が理解できるのはここまでである。いずれにせよ彼らは、アマクダリに協力しながらも何らかの意図を隠しているのだ…! 

 バタム。雪原に雪原仕様キャデラックが停車し、アンドリューとクローンヤクザが降り立つ。うち一人は、気絶した無軌道学生ハッカーを背負っている。「LOCATE…」アンドリューが呟き、同じ文字がサイバーサングラスに灯る。彼は致命的KICKを受ける直前にログアウトに成功していたのだ。 

 不意に右膝の力が抜ける。後ろにいたノーハイドが支える。ハッキング戦のダメージにより一時的に右半身が覚束ないが、彼は特に表情を変えない。「このテロ犯人は進行バーを伸ばすために役立つだろう、命綱をつけた潜行だよ」アンドリューは平坦な声で言った。アマクダリのクローンヤクザが頷く。 

「隠蔽に加え、自我科データから潜在的人材を割り出す予定だったが」「既にニンジャスレイヤーの脅威。契約内容を思い出せ」クローンヤクザが命令どおりの文言を伝える。アンドリューは了解する。ZZOOM……白い闇の彼方からナイミツの機体が急接近し、そのホバー風圧で新雪を舞い上がらせた。

 ナイミツの機体側面から放たれる奥ゆかしい緑の光が、両者のサングラスを照らした。「明日にはニンジャスレイヤーが来るだろう。急げ」クローンヤクザは表情ひとつ変えず言った。「明日来る。そうだろうな」アンドリューも主語をナンシーに置換し、言った。それは自律機械同士の会話めいていた。 

 ZZOOOM……メン・イン・ブラックを回収したナイミツ輸送機は、しめやかに真夜中の雪原を渡る。彼らは詮索好きな部外者の目をネオトリイ通信基地に引きつけぬようアマクダリが放ったエージェントであったが、もはやその必要は無くなった。最大級の脅威である地獄の猟犬がやって来たからだ。 



6

「アーッ!?俺は軍隊!銃撃って殺す!俺は軍隊!銃撃って殺す!明日起きたら敬礼!明日起きたら敬礼!明日起きたら敬礼!明日起きたらアーッ!?アーーーーッ!!」イシマル・トウメのヘルメットに備わったスピーカーから、ハードコア・ヤクザパンクバンド「ケジメド」の最新チューンが漏れる。 

 快晴の下、些かも気分は晴れない。ケジメドは大変刺激的で人気のバンドだが、露骨なアティチュードがたたり音楽業界を追放された。この曲もイリーガルな方法で入手したものだ。トウメはメガデモという伝統芸能を違法化された自分たちの境遇をケジメドと重ね合わせ、やるせない怒りを滾らせていた。 

「群生地な」「重点」「重点」IRCが交わされる。トウメが駆る熊殺しスノーモービルは、他の仲間たちとともにクマチャン・ロッジを出立し、計8機の編隊でドサンコ・ウェイストランドの雪原を渡っていた。家計を支える週末の副業だ。天頂からは素晴らしい陽光と紫外線と電磁波が降り注いでいる。 

「トウメ=サン、機嫌が悪いんだな」荒っぽい運転を行うトウメのモービルと並走するように、灰色のリーダー機が巧みなステアリングで近づいてくる。彼の名はダトウ。このチーム内の最年長であり、グリズリーめいた白髪混じりの髪を持ち、厳めしい顔はバンザイ・テキーラで微かに上気している。 

「八方塞がりですよ、くそったれめ……」トウメは悪態をついた。「何か俺たちの力じゃあどうしようもない、国の陰謀が動いてるんじゃないかって考えが、頭から離れないんです。結局、昨夜の都市ハッキングもいつの間にか鎮圧された。南じゃ、キョートとの緊張も高まってるって言うじゃないですか」 

「考え過ぎだ。俺はUFOなんて信じちゃいねえぞ。ビョーキは気分の問題ってコトワザもある。あれもこれも国の陰謀に見えて来ちまう」ダトウが笑い飛ばして続ける。「それよりもなあ、家族の方はどうなんだい」「娘ですか…」トウメが口籠る。彼の怒りの原因が家族にあるとダトウは見抜いていた。 

 ごく短い間、父親同士のありふれた会話が交わされた。「娘さんにメガデモの英才教育をしてやるつもりだったんだってな」「半分はそうです。もう半分は仕方なく、たまたまそうなったんです」「その結果が、TVからメッセージか」「育て方を間違ったのかも知れないと何度も……。可哀相な事をした」

「自我科が言ってた通り、モニタばかり見てるお前さんの気を引きたかっただけなんじゃねえのか?」「かもしれません」「まだ迷ってんのか?」「ハイ」「迷いはここで置いてけ。仲間が死ぬぞ。デカい熊を狩って、家族を幸せにしてやれ」ダトウがぶっきらぼうな解決策を提示した。トウメが頷いた。 

 突然、視界が吹雪に覆われる。ドサンコ・ウェイストランドの気候は気紛れな悪魔のようにころころと変わる。狩人たちはそれを知っているため、IRC文化が高度に発展してきたのだ。スノーモービル編隊は臆することなく吹雪の中を進む。直後、大気を揺らすほどの威圧的な吠え声が響いてくる。 

 # KILKUMA : MAS:wtf(これは何ですか)||
 # KILKUMA : DATO:np(大丈夫です)||
 # KILKUMA : IZUI:BIG KUMA inc(大きな熊出ました)||
 # KILKUMA : TOUME:4649(よろしくお願いします)||

「バモオオオオオオッ!」白い毛皮に包まれた巨大な怪物の姿が、吹雪の中に浮かび上がる。装甲車めいたたいへん危険な速度と質量で雪原の中を駆けるそれは、凶暴なバイオ生物、ドサンコ・グリズリーだ!しかもかなり大きい!トウメたちはIRCボタンを駆使して連携し、直ちにこれを包囲した。 

 ZZZZT!ZZZZT!白グリズリーと並走する各スノーモービルから緑色の照準光線が照射され、獲物の体にいくつもの斑点を生み出す。トウメも自ずと興奮し、精神を論理タイプに集中する。チーム内唯一の直結者でありUNIX技術者でもある彼が、ナビ情報を他のメンバーに提供しているのだ。 

 ヘルメット内のバイザーには、獲物や仲間たちの位置、射線などが、全て緑色のワイヤフレームで表示されている。ワイヤフレーム状態でも、この獲物の巨大さは一目で分かった。(((なんて大きなグリズリーなんだ…!こいつを仕留めれば自治体からかなりのカネが手に入る)))トウメが意気込む。 

 BLAM!BLAM!BLAM!トウメの的確なナビを受け、スノーモービルの先端部に備わった自動旋回式猟銃から麻酔弾が次々射出される!「バモオオオオッ!」荒々しい吠え声を上げるグリズリー。だが勢いを止めずに駆け続ける。通常、このような狩りは数分から数十分間の持久戦となるのだ。 

 かなりの大物だ。このメンバーで狩り殺せるだろうか? ダトウが吹雪越しに獲物の表情を睨みつけた瞬間……それは屈み込んでから大きく斜め横にパウンスし、新近距離からのヘッドショットを狙っていたマス=サンのスノーモービルを襲った!「バモオオオオッ!」「アバーッ!」マス=サンが即死! 

 # KILKUMA : IZUI:omg(ナムアミダブツ!)||
 # KILKUMA : DATO:aim(再度照準合わせろ)||
 # KILKUMA : TATU:rgr(わかりました)||
 # KILKUMA : TOUME:rgr(わかりました)||

 さも当たり前の光景であるかのように、スノーモービル編隊は獲物を中心にフォーメーションを取り直した。そして再び吹雪の中を猛スピードで駆け始める!「バモオオオオッ!」BLAM!BLAM!BLAM!「アイエエエエエエエ!」「アババババーッ!」サツバツ!何たる過酷な世界であろうか! 

 ……そして十数分後。麻酔弾を使った捕獲を諦め、神経毒弾に切り替えたダトウのチームは、このモビーディックめいた巨大な怪物を狩り殺すことに成功していた。

 # KILKUMA : TATU:gk!(グッドキル!)||
 # KILKUMA : IZUI:gk!(グッドキル!)|| 

 何も無い荒涼とした雪原にビルほどの高さもある巨大なトリイがひとつ聳え立っており、獲物はその手前で口惜しげに力尽きている。「ヤッタ!」「危ない所でしたね」「このトリイの先は確か立入禁止区域ですからね」「こんな所まで来たのは初めてです」「スゴイ!」健闘をたたえ合う狩人たち。 

 獲物をフックで引き摺って帰ろうとした矢先…イズイ=サンが異常に気づく。「ニュービーがいませんね」「トウメ=サンか?」「生きてるはずですけど」「自動操縦モードの解除を忘れたんじゃあるまいな」ダトウが眉をひそめる。この一帯は魔の電波障害トライアングル地帯として知られているのだ! 

 短く話し合った結果、ダトウ、イズイ、タツの3人が捜索に向かう事になった。「あのトリイの先はなんで立ち入り禁止だったんですか?」「さあな。昔からそうなってんだ。国有地か企業の私有地か、はたまたセイシンテキ・スポットか」硬い表情でダトウ。「大丈夫なんですかね」「知らねえよ……」 

 十数分後。吹雪は強さを増し、トウメの捜索は絶望的となった。立入禁止区域内への侵入を自治体にレコードされぬよう、三人は熊殺しスノーモービルの走行記録をハルトし、さらに識別電波をオフにしている。この状態では、トウメがIRCの有効範囲内に入るか、または彼を目視で発見するしかない。 

 狩人たちの目はイーグルめいて鋭かったが、この状態では打つ手が無い。稜線の反対側に行ってしまったのかもしれない。「どうやら潮時か。さらば、トウメ=サン!運が良ければまた会おう!」ダトウはIRCで他の2人に旋回命令を下す。これ以上深入りすれば、他のメンバーを危険に晒すからだ。 

 熟練の狩人たちは見事な連携を見せ、スノーモービルを巧みに回頭させてからアクセルを吹かした。トリイの前で待つ仲間たちのもとへ帰ろうとした矢先、タツが不穏なIRCをタイプする。

 # KILKUMA : TATU:UFO ||
 # KILKUMA : DATOU:UFO? ||

 ダトウは右を向き、タツの乗るスノーモービルを見た。彼は右手で頭上を指差している。「上が何だってんだ。そういやあ、やけに暗い…」ダトウが吹雪と暗雲に覆われた空を見上げると、そこには低空飛行する大型ステルス輸送機ナイミツの機影!「アイエエエエエエ!」「UFO!UFOナンデ!?」 

 ナムサン!猟師たちにはこの試作機の正体など知る由もない!加えて彼らは十数分間、全く気付いていなかったのだ……ナイミツが奥ゆかしい緑色の光を機体側面から定期的に放ちながら、彼らの頭上に覆い被さるようにつきまとい続けていたことを!「アイエエエ!」「俺たちを、監視してるのか!?」 

 実際その通りであった!ナイミツが発した警報をもとに急行し、美しい松の木が立ち並ぶ小高い丘の上から彼らを見下ろすニンジャがひとり!「あれはニンジャスレイヤーでは……ないな。俺の手を煩わせおって。まあいい、危険な人間狩りゲームの始まりだ……!」コールドホワイトは一気に丘を下る! 

 # KILKUMA : IZUI:UFOが飛び去っていきます ||
 # KILKUMA : TATU:あれは警告だったのかも || 

 役目を終え飛び去るUFOを指差しながら、猟師たちは神妙な顔を作る。…その直後だった。オーロラ色の装束を纏ったニンジャが彼らの前に現れたのは。 

 ニンジャを乗せた所属不明の白モービルが後方から突如現れ、彼らの後ろでぴったりと蛇行運転を開始したのだ。「幻を見ているのか?」「乗っているのは……ニンジャ?」「まさかニンジャなんて」「悪い予感がするぜ」ダトウが加速を命じた、その直後。コールドホワイトは背中からカタナを抜いた。 

 コールドホワイトの白モービルが急加速する。そして最後尾にいたイズイ=サンの真横に迫ると、容赦なくカタナを振り下ろした!「イヤーッ!」「アバーッ!」ナムサン!イズイの背中が防寒服ごと切り裂かれ、吹雪の中へ真っ赤な血が撒き散らされる!「WTF!」「WTF!」恐慌に陥る猟師たち! 

「アイエエエエエエ……!」イズイ=サンの乗っていたスノーモービルは横転し、彼自身も雪の中に投げ出されて消えた。「逃げ回れ!お前たちは動く的だ!」カタナを掲げて危険な片手運転を続けながら、ニンジャは叫んだ。不運にもダトウたちは、危険な人間狩りゲームの標的となってしまったのだ! 

「殺せ!殺せ!」ダトウはタツに命令を下した。二人は左右から素早く敵モービルを挟み、狩猟銃のレーザー照準を合わせる。だが「イヤーッ!」コールドホワイトがカラテシャウトを放つ!すると彼の白装束が再びオーロラめいて輝き、周囲に激しい電磁波が生じてUNIX照準システムを乱したのだ! 

「何01だ011011こりゃ001あ」IRC音声通信が乱れる!「ノイ01011ズ01な00」「構わ001ん、マ101ニュアル01で撃01011て!殺せ!」猟銃から危険な神経毒弾が闇雲に撃ち出されるが、ニンジャは水の中を泳ぐ魚めいて鮮やかにこれを回避!「イヤーッ!」ワザマエ! 

 (((だが背後を取ったこちらの優位は変わらん!)))ダトウが物理照準を定めた、その時!「イヤーッ!」敵が小さな雪コブを利用し、スノーモービルごと跳んだ!ニンジャ筋力と非凡なニンジャ平衡感覚によって生み出されたムーンサルト後方回転だ!「背後を取られました!」「くそったれめ!」 

 極限的な急回転から着地を決めると、コールドホワイトは同じ雪コブを使い、今度は前方跳躍!半身を乗り出した危険な姿勢のままタツの頭上を飛び越え、無慈悲なカタナを閃かせる!「イヤーッ!」「アバーッ!」タツの首が飛び、凄まじい血飛沫が吹き出す!「ヤッタゼ!」哄笑するニンジャ!非道! 

 着地と同時にカタナを左手に持ち替えると、ニンジャはダトウの腕を斬りつけた!「イヤーッ!」「グワーッ!」それは肉食獣が獲物をいたぶるかの如き手加減!ダトウのスノーモービルは松林の中を必死のスラローム走行で逃げ切ろうとしたが、次第に速度を落とし……やがて、開けた場所で止まった。 

「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」ダトウはフートンめいた雪の中に身を投げ出し、苦痛に顔を歪めた。赤い染みが雪の上に広がってゆく。ドルンドルンドルン……コールドホワイトの白モービルがすぐ近くに留まり、ニンジャブーツが彼の傷を踏みにじった。「貴様はインタビューのために残した」 

「何を…」「ニンジャスレイヤーの協力者か?」「知らん…」「ならば殺す」コールドホワイトがカタナを掲げたその時……小高い丘の上から二者を見下ろす男がひとり!彼はこの残虐行為を発見するや、直ちに丘を下った!「……ニンジャ、殺すべし……!」危険なニンジャ狩りゲームが始まったのだ! 

「何だ、このエンジン音は……俺の違法改造モービルに勝るとも劣らん出力……!」実際常人には乗りこなせないレベルの不吉なエンジン音をキャッチし、コールドホワイトは丘を睨んだ。そして見た。獣のごとく荒々しく跳ねるように丘を駆け下りる、赤黒いスノーモービルを!「あれは……まさか!」 

 コールドホワイトは眉間に汗を滲ませ、ニンジャ視力をこらした!赤黒いスノーモービルの車体前面に刻まれた禍々しい「忍」「殺」の文字が、彼の心臓を恐怖という名の鉤爪で鷲掴む!「奴は……ニンジャスレイヤー=サン!」何たる絶望的威圧感!彼はダトウを殺す間すら惜しみ白モービルに跨がる! 

「ナイミツへ!ニンジャスレイヤーを発見した!ふざけた赤黒のスノーモービルに乗ってやがる!俺の座標だ!」コールドホワイトはIRC通信を飛ばしながら、半ば無意識のうちに松林をスラローム走行する。彼は戦う前から恐怖に囚われ、必死でベイン・オブ・ソウカイヤを引き離そうとしていた。 

 (((何故だ!?何故俺は哀れなシロウサギめいて逃げ回っている!?奴はラオモト=サンの仇だぞ!?)))コールドホワイトは激しい混乱のうちにあった!「Wasshoi!」禍々しいシャウトが上空を舞う!赤黒モービルが雪コブを使って鋭角跳躍し、彼の横へと巧みに着地した!タツジン! 

 二者は危険なエクストリーム速度で吹雪の中を並走する。「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」ネオサイタマの死神は横を向き、鋼鉄メンポから黒い蒸気を吐き出すと、不気味なほど静かにアイサツした。その眼差しには狂気じみた殺意が宿っていた。 

「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、コールドホワイトです……イヤーッ!」アイサツ終了から僅か0コンマ4秒!死の覚悟を決めたコールドホワイトのカタナが、復讐者めがけ振り下ろされた!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは片腕を振り上げ、鋼鉄ブレーサーでこれを受け止める!冷たい火花! 

 続けざま、ニンジャスレイヤーの重いカラテキックが、白モービルの横腹へ叩き込まれる!「イヤーッ!」「グワーッ!」衝き鳴らされるテンプルの鐘めいて揺れ、バランスを崩すコールドホワイト!圧倒的なカラテ力量差を知る!さらにスノーモービルさえ失ったとしたら、惨たらしく狩られるのみ! 

「イヤーッ!」コールドホワイトは雪原の気候を見通す天性の勘で吹雪の中心部へと突入!視界ゼロ領域を突っ切り、死神を後方に引き離す!「ナイミツはまだか!」IRC通信を送りながら、彼は時間を稼ぎ続けた。だがどこまで逃げても敵の気配は消えない。猟犬は彼のソウル痕跡を追っているのだ。 

「イヤーッ!」「グワーッ!」何度も後方からスリケンが投擲され、コールドホワイトの背中に突き刺さった。トラップ地帯に誘い込んだが、敵は信じ難い運動神経で全ての罠を回避した。彼の自尊心は粉々に砕かれた。「俺はなんてブザマなんだ……」彼はなおも走り続ける。意識が朦朧とし始める。 

 吹雪を抜け丘を登る。右手から飛来するナイミツの機影!さらにクローンヤクザモービル軍団も見える!前方にはスキー滑走路めいた急斜面!その先は巨大なクレバス!「ヤッタゼ!」コールドホワイトは勝機を見いだす!「この危険な崖をジャンプできるのは俺だけだ!」そして白モービルを急加速! 

 (((いかなニンジャスレイヤーとて、この距離のジャンプは不可能!さりとて躊躇すれば、ヤクザモービル軍団に囲まれ蜂の巣!)))「…貴様の負けだ、ニンジャスレイヤー=サン!」「イヤーッ!」だが死神は臆することなく赤黒モービルを急加速させ、白モービルと並走したのだ!「まさか!?」 

「「イヤーッ!」」二台は致命的な速度で同時に跳躍!ニンジャアドレナリンが生み出す一瞬の静寂。荒涼たる風の音。永遠とも思える浮遊感。真下には巨大な暗黒。青空は驚くほど広く、雄大なる雪原が地平線の彼方まで続く。彼は横を見る。狂人は着地点を見据えている。モービルは完璧な角度だ。 

 (((なんてこった、こいつは飛んでのけるだろう)))コールドホワイトの胸を、諦めにも似た直感が去来する。そしてIRC通信に気付く。|| 飛び移れ || 急旋回したナイミツが真正面から接近してきていた。機体下腹部には、空中ブランコめいた逆さ姿勢で両手を伸ばすリマーカブルの姿。 

 悪夢のように重い世界の中で、生死を分かつ一瞬の中で、彼は愛機のハンドルを離すかどうか迷った。そして立ち上がりバンザイ姿勢を取った。「イイイヤアアアアアアアアーッ!」死神が両ハンドルを掴んだまま腰を浮かし、オリンピック鞍馬選手めいた鋭さで両足を揃え、サイドキックを繰り出した。 

 ZZOOOM!ナイミツが二機のスノーモービルと真正面から交差し飛び去った!だがリマーカブルの手には何も掴まれてはいない!「コールドホワイト=サン!」彼は体を捻り、後方を見た!クレバス上空を真横に向かって魚雷めいて回転しながら飛び、爆発四散するコールドホワイト!「サヨナラ!」 

 乗り手を失った白モービルは、暗黒へと力無く落下してゆく。一方、復讐者は見事なカラテで体勢を立て直し、200m級クレバスを渡り切った。彼は着地から赤黒モービルを直ちに急回頭させると、機体前面に刻まれた「忍」「殺」の二文字を、後方へ飛び去ったナイミツへと挑発的に向けるのだった。 




7

 雪をかぶった侘しい松林の中をスノーモービルが疾駆。気まぐれな吹雪は去り、午後の青空が広がっている。仲間と逸れたイシマル・トウメの心はそれと正反対に、激しい焦燥に支配されていた。「自己責任」「地域で守りたい」見慣れない書体の旧世紀カンバンが雪の中で顔を覗かせ、なお不安感を煽る。

 大熊を仕留めれば報酬が倍点され、久々の平穏な日曜日を妻子と過ごせる……そんな野心はもはや消え、月曜日の出社さえ危うい状況だ。汗が滲む。副業のグリズリー狩りで無断欠勤するペナルティは考えるだに恐ろしい。不安はさらに加速し、生きてロッジに帰れるだろうかというレベルにまで高まった。 

「おい、どうなってんだ、嘘だろ……!」トウメはスノーモービルに埋め込まれたUNIX画面を叩く。最新鋭ナビゲーションが動作しない。もしや立入禁止の危険区域に迷い込んでしまったのか。トウメはそう直感する。救難のために救援信号弾を打ち上げれば、追加ペナルティが重点可能性を危惧した。 

 生きて帰っても死んでも、妻子には悲惨な運命が待つ。ならばいっそセプクした方がいいのでは?これもブッダが下した無慈悲なペナルティなのか?トウメが危険な思考に陥りかけたその時、不意にIRCが届く。発言者のハンドルは……YCNAN。グリズリー狩りの仲間たちではない。果たして何者か? 

 ||| ドーモ。そのまま前進して ||| 謎の発言者がトウメをナビする。||| マッポですか? ||| トウメが恐る恐る問う。 ||| いいえ、ジャーナリストよ ||| 前方の丘を見上げると、白スノーモービルに跨がった女性が見える。トウメは昨日出会った女特派員の顔を思い出す。 

 そう、彼女の名前はナンシー・リー!彼女もまたアンドリューのハッキング攻撃による自我崩壊を免れ、真実を求めてこの危険領域に侵入したのだ。||| 随分遠くまで来たのね。無線LANを切断して。こっちへ ||| ナンシーはIRCメッセージを送信した。トウメは少し迷った後、丘を登った。 

「……何故こんな所に?」トウメはナンシーの隣にスノーモービルを横付けし、どきりとした。目が覚めるような美しいブロンドに、サイバーサングラス、黒いタイトなサイバースーツの上に白い毛皮コートを纏った彼女は、まるで妖精か何かのように実在現実感が乏しい。「LANは切断した?」「ハイ」 

「もしやあなたも遭難?ナビが生きてるなら、手伝ってくれませんか。今日中に帰らないと……」トウメが言う。ナンシーは自分のモービルに備わったスイッチを押す。微かな頭痛がトウメを襲う。「これは……!」「ジャマーよ。あなたも直結者?少し我慢してね。それから、今日中に帰るのは無理かも」 

「ジャマー…帰れない…?」彼は不穏アトモスフィアを感じる。そもそもこんな場所に豊満な女性特派員が独りでいる時点で何かがおかしかった!不穏なUFO目撃事件の噂が脳裏をよぎる!「も、もしや、宇宙人で」「シーッ」彼女は人差し指を口元に、次いで反対側の丘の下を指差す。「見つかるわよ」 

 トウメは丘の下を見る。純白の雪原をマグロ魚群めいた何かが一糸乱れぬ隊列を組んで走行している。「一体何が……」トウメはサイバー双眼鏡を使った。彼が見たものは……威圧的な黒スノーモービルに乗った、黒ヤクザスーツの男たち!全員が同じ顔、同じ髪型、同じサングラス!クローンヤクザだ! 

「あれはまさか……MIB……!」トウメが圧し殺した声で言う。MIBとは、UFO事件との関連性が噂される謎の都市伝説的存在だ。「いいえ、クローンヤクザよ」「クローン……ヤクザ!」無垢なる一般市民は、クローン技術がすでにヨロシサン製薬の手によって実用化されていることを知らない。 

「不審なIRC信号をキャッチしたパトロール部隊は、あたかも血の臭いを嗅ぎ付けたサメめいて、スクランブル発進した……」ヤクザモービルが通り過ぎてゆくのを注意深く眺めながら、ナンシーが安堵の息をつく。「ジャミングでどうにか難を逃れたわ。でも、あなたはもう引き返せない領域に来た」 

「引き返せない?」トウメは上司の顔を、そして妻子の顔を想った。「ここはもう、敵地のまっただ中なの」ナンシーは彼方の山岳地帯を見据える「しかも、クローンヤクザ軍団が出動してしまった。退路は塞がれているわ。ロッジまで送り届けてあげたいけど……その時間は無いの。ごめんなさいね」 

「特派員さん、あなたはどうするんです?」トウメが遣る瀬ない怒りとともに問う。「私は進まくちゃいけない。今も私の戦友が敵の目を逸らしてくれているの。それに、急がないと被害が広がるわ」「被害……何が起こるんです……?」「その真相を確かめにいくの。途中まで来る?独りよりは安全よ」 

「……」トウメはやや思案し、何度も舌打ちした。彼は怒っていた。攻撃的で捨て鉢な態度になっていた。理不尽を連れてきたナンシーに対して、あからさまな怒りを抱いていた。疲弊した理性は、彼女に対して攻撃的な態度を取るのは危険だと警鐘を鳴らす。だが怒りは依然として腹の底でわだかまる。 

 それは数秒の躊躇だったろうか。ナンシーはその僅かな時間すらも惜しむように、あるいは決断を促すかのように、ハンドルを握った。「一緒に行きます。その代わり……」トウメは迷いを振り切った。二機のモービルが丘を下る。「何かしら?」「俺に真実を教えてください。隠されている事、全てを」 

 彼女は押し黙った。トウメは怒りを搾り出すように言った。「もう沢山だ。この世界じゃ誰かが真実を隠して儲けてる。俺たちは損してばかりだ。正直、あんただって気に食わない。……ああ、ゴメンナサイ。何を言ってるんだ俺は。情けなくて涙が出る。俺の娘だって……おかしくなって……何も……」 

「俺のせいなんだ……」トウメは落胆し、モービルを止めた。やはりセプクしようと思った。金髪コーカソイドは走り去るだろうと思ったが、引き返し、言った。「……あなたの娘さんの件、あなたがセプクする必要は何一つ無い。それこそが隠蔽された真実よ。あなたはセプクする必要なんて無いの」 

 トウメは情けない子供のように鼻をすすってから、顔を上げた。「話すわ。それがジャーナリストの仕事よ」ヤバイ級ハッカーはサイバーサングラスを少しの間外すと、戦士のように冷徹な無表情を崩し、強く優しく微笑んだ。彼女の瞳はドサンコの空めいて青く透き通っていた。二人は再び並走した。 

 ナンシーとトウメが操縦する二機のスノーモービルはいくつもの丘を越えて進んだ。やがて雪に覆われた旧国道ルート776が現れ、ゲームセンター、ポルノショップ、退廃モテルなどで構成される旧世紀コロニーの廃墟が雪の中に現れた。トウメはここに隠れることもできたが、彼はそれを選ばなかった。

「ニンジャだって?」「そう、ニンジャよ」ナンシーは秘密を明かした。トウメはまるで映画の中に迷い込んだような気分だった。やがて陽が落ち、チョコクランチ・バニラアイスめいた白い雪山は、チョコクランチ・チーズクリームアイスに、次いでチョコクランチ・ストロベリーアイスのように変わった。

「ナンシー=サン、そのジャミングを切る訳にはいかないのかい」トウメが頭痛を堪えながら言う。二機のモービルは並んでバウンドする。「安全のためよ」「まだ敵の見張りが?」「それだけじゃないの」「何のために?」「危険な違法無線LAN電波が、メガトリイ通信基地から発せられているのよ」 

「それが自我喪失事件の元凶?」「そうよ。コトダマ空間認識者……知ってるかしら?」「ハッカーの伝説だな。IRC電脳空間の中に無限の世界を構築し、そこを自由自在に飛び回る」「伝説は本当よ」「そんな化け物じみた連中が」「私もその一人」ナンシーが笑った。「ゴメンナサイ」トウメが謝る。

「いいのよ。ともかく周辺のコトダマ認識者や予備軍は増加の一途を辿ってる。あなたの娘さんも、おそらくは…」ナンシーは小高い尾根の上でスノーモービルを停め、彼方の通信基地を睨んだ。「…娘は、生体LAN端子なんて開けてない。ハッカーでもない」トウメが必死に情報を咀嚼しながら、返す。 

「理屈は解らない。でも、生身の人間に影響があったっておかしくないわ。彼女の場合は、TVを介してそれを視た」「そんな非科学的なことが……」トウメの精神がニンジャ真実やコトダマ真実の受け入れを拒否する。「そうね。でも人類はIRCの動作原理すら忘れてしまったの。あのY2K以降……」 

「Y2K……遠い昔の話だな。学校で教わったよ。西暦二千年を迎えた瞬間、世界中でUNIXが多数爆発し、優秀なUNIX技術者が大勢死んだ…」トウメはそう返すのが精一杯だった。「何が起こったのかすら解らないまま、人類はIP資源枯渇に陥り、電子戦争へと突き進んだのよ」ナンシーが返す。 

「ちょっと待ってくれ、理解が追いついてない。……だからって、俺の娘がTVノイズからニンジャやら神やらを視るようになるなんて……」「ごめんなさいね。でもこれが、あなたの望んだ真実なの」ナンシーが返す。「…ふざけてるぜ……まるで、本物のヒミコだ」トウメは嫌な汗を流して頭を抱える。 

 ヒミコとは、もとは神の声を聞いたという古代のミコー・プリエステス・クイーンの名だが、とてもカワイイな響きがあり現在でも実際一般的な名前だ。「ヒミコ……そうね。興味深いわ。聞いたみたいわね。彼女が視たのはIRCコトダマ空間だったんじゃないかって」ナンシーは仮説を思いつき、頷く。 

「聞いてみるだって?彼女は何千年も前に死んでるよ」トウメは苛立たしげに計器類を親指で叩きながら言った。やはり明日の出社は絶望的。それでも現実が恋しくなってきた。「そうね、でも会った事があるかもしれない知り合いがいるわ」この仮説はドラゴン・ニンジャと話し合うべき価値がある。 

「…解った、もう十分だ。覚悟を決めた。つまりはニンジャなんだな」トウメが憔悴した顔で言う。「ニンジャどもが陰謀を進めてて、真実は政府ぐるみで隠蔽され、俺たちゃ虫ケラのように搾取されている。……なら、俺は何をしたらいいんだ?」「真実はさっき話した通りよ。答えはあなたが決めて」 

 

◆◆◆

 

 01010110111010……サイバーサングラスをかけ、短パンを履いた上半身裸のモヒカンは、謎めいた空間の中で目を覚ました。「アイエエエエエ!?」彼は江戸時代じみた町並みを見渡す。視界の8割以上を神秘的な黄金の雲が包み込む。彼方には雄大なるフジサン。山頂には赤い大鳥居。 

「おい、何てファックだ!この景色には見覚えがあるぞ」モヒカンは独りごちた。肉声より何百倍も速い論理タイピングによって。天を仰げば、思った通り黄金立方体が浮かんでいる。それは彼、チキモトがIRCコトダマ空間を認識するようになる前夜、深夜TVノイズを介して受信した光景であった! 

 彼は名前を思い出す。正式にはハンドルネーム「5uPeR_1d1oT」を。ここはIRCコトダマ空間。より厳密に言うならば、メガトリイ通信基地の防衛プログラムをイメージ化したものだ。だが彼、スーパーイディオットはその詳細を知らない。知る必要も無い。何をすればいいかだけが必要だ。 

「俺は何故ここにいる」「選ばれたからだ」前頭葉から声が響く。「そう思ってたぜ」「だが何をすればいいか解らない」「そうだ」「君は山頂へ行く」「俺は山頂へ行く!」命令が自動的に注ぎ込まれる。興奮剤注入された血管が一本一本開くように、ニューロンに命令が染み渡りとても気持ちいい。 

「そうだ、最初から知ってたぜ!俺は歩く必要なんて無い!」直結された男は飛翔し、飛行機のように両腕を広げて、江戸時代めいた町並みの上空を回転飛翔した。「ワオ……テンサイ……!」スーパーイディオットの論理肉体は風を感じ、哄笑する。彼は再び全能の存在となったのだ。 

「俺は新たな人類だ!」飛行機じみた軌跡を残し、彼は山頂へと飛ぶ。立ちこめる黄金雲の間では、ヤクザが乗った何台もの戦車が街路を走り、フジサンに向かって列をなす。だが彼方のトリイからKICKめいた緑色の雷が降り注ぎ、彼らを定期的に01消滅させるのだ。たいへん神秘的な光景である。 

「トロい奴らだ」彼は正面から迫る緑色の雷を回避し、吐き捨てるように言った。そしてフジサン山頂に到着。その赤大鳥居は何本もの刺々しいアンテナを備え、表面には無数のスピーカーが備わっていた。その下には、何か緑色の01人型がわだかまっている。「ニンジャかな」彼は少し怖じ気づいた。 

「君はアイサツする」前頭葉から命令。「ドーモ、スーパーイディオットです」彼は蛍光グリーンの01集合体に近づき、奥ゆかしい OJIGI コマンドを決めた。すると、01人型の情報密度が増し……おお、ナムアミダブツ!それはアイサツを返したのだ!「ドーモ、グリーンゴーストです」と! 

 そして1010ゴーストの0011KICKが目の前に11101……BOMB!BOMB!BOMB!外付けファイアウォールが連鎖爆発!「アバーッ!」チキモトの物理肉体はハンマーで頭をぶん殴られたかのように揺れた!マザーUNIXと直結した右の生体LAN端子から焦げ臭い煙が立ち上る! 

「彼は死にました」アンドリューはチキモトの左の生体LAN端子からケーブルを引き抜きつつ、監視カメラに向かって抑揚の無い声で言う。作戦司令室の面々への報告だ。チキモトを生体ファイアウォールにした危険な並列ダイヴ開始数時間前から、作業バーは99%のままピクリとも動いていない。 

 直後、彼の隣にいたノーハイドの内蔵スピーカーから、ダイアウルフの猛り狂った罵声が電子音声変換されて届けられた。その半分以上が、実際お伝えできない罵りである。「しかし前進です」アンドリューは淡々と説明した。「謎の電子生命体をIRC部屋にトラップし、ハンドルネームを与えました」 

「電子生命体などどうでもいい!何故99%から進まんのだ!」ダイアウルフは犬歯を剥き出しにして涎を垂らし、平然と戦略チャブにつくシーカーを睨みつけていた。「システムの仕様です。そしてゴーストを排除しない限り、データは吸い出せません」アンドリューの顔が大型モニタに大写しになる。 

「GRRRRR!」ダイアウルフは今にもシーカーを殴り殺し、爆発四散させかねない剣幕であった。軍隊めいた規律が辛うじて彼女を押しとどめる。目の前にいるのはニンジャでもハッカーでもない。UNIXマシンじみた連中だ。ゆえに恐怖を与える意味は無く、殴って破壊してもならないのである。 

「クズの!無能どもめ!こうしている間にもニンジャスレイヤーが来るぞ!」ダイアウルフが戦略チャブを叩く。無表情のクローンヤクザが近づき、彼女に報告した。「ナイミツが帰投しました。リマーカブル=サンが参ります」「死神と遭遇し、生きて帰りおったか!」ベアハンターが安堵の息をつく。 

「ハァーッ!ハァーッ!」機敏な駆け足で階段を下り、戦略チャブの横で深々とオジギするリマーカブル。「ハァーッ!ハァーッ!……コ、コールドホワイト=サンがやられました。奴は……奴は化け物です!」「イヤーッ!」「グワーッ!?」ダイアウルフの痛烈なカラテがリマーカブルを抉る! 

「貴様はキング・オブ・イディオットか!?抽象的な報告をするなと何度言えば解る!ニンジャスレイヤーはどうなった!」「…ハァーッ!ハァーッ!申し訳ありません、コールドホワイト=サンの仇を討つべく、スノーモービル軍団と連携して戦闘を続けたのですが……ナイミツの燃料切れが近く……」 

「……赤黒スノーモービルの発する周波数をロックし、クローンヤクザ軍団を全て追跡継続ミッションに……」リマーカブルが咽せ込みながら体をもたげると、別なクローンヤクザが報告に来た。「離着陸パッド周辺のクローンヤクザが全員殺されました」「何だと!」ダイアウルフは大型モニタを睨む! 

 おお、ナムアミダブツ!監視カメラが映し出したのは、額にスリケンが突き刺さったクローンヤクザたちの死体である!「あれは何だ!?カメラを右に寄せろ!」ベアハンターは壁に血で描かれたと思しき謎の漢字を発見する!「これは……!」命令を受けて映し出されたのは……「忍」「殺」の血文字! 

「奴はすでに、この施設内に侵入している……!?」ベアハンターが狼狽する。「ありえない!いかなニンジャスレイヤー=サンといえど、あの距離を一瞬で移動できるはずが!実際戦闘機と同じ速度で移動することに……」目を剥くリマーカブル!「まさか……奴はナイミツの機体に取り付いて……!」 

 ブガー!ブガー!突如施設全域に鳴り響くレッドアラート!これは敵の侵入を警戒するものか?否!ダイアウルフがその宣言を行う直前に、非常ボンボリが回転し始めたのだ!「何が起こった!」「グリーンゴーストに制御系統を逆掌握されました」アンドリューがシーカーのスピーカー越しに報告する! 

「おい、何だこのレッドアラートは!こんなの聞いていないぞ!」特別オイラン接待を受けていたマキシダ・ズンジ議員が、血相を変えて司令室に飛び込んでくる!彼はアマクダリ・セクトの息がかかったドサンコの悪徳議員であり、メガデモ違法化法案を押し進めてたいへん私腹を肥やしているのだ! 

「部下から緊急入電だ!また周辺のコロニーで大規模な都市ハッキングだぞ!昨晩の隠蔽だって、全部私が指揮してやってるんだ!」自分に後が無いことを薄々悟っていたマキシダは、少々薬物をキメ過ぎたようだ。「こんな接待で誤魔化されるものか!そこのプライドが高そうな軍人女と前後させろ!」 

「ARRRRGH!」ダイアウルフは吠え猛ると、次の瞬間には鈎爪の生えた後ろ脚で戦略チャブを蹴り、マキシダ議員に飛び掛かっていた。巨大なワーウルフニンジャとなって。「アイエエエエエ!」マキシダ議員が絶叫する。彼はベアハンターに助けを求めようとするも、その声は声にならなかった。 

「GRRRRRRR!」ダイアウルフの鈎爪が議員の左太腿を切断し、血飛沫が顔にまで飛び散った!サツバツ!「アイエエエエ!」片足になって飛び跳ね、転倒するマキシダ議員!ダイアウルフは切断した脚を棍棒代わりに掴んで振り上げ、一撃で殺さぬよう、何発も何発もマキシダ議員を殴り続けた! 

「アバーッ!」ついにネギトロめいた肉片と化して絶命するマキシダ議員!インガオホー!「……ハァーッ!ハァーッ……!」ダイアウルフは狂乱を冷ますように深呼吸してから、血塗れの指先を司令室の外に向けた。「GRRRRRRR!」命令を下す彼女の声は既に、獣めいたそれに変わっている。 

 だが彼女の獣じみた命令と過剰な暴力には、元ソウカイ・ニンジャ達の心から打算めいた曇りを払い、純粋な戦士へと鍛え直すに十分な凄味があった!「「ヨロコンデー!」」ベアハンターとリマーカブルは決然たる表情でオジギし、鋭い連続側転を決めて回廊へと向かう!死神殺すべしの覚悟とともに! 

 

◆◆◆

 

 数分前。遠く離れたコロニーの大通りでは、大規模な玉突き事故による渋滞が起こっていた。「バカ!」パパパー!「スゴイ!」パパパパー!「アブナイ!」良識ある市民であれば思わず耳を覆いたくなる程の口汚い罵声と、攻撃的な電子クラクションが飛び交う。昨晩の暴動の火はまだ燻り続けている。 

「おい!俺の愛車のヘコんだフロントを見て驚け!お前の家族年収を言ってみろ!」車から下りたカチグミ・サラリマンが、急停止した前方車両に近づく。黒いスーツを着た下層ハッカー風の男は既に車を下り、コロニー中央部のTVビル群を見上げていた。裸眼立体視スキルを初めて知った子供めいて。 

 だがこの時、コロニー中の全てのTVやUNIXには緑色に輝く凄まじい砂嵐ノイズが流れていたのだ。「おい!ふざけるなよ!何も映ってないじゃないか!心神喪失のフリか!そうはいかないぞ!」カチグミ・サラリマンが下層ハッカーの正面に回り込み、顔を指差し、唾を飛ばしながらまくしたてる。 

「……グリーンゴースト」下層ハッカーは突如ゼンめいた悟りを開いたかのようにそう呟き、サングラスの下から涙の滴を垂らす。そしてカチグミの胸をプッシュして尻餅をつかせた。「アイエエエエエ!」「グリーンゴースト……」下層ハッカーは渋滞を起こした車を乗り越え、フラフラと歩いていく。 

「おい待て!」カチグミは後を追い、車のボンネットの上に飛び乗る。「……ワオ……何だこりゃ……!」彼は呆然とした。無軌道な若者を中心とした人の群れが、前方の道路を封鎖していたのだ。彼はまず暴徒を連想した。だが何か様子がおかしかった。彼らは夢遊病者めいてフラフラと歩いている。 

「グリーンゴースト……」「グリーンゴースト……」彼らは口々にその謎めいたハンドルネームを唱える。その両手は脇腹の辺りで垂直に曲がって前方に突き出され、ホームポジションめいた姿勢で指先を痙攣させていた。まるでブードゥーによって動き出した死体か、あるいは夢遊病ハッカーのように。 

「メガデモ規制法案反対!」「全てのデータに自由を!」混乱に触発された不満分子たちが沸き出し、暴動を開始!「アイエエエエ!」カチグミはその波に呑まれて消えていった。下層ハッカーは隣に並んだ無軌道大学生と語り合う。「君にも見えてるか」「見えている」「俺たちは新たな人類だ……!」 

「IPが示されたぞ」「攻撃を開始しよう」数百人単位のテクノゾンビーたちがUNIXカフェやゲームセンターを襲う!「グリーンゴースト……神を解放する」彼らは凄まじい速度で物理または論理タイプを決める!そして……メガトリイ通信基地の秘密IPへと一斉にハッキング攻撃を開始したのだ! 

 そして、おお……ナムアミダブツ!イシマル家のマンションでも、規模がミニマル化しただけで全く同様の怪現象が起こっていた。両親の帰りを待つヒミコは、ベランダの窓からずっとTVビル群の映像を眺めていた。そしてまた、あのメッセージを受信したのだ。助けを求める電子ニンジャ存在の声を! 

「……グリーンゴースト……そういう名前なのね」じっとりと汗をかいたヒミコは、焦燥感に駆られたまま、テクノゾンビーめいて廊下を歩く。そして父親の作業部屋の電子ロックを解除。彼女はパスコードを知っているのだ。「私も、戦わなきゃ」UNIXを起動し、夢遊病者めいてキーボードを叩く。 

「グワーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」メガトリイ通信基地の司令室で、突然の爆発!大規模ハッキングを受け、大学講堂めいた階段状机に据えられていたUNIXが、端から順に爆発し始めたのだ!だがクローンヤクザたちは爆発を恐れず、ゴースト封じ込めのためのタイピングを黙々と続ける! 

 さらに大画面に映し出された進捗バーが減少を開始する!99%だったそれは、いまや90%まで減少しているではないか!ナムサン!「GRRRRRRR!」ダイアウルフはこの事態を指差し、シーカーの襟首を掴んで放り投げた!「グワーッ!」さらに次のUNIXが爆発し、クローンヤクザが爆死! 

「イヤーッ!」シーカーは空中で姿勢制御を行ってUNIX机に着地、オペレーターヤクザを椅子から放り投げて、自らもそこに座ってLAN直結を開始した!「グワーッ!」クローンヤクザがまた1人爆死する!「ARRRGH!」ダイアウルフが机に飛び乗り、シーカーに食らい付かんばかりに凄む! 

「それは神聖なるポートを開きました。IF分岐しGOTO。対抗策があります。我々はカルトです」シーカーがスピーカーから電子音声を発する。直後、ペケロッパ・カルトのドサンコ支部から、スゴイ級やテンサイ級ハッカーたちがメガトリイ通信基地のIRCチャネルへとログインを果たした! 

 UNIX爆発が止まる!クローンヤクザたちは整然と一糸乱れぬタイピングを続ける!進捗バーが一進一退の攻防!今IRC内では、電子戦争めいた局地戦が繰り広げられているのだ!「GRRRR!」ダイアウルフは司令室内を見渡し、唸った。直後、無線装置が鳴る。リマーカブルからの救援信号だ! 

 シャワーヘッド!興奮薬物を吐き出すシャワーヘッド!分厚いコンクリート越しに、天頂からHELLOする満月の波動が感じられる!「ARRRRRRGH!」ダイアウルフは己が身を呪いながら、回廊へと四本足で駆けた!満月の夜、彼女は無敵の力を発揮するが、狂犬病めいた狂熱の虜となるのだ! 

 ニンジャスレイヤーの陽動作戦を受け、メガトリイ通信基地内の全ての目は内側に向けられていた。最後の一歩。二機のスノーモービルはしめやかに雪原を渡り、通信基地の裏口に到達する。「泥棒に入る前にまず火をつけろ」平安時代の哲人剣士、ミヤモトマサシが説いた無慈悲なるコトワザの通りに。 

 トウメはジャミング頭痛の中で、胸騒ぎを覚えた。遠く離れた家族の身に何かが起こっているのではという、第六感めいた不安。首から下げたオマモリ・バレットを無意識のうちに握る。「この地方のブードゥー?」ナンシーが問う。「昔からのね。化け物に会ったら使うんだと聞いた」彼は息を整える。 

「本当について来る?」「ああ、俺だってUNIX技術者の端くれだ。何かできるだろ。何が出来るか解らないが。何もできずにすり潰されて消えるのは御免だ。セプクも御免だ」トウメが頬を叩く。足手まといになるかもしれないが、ナンシーはハッカーとしての自らの経験に倣い、彼の同行を許した。 

 BOMB!ナンシーが裏口のLAN端子に直結すると、まるで魔法の言葉でも唱えたかのように、一瞬でドアの電子ロックが煙を吐き、二人を施設内に迎え入れた。彼らは防寒具を脱ぎ捨て、通信基地内へと足を踏み入れる。壁に貼られた「必ず施錠な」の警句ショドーが皮肉めいて風に吹き飛ばされた。 

 非常ボンボリが明滅する細い回廊を、二人は慎重な足取りで歩む。先導するナンシーは自動拳銃を構え、壁の遮蔽を巧みに使って進んだ。彼女もむろんニンジャではない。1、2体のクローンヤクザならば銃で応戦できるが、それ以上の大群、あるいはニンジャに遭遇すれば、即、死を意味する。 

「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」L字路で壁に隠れながら先を確認し、進む。額から汗が垂れる。どこから猛獣が飛び出すか解らない秘境探検めいた精神状態だ。しかも飛び出してくるのは猛獣より危険なヤクザやニンジャである。それでも彼女はタフに振る舞った。恐怖や不安は伝染するからだ。 

 そしてそれらを振り払う対抗策は、理論的な対話である。「何故この一帯が立入禁止区域になっているか、知ってた?」「いいえ」「この施設についての詳細な内部構造は、ひとつも手に入らなかった。メガトリイ社のデータはネット上にも殆ど残されてないの」「この施設は一体……何のために?」 

「巨大なパラボラと、兵器めいた巨大な電波塔……」「人工衛星か何かとの通信用?」「宇宙ステーション開発が試みられた旧世紀の名残かしら……」二人は密やかにフスマを開け「宿直室」と書かれた小部屋へ潜入する。直後、角を曲がって警戒クローンヤクザ達が現れ、部屋の前を通り過ぎていった。 

 そこは黴臭い畳が敷かれた八畳ほどの小部屋であった。化石燃料が豊富だった時代をしのばせる石油ストーブが朽ち果て、部屋の隅には旧世紀のポルノ雑誌や将棋セットが転がっていた。強化フスマにロックをかけながら、ナンシーは目ざとくチャブ上のフロシキを発見し、取り除く。非常用UNIXだ。 

 パワー押下。ピボッ。UNIXに火が入れられ、画面上に荒い単色ドットでフジサンと大鳥居、そして風流な乱れ雲のかかった満月が描画される。「参ります」「メガトリイ」擬人化された兎が、奇怪な手書き文字フォントで喋る。まるで古代文明の文字板を発見したかのような戦慄が、一瞬二人を襲う。 

 ダイバーが入念に波や天候を確かめるように、ナンシーはすぐにはLAN直結を行わなかった。チャブの前に正座して物理タイプを行い、UNIXの状況と、施設を支配する制御プログラムの性質を探る。「レガシめいた低ビットシステムが共存してるのね……ペケロッパ・カルトが動員されるわけだわ」 

 ナンシーは意を決し、深呼吸してからLAN直結を行う。「フスマが破られそうになったら、起こしてね」ナンシーはトウメにそう頼み、壁に背中を預けた。トウメが拳銃を預かって頷くと、ナンシーは糸の切れたジョルリめいてがくんとうなだれた。 

 その数分前……司令室をはさんだ反対側の大回廊では! 

 プンプンポンパンパンポンワンプンプンポンパンパンポンワン……レトロな電子音が鳴り、壁に埋め込まれたランプが衒学的ネオンサインめいて明滅する。その中を、リマーカブルとベアハンターが互いの背中を守りながら進む。施設内に侵入した恐るべきカラテモンスターを探し出し、抹殺するために。 

 俺たちは愚かだった、余りにも。リマーカブルは己の愚かさを悔いた。数ヶ月前、突然中央から派遣されたあの女軍人ニンジャのせいで、ソウカイニンジャとしての自尊心は粉々に砕かれた。反逆さえ試みた。自分たちの小王国を取り戻すために。だが今思えば、その甘ったれたエゴが相棒を殺したのだ。 

「見ろ、クローンヤクザの死体が続いている」ベアハンターは横道を指差した。「この先にニンジャスレイヤーが…!」リマーカブルがスリケンを構える。だがベアハンターは彼を制止させた。そして廊下に耳を当て、ニンジャ聴力を研ぎ澄ます。ハンターとしての抜け目ない本能が彼を導いているのだ。 

「よし…行くぞ」ベアハンターはカラテを構えた。「ハイ」リマーカブルがそれに続く。暫く進み「ライブラリー」と書かれた部屋の前で、ベアハンターが止まった。足元にはスリケンの刺さったクローンヤクザの死体。ベアハンターは鼻孔を広げ、周囲に満ちた血の匂いを嗅ぎ分ける。そして頷いた。 

「イヤーッ!」ベアハンターはフスマを前蹴りで破壊し、そのまま突き進む!リマーカブルは回廊に留まり、両手にスリケンを構えた!……だが!ベアハンターの突撃が勢いを弱める!突き当たりには椅子に拘束されたクローンヤクザ!額には血の染み込んだ赤黒いぼろ布がハチマキめいて巻かれている! 

「こいつぁ……」ベアハンターはニンジャ嗅覚を研ぎ澄まし、敵の知能の高さに愕然とした!敵は自らの血を染み込ませた布をクローンヤクザに巻き、囮にしたのだ!「グワーッ!」回廊から悲鳴!「リマーカブル=サン!」ベアハンターが後ろを振り返った時にはもう、かつての部下の姿は無かった! 

「イヤーッ!」ベアハンターはバック転を決めて回廊へと向かう!敵はいずこ!?「グワーッ!」再びリマーカブルの悲鳴と、回廊の金属床を走る足音が聞こえ…「「ザッケンナグワーッ!」」銃声とクローンヤクザの断末魔が響く!敵の影がマズルフラッシュに照らされT字路の壁に長く映し出された! 

「リマーカブル=サン!」ベアハンターは己の判断ミスを悔いながら、銃声の方向へと臆することなく駆ける!T字路を曲がる!突き当たりの部屋で、謎の赤黒い影がマウントを取り、情け容赦ないカラテをリマーカブルに叩き込んでいた!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」 

 彼は顔を傾け、タタミ十枚以上離れた仲間に助けを乞うように手を伸ばした!だが「イイイヤアアーッ!」ナタめいた渾身のチョップが振り下ろされ首を切断!「サヨナラ!」リマーカブルは爆発四散!ソウカイ・シンジケートは何と恐ろしい怪物を生み出してしまったのか……ベアハンターは戦慄する! 

 二者はタタミ五枚の距離で対峙した。ベアハンターは眉間に深い皺を刻み、アイサツする。「ドーモ、ベアハンターです。狂人め、部下二人とラオモト=サンの仇を取らせてもらう」「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」死神もアイサツを決めた。後ろではリマーカブルの端末が救援信号を発し続けていた。




8

 警報鳴り響くメガトリイ通信基地の回廊を、四つ脚の獣が駆ける。ダイアウルフだ。ヘンゲヨーカイ・ジツの影響により彼女の体は大型の人狼へと変わっており、バンプアップされた逞しい筋肉と毛皮により、軍服ニンジャ装束は張り裂けんばかり!血の匂いが鼻孔をくすぐり、満月が異常興奮をもたらす。 

 湾岸警備隊時代、彼女は無慈悲な女軍曹であった。殺人マグロの大群がUNIX灯台を襲った時も、アナキスト軍団の装甲カニキャッチ漁船が突撃してきた時も、死を恐れず持ち場を守った。周囲の男どもは腰抜けばかりで、そうした死線をくぐり抜けるたびに、彼女は無能どもに鉄拳制裁を行ったものだ。 

 彼女は厳格な実力主義の世界で生き、その中でしばしば人間を殺す生活に、奥ゆかしい幸せを見いだしていた。だが不運にも、女である事は彼女の昇格を阻む枷でしかなかったのだ。そして彼女が部隊内の裏切りに嵌まり、不名誉な死を迎えようとしたその日……ニンジャソウルが憑依し殺戮の力を与えた。 

 信号の発信源が近い。ダイアウルフの眼が狂気に輝き、牙から涎が垂れる!「GROWL!!」重い一撃がコンクリート壁を粉砕し、室内へと強引なエントリー!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」部屋の中央にはベアハンターをサンドバッグめいて殴るニンジャスレイヤーの姿! 

 それは実際完璧なアンブッシュである!「GROWL!」ダイアウルフは飛び掛かり、凶悪な鉤爪の生えた手で力任せに殴りつける!咄嗟にカラテ防御姿勢を取るニンジャスレイヤー!だが「グワーッ!」あえなく弾き飛ばされ、ワイヤーアクションめいて壁に叩き付けられる!ナムサン!何たる怪力か!? 

「GAAARH!」ダイアウルフは後脚で床を強く蹴り、ジュー・ジツを構えて突き進む!そして敵の顔面めがけ殺人的カラテフック!「GROWL!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは素早くしゃがみ込む!SMASH!毛皮に覆われた拳が、彼の頭上1インチの場所でコンクリート壁を打ち砕いた! 

 内なるニンジャソウルが警告を発し、死神の片眼が赤く細い光を放つ!瞬時に、彼の両腕は黒く禍々しい炎に包まれた!「イヤーッ!」「ARRRRGH!」「イヤーッ!」「ARRRRGH!」左右の暗黒カラテが叩き込まれ毛皮と肉を焦がす!ダイアウルフは一発ごとに大きく後ずさった! 

「イヤーッ!」「ARRRRGH!」ダイアウルフの顎が砕かれ血と牙が飛ぶ!「イヤーッ!」「ARRRRGH!」隻眼が爆ぜる!ニンジャスレイヤーが容赦なく次の一撃を叩き込もうとした時、ダイアウルフの反撃が繰り出された!「GROWL!」致命的な鉤爪!「イヤーッ!」連続バック転で回避! 

 死神は壁を蹴って体勢を整える!一方のダイアウルフは何事も無かったかのように飛び掛かってくる!咄嗟にカラテ防御を行うニンジャスレイヤー!(((……視界を失ったはずでは!?)))(((愚かなりフジキドよ!満月の夜でなければ、その通りであっただろう!)))ナラクの警告が脳裏に響く! 

「GROWL!」「イヤーッ!」「GROWL!」「イヤーッ!」「GROWL!」「イヤーッ!」「GROWL!」「イヤーッ!」激しいカラテ攻防!その中でニンジャスレイヤーは恐るべき事実を知った。ダイアウルフの負った傷から神秘的な白い煙が立ち上り、破壊された組織を再生しているのだ! 

「おお……おお…」ベアハンターは戸口へと這い進んでよろよろと立ち上がり、怪物同士が戦う光景を見た。それはニンジャの基準から見ても化け物じみていた。死神が殴りつけ、人狼が喰らいつき、死神がチョップし、人狼が切り裂く。机やコケシ箪笥を破壊しながら、マウントを奪い合い、殺し合う。 

「GRRRRR!」ダイアウルフは激しい攻防の中で機を見いだすと、司令室の方向を指差して部下を怒鳴りつけた。足手纏いは代われと言うのだ。ベアハンターは理解し、回廊を駆けた。「イヤーッ!」「GROWL!」「イヤーッ!」「GROWL!」後方では獣じみたカラテシャウトが続いていた。 

 

◆◆◆

 

 1101010111010101111……膨大な情報がニューロンに流れ込んでくる。UNIXデッキに直結接続したナンシー・リーは、メガトリイ通信基地内のIRCコトダマ空間を高速飛翔していた。 

 ナンシーはハッキング攻防戦を俯瞰しながら黄金の雲の中を回転飛翔した。棍棒やタケヤリを構えたテクノゾンビーたちがフジサン山頂目指して走っている。「いいえ未来です!」「スゴイ!」それをクローンヤクザ軍団が一糸乱れぬマシンガン斉射でKillする!「ザッケンナコラー!」「アバーッ!」

 電波覚醒したテクノゾンビーの大半は、高次コマンドを使えないのだ。彼らは人数に任せて、棍棒を振るうかのごとき単調攻撃しか出来ない。「何よこれ……まるで戦争だわ」ナンシーは立ち上がったばかりの子供が虐殺されるかのような光景を見て、胸を痛めた。その直後、何かが彼女の横を飛び去った。

 それはテクノゾンビーとなった下層ハッカーであった。「オイ、何だ今の…?」彼は危険なコマンドが飛び交うIRCチャネル内で、ナンシー・リーの存在を突然感じ取った。その直後、彼は他のコトダマ空間認識者と同じ光景を視た。「認識者……?」ナンシーが振り返り、ニューロンの速度で呟いた。 

「コトダマ空間だ!俺は今、伝説のコトダマ空間にいるんだ!誰も俺の邪魔できない!」下層ハッカーは笑い、テンサイ級のタイピング速度で空爆めいたKICK攻撃を繰り出す!KABOOM!高負荷にさらされたUNIXデッキが爆発し、物理空間のクローンヤクザが即死する!「アバーッ!」 

 だが次の瞬間「俺たちは新たな人類グワーッ!」下層ハッカーの論理肉体が01消滅!ペケロッパカルトの戦闘ハッカー達が一斉にKICK攻撃を仕掛けたのだ!だが次の瞬間「ペケロッパ!」地上に着地した戦闘ハッカーの論理肉体も01消滅!テクノゾンビーたちが囲んで棍棒で殴ったのだ!コワイ! 

 生体LAN端子を持つ若者を中心としてはいるが、テクノゾンビーのプロフィールは老若男女を問わない。「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」その中には未だ幼いイシマル・ヒミコもいた。彼女は残忍なタケヤリを構えて、他の仲間たちとともに戦闘ハッカーを始末したところである。 

「「「「ザッケンナコラー!」」」」クローンヤクザたちの一斉射撃めいたタイピング攻撃!「アバババババーッ!」「アイエエエエエ!」「ウワーッ!」テクノゾンビーたちは次々にKICKされてゆく!「ンアーッ!」ヒミコもまたあえなくKICKされ、コトダマ空間内の論理肉体が01消滅する! 

「オゴーッ!」ヒミコの物理肉体が嘔吐!アブナイ!コトダマ空間を断片的に視ている彼女は、実際撃たれて死んだかのような疑似感覚を覚える。もし直結者であれば彼女はニューロンを焼かれ即死していただろう!「ハァーッ!ハァーッ!」彼女の目は血走り、UNIXモニタも激しい熱を帯びている! 

「ニンジャを……助けないと…!」ヒミコは酷い汗をかき、黒髪はべったりと額にはりついている。危険だ!だが止めどきが掴めない!悔しいからだ!彼女は瞬きもせずUNIXモニタの文字列洪水を見つめたままタイピングする!キャバァーン!彼女はIRCに再ログインし、残忍なタケヤリを構えた! 

「フゥー……」スザリンド女医は、居室の革張りチェアに腰掛けてオーガニック・サケを呷っていた。今夜も磁気嵐が酷い。「何か大切な事を忘れてる気がするんだけど……何だったかしら……」何か大切なものが、ぽっかりと欠落してしまったような感覚。「まあいいわ……」彼女は再びサケを呷った。 

「外はまた暴動……?」彼女は窓から夜景を眺めた。「アイエエエエエエエエエ!」「アババババーッ!」「ペケロッパ!」「ザッケンナコラー!」「アイ!アイエーエエエエエエ!」「アバッバッバッバババババーッ!」「ペケロッパ!」……耳鳴りがして頭痛が酷い。彼女は薬物をたくさん服用した。 

「警報ドスエ……コロニーの皆様に警報ドスエ……ドサンコ・グリズリーが押し寄せ防壁を突破……このマンションは実際安全……」ノイズ混じりの緊急放送が室内に届けられる。暴動と都市ハッキングで防衛機能が麻痺したのだ。「……いやねえ」スザリンドは溜息をついた「話し相手もいないなんて」 

 下では荒れ狂ったグリズリーの群れが民間人を殺戮し始めている。真っ先に標的にされたのは暴動渋滞に巻き込まれた車両だった。「ウオーッ!」「アイエエエエエ!グリズリー!」KRAAASH!破壊されるガラス窓!襲われるサラリマン!「ウオーッ!」「アババババーッ!」クラクションと悲鳴! 

「何が起こっているの、何が……!」ナンシーは激しい焦燥感とともに飛翔し、メガトリイIRCチャネルの中央に位置するフジサンへと向かった。LANケーブルを引っ張られるような感覚を覚えたからだ。 

 フジサン頂上を中心に、蛍光グリーンの毛細血管めいた拍動を空間全体に感じる。この先に凄まじい情報密度の何かが存在する。それは通信基地のシステムとほぼ同化し、根を張っている。「生命…?」彼女は直感めいてタイプした。直後、宿直室の監視カメラが生き物のように動き、彼女をズームした。 

 司令室でシーカーは異変に気付いた。直前まで大画面に映し出されていた緑色の01人型は掻き消え、再び進捗バーが現れたのだ。……グリーンゴーストが何かに強い関心を示している。実際明白だ。彼は複眼カメラアイと口元のマニピュレータを動かして首を傾げ、アンドリューへの命令をタイプした。 

「生命……そう、あれはこの通信施設に取り憑いた電子生命体だ」コトダマ空間を高速飛翔するナンシー論理肉体の横に、突如アンドリューが現れた。スーツにサイバーサングラス。腕組みし、作り笑いめいた無表情のまま、ナンシーと並んでランデブー飛翔する。 

「また来たのハンサムさん。しつこい男は嫌われるわよ」ナンシーは今更驚かず見向きもしない。恐るべきタイピング速度でLISTとNAMESのマントラを唱えた彼女は、彼のアカウントがこのIRC内に存在する事を先刻お見通しなのだ。今は論理ファイアウォールを幾重にも張って備えている。 

「君はあれの正体を知りたいんだろう」アンドリューは前方から飛来するコケシミサイル型ウィルスを巧みに回避し発言する。「回りくどいチャット必要無し」ナンシーが素っ気なく返す「あれが全ての元凶。幼児退行者めいてブザマに飛び跳ね泣き叫んでる。それが電波となって撒き散らされてるのね」 

「興味を抱かないのかい?彼がどのようにして生まれ、どのようにして取り憑いたか…」「悠長な事している暇無し」ナンシーは街路を一瞥した。恐るべき電子タンク軍団が次々とエントリーを開始している。暴徒らがゲームセンターの筐体をハッキングし、通信基地のIPにアタックしてきているのだ。 

 ドサンコを覆う磁気嵐が晴れれば、このハッキング攻防戦はネオサイタマにまで飛び火するかもしれない。そんな事が起これば電子戦争が再来するだろう。「……ねえ、ペケロッパ・カルトはあの電子生命体が欲しいんでしょう?」「その通りだ。君は協力する」「手っ取り早く爆破させてもらうわ」 

「そんな事は…!」アンドリューが妨害コマンドを放つ。「**素早い茶色の狐が怠惰な犬を飛び越す**」ナンシーは一瞬の電子パルスとなって姿を消し、攻撃をかわした。彼女は隣接IPを経由して再び出現する。そして大きく引き離す。「私のタイピング速度は速い。あなたはそれに追いつけない」 

 ナンシーはさらに飛翔速度を増し、フジサン山頂の赤鳥居へと突進した。たった一撃のKICKでグリーンゴーストを消滅させ、メガトリイ通信基地のメインフレームを爆発させてニンジャ電波発信を停止させるべく!だがKICKコマンドを繰り出す直前……ナンシーは気付いた!「トラップ……!?」 

 ナンシーは咄嗟に多重ログインを行う。「ンアーッ!」KICKしかけていたナンシー01が蜘蛛の巣めいたトラップに引っかかり01消滅!ナムサン!その隣に出現したナンシー02は論理フジサンの周囲を旋回し、このトラップを仕掛けた手強いペケロッパニンジャの存在を感じ取る。シーカーだ。 

 ナンシーは今の攻撃でIPが抜かれた危険性を察知する。「一気に勝負をつけるわ……回廊の様子を見て……クローンヤクザが送り込まれてくるかも……私の腰のポーチに入ってるセンサー地雷を…」宿直室に座るナンシーは、ぽかんとした表情で虚空を見つめたまま鼻血を垂らし、トウメにそう告げた。 

「解った…!」トウメは機能停止したオイランドロイドの如き脱力状態にあるナンシーの腰ポーチをまさぐり、高性能センサー地雷を抜き出す。銃を構え、意を決して廊下に出る。レッドアラート明滅。彼方から、銃声や狼の吠え声、整然とした軍靴の音が反響して聞こえ、トウメの心臓を凍り付かせた。 

「イイイヤアアアーッ!」死神めいたカラテシャウトが壁に反響して聞こえ、トウメは恐怖で気が狂いそうになる。「ナムアミダブツ……!」トウメはブッダに祈りながら廊下の先に銃口を向け、ぎこちない手つきで二個のセンサー地雷を壁にセットし終えた。もはやヤバレカバレだ。 

「ハァーッ!ハァーッ!やったぞ……!」トウメは思い出したように呼吸を再開し、宿直室に戻った。あとはバリケードを築くだけだ。汗を拭う。そして異常に気付く。「ナンシー=サン?」彼はぽつんと床に転がるLANケーブルを見た。壁に走るドンデンガエシ・ジツの光の筋が、奥ゆかしく消えた。 

「おい、どうなってんだ」トウメは愕然とし、床に転がるLANケーブルを掴んだ。「ナンシー=サン、何処に行ったんだ?」彼は自らの正気を疑う。そしてUNIX画面を見る。文字列の洪水。リストアップされたIRC参加者の中に、娘の名を見いだす。突如、鮮烈なビジョンが彼の脳裏に浮かんだ。 

 一方司令室では、ベアハンターが勝利の雄叫びを上げていた。ついに進捗バーが満たされ、「データ抽出完了な」の文字と繰り返しバンザイする擬人化ウサギがモニタに映し出されていたのだ!「契約が果たされました」シーカーが言い、数百枚のフロッピーが納められたジュラルミンケースを彼に渡す! 

「ここは放棄する。ナイミツで脱出だ。ニンジャスレイヤーが迫っている」ベアハンターが渋々提案する。「我々は要求する。埋蔵IPと神聖な旧世紀デバイス」シーカーはUNIXモニタを見つめたまま電子音声で返す。「脱出せんのか?カルトめ。お前達を待っている暇は無いぞ」「受領を求める」 

 ベアハンターは舌打ちする。意思疎通困難な会話が彼を苛立たせる。「……好きにしろ。イヤーッ!」彼は昆虫を見る目でシーカーに一瞥をくれると、ジュラルミンケースを掴み、司令室を後にした。「好きにさせてもらう」シーカーはそう言い、アンドリューとのIRCを継続した。 

「彼女が到着」アンドリューが返す。マザーUNIX室の壁に光の筋が入り回転。気絶ナンシーを引きずりながらノーハイドが出現した。「固定の物理的な壁が回転ドアに変更されます。 ただしこの物理的な強度廃棄物および感情的な強さは、ほとんどありません」「並列直結」シーカーがタイプする。 

「ア……ア……」ナンシーはチキモトの死体が拘束されていた椅子に座らされ、マザーUNIXから伸びるケーブルを後頭部に挿入された。もう片方の生体LAN端子にはアンドリューが直結する。「ッ!」ナンシーは頭を揺らし、目を見開く。「YCNAN、もう一度やり直そう。リラックスしたまえ」 

「……ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!……イヤーッ!」激痛を堪え回廊を駆けるベアハンター!KRAAAASH!前方のコンクリート壁を突き破り、ニンジャスレイヤーとダイアウルフが現れた!「イヤーッ!」「GROWL!」「イヤーッ!」「GROWL!」両者は血みどろのカラテを継続中だ! 

 このまま強引に前進すれば、ネギトログラインダーにかけられたマグロめいて無惨な死体を曝すことは火を見るよりも明らか!ジュラルミンケースとその中身さえも粉々に粉砕されてしまうだろう!「……ヌウウウーッ!イヤーッ!」ベアハンターは唸り声を上げて鋭いバック転を決め、別の道を進む! 

「……ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!……イヤーッ!」激痛を堪え回廊を駆けるベアハンター!KRAAAASH!前方のコンクリート壁を突き破り、ニンジャスレイヤーとダイアウルフが現れた!「イヤーッ!」「GROWL!」「イヤーッ!」「GROWL!」両者は血みどろのカラテを継続中だ! 

 このまま強引に前進すれば、ネギトログラインダーにかけられたマグロめいて無惨な死体を曝すことは火を見るよりも明らか!ジュラルミンケースとその中身さえも粉々に粉砕されてしまうだろう!「……ヌウウウーッ!イヤーッ!」ベアハンターは唸り声を上げて鋭いバック転を決め、別の道を進む! 

「……ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!……先回りされているのか!?」激痛を堪え回廊を駆けるベアハンター!KRAAAASH!前方のコンクリート壁を突き破り、ニンジャスレイヤーとダイアウルフが現れた!おお、この無限デジャヴめいた悪夢はいつまで続くのか!?ベアハンターは発狂寸前だ! 

「イヤーッ!」死神のチョップが人狼の心臓を貫く!だがここで満月による再生能力が活きた!瞬時に傷が塞がり、彼の腕をとらえたのだ!ウカツ!「GRRRRR!」「グワーッ!」死神の肩口に食らい付くダイアウルフ!飛び散る鮮血!「イヤーッ!」ベアハンターはその横を連続側転で通り抜けた! 

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは敵の脳天めがけてハンマーパンチを振り下ろす!「ARRRGH!」ダイアウルフの頭蓋骨が砕かれ、目玉が飛び出す!人狼はたまらず牙を抜く!「イヤーッ!」死神は敵の胸板をオリンピック水泳選手めいて蹴り、埋まった右腕を引き抜いた! 

「GROWL!」人狼は全身から異常再生の煙を立ち上らせつつ、鉤爪の生えた腕を振り回す!「イヤーッ!」死神は連続バック転で紙一重の回避!(((倒す手段は無いのかナラクよ!)))(((無いと言ったであろうが!)))(((銀の銃弾等は!?)))(((愚かなり!あれは迷信ぞ!))) 

 (((どうにかせよ!)))(((このような面倒な女子にかかずらわっている暇は無し!新月を狙って縊り殺すが上策!かつてこの弱点を知られたオオカミニンジャ・クランはたちまち絶滅…)))「GROWL!」「グワーッ!」満月が天頂に達すると彼女の膂力はさらに増し、死神を殴り飛ばした! 

 ニンジャスレイヤーは吹っ飛び、熊が描かれた宿直室の強化フスマに叩き付けられる!さらにセンサー地雷が爆発!「グワーッ……!」うなだれる死神!「GRRRR!」ダイアウルフは地面に転がったクローンヤクザの死体をスナックめいて噛みちぎり滋養を補給しながら、威圧的な足取りで歩み寄る! 

 宿直室の中でトウメは恐怖の絶叫を上げただろうか?いや、彼はすでにUNIXとLAN直結を果たし涎を垂らしていた。通信基地から発せられるニンジャ電波が、ついに彼の第三の目を強引に開いたのだ!トウメはぎこちなく飛翔し、かつて娘が自分や自我科医に訴えた信じ難い光景の数々を見ていた! 

 彼の横には半透明のナンシーが飛び、何かを囁く。トウメは頷く。それはノーハイドに捕獲されたナンシーが、LANケーブルを引き抜かれる直前にこのUNIXのローカル領域に残していた断末魔めいたタイプ情報の具現化だった。「……チャンスは一度きり」ナンシーの幻影はそう言い残して消えた。 

 トウメは焚火の上を飛ぶモスキートめいて、即死ウィルスやKICKが飛び交う危険極まりない戦場を飛翔した。指先が01と化し始めている。自らの名を唱えると、それは再び定義され論理肉体として再生した。彼は電子タンクの砲弾を危なっかしく回避し、WHOISする。地上に黄金の光が見える。 

「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」地上では、テクノゾンビーの歩兵部隊に混じったイシマル・ヒミコが、残忍なタケヤリを構えて一斉突撃を敢行していた!彼らの論理肉体はすでに半分が01と化し始めている!「「「ザッケンナコラー!」」」クローンヤクザ軍団がマシンガンを斉射!アブナイ! 

「アイエエエエエエ!」「アバッバババババーッ!」テクノゾンビーたちが次々KICKされてゆく。ヒミコは意識が飛びそうなほどの飛翔感を味わった。彼女は父親に導かれてコトダマ空間の空を飛んでいた。「お父さん、ニンジャが」「ヒミコ、お前は病気じゃないよ」「そうよ」「でも熱があるな」 

「いい子にしてるわ」「いい子にしてなさい」「またメガデモを見せて」「いいアイディアだ」トウメは娘を寝かしつけるように、掌で優しく目を塞いだ。ヒミコの物理肉体は目を閉じタタミに倒れた。彼女の手を離れたUNIXはトウメの遠隔操作を受け、暗い室内で何らかのコマンドを走らせていた。 

 パワリオワー!勇ましい電子ファンファーレが前頭葉に鳴り響く。「どんな気分だい」「いい気分よ」IRCチャネルに再エントリーを果たしたナンシーは、黄金雲の中を自由自在に飛翔しながら、新鮮なアトモスフィアを感じ取っていた。「リラックスして」「してるわ」「もっとさ」「やってみるわ」 

 かつての全能感が蘇る。ネオサイタマとキョート共和国でのみ可能な、電子戦争の遺産……かつては生命倫理の冒涜とも言われた生体LAN端子インプラント手術を受けた直後の気分。それは喜びだった。一瞬念じるだけで無数の言葉が紡がれ、イメージを成し、自らの世界と外の世界が構築されていく。 

「私の使命は?」「グリーンゴーストを受け入れ自我を同化させる」「知ってたわ」ナンシーは両腕を大きく広げ、一糸まとわぬ姿で論理フジサンへと飛翔する。その軌跡は炎であり、背中には黄金の翼が見える。「そして君は真の天使となり、2600Hzのクラリオンを高らかに吹き鳴らすだろう」 

「もう一度電子戦争を起こすの?」「もう一度起こす」「何故?」「巻き戻すためだ。その後はもう一度Y2Kを起こす。そして世界は温かみのある幸福な状態へと退行するだろう」「Y2Kの秘密は掴んだの?」「基地からいくつか回収した。それにグリーンゴーストが何か知っているかもしれないね」 

「興味深いわ」ナンシーは赤鳥居の前に着地する。人型の01生命体が緑色の01触手を何本も伸ばしてくる。「君は好奇心旺盛だね」前頭葉で声が響く。「参ります、彼方へ参ります」触手に絡めとられながらナンシーが和やかに笑った。「01101010111…!」グリーンゴーストが興奮する。 

「11011101……!」ナムサン!グリーンゴーストは母親を求める赤子めいてさらに01触手を伸ばす!「0101101……!」「ンアーッ!」赤鳥居の下で膝をつくナンシー!何枚もの論理ファイアウォールがまるでショウジ戸の如く破られてゆく!自我が消滅の危機に曝された、その時……! 

「01010111グワーッ!」突如グリーンゴーストが悲鳴を上げる!無数の01触手がナメクジ触覚めいて引っ込む!果たして何が!?「ハァーッ!ハァーッ!」その背後にはトウメ!LAN直結に興奮しているグリーンゴーストの隙をつき、彼がメガサイズのウイルス攻撃を加えたのだ!テンサイ! 

「バカナー!」アンドリューは状況を理解できなかった。論理フジサンの周囲は戦闘ハッカーやシーカーらが監視していたはずだ。「タイプ速度で遅れを取るはずが…!」直後に彼は敗北の理由を悟る。TIMEコマンドを反映し、夜空には夜11時の礼拝時刻を示す聖なる文字列が浮かび上がっていた。 

 一瞬の自動化礼拝から我に帰ったアンドリューとシーカーは咄嗟にKICKを叩き込むが、既にトウメはIRCからログアウトを果たしていた!「11101011011……!」メガデモウィルスを注ぎ込まれたグリーンゴーストは怒り狂いながら飛び跳ね、凄まじいニンジャ電波が撒き散らされる! 

 コトダマ空間内にミニマル電子音楽が鳴り響き、空は赤と紫と黄色のオーロラが脈打ち渦巻いた!極上の電脳麻薬だ!その中心でグリーンゴーストのシルエットが踊る!コトダマ空間全域に張り巡らされた蛍光グリーンの01血管が脈打つ!「アイエエエエエエエ!」「アイエーエエエエエエ!」狂気! 74 

 暴走ニンジャ電波は周辺のコロニーにも降り注いだ!電子生命体の絶叫により増幅されたメガデモが、全てのモニタに映し出される!「アイエエエ!」テクノゾンビー軍団はタイピングを止めミニマルビートに揺れる!サイバーゴスは踊る!「スゴイ!」暴徒やマッポも殴り合いを止め、TVに見入った! 

「GROWWWWL!」「イイイヤアアアーッ!」激しいカラテによってフスマを破壊された宿直室内では、ダイアウルフとニンジャスレイヤーが膂力比べの体勢に入っていた。背後には気絶し無防備をさらすトウメ!フジキドは何としてもこのモータルを護らねばならぬ!だが満月の力が彼を圧倒する! 

「GRRRRR!」「ヌウウウーッ!」ブリッジ姿勢へ追い込まれるニンジャスレイヤー!その時、グリーンゴーストが電波塔から撒き散らすニンジャ電波濃度が最高潮に達し、二人の視界をトランスめいて歪めた!宿直室のUNIX画面に現れる極彩色メガデモオーロラ!同時に横を向き覗き込む二者! 

 彼らの論理肉体は、洛中洛外図めいた大小路に立つ!黄金雲のあわいでカラテを構える二者!ゴウランガ!これはイクサ没入が生み出したケミカル反応か!?偶然にもキョート上空を向いて固定したパラボラは危険な01エーテルを受信し、グリーンゴーストはそれを増幅し電波発射し続けているのだ! 

 コトダマ空間内のダイアウルフは、ジツを解かれ人型に戻っている。肉体という枷から解放された彼女のカラテは今や歓喜に満ち溢れていた。両腿のホルスターから抜いた二挺オートマ拳銃を構え、死神を睨む!剣呑な横歩きのまま改めてアイサツを交わす両者!おお、一触即発めいたアトモスフィアよ! 

 人狼形態のダイアウルフは立ち尽くし、ハンドヘルドUNIXのキーを叩く!ニンジャスレイヤーもUNIXチャブの前でアグラを組む!「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」瞳に極彩色のオーロラを映し、眉間に汗を滲ませ一心不乱のタイピング!たった1文字のミスタイプでさえ、即、死に繋がる! 

 一瞬の銃弾とスリケンのやりとり、そして短くも激しいカラテをコトダマ空間内で交わした後、両者はほぼ同時に致命的なトビゲリを繰り出した!「「イヤーッ!」」激突!交差!そのタイピング速度、もはや計測不能!物理肉体の両者は最後のリターンキーを叩いたまま凍り付く! 

 着地したのはニンジャスレイヤー!「Wasshoi!」彼のタイプ速度がほんの一瞬勝った!空中で浮かび、体を仰け反らせて01振動分解するダイアウルフ!「グワーッ!」宿直室内の彼女は人型に戻り、論理空間と同じ姿勢で鼻血を垂らす!ニューロンを灼かれたのだ!「サヨナラ!」爆発四散! 

「アイエエエエ!」同時刻。遥か南。暴動渋滞を抜け、ようやく家に帰り着いたヒミコの母は、心臓が止まりそうなショックを受けた。机に駆け寄り、娘が眠っているだけだと気付き、安堵の息をつく。UNIXが異常な熱を帯びている。彼女はモニタを見た。誰かが遠隔操作でメガデモを送信した形跡。 

 彼女は数秒前に遠隔操作者が書き残した言葉を見た。「銀の弾丸は無い|だから最善を尽くしなさい|お前は新たな人類だ|どこまでも飛べるだろう|そしていつか思いのままにKICKするだろう|炎を生み出す魔法の言葉を覚えておきなさい|でもお母さんの言う事を良く聞くのだよ|愛してるよ」 

「一体何が……!」彼女はモニタに見入った。ニンジャ電波が再び勢いを増し、緑色の文字列の背後に極彩色オーロラと巨大なグリーンゴーストの姿が映る!そして終末の天使めいてラッパを吹き鳴らしその周囲を飛翔する金髪コーカソイドの姿を!「アイエエエエ!」狂気!未だ戦いは続いているのだ! 

 暴走したグリーンゴーストを受け入れるように空中で制止するナンシー!「01110101111……!」電子生命体の伸ばした無数の触手が彼女の論理肉体に突き刺さる!ナムサン!その直後、予想外の事態!「アバーッ!?」物理肉体ナンシーに並列直結していたアンドリューの頭が激しく揺れた! 

 (((グリーンゴーストが……ナンシーを経由し……注ぎ込まれている……!)))彼はナンシーの肩に乗せていた手を咄嗟に離し、彼女の後頭部に直結した自らのLANケーブルを引き抜こうとする。だが不意にナンシーの手が動き、自らの生体LAN端子の根元を押さえたのだ!これでは引き抜けぬ! 

「アバババババーッ!」アンドリュー導師のニューロンが激しい損傷をきたし、首筋の端子から火花を散らす!半身が麻痺し、もはや物理切断は不可能!「アバババババババーッ!」電子接続していたサイバーサングラスが弾け飛び、空虚な双眼が露になった!肉眼もサイバネアイも持たない空虚な穴が! 

 暗黒宇宙めいたローカルコトダマ空間で、ナンシーとアンドリューは大の字のまま宙に浮いていた。その距離は縮まりも遠ざかりもしない。中心軸座標を固定された3Dモデリング人形のように、ぐるぐると狂ったように回転した。時にそれは速く、球体のように、また脈打つ光の筋のようにもなった。 

「見事だ、私は死ぬだろう」論理空間のアンドリューが高速回転しながら言った。「記憶封鎖アルゴリズムのキーを貰うわ」ナンシーも高速回転しながら言った。「磁気嵐が酷い。他にも引き継ぎたいものがある」「敵の私を手助けするの?トロイめいた罠かしら?」不気味なほど淡々とした会話。宇宙。 

「安心したまえ、今、我々は君を自由にすることにした」「本当かしら」「君はさしずめ首にデータ収集用のデジタル首輪を巻かれたイルカだ。それは自由意志を持つべきだ」「詩的ね」「あるいは無人探査艇か。いずれ必ず我々の下に戻る」「あなたの考えは?弟子に対する愛の言葉を囁いてみたりは?」

「今はその必要性が見当たらない」「ずっと演技だった?」「君も私を見事に騙したな」「あなたは随分と空虚ね。探究心を失ったの?」「それは私の役目では無い。それはシーカーが担っている」「まるで怪物ね」「君よりも遥かに人間らしい」「認めないわ」「人間らしさの定義をしようじゃないか」 

「もう時間よ」「君はいずれパンドラの箱を開くだろう。次の私が来た時は、大人しくその首輪を差し出すんだよ」コトダマ空間は緑色の光に満ち始めた。全データが移行したのだ。ナンシーは左右の直結を解除し、胸の拳銃を抜くと、立ち上がって後ろを振り向いた。アンドリューも拳銃を構えていた。 

 異常を察知したノーハイドが動き、ロボットダンスめいた歩行で迫る。だが扉を蹴破ってニンジャスレイヤーが現れ、それをインタラプトした。BLAMN!ナンシーのデリンジャーが火を吹く。アンドリューは引き金を引かない。弾丸が頭蓋を貫通!「ペケロッパ!」アンドリューの頭は爆発四散した! 

 ナンシーは顔をトマトジュースめいた返り血で染め、立ち尽くす!「ペケロッパ!」無慈悲なカラテで首を切断されたノーハイドも、電子音声の断末魔を放ち、ほぼ同時に爆発四散!「ペケロッパ!」物理的に隔たった司令室のシーカーも頭を抱えながら激しく揺れ、連鎖的に爆発四散!ナムアミダブツ! 

 

◆◆◆

 

 磁気嵐の活性化を予兆させる病んだオーロラが、ウェイストランドの夜空で薬物中毒者めかしたダンスをゆらゆらと踊っている。バイオウルフたちの鋭く侘しげな遠吠えが風に乗って聞こえてくる。全体的にたいへんワビサビを感じさせる夜だった。 

 ZZZZOOOOMMM……ステルス輸送機ナイミツが、サツバツとした風を振り切って飛ぶ。薄暗い輸送スペース内に神妙な顔で正座するのは、ただ一人の生存者、ベアハンター。目の前には機密データが納められたジュラルミンケース。 

 KA-DOOOOOOM……後方の山岳地帯で巨大火柱が上がる。通信基地の地下にあるジェネレータが爆発したのだろうか。振り返る暇は無し。激しい磁気嵐とオーロラを突き抜けて東へ高速飛行するナイミツは、ついに広大なウェイストライドを通過し、黒々と汚染され尽くしたドサンコ海へ達する。 

 ゴウンゴウンゴウンゴウン……夜空を切り裂く無数の漢字サーチライト。北上を続けていた巨大原子力空母キョウリョク・カンケイが、その異様を現す。ナイミツは旋回した後、武装都市のごときその空母へとしめやかに着艦。葉巻を咥えた白髪混じりの眼帯男がベアハンターを出迎える。 100  

「ドーモ、ハーヴェスターです」「ドーモ、ベアハンターです」彼はジュラルミンケースを掲げてタラップを降りた。ハーヴェスターはそれを受け取ると踵を返し、ロングコートをドサンコ海の風に翻しながら司令室へと向かった。ベアハンターが続く。クローンヤクザたちが敬礼する。 

「あのアバズレは死んだか」ハーヴェスターは葉巻を吹かし、嗄れ声で言った。「生命反応トレスが途絶えましたので、恐らくは」「あのバカめ、ニンジャスレイヤーと戯れ合ったのだろう。まさか満月の夜に死ぬとはな」「ハイ」「娘を失ったような気分だ」「ハイ」「いい尻の娘だった」「ハイ」 

 ハーヴェスターは振り返り、彼の胸ぐらを掴んだ。「ファックしたのか?」「…いいえ!」その睨みにベアハンターは呑まれる。「ハハ……!軍隊式のジョークだ、イディオットめ」ハーヴェスターは乾いた笑いを笑った。ベアハンターは腰を抜かし、司令室へと向かう扉の前で座り込む。 

「ミッション達成こそが真実だ。あれは良い軍曹だった。湾岸防衛隊の魂は永遠に生きる。アノヨで会ったら頭を撫でてファックしてやろう」ハーヴェスターは葉巻を指で弾いて海に放り捨て、司令室のフスマを開けた。満身創痍のベアハンターは、しばらくそこで座り込み、冷たい風に曝されていた。 

 フロッピー読み込み音が司令室に鳴り響く。モニタにメガトリイ社の紋章が描画された。続いて膨大なデータ。月。月の裏側。「でかしたぞ、これが欲しかったのだ」電子生命体の起源や生死など、カルトめいたブルシットに彼は興味を抱かない。アマクダリはデータを実際手にした。それが事実だ。 





9

『グリズリーハンター:49歳:救急病院にて』「UFOさ、UFOを見たんだ。俺たちの真上を、ずっとつけてやがった。観察してやがった。そしてニンジャ型宇宙人だ。スノーモービルに乗ってた。磁気嵐も奴らの仕業だ。全部解った。全部、陰謀なんだ。おい、俺の話を聞け……俺は嘘なんか……」 

『メガヘルツ解放戦線スポークスマンを名乗る男:IRCにて』「全ては我々の手で行われました大規模な都市ハッキング。私たちの恐ろしさを今すぐ体験してください。我々の電波がもたらす強さ、その断固とした決意です。ペケロッパ、物理タイピング原理主義、クロックアップ福音派…いずれも弱い」 

『ハッカー:34歳:地下ジャンク屋にて』「なあ、あんたも見たんだろ?あの夜、俺たちは確かに見たんだ。でももう何も見えなくなっちまった。誰かが俺たちの翼を奪っていったんだ。利益を独占するためだろ。もう駄目さ。俺たちは天界から追放されたアダムとイヴで、結局知恵の実も食えなかった」 

『カチグミ・サラリマン:29歳:スシ・バーにて』「インガオホーって言葉、知ってますか?多数の死者が出て、ドサンコ・グリズリーに食われた人もいます。下層労働者たちが、暴れたツケを自分で払ったんです。メガデモ?当然違法のまま取り締まりを続けるべきですね。暴動しか生まないんだから」 

『UFO研究家:54歳:自宅にて』「…エーつまりですね、今回の事件とUFO目撃情報の上昇がシンクロしているというこれがn波です。ヒエラルキー図解はこのテロップを見て下さい。一番上に火星人。その下に日本政府がいまして、MIBと呼ばれる男達!彼らは黒尽くめでキャデラックに乗り…」 

『無軌道大学生:19歳:講堂にて』「都市ハッキング? 楽しかったね。また起きないかな。でも同じものじゃ芸が無いよ。次はそうだな、戦争とか!? ……ワオ!社会派!」 

『サラリマン:31歳:ストリートにて』「メガデモが電脳麻薬だなんて、誰が決めたんだ?俺たちの知らないうちに、ドサンコの伝統芸能が違法化されてたんだ。どうせそれで利益を得てるのは、ネオサイタマの大企業だろ?俺たちが声を上げなきゃ何も始まらない。でも、何から始めたらいいんだ?」 

『女性サラリマン:30歳:自宅にて』「…早朝、主人は疲れ果てて帰ってきて、出社したんです。あの夜何があったのか?覚えてません。気がついたら、コロニーの前に居たって。まるでUFOに攫われて帰ってきた人のような…。娘の病気ですか?直りました。幼少期に良くあるヒステリーの一種で…」 

『動物愛護団体:47歳:事務所にて』「……汚染がバイオグリズリーを生み出し、都市の騒音と電波が彼らを狂わせているんです。彼らは本来とても大人しい……人間を襲って食べる事はありません。今こそ自然環境の再生を見直すべきです……排水を捨てる時はラッコやイルカが死ぬ姿を想像して……」 

『自我科女医:38歳:自宅にて』「…違法電波か気化薬物による集団ヒステリーの可能性が高いと、自我科医の見地から証言します。…これでいいかしら。ドロイド?まだちょっと、気持ちの整理ができてないわ。でもリカバリされた彼らの記憶が返却されてきたの。あの夜は本当に、酷い混乱で…」 

『学生:17歳:ゲームセンターにて』「あいつは死んじまったよ。ニューロンをやられたか心臓発作だったか。反射神経レバーを握りながら死んじまった。俺はあいつにもう一回会いたいんだ。だからこうして、毎日違法薬物をキメながら戦ってる。……何故かって?誰にも言うなよ。カルトさ」 

 

◆◆◆

 

 薄暗いアジト。「記憶を消したの?」データディスクを整理しながら、サイバーゴスヘアの助手が言った。「まさか」UNIXチェアに直結したまま、ナンシーが笑った。「ニンジャリアリティ・ショックの影響で、押し流されたのよ」 

「ずっと忘れたまま?」「さあ」ナンシーは録音テープを聞き直し、脳内に残された圧縮データを弄んだ。まだ開ける時ではない。「どこまでも飛べるだろう。何もかも見通すだろう。そしていつか思いのままにKICKするだろう」「有名なチャント?」「いいえ、全然」ナンシーは微笑んで潜行した。

 

【ダークサイド・オブ・ザ・ムーン】終


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N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)


極北の地ドサンコで怪事件が多発。TVノイズから黄金立方体存在を読み取る少女、大規模な都市ハッキング、事件記者の死体、暗躍するハッカーカルト、そしてアマクダリ。カルトのアジトに潜入したナンシーは、かつての導師から遠隔ハッキング攻撃を受け生死不明に! 敵の狙いは果たして? メイン著者はフィリップ・N・モーゼズ。

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