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【ファスト・アズ・ライトニング、コールド・アズ・ウインター】

◇総合目次 ◇エピソード一覧
この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正番は、上記リンクから購入できる第3部の物理書籍/電子書籍に収録されています。また、第2部のコミカライズが現在チャンピオンRED誌上で行われています。



1

 夜を迎えたヤカタバンナ・ストリートは暖かいオレンジの明かりが滲む飲屋街。泥酔サラリマンが行き交い、道の端々では輪になってサンボンジメ・チャントが行われ、パチンコ・オイランが笑いかけ、動くニワトリやカニのメカニカル・オブジェクトがこの地の守護神像めいて厳めしい。

 向こうから歩いてくるのは、泥酔サラリマン達とは異質な、風変わりな2人組である。先導するのは、額を広く出して真っ直ぐに前髪を切り揃えたショートボブ、眉毛のかわりにイバラめかした刺青を入れた黒髪の若い女。着いてくるのは、ハンチング帽を目深に被り、トレンチコートを着た男。

「この辺なんだよ」パンク風の女は歩きながらキョロキョロと店舗を確認した。「ワニスシだったか……ワンダースシだったか……何かそんなようなさ」「うろ覚えか」「参ったなあ。この前に行ったのは昼間だったし、全然様子が違うからよ……」

 パンク風の女……エーリアスは、仲間内で笑いあうサラリマン群体を避け、交差点から路地を見渡した。そして思い出したようにトレンチコートの男、フジキドに言った。「今日の俺は本当、リッチだからな。何でも頼んでいいんだぜ。常識的な範囲で」「常識的な範囲でな」彼は頷いた。

「まあ俺も、ようやく軌道に乗ってきたって思うんだよね……あンたとナンシー=サンには、色々世話をかけちまったからさ……今日ぐらいはカッコつけさせてくれ!」エーリアスはまくし立てた。「ナンシー=サンも実際、間が悪いよな。滅多にないぜ俺の奢りは。いつ帰って来るんだ」「詳しくは知らん」

「あッソ。なあ、どこだろうな?アンタ俺より詳しいンじゃねえの?」「まさか、あれか?」フジキドが指差す先には、激しくLEDを瞬かせる悪趣味な店舗があった。ネブタめいた光を放つ竹林のタイガーが「ウェルシー・トロスシ」の看板を掲げている。「違う」とエーリアス。「でも、待ってくれ」

 エーリアスはそちらの通りを早足に歩き出した。「ウェルシー・トロスシ」からは激しいマグロトランスBGMがスピーカーで流され、合成マイコ音声で「開店一週間!世界制覇価格!今夜は貴方はダイミョ?それともシャチョー?だってオーガニックだもの!」とまくしたてている。店の外まで行列だ。

 エーリアスは巨大な光と音の洪水の発生源を呆然と見上げた。それから通りの向かいを振り返った。シャッター店舗に左右を挟まれたモデストな店構え。看板に「ワザ・スシ」とある。「……ここか」フジキドが呟いた。エーリアスは訝しげに頷いた。「なんか……今日、これ、営業してるのかな……」

 玄関先の足元に置かれた電子ボンボリは良く手入れされ、奥ゆかしくカドマツをライトアップする……のであろう。向かいにあのような店が無ければ。ためらうエーリアスを尻目に、フジキドは店のノーレンをくぐり、ガラスショウジ戸を開けた。「イラッシャイマシ」老人がカウンターからオジギした。

「ドーモ」フジキドはオジギした。店内はやや手狭だが、清潔感と奥ゆかしさがあり、壁の「ウグイス」というショドーにもゼンめいた美がある。店主の老人は、やや申し訳なさそうな、卑屈めいたオジギを繰り返した。「ドーモ。スミマセ……」「よい店ではないか」フジキドはエーリアスに言った。

 店内の客は彼らだけだ。店主は二人にチャを出した。「何になさいます」「タマゴ」「タマゴを」「アイ、アイ、タマゴ」店主は頷き、巨大な包丁でタマゴを切り分けて米に被せた。「すみませんね。こんなしみったれた店で」店主は目を伏せた。フジキドはタマゴを口にいれた。「旨いスシです」

「マグロは粉末成形とオーガニック有ります」店主は言った。エーリアスは勢い込んだ。「オーガニックだ!二人前!ダイジョブ、任せとけ」「アイ、アイ、マグロ」宝石めいた赤いマグロ肉をまな板上に置くと、巨大な包丁で切り分けて行く。そして滑らかな手つきでスシを握った。「マグロドーゾ」

「旨い」エーリアスは笑顔になった。「旨いな!店先のアトモスフィアが良かったから、前に通った時、覚えておいたんだよ」「ありがとうございます」店主は奥ゆかしくオジギした。「でも、いいんですか、向かいのあっちの店は、キャンペーンで実際安いですよ。光ってますし。皆あっちですよ」

「俺たちは本格派なんだ」エーリアスは言った。「違いがわかるのさ!この店だって実際安いじゃないか」「ありがとうございます」褒められた為か、店主はやや饒舌になった。「儲けはそんなに要らないんです。スシが好きなんです。子供の頃からね。皆にワザマエで握ったスシを食べて欲しくてね」

 店外でウェルシー・トロスシが流すマグロトランスが、ガラス戸を越えて微かに聴こえて来る。そして、キャバァーン!キャバァーン!という何らかのキャンペーン音。フジキドはチャを飲んだ。エーリアスはカウンターに肘をつき、戸口を見やって顔をしかめる。「うるせえなァ……」

「スイマセン」と店主。「アンタの謝る事じゃ無いよ。やめろよ」エーリアスは言った。「何かあの店、すげえな。いきなりあんな店がブッ建ったらさ……」「いやぁ」店主は寂しげに笑う。「時代の流れじゃないですかね」「タラバーカニを」フジキドが言った。「……アイ、アイ、タラバーカニ」

「俺はどうしようかな。グンカンかな……トビッコかな……バイオアナゴかな……」エーリアスがガラスケースを覗き込んだ。その時である。ターン!勢いよくガラス戸が引き開けられ、サイバーサングラスをかけた屈強なバイカー達がノーレンをくぐって現れた。「イラッシャ……」「タコス食いてえ!」

 バイカー達は全部で五人。ドカドカとフジキド達の後ろを通り抜け、奥のタタミザシキ席に土足で上がった。ザシキ席で靴を脱がぬのは大変なシツレイだ!「お客さん、タコスは無いんですよ、うちは、スシ…」「ダッテメッコラー!」バイカーが叫んだ「知っとるわ!コケシマート行って買って来いや!」

「何だ?」エーリアスはバイカー達を見やった。「おう姉ちゃん。サケをつげ」バイカーの頭目らしきコーンロウ・ヘアーの巨漢が手招きした。「オヤジ!ジントニック」

「ウチはスシ屋なんでね…」「じゃあ!買って!来いや!」バイカーが凄んだ。「ジン!トニック!」「ちょっとやめてくださいよ。他のお客さんに迷惑ですよ」店主はさとした。バイカーは歯をむきだした。「ア?迷惑かけてンだよ!見りゃわかるだろうがよ!」「……」フジキドはチャを飲んでいる。

「お前タフガイ気取りか?」バイカーのボスがザシキからジャンプして戻り、フジキドの肩を掴んだ。フジキドはユノミを置いた。そして問うた。「敢えて無礼をしていると言ったか?」「タフガイ、マブ!」ボスが笑った。四人も笑った。「お前面白えよ。面白え。お前スピード出すか?鎖に繋いでよ」

「痛えな!」エーリアスが叫んだ。手下バイカーが髪を掴んで引っ張ったのだ。フジキドは言った「ここでやるな。店の迷惑だ」「迷惑かけてんだッて言ってんだよ!」ボスが腕に力を込めた。フジキドは無視した。「オヌシに言ったのだ、エーリアス=サン」「わかってるよ!」とエーリアス。

「アッコラー!あれ?」ボスはフジキドの帽子を掴んで取ったが、フジキドは一瞬で帽子をスムーズに奪い返し、立ち上がって被り直していた。「おやじさんスミマセン。我々のせいで揉め事に」「……!」店主は困惑と心配と申し訳なさで緊迫し、震えていた。「外だ」フジキドはバイカー達に言った。

 ……「開店一週間!世界制覇価格!今夜は貴方はダイミョ?それともシャチョー?だってオーガニックだもの!」合成マイコ音声は相変わらずけたたましい。「ウェルシー・トロスシ」の店外行列は、トレンチコートの男を取り囲むバイカー集団というシュラバ・インシデントを、直視せぬように見守った。

「こいつはお前みたいなタフガイの血をいっぱい吸ってきたぜ」ボスはチェーンを振り回して凄んだ。エーリアスは二人のバイカーに両腕を掴まれ、人質めいて、逃げられぬようにされている。フジキドはエーリアスに言った「バイオアナゴがよかろう」「あン?」ボスが顔をしかめた。

 フジキドはジュー・ジツを構えた。「オヌシには関係の無い話だ。戻った後に食べる最初のスシネタを迷っていた」「ザッケンナコラー!」ボスがチェーンを繰り出した。「イヤーッ!」フジキドは外側へ回り込んで躱し、チェーン持つ手の甲にチョップを喰らわせた。「グワーッ!?」

 手の甲の骨が恐らく粉砕!ボスはチェーンを取り落とし、何が起こったのか考えようとした。「イヤーッ!」「グワーッ!」ボスは背中を蹴られ、うつ伏せに倒れた。フジキドは背中を踏みしめ、右腕を捻じり上げた。「グワーッ!?」フジキドは力を込めた。「グワーッ!?」「このまま壊してもよい」

「ボス!」「下が……下がれ!」ボスが部下を留めた。「無理だコレ」「マジですか?」「情けねえよ!」「うるせぇ!お前ら死にてえか!」「……離してくれねえ?」エーリアスが言った。バイカーは彼女を解放した。「降参か」「降参だ」「賢明だ。ではインタビューする」「グワーッ!?」

「オヌシ、ただのヨタモノではあるまい。迷惑をかけに来たと?誰の差し金だ」「グワーッ!」「……」フジキドは向かいのウェルシー・トロスシを一瞥した。行列客や通行人がいつしか野次馬めいて彼らを囲んでいる。「そこの店か?」「グワーッ!」「そこの店か?」「グワーッ!」ボスは泡を吹いた。

「そこの店か」「何でも全部話します……雇われ……」「何だ何だ、なんだこの営業妨害は!」マグロトランスよりも大音量の怒声が、バイカー・ボスの震えるような自白を掻き消した。フジキドはウェルシー・トロスシのノーレンをくぐって現れた怒声の主を睨んだ。スシシェフ装束の威圧的存在を。

「こんなところで乱闘騒ぎか?うちの客に迷惑がかかっているぞ」スシシェフ装束の男は鼻下を白い覆面で覆い、凶悪な眼光をギラつかせている。白い覆面は一見、衛生マスクめいているが、それは偽装である。メンポ(面頬)だ。即ち、ニンジャである!フジキドは眉根を寄せた。ニンジャの……スシ屋!


2

 フジキドは無雑作にバイカー・ボスを解放し、このスシシェフに向かい合う。不可視の稲妻めいて、二者の敵意が衝突した。バイカー・ボスは部下に抱えられるようにしてチョッパーバイクに跨り、這々の体で退散した。スシシェフが手の平に隠し持ったスリケンを懐に戻すのをフジキドは見逃さなかった。

「フン」スシシェフのニンジャは走り去るバイクを冷たく見やった。あれ以上に自白を続けようとすれば、バイカー・ボスは口封じに放たれるスリケンで命を奪われた事だろう!「……ドーモ。メイヴェンです」スシシェフのニンジャはフジキドにアイサツした。互いをニンジャ存在と認識しての行動である。

 いまや大勢の群衆がこの立会いを見守っている。「……ドーモ。イチロー・モリタです」フジキドはアイサツを返した。エーリアスが進み出た。「エーリアス・ディクタスです」「フン!」メイヴェンはより強く鼻で笑った。「偽名に、偽名か。胡乱のきわみ!」だが、メイヴェンからそれ以上の追求は無い。

 仮にこの場で即座にニンジャ同士が互いに殺意を隠さず、カラテ戦闘を開始すれば、群衆は重篤な急性ニンジャ・リアリティ・ショックをまず間違いなく引き起こす。失禁、気絶、最悪死ぬ。これ以上の混乱はこのメイヴェンにとっても本意でないと見えた。

「社長!シャッチョ=サン?どうなさったんで?」ウェルシー・トロスシの中からサラリマンが現れ、メイヴェンとフジキドらを交互に見た。「店外で騒ぎだ、支店長。原因は向かいの店だ」「嫌ですねェー!営業妨害ですか?この期に及んで!」出っ歯支店長はセンスをパタパタと扇いだ。「ヨタモノ!」

「そりゃねえだろ!」エーリアスが人差し指を突きつけた。「こっちが平和にスシを食ってたら、今の連中が因縁つけてきたんだ!」「知りませんよそんな事は!」支店長は突っぱねた。「それはそっちの都合でしょッ!ダラダラ口答えするならマッポを呼びます!全く……おやおや」支店長が目を細めた。

「ご本人の!お出ましだ!」支店長は唾棄めいて呟いた。フジキド達は振り返った。ワザ・スシの戸を引き開け、中から老店主が出て来た。「アンタ達。ちょっとやめないか」「やめてもらいたいのはこっちですよ」支店長が声を荒げた。「アンタのその営業妨害的な店舗経営をね!しばしば迷惑だ」

「……」老店主はやや俯いた。支店長はセンスを威嚇的に開いたり閉じたりした。「ウチはね!実際安い反面、高級でオイシイなの!開店セールなの!今週いっぱい社長みずからスシを握ってるの!ウチが何店舗あると思ってるんです?その社長が直々に握る!事件ですよ?それをねぇ……」「店は畳まんぞ」

「あン?」「店は畳まん。もう沢山だ。腹が決まった」老店主は顔を上げた。老いた目には闘志の炎が燃えていた。「正直、これも時代の流れかと思うとったが……貴様らの有形無形の嫌がらせ!そんなものを理由に引退なぞ、まっぴらごめんだ!ここで引き下がるくらいなら、戦って死んでくれるわ!」

 インガオホー!「アイエ!」支店長は後ずさった。群衆が互いに言葉を交わす「何?どうなってるの?」「争いじゃない?」「あっちもスシ屋なワケ?」「……」メイヴェンは腕を組み、老店主を睨み据えた。惰弱な精神の持ち主であれば心折れ、失禁したであろう。だが老店主の闘志はもはや強固である。

「貴様の経営など、どう転んでも半年保たん」メイヴェンは言った。「言っておくが我がウェルシー・トロスシをドンブリ・ポンのような安かろう悪かろうと混同しておるようなら、甘い。甘過ぎる。流通、技術、経営、圧倒的物量で叩き潰すだけだ」「フン!圧倒的物量とはさっきのヨタモノかね!」

 フジキドは老店主を見やった。……彼のニンジャ洞察力は、老店主の勢いの後ろに隠された、ある種の絶望、負けイクサの予感を、残酷にも読み取らざるを得なかった。彼は状況判断した。メイヴェンによる「有形無形の嫌がらせ」は、単なるタイムイズマネー、より低コストな解決を狙っただけであろう。

 闇雲に抵抗する事が、果たしてこの老店主の本当の利益になるのだろうか?だが、賽は投げられた。今更老店主は引き下がりもすまい。怒りと誇りが老店主を動かしている。その末路は……フジキドの脳裏に蘇ったのは、ゼンダという男が刑務所で語った身の上……その結末。彼が手にかけたニンジャ。

「たいした自信だ。メイヴェン=サン」フジキドは口を挟んだ。メイヴェンは目を細めた「自信?否。単なる事実」彼は腕組みしたまま答えた「冷徹な事実。オーバーウェルミングな超優良企業たる我が社が、泥縄経営の個人店に淡々と突きつける無味乾燥の事実に過ぎない」「ならば断らんな」「何?」

 フジキドは老店主を見た。「やりあうならば、これ以外に無し」「あんた」老店主は逡巡し、やがて頷いた。フジキドは群衆を見渡す。そしてメイヴェンを見た。「ワザ・スシはウェルシー・トロスシにスシ勝負を申し込む。当然断わらぬ筈!」「何だと」メイヴェンの声を、群衆のどよめきがかき消した。

「何を馬鹿な。我が社に何のメリットも無い」「皆!スシ勝負だぜ!」エーリアスが空気を読み、群衆を煽り立てた。「勝負だとよ!」「こいつはイベントめいてるぜ!」「俺たちもスシが食えるかな?」「いつやるんだ?」人々が思いがけぬ突発的出来事に沸いた。彼らは日常の閉塞に倦んでいるのだ!

「確かにオヌシには一片のメリットも無い」フジキドはメイヴェンの敵意に満ちた視線を真っ向受け止めた。「だが、これだけの衆人環視下!味をウリにしたスシ・チェーンが泥縄経営の個人店の挑戦をおめおめ断れば、デメリットは大きかろう」「貴様ァー!」「アーッ!」支店長が殺気にあてられ失禁!

「ワオオーッ!」群衆は既に異常興奮し、口々に叫びあっている。メイヴェンはへたり込む出っ歯支店長の肩に手を置いた。「軒先を汚したゆえ、貴様は一時間後にセプクだ」「アイエエエエ!」そしてメイヴェンはフジキドに近づき、言った。「名を名乗れ。まことの名を」「……ニンジャスレイヤー」

「では、貴様がネオサイタマの死神か」メイヴェンの眉が微かに動いた。「キョートで死んだとも、アマクダリ・セクトに仕留められたとも聞いておったが。噂とはアテにならんものよ」「そうだな」「いまさら貴様の居場所など、もはやこの街には無し。私が引導を渡してくれよう。恥辱のうちに死ね」

 フジキドは群衆にも聴こえる声で言った。「誓え。スシ勝負に我らが勝てば店舗を撤退し、このストリートに、以降、出店せぬと」「よかろう。負ける事など100%有り得ぬ。我らが勝てばワザ・スシの土地店舗は無償で頂く」「ワオオーッ!」群衆が叫んだ。「勝負は二週間後!この通りで行う」

「ヤッター!」群衆が和した。メイヴェンはフジキドに囁いた「当然、負ければ貴様に命は無い。貴様を担保できるのは貴様の命だけだ。それだけの覚悟はあろうな」「よかろう!」フジキドは……ニンジャスレイヤーは即答した。

 

◆◆◆

 

「アバーッ!」支店長は手渡されたドスで己の腹を切り裂き、うつ伏せに倒れ伏す。「アバ、カカッ……」「イヤーッ!」痙攣する支店長の後頭部にメイヴェンの容赦なき踵落としが振り下ろされた。カイシャク!取り囲む白装束のイタマエ社員達は社長の決断に感動し涙する。彼らの自我は研修済なのだ。

「フー」メイヴェンは一仕事終え、軽く息を吐く。ダストボックスの隣の冷却ボックスを指差した。「カンオケに入れておけ」「ハイ!」イタマエ社員が一斉に叫んだ。メイヴェンは邪悪なニンジャであり、己のメンツを傷つけた無能者の殺害に何の躊躇いもない。洗浄ルームを通り抜け、厨房に入る。

「社長!よろしくお願い致します!」厨房内のイタマエ社員が一斉にオジギした。「スピードだ。スピードで忠義を示せ。スピードだぞ」「ハイ!」「知っての通り支店長はセプクした。貴様らの中から次の支店長を選ぶ可能性も十分ある。その者は給与が二倍になる」「ありがとうございます!」

 メイヴェンは様々なオーガニック魚が水槽内を泳ぎ回る厨房を通り抜け、カウンターに立った。「宜しくお願い致します!」「ハイヨロコンデー!」氷でできたまな板の上にマグロ肉が投げ出された。オーガニックだが安定供給され実際安い。秘密裏に養殖されたマグロだ!

「エーラッシェー!」メイヴェンは神秘的な言葉を口にした。実はこの単語はニンジャスラングに近いパワーワード。平安時代のスシ儀式に用いられた秘密の言葉だ。カウンター客は喜びと期待に目を輝かせる。包丁を持つメイヴェンの腕が霞んだ。ハヤイ!赤いマグロ肉は一瞬で適切にスライスされた。

 メイヴェンは釜にシャモジを繰り出し、凄まじい勢いでコメを空中に跳ね上げてゆく。それぞれが適切なスシ一個分の米量だ。カウンター客がどよめいた。「魔法だ!」誰かが叫んだ。実際魔法めいたワザマエだ!メイヴェンはジャグラーめいて腕を動かし、降ってくるコメで次々にマグロスシを握る!

「ヘイオマチ!」「次はオーガニック・アナゴ宜しくお願い致します!」イタマエ社員がオジギし、ヘビめいた生物を差し出す。ナ……ナムサン、オーガニック・アナゴだと!?アナゴはマッポーの世においてもはや漁獲できず、バイオアナゴに取ってかわられた筈。しかしこれは紛れもなく真のアナゴ!

「イヤーッ!」のたうつアナゴの頭部めがけ、メイヴェンは巨大な針を叩き込んだ。アナゴの頭部が串刺しだ!さらにメイヴェンは包丁を滑らせてこれをヒラキすると、串を打ち込み、ハケでタレを塗りつけた。ハヤイ!そして滑らかだ!「グリル!」「有難うございます!」社員が受け取り、グリルへ!

「ワオオーッ!」客が沸いた。もはやこれは劇場だ!メイヴェンはカウンターを見渡す。(((光!音!パフォーマンス!絶やさぬ刺激!食とはプロパガンダであり、洗脳だ。この場に居る連中は、もはや口を開けて餌を待つばかりの養殖動物よ!)))

 キャバァーン!座敷席からキャンペーン音!メイヴェンは指差した。「おめでとうごさいます!貴方は今日のお会計が無料だ!」「アバーッ!」驚愕のあまり客は仰け反った。「ワオーッ!」「社長」社員が耳打ちした。「コミノ=サンという方から連絡が」メイヴェンは頷いた。「暫く貴様らでまわせ」

 メイヴェンは一礼して退出し、事務所へ戻った。当然、メイヴェンの恐るべきワザマエに比するスシシェフなどこの場に存在しない。だが、十分だ。一度彼のパワーワードと扇動的ワザマエを体験すれば、後はアトモスフィアを食っているようなものなのだ。そして食材はオーガニックであり、実際安い。

 然り。問題は何も無い。客は喜び、チェーンは拡大し、弱小店舗は併呑される。従業員は研修によって自我を亡失し、メイヴェンに絶対忠誠。低賃金で喜んで長時間労働する。マシーンよりも低コストだ。これにより更に安さを確保し、他店に圧力をかける。

 大量発注による低コスト化。ビッグバジェットはパワー。中小スシ屋では決して真似が出来ない芸当だ。しかもスシネタはオーガニックときている。質!安さ!王道的勝利への進軍だ。「ドーモ。コミノ=サン。メイヴェンです」彼は扉を閉め、通信機に囁いた。「……ああ。その通り。ネズミは消した」

「……そうだ。一切問題無し。貴社においても、より一層警戒を怠らぬよう。……私が例のプラントの不祥事を知らんとでも?なに、独り言よ。互いに節度を守り、ウィンウィン関係でいたいものだ。それだけだ……オタッシャデー」

 通信を終え、メイヴェンは「社長」と金捺しされた重箱を見やった。彼は無雑作に重箱を開けた。オーガニック・トロマグロやオーガニック・アナゴを初めとする最高級スシセットだ。「フン」メイヴェンは鼻を鳴らし、トロやアナゴを避けて、イカスシやトビッコを口にした。そして蓋を閉めた。


「勝手な真似をした」フジキドは詫びた。「だがこれしか無かった。戦うのなら」「そうです」老店主は頷いた。「いや、有難かったですよ。うまくやってくれて。どのみちこの店はこのままじゃ抵当に取られちまうんです。でも……これで、スシ勝負だ。晴れ舞台です。俺のスシ人生の締めくくりですよ」

 エーリアスはバイオアナゴ・スシを飲み込み、チャを飲んだ。「アンタさ……」フジキドを見た。フジキドはスシを食べている。老店主に聴こえぬよう、囁いた。「アンタ、セプクを賭けるなんて……何考えてんだ」「そのくらいせねば、敵も乗って来るまい」「負けたらどうすンだよ」「……死ぬ」

「……」「おやじさんのワザマエを信じている」フジキドは低く言った。「とても、旨いスシだ」「……」エーリアスは眉根を寄せた。「相手はニンジャだぜ……」フジキドはチャを飲んだ。「なあ」エーリアスは肩を掴んだ。「何考えてる?」「……」「死に急いでるのか?」


3

 ……翌日!

「定休日」とショドーされたシャッターの内側で、ワザ・スシの老店主アキモトと、ニンジャスレイヤー、エーリアスは、カウンターを挟んで向かい合っていた。昨晩は店と客の関係であったが、今日からはいわば、陣営を同じくするセンシだ。「あんたたちまで巻きこんじまって」とアキモト。

「むしろ巻き込んだのは私かも知れん」ニンジャスレイヤーは言った。セプクの件はアキモトに伝えていない。「いえ、勝負、本当にありがたいですよ」アキモトは繰り返した。エーリアスは言った。「とにかく、乗り掛かった船だよ。人手として使ってくれていいぜ。スシの試食とか……」

「ウェルシー・トロスシ」ニンジャスレイヤーは言った「凄まじい速度で店舗を増やしている企業だ。出店方法はどこも似通っている。もともとスシ店が営業している場所に新規開店し、社長自らが握るスシと実際安いセールで、地域の客を全て奪い、店舗経営を軌道に乗せる。そして次に行く。効率的だ」

 ニンジャスレイヤーは昨晩のうちに一通り情報収集してある。更に彼は伝えた。「先に言っておく。あの社長はニンジャだ。そして、私と、このエーリアスもだ」彼は敢えて明かした。今後、何かの拍子で心の備え無しにニンジャ存在の力を目の当たりにすれば、重篤なショックに繋がりかねないからだ。

「ニンジャ……噂には聞いた事がある」アキモトは唾を飲んだ。「確かにあのメイヴェン=サンは只者じゃ無かった。言われれば、よくわかる。まさか俺のスシ屋がニンジャに狙われるとは」「今迄あまり見た事のないケースだ」ニンジャスレイヤーは言った。「表社会にああも堂々と現れるというのは」

「あいつ、曲がりなりにも表社会のルールに則ってやってる以上、こっちから無茶を仕掛けるわけにはいかねえぞ」エーリアスは言った。ニンジャスレイヤーは頷いた「それはアキモト=サンにとっての利点でもある。尻尾を出せば社会敵。それを避ける筈。例えばアキモト=サンを直接殺しに来る事は無い」

「で、スシ勝負か」エーリアスがカウンターに肘をついた。「毎週日曜夜の『スシ土俵』は結構好きな番組だったけどさ」……敵陣営とのルール確認は、IRC上で既に済ませてある。審査員は四人。さらに、イベント性を高める為、観衆の試食と多数決の結果を、五人目の審査員として扱う。

「うん、似てるよ『スシ土俵』と」「キョートの番組の事は知らんが、とにかくそういう事だ」「審査員ってのがな。心配だぜ。買収されるだろ」「それぞれの陣営から二人ずつ推薦する」ニンジャスレイヤーは言った。アキモトは頷いた「世話になった人らがいる。彼らに裏切られるなら、俺もそれまでよ」

 勝負は3ラウンド制。タマゴ、マグロ、そしてフリースタイルだ。「全力でやりますよ。オマチ」アキモトがタマゴとオーガニック・マグロを素早く握り、二人に差し出した。「役得だぜ!」エーリアスは笑い、素早く食べた。「俺はさ、キョートでも結構食べ歩いてるんだ。『水晶のシカ』知ってる?」

「あそこのイカはたいへん旨いと聞いてますよ」「その通り!でも、そんな俺が言うんだが、お世辞じゃないぜ、アンタのスシは本当に旨い」エーリアスは言った。ニンジャスレイヤーも頷いた。「勝算のないイクサを仕掛けたつもりは無いのだ。アキモト=サン」「へへ、参ったな」老店主は苦笑した。

 ……スシ勝負の噂が効いたか、その後、ワザ・スシにも客足が戻ってきた。エーリアスは厨房に立ち、アキモトの手伝いをした。スシ勝負では大量のネタとコメを捌く必要に迫られる。アシスタントが必要だ。その訓練である。ニンジャスレイヤーは暗殺者への備えだ。バレぬなら、奴等は躊躇せぬだろう。

 早朝の鮮魚市場にもニンジャスレイヤーは同行した。既に彼は数度、アキモトに向けられた殺意を察知していた。ニンジャスレイヤーの護衛は適切であり、襲撃者は足がつく事を恐れてか、実際の攻撃に踏み込む事は無かった。

 三本目のフリースタイルに何を出すか。メイヴェンが間違いなく繰り出してくるオーガニック・アナゴにどう対抗するか。彼らは議論を繰り返した。このままスシ勝負当日を迎える事ができるであろうという彼らの思いは、決して油断やウカツでは無かった筈だ。だが、運命は良くない方に転がった。

「……お客さんスミマセン、うちは11時で終わりなんです、閉めちまってまして」謝りながらノーレンを見やったアキモトが凍りついた。「……!」ニンジャスレイヤーが素早く来訪者とアキモトの対角線上に割り込んだ。「営業時間外だ、お客様」「安心せよ。食いに来た訳ではない」メイヴェン!

「ドーモ。メイヴェンです」「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」二者は額同士が当たる程の近距離で互いに睨み合い、アイサツした。どちらも決して視線を逸らそうとしない。「今宵はひとつ忠告をしに参った」メイヴェンは言った。

「外だ」ニンジャスレイヤーは睨みつけたまま言った。「なに、害意は無い。安心するがいい」「……」ニンジャスレイヤーは睨みつけたまま無言である。メイヴェンは肩を揺すって鼻で笑った。二人のニンジャは路上に出た。

「申してみよ」とニンジャスレイヤー。メイヴェンは言った。「貴様らは決して勝つ事はできん。スシネタ。コメ。ショーユの一滴たりとも、満足に調達できぬであろう。あの老いぼれに伝えよ。今ならビジネスの話ができるとな。無駄に屈辱と借金を積み増すだけだぞ」「なるほど白旗を上げにきたか」

 ニンジャスレイヤーは剣呑に言った。「オヌシが泣こうが喚こうが、衆人環視下で全てのケリがつく。我々は覚悟を決めた。オヌシも決めよ」「貴様はセプクし、あの老いぼれは路頭に迷う」メイヴェンは言った。「アッパレな覚悟よ」「ならば黙って、オヌシが勝つと信じきるその日を待て」

「私はいつでもIRC連絡を待っておるぞ、ニンジャスレイヤー=サン」メイヴェンは言った。「貴様の自暴自棄のイクサに老いぼれを巻き込んではおらぬか?どの選択が貴様らにとって一番の利益となるか、今一度、ようく考えるがいい」「……」二分間睨み合った後、メイヴェンは踵を返した。

 ……「……やられた」店内へ戻るなり、ニンジャスレイヤーはカウンターに手をつき、言った。「どうなさった」とアキモト。「スシネタの在庫は?」「冷凍は少し残ってますが……勿論、当日もちゃんとしたモノを」「あの物言い。恐らく鮮魚市場を掌握された。甘く見ていたと言う他ない」「掌握!?」

「無茶だろ、そりゃ幾らなんでも!」エーリアスが椅子から立ち上がった。「魚を買い占めるってのか?ハッタリだ!出来るわけがねえよ」「当然そう考える」ニンジャスレイヤーは言った。「だが、奴がこうしてわざわざ言いに来たという事は、そういう事なのだ。接した時間は短いが、よくわかる」

 ワザ・スシの店内を、重苦しい沈黙が包んだ。……数時間後、メイヴェンの宣告は早速、正しく裏付けられる事となった。早朝の鮮魚市場で、アキモト達は呆然と立ち尽くしていた。

 マグロが無い!無いのだ!彼らは市場を虱潰しにした。業者は皆、済まなそうに首を振り、肩を竦めるばかり。「何なんだ、これは……」「実際ビッグディールだね」業者の一人は声を潜めた。「1.3倍でまとめて買い上げ。申し訳ないが、俺らも苦しい。願ってもない話さ。もうマグロどこにも無いね」

「マグロ・ラウンドを落とすしか無いか」エーリアスは言った。「キツイな。だがまだ2ラウンド……」「タマゴもだ」アキモトはIRC通話機を切り、顔面蒼白となって呟いた。「タマゴも買い占められた」「アア!?じゃあネオサイタマ中のスーパーを当たっ……」「スーパーに鶏卵の扱いなど無い」

 ナムサン!粉末成形のネタやトビッコ、ある種のバイオスシネタはともかく、オーガニック・スシのネタは常に希少で、市場規模も小さい。そこをピンポイントで突かれた格好だ。小規模市場といえど、あまりにも大胆な行いだ。高額買い取りの陰には業者へのムラハチ圧力も見え隠れする!

 なんたる完全勝利の為にはなりふり構わぬメイヴェンの十重二十重の事前計略か!彼を勝利に駆り立てるのは何か?誇り?意地?経営戦略?確かにスシ勝負に敗れれば、株価を始めとして、経営への悪影響は庶民の想像以上であろう!モータードリヴンなマッポー経営者の決意がアキモトに牙を剥いたのだ!

 何ひとつ得るものなし!三者はさすがに打ちひしがれて市場を後にした。「アキモト=サン」ニンジャスレイヤーは苦しげに言った。「メイヴェン=サンは今一度、ビジネスとしての買収話をする用意があると……」「お黙りなさい」アキモトは言った。そして笑った。「賽は投げられた。そうでしょう」

 ニンジャスレイヤーは言った。「条件を受け入れ、私がセプクすれば、貴方は少なくとも穏やかに引退を……」「黙ンなさい!」アキモトは繰り返した。「冷凍でも何でも、やってやるとも。俺のスシ人生の締めくくりにしてやるってんですよ!」

「バッカヤロー!」「グワーッ!」エーリアスが怒声とともに飛び上がり、ニンジャスレイヤーにジャンプパンチを喰らわせた。「目ェ覚ましやがれ!死にてェだけかよ!ザッケンナコラー!」ニンジャスレイヤーはよろめいた。「シマッテコーゼ!」アキモトが目を見開き、叫んだ!

「……」ニンジャスレイヤーはアスファルトに落ちた己のハンチング帽を拾い上げた。そして詫びた。「すまぬ。情けない事を言った。覚悟が足りなかったのは私だ」「そうだぜ!おっかねえナラクの奴に笑われるぞ!」「さもありなん」彼はハンチング帽を目深に被り直した。「やれる事をやろう」

 ニンジャスレイヤーはIRC通信機を取り出した。「店の冷凍マグロは最後の手段だ。まだ24時間以上ある」「ナンシー=サンか?」「彼女は連絡の取れる場所にはいない」「どうする……」「駄目でもともとだが、彼にも訊いてみるとしよう。専門は死体だが、何か掴めるかも知れん」「死体?」

 コールはすぐに繋がった。「ドーモ。ニンジャスレイヤーです。早朝に、すまぬが」『ああ、平気だぜ……これからジョギングだ……嘘だけどな……そっちこそ、どうした。心境の変化かい……』「オーガニック・マグロが必要だ」ニンジャスレイヤーは切り出した。「明日までに。市場のどこにも無い」

 数秒の沈黙。やがてバリトン・ボイスが答えた。『……ッて事はだ。遺跡の発掘だな』彼はニンジャスレイヤーの問いを繰り返したりはしない。プロフェッショナルらしく事情を推察し、答えるのだ。「遺跡」『二度、引き揚げをやった事がある……タフなビズだ。見つかるかどうかも保証できないがね』

「その遺跡とやらに、オーガニック・マグロが……あるというのか」『オーガニックもオーガニック……電子戦争以前のマグロが、大規模ハイ・テック・チルドシステムで冷凍されている』「冷凍か」『いや、そこらの冷凍庫と一緒にしちゃいけない……凍らせ方が重要なんだぜ……冷凍モノはな……』

 運び屋は一呼吸置いて続けた『あの場所は俺の分野に近い。あンたがこの件、俺に訊いて来たのは実際アタリだ。いや、ハズレかもな……他の選択肢は十分検討したかい……』「望みは少ない」『だろうな。いいか、危険だぜ。凄く、凄く危険だ』「危険は構わん」『だろうな。ニンジャスレイヤー=サン』

 ニンジャスレイヤーは通話を終了し、二人を見た。「アキモト=サン。しばし護衛を離れねばならん。エーリアス=サン。彼を頼む」「アテが出来たのか!」エーリアスは勢い込んだ。「誰だ?」「武装霊柩車ドライバー、運び屋のデッドムーン=サンだ」「運び屋?持って来てくれるのか」「いや。行く」

 グララララ!会話に応えるかのように、クロームシルバーの武装霊柩車が朝の空気を爆音で切り裂き、ドリフトしながら交差点を曲がってニンジャスレイヤー達のもとへ走り込んで来た。エーリアスとアキモトは仰天した。武装霊柩車は滑らかに停止。運転席のウインドウが開く「居場所が近かったんでね」

 鏡面加工クロームシルバーの車体は瓦屋根シュラインを背負い、ウインドウから身を乗り出したのは、白色脱色した逆モヒカン・ヘアーの男。サイバーサングラスを外すと、謎めいた左目の義眼が光った。彼こそは武装霊柩車ネズミハヤイDIIIのオーナー、ミフネ・ヒトリ。通称デッドムーン。

「通話しながら来たぜ……善は急げ、乗りなよ」デッドムーンは助手席を親指で示した。「この件、俺からの請求は実際高くつくから、頑張って稼いだ方がいいと思うね」他人事のように言った。「よかろう」ニンジャスレイヤーは助手席ドアを開けた。「行き先は」「ツキジ・ダンジョン」

 KBAM!ロケットエンジンを点火し、ニンジャスレイヤーをピックアップしたネズミハヤイはあっという間に走り去った。「……」エーリアスとアキモトは視線をかわし、何か話そうとした。そこへ、まるで狙い澄ましたように、巨大トレーラーが二人めがけて、真っ直ぐに突っ込んできた。


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「何だって……?」エーリアスは迫り来る鉄塊を呆然と見つめた。ニンジャアドレナリンがニューロンを加速させ、時間が鈍化した。黒くスモークシールドされたフロントガラス越しに、運転者の姿が見えた。クローンヤクザだ。無表情にハンドルを操作し、こちらへ向かってくる。アキモトが悲鳴を上げる。

 クローンヤクザのニューロン構造は同一だ。かつてのエーリアスであれば、この距離から運転者のニューロンをジャックし、どうにかする事ができたかもしれない。だが今は無理だ。接触が必要だ。キョート城からの脱出以来、彼女のジツは変質し……いや、どちらにせよ車は急に止まれはしない……。

 鮮魚市場前の交差点、幸いというべきか、他に人通りは無い。エーリアスはアキモトを抱え、横に跳んで避けようとした。「イヤーッ!」「アイエエエエ!」運転ヤクザは無慈悲にもハンドルをさらに切り軌道修正!殺す為に!トレーラーが迫る!ナムアミダブツ!エーリアスは取るべき手段を求める!無い!

 ……エーリアスは起き上がった。言葉を失う。トレーラーは大きく逸れ、「ローン一発換金」と書かれた看板の柱に頭から突っ込んで停止していた。黒いタイヤ痕がトレーラーの突然の蛇行を示す。フロントガラスを突き破り、クローンヤクザが飛び出して死んでいる。タイヤ周辺が炎上している。なぜ?

「……」エーリアスは己の掌を見つめた。「起きたのか」応えは無い。「……有難うよ」頭を振り、立ち上がった。すぐ側にアキモトが倒れている。呼吸と脈を確かめる。大丈夫だ。「う……」老人が呻いた。エーリアスは息を呑んだ。右腕があらぬ方向に捻じ曲がっている。転倒時に折れたのか。

「嬢ちゃん」エーリアスの腕の中、アキモトが何か言おうとした。エーリアスは歯を食い縛った。右腕がこんな状態では、スシは握れない。火を見るより明らかだ。「ああ。痛えな。畜生痛えな」アキモトは呟いた。「痛えな……」「こんなのって無いぞ」エーリアスは声を絞り出した。「ふざけるなよ……」

「ザマァねえなァ」アキモトは無感情に繰り返した。「ザマァねえやなァ……」ドウ!トレーラーのエンジンに引火し、爆発炎上した。マッポのサイレン音が近づいて来る。「……まだ絶対終わっちゃいねえ」エーリアスは怒りに声を震わせた。「あン?」老人は怪訝な顔をした。「何だ。何を考えてる」

「とにかくまずアンタの腕だ。病院行こうぜ。それでさ、そしたらさ……」エーリアスは決然と言った。「教えてください。スシ、教えてください」「何だと」「俺がやる。俺がワザ・スシのスシを握る!」「何だと!お前……」「俺がやる!」エーリアスはほとんど叫んでいた。「そンで、絶対勝つ!」

「馬鹿野郎、勝負は明日だぞ」アキモトは声を荒げた。「スシってのはなあ!そんな一朝一夕になァ!」「絶対戦う!そうだろ!」「……」アキモトは目を細めた。やがて頷いた。「そうだ。戦う」「インストラクションをくれ」エーリアスは言った。「アンタのようには出来ないだろうが、俺はニンジャだ」

 

◆◆◆

 

 ゴンゴンゴンゴンゴン!ガンガンガンガンガン!ゴンゴンゴンゴンゴン!ガンガンガンガンガン!激しいインダストリアルノイズ環境音が、快適に密閉された武装霊柩車ネズミハヤイDIIIの車内にまで侵食してきて、冷たいダークエレクトロ・ポップBGMを乱す。……ツキジ!

 ネズミハヤイはツキジの外周部、イタマエ・ドージョーやシーフード・レストランが建ち並ぶ区画を走り抜け、漁港とマグロ加工施設が一体化したイナーエリアに入り込もうとしている。殺人マグロや毒マグロ、危険なクラゲ類などに対するにはハイ・テックとスキルが必須であり、素人を遠ざけている。

 こうした気づかいは興味本位の憶測を呼び、スラッシャームービーめいた無責任な言説やメタファーが罷り通る原因となっている。確かにツキジ内道路の両脇にひしめく倉庫はいかにもサツバツとしたアトモスフィアであり、マグロマシーン、マグロミキサーの機械音も、かような凄まじさなのだ。

 曇天には地上からのサーチライトが投げかけられ、倉庫群の奥には貪婪なネオンを輝かせるオイラン砦の数々。無機質なコンクリートの住宅群。ネオサイタマの食の玄関たるこの区画は、一個のアーコロジーですらある。「だがなニンジャスレイヤー=サン。ダンジョンってのはな」デッドムーンが言った。

「ツキジ・ダンジョンってのは……お伽話より余程ひどい場所だ。ツキジとツキジ・ダンジョンは別物……一緒にしちゃいけない。俺の言う事、わかるかい……」「……」「ニンジャの領域だ」デッドムーンは言った。「ニンジャと、ズンビーと、商人と、奴隷が暮らしてる……本当だぜ……笑えるだろ」

 ある時、ある団体が、ツキジの一部を突然に買い上げた。団体はその敷地内へ複数の業者を入れ、謎めいた掘削作業を行っているようであった。やがて防壁が区画を囲い、作業は外部から確認できなくなった。受注業者は断片化され、全貌を知る者は無い。会社ごと行方が知れなくなった業者の噂も流れた。

「……いつしかその地下には、どでかい居住区が作られておりましたとさ」「詳しいな」とニンジャスレイヤー。「ああ、詳しいぜ」デッドムーンは淡々と言った。「馬鹿げた地底王国の主の名前はリー・アラキ。アンタも何度か世話になった筈……それから、俺の親父の仇だな」

 倉庫群を奥に切り込み、雑多で用途不明の建物群や処理施設を横目に、何度か道を曲がってゆくと、彼らの前方、唐突に「防壁」の一部が姿を現した。「ダンジョンは廃棄された地下施設を利用してる。奴等自身も把握しきれていないと思うね……そこに、マグロが眠る冷蔵施設もあるッてわけさ」

 ネズミハヤイは防壁に沿ってしばし進み、不意に細い路地へ入った。錆びたガレージから編笠を被った皺くちゃの男が出てきた。「時間貸しよ」手振りで値段を示す。デッドムーンはニンジャスレイヤーを見る。当然、この秘密駐車業者へ支払うカネも必要経費である。ニンジャスレイヤーは頷いた。

「別にアンタをリー先生に今からけしかけようッて訳じゃ無い」ネズミハヤイを降りた二者は、再び防壁に沿い、しめやかに進む。「実際、発掘マグロはダンジョンが作られる以前から、ごく稀に発見されては、持ち出され、高額で取引されてきた。やがてリー先生が施設自体に目をつけた……」

 再び彼らは防壁を離れ、別の路地裏へ入る。デッドムーンは路地を曲がった先のマンホールに屈み込むと、周囲を確かめ、ニンジャスレイヤーを促した。ニンジャスレイヤーはニンジャ腕力を発揮。片手で分厚く重い鉄蓋を持ち上げた。「やるもんだな」デッドムーンが梯子を降りる。「ついて来な……」

 深い闇への降下。じめついた細い竪穴。「ここは秘密の侵入路、その3」デッドムーンが囁く。彼らは下水道の側道に降り、少し歩いた。やがて突き当たった錆びついた格子をデッドムーンは枠ごと外し、ニンジャスレイヤーを振り返る。「ドーゾ。行列無し・手荷物検査無しのVIP待遇だ……」

 マグライトが照らす冒涜的アトモスフィアのトンネルを進みながら、デッドムーンは思い出したように小型の機械を手渡す。小さな液晶パネルと、ダイヤル状のインターフェイス。「アリアドネの糸だ。互いの位置を掴み、道程を記録する。はぐれたらマグロの仲間入りだぜ」「成る程」

「アリアドネと言えば、以前、ダイダロスというニンジャがいた。死んだようだが」ニンジャスレイヤーは珍しく無駄話を切り出した。デッドムーンは歩きながら肩を竦めた「実際、このダイダロスには、しっかりミノタウロスもいるってわけさ……それもウジャウジャとな……」(訳註:ギリシア神話)

「それはゾンビーか」「ゾンビーで、ニンジャだな」とデッドムーン。「深淵におわしますリー先生は、徘徊する野生化ゾンビーニンジャなぞ、お構いなし……上層の住人は自己責任で暮らしてる。ナリコが鳴れば、シャッターを降ろして息を潜め、行き過ぎるのを待つ」「住人か」「そう……生活」

 トンネルを抜け、スロープを下ると、前方に明滅する蛍光ボンボリの明かり。膝を抱えて座る痩せこけた男が二人を見上げる。ニンジャスレイヤーは警戒したが、デッドムーンは首を振った「生活さ……」「リー先生への通報の……」「そういう好奇心を摩滅させた連中なんだ」どろりと濁った瞳。

 ネオン看板。通気パイプ。廃モールのシャッター街を思わせる……だが、それよりも余程ゴタついて圧縮された猥雑な通路が彼らを出迎えた。デッドムーンは身振りで進行方向を示し、進む。右手にはオートマチック拳銃。「ゾンビーが出たら頼むぜ……今の俺は無力な市民なんでな」「了解した」

 デッドムーンは小型端末を参照した。水色のバックライトが彼の顔をゴーストめいて照らす。「最近行き倒れの回収をしたエリアへのルート……マグロチェンバー区画に隣接してる。その時は余分なモノを回収する余力が無かったんだが、恐らく手付かず……あれから手が入ってなけりゃ、イケるかもだ」

「……ダンゴ」嗄れ声。朽ち潰れた壁に見えた場所が実際シャッターであり、スルスルとめくれ上がった。奥から骸骨めいた老人が身を乗り出した。「ダンゴ。実際安いけど」「また今度な」デッドムーンは手を振った。ニンジャスレイヤーもそれを横目に、後に続く。遠くで水の流れる音。

 再びの下り斜面。壁には色褪せた「質屋すぐに」のミンチョ文字。「リー先生はいつ、こんな場所を?」「そう昔じゃない」デッドムーンは答えた。「人間は綺麗な場所を汚くするのが得意だよな……」斜面を下り、「火災発生時閉鎖」と薄く書かれた隔壁の裂け目をくぐると、急に気温が下がった。

「涼しくなってきたろ」デッドムーンはジャケットのジッパーを上げ、マグライトを振った。「まだ先だ。無駄な脇道が多い。アンタに忠告する必要は無いだろうが、はぐれないよう頼むぜ」「うむ」隔壁を越えて以降、途端に生活者の気配は絶えた。ニンジャスレイヤーは別の存在を感じている。

 彼らはドーム状の天井の下、開けた空間に出る。明かりを微かに受ける天井には「第三施設」のカンジ。何の三番目なのか、何の施設なのか、その意味するところは、電子戦争以前の過去に置き去りなのだ。奥にあるゲートをデッドムーンは指差す。「この先にエレベーター」スタスタと歩いてゆく。

 ニンジャスレイヤーはやや遅れてその後に続く。パワリオワー!その時、突然のけたたましい電子音が鳴り響いた。「何だ?」デッドムーンが振り返った。ドーム天井にライトがせり出し、広間を煌煌と照らす!パワリオワー!光と轟音がニンジャスレイヤーのニンジャ第六感を遅らせた。KRAASH!

「グワーッ!?」次の瞬間、ニンジャスレイヤーは落下した!足元の床が崩れたのだ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはフックロープを放つ!だが、フックがかかった淵もまた崩れた!「ニンジャスレイヤー=サン!」覗き込むデッドムーンが見る見る小さくなり、闇に呑まれた。「アリアドネだ!」

「ヌゥーッ……」落下!落下!やがて竪穴の側面には明滅するライトが並び出す。闇から光の中へ投げ落とされながら、ニンジャスレイヤーはコートを振り捨て、空中で身を捻ってキリモミ回転した。回転はやがて色彩を生み、底部にヒラリと着地した彼は、赤黒のニンジャ装束を身に纏っていた。

 どれほどの高さを落ちた事だろう?ここはいわば円筒の底だ。ニンジャスレイヤーはジュー・ジツを構える。装束を身に纏ったのは、イクサの為だ。落ちながら彼は下方にニンジャソウルの存在を感じ取っていたのだ!一秒後、目の前のゲートを壁ごと破壊し、肥満した4メートルの巨人が突入してきた!

「AAAAARGH!」手に持つ棍棒状の無骨な金属を振り回す肥満した死肉は、ニンジャスレイヤーを見下ろし、緑の目を輝かせた。頭髪は生えておらず、額から上には皮膚も無い。白い頭蓋骨が無造作に露出しているのだ。そして鼻から下を覆う、江戸戦争めいた鋼鉄製のメンポ!

「フゴーッ!フゴーッ!」巨人が肩を揺するたび、メンポから白い息が立ち昇る。生者めいて呼吸しているのか?そしてこの凍るような寒さ!ニンジャスレイヤーは「忍」「殺」とレリーフされたメンポを取り出し、装着した。「……現れたか」「フゴーッ!フゴーッ!」

 屍肉巨人は騎士の敬礼めいて棍棒を正中線上に構え、オジギした。ニンジャなのだ!「……ドーモ……タイフォーン……デス」「ドーモ、タイフォーン=サン。ニンジャスレイヤーです」彼はオジギを返した。礼節を示す敵にはアイサツで応じるべし。古事記にも書かれた鉄則!たとえゾンビー相手でもだ!

 オジギから身を戻すや、タイフォーンの金属棍棒が異様なモーター音を鳴り響かせた。シュイイイイイ……見よ!棍棒にはダイヤル錠めいた恐るべき金属塊が更に埋め込まれている。それが内部機構によって高速回転しているのだ。何の為に?知れた事!ネギトロめいて敵を残虐グラインド殺する為だ!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは側転した。コンマ1秒後、彼がいた場所をネギトログラインダー棍棒が通過!床を砕く!「フゴーッ!」タイフォーンがよろめく!そのこめかみに深々と突き刺さったスリケン!ニンジャスレイヤーは側転しながらスリケンを投げていたのだ!「フゴゴーッ!」

 通常のニンジャであれば、あるいは致命傷になりえたスリケン傷だ。だがニンジャスレイヤーの戦闘経験は告げている。ゾンビーの耐久力を侮るわけにはゆかぬ。何程の事もあるまい!「フゴーッ!」横殴りに襲いくるネギトログラインダー棍棒!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは回転跳躍した!

 ネギトログラインダー棍棒を跳び越し、丸太めいた腕を蹴って更に跳躍!「イヤーッ!」先程と逆側の側頭部に飛び蹴りを叩き込む!「フゴーッ!」タイフォーンの上体が仰け反る!だが、耐えた!なんたるニンジャ耐久力!「フゴーッ!」空中のニンジャスレイヤーめがけ、下から上へ!棍棒が襲い来る!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは両腕をクロスし、ブレーサーでこれを受ける!ガギギギ!耳障りな音と火花が散り、ニンジャスレイヤーは吹き飛ばされた。ニンジャスレイヤーは飛ばされた先の壁を蹴ろうとした。だがタイフォーンは棍棒を構えたまま、驚くべき対応速度で突進して来たのだ!

 ニンジャスレイヤーは咄嗟にクロス腕で再度打撃を防御した。ガギギギギギ!「ヌゥーッ!?」ふたたび飛び散る火花と耳障りな音!ニンジャスレイヤーは壁と棍棒とに挟まれた!「フゴーッ!」タイフォーンが棍棒を押し込む!ネギトログラインダーがニンジャスレイヤーのブレーサー装甲を苛む!

「フゴーッ!」ガギギギギ!耳障りな音と火花はブレーサーの悲鳴であり、血液だ!ニンジャスレイヤーは耐えた。打開策を見出さねばならぬ!「ヌゥーッ!」「フゴーッ!」ガギギギギギ!ニンジャスレイヤーは燃える目を見開く。地上ではアキモトが、エーリアスが待つ!マグロを必ず持ち帰るのだ!


5

 いかなドウグ社による合金製ブレーサーといえど、これほど執拗なグラインド攻撃に晒されれば、無事では済まない。ブレーサーをやられれば次は装束、次は肉、次は骨だ。そしてそれらはひとまとめに粉砕攪拌されたネギトロとなる。ニンジャスレイヤーは目を見開く。させるものか!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは頭を俯かせて勢いをつけ、後頭部を背後の壁に思い切り叩きつけた。「イヤーッ!」さらに一撃!「イヤーッ!」さらに一撃!なんたる自己犠牲的な無謀行為……否!見よ!ニンジャスレイヤーの後頭部を繰り返し打ちつけられた背後の壁に蜘蛛の巣状の亀裂が拡がる!

「フゴーッ!?」「イヤーッ!」KRAAASH!四度目のバック頭突きが背後の壁を抉るように粉砕!ニンジャスレイヤーは圧迫を逃れ地面に着地、さらにスリケンを投げながら転がって間合いをとった。ゴウランガ!彼は壁の脆さを一瞬で見抜いていたのだ。ニンジャ洞察力と状況判断による超人的回避!

 ニンジャスレイヤーはジュー・ジツを構え直し、巨大な敵を見上げる。「ゴッホ、ゴッホ!」タイフォーンは江戸戦争様式のメンポから白い息を吐く。スリケン傷は殆ど意に介さない。ゾンビーニンジャはしぶとい。これまで相手にしてきたどのゾンビーニンジャもそうであった。だが破壊は可能だ。

 ここでいたずらに時間を浪費してはならぬ。敵はメイヴェン。マグロを持ち帰らねば、分刻みで敗北が近づく。ニンジャスレイヤーは挑発的に手の平を上向け、手招きした。「フゴーッ!」タイフォーンは激昂し、ネギトログラインダー棍棒を振り下ろす!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはバック転回避!

「フゴーッ!」タイフォーンはますます激昂し、ネギトログラインダー棍棒を振り下ろす!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはバック転回避!「フゴーッ!」タイフォーンはますます激昂し、ネギトログラインダー棍棒を振り下ろす!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはバック転回避!

 ニンジャスレイヤーのバック転の痕跡めいて、床に次々に亀裂が残ってゆく。恐るべき膂力だ。4メートル超の巨体。生前は明らかにスモトリであったはず。それも、リキシ・リーグ所属のスモトリであった可能性が高い。リー先生は、いかにしてこの身体を手に入れたのか?いかなる闇取引があったのか?

 とりわけ不気味なのは剥き出しの頭蓋だ。非道な実験の痕跡であることは明らか。死体に強制的にニンジャソウルを憑依させた存在、それがゾンビーニンジャだ。生者も死ねば死体。そういう事だ。タイフォーンの緑色の目には残虐な殺戮衝動だけがある。ニンジャスレイヤーは目を細める。破壊すべし。

「フゴーッ!」タイフォーンがネギトログラインダー棍棒を振り下ろす!「イヤーッ!」バック転回避しつつスリケン投擲!「フゴーッ!」さらにタイフォーンがネギトログラインダー棍棒を振り下ろす!「イヤーッ!」バック転回避しつつスリケン投擲!「フゴーッ!」「イヤーッ!」

 いつしかタイフォーンの肥った巨体は大量のスリケンを楔めいて咥え込んでいた。だがゾンビーニンジャの勢いは少しも衰えない!「フゴーッ!」さらにタイフォーンがネギトログラインダー棍棒を振り下ろす!「イヤーッ!」バック転回避しつつスリケン投擲!その時だ!タイフォーンの足元を見よ!

 KRAAAASH!棍棒を振り上げたタイフォーンの巨体が突如床下へ沈み込んだ!ナムサン!安普請めいて地盤沈下?だがそれは偶然では無いのだ。ニンジャスレイヤーは闇雲にバック転回避で逃げ回ったのではなかった。彼はタイフォーンの周囲を円を描くように飛び回っていた。

 自分の周辺の足元を幾重にも鉄塊のごとき棍棒で粉砕し続けた結果、タイフォーンはいつしか己を亀裂で囲み込んでしまっていたのだ。「フゴーッ!?」腰まで沈下したタイフォーンが怯み、這い上がろうともがき、棍棒を振り回す。それをぼんやり眺めるニンジャスレイヤーではない!「イヤーッ!」

 ニンジャスレイヤーは風めいてスプリントした。「フゴーッ!」襲いくるネギトログラインダー棍棒!「イヤーッ!」側転からの回転跳躍で回避!そのままタイフォーンめがけ飛び、腹を蹴り、飛ぶ!タイフォーンの肥満した身体には今や豊富な足掛かりがあるのだ。突き刺さったスリケンが!

「フゴーッ!?」頭の真上の死角に敵を見失い、タイフォーンが恐慌めいてもがいた。ニンジャスレイヤーは回転しながら落下した。彼は瞑想めいて高速思考した。己のウカツを。不甲斐なさを。恥じよ!なぜなら彼は既に戻ってきたのだから。ニンジャスレイヤーとして。ネオサイタマの死神として!

「イヤーッ!」「フゴバーッ!」ニンジャスレイヤーの決断的回転踵落としはタイフォーンの露出頭蓋を一撃で粉砕した。骨の破片と、水分をバイオ置換された脳漿が噴出!ナムサン!通常ならば届く筈の無い致命的弱点!ニンジャスレイヤーは蹴りの反動で跳ね、再降下!両足でストンプ!「イヤーッ!」

「フゴババババーッ!」タイフォーンが両手を振り回し、ネギトログラインダー棍棒を取り落とした。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが回転ジャンプして床に着地し、振り返ってザンシンした。噴水めいた汚水を頭頂部から迸らせ、巨人ゾンビーニンジャは爆発四散した。「サヨナラ!」

 跳ね散る汚水を避け、ニンジャスレイヤーはタイフォーンが粉砕入場してきた入り口へ走り込む。目の前に冷たい地下鉄めいたトンネルが伸びる。まばらなボンボリ蛍光ライトが照らす。後ろに道は無し。まずは進む事だ。彼は駆けた。やがて前方には再び裂け破れたシャッター隔壁。躊躇わずこれを通過。

 コロコロ……。ニンジャスレイヤーの足元に、サッカーボールが転がってきた。ニンジャスレイヤーは足を止めた。ボールは目の前を横切り、壁に当たって跳ね返った。ニンジャスレイヤーは顔を上げ進行方向を見た。輝く明かり。地下ショッピングモール。行き交う人々。さざめく声。幻は一瞬で消えた。

 暗く朽ち果てた地下市街跡。「郵便貯金」「パワ」「青少年の安心」などの啓発ポスターは色褪せ、錆に塗れたシャッターと殆ど同化している。ニンジャスレイヤーはサッカーボールを二度見した。それから反対側を見た。何も無い。無人地域……ダンジョンの住人すらもいない区域か。凍るような寒さだ。

「アリアドネの糸」を取り出す。装置は生きている。デッドムーンもまた移動しているようだ。チカチカとメッセージが点滅した。「そこは俺が降りた限界よりも深い。近いのでは?寒いか」ニンジャスレイヤーは返信した。「寒い。では近いのだろう」「近い筈だ。冷凍施設を探せ」

 シャッター街の先には更に下へと降りる階段とエスカレーターがあった。エスカレーターは動いておらず、明かりも無い。ニンジャ視力によって、かろうじて階段や通路の輪郭を読み取る事が可能だ。彼は警戒しながら降りてゆく。「お待ちンさい」後ろから、老いた声が呼びかけた。

 ニンジャスレイヤーは振り返りカラテ警戒した。闇の中、背の低い影が身じろぎした。「敵意を感じる!おやめンさい」「……」ニンジャスレイヤーは腕を下ろした。「そッちは大変危ないよ、生きてる人」老いた声がさとした。「何の御用でこんなところまで来たのかね、寒いぞ」「……」

 ニンジャスレイヤーは目をすがめた。今来た道に立ち、手招きするのは、ニンジャスレイヤーの半分ほどの背丈の老人だ。髭が長く、床まで垂れている。眉毛も同様に長い。ほとんどその目を隠している。眼光は思いのほか鋭かった。「安心しなさい。おれも生きてる人だよ」「……」「来なさい」

「ここの住人か」ニンジャスレイヤーは警戒をやや解いた。「こことは?この寒いところか?」老人は訊き返した。「そういう意味でなら、違う。ここは寒いし、本当に危ないでな」声をひそめ、「……タイフォーンの奴がウロウロしとるから」「たった今、破壊した」「……ほう?」老人の眉が動いた。

「ではニンジャか。やはり只者では無い。だが思い上がってはいかんね」老人は指を立てた。「この先はもっともっと危ない。そして邪悪よ。用が無いならやめなさい。……繰り返すが、何の御用かね?」老人はニンジャスレイヤーを見つめた。「力になれるかもしれんよ」「……冷凍施設を探している」

「ハハァ」老人はニヤリと笑った。「宝探しかよ。ご苦労じゃね。クスリか」「いや」「死体か」「……否」「では、マグロだな」「……」ニンジャスレイヤーは頷いた。「なら、尚更この下は無意味だ。遠回りだ。そして危ない。よかろう。ふふふ。ついてきなさい」「戻るのか。一本道だったが」

「一本道のようで、そうでは無い」老人は歩きながら言った。「マンションのネズミは人間が怖い。毒団子が怖い。罠が怖い。怖いものだらけじゃよ。怖がりながら暮らしておるのよ」「……」ニンジャスレイヤーは老人の後に続いた。老人はヒュウヒュウ笑った。「ネズミの道があるのよ」

「時間が無い」ニンジャスレイヤーは言った。「そりゃそうだろうね」老人は頷いた。「こんな所まで降りてくるのは余程の奴だ」「マグロの在り処がわかるのか」「わかるよ。おいで」「だが、オヌシに何の利益がある?」「利益?」老人が足を止めた。「利益か。ああ知っとるよ。上の世界の道徳ね」

 老人はおかしな声で笑い、再び歩き出した。「そういう話を聞くと、なおさら思うね、ネズミにはネズミの暮らしが一番だね。そして、人には人の暮らしが一番だ」老人は店舗の一つに注目し、シャッターに手をかけた。ニンジャスレイヤーが進み出、彼の代わりにシャッターを引き上げた。開いた。

 朽ちた個人商店内にはアイスクリームボックスめいたショーウインドーが並ぶ。電力が生きており、機器類が燐光めいた光を放つ。中に収まっているのは電池類やインスタント冷凍食品の類。見慣れぬラベルだ。「あちらこちら飯には困らんよ」老人はそれらを通過し、奥の裏口を開けて別の通路に出た。

 通路は狭く、突き当たりはすぐだ。小さな扉と、その脇に黒いパネル。老人はそこに手の平を当てた。ロック解除音。二重の扉の奥にシベリアめいた寒さの回廊が待ち受けていた。「寒い!寒い!急げ急げ。ワシは嫌だ。来い。早く」老人は小走りになった。ツルツルと滑るが、慣れているのか転ばない。

 幾つかの部屋と通路を通り抜け、さらに階段を降り、やがて二人は工場めいたベルトコンベアー施設にエントリーした。「遠くに行っちゃいかんよ。この辺りがゾンビーに占拠されてない証拠も無いんだよ」老人はコンベアーのもとへ歩き、手招きした。彼は脇のレバーを無雑作に引いた。パワリオワー!

 パワリオワー音が鳴ると、コンベアーが軋みながら動作を始め、闇の奥でギゴギゴと不穏な機械音が聴こえた。しばらくのち、ガタガタと音を立てて、長さ1メートルほどの直方体が……「技術保冷」と書かれた警戒色のボックスが運ばれてきた。ニンジャスレイヤーは老人を見た。老人は頷いた。

「そりゃァ、中身がどうなのか心配じゃろ。ここでなら開けて覗いても平気だ。さっさと確かめりゃいい」促されるまま、ニンジャスレイヤーはボックスのロックを外した。バシューッ!圧力音とともにボックス蓋が開く。ボックスの容量一杯の大きさにカットされたピンク色の冷凍肉!……マグロだ!

「恩に着る。本当に助かりました」ニンジャスレイヤーはボックスを再度密封し、老人にオジギした。老人は手を振った。「ワシのマグロじゃ無いもんな。誰のモノでも無い。持ち出すのがコトなだけじゃから」老人は言った。「何に使うんだ。売るのか」「スシにする」「ヒヒヒヒ!そりゃそうだな!」

 老人は足早に歩き出していた。「さあ寒い寒い、急げ急げ死んじまう」ニンジャスレイヤーはボックスをかつぎ、後に続いた。通路を戻り、階段を上がり、二重隔壁を越え、個人商店を通り抜け……「じゃあな」老人は闇の中で呟き、不意にいなくなった。

「アリアドネの糸」のモニタがチカチカと瞬いた。デッドムーン。「快適で居るか」「マグロを入手した」「チョージョー。相談がある」ニンジャスレイヤーは続くメッセージを待った。すぐにモニタが光った。「そこからどうやって上がるか、一緒に考える必要がありそうだ、ニンジャスレイヤー=サン」

 

◆◆◆

 

 ドォン……ドォン……「イヨォー!」ドォン……「ハッ!」ファオー。フォワワー。打ち鳴らされるタイコとシャクハチ音はプロ奏者の手による生演奏だ。店の前の通りは封鎖されて車の乗り入れが禁じられ、専用野外テントの中ではアキモトとエーリアスが、緊迫した面持ちでパイプ椅子に座っている。

 彼らは蒼ざめ、交わす視線は重苦しかった。仮眠をとったのみの乏しい睡眠時間。なにより、この絶望的状況下でのプレッシャー。外では現在もストリートのネブタドラゴン・エキジビジョンが続いており、道路を埋め尽くす観衆の歓声を浴びている。ウェルシー社が賑やかしに呼んだのだ。

「そろそろ準備をお願いします」タイムキーパーがテントのノーレンをくぐって顔を出した。エーリアスは無言で頷いた。二人のセンシは、嵐渦巻く海峡で万軍の追っ手にただ二人で対峙した古代英雄……ブル・ヘイケとベンケ・ニンジャさながらの悲壮なアトモスフィアを背負っている。

「腹くくってるぜ、俺は」エーリアスは乾いた声を出した。アキモトは腕を組み、目を閉じた。「……スミマセン」ノーレンをくぐり、別の来訪者あり。ボンズめいたサムエ姿の少年だ。イタマエ・アプレンティスの出で立ちである。アキモトは片目を開けた。「ナバツカ=サンのところの奴か」「ハイ」

 イタマエ・アプレンティスの申し訳なさそうな表情から、エーリアスは察した。アキモトもだ。腕を組んだまま言った。「無理だったか」「申し訳ありません」声を潜め、「そのう……市場からの圧力と……奥様にも脅しが……」「気に病むな。わざわざ伝えに来てくれて有難かったと、言ってくれ」

「スミマセン」アプレンティスは深々とオジギした。「しかし、しかし、これだけは」キョロキョロと後ろを気にしながら、彼は懐から小瓶を取り出した。「これだけは渡せと。ナバツカ=サンが」「ショーユ原液か」アキモトが両目を開いた。「充分どころか……一生頭が上がらん。本当にすまない」

 アキモトはバイオ包帯で包まれた己の腕を忌々しげに撫でた。エーリアスは深呼吸した。「任せてくれよ。確かめたろ。俺のワザマエを」「ああ」……ニンジャスレイヤー到着せず。タマゴ無し。マグロ、コメはストック分のみ。確保できた審査員は一人のみ。ジゴクめいたイクサの始まりである。


6

「両陣営入場です!」司会者がハウリング気味の拡声器に声を張り上げると、タイコ・ドラムロールが観衆の大歓声を引き出した。向かい合ったテントからそれぞれのスシシェフが姿を現す。東のテントからはワザ・スシ組。アキモトとエーリアスの二名。西のテントからは……「イヨォー!」「イヨーッ!」

 ジョギング集団めいたイタマエ達が二列でテントから駆け出す。12人もいる!彼らはそのまま軍隊の演習めいて規則正しい隊列を組んだ。そして見よ!彼らに迎えられ、ゆっくりとテントから姿を現した威圧的なスシシェフの姿……ウェルシー・トロスシ社長、イタマエ、そしてニンジャ!メイヴェンだ!

「ワオオーッ!」道路上に設営された段差付き観客席、そしてそれに収まり切らない立ち見の人々が、スシ・バトルへの期待に拳を振り上げ、声をからして叫んだ。東西のスシシェフは一斉にオジギした。「プログラムは三種!タマゴ、マグロ、フリースタイルです!」司会者が宣言した。「ワオオー!」

「審査員はこちらです!」司会者は金色布で覆われた長机の四人を指差す。「スシ作家、カスマ・タイタイ=サン!」「ドーモ」「ワオオーッ!」「マーケティング評論家、タケチ・キベタ=サン!」「ドーモ」「ワオオーッ!」アキモトとエーリアスは石のようなしかめ面だ。メイヴェンの用意した審査員!

「エー、ワザ・スシが要請していたナバツカ・ロクロ=サンですが、急遽出られなくなりましたので、かわりに副町会長のファンダ・ジモ=サンが三人目を務めます」「ドーモ!ドーモ」「ワオオーッ!」ナムサン!副町会長はこのストリートにウェルシー・トロスシの出店招致を行った急先鋒である!

「最後に、スシ・マウンテン・ドージョー師範、ユノモ・アツシ=サンです」「ドーモ!」「ワオオーッ!」アキモトが呼んだ審査員!古傷まみれの逞しい腕、気骨の男である事の証明であろうか?(アキモト=サン!久しぶりだな。ハンパなスシを出したら容赦なく切り捨てるぞ!)その隻眼が無言で語る!

 (よい。もとより不正など望まぬ)以心伝心。アキモトは頷く。エーリアスは額の汗を拭った。四人中三人が敵の手の者。「審査員の皆様だけではつまらないですね?」司会者が観衆に問う。「ワオオーッ!」「指定席の皆さんにも参加していただきます!多数決で五人目の審査員扱いだ!」「ワオオーッ!」

「エー、東西陣営はそれぞれに野外設営のこの調理施設を自由に使っていただいてですね。皆さんにスシを!握っていただきますのでね!」「ワオオーッ!」司会者のもとに、メイヴェンの部下のイタマエがしめやかにオリガミ・メールを持ち来った。司会者はそれを読み、驚いてみせた。「何とすごい!」

 観衆が固唾を飲んだ。司会者は叫んだ。「審査に参加できない立ち見の皆さんにはウェルシー・トロスシからオーガニック・マグロのネギトロが無料配布されます!」「ワオオオーッ!?」「審査に関係ない皆さんへの振る舞いだ。ワイロにはあたらない」メイヴェンは腕を組んで頷いた。「楽しんで下さい」

「なんだと!」エーリアスが気色ばんだ。「てめェ!そのマグロは」「やめろ!」アキモトが肩を摑んで制した。エーリアスは奥歯を噛み締めた。メイヴェンが進み出、至近距離からアキモトを見下ろした。「ウチのマグロをどうしようと、ウチの勝手だからな」「ああそうだ」「余って余って仕方ない」

「そうよな。あれだけ必死で買い占めればな」「フン」メイヴェンは鼻で笑った。「私はマクロ・スケールの戦場に立っている。貴様を潰すのは確定事項だ。潰す過程で我が社の株価をさらに上昇させ、さらなる追い風を呼ぶ。それだけだ。貴様が身の程知らずにも相手するのは巨大な帝国なのだ」

 メイヴェンはアキモトの右腕にわざとらしく注目した。「イタマエともあろうものが、利き腕を負傷か。心得足らずもいいところ」「殺せんで残念だったな」「フン」メイヴェンの瞳が残虐な輝きを宿す。「考えてみれば、貴様の死で試合が流れてはエキジビジョンに成りきらんところだ。いや良かった」

「負け惜しみだな」エーリアスが口を挟んだ。「お前はアキモト=サンが怖いんだ。だから汚ねえ手を使って潰そうとした。残念だったな、試合に持ち込まれてさ!」「アキモト=サン」メイヴェンは無視し「まさか、これが握るのかね?貴様のかわりに」「そうだ」「ハッハッハッハッハー!……ハーァ」

 メイヴェンは肩をすくめ、戻って行く。司会者は両者を見比べ、やがて宣言した。「ではタマゴです!」「ワオオーッ!」「どうしました?」司会者がアキモト達を見た。アキモトはしかめ面で言った。「タマゴは棄権だ。ネタが無い」「なんと?」「棄権です」「ブーッ!」観衆から怒涛のブーイングだ!

「何ーッ?」副町会長のファンダが腰を浮かせた。「勝負をナメとるのかね、君ィ!」センスをパタパタと動かす。「最初から、なに……棄権?え?これは心証が悪過ぎるよ君ィ!困ったよ実際!」「本当にダメだ」タケチが同意する。「ちなみにこれはマーケティング的にもあり得ない事ですね!」

「確かにこれは、いけないなあ。どう思います?ユノモ=サン」スシ作家のカスマが師範代のユノモに水を向けた。ユノモは腕組みして苦々しく言った。「不覚悟を指摘されるのは当然ですな。あらゆる状況を想定すべきだ」「そう!実にそうです!」カスマが繰り返し頷いた。

「ブーッ!ブーッ!」「皆さんお静かに!」メイヴェンが威圧的な声を張り上げ、ブーイング観衆を黙らせた。「彼らがスシを出せずとも、我々のタマゴのワザマエは当然お見せします。ご安心ください」「ワオオーッ!」歓声の中、メイヴェンは部下を振り返った。「はじめよ!」

「サーイエッサー!」部下達が一斉に叫び、高火力ホットプレート上に巨大なフライパンをかざした。「焼くべし!」「サーイエッサー!」ガン!ガン!ガン!ガン!激しい腕遣いでコンロとフライパンが衝突する音が鳴り響き、タマゴの黄色と白がホクサイ・ウキヨエの波しぶきめいて渦巻いた。

 渦巻くタマゴはフライパン上でオムレツめいて跳ねながら形を整えられてゆく!そしてイタマエはフライパンを打ち振る、「イッチョ!」黄色く長く焼き上げられたタマゴが宙を飛び、メイヴェンが待ち構えるまな板上に落下した。「イヤーッ!」メイヴェンが包丁を高速で動かし、タマゴ切断!

「ワオオーッ!」「イッチョメ!」時間差で他のイタマエ達が次々にタマゴを焼き上げ、跳ね上げて供給!「イヤーッ!イヤーッ!」「イッチョメテ!」「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」タマゴを切断し続けるメイヴェンの包丁遣い!ゴウランガ!観衆の視線を釘付けにするパフォーマンス・ムーヴ!

「イヤーッ!」メイヴェンの腕が閃き、大量のスシを握ってゆく!「ノリ!」「サーイエッサー!」イタマエ達は電子コンロからまな板のスペースめがけ一斉にダッシュし、メイヴェンが握り終えるタマゴに総出でノリを巻いて行った。「イッチョアガリ!」「イッチョ!」「ワオオーッ!」

 一方、ワザ・スシは何を?……エーリアスはアキモトと向かい合い、ザゼンしていた!観衆はメイヴェンのワザマエに魅せられ、一方でこの二人のゼンめいた静寂の光景を訝しんだ。「なにやってるワケ?」「ミスティック?」「ハッタリじゃない?」「やる事無いんだろ」

 アグラ・メディテーションめいて目を閉じる二人は、その姿勢から両手を互いに伸ばし、手の平同士を合わせている。観衆には知る由も無い。これはエーリアスのユメミル・ジツ。彼らは互いのニューロンを接続、脳内の神秘的ローカルコトダマ空間内のドージョーに並び立ち、最後の特訓に突入していた。

 二人はイタマエテーブルの前に並んで立っている。「自信満々のバカのおかげで時間が稼げた」エーリアスは減らず口を叩く。「黙ンなさい!」アキモトはピシャリと言った。「アンタ、流石ニンジャだ。スポンジみたいにワシのメソッドを吸収したな。商売上がったりと言いたいところだが、まだ足りん」

「そりゃそうさ、センセイってのはそう簡単に弟子に負けないからセンセイなん……」「クチゴタエスルナー!」「アッハイ!」アキモトの燃えるような目はもはや客に対する店主のそれではなく、厳しい師父のそれである!「いいか!繰り返すぞ。握りの極意とは、稲妻の如く速く!冬のように冷たく!」

「稲妻の如く速く!冬のように冷たく!」エーリアスは復唱した。アキモトは頷いた。「スシとは速さ!冷たさだ!指が触れればぬるくなる。だから速く握る!お前はもう十分素早い握りを身につけた。だが更にこの時間猶予を使えば、ワシが高齢ゆえに既に捨てたワザをマスターできるやもしれん!」

「いいぜ!何でも来い!」「このワザは使い手の手首の腱を著しく酷使する。もう無理だと思っとった……奇妙だな、コトダマ空間ってのは!」アキモトは包丁に指を沿わせ、深く構えた。「これは、マグロを切ると同時に握るワザよ!その名を……ガンフィッシュ!」「ガンフィッシュ」「イヤーッ!」

 ナムサン!なんたる左右同時不可解ムーヴメントか!左手の包丁がマグロを切り裂くと、その切断エネルギーの余剰によってネタは横へ跳ね飛ばされる。すると空中の軌道上には適切な分量のコメがあらかじめ浮かんで待ち構えている!これは右手が米ビツから跳ね飛ばしたコメ弾丸なのだ!「イヤーッ!」

 次々に空中で合体したネタとコメがまるで落下する事を忘れたかのように滞空!これは左右からの運動エネルギーの衝突が拮抗、完全なトモエ的調和を産み出し、無重力めいて浮遊させているのだ!十数個の滞空スシをアキモトが撫でると、まな板上には完全に握られたスシが並んでいた。ゴウランガ!

 アキモトはハシを取り、「そしてオーガニック・ワサビを上に乗せる」適切量のワサビを乗せていった。「……すっげえ」エーリアスは目を丸くした。「お前がやるんだ!我ながら驚いとる。全盛期でもここまでの数は握れんかった。これがコトダマ空間か」「だけど……」「お前はニンジャだ。やれる!」

 ……ドオン!タイコが力一杯打ち鳴らされ、タマゴ・スシの審査開始を告げる。エーリアス達はメディテーションを終え、立ち上がった。エーリアスはふらつき、転びかかる。アキモトが腕を摑んで支える「大丈夫か」「ああ。ちと集中がキツかっただけ」エーリアスは鼻血と血涙を押さえた。「顔を洗う」

「スゴイ!ふんわりとしながら決してコメに染み込んで汚す事がないくらいの強度を保った絶妙のタマゴ!」スシ作家のカスマがタマゴ・スシを咀嚼し、驚愕めいて言った。「ノリもオイシイ!」とファンダ。「棄権されて嫌な思いをしたが、素晴らしいタマゴが食べられた!良かったです」

「マーケティング的にもタマゴは大事です。サカナがダメな人でも食べられる」タケチが言った。「とにかくウェルシー・トロスシはビジネスをわかっているから、大人気になるのもわかる。さすがのチェーンです。皆さんわかりますか?」「ワオオーッ!」ALAS!完全なる恣意的レビュー!

「ヌルいスシですか」ユノモが低く言った。審査員達が息を呑んだ。「何言ってるんですか?美味なら良いんですよ」ファンダが不服げに言った。ファンダはメイヴェンをチラチラと見ている。もっと賄賂が欲しいのだ。「味がすべて!ヌルくても、」「ですから、その味が衰えると言っている」「……」

「あなたね!マーケティング的にこうしたパフォーマンスは客を興奮させて……」タケチが述べるが、ユノモの隻眼がギラリと睨むと、尻すぼみに言葉が消えた。ユノモは厳しく指摘した。「パフォーマンス重点もいいですが、これではコメとの調和を欠く。他のスシとのバランスも取れない」

「面白い意見だ!」凍りついた空気を拍手が割った。メイヴェンだ!「大変参考になります」その眼光がユノモを射抜く。並の市民であれば失禁もあり得るプレッシャーだ。だがユノモは動じなかった。彼がスシシェフとして潜り抜けてきた修羅場経験が、ニンジャの殺気を跳ね返したのだ。

「皆さん美味しかったですね?」間髪いれず、司会者が観客審査員達に問いかけた。「どうですか!」「ワ、ワオオーッ」歓声が答えた。司会者は満足げに頷き、メイヴェンをちらりと見た。「素晴らしいタマゴでした!一方ワザ・スシはタマゴを作りません。自動的にウェルシー社のポイントになります」

 ビガー!電子音が鳴り、ウェルシー・トロスシ側のポイントショドーがめくられた。「次はお待ちかね!マグロですよ!」「ワオオーッ!」観衆が応えた。「さて。どう足掻くつもりか」メイヴェンは再びアキモトに近づいた。「勝算があるなら言ってみるといい」「……」「ケチなマグロカスを握るか?」

「なんとウェルシー社はこの日のために惜しげもなくオーガニック・トロマグロを潤沢に準備しているとの事!」司会者が叫んだ。「ワオオーッ!」「三戦目をやるまでもない。これで我々の勝ちだ」メイヴェンは言った。「ニンジャスレイヤー=サンはどこだ?尻尾を巻いて逃げたか。セプクを恐れたか」

「黙れ」エーリアスが怒りに震える声で割り込んだ。「黙れよ」「ハ!図星か」メイヴェンがせせら笑う「ネオサイタマの死神!フン!所詮テロ行為しか能の無いアサシン紛いの男に過ぎなかったな。政治力、経済力のパワーを前にすれば、ヘコヘコと遁走だ。その程度のクズならば生き延びても問題無し」

「逃げてねえッつってんだ」エーリアスは睨みつけた。眼力で殺さんばかりの形相だ。コワイ!だがメイヴェンは当然ひるまない。「ならばそういうことにしておこう。どのみち、今さらニンジャ一匹増えたところで……」メイヴェンは眉をしかめた。観衆がざわついている。

「おい、あれ……何?」「何あれ?」「マグロツェッペリン?」「それよりは小さくない?」「近づいて来てない?」ィィィィ……メイヴェンは空を睨んだ。鳴り響くこの音……ィィィィ……ゴウ!急速接近!戦闘機!?違う!車だ!ウイングを生やした車なのだ!「バカな!?」

 観衆の頭上の空を、ジェット噴射する武装霊柩車が通過!「アイエエエ?」「アイエエエ!」「車ナンデ!?」「ナンデ!?飛ぶナンデ!?」「アバーッ!」観衆が霊柩車の下腹を見上げ、口々に悲鳴を上げる!爆撃?否!通過と共にそこから何かが飛び離れた。爆弾ではない。もっと恐ろしい存在だ!

 武装霊柩車は轟音と共に反対側の空へ飛び去る。クルクルと回転しながら、その者は……武装霊柩車から飛び降りたその者は、メイヴェンのすぐ目の前に、ひらりと着地した。

 人々は赤黒の恐るべき影を見た。彼らは悲鳴を上げかけた。しかし炎のような閃きと共に影は失せ、そこにはトレンチコートを着た男が立っていた。男は警戒色の大きなボックスを片手で肩に担いでいる。「遅くなった」男はアキモトとエーリアスを一瞥。そののち、メイヴェンの凝視を受け止めた。

「今更何をしに来た」メイヴェンが言った。「貴様の居場所などない!」「……それは私が決めよう」男は言い、ボックスを地面に投げ落とした。ズウン!質量!アスファルトに亀裂!「おい!それ、まさか……」エーリアスが駆け寄った。「まさかではない」男は振り返らず言った。「当然、マグロだ」

 エーリアスが注意深くハッチを開けた。バシューッ!噴き出す圧縮空気!「マジだ」エーリアスは笑い出した。「ははははは!馬鹿野郎!馬鹿野郎!マジだ、マグロだ!」「いい具合だ……」アキモトが覗き込み、言った。「いい解凍具合だ……信じられねえ……とんでもねえマグロだ……」

「こんな、馬鹿な!」メイヴェンが思わず叫んだ。「あり得ない」「……」男はアキモトの腕を、エーリアスの出で立ちを見た。彼は察した。「オヌシがやるのか」「ああ。やる」エーリアスは真っ直ぐに見返した。

 エーリアスの目には決意と確信がある。単なる悲壮なヤバレカバレではない重みが。勝利への意志が!男は頷き、メイヴェンに向き直る。「くだらぬ小細工は存分に楽しんだか?どうやら遊びの時間は終わったぞ」「貴様ァーッ……」「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」


7

「事情を知らぬ貴様に、親切に教えてやる」メイヴェンは精神の均衡を素早く取り戻し、ニンジャスレイヤーに言った。「貴様が肩入れするワザ・スシは、タマゴが出せず一戦目を落とした。ケチなスシ老いぼれは利き腕を負傷。そこの小娘が見よう見まねのスシを握る。勝ち目無し」「よほど怖いようだな」

「何だと」「オヌシの涙ぐましい努力は所詮、怖れの裏返し」ニンジャスレイヤーは低く言った。「観念してスシを握れ」「……」二者の眼力は凄まじくぶつかり合い、空気をも歪めるかと思われた。ドォン!太鼓が鳴らされた。踵を返したニンジャスレイヤーにアキモトがイタマエ上衣を投げた「着なさい」

 ドォン!ドォン!二戦目である!イタマエ着に素早く着替え、消毒洗浄を済ませたニンジャスレイヤーは、ボックスからエンシェント・オーガニック・マグロを摑み上げ、まな板に乗せた。桜のように美しいピンク色の肉は柔らかく、その表面の脂は奥ゆかしくかすかな輝きを放っている。

「ワオ……。……ゼン……」観衆の誰かが遠目にそのマグロ肉を垣間見、神聖なアトモスフィアに心打たれて泣き出した。アキモトは米セイロを開いた。湯気が立ち昇り、キラキラした白い米の存在感が立ち上がった。「奴ら、新鮮なコメを独占して安心していたんだろうが、甘い」とアキモト。

「江戸時代のスシ屋は、古い米にモチ米をブレンドして炊き、ビネガーを混ぜていた。新鮮なコメが無いなら、スシのベーシックに立ち戻るまでだ」アキモトはニヤリと笑う。スタッフに指示を出すメイヴェンと視線が交錯した。(老いぼれめ。くだらぬ真似を!)(足掻くだけ足掻かせてもらうわい)

「ワーオ!ワーオ!ご覧ください!」司会者が拡声器に声を張り上げた。「ウェルシー・トロスシのこの、ほら、ご覧ください!」「ワオオーッ!?」「マグロだ!」メイヴェンが叫ぶと、「サーイエッサー!」隊列を組んだ12人がテントへ駆け込み、ミコシめいて担いで来た……一匹丸ごとのマグロを!

「社長お願いします!」イタマエが二人掛かりで青龍刀めいた巨大包丁を運び、差し出した。「エーラッシェー!」メイヴェンは叫び、青龍刀めいた巨大包丁をマグロめがけて繰り出す!「イヤーッ!」ゴウランガ!恐るべき包丁さばきにより凄まじき速度で解体されてゆくマグロ!「ワオオーッ!」

「こ、これは凄すぎる」カスマは身を乗り出した。「もはやポエム」「マーケティング的にこの説得力はすごい」タケチが頷いた。「ご覧なさいこの熱狂を。場を支配するパフォーマンス。皆さんは非日常体験をしにくるわけですから。もはや食べるまでもなく完全勝利ですよ!」「ワオオーッ!」

「確かな解体の腕だ。……ム……?あれは」ユノモは眉間にシワを寄せ、解体の様子を凝視した。「トロ……全部位が……?」「そうですよ。あれは実際オーガニック・トロマグロですからね!」ファンダ副町会長が説明した。「独占流通ルートから手配されてくる全身トロのマグロです!」「全身トロ!」

「そんな事が?新種のバイオマグロでは?」「いえ、実際それは違いますね」カスマが答える「あのマグロについて詳しく書かれた私の著書をプレゼントしますよ。スシ・ルポルタージュですが……ともかく、ウェルシー社の秘密養殖技術によって、育つ過程で脂が増えて全身トロのようになるんです」

「面妖ではありますな」ユノモは腕を組んだ。「トロは稀少部位ではあるが、マグロの全てでは無いものだ」「でもね、マーケティング的にこれは大正解ですよ」タケチが言った。「何しろトロは市民の憧れ。日本人の遺伝子に刻まれた絶対の嗜好なんです。許されるならトロだけ食べますよ僕だって!」

「とにかくウェルシー社ですよ!とにかく招致した甲斐があった」ファンダが混ぜ返した。「皆さんもWin-Winになるのは、やっぱりウェルシー社です」「……楽しみに待ちましょうか」ユノモは低く言った。

「イイイイヤァーッ!」振るわれる青龍刀めいた巨大包丁!骨から剥がされてゆくトロ肉!巨大な海のビーストであるマグロと格闘するさまはまるで、古事記に記された荒海の王子の14日間の航海伝説、第3日の試練の再現だ!「ワオオオーッ!」「ワオオオーッ!」「ワオオオーッ!」「ワオ……え?」

 歓声が一瞬、止んだ。彼らの視線はワザ・スシのまな板に注がれた。「何だ」「おい見ろ……」「何?」「何だと?」「何」「……スシが……浮かんでいる」

「バカな!」ユノモが思わず立ち上がった。カスマは狼狽え、彼に助けを求めた。「アイエエエ!何ですかあれは?」「あれはガンフィッシュ!アキモト=サン!?」彼はエーリアスの後ろで腕を組んで見守るアキモトを見た。(伝授したというのか!あれを!)アキモトが睨み返した。(ワシも驚いとる)

「……イヤーッ!」エーリアスが素早く腕を水平に振り、空中に浮かんだ五つのスシを撫でた。一瞬後まな板上には美しく握られたスシ!ゴウランガ!「ワ……ワオオーッ!」「エポック!」「マジック!」「ワオオオーッ!」メイヴェンは解体を続けながら眉根を寄せた。(何だと?)

 解体マグロ肉はうず高く積み上げられる。イタマエ社員がそれらを適切な包丁さばきで切り身にしてゆく。彼らは過酷な研修によって平均的なブレの無い技術を手にした、いわば生体マシーンだ。メイヴェンは鼻を鳴らす。(あのような大ワザで、審査員・客席全てに行き渡る数のスシを握れる筈も無し)

「……イヤーッ!」さらに五つ!「ハーッ!ハーッ!」「……イヤーッ!」さらに五つ!エーリアスは目を見開き、右腕の腱を押さえて荒い息を吐く。「ハーッ!……ハーッ」「大丈夫か」アキモトが声をかけるが、「当たり前だ!」エーリアスは大声を出した。メイヴェンはほくそ笑んだ(それ見た事か)

 彼は青龍刀めいた巨大包丁を振り上げた。「仕上げだ!イヤーッ!」KRAAASH!残るマグロ肉を解体!そしてALAS!見よ!叩きつける青龍刀めいた巨大包丁が粉砕した無数のマグロ骨が、恣意的角度でエーリアスめがけて高速飛散!フラつくエーリアスは回避不能!アブナイ!「イヤーッ!」

 ……「何だと!」メイヴェンは思わず声に出した。エーリアスに散弾めいて突き刺さる筈のマグロ骨……それら全て、ニンジャスレイヤーの手の指の間に挟み取られていた!インターラプト!「観念してスシを握れ」ニンジャスレイヤーは両手をかざしたまま仁王立ちし、凄んだ。「そう言った筈だが」

 ニンジャスレイヤーはエーリアスを振り返った。「オヌシのその腕では、もう無理だ」ニンジャ洞察力による無慈悲な宣告である。エーリアスは右腕を押さえ首を振った。「いいや、やれる。死んでもやる」「ダメだ」アキモトが言った。「よくやった。あとは普通に握んなさい」「それじゃ負けちまう!」

「……」一瞬の沈思黙考ののち、ニンジャスレイヤーはエーリアスを見た。「オヌシのジツだ」「え?」「憑依せよ!」「憑依……あンた、まさか……」エーリアスは目を見開く。ニンジャスレイヤーは頷いた。「オヌシのジツだ!」「……ニューロンが焼けちまうかもだぞ」「耐える」「オイ……」

「早くしろ!間に合わんぞ!」「ナ……ナムサン!どうにでもなりやがれ!」エーリアスがニンジャスレイヤーの背に両手を叩きつける!「イヤーッ!」「グワーッ!」01000101101101 (

 0100101殺すべし……ニンジャ殺すべし01100100101……エーリアスは両掌を見つめた。パラパラと、指の間で挟み取ったマグロ骨が落ちた。「入った」彼は呟いた。頭の奥に、ぞっとするような憎悪の塊を感じる。生きている。憎悪に焼かれぬよう、彼は己の精神にバリアを張った。

 身体能力は「彼女」の身体とは比較にならぬ程だ。カラテで戦い、カラテで殺す事をずっと続けて来た者の身体だ。彼は恐怖すら覚えた。そして何よりナラク・ニンジャの存在……消えてなどいないのだ。当たり前の事だった。そう長くは居られない。居たくもない。だがこれでガンフィッシュが出来る!

 ……「……イヤーッ!」ニンジャスレイヤーがマグロを!コメを跳ね上げ、スシが無重力状態で滞空する!一度に……10個!なんたるエーリアスのインストラクション消化とカラテ身体能力の相乗効果か!「ワ、ワオオーッ!?」観衆は驚愕し、口々に叫び声を上げ続ける!「ワオオオーッ!」

「な、なんだ、これは。私は何を見ているのだろう」カスマは呻くしかない。ユノモがタケチに言った「なあアンタ。マーケティング的にこれはどうなんだ。正解かね」「ア……アア……」タケチは言葉に出来ない。ファンダは目を瞑った。「とにかくウェルシーが正解だ。イイですね。イイですね」

「チィィーッ」目にも留まらぬ速度でメイヴェンもスシを握ってゆく!トロ!トロ!トロ!トロ!トロ!トロ!トロ!トロ!全てがトロだ!「イイイイヤァァァーッ!」ニンジャスレイヤーもまたガンフィッシュを連続で繰り出し続ける!赤身!赤身!そしてトロ!赤身!赤身!そしてトロ!

 ドォン!太鼓が鳴らされた。「終了です!実食に入ります!」司会者が叫んだ。「ワーザー・スシー!」「ワーザー・スシー!」「ワーザー・スシー!」観衆が叫ぶ!叫び続ける!「ちょっと皆さんお静かに!お静かになさい!」「ワーザー・スシー!」「ワーザー・スシー!」「お静かに!」

「……ヌウウーッ」ニンジャスレイヤーはがっくりと膝をついた。エーリアスが遠隔操作を解いたのだ。倒れかかるのを、アキモトが片手で危うく受け止める。「やったか?アキモト=サン」「やった!やりやがった!細部がまだまだだがな」「当たり前だろ!何でも出来たらアンタの商売上がったりだ」

 エーリアスは言って、強いて笑った。消耗はニンジャスレイヤー以上であろう。アキモトは拳で目をこすった。「減らず口言いやがる。さあ、配膳しようや。まだまだ先は長いんだ」

 ……実食である!ワザ・スシのスシが先だ。赤身、赤身、トロの三つ。審査員にはエーリアスらが。一般参加者には設営スタッフの手でスシが配られてゆく。「……」先程のコール覚めやらぬ観衆達であったが、黙々とそのスシを口に運ぶ。審査員達も、まずは赤身。「……うまい」カスマが思わず呟く。

 メイヴェンの刺すような凝視を受け、カスマは首を振る。「うまい、うまい手段と言えますよ。実際面白い握り方で……」「マ……マーケティング的に、この、これだ。この上に乗ったワサビ、これはいただけないですよ。とにかくいただけない」二つめの赤身を咀嚼しながらタケチが言った。

「アー私はとにかくダメだ!食べてられない」ファンダはスシから目を背けた。「ダメですねこれは」「赤身だな」ユノモが言った。「赤い肉!」「ねえ実際赤いですよね?」ファンダは助け舟を求めるように「やはりトロ……」「久しぶりに本気のマグロを口に入れた思いがするわい!」「アイエッ!?」

「握りは完璧ではないが、口の中でよくほどける。手の温度も移っていないな。あのワザマエが効いておる!そしてトロ……ムムッ……」ユノモの隻眼がギラリと光った。古傷まみれの腕に震えが走った。「……フゥーム」カスマはその様子を見守った。ユノモは見返した。「どうだね。作家先生」

「私は……エート……」彼は目を背けた。既に三つを完食している。ユノモは尚も問う。「アンタの作家人生、作家のプライドに訊いてるんだぞ」「……」「アンタもだ。ミスター・マーケティング殿。どうだ!忌憚のない意見は!エ?」「……」彼らは顔を見合わせる。

「……」やがてカスマが口を開く、「素晴らしい美味です、ハイ。まるでマグロを今初めて知ったような気すらしています」「だ!が!」威圧的な声が飛んだ。メイヴェンである!「私のスシも、なかなかですぞ、皆様方。そうですね?」「……アッ……ハイ」タケチが弱々しく笑った。

「いやあ、私はちょっとね、とにかくウェルシー社のスシを食べましょうよ、ハイ」ファンダがせかせかと言った。「ハイ次!次だ次!もうイイから、これは」……ドォン!太鼓が鳴らされた。後手!ウェルシー・トロスシ、メイヴェンが握ったオーガニック・トロマグロ三つ!

「……」メイヴェンは審査員を睨み渡した。力の無い追従笑いを浮かべながらトロスシを咀嚼するタケチ。心なし蒼ざめた顔のカスマ。目を閉じ、集中するユノモ。「うまいッ!本当うまい!」うるさく叫んで一気に食べるファンダ。「もう間違いない!これは!ウェルシー社でグッドジョブ重点ですよ!」

「トロ。トロ。そしてトロか」カスマが震えながら笑う。極度の緊張状態だ。「確かにトロは、我々日本人の味覚のふるさとです。……ですが」彼はメイヴェンを見ないように努力していた。「やはり僕は……自分の作家人生に、嘘はつけませんッ!」彼は泣き出した。「ワオーッ!?」客がどよめく。

「ちょっと……何言ってンだ!あなた!」ファンダがカスマを指差した。「困るよそういうのは君ィ!」チラチラとメイヴェンを見ながら叱責!「アンタはどうだ?ミスター・マーケティング殿」ユノモが水を向けた。「……」タケチは三つ食べ終え、ユノモを見た。「……貴方の意見から聞きたいです」

「そうか」ユノモは頷いた。メイヴェンが睨む。だがユノモは言った。「マグロというのは、赤身、そしてトロだ。トロとは実際最も重要だが、そこに至るまでの手順の決まりがある。それは無意味なドグマではない。集合知だ。歴史の中で自然に培われた、こう食べれば一番うまいという知恵だ」「……」

「マグロとは調和だ。赤身があり、トロもある。それらの調和だ。赤身から逃げてはいかん。赤身を美味しくいただき、トロを楽しむ。そうではないかね。全てがトロのマグロ。奥ゆかしいとは思えん」「美味しいからいいんだ!」とファンダ。だがユノモは続けた「全てトロ。脂が気になって仕方ない」

「私も……そう……思いました」タケチが言葉を搾り出した。「これは、トロだ!とは思いましたが……トロ。ただ、それだけだ。それはいわば、トロという情報でした。一方、ワザ・スシのコンボは、そのう……マグロを食べている気がしました。おいしいマグロを」「ワオオオーッ!」観衆が沸いた!

 ユノモは破顔した。「なんだ。マーケティング的に語らんでも味の話ができるじゃないか、アンタ」「はは……」タケチは頭を掻いた。「ワオオーッ!」「ワオオオーッ!」「ワーザー・スシー!」「俺もそう思う!」「俺もだ!」「私も!」「ワザ・スシ!」「ワーザー!スシー!」歓声!歓声!

「……」メイヴェンの眉間に血管が浮き上がり、ピクピクと脈動した。コワイ!「オイ!イケるんじゃねえか?」エーリアスがアキモトとニンジャスレイヤーを振り返った。ユノモはメイヴェンを見た。「……アンタ、自分のスシ、好きかね?」「何?」「好きじゃ無いよな?アンタのスシは泣いてるぜ」

「!」メイヴェンは鈍く重い一撃を受けたボクサーめいてよろめく!「ふざけるな」メイヴェンは呟いた。エーリアスはメイヴェンに言った「満場一致ってやつじゃねえか?」……歓声の中、ファンダが取り乱し、机を叩く。「コラーッ!僕はねッ!選挙出るの!ウェルシー社の後押し重点!邪魔するな!」

「アーララ、満場一致じゃなかったか」エーリアスは肩を竦めた。「まあいいさ。次も勝つぜ。アナゴ出してこいよ」「……茶番は茶番」メイヴェンはエーリアスを睨み返す。「貴様らに勝ちは無い。貴様らはこのまま二戦落として敗北だ。……判定を出せ!審査員!」振り仰ぐ!「家族を大事にしろよ!」

 ドォン……。太鼓が鳴らされた。結果がショドーされた。カスマ、ウェルシー。タケチ、ウェルシー。ユノモ、ワザ・スシ。ファンダ、ウェルシー。観客点、ワザ・スシ。三対二。勝者ウェルシー・トロスシ。二本先取。……「終わりだ。全て頂く。そしてセプクせよ。ニンジャスレイヤー=サン」

「くッ……」カスマが涙を流した。タケチは黙って頭を振る。ファンダがセンスを取り出し、仰ぎながら毒づく。「アーヤダヤダ!最初からこうしなさいよ!血圧によくないよこういうのは!ダメだこれは!」……客席が静まり返った。数秒後、激情が爆発した。「「「「ザッケンナコラーーーー!」」」

 ナ、ナムアミダブツ!それは堰の切れたダム湖のごとし!あからさまな不正!真実に反した政治力行使!日頃から抑圧され、この日の祭りめいた催しにささやかな娯楽の期待をかけて集まった群衆は、邪悪なパワーゲームを前に暴徒と化したのだ!「「「ザッケンナコラー!」」」

「アバーッ!」雪崩れ込む群衆に真っ先に呑み込まれ見えなくなったのはファンダ!人混みの中、徐々に遠くに押し流され、見え隠れするたびに服が剥ぎ取られ、殴打の傷が増えてゆく。「アバーッ!」そのまま見えなくなった。「「「ザッケンナコラー!」」」

 ナムアミダブツ!群衆は身構えるワザ・スシ陣営をすり抜け、審査員席へ、ウェルシー・トロスシ陣営へ襲いかかる!看板や配管パイプをもぎ取って振り回す者もいる!もはや暴徒!コントロール不能!コワイ!「スッゾコラー!」「ザッケンナコラー!」「スッゾコラー!」「ザッケンナコラー!」

「ザッケンナコラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!」泡を吹いて襲いかかって来た暴徒をユノモは殴り倒し、アキモトらに近づく「大丈夫か」アキモトは荒い息を吐く「俺達に矛先が向くのも時間の問題か」「イヤーッ!」「グワーッ!」エーリアスが襲いかかる暴徒を蹴り倒した。「そのようだぜ!」

「ワオオーッ!」KRAAASH!ウェルシー・トロスシのネオン看板が破壊され、火花を散らして引き摺り降ろされる。「ワオオオーッ!」「ワオオオーッ!」ドウ!ウェルシー・トロスシの軒先に火柱!カジュアル・アナキストが火炎瓶を投げたのだ!「ワオオーッ!」構わず食材強奪に乗り込む暴徒!

「畜生どうなっちまうンだ」モヒカン暴徒を殴り倒し、エーリアスは周囲を見渡す。カスマとタケチが這い出て来る。「アンタ達?こっちだ」「ああッ!すみません!」「ニンジャスレイヤー=サン、どこだ……」「あれは」アキモトはウェルシー・トロスシの瓦屋根を見上げる。エーリアスは視線を追う。

 そこに対峙するのは……二人のニンジャである。赤黒装束に「忍」「殺」のメンポを身につけた恐るべきニンジャ。もう一方は、水色がかった白のニンジャ装束に、やはり鋼鉄製のメンポを身につけたニンジャ。二者は同時にオジギした。「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」「ドーモ。メイヴェンです」

「ワオオオーッ!」路上の喧騒が拡散してゆく。やがて遠方から「御用!御用!」のアラート・サイレン音。ドウ!下の店内で何かが爆発した。「スシを握れ。メイヴェン=サン」「今更何を言うか」メイヴェンはせせら笑った。「これはスシ勝負だ、メイヴェン=サン。もう一戦残っている。我らが勝つ」

「お目出度い奴」メイヴェンはカラテを構えた。路上ではマッポ装甲車による鎮圧弾発射が始まった。「もう一戦?勝負など見えておる。俺のスシはがらんどうのからッポだ。ヨロシサンのクローンアナゴで恥を晒せてか。勝負ありだ、ワザ・スシ=サン。勝利の美酒に酔いしれるがいい。笑うがいい!」

「アバーッ!アバーッ!」下では催涙弾がばら撒かれ、暴徒は叫び、路上を転がり回る。「決断的破壊行為!」「必要暴力!」「アンタイ監視社会!」どこからか合流したイッキ・ウチコワシ闘士のシュプレヒコール。装甲車の一台が爆発。「来い。ニンジャスレイヤー=サン。来い!」

 ニンジャスレイヤーはジュー・ジツを構える。その瞳は怒りに燃えている!「己の中のニンジャに逃げるか!外道め」「そうとも!俺はニンジャだ」メイヴェンは吠えた。「貴様は俺が怖れているとぬかしたな。怖れていると!ニンジャに怖れなど!あるものか!」スリケン投擲!「イヤーッ!」

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケンを指で挟み取り、投げ返す。「イヤーッ!」「イヤーッ!」メイヴェンは側転回避から包丁を抜き、投擲!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは切っ先を横からのチョップで弾き飛ばす!「イヤーッ!」踏み込んだメイヴェンが喉元にチョップ突きを繰り出す!

「イヤーッ!」だがニンジャスレイヤーは上体を思い切りそらし、仰け反っていた。そして、蹴り上げた!「イヤーッ!」バック転めいたサマーソルトキック!「グワーッ!」メイヴェンの身体が宙に浮く!ニンジャスレイヤーは宙返りから着地し、跳躍予備動作に身を沈める。「慈悲は無い!」

 足元のカワラを破砕し、ニンジャスレイヤーは跳んだ。「イヤーッ!」空中のメイヴェンに組みつき、羽交い締めにすると、そのまま頭を下に、キリモミ回転しながら落下!「グワーッ!」KRAAASH!カワラ屋根粉砕!天井を突き破り、諸共にオフィスに落下!

「グワーッ!」メイヴェンの脳天がオフィスの床を直撃した。ニンジャスレイヤーは飛び離れる。メイヴェンは大の字仰向けに倒れる。頭蓋骨が粉砕していた。暗黒カラテ奥義、アラバマオトシ。「アイエエエ!?ニンジャナンデ!?」オフィスに闖入してきた暴徒が踵を返し、そのまま逃走した。

「……」ニンジャスレイヤーは振り返ってザンシンした。「アバッ」メイヴェンが血を吐いた。「オフィス。経済。これが俺の城よ。力は素晴らしい。支配は素晴らしい」「ゆえにモデストな老スシ屋を怖れたか」「……ネオサイタマの死神か……」メイヴェンは咳き込んだ。「思い上がりめ……」

「愚か者」ニンジャスレイヤーは言い捨てた「思い上がりだと?私は私の為にニンジャを殺す。それだけだ」「ハーッ……ハイクは要らぬ」メイヴェンは言った。「よかろう」ニンジャスレイヤーは踵を振り上げ、「イヤーッ!」振り下ろす。額を砕く。「サヨナラ!」メイヴェンは爆発四散した。

 

◆◆◆

 

「ヘイオマチ」カウンター越し、二人にマグロ・スシを差し出すエーリアスを眺め、ナンシーは瞬きした。「わけがわからないわね」「俺だってわからねえよ」エーリアスは言った。「たまにな、たまに。週一回か、二回ぐらいな。ちょっとした小遣い稼ぎをさ」「わけがわからないわね」

 ナンシーの隣、フジキドはマグロにショーユをつけ、一口で食べる。「さまになっている」「そうなんだよ」エーリアスは頷いた。「じいさんの腕があんなだしよ、まあ、治るまではもうちょっと頻繁にな?」「成る程」「何があったわけ?」ナンシーはフジキドを見た。フジキドは眉をしかめる。

「おや、ドーモ」奥からアキモトが現れ、アイサツした。「なんとまあ美しい方が」「嫌ですわ」ナンシーは冗談めかした口調で答え、笑った。「怪我はいかがです」フジキドは尋ねた。アキモトは頷いた「早く治しますよ。スシが握りたいんでね」「そうしてください」ガガガガ!通りから断続的騒音。

「解体工事だな。今日は残業だね」エーリアスが説明した。ウェルシー・トロスシの店舗解体だ。先日のスシ勝負に絡み、審査員への脅迫行為、安全基準を満たさぬ食材使用、ネオサイタマ基準においても極端な労働環境を始めとした暗部が次々に指摘され、社長の死も相まって、株価は一瞬で紙屑化した。

 ウェルシー・トロスシはそのままモジョーガレット・チェーンのヤワラカチャン社に買収され、資産の整理が行われた。奴隷従業員達は大部分が継続雇用されたが、路頭に迷ったものもいよう。ネオサイタマの経済の混沌は個人の人生の悲喜こもごもを黒く塗りつぶし、流し去る。

「タコス食いてえ!」酔漢がガラリと戸を開け、ノーレンから顔をのぞかせた。「タコス!」「メキシコ料理の店は隣のブロックだ」エーリアスがイカを切りながら言った。「アッハイ……」酔漢が退出する。入れ替わりに2人組のサラリマンが顔をのぞかせた。「マダヤッテマス?」「イラッシャイ」

「ドーモ、ドーモ」アキモトがチャを出した。2人のサラリマンはオシボリで顔を拭く。「あそこのカカリチョが……」「ほんとですか!……ああ、タマゴ二人分ください」「ハイ、タマゴ」エーリアスは頷いた。「客足は結構増えたんじゃないかな、あれから」フジキドに言う。「そうか」

「……ねえ、わけがわからないわ」ナンシーが思い出したように繰り返した。「だからさ。わけがわからねえんだよ」エーリアスはタマゴ・スシを握りながら言った。「話せば長くなるんだよ」


【ファスト・アズ・ライトニング、コールド・アズ・ウインター】 終



N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)

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奥ゆかしいスシ屋「ワザ・スシ」が、邪悪なニンジャのスシ屋、メイヴェンの「ウェルシー・トロスシ」による非人道出店攻勢の犠牲となろうとしていた。フジキドとエーリアスはメイヴェンにスシ勝負を挑む。メイン著者はブラッドレー・ボンド。

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