【ザ・ドランクン・アンド・ストレイド】
1
ネオカブキチョの一角、粋な「雨まい」の漢字平仮名ネオン看板を掲げるバー、レイン・ジルバ、店構えは狭苦しく思えるが、地下に降りれば快適で、それなりの広さがある。
サクソフォンに更にファズをかけた、抉るような過剰サウンドに乗せ、店の奥ではポールダンス専用にカスタマイズされたオイランドロイド「ヤケナ」が艶かしく脚を振り上げ、ビスチェ姿の上半身を反らす。客の何人かは酩酊した眼差しをヤケナに這わせ、何人かはまどろみ、何人かはグラスを睨む。
カウンターの左端にはバサついた長い黒髪の女。色褪せたデニム、拍車のついたブーツ、背中に逆さまに「婆」と赤く押されたレザー・ジャケット、腰にはカタナ、要はまともな稼業で無い事は明らか。咥えていた二本のタバコを真鍮の灰皿に押しつけ、ショットグラスを受け取る。
表面に火を灯すスピリッツで満たされたショットグラスの底をカウンターに叩きつけ、一息に呷る。女の睫毛は長く、不機嫌そうで、両目に涙ぼくろがある。
ブァーン! ブァァーン! ファズ・サクソフォン音がうねり、曲はたけなわ、オイランドロイドは腰を……「なんでアンタがいる」女は呟き、男を見た。男は女の後ろを無言で通り過ぎようとしていた。女はそれを見咎め、呼び止めたのである。
ブアアアーン! ファズ・サクソフォン音と、ピンクの蛍光楕円ボンボリライト。「ドーモ」男は微かに顎を動かし、アイサツした。「ニンジャスレイヤーです」
「……」女はアイサツを返さず、隻眼のバーテンダーから追加のショットグラスを受け取ると、スピリッツをなみなみと注いだ。そして、顔を歪めて、トレンチコートにハンチング帽の男を……ニンジャスレイヤーを睨んだ。ニンジャスレイヤーは辞去の為、片手を上げかける。女は構わず、グラスを突き出した。
「……」彼は折れた。ショットグラスを受け取り、口をつける……女は瞬き一つせず睨み続けている……ニンジャスレイヤーは一息にグイと呷った。空のグラスを、殆どゼンめいて、流れるようにカウンターに戻した。「ドーモ。ニンジャスレイヤー=サン。レッドハッグです」女は漸くアイサツを返した。
【ザ・ドランクン・アンド・ストレイド】
ブアアーン! サクソフォンが憑かれたように狂騒の度を増すなか、男は……ニンジャスレイヤーは……フジキド・ケンジは、レッドハッグの隣の椅子についた。レッドハッグはショットグラスを再度満たそうとしたが、フジキドが先に動いた。「サイタマ・シュリンプ・ビールは」「ありますよ」とバーテンダー。
「なんだいそりゃ」レッドハッグは不興そうに顔をしかめた。バーテンダーが真鍮のジョッキをシュリンプ・ビールで満たし、フジキドの前に置いた。フジキドはレッドハッグを見た。「ビールだが」「何が、ビールだが、だよ。まあいい」レッドハッグは手振りで促した。
フジキドはジョッキに口をつける……。レッドハッグは瞬き一つせず睨み続けている……フジキドはグイと呷った。喉仏が動き、真鍮の表面を水滴が滑り落ちる。「……」フジキドはグラスをカウンターに戻した。ゼンめいて流麗に、静かに。「なるほど」レッドハッグはタイミングを合わせ、ショットグラスにスピリッツを注ぎ終えた。流麗に。
「……」フジキドはレッドハッグを見た。レッドハッグは眉間に皺寄せ、これを断れば相当な失望と勝利の眼差しをぶつける用意がある事を無言で示した。フジキドは……ショットグラスを取り、一息に呷った。そしてゼンめいて無音でカウンターに戻した……滑らせるように。「悪いが私は……」
「ワカル? 電子の吸血鬼」レッドハッグが三杯目のスピリッツを注ぎながら言った。「電子の……何だと?」「アーケイドだよニンジャスレイヤー=サン。古城に迷い込んだ王子が……なんでもいいさね、そんな事は。重要なのは、王子が三回死ぬとゲームオーバーだ。アンタは少なくともワン・ミスした」「何」
「そんなに死ぬほどビール飲みたかったのかい、エエ?」レッドハッグはフジキドの腕を肘で突いた。「違うのかい。じゃあ始めから付き合えばよかったんだ」「よいか。私はここに」酔いに来たのではないぞ、と言いかけた言葉を呑み込む。電子の吸血鬼の喩えが良くわからず、主導権を得損ねた。
レッドハッグは挑戦的な微笑を浮かべたまま言葉を待っている。バーに来て、酔いに来たのではないと宣言……なるほど無粋ではある。それはレッドハッグから勝ち誇った侮蔑の笑みと長口上を引き出す事となろう。「水を」フジキドはバーテンダーに頼み、そのまま一連の動作としてショット三杯目を呷った。
「アイアイ、水」「うむ」フジキドはバーテンダーに頷き、流麗な動作でショットグラスを戻し、返す手で水のグラスを取り、飲んだ。「チェイサーだ。わかるな」「何を……」「わかるな」フジキドは黙らせ、レッドハッグよりも先にスピリッツの瓶を取ると、レッドハッグのショットグラスを満たした。
「ドーモ」レッドハッグはおどけた礼を言って、ショットを飲み干すと、グラスをカウンターに叩きつけた。既に彼女がある程度消費した後という事もあって、瓶は空っぽだ。「この数週間で行方不明者が頻発している。この界隈でだ」フジキドは切り出した。「よくある、よくある」レッドハッグは頷く。
ブアアアーン! ブアン! ブアアーン! サクソフォンがいよいよ狂乱する。ヤケナが両腿の力でポールを挟み込み、逆さに身を反らせる。「ワオ、ネーチャン」「ワーオ」酔客たちが囃し立て、チップを賽銭箱に投げ入れる。「つまりそれが……」「そんなにビール好きなら、次はビールにするかね」
「……」「聞いたことはあるねェ」レッドハッグは低く言った。「何がだ」「そりゃ失踪だよ。ここのところの」「……」フジキドは眉間に皺寄せ、再度チェイサーを飲んだ。「アイアイ、ビール」バーテンダーが、塔めいて高く細長いグラスを二つ差し出した。双塔を満たすのは淡く光る神秘的なビールだ。
「なんだい、その顔は。アタシを信じてないね? エエ? アンタをひっ捕まえて、その、こうやって酒に付き合わせる迷惑な……そういうアレだと思ってンだろ」「どちらとも言えんが」フジキドは答えた。
「プッ!」レッドハッグは噴き出した。そしてグラスを差し上げる。 「カンパイ」フジキドは応じた。二者は喉を鳴らして光るビールを飲む。このビールは「カガヤキ」と言い、発光成分と各種ビタミンの添加が売りである。
ブアアアーン! ブアン! ブアアアーン! サクソフォンが鳴り続ける。
やがて二人は塔めいたグラスを同時に戻した。カウンターがドスンと音を立てた。「……フー」フジキドは手の甲で口を拭い、チェイサーを飲み干した。「水と、ジェット・ブラック・ファルコを、ロックで頼む」「ジェット・ブラック・ファルコをロックね」「……」レッドハッグがフジキドを見る。フジキドは目をそらさず宣言する。「私は……自分のリズムを守る」「アー。オーケイ」
「それで? 失踪は」フジキドはピスタチオの皮を剥きながら切り出した。「失踪?」「聞いた事があると言ったぞ」「ある、ある」レッドハッグもフジキドと同じものを頼んだ。フジキドは瞬きせず、奥歯でピスタチオを噛む。「どんな噂だ」「つまり……しこたま酔った奴が、霧の中で見るのさ」「何を」
「ホラ、ピンクの象……ね?」レッドハッグがグラスの球状氷を揺らし、少し飲んだ。「見た事あるかい? エエ?」フジキドはあきれたように首を振った。ピスタチオを取ろうとして一度落とし、拾った。「時間の無駄だったようだ」「続きがあるンだッてば! 仕方のない男だねェー!」「……よかろう。話せ」
「アタシが言いたいのはね、そいつはピンクの象みたいだッて事さ! 比喩だよ、おバカさん。わかるかね?」「……」フジキドはグラスを傾けた。それからチェイサーを飲んだ。レッドハッグは頷きながら続ける。「しこたま酔っ払った奴の酩酊意識に、死神がね……ヒヒッ、アンタじゃないよ……訪れる」
「つまり……酩酊の……うむ……」「わかるね?」「うむ。続けてくれ」「人々は見るという……恐れよ……ディオニュソス、あるいはサテュロス、なんでもいい……ね? そこに死神が……で、そいつはさ、ヨコジ=サンッてったかな……ヨコギかな……」「どちらでも」「そいつは、命からがら、逃れた」「整理しよう」フジキドは掌を突き出した。「整理する」「うん。うん」レッドハッグは繰り返し頷いた。
「整理する……つまり、オヌシの知己である某が」「知り合いってほど親しくもないね」「親しくもない某が、実際、酩酊の中で、死神の来訪を受けた」「そう」「そして辛くも逃れた?」「そう!」「つまり、そこで逃げ遅れた者が失踪という結果に……」「間違いないね」
レッドハッグは黒色の液体を飲み干した。そしてフジキドを指さした。「ああ! わかったぞ! アタシャ、ピンと来たね!」「何だ」「つまり、それがニンジャで、アンタがそれを追っかけてるって寸法だわ!」「推論に過ぎぬ……」
「じゃあニンジャでもない奴がだよ!? そんな事を……」「……」フジキドがレッドハッグの大声を咎めるように睨んだ。大声でニンジャと叫ぶ行為は到底賢明とは言えない。彼女は怪訝そうに見守るバーテンダーを見、ヘラヘラと笑って「ニンポ! ニンポだぞ!」と誤魔化した。フジキドはチェイサーを飲もうとしたが、空っぽだ。
「酩酊者の意識の話は興味深い」「だろ」「ヨコギ……ヨコジ……サンの証言を得たいところだが……」「飲んだくれだから、そのへんにいるだろ、今夜も」レッドハッグは椅子を引いて立ち上がった。「おやじ、お勘定」「アリガトゴザイマス」「何してンだい」レッドハッグは椅子のフジキドを睨んだ。「早く!」「何をだ?」「二軒目だよ!」
2
「二軒目の店を教えとくれ 詮索無用 詮索無用……」レッドハッグは古歌を口ずさむ。その横やや後ろを続くのはフジキド・ケンジ。首輪のついた犬が道の端、「地獄の沙汰」と書かれたネオン看板に小便を引っ掛ける。
ポコポコ……ポコポココ。魅惑的コンガ生演奏をフィーチャーし、蛍光黄緑に塗られた壁がいかにも落ち着かぬ……次に彼らが足を踏み入れたバーの屋号は「竹光と高志」である。
「じゃ、まあ、かけつけ一杯」レッドハッグは柿ブランデーのソーダ割りを満たしたグラスを打ち付けた。「カンパイ」「うむ」「今日はカリブ海ナイトですよ! アミーゴ!」くだけた服装の店員がリズムを取りながらアイサツし、奥のテーブルの接客に向かった。
「整理する」フジキドはグラスをカウンターにドンと置き、レッドハッグを見た。「いいか? 我々は……ヨコジ、ないし、ヨコギ=サンを探す」「その通り」「彼は……彼女? 彼?」「彼」「彼は、ニンジャのジツにかけられ辛くも逃げ延びた。その者から話を聞きだせば、そのニンジャ……ディオニュソスないしバッカス……」「いや、それはアタシが適当に言っただけだ」
「そうか。まだ正体はわからぬ。注意せよ」「うん」「店内にいるか?」「誰が?」「決まっておろう。ヨコギ=サンだ」「アミーゴ!」「うるさいよ! アタシら大事な話だ!」レッドハッグが咎めると、店員はしゅんとして通り過ぎた。
「ひでェ飲んだくれでさ、ヨコジ=サンは……」レッドハッグは黄緑色の店内を見渡した。「ウーン……いつも赤いロシア帽を被ってる」「赤いのか?」「まあ、そんな奴もいるさ。マッポーだから……」二人はグラスを再度打ち付け、飲み干した。「んん……少し待てば来るかもしれないと思ったんだけどね」「毎晩酒場に現れるわけでもあるまい」とフジキド。「誰しも生活がある」「何言ってンだい、アンタは。このネオカブキチョに今も居る、絶対居る」
「待て」「整理する」レッドハッグはフジキドを真似た。そして一人、「エッエッ!」 と笑った。「いいか」フジキドはチェイサーを飲んだ。「目的はだ。ヨコギ=サンは勿論だが、最終的には、これがニンジャによる凶悪な行いかどうかを確かめるという、それを忘れてはならんぞ……」「まったくその通りだよ」
「つまりヨコジ=サンは……」「ヨコギだとテメェ! ヨコギつったかオラー!」彼らの背後で酔漢がいきなりテーブルを殴りつけ、声を荒げて立ち上がった。「今ヨコギつったかオラー! 奴の連れか? アア? スッゾオラー!」天井を付くほどに背が高く、鉢巻きをしめている。コワイ!
「答えろ!」「詳しくは知らないね」レッドハッグは怖じず、肩をすくめて見せた。店員がマラカスを両手に持った姿勢で後ずさる。彼らの周囲の空気が凍り付き、圏外の客達は引き続き会話と音楽を愉しみ、コンガ演奏者はますますグルーヴを積み上げていた。「奴は俺に20万借りがある」「あんな奴に貸したのか!」
「あの野郎、競馬の裏情報をゲットしたとかほざきやがって」「大概だよ、そんな話信じたのかい。あいつのへんてこな帽子知ってるだろう?」「さっきから何だアマ!」鉢巻き男がレッドハッグの襟を掴んだ。フジキドが鉢巻き男の手首を横から掴み、手をどけさせた。「スミマセン。だが、よせ」
「お……おう」フジキドの眼光に鉢巻き男は怯み、それ以上食ってかかる事はしなかった。レッドハッグは言った。「そうだよ、よしときな。彼ったらカラテカなんだから。瓦を割らせてもいいんだよ。瓦ある……」フジキドは彼女を睨んで黙らせ、尋ねる。「もしや、ヨコジ=サンを今夜どこかで見たのでは?」
「ああ」鉢巻き男は頷いた。「さっきの店で捕まえようとしたが、見失った。近くの店にあたりをつけて、ここに来たンだ」「カリブ海にロシア帽」「帽子の話はいい」フジキドはレッドハッグを咎めた。「ともあれ、近くに居る事は確かだ」「よかったねェ」「うむ」フジキドは柿ブランデーを飲み干す。
「オヌシ、名前は?」「コダ」「コダ=サン。妙なことを尋ねるが……最近、ひどく酔った夢のなかで危険な目に遭ったおぼえはないか?」「いや。無いぜ」「ディオニュソスと名乗る人物に覚えは?」「さあ……」「アリガトウゴザイマス。十分だ」フジキドは椅子から立った。「どこへ?」とレッドハッグが尋ねた。「三軒目だ」
◆◆◆
「凄まじい棺桶」と書かれた赤紫ネオン看板の下、二人はやや逡巡の体。夜会マスク着用がドレスコードだというのだ。「今日はそういう日で」ゴス店員が厳めしく告げる。「ここゴス・クラブじゃないだろ?」とレッドハッグ。「今日はそうなんで」とゴス店員。「こうしていても仕方ない」とフジキド。
「アタシ、ちょっと嫌だよ」レッドハッグが食い下がった。「いい歳なんだから」「オヌシの羞恥の基準がいまひとつわからん」フジキドは言った。「そもそも我々は……酒を飲む事が目的ではないのだぞ。ヨコジ=サン、なかんずく、失踪事件を引き起こすニンジャを探すのだ」「わかったよ!」
彼らは退廃スペイン貴族めいて目元を隠す装飾過多の夜会グラスを有料でレンタルし(いい商売してやがる、とレッドハッグはぼやいた)、サイバーゴスの流れる店内に滑り込んだ。ドンツクドンツクブブンブーン……ドンツクドンツクブブンブーン。「どうだ。ヨコジ=サンはいるか」「ちょっと待っとくれ」
レッドハッグは暗い店内を見渡した。退廃的アトモスフィアの中で、人々はゆっくりと揺れている。彼らが手にする酒は、血のように赤いワイン。発光するガラス球がグラスに沈んでいる。「参ったね、目元が隠されているから、わかりゃしない」「赤いロシア帽を探せ」フジキドがアドバイスした。
「そうだ。ヨコギ=サンは赤いロシア帽、そうだ! 仮面があろうがなかろうが、帽子でわかるね。アタシときたら」レッドハッグは呟いた。店員がトレイに赤ワインを乗せて二人のもとへ近づき、じっと待つ。フジキドは素子を店員に渡し、ワイングラスを取った。「「カンパイ」」二人は赤い液体をグイと呷った。
「いるか? ロシア帽は」「アンタも探すんだよ」「勿論探している……」服装はそのままで夜会マスクを身に着けた二人は、注意深く闇に視線を走らせる。「ここじゃなかったら、どうするんだい」レッドハッグが言った。「次の店だ」とフジキド。「夜が明ける前に情報を掴まねば、探索が無駄になる」
「つまりその……バッカスとかいうニンジャを……ブン殴ってやらないとね」「ディオニュソスの可能性もある」フジキドはワイングラスを空にし、店員に返した。「水をくれ」「ハイヨロコンデー」サイバーゴスが不意にフェードアウトし、しめやかなワルツが流れ出した。
みな、隣の客と踊り出した。フジキドとレッドハッグもワルツを踊りながら、ロシア帽の男を探す。フジキドのステップはぎこちない。「この店には……ウーン……いないようだね」「帽子を脱いで預けている可能性は?」「それはない。絶対に脱がないんだから。でも、こういう店にアイツが来るとは思えないね、今にして思うと」「随分時間を無駄にしたぞ」フジキドが咎めた。
「カッカしなさんな、そりゃあ、こんな夜もある。人生」レッドハッグが呟いた。「急がば回れ、サイオー・ホース」ワルツが終わり、再びサイバーゴスの冷徹なビートが戻ると、彼らは夜会マスクを返し、再び路上に帰った。次の店を求めて。
◆◆◆
「ネギトロ」「アイアイ、ネギトロ」「アタシはイクラだ」「アイアイ、イクラ」「チャを頼む」「チャはセルフです」「サケを温めて」「アイアイ、サケね」路上立ち食いスシ屋台に二人は並び、腹ごしらえをする。そうする間も、他の屋台や濡れた路上を行き交う人々を注意深く観察する事は忘れない。
「しかしその……なんだね? バッカスだっけ?」レッドハッグがサケを呷り、フジキドのオチョコにも注いだ。「ふてえ奴だよ。酩酊ッてのはさ、無防備じゃないか。楽しい時間……それをアンタ……つけこんで」「うむ」「やり方が汚いよね」「うむ」「台無しにするなんてさ」「うむ」
「おやじ、ワサビ・ロール」新たな客がノレンを上げながら注文した。「アイアイ、ワサビ・ロール」「カカカ! ワサビ・ロール」レッドハッグが声に出して笑った。「よせ」フジキドが咎めた。「……」男はフジキドを見た。そしてフジキドも。沈黙が数秒間支配する。「勘定を」フジキドは素子を払う。
「なんだい、せわしないね」屋台を後にしたフジキドを、レッドハッグが追う。「どうした?」「いや」「妙だったじゃないか。知り合いかい?」「とにかく、次だ」フジキドは歩きながら言った。「腹もこなれた。夜が明ければタイムオーバーだぞ」「そうだった! こうしてる場合じゃない」「そうだ」
「次はどこに行くかね」「くれぐれも……ヨコ……ヨコジ=サンが入りそうな店にせよ」「こんな時間まで空いてる店は限られてくるからね。大丈夫さ」「うむ。水は無いか」「次の店で頼めばいいじゃないか」「水は」
◆◆◆
「イヤーッ!」KRAAAASH! フジキドは路上に積み上げた瓦に拳を打ち下ろし、割り砕いた。レッドハッグは鼻を鳴らし、自分の目の前に積み上げられた瓦に拳を打ち下ろした。「イヤーッ!」KRAAAAASH!「これじゃ勝負にならない! 瓦を倍持って来なきゃ」「時間の無駄だ」「アンタが吹っ掛けたんだ。聞き捨てならない事をねェ!」「オヌシは十分に強い、十分に強い……」「いいや、絶対ナメてるね!」
◆◆◆
「そうじゃ! あれも若者に非があった。そう、ちょうど今日から四年前の事だぞ。操車場に迷い込んだワシは……いや……夜の駐車場だったか……つまり……」キャプテン・ジェネラルは記憶を辿り始め、凍り付いた。「ロシア帽の男は?」「ロシア帽……あれは四年……」
二人は唸り、サケを呷る。「アンタらは気をつけなされよ。奴らは恩を仇で返す。必ずな」「長生きしてね」レッドハッグは当たり障りのない言葉を残した。二人は梯子を上がって地上に戻った。途中、危なく手を滑らせた。「何なんだい、あの爺さんは」「うむ……」
◆◆◆
「ロシア帽ロシア帽、どこもかしこもロシア帽だ」レッドハッグが大声を出した。「何だと? どこだ」フジキドが振り返った。「ヒッヒヒヒ!」レッドハッグが笑った。「だって、あのロシア帽赤いだろ!」レッドハッグが指さした先を見、フジキドは息を呑む。そして走り出した。「ヨコジ=サン!」
「アイエエエ!」飲み屋から出て来たロシア帽の男は、走って追いかけてくるトレンチコートの男に仰天し、逃げ出した。足を縺れさせて転倒した。「アイエエエ!」「ヨコジ=サン、話を」フジキドはふらつきながら追う。その横をレッドハッグが走り出る。「イヤーッ!」タックルだ。「アイエエエ!」
「ヨコギ=サン! アンタねえ。どれだけ探したと思ってるんだい」レッドハッグはロシア帽の男にのしかかり、揺さぶった。「アイエエエ!」揺さぶられながらロシア帽の男は帽子を強く押さえ、決して脱げないようにした。「何だよ! カネなら返さんぞ」「アタシャ借りてないね!」「話を訊きたいのだ」「アイエッ、アンタは一体……カネは借りてないぞ!」
「カネではない。整理する」フジキドは息を吐き、ロシア帽の男の前にしゃがみ込んだ。「整理する……オヌシは酩酊して前後不覚に、陥り、ディオニュソスというニンジャに襲われ、行方不明になった」「なってはいない」レッドハッグが訂正した。
「ヨコジ=サン。犠牲者は出続けているのだ。否、そればかりか、オヌシに再度危険が及ぶかもしれぬ。覚えている事を、なんでもいい、話してくれ……」「俺はヨコジじゃない! カネも借りてないぞ、アンタからは!」「何だと」フジキドは愕然とした。「オヌシはヨコジではない……? だが、そのロシア帽……」
「帽子の事なんていいじゃねえか!」男はロシア帽を強く押さえた。「人違いだと?」フジキドはレッドハッグを見た。レッドハッグは首を振った。「俺はヨコギだ! ヨコギ・ヤマダだ」「何……」「だから、あってるよ! 続けな!」レッドハッグがフジキドを叱りつけた。「頼む、ヨコジ=サン」
「ヨコギ=サン。アンタさ、この前したたか酔っ払って、夢の中で見たんじゃないのかい」レッドハッグは敢えてその単語を口にした……「ニンジャをさ!」「ニンジャ!」ヨコギは目を丸くした。「ニンジャ……ア……アイエエエエ! あれは、ニンジャ! ニンジャ、ナンデ?」「ニンジャなんだね!?」
「ニンジャが、お、俺と、トミの事を……そんな! アイエエエ!」ヨコギは頭を激しく振り、泣き叫んだ。「トミ=サンとは? 友人か? 行方不明になったのか?」フジキドは尋ねた。「嫌だ!」ヨコギは叫んだ。「嫌だ! 連れて行かないでくれ!」ヨコギはレッドハッグを……否、その後ろを凝視している!
フジキドは弾かれたように後ろを振り返った。霞の漂う裏路地の闇、何かが身じろぎした。目を細める。グラつく視界の中、恐ろしげな姿はニンジャめいて……「アイエエエエ!」ヨコギが叫んだ。彼にははっきりと見えているのだ!「アイエエエ!」その叫びは酒臭い。フジキドはこの瞬間、思い至る!
「ヨコ……ヨコギ=サン」フジキドはヨコギがしっかりと握った瓶をもぎとった。「シツレイする」「アイエエエ!」レッドハッグがフジキドを見る。フジキドは瓶のラベルを見る。アルコール度数の表記を。そしてうんざりと首を振ったのち、それを呷った。「何やってんだい! こんな時に」「酩酊だ」
フジキドは立ち上がり、たたらを踏んだ。「ムム……」今や彼のグラつく視界には、しめやかに接近してくる恐るべき影がはっきりとした輪郭を伴って見えていた。ナムサン……ニンジャ第六感と状況判断、そしておそらくはこの奇妙な夜のアトモスフィアが寄与し、彼を正解に導いたのだ。不可視の敵に!
「SSSSHHHHH……」幽鬼じみたニンジャは……然り、今のフジキドには、それがニンジャだとはっきりわかった……己の獲物の前に立ちはだかった存在を認識し、訝しむように立ち止まった。フジキドはせり上がるものをこらえながら、かろうじてアイサツする。「ドーモ。ディオニュソス=サン」
「SHHHHH……ニンジャだと? 俺が見えるのか?」幽鬼は歪んだ声を発した。「異な事よ……そして俺の名はディオニュソスではない」幽鬼はアイサツした。「ドーモ。バッカスです」「……!」フジキドは頭を押さえ、踏みとどまり、アイサツを返した。「ドーモ。バッカス=サン。ニンジャスレイヤーです」
「なんだって!?」レッドハッグが叫んだ。「どうなってる?」「なんということだ……酩酊者が知覚する……ニンジャだ」「成る程ねえ」レッドハッグも相当に酔っており、素直に頷いた。ニンジャスレイヤーはヨコギの瓶をかろうじてレッドハッグに手渡す。そしてカラテを構えようとして、嘔吐した。
3
「オゴゴーッ!」吐きながら、フジキドはアスファルトに手をついた。「アイエエエ!」ヨコギが尻餅状態で後ずさった。「何やってンだい全くもう」レッドハッグはフジキドの差し出す瓶をかろうじて受け取り、呆れた様子で首を振る。「酒の飲み方知らない男だよ!」「ニンジャだ! そこだ、注意せよ」フジキドは口をぬぐい、据わった目で指さした。
「ニンジャ! ニンジャナンデ!」ヨコギもフジキドと同じ方向を指さしている。レッドハッグは彼らが示す方向に目を凝らした。「ウーン?」「それは酩酊が足りんのだ……おのれバッカス=サン」フジキドはよろめき、立ち上がった。そしてカラテを構える。彼は青ざめた。「……何だと……?」
フジキドの視界は徐々にクリアになり、それと共に目の前の恐るべきニンジャの姿が薄れ始めた。「アイエエエ!」ヨコギは叫び続けている。フジキドはヨコギを見、訝しむレッドハッグを見、バッカスのいた空間……然り、もう見えなくなった……を見た。「どこだ」「殺さないで!」ヨコギは叫び続ける。
「助けて! そんな……逃れられないのか! ヒック!」ヨコギは後ずさりを続ける。フジキドは歯噛みした。彼の視線を辿り、あてずっぽうでチョップを繰り出した。「イヤーッ!」チョップは空を切った。「イヤーッ!」ヤリめいたサイドキックもだ。フジキドはよろめく。「助けて!」ヨコギは泣き叫ぶ。
「わかった!」レッドハッグが叫んだ。「アンタ、吐いてスッキリしただろ」「……」フジキドはレッドハッグを見た。そして頷いた。レッドハッグは得心がいき、「酔いが少し覚めちまったんだ」「何という事だ」「奴が来る! 逃がしてくれないんだ!」ヨコギが泣き叫んだ。「助けてくれェ!」
「イヤーッ!」再びフジキドはあてずっぽうでチョップを繰り出した。「イヤーッ!」レッドハッグもそれに倣う。攻撃は空を切る。ナムサン。見る事もできず干渉もできぬというのか。「アイッ……アイエエエ」ヨコギは依然、不可視の存在を恐れる。「……」レッドハッグは手にした瓶をぐいと呷り、目を見開いた。
「ウェー! なんだいこのサケは! ヨコギ=サン!」レッドハッグは咳き込み、「まるでガソリンだね! だけど、」顔をしかめ、「ンン」もう一度、瓶を呷った。「ンンーッ」彼女は目を見開き、フジキドに瓶をグイと突き返す。そして虚空にアイサツした。「ドーモ。レッドハッグです。……バッカス=サン」
「見えただろう」フジキドは言った。レッドハッグは虚空にカラテを構えながら、フジキドを見ずに頷いた。そして虚空に向かって言った。「いいや、ヨコギ=サンはどうしようもない酔っ払いだが、知らない奴じゃないからねェ。そんな事、認められるか」「整理しよう」フジキドは呟き、瓶を呷った。
「イヤーッ!」レッドハッグはヨコギの目の前の何かを掴み、後ろに投げ飛ばした。フジキドはこめかみを叩きながら、もう一度瓶を呷った。「整理しよう。酩酊者の世界というものが我々のこの世界と並行に存在しているという仮の概念を当てはめると……理解しやすい。少しわかりやすい」「イヤーッ!」
「つまり……こうして我々は、その世界と重なり合い、バッカス=サン! オヌシを」ニンジャスレイヤーは受け身を取って起き上がるバッカスを再び視認し、指さした。そしてよろめいた。「オヌシをだ……オヌシと相互に干渉可能な状態に、陥る」「そうだ、そう」レッドハッグが繰り返し頷いた。「絶対そうだ」
「当たらずとも遠からず」バッカスは笑った。「否、当たっておるのやも……どのみち俺には意味の無い問いよ。俺は影。狭間に遊び、迷い落ちた哀れな羊を食って生きる。記憶など、とうの昔に摩滅し果てたわい」「ならば、フゥー……」ニンジャスレイヤーは息を吐き、「オヌシが命を摩滅し果たす時が今だ」
「御免被る」バッカスは答え、カラテを構え直した。「再び目覚めたのが今ならば、この狩り暮らしも天の采配に違いない。できるだけ多くの酩酊者を喰らうが我が定めと見た」「何をグダグダ、ヒック、言ってやがる」レッドハッグが唸った。「このうすらオバケが!」「助けて!」ヨコギが叫ぶ!
ヨコギは前後不覚の哀れな泥酔者だ。バッカスがこうした状態の者としか関われないのならば、例えばニンジャスレイヤーとレッドハッグがこの場を離れ、酔いを醒ませば、バッカスから彼らに再度の攻撃を仕掛ける事は不可能となる。しかしそうすればヨコギの命は奪われ、今後も泥酔者の失踪は続く。
当然ニンジャスレイヤーはそのような決着を選択するつもりはない。レッドハッグの矜持にもそれはない。ゆえに彼らはヨコギを守るように立ちはだかり、ふらつき、またカラテを構えるのだった。「ナラク! ナラク!」ニンジャスレイヤーは大声を出した。「この者の……ハァー……なにか、わかる事は?」
(((ブザマの極み))) ナラクの声がぼんやりと滲むニューロンに響いた。レッドハッグのような非敵対のニンジャと共に在る時、この恐るべき悪鬼が語りかける事は稀だ。フジキドが通常時以上にナラクを強く牽制し、望まぬ殺戮に駆り立てられる事を自ら未然に防止している為である。
しかしこの夜、彼のニューロンの抑制は乱れがちであり、ナラクもまた容易に応じた。(((敵を前にして左様な……ブザマではあるが、実際そ奴を殺すにはオヌシ自身が酩酊の渦にその身を置く必要があるのは確かだ))) ナラクは不本意そうに認めた。「こやつは何者だ」「誰と話してるんだい」
(((あれに憑いておるのは、平安時代においても名すら知られぬニンジャのソウルよ。なぜなら泥酔者の夢に逃れた数寄者ゆえに、まず認知する者からして稀であった)))「ヌウーッ……」「誰と、ヒック、話してるんだい、こんなときに! イヤーッ!」レッドハッグがバッカスの蹴りを防ぐ! 彼女はしかし足元おぼつかず、ヨコギにつまずいて後ろに倒れた。
「アイエエエ!」ヨコギが潰され、悲鳴を上げた。「なんだい! レディを受け止めなよ!」レッドハッグがヨコギの頭を押した。「シャンとしな! ヒック」バッカスはニンジャスレイヤーに向き直った。その輪郭が幽鬼じみて滲んだ。
「既にソウルに呑まれておるか」ニンジャスレイヤーは言った。バッカスは前に踏み込み、素早い三連続のコンビネーションを繰り出した。「うつつは夢よ、狂え! イヤッ! イヤッ! イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは防御できず、側頭部にフックを受けてよろめいた。敵はしらふなのだ!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは連続チョップを防ぎきれず、吹き飛ばされて配管パイプに背中から叩きつけられた。
SPLASH! 水蒸気が彼の頭部に降りかかる。「ヌウーッ……!」ニンジャスレイヤーは頭を振った。バッカスの姿が薄れる!「イヤーッ!」薄れるバッカスがレッドハッグに蹴りを入れた。「グワーッ!」不可視となったバッカスにレッドハッグは更に打撃を受けた。彼女はキリモミ回転してアスファルトを転がった。「アイエエエ!」ナムサン! ヨコギが無防備だ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは自動販売機に走った。
ニンジャスレイヤーは泣き叫んで不可視の者に引きずられるヨコギ、フラフラとフラつきながらなんとか立ち上がったレッドハッグを振り返りながら、懐から財布を取り出し、素子をベンダースロットに入れた。彼は血走った目で商品ラインナップを吟味。「悪い金塊」という銘柄のサケのボタンを押した。
キャバァーン! 販売機から吐き出されたアルミ缶のプルタブを開け、得体のしれぬ安アルコールを流し込んだ。ゴクゴクと喉を鳴らしてサケを飲むうちに、ヨコギを引きずるバッカスの姿が見えて来た。「大当たりドスエ!」ストコココピロペペー! 自動販売機がマイコ音声を発した。キャバァーン!
そう、この自動販売機はスロットマシン機能がついており、数字が揃うともう一本吐き出されるのだ! ニンジャスレイヤーは「悪い金塊」を迷わず押した。キャバアーン! 吐き出されたアルミ缶のプルタブを開け、得体のしれぬ安アルコールを流し込んだ。「大当たりドスエ!」ストコココピロペペー!
サケを流し込むうち、レッドハッグがよろよろと殴り掛かる相手の姿の輪郭がはっきりし始めた。ニンジャスレイヤーは今度も迷わず「悪い金塊」を押した。キャバアーン! 素早く缶を取り出す。時間が惜しい。「イヤーッ!」チョップで缶の上部を切断し、それをゴクゴクと呑んだ。「フウーッ……!」
「アイエエエエ!」ヨコギが悲鳴を上げた。「ハアーッ……今……待っておれヨコジ=サン」ニンジャスレイヤーは左によろけ、右によろけた。「ヒック」ジュー・ジツを構えようとする。「ヒック。私、が相手だ。ディオニュソス=サン……否、バッカス=サン?」
「イヤーッ!」バッカスはクナイを投擲した。「ウ……」ニンジャスレイヤーはよろめき、上体をそらした。そこを恐るべきクナイが通過した。「ウム」ニンジャスレイヤーは頷き、一歩踏み出した。二歩。三歩。「イヤーッ!」断頭チョップが襲い来た。ニンジャスレイヤーはぐらりと身体を揺らした。
「ウム……」ニンジャスレイヤーの顔の横をチョップが通り過ぎた。「ワカル」ニンジャスレイヤーは左に、左によろめいた。「ナラク。これはつまり、ヒック」そして右によろめく。倒れ込みながら、どうにか蹴りを繰り出す。「イヤーッ!」「グワーッ!」変則的な蹴りがバッカスの鳩尾を捉える。
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは地面に手を付き、バックフリップした。着地でフラついた。彼は「電話王子様」と書かれたネオン看板にカラテを構えた。「ちょい右だね」座り込むレッドハッグが指さした。「ウム」ニンジャスレイヤーは腕を振り上げ、ぐるりと向き直った。裏拳だ。「グワーッ!」
予測しづらい裏拳を受けたバッカスはよろめく。ニンジャスレイヤーは倒れかけ、地面に手をついて転倒を免れる。そのまま強引にメイアルーア・ジ・コンパッソを繰り出す。「イヤーッ!」バッカスはブリッジでこれを回避! しかしニンジャスレイヤーは勢い余って再回転、バッカスのブリッジの上に倒れ込んで押し潰した!「グワーッ!」
「チャンスだよ! やっちまえ……ウッ」レッドハッグは腕を振り上げ、せり上がるものを押さえた。彼女の声で我に返ったニンジャスレイヤーは、己を強いて身体の下のバッカスを押さえ込み、マウントを取った。この機会逃すべからず!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
酩酊者がしらふの者にまともなカラテでかなう道理は無し。その前後不覚の境地にかえっておぼつかない勝利の手がかりを見出したニンジャスレイヤーは、思いがけずブッダの微笑みに恵まれたか、あるいはフーリンカザンの一側面か? どちらにせよ今の彼に深甚な考察は不可能だった!
「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「ハアーッ……ハアーッ……ウム……イヤーッ!」「グワーッ!」「ワカル」ニンジャスレイヤーは右腕を振り上げ、力を込めた。「……イイイイヤアアアーッ!」「グワーッ!」
ニンジャスレイヤーの拳はバッカスの超自然のメンポを破砕、煮えたぎる混沌めいた顔面を打ち砕いた。「アバーッ!」バッカスは悶絶し、エクトプラズムめいたものを幾つも吐き出した。それは行方不明の泥酔者達にまつわる何かであったかもしれない……「サヨナラ!」バッカスは爆発四散した。
「アイエエ、アイエエエ!」ヨコギは泡を吹いた。「これでオヌシが幽鬼に苛まれることは、」ニンジャスレイヤーは立ち上がり、後ろによろめいた。「ない……あるまい」「……」ヨコギは気絶していた。泥酔してなおNRSの閾値を超えたのだろう。「ウィーピピー!」レッドハッグは両手を叩いた。
「フー」ニンジャスレイヤーは壁に手をついた。「少し……休む」「大したもんだ、アンタ」レッドハッグは笑った。「さすがにアタシもこんな体験は初めてだ」「水を」「ああ、そうね、そうね」レッドハッグはニンジャスレイヤーの背中をさすった。「うん、そこの店は朝までやってる。水でも飲もう」
【エピローグ】
フジキドは鉄板のように焼けた石畳の上に放置され、苛まれていた。ジゴクの怪物が鼻息荒く頭の近くを行き来していた。その鼻息はゴウゴウとうるさく、フジキドは苦悶に頭を振った。後頭部が床を打ち、頭蓋が割れんばかりの痛みが反射してきた。フジキドは叫び声すら上げられず、ただ目を見開いた。
「……」頭の下に枕。否。誰かのスニーカーだ。横を見た。レッドハッグの死体めいた寝顔があった。頭の上の怪物の唸りが止んだ。それは掃除機の音だった。フジキドは息を止め、ガバと起き上がった。「起きたか」女の声。振り返る。エーリアスだ。「ここは」「俺のアパートだ。で、当然そこは玄関だ」
フジキドは己の身体を叩いた。トレンチコート。泥が乾き、皺だらけだ。髪に触る。ハンチング帽は無い。「あンたら」エーリアスは掃除機を片付けながら言った。「二人して無理やり入って来て、そのままそこにブッ倒れて、そのあと、テコでも動かねえ」
フジキドは反射的にレッドハッグの肩を揺すった。「フフ」レッドハッグは目を覚まさず、口元を微笑ませた。エーリアスはフジキドを見た。そして繰り返した。「俺のアパートで、そこは、玄関だな」「私は」フジキドは口を開きかけ、沈思黙考に入った。エーリアスは冷蔵庫から水のボトルを取ってきて、フジキドに差し出した。「ドーゾ」「申し訳ない」
「まあ、あンたがさ、よっぽどの事だと思うんだよ」エーリアスは憮然として言った。「何があったのかッていう話になるけどさ」「つまり」フジキドは立ち上がった。彼は泥酔者だけが接触可能なニンジャの恐るべき行いについて、断片的な記憶を修復しようと努めた。そして言った。「整理しよう」
【ザ・ドランクン・アンド・ストレイド】終わり
N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)
いつものようにバーで一人飲むレッドハッグが出くわしたのは、酩酊者が失踪する連続事件が邪悪なニンジャの仕業であると判断したフジキドだった。二人は真相を探るべくバーをハシゴする。メイン著者はブラッドレー・ボンド。
主な登場ニンジャ
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