幕間【ビフォア・ジ・エンド・オブ・ザ・ライン】
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S3第4話 ←
「ハァーッハハハハ! そこかァーッ!」雷鳴に乗って、二本角のニンジャの哄笑が届いた。ヤモトはカタナを構え、彼女を……ネザーキョウのシテンノの一人、ヘヴンリイを待ち構えた。「ネザーキョウ。アンタたちも、どこまでも、これが狙いか」ヤモトは懐のニッタ・カタツキに触れ、呟いた。
これ以上、ヨロシンカンセンとその乗客を巻き込むわけにはいかない。東に走り去るヨロシンカンセンを横目で見送り、彼女はトリイの上で一人、微かな安堵と共に頷いた。だが、垣間見せた柔らかな表情はコンマ1秒で失せた。無慈悲なシの女王はイアイを漲らせ、ヘヴンリイを迎え撃つ……!
「「イィィィィィィィ……」」飛び来るヘヴンリイは両手に帯電するカゼのカラテを込め、一方のヤモトは桜色の炎を首元から上空の空へ高く燃え上がらせた。「「……イヤーッ!」」KRAAAAAAASH! 出会い頭の互いの一撃が、衝突した……!
ZAP! ZAPZAPZAP! トリイの上で稲妻が弾け飛んだ。拡散する雷光を迎え撃つのは、桜色の蝶型カラテの群れだった。それらはヤモトの首筋でマフラーめいて燃える桜色の炎から生み出されたエネルギーだ。ヤモトは後方を振り返り、カタナを構える。ヘヴンリイは哄笑する。
「ハハァー! 今ので頭フッ飛んでねェんだなァ!?」
一瞬の衝突ののち電撃敵速度で走り抜けたヘヴンリイは、方向転換とともに、白熱する拳を振り上げる。空気を蹴り、そのままヤモトに再度殴りかかる!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
ヤモトはカタナの鍔で受けた。刃の間合いで対処するには、ヘヴンリイの接近が速すぎた。そのまま二者はトリイ上で足を止め、凄まじいワン・インチ・カラテ応酬を開始した。
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
ZAP! ZAPZAPZAP! ヘヴンリイの接近打撃は雷撃の炸裂を伴う! 貴方が平安時代を生きたカラテのタツジンであれば、カゼ・ニンジャのソニックカラテがワン・インチ距離のカラテに適さないという事実もご存知であろう。しかしヘヴンリイはヤモトがイアイ使いである事を瞬時に見抜き、初手からカタナが不利となる最接近カラテ勝負を挑んだ。
その確信は、彼女が操る雷撃の力にある。ヘヴンリイに憑依融合したアーチニンジャ「ジャキ・ニンジャ」はカゼの一門にしてアラシ・ニンジャの養子。雷雲と戯れ、稲妻にまつわるワザを見出したアラシの力を、ジャキもまた受け継いでいた。雷はフーリンカザンを構成する無数のエレメントの中でも特に畏れ多き力であるとされ、神話時代においても、その力を制するニンジャはゼウス・ニンジャをはじめとするごく僅かな存在に限られたものだ。
余談はそこそこに、この強大なるニンジャ同士のイクサに注意を戻されたい。ヘヴンリイの激しい打ち込みはもはやソニック・カラテを伴わぬ。だが彼女自身の鍛え上げたカラテと帯電の力とが、ソニック効果の欠落を補って余りあった。ヤモトの必死の応戦は徐々に押され、トリイの縁で防戦一方となってゆく……!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
チョップと刃が交錯した。ヘヴンリイはカタナを抱えるように抑え込んだ。二者は睨み合い、圧縮された時間が泥めいて周囲で渦巻いた。
「やるじゃンか。ダテじゃねえな」ヘヴンリイはヤモトの眼前で舌なめずりした。「ヤモト・コキつッたらよォ……シ・ニンジャの憑依者……そのくせしやがって、一門の連中とやりあってる放浪者だろ? 耳に挟んだ事あるぜ。ウチの国に何の用だよ」
「用があるのはアンタ達じゃないのか?」ヤモトは剣呑な反応を返した。「シンカンセンは軍隊じゃない。よくもあんな大勢の連中で!」
「ああ、クワドリガの脳筋野郎か? ハハハハッ、迷惑かけてンな! だけどオレは奴の部隊じゃねえから、知らね。こんど顔合わせたら言っといてやろうか」ヘヴンリイは悪びれない。「そもそもさァ……文明国の雑魚どもは、すすんで惰弱な生き方してるから雑魚なんだよ……じゃあ踏み潰されても構わねえッて事だろ? そんなクソ虫どもが、いざ殺されるときに文句を言うってのはズリィだろうが」
「それがネザーキョウの奴らの考え方か」
「その通り。弱いから死ぬんなら、死ぬやつが悪りィだろ」ヘヴンリイは言い切った。「……でな、オレ様もクワドリガも、ニッタ・カタツキが目当てだ。そう。お前が持ってる、きッたねえ茶器だ。感じるぜ。持ち逃げすンなよな。タイクーンのオッサンが必要としてるらしいからよ。……よこせ」
「お断りだ」ヤモトは言った。「これはただの茶器じゃない。アンタには、この茶器を軽々しく用いれば何が起こるか、わかってない」
「ああわからないね、当然だろ」ヘヴンリイは言った。「そんなくだらねえ事は、オレにゃどうでもいいんだよ。主君が欲すれば家臣は動く。それだけだ!」
「イヤーッ!」
ヤモトはせめぎあいを一瞬制し、ヘヴンリイを押し返すと、左右に無数のオリガミ・ミサイルを飛翔させた。桜色に光るツルが空を旋回し、ヘヴンリイに背中側から襲いかかる!
「フンッ!」
ヘヴンリイはねじれ角から放電! 背後に雷光が拡散し、オリガミからオリガミへと伝搬、そのすべてを焼き焦がしてしまった。ヤモトはイアイ姿勢に入っていた。だがヘヴンリイが……!
「イヤーッ!」ヘヴンリイが、一瞬ハヤイ!「ンアーッ!」
顔面に頭突きを食らったヤモトはトリイから押し出され、斜めに落下する! ヘヴンリイはトリイの縁を蹴り、それを上回る速度で滑空する! コンマ数秒を空中で気絶していたヤモトであったが、筋肉に残存した殺気が彼女の身体を動かしていた。イアイが、放たれる!
「グワーッ!」
ヘヴンリイの首に水平の裂傷が走り、血が噴き出す! だがヘヴンリイは目を見開き、ねじれ角を輝かせ、歯を食いしばって、首の筋肉に凄まじい力を込めた。止血……止血、成る! 刃の入りが浅かったのだ。ナムサン! 咄嗟に身を守るヤモトをめがけ、ヘヴンリイは両腕から繰り出す螺旋ソニックカラテの真空打撃を叩きつけた!
「イヤーッ!」「ンアーッ!」
KRAAASH! KRAAAASH! ……KRAAAAASH! 針葉樹を立て続けに破砕しながら、ヤモトが吹き飛んだ。ヘヴンリイは空中を蹴り、砕け散る枝を蹴り、雷を伴うジグザグの跳躍でヤモトに肉薄した!
「終わり! ダ! ゼェーッ!」
ZAP! ZAAAAAP! 舞い散る葉と木屑を角からの放電で焼き払いながら、ヘヴンリイはソニック加速! キリモミ回転ソニック・トビゲリで、針葉樹に背中から叩きつけられたヤモトを……貫いた! KRAAAAAASH!
針葉樹がメキメキと音を立て、斜めに傾く。木の幹に膝まで蹴り足を埋め込んだヘヴンリイは……訝しみ、呻いた。彼女のニンジャ第六感は、いまだ絶えざる殺気を感じていたのだ。
「何……?」
たった今胴体を貫いて致命傷を与えたヤモトが、爆発四散した。確かに爆発四散したが……それは桜の花弁の爆散だった。絶えざる殺気は、隣の木の枝の上にあった。ヘヴンリイはそちらへ目を動かした。枝の上、霧めいて桜の花が散ると、そこにヤモトが立っていた。
「イヤーッ!」「グワーッ!」
イアイド! 凄まじき刃がヘヴンリイの装束を、乳房を、肋骨を断ち、心臓付近に到達する! ヘヴンリイは斬られながら、しゃにむに腕を動かし、強引にヤモトの腕を掴んだ。引きずり込むように引き寄せ、彼女の首を掴んだ。
「……!」「……!」
KRACK……。針葉樹が砕けた。二人のニンジャは、絡まり合うように、そのまま下へ……森の谷底へ、落ちていった。
◆◆◆
ホンノウジ・テンプル城、サタの庭! 敷き詰められた白砂の上に正座するのはただ一人。極限まで鍛え上げられた青銅色の肉体の持ち主は、誰あろう、アケチ・シテンノの一人、クワドリガであった。
ネザーキョウの完全戦士は神妙にうなだれながら、なお、背中から蒸気じみたカラテを立ち上らせている。若く美しいコショウはその凄まじさを見て頬を赤らめ、畏怖しながらも、己を奮い立たせて叫んだ。「オナーリー!」
キン、キン、キンキンキンキン……打ち鳴らされるヒョウシギ。そして、「エイッ!」ターン! 巨大なフスマが左右に開かれると、偉大なるタイクーン、アケチ・ニンジャが姿を現したのである!
「此度のイクサ……!」
タイクーンはネザーオヒガンの荒涼を思わせる眼差しを己の武将に向けた。クワドリガは頷いた。
「ニッタ・カタツキ奪取ならず。ひとえに、私めの力不足にござる。申し開きはござらん……ムンッ!」
スワ! クワドリガは片手を振り上げ、チョップによって自らの腹を貫こうとした! セプクである!
「イヤーッ!」
タイクーンは叫びとともに四本の腕のひとつを突き出した! クワドリガの決断的なセプクの手は不可視超自然力によって留められた。ギリギリと拮抗する力!
「殿……! 我がケジメを……止めなさるな……!」「エイッ!」「グワーッ!」
クワドリガは吹き飛ばされ、白砂を爆散させながら仰向けに倒れた。
「貴様が相対せしニンジャ……それはシ・ニンジャの憑依者ヤモト・コキであること間違いなし」タイクーンの目が光った。「かの放浪者が我が領土に近づき、何を企んでおるか。ネザーの匂いに引き寄せられて来たとなれば捨て置けぬ……オヒガンを司るニンジャの力を前にすれば、貴様ほどの戦士といえども形無しか?」
「ナムサン! 滅相もなし!」
クワドリガは怒声と共にスプリング・ジャンプし、正座姿勢で着地した。膝を押さえる手には怒張した血管が浮かび上がっていた。
「我が戦車の惰弱な車輪が奴のイアイを受けて破砕したがゆえにイクサは中断となり申した。それもまた我が責任! しかし我がカラテには依然、一点の曇りも無し!」
「ならば何故身勝手にもセプクし我が軍の損失を上塗りせんとしたかッ!」
「しかし殿! 負けは負け、失敗は失敗にござります! 先日のルーテナント=サンは任務失敗の責任を取りセプク致しました。ならば我もその責を負わずば示しがつきませぬゆえに!」
「エイッ!」
タイクーンは突如その場で膝をつくと、床に手を当て、己の左手小指を即座にケジメした! アケチはサタの庭の出席者を見渡し、破鐘めいた声で言った。
「ならば、これが示しだ。これを以てサタ無しとする。惰弱都市バンクーバーとシ・ニンジャのヤモトでは、もとより比ぶべくもなし。なによりシテンノはブレイコ也。我が預けしコクダカの重み、ゆめ忘るるべからず」
「殿……殿……!」
「貴様ら完全戦士は失敗を恐れず戦うべし。それが我が帝国の未来にかなう。……よいな、者共よ。異論はないか? 我のワガママを許せ!」
「「「ハハーッ!」」」
一同はドゲザした。あまりに決断的な主君の行動は、一貫性などという惰弱な理屈が所詮は弱者の揚げ足取りに過ぎぬことを、カラテそれ自体によって証明したのである。
「貴様のカラテを証明する事が貴様の道であろう。クワドリガ=サン。おもてを上げい」
「殿……お、おお、おおお、おお……!」クワドリガは震えだし、男泣きに泣き始めた。「も、勿体なき……勿体なきお情け……この私ごとき負け犬に、御小指を……!」
「貴様の価値はカラテにあり! 敵を殺し、滅ぼし、蹂躙せよ! シテンノたる貴様には、それだけが唯一許されし贖罪方法也!」
ゴウランガ! おお……ゴウランガ!
而して、その時!
「ケケーン!」
カラテシャウトとともにサタの庭へ飛び来たった猛禽あり! 黒帯を締めたカラテキジである。タイクーンが4つの腕のひとつをかざすと、カラテキジは奥ゆかしくそこへ止り木めいて着地した。
カラテキジの首には巾着袋が結ばれている。袋にはアケチ・シテンノの一人を示す焼印が捺されていた。タイクーンは眉根を寄せ、それを取り外した。
「ケケーン!」
カラテキジが高く飛び去った。タイクーンは袋の中の品を取り出した。彼の目が動いた。それは紛れもなく、ニッタ・カタツキである! 一同がどよめいた。だが、タイクーンの目は険しいままであった。
「ヘヴンリイ=サン。何故、貴様自身が持ち来たらぬ。……何か、あったか」
庭の若木の枝が、音を立てて、ひとりでに裂け落ちた。それは凶兆めいていた。
◆◆◆
「シツレイシマス」
ガゴンプシュー。可動フスマが開き、医療室にヨロシナースが入室した。ビニールシートの奥で身じろぎしたのは高名な文化ニンジャ、カナスーアである。彼はナースコールボタンを投げ捨て、威嚇した。
「やっと来たか! 何をやっているんだね! 何回呼んだかわからんぞ!」
「申し訳ありません。いかがされましたか?」
「見てわからんのか! 傷が痛むんだよ! もっと薬の量を増やしてくれないか」
カナスーアは処置された傷を示し、主張した。荒い息を吐き、震えてみせる。
ここはSSクラスの客だけが利用可能な先端医療室だ。シンカンセンの旅に体調不良を感じた者を万全にバックアップする設備として、鍼治療ドロイドやゲル状のオーガニック・マッサージチェア、MRIなどが設置され、外科手術すら可能。医療系最先端テック企業であるヨロシサン・インターナショナルを象徴するいたれりつくせりのサービス提供といえた。
カナスーアはヨロシンカンセンで勃発した痛ましい事件とネザーキョウによる襲撃の際に手ひどく負傷し、こうして治療を受けているのだった。短時間の集中治療を受け、峠を越えた後は自室で安静に休むのが本来のフローであるが、カナスーアはあれこれと難癖をつけて、いまだにこの先端医療室のベッドを利用し続け、ナースにあれこれ世話を焼かせ続けているのだった。
「ハアーッ……フウーッ……災難過ぎる。こんな事は絶対に許せんぞ。言っておくが、私がこうして苦しんでいる1分1秒ごとにヨロシサン・インターナショナルの責任が問われているんだからな? あんな凶悪犯罪者を乗せていたとなれば……大スキャンダル……!」
「ハイ、安心してくださいね」
ナースが屈み込み、点滴を交換する。カナスーアの鼻息は荒い。
「フンッ、まったくこんな……運賃の返金程度でこのカナスーアが納得すると思うなよ。あとで上の者を出してもらうからな。上の者というのはな、ヨロシンカンセンの車掌とか、そういうチンケな話ではないぞ。ヨロシサンの……ムム……」
カナスーアの目がぼんやりとして、瞳孔が拡がり始めた。かなり強力な安定剤が使われたのだ。
「いかがですか」「ウーム……」「お薬強くしました」「……何も感じない……」「良かったです。よい旅を」「ウーン……」
ピッ……。ピッ……。ピッ……。心電図計の優しいサウンドの中で、拡散していたカナスーアの瞳孔が再び収縮した。
「ムッ! やれやれ、私はどれくらい寝ていたのかね? あいたた……まだ痛いじゃないか? 許さ……」
「オイうるせえぞ」「アイエッ!?」
カナスーアは呻いた。隣のベッドに、意識喪失前には見かけなかった別の人間がアグラをかいて座っていた。モヒカンヘアーを逆立て、如何にしてか医療室内へ持ち込んだジャックナイフを舐めながら、血走った目でカナスーアを見下ろす……「ア、アクセルジャック=サン!?」
「見りゃわかるだろ? キキャキャ……」
「何故ここに!?」
「俺もSS客室の利用者だから、権利、あンだろが。俺もな、あのなんとかいうド屑野郎に、手酷くカッ捌かれたからな。あれはあれで気持ちよかったけど、死ぬのはごめんだ。治療を勧められちまったら、やぶさかじゃねえ……次のフレッシュな殺人行為に備えて、移動中はキッチリと医療行為を満喫させてもらうとする。……ところでよォ、カナスーア=サン」
「ア……何……だね?」
「映画、知ってッか? "悪魔の臓物院内感染" 」
「アイエッ……し、知らない」
「殺人鬼が病院に入院してよォ……他の患者を……キキャキャ……拷問して殺していく映画なんだよォ……!」
「ア、アイエエエエ……!?」
「……28回観た……暇だなァ、いま観てェなァ……」
「誰か……ナース……」
カナスーアはナースコールボタンを繰り返し押した。アクセルジャックはジャックナイフをしまい、かわりに、どこかからくすねた注射器を取り出した。
「これか? これはな、そこの冷蔵庫からちょろまかしたんだ。大丈夫だよ。お、俺、薬物には詳しくてよォ。……キクぜ? ヨロシサンのニンニク注射はよォ……!」
アクセルジャックは目を細め、注射針を己の首に突き刺すと、黄色い薬液をポンピング(ピストンを押し引きして薬剤と血液を混ぜ、残さず体内に入れる行い)しながら、よだれを垂らし、痙攣しながら叫びだした。
「ア、アアー、アアッ! アアッ、イイゼ! ビタミン! キクゼーッ!」
「ア、ア、ア……」
「キクーッ!」
恐ろしすぎる。だが、逃げようとしても、安定剤の力で動けない。ナースコールボタンを繰り返しプッシュするが、反応がない。カナスーアはアクセルジャックの狂笑をただ間近で見続けるしかなかった。
◆◆◆
「イヤーッ!」「アバーッ!」
色付きのコマめいた風はニンジャの回し蹴りだった。カラテビーバーの危険な前歯が砕け、獣は泡を噴いて後退した。サブジュゲイターは中腰姿勢になり、カラテを高める。
「ゴルルル、アバババ!」
カラテビーバーの上半身の筋肉がパンプアップした。カラテの漲り! だが前歯が生え変わるまでに数十秒の猶予がある! サブジュゲイターはこの隙を逃しはしなかった。
「イヤーッ!」「アバーッ!」
トラースキック! カラテビーバーが締めた黒帯が弾け飛んだ! カラテビーバーはキリモミ回転しながら吹き飛び、崖に衝突して絶命した。
「フフッ……動物ごときがヨロシサンCEOに牙を剥くなど、あまりにもおこがましい行い。そもそも黒帯などと! 文明あれかし。私からはそれだけです……」
ザンシンを終えたサブジュゲイターは乾いた泥汚れを払い、勝ち誇った。薄汚れたワイシャツとスラックス姿の彼は、実際ヨロシサン・インターナショナルのCEO、ヨロシ・サトルその人である。彼は何故ネザーキョウの領内に? それを事細かく説明するには大変な時間が必要となるだろう……。
「ハァハァ……お、お見事です、CEO!」
そこへ走ってきたのは、カラテビーバーの襲撃から避難していた秘書のナイン・トオヤマだ。二人はプライベートジェット墜落の折に離れ離れとなっていたが、困難な冒険ののち、既に再会を果たしていた。
「こちらへ! ひとまず休息が可能な環境を整えました」
ナインが彼を導いた先は、小さな滝を隣に見る断崖の洞穴だった。
「スプレンディッド(素晴らしい)……これを君が?」
穴の奥には、かりそめの休息地と呼ぶには贅沢な、暖かく快適な空間が作られていた。地面や壁に柔らかい樹皮が重ねてあり、座ったり、横になって休むことができるし、寝床のために乾いた草が積まれていた。
「何ヶ月でも滞在できそうだ! ちょっとした野趣がある!」
「恐縮ですCEO。カラテビーバーは水場に要塞を築く習性を持っているようですね。付近の素材を利用しました」ナインは答えた。「……それから、そのう、山キャンプは個人的な趣味でもあります」
「なんと奥ゆかしい」
「しかしながら、この場所での長期滞在はさすがに御免被ります。カラテビーストの遭遇率は想定よりかなり高いです。この洞窟で夜を過ごし、明日早朝に再び移動を開始しましょう。プライベートジェットの墜落から日数も経過しています。既に救出チームのニンジャ戦力がこのネザーキョウに入り込んでいる筈で、その点は私も心配していませんが……」
「当然、優秀な我が社のニンジャ達の緊急ミッション精度を疑いはしません」サブジュゲイターは目を細め、考えを巡らせる。「この機会に社内クーデターを企図する勢力を炙り出す事にもなるか……」
「ところでCEO、大変恐れ入りますが……」
「なにかね? この状況下です。生存する為には互いにブレイコしなければならない。何なりと言い給え。私はCEOであり、ニンジャでもあります。状況打開の力は非常に充実したものが……」
「先程のカラテビーバーを今夜の食事にしましょう。肉を回収し、毛皮を剥いでいただいても?」
「ン……つまり……私がかね?」
◆◆◆
モミジの雨の中でヘヴンリイは目覚めた。身を起こすと、渓谷の急な斜面が背後にあった。タイクーンの治世になってからの作であろう、渓谷の岩を削ったと思しき数十メートルのブッダ像が建ち並んでいた。
彼女は尻の下に水の冷たさを感じた。渓谷の斜面を下り降りてくる清い水だ。地面をひたひた流れる透明な水が、舞い散る赤いモミジを浮かべ、下流へ運んでゆく。
「カッ……カ! ガッハ!」
ヘヴンリイは喉に溜まった固まりかけの血を吐き出した。胸の傷は深かった。立ち上がるにも難儀する。ヘヴンリイは屈辱を感じた。イクサはどちらが勝ったのか。記憶が曖昧だ。彼女とヤモトは転落しながら殴り合い、斜面に叩きつけられ、傷つき、石塊とともに滑落しながら、なお戦った。その後どうなった……?
「……」
川の中州に、ひときわ大きな石塊が突き刺さっていた。遥か頭上、鬱蒼と茂るモミジの大樹の葉の隙間から落ちてくる光の筋が、その石塊をスポットライトじみて照らしている。
ヘヴンリイは目を見張った。そこにはニッタ・カタツキがある! イクサの中で転げ落ちたか! 傷ひとつ無し!
彼女は茶器のもとへ駆け寄り、素早く掴み上げた。
「間違いねェ! 面倒かけさせやがってよォ!」
ピィーッ! 指笛を吹いてしばし待つと、上からカラテキジが飛び来たった。ヘヴンリイの所持するカラテファミリアである。彼女は懐から袋を取り出し、茶器をしまうと、カラテキジに預けた。
「責任持って運べよ、お前」「ケケーン!」
カラテキジは一声鳴くと、力強く羽ばたき、飛び上がった。
「……さてと。どう帰れッてンだ。クソが」
ヘヴンリイはまばらな光降り注ぐ谷底を見渡し、考えを巡らせる。ニッタ・カタツキの確保は為ったが、己自身の手で持ち帰れない事は全く以て屈辱だった。己の力不足に腹が立つ。
「ヤモトの首級でもあげなけりゃ、このイラつきは到底鎮まらねェ……! 奴はどこ行きやがった?」
頭の二本角の放電はおぼつかない。ニンジャ第六感を研ぎ澄ませようとするが、うまくいかなかった。ヘヴンリイは胸の深手に思い至る。満足な力を得られない理由はこれだと、遅れて気づく。そもそも読者の貴方がニンジャ医であれば、心臓付近をえぐられながら平然と思考し行動しているこのヘヴンリイの度外れた生命力に驚き呆れた筈だ。
「どこだ……ヤモト……このくらいのハンデはくれてやるッてンだよ……隠れてンじゃ「ゴアアアアアオオオオオン! ゴウオオオオオオオオオオオン!」
凄まじい咆哮が谷を震わせた! ヘヴンリイは身構えた。KRAAAASH! KRAAAASH! KRAAAAAAAAAAASH! 凄まじい震動を伴い、谷の奥から突進してきたのは、全長20メートルはあろうかというカラテイノシシであった! 黒帯を締め、目には炎じみて殺気を滾らせ、ブッダ像に身体の側面をぶつけながら、向かってくる! 谷底の主か!
「ボウウオオオオオオン! ゴウオオオオオオン!」
「ヌウーッ!」
ヘヴンリイは横に転がり、轢き潰される事態を免れた。カラテイノシシはブッダ像の一つに体当りして破砕し、谷の斜面を刳り、ほとんど倒れ込むようにしながら方向転換した。明確な殺意をヘヴンリイに向けている。
「ゴルッ……ゴルゴルッ……!」
「テメェー! オレ様がどこの誰だと思ってやがる……!」
ヘヴンリイは拳を打ち合わせ、カラテを高めようとした。平時であれば獲物の大小など問題にならず。ソニックカラテで屠るだけだ。だが今、視界が霞み、放電もままならない。
「チクショ……」
「ゴアアアアアアアアオオオオオオン!」
カラテイノシシが地面に鼻面を叩きつけ、削り上げると、土砂が宙を舞ってヘヴンリイの頭上から降り注いだ! ヘヴンリイは後退する! 回避は……不可能か……!
「イヤーッ!」
その時だ! ブッダ像を駆け上がった桜色の影が、カラテイノシシの首筋に飛びつき、手にしたカタナを深々と埋め込んだのだ!
「ンアーッ!」
カラテイノシシは凄まじく首を振り、そのニンジャを……ヤモトを、撥ね飛ばした! ヤモトは空中でクルクルと回転し、ブッダ像の掌を蹴って、体勢を立て直そうとした。その顔が苦痛に歪むのをヘヴンリイは見た。傷が機敏な動きを妨げているのは明白!
(当然だ。奴はオレとやり合った。ピンピンしてるワケがねえ、ザマを見やがれ……)
KRAAAAAASH! カラテイノシシはブッダ像に頭突きを食らわせた! 震動、粉塵、像の破砕! 落下するヤモトを垣間見る! やるなら、今しかない!
「イヤーッ!」
ヘヴンリイはカラテを振り絞り、ジェット加速を乗せて斜めに跳躍した。空中でキリモミ回転したヘヴンリイが繰り出したチョップ突きが、カラテイノシシの左目に、腕の付け根まで突き刺さった!
「ボアアアアアーッ! ボアアアアアアーッ! ボウオオオオオオン! ボウオオオオオーン!」
「グワーッ!」
ヘヴンリイは岩に身体を叩きつけられた。カラテイノシシは……足を引きずりながら、地響きを伴って、逃げ去った。
それから数分が経過した。
「おいヤモト=サンよ」
仰向け状態で、ヘヴンリイが声をあげた。身体の下の清流が、彼女とヤモトの血を、モミジと共に下流へ洗い流してゆく。
「ニッタ・カタツキは……いただいた。とっくに……タイクーンのところへ……送ってやった。ザマァ、見ろ」
「……!」
ヤモトは呻き、震えながら岩に手をついて、起き上がろうとする。ヘヴンリイはそれに応じた。
「オイ……テメェの力、もう弾切れなんだろ? オレにゃハッキリわかるんだよ。覚悟しやがれ……」
「試してみればいい。後悔するよ」
ヤモトは冷たく言った。ヘヴンリイはヤモトを睨み、その力をはかった。彼女の目はいまだ謎めいた桜色の光を湛えている。だが利き腕が折れているのがわかった。しかし……ヘヴンリイも、もはや立つのがやっとの有様であった。
「このまま殺してやりてェところだが……正直……オレも今は……元気がねェ……クソが……」
「……!」
ヤモトはヘヴンリイに言葉を返そうとして、言葉を止めた。彼女は素早く周囲を見た。ヘヴンリイは呻いた。不穏な息遣いを伴う無数の獣の眼光が、二人の周囲に灯り始めた。
「チッ……。カラテウルフだ。血の匂いを嗅いで、集まってきやがった」
「どうする」
ヤモトは尋ねた。ヘヴンリイは獣たちに警戒しながら、ヤモトに近づく。
「やるしかねェだろうが。だが、いいか。テメェの事は、後で絶対、殺す。わかってンな」
「アンタには絶対、無理」
「クチの減らねえ女か? テメェ……!」
「アンタもね」
二人はカラテビーストの包囲に対峙した。
◆◆◆
ゴーン……ゴーン……ゴーン……ゴーン。一定間隔で通過するトリイ・ゲートの風圧を感じながら、マスラダ、コトブキ、そしてザックの三人は、ヨロシンカンセンの車両屋根上でスタンバイしていた。
「本当に、いいんですね、ザック=サン」
屋根のハッチから上半身を覗かせ、サガサマが再度、念を押した。
「私ならば、責任を持って、貴方をニューヨークまで連れて行けるんですよ」
「いや、平気だ」
ザックはしがみついていたコトブキの服のすそから手を離し、力強く頷いた。
「俺は強い男になりてえ」
「ならばこれ以上何も言いますまい。畢竟、知らない同士の一期一会です」
サガサマは承知した。
「短い間でしたが、貴方がたの事は強い印象に残りました。幸運を祈っております。……お二人とも、ザック=サンをよろしく」
「もちろんです」
コトブキが請け合った。ザックは拳を固めた。
「大丈夫だ。俺、アニキやコトブキ姉ちゃんに面倒はかけねえし。自分の事は自分で守る。ずっとネザーキョウで生きてきたんだ。役に立つし、むしろ、あっちじゃセンパイみたいなものだって話!」
「本当に、どうかご無事で」
サガサマは身を乗り出し、ザックと握手した。サガサマはマスラダを見た。目が合うと、マスラダは無言で頷いた。
サガサマが風圧に困りながらハッチを閉めて車両内へ戻ると、三人は傍らのインテリジェント・モーターサイクル、シグルーンにまたがった。マスラダの後ろにコトブキがタンデムし、二人の間にザックが挟まれる形だ。
ドルッ……ドルルルル! マスラダは前傾し、シグルーンを車両前方方向へ走らせはじめた。
「4秒後、トリイ地帯が途切れます。ここがベストです!」
コトブキが指示する。シグルーンは車両屋根上をギリギリまで加速走行し続け……線路がカーブに差し掛かったタイミングで、飛び出した!
【ビフォア・ジ・エンド・オブ・ザ・ライン】終
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