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【さいはてのペイルホース】 #1

ポータル ◇1 ◇2 ◇3


 薄暗い店を漂う没薬の煙は、紫肌の楽師が奏でる骨琴の音と絡み合って、その幻惑作用を一層強いものとする。壁一面には無数のイコンが飾られている。砂金を用いた神秘的な光の表現が、薄闇の中で濡れた輝きを放つ。当然それは信仰心からのものではなく、風化時代への単純な美的興味からのディスプレイだ。

 店には様々な種族、様々な生業の客が居た。店に入って来た少年は、しかし、陽の光の下をまともに歩けない者たちでごった返す中にあって、やはり異質であった。

 諍いや暴力の絶えぬ店であったが、少年に対して侮りや挑発の姿勢で向かっていく者はなかった。まともな未成年がこのような場所に足を踏み入れるわけはなく、すなわち、警戒すべき存在であった。

 少年はその年齢にはおよそ不似合いな黒い外套を着、肩の上あたりに、黒い甲虫のような自律機械のしもべを浮遊させていた。

「ご注文は」

「水を」

 少年が答えた。汚染の無い水はクナの蒸留酒よりも価値が高い。バーテンは頷いたが、懐疑的な目だった。

「あたしも」少年に付き添う美しい女が続けて注文した。「喉が乾いてしょうがない」

「無理すんなよ。お前が飲みてェのは血なんだろ、怪物め」

 風化時代のモヒカン風に頭頂部の毛を逆立てた男が舌なめずりして女を見、罵った。その首筋にナイフが当てられた。女の手だ。腕はカウンターに置いたまま、手首から先が宙を飛び、少年の目の前を横切って、彼の首筋をとらえたのだ。

「そうかもね。でもアンタの血は要らない。腹を下しそうだ」

「船長いいンスか? 船員間の殺し合いはご法度の筈ですぜ!」

「ギャス。きみも頼むといい」

「乳酒だ。おいミメエ、いい加減ナイフをどけろ……」

 "ギャス" と呼ばれた男は掠れ声で呟いた。少年の肩の上の黒い自律機械が不穏な光を明滅させた。そして言葉を発した。

「諍いは自身のためにならない」

 無機質で、しかし厳しい響きを帯びた言葉だった。"ミメエ" はそちらへ鼻を鳴らした。ナイフを持つ手が飛び戻り、彼女の手首に嵌まった。ギャスは長い溜息を吐き、舌打ちした。

「乳酒と……それからナッツだ、畜生」

「へい」

 バーテンは水の入った陶磁器と乳酒の鉢、複数のナッツと干した湿り果の皿を出した。対価を払うのは少年だった。三人はカウンターの席にそのまま掛け、言葉少なに出されたものを摂った。骨琴の演奏は激しさを増し、手拍子が始まったが、客は今やこの異様な三人連れをほとんど注視しているといってもよかった。まともな集団ではない。そして、明らかにこのあと、のっぴきならない出来事が起こる。生物の生存本能がそうした空気を嗅ぎ分け、酩酊の中で彼らに警告するのであった。

「呪いじゃ」老婆が呟いた。「呪いじゃて」

 骨と皮ばかりの手がゆっくり動き、少年たちを指さした。目深にかぶったフードの奥で五つの眼光が光った。

「ア? ババア、こら」ギャスは椅子を蹴り、老婆のもとへ歩いて行って凄んだ。「何勝手に占ってやがる。それも、何だァ? 呪いだと? 縁起でもねえ事ぬかしやがって。葬式してやろうか、今すぐに?」

「……呪い」

 老婆はギャスの肩越しに少年を指さした。ミメエは指先と少年の間に割って入るように動いた。照射型の隠し武器を警戒したのだ。店内は静まり返り、骨琴の調べもおずおずと速度を落として、やがて演奏は止まった。老婆はギャスをグイと押し退け、真鍮飾りで重く飾られたボロ布を引きずって、少年のもとに歩いて行った。

「呪いじゃ。死人の力が溢れておる……」

 老婆は黒い外套に触れた。少年の肩の上に浮かぶ黒い機械が微かに震動し、ミメエが老婆に刃を突き付けた。少年は制し、老婆を見た。

「貴方がここの "しるべ売り" か」

「……」

 老婆は押し黙った。少年は察した。掌の上に銀貨を転移させ、それを手渡した。老婆は頷いた。

「呪われ人よ。お探しのものがございますぞ」

「ハッタリかましやがって。ババア」

「さあ呪われた!」

 老婆は毒づいたギャスを指さした。ギャスは手斧を構えた。少年は首を振った。

「探しものは確かにある。そして、確かに呪われている」

 少年は姉を思った。船内の保存装置の中で目を伏せて凍りつく、うつろな姿を。老婆は肩を震わせる。

「ウース・ツー・スー・クーの姉妹はエテルの手を取り合う。……そなたらの求めるものは、深き井戸じゃ。深き井戸。冒涜は禁忌の獣を呼び覚まし、光ささぬ深淵に至り、闇の宮に通ずる」

「……」

 少年とミメエは目を見合わせた。 老婆は指を三本立てた。少年は更に三枚の銀貨を取り出し、老婆に渡した。老婆は深々と頭を下げ、人差し指を突き出した。ホロ映像の格子図と光点が宙に生じ、少年の腕輪に光線をリンクした。

「ご武運を。呪われ人の君」

「武運? なぜ」

「すぐにわかりまする……」

 情報の送信を終えると、老婆は這いつくばるほどに平身低頭し、にじりながら暗がりに消えた。

 少年はミメエに囁いた。

「今のは……予言の技なのか? そういう力の持ち主がいるのか。ウンブダのような……」

「ハッタリさ。しっかりしなよ船長」ミメエはくすりと笑った。「この最果て地域にわざわざ訪れる奇特者の目的なんざ、似たようなものさ。白真鍮堀りの連中……そいつら相手の商売人……手配屋……香具師連中……詐欺師連中。最後に、それ以外。アタシらの事は "それ以外" に見えたんだろ。気持ちを盛り上げるハッタリさ。何が獣だい。獣なんざ、何の比喩にだって出来るじゃないか。実際、おめでたい奴は、たかが名所の道案内に銀貨を三枚余分に支払ったワケ」

「闇の宮、深い井戸。禁忌の獣……」

 少年は呟いた。ミメエは顔をしかめた。

「ピオ。頼む」

 少年は肩の上に浮かぶ黒い自律機械に囁いた。

「解析を行います。解析中。解析が完了しました」

 自律機械の "ピオ" は無機質な応答を返した。ミメエは少年の腕輪に触れた。生成されたホロ映像に目を細める。

「フン、まっとうな情報だね。座標も構造図もアリだ」

 地鳴り。カタカタと鳴る。店の者達は顔を見合わせる。少年はピオに尋ねた。

「また揺れた。この地は地震が多いのか」

「そうした気象データの蓄積は確認できていません」ピオは答えた。「ただそもそも、情報自体がそう多くないのです。このさいはてに関しては」

「ミメエ。"しるべ売り" は、武運がどうとか言っていたけど」

「それもハッタリさ。ただ、種類の違うハッタリ。つまり……」

 ミメエはギャスを見た。カシュッ! 乳酒を呷りながらギャスがボウガンの引き金を引くと、店に入って来た武装集団の先頭の一人が額に毒矢を受けて、痙攣しながら転倒した。悲鳴が上がった。

「ね? 荒事が起こらないワケはないんだ、絶対に。占い師だろうが六歳の鼻垂らしだろうが、そんな事は予想できるさ」ミメエが肩をすくめ、首を傾げて見せた。「こんな場所までご苦労なこと。かわいい連中だ」

「死ッ死ィー! キヤァー!」

 ギャスは奇声をあげて連続で矢を放ち、泡を食って光弓を構える武装集団を一人また一人と射殺していった。そしてミメエを怒鳴りつけた。

「ミメエ! 遊んでンじゃねえぞ!」

「珍しく働くねえ、ギャス」

 ZAP! ZAPZAP! 光弾が三人の横や上をかすめて飛び、カウンターや瓶や酒のサーバーを焼き溶かした。酔客は怒号と悲鳴を上げて散り、壁際で押し合った。バーテンの姿は既にない。地下室へ入り、安全扉を中から施錠している。慣れ切っているのだ。

 ZAP! 少年の頭を狙った光弾は、目に見えぬ障壁に阻まれた。自律機械が少年にまとわせた防衛機構である。ナイフ持つミメエの手首が飛翔し、狙撃者の首を刎ね飛ばした。

 幽鬼の魔術じみて舞い狂う刃に四肢を斬り裂かれ、武装集団は恐慌に陥った。

「クソッ……殺せ! 三人だぞ!」

 逆光のなかで首領格が狼狽えながら叫ぶと、光弾の掃射を縫うようにして、直剣を構えた白兵が襲い掛かった。ギャスはボウガンを足元に落して両手に手斧を構え、走りくるものを切り伏せた。

「くあーッ!」

 ギャスは憤慨とも歓声ともつかぬ奇妙な叫びをあげ、白兵の頭蓋から引き抜いた斧を次の相手に叩きつけた。

「ひとり頭、銀貨500!」

 首領格が追加条件を提示! ミメエの刃が戻ってきて、白兵の首を後ろから刎ね飛ばした。

「しかも一人はガキだぞ! 貴様ら!」

 首領格が案件の容易さを強調! 少年は流麗な金細工の施されたサーベルを抜き、向かって来た一人を逆袈裟に斬りつけた。

「キイイヤアーッ!」

 ギャスは雄たけびを上げ、崩れ立った武装集団に自ら向かっていった。

「やれ! 怯むなッ!」

 首領格はとにかく命令! 下がりながら怒声をあげる。狂ったように戦うギャスのまわりで血と四肢がバラバラに噴き上がった。

「店の貴様ら! 見物している奴ら! 銀貨50、いや70くれてやる。加勢しろ!」

 首領格はなりふり構わない! BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! 少年は左手で拳銃を抜き、銃のホルスターに手をかけた酔客を躊躇なく撃ち殺していった。ミメエが弧を描く見事な跳躍で天井付近まで跳び、首領格の背後に着地した。

「はい、おしま~い」

 後ろから首筋にナイフを当てる。そこへギャスが斬りかかり、首領格の頭を斧で割ろうとした。

「死ィーッ!」「待ちな」「あヒッ!」

 ミメエの左手が飛び、ギャスの斧を弾いた。ギャスは後ろへ跳ね返るように倒れ、転がり、テーブルを巻き添えにした。ミメエは唾を吐き、首領に当てた刃の拘束を強めた。

「一応、コイツに話聞かないとダメだろ」

「クソが……!」

 首領格は怒りと恐怖に震える。ミメエはその耳を噛んだ。

「で? なんで襲ってきた?」

「決まってる……テメェら <蒼ざめた馬>だ……殺して差し出せば、カネになる……」

「よく調べたじゃないか。詰めが甘かったね」

「呪われよ……カ、カッ」

 首を裂かれ、首領格は血だまりの中に倒れた。ミメエは死体を蹴り転がした。客たちが遠巻きに見つめている。

「他の賞金稼ぎも、ぼくらがここに居ると知っているだろうか」

「さァね」少年の問いにミメエは首を傾げて笑う。「少なくともコイツらは秘密にしてたろうね。ライバルを増やすだけだから」

「散れ、クソども! 見せもんじゃねえンだ!」

 ギャスが叫んだ。少年に促されて、彼はカウンターに銀貨を叩きつけた。

「死体の処理代だ。埋めとけや」

「え……そ、そりゃあもう!」店主はおそるおそる銀貨を手に取り、噛んだ。「えへへへ! ありがとうごぜえます!」

「これもよこせ」

 ギャスはカウンターを乗り越え、蒸留酒の瓶を幾つも盗み取った。それらは彼の手の中で光る靄に変わり、消失した。船内の倉庫に「送り込んだ」のだ。

「無駄なものでインベントリを散らかすんじゃないよ」

 ミメエが咎めるが、ギャスは無視した。皿のナッツをまとめて口に入れると、ボウガンを蹴り上げ、掴み取った。

「出発の時間だ。それじゃ行きやしょうぜ船長!」

 地面が揺れた。群衆は囁きあった。大地の不吉と、来訪者の不吉を。

「ああ畜生め! やってられねえや。俺は洗練された人間だからよォ。はやいとこ、大手を振って都会を歩けるようになりてェんだよ……」

 リボルバーを握りしめて死んだ老婆の、うつろに開かれたままの五つの目に、店を出てゆく三人の悪漢の後ろ姿が映っていた。目先のカネに欲をかき、思わず加担した "しるべ売り" の、それが最期のありさまだった。


さいはてのペイルホース


<蒼ざめた馬>を率いる血も涙もない黒外套の凶賊「キャプテン・デス」が双子王の星を蹂躙し、光芒会議を冒涜し、双子王と光芒の<戦士>二名とを凶刃にかけ、王妃であるイルダを拉致し、太陽系外に逃走した。

 この情報は上位ネットワークを通してすぐさま光芒諸国の高官の間で広く共有される事となったが、市民一般には伏せられていた。老いた太陽を叡智科学によって延命し、太陽系にあまねく数億の民と数百の国家の安全を保障する盟邦が、たかが数名の胡乱者を捕らえられずにいる事実は、いかにも締まりが悪かったからだ。

 然り。キャプテン・デスは双子王のもとからイルダを見事救い出し、光芒会議の追及の手を逃れる事に成功した。だが<蒼ざめた馬>が双子王の星を離れ、わずかその3日後、イルダは致死の病に倒れたのであった。

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