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S5第4話【ゲイシャ・フラッシュバック】

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S5第1話【ステップス・オン・ザ・グリッチ】

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1

 イツコはうたた寝から覚めた。ウオヤマ・サンドの小綺麗な坂道、半地下のクラブ「ダモの」。イツコは廊下の椅子に腰掛けている。目の前の鉄扉が開いたり閉まったり、客がフロアを出入りするたび、爆音が断続する。時計を見ると午前4時。電車が動き出す頃だ。

 イツコは立ち上がり、欠伸をした。顔見知りのイシカワが、壁に寄りかかって電子タバコを吸っている。「あれ? 帰るの? イツコ=サン」「うん、帰る」イツコは目を擦った。イシカワの電子タバコの表面に、1677万色のUNIXライトが脈打っている。「今日はバイト?」「休み」「ふうん。おつかれ!」

「おう、帰るの?」「帰る帰る」「もう帰るんだ?」「帰る、帰る」小さいクラブだ。客は大体知っているが、何をしている人なのかは大体知らない。「俺も帰るけど、ラーメン食べてく?」「いや、いいや。今日はひとりで」「おつかれ」イツコは階段をあがる。明け方の空は灰色がかった黄色だ。

「安い。安い。実際安い」日中・深夜はけたたましい広告音声も、明け方はまだ幾分おとなしい。路上で八の字を描く円柱型ドロイドの「十人十色。十人十色」という音声にもどことなくワビサビがあった。イツコは駅に向かって歩いた。太ったネズミが道を横切る。イツコ同様に駅に向かうまばらな市民。

「ダモの」に居れば、皆、平和で、音楽が流れている。でも朝がくる。生活が始まる。今日。明日。明後日。生活といえるほどの生活もない。イツコはなんともいえない気持ちになった。悲しいわけでもない。だが涙が流れた。目を擦った。「……?」気持ちが吹き飛んだ。視界に、奇妙な影が挟まった。

 街灯の下に立つのは、電子戦争以前のヴィンテージ映画女優めいて、深緑のワンピースと白い帽子、頬紅、長い睫毛。美しかった。だが、半透明だった。輪郭には砂嵐めいたノイズが重なっていた。イツコはゴシゴシと目を擦った。見えなくなる。瞬きする。また映る。女が顔を上げ、イツコを見る……。


【ゲイシャ・フラッシュバック】


「……ッていう事が、あったんです」イツコはなるべく淀みなく説明することを心がけた。自我科医師はウンウンと頷きながら、彼女の話を聞いていた。右手でUNIXデッキのキーを叩き、モニタの波形を確認している。「脳波は正常値の範囲内ですね」「私、ヤバくなってないですよね?」

「ヤバいッていうのはまあ、主観の問題ですけどね」自我科医師は曖昧に答えた。「今の段階ではまあ、おかしな状態ではないと」「でも、おかしいですよね。私、それで、確かめようとして、近づいたんですよ。角度変えたりとか。消えたり現れたりするけど、その人、そこに居たんです」「なるほど」

「先生、ユーレイ信じます? 私、信じないです。だって、脳って臓器ですよね? 脳が無ければ、考えたり喋ったりもできないですよね。それが無いんだから……」「まあ落ち着いて。あなた、しっかりしてますよ。その脳の波形も正常です」「じゃあ何だったんですかね? おかしいのは世界?」「ちょっと」

 イツコは徐々にヒートアップし、自我科医師に顔を近づけた。医師はやや気圧され、そして気付いた。「ああ、サイバネアイの重点検査してみますか。そういうグリッチが出る事もあります」「サイバネ? 私、左目に入れてますけど、でも、右目でも見えてましたよ」「視神経の深い部分に作用するドライバがね……」

「そういうのじゃないと思うんですよ」イツコは食い下がった。医師に説明したように、あの女性は回り込んで見る事もできたし、触れようとするとノイズが生じて輪郭がほぐれた。そのさまは神秘的だった。網膜に焼きついたぐらいなら、もっと平面的だった筈だ。「じゃ、そこの椅子に座って」「ハイ」

 自我科医師はイツコの首の後ろのソケットからデッキにLAN直結し、網膜にレーザーを当ててスキャンした。「……うん。やはり。ドライバ異常が出ている。サイバネアイは中古ですか?」「いいえ。ミハル・オプティで、48回払いで入れました」「多分、更新時に何かあったんでしょうね」「ええ……」

 自我科医師はデッキを操作し、文字列を見た。「うん、べつに大手術にもならないし、ただドライバを上書きするだけだからお金もかからないですよ」「ホントですか」「最適化を行えば元通りになります。とりあえずその幻覚、消して終わりにしましょう」「お願いします! ……あ、でも」「何です?」

 イツコは不思議そうな自我科医師の前で言い淀んだ。急に、躊躇われた。深緑のワンピース、頬紅、長い睫毛。イツコの記憶から生まれたものではない。あの場所に在ったもの。「……いったん待ってもらって、また後日でもいいですか?」「この後ご予定が?」「そんなところで……」

「放置するのはお勧めはしませんよ。こういうのって何があるかわからないですから。あのね、正常でない事が実際確かめられてるんですからね。とりあえず侵食型のウイルスではないですが、単なるグリッチでも、視神経は……」「大丈夫です、すぐまた来ます、ホントに」イツコは立ち上がった。

 自我科の帰り道、イツコは普段より少し良い店で、パックのスシと強炭酸のオカヤマ・ジン缶を買い込んだ。イツコの住むアパートは丁字路沿いにあり、一階が縁のないショーギ・ジムだ。営業しているかどうかよくわからないが、いつまでも潰れない。三階の自室で、彼女はモニタの前に座る。

 IRC端末にはバイト先からのシフト確認の連絡と、オキトからの鬱陶しい着信が残っている。彼氏ヅラでダルいやつだった。今日のテンションが閾値を超えさせた。イツコはオキトをブロックし、モニタをONにした。討論番組。「先週の流星群といい、以前キルゾーンに出現して以来動くことのない、所属企業不明の城郭といい……」

「これはね、非常にエマージェントですよ。社会が挑戦されています」「若者が危ない……」イツコはタオルケットを頭から被り、ジン缶のプルタブを開けた。そしてオンデマンド映像をリクエストした。「あなたとレールウェイの街」。電子戦争以前のヴィンテージ映画のリマスターだ。

 ささくれた質感の、街の風景。この時代にはインターネットもIRCもなかった。まるでわからない時代に実際に生きていた俳優を、こうして2049年のネオサイタマの人間が視聴している。イツコは奇妙な感覚の中で、スシを口に入れた。この人達もスシを食べたかな。女優が寂しげに微笑んだ。

 ファッションの年代感は、ちょうど「あのひと」の頃だ。レールウェイのある街に、なにもかも失い、帰ってきた男。女は男の頬を張り飛ばす。それから抱きしめた。男はぐっと表情を強張らせ、喜怒哀楽を殺していた。イツコはさめざめと泣いた。ジン缶の三本目。「消したくないよ」彼女は呟いた。

 三本目を開ける頃、モニタにはスタッフロールが流れている。イツコは立ち上がり、窓の外を見た。夕方だった。クラブから明け方に帰って、気絶するように寝て、自我科に行って、映画を見て、これで休日は終わりだ。先週、空に光る流星群を見たとき、胸騒ぎを覚えた。だが、それだけだった。

 でも、今度のことはどうだろう。暮色を見上げながら、イツコは少し考えた。「うん」彼女は頷き、シャワーを浴びて、それなりに身なりを整えた。「ダモの」に行く時よりも、もう少しキアイを入れた。ウオヤマ・サンドは治安良好地域。電車の路線もまともだ。彼女はヘッドフォンを被り、出発した。


◆◆◆


「安い! 安い! 実際安い!」「ヒートリ、コマキータネー……アカチャン」「全員に注意! 詐欺!」「ローンを超えるローン! 貴方は何度でも借りられます! 貸したい」駅前の広告音声を背後に、イツコはウオヤマ・サンドの坂道を上がる。道路は円柱型ドロイドに掃き清められ、路面店の明かりは優しい。

 駅を変えれば、街の様相はガラリと変わる。細かくトッピングを区切られたピザ、あるいはマクノウチ重箱におさめられた色とりどりの和菓子のように。そこがネオサイタマの興味深いところだった。アトモスフィアが、その場にそぐわぬクラスターを拒絶する。ウオヤマを歩く時はイツコも緊張する。

 深夜、ウオヤマ・サンドの半地下のクラブにやってくるのは、イツコのような、どこかしら外の地域の人間だ。「ダモの」に居れば、何も要求されない。気楽な場所だった。一方、実際にここで家を持ち駐車場に高級車を停めているような市民は相当のカネモチだ。時刻は日の入り。混じり合う時間帯だ。

 やがてイツコは、例の街灯に至った。而して……「あのひと」は、立っていた。街灯の下、白い帽子、緑のワンピース。イツコは声を上げかけた。周囲を見る。行き交う市民が何人か。オープンカフェで夕暮れを楽しんでいるカップルもいる。もう一度、路地裏手前の街灯に視線を戻す。女がイツコを見た。

 誰も彼女を気にしていない。それはそうだ、ネオサイタマは無関心だ。だが、それにしても。繁華街ならいざ知らず、このような場所でずっと立ち尽くしていれば衆目も引くだろう。イツコは意を決して回り込み、女の正面に立った。女はイツコを目で追った。その輪郭には01のノイズが混じる……。

「あの」 

 女はパチパチと瞬きした。イツコの声掛けに反応したのだ。少し微笑んだ。間違いなく。そして示した……裏路地の先を。イツコは女の指先が示す先を見た。建物の谷間めいた細い道、街灯の下に、女が立っている。視線を戻すと、イツコの目の前にはもう、いない。

「……!」イツコは目を擦った。視界に01ノイズがチラついた。イツコは夕暮れのウオヤマ・サンドを背後に残し、迷わず裏路地の先に進む。街灯の下で女が待っていた。イツコは近づいた。「こっちでいいの?」「遘√?縺薙→縺瑚ヲ九∴繧九?縺ュ」ガサガサしたノイズが女の顔に被さる。「何を言っているのかわからない……」

 イツコは強く瞬きし、こめかみを押さえた。輪郭が戻った。女はイツコを見ていた。イツコは問うた。「貴方は何? どうして私には貴方が見えるんだろう?」「……」ザリザリ。女が霞んだ。消えた。イツコは裏路地の先を見た。明滅する街灯の下に女が立っている。イツコは走り出した。

 ヒートリ、コマキタネー……。遠く、広告音声の微かな音楽。日は落ち、夕闇が谷間めいた路地裏に降りた。建物の狭間に飾られたマネキネコが、走るイツコを見守っていた。やがて通りが不意に広く開けた。イツコは見上げた。一等地にぽつんと存在する、廃墟じみた一軒家を。女が中に入ってゆく……。


2

 イツコは周囲を見た。路地裏だ。自分が通り抜けてきた、ごく狭い裏通り。ウオヤマ・サンドの隠し道じみていた。不意にイツコは顧みた。日も暮れてしまった。にわかに不安が身をもたげる。どうしてこんな所まで来てしまったのだろう。……彼女は一軒家を見た。それは、憧れだ。憧れの為に。

 女の背は、戸口でノイズに散った。建物は女同様、電子戦争以前のレトロな佇まいだった。きっとウオヤマ・サンドのような地域だからこそ許される贅沢な保全だ。建っている建物が昼夜のうちにすら変わってしまうようなレイド・チョウやカブキチョのような繁華街とはまるで違う時間の流れなのだ。

 どうして女は自分を誘ったのか? どうして大昔から在り続けるのか? 答えてくれるのだろうか? そこには、イツコが苛まれる、薄く引き伸ばされた漠然とした無為の不安から一番遠い、価値あるものが、きっとあるのだ。イツコは深呼吸して、装着していたヘッドフォンを首に下ろし、意を決して進んだ。

「……」戸は、ゆるい風を受けて、内側に開いた。まさにイツコを誘うように。イツコは上着に手を入れ、護身用のスタン・パルス・ジュッテを握った。そんなものはお守りに過ぎない。自分は不法侵入者だ。咎められた時、何と言う。昔風の美しい女性に導かれたんです、と? 誰が見ても発狂マニアックだ。

 ヘッドフォンの発光LEDが闇を照らす。小綺麗な玄関ホールに、イツコは居た。埃やカビのニオイを感じない。管理されている様子だった。ますます緊張が高まる。暖炉には液晶パネルが嵌っている。在宅時に、燃える薪を映すのだ。「……」ニ階に通ずる湾曲した階段をイツコは見た。女が上がってゆく。

 イツコはもう一度後ろを見た。戸口に切り取られた外の路地が見える。今なら帰れる。だが……女は湾曲した両階段から吹き抜けの奥に上がり、手すり越しにイツコを見ていた。イツコは階段を上がる。物音はしない。自分の足音と、チリチリという微かなサイバネアイのノイズ以外には。

 2階に上がりきっても、女は消えなかった。「ねえ」イツコは声をあげた。「貴方の名前は何?」廊下に面した扉が開いている。女は部屋に入ってゆく。イツコは追った。「どうして私をここに誘ったの? 教えて……ほし」イツコは息を飲んだ。高い天井と、長い食卓。並ぶ椅子に、女たちが座っている。

 カシャンという音は、背後で格子戸が落ちた音だった。「え……!」イツコは訝しむ前に激痛に苛まれ、こめかみを押さえた。左目が一瞬ブラックアウトし、その後、視界の端に「メンテナンスを要する」の表示が小さく灯って、消えなくなった。ロマンチックな、レトロな装いの女たちの顔にはグリッチ。

 カシャン! カシャン! 金属的なサウンドを伴い、視界が、UNIXライトがブラックアウトし、また明るくなった。何らかの電磁ノイズの後、部屋自体に照明が灯ったのだ。「アイエッ!」イツコは反射的に天井を見上げ……「アイエエエエ!」悲鳴を上げた! 上から逆さ吊りになっているのは無数の死体袋だ!

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