【ジ・インターナショナル・ハンザイ・コンスピラシー】#2
1 ←
2
ネオサイタマに来て日の浅い者は、すぐにわかる。用心深さの欠如。あるいは、ぎこちないまでの用心深さ。どちらにせよ、この街のプロトコルに馴染まぬ身のこなしだ。
この夜、オカモチ・ストリートの屋台街、ネオンライトの色彩を映す霧雨の中、粗末な屋台に座ったダークスーツ姿の男女も、そうしたものだった。男は肩までの長さの髪を真ん中で分け、顎髭を生やし、サイバーサングラス。女は金髪で、冷たく青い目の持ち主だった。男の名はビル。女はザルニーツァ。
屋台のノレンには「会員制な」と書かれている。会員制であった。迂闊な市民が近づき、店主のひと睨みに怯んで去っていった。ビル・モーヤマは一瞥すらせず、ドンブリのソバをぎこちなく箸で手繰っている。仕立ての良いダークスーツとダイヤモンドのタイピンが、いかにもこの場にそぐわない。
ヒートリ・コマキータネー。奇妙な歌唱を投げかけるのは、上空をゆっくりと横切るマグロツェッペリンの巨影だ。高層建築のホロ・モニタは粗い解像度の見返り美人をリピートしている。路上の誰かが咳き込み、倒れて動かなくなった。店主の凝視。ザルニーツァはソバを少し口につけた。
異国の匂いに、来し方行く末を思う。ここまでの彼女の歩みは、激動と言ってよかった。遠くアラスカはシトカの街で、恐るべきヤクザの王の娘として、幾多の敵を手にかけてきた。だが王は滅び、鎖は断たれ、彼女の眼の前に、思いがけず、世界がひらけた。
今の彼女には「ダイヤモンドのタイピン」がある。アルカナム社のエージェントの証だ。隣にいるビル・モーヤマは直属の上司であり、ハイエージェント。彼女の戦闘能力を高く評価し、組織に招き入れた。今の彼女が自由なのか。それはわからぬ。だが、前には進んだ。
「ウキハシ酔いは残っているかね」ビルは尋ねた。「いえ」「なによりだ。時差にやられる者もいる」使用者を一瞬にして遠く離れた場所へ転移せしめる「ウキハシ・ポータル」は最先端のテックであり、自由に利用できる立場の者は、いまだ極めて少ない。それこそ、彼らの如く、暗黒メガコーポの上級職にでも居なければ。「私はニンジャとしての訓練を積んでいます。十二分に」「成る程」
ザルニーツァは箸を置いた。そして呟く。「オペレイション・ムーンチャイルド」……店主は背中を向け、テンプラを揚げている。ビルはソバを啜り、言った。「盗み出された月の石の奪還。そして盗人たるブギーマンの捕獲。その為の諸作戦だ。君にはまだ、微に入り細を穿ったレクチャーを行えていないが」
「諸作戦……ですか」ザルニーツァは確かめるように繰り返した。ビルは短く頷く。「泥縄式に順応してもらう。残された時間は少ない。足踏みしていれば、想定されざる外患の呼び水となるだろう」「例の蜘蛛の指輪の組織のような?」「……然りだ」ビルは頷いた。「……ハンザイ・コンスピラシー……」
先日、ビルとザルニーツァは「オペレイション・ムーンチャイルド」に関するシャナイ機密を盗み出そうとしていた邪悪なニンジャの陰謀を未然に防いだ。しかし下手人たるそのニンジャ、パイドパイパーを尋問する事は出来なかった。一足早く、「ニンジャスレイヤー」の手で爆発四散させられたからだ。
現場に残された蜘蛛の指輪を解析し、辿り着いた組織、それがハンザイ・コンスピラシーだ。「ハンザイ・コンスピラシーには依然、謎が多い。国際的な犯罪組織であり、頂点に立つ存在はプロフェッサーと呼ばれる正体不明の存在。情報は入念に断片化されている。無軌道な犯罪者のネットワークらしきものだ」
「所詮は犯罪者、という考えもあるのでは?」「私の勘はそうは告げていない」ビルは言った。「彼らは明確な目的意識のもとで、オペレイション・ムーンチャイルドへの探りを入れている。そのアルゴリズムは奇妙だ。アンバランスなのだ。侮るわけにはいかない」
「ブギーマンとハンザイ・コンスピラシーが相互に関与している可能性は?」「それも懸念の一つだ」ビルは思いを巡らせる。「ブギーマンは単なる超自然現象ではない。あれ自体が意志を、目的意識を有する。ゆえに、あらゆる可能性を排除できない」「だからこそ、今夜」ノレンを越えて、女が座った。
「今夜、キメる必要がある」女はザルニーツァよりも体格が優れ、ブロンドの色はややくすんで、仕草は荒々しい。「ドーモ。メルセデスです」音を立てて、彼女は屋台カウンターに瓶詰めの脳みそを置いた。シリンダーに満たされた液体に脳髄が浮いている。脳が青く光った。『初めまして。ジョンです』
ザルニーツァの瞼がぴくりと動いた。さほど心を動かさない。メルセデスはその反応を愉しんだようだった。「君がザルニーツァ=サンだな。よろしく」「ドーモ。ザルニーツァです」握手をかわす。メルセデスのネクタイにもダイヤモンドのタイピンがある。アルカナム・エージェントだ。
『どうか驚かないでください。驚いたでしょう? 驚きますよね。でも、ご安心を』ジョンが口を挟み、液体を青く明滅させた。脳髄から伸びるLANケーブルが、まるでクラゲの触手めいている。『僕は入社三年目で、初のネオサイタマ出張です。刺激を受ける街ですね。僕のこれは、ちょっとした事故でね』
メルセデスに口を挟ませず、ジョンはスピーカーからエコー音声を響かせる。『脳だけになりましたが、僕はニンジャです。むしろ肉体から自由になる良い機会が得られました。ウチにはライトニング=センパイという偉大な先人もおられますしね。実際、僕の感知能力は、こうなる以前の10倍以上に高まりました』
「脳。注文は」ソバ店主が睨んだ。『あ、トロ成分カートリッジあります?』「よく喋る脳だ、貴様の後輩は。メルセデス=サン」更に一人がノレンをかきわけメルセデスの隣に座った。長身、黒人のアルカナム・エージェント。頭髪を刈り込み、埋め込み式グラスとメンポを装着している。「ドーモ。ハートブレイクです」
エージェント同士のアイサツを、ビル・モーヤマは奥ゆかしく見守っていた。メルセデスは腕時計型マイクロUNIXを操作し、情報共有を行った。「ジョン君の無駄口で時間が無駄になったが、ともかくこれで面子が揃ったということ。既にブギーマンの潜伏エリアは絞られています。共有座標の確認を」
ビルが目配せした。ザルニーツァもマイクロUNIXを確認する。「ダイフク・ビルディング」のカタカナが明滅し、座標数値が表示された。目を上げると、屋台店主も腕を上げ、手首のマイクロUNIXを確認していた。ハートブレイクが眉根を寄せ、咳払いして促すと、店主はニヤリと笑った。「オニズカだ」
オニズカは身を屈め、シャツの上に着ていたカッポ・ウェアを脱いで、しまってあったジャケットを羽織った。ネクタイにはやはりダイヤモンドのタイピンがついている。「お前は馴染みすぎだ」ハートブレイクが指摘した。オニズカはふてぶてしく笑う。「それが任務ッてものだろうよ?」
彼らはビルとザルニーツァよりも早い時点でネオサイタマに入り、今回のオペレイション・ムーンチャイルドに関する事前調査を行っていたエージェント達だ。『賑やかなものですねえ! これ程までに我が社のニンジャが一同に介するなど、セレモニーの時でもなければありえない!』ジョンが感動した。
ビルの厳しい目には、何の明るい見通しも油断の色もなかった。然り。ブギーマンとは、暗黒メガコーポのアルカナムをして、これ程のニンジャの頭数を揃え、コトにあたらねばならぬ程の相手なのだ。ペンタゴンに投獄された実験対象でありながら容易く脱出し、月の石を始めとする最大機密を盗み出した存在。
オニズカは寸胴鍋の蓋を開き、中から銃火器の数々を取り出して、カウンターの上にガチャガチャと並べた。ビルはすぐにその一つ、エメツ刻印入りのハンドガンを取り、バランスを確認する。アルカナム・エージェントはスリケンではなく銃を用いる。「気張れよ新人」オニズカがザルニーツァを見た。
「このブロックの治安担当メガコーポは? 実効支配している企業についても……」メルセデスが確認した。「KATANAだ」ビル・モーヤマの厳しい横顔が腕部マイクロUNIXの光を受ける。「作戦行動にあたり、KOL社との黙認契約を確保した。行動開始を通告し、そののち30分だ。時間を合わせろ」
タント・ダガー。クイックブレード。ハンドガン。サブマシンガン。リボルバー。ショットガン。グレネードランチャー。さらには……ブギーマン拘束具。アルカナムのエージェント達は無数の武器を装備し、「会員制な」のノレンを跳ね上げ、ネオサイタマの濡れたコンクリートを、大股で歩き出した。
彼らの背後、屋台街にそぐわぬエリアル・ビークルのモーター音と風が夜を切り裂いた。降下したエリアル・ビークルは「会員制な」の機動屋台をクレーンで吊り上げ、そのまま上昇してゆく。投げかけるサーチライトが、任務に臨むエージェント達の輪郭を逆光で照らし出した。
◆◆◆
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?