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S3第6話【エスケープ・フロム・ホンノウジ】全セクション版

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 空は赤い。廃墟の一角、トム・ダイスは岩のような背中をまるめ、木の枝をナイフで削る作業に没頭していた。もともとあまり喋らない男ではあったが、昼に周囲を偵察してきたフィルギアが、「俺らの後をついて来ている奴が居るようだ」と伝えてから、ますます言葉数が少なくなった。

 トムの要請で当初の進路を外れ、ヨークトンに近いゴーストタウンで夜を待つ事になった。「そろそろ教えてくれよ」フィルギアは血抜きしたカラテラビット肉を投げ、問いかけた。「何かピンと来た事があるのかい……」「ああ、そうだ」トムは頷いた。「ここで待つ」「ついてきてる奴を?」「そうだ」

「誰だ? その話、初耳なんだけど」フィルギアは口を尖らせた。「俺達、信頼関係を築いたと思わない……?」「必要充分の信頼はな」トムはフィルギアを見て、すげなく言った。「……まあいいや」フィルギアは背中を向けて寝転がった。やがてトムが言った。

「"俺たち" は、ホンノウジから脱出してきた」


ニンジャスレイヤー:エイジ・オブ・マッポーカリプス

シーズン3第6話【エスケープ・フロム・ホンノウジ】


 少なくとも、シャワーの水は文明社会と変わらない。止まりがちで、湯になったり水になったりイマイチだが。トム・ダイスは念入りに髪を洗う。彼の肉体はローマ彫刻めいて屈強であり、無数の古傷、新しい傷が刻まれている。彼は自分の脇腹から腰にかけてを手で確かめ、溜息をついた。……大丈夫だ。

 これは毎日のルーチンになっている。黒帯が生じていない、という事は、カラテ汚染されていないという証だ。出撃前、ヌーテックに「潜入者たち自身がカラテ汚染される危険性はないのか?」と質問したが、「100%ない」とだけ答えられた。それはヌーテックでは「未確認」を意味する。

 この狂った土地にいて、ある日突然黒帯が生じて、ニンジャになる……それは果たして、どんな事態なのか。ニンジャといっても、まず間違いなく、クレイグ隊長のような英雄的な存在とは程遠い筈だ。忌まわしいカラテビーストのように、邪悪な人外の存在となるのではないか。

 クレイグ隊長はトムの所属する強行偵察隊で、唯一人のニンジャである。彼は10年前、燃え盛る鉱山街の調査任務で市民を救出し、唯一人生還を果たした真の英雄だ。ヌーテックの作戦名は「オペレイション・ファイアストーム」。だから、クレイグ隊長のニンジャとしての名は、ファイアストームだ。

 シャワーを浴び終えたトムが部屋に戻ると、偵察隊の奴らは半分寝ぼけたツラでトランプに興じていた。「黒帯生えたかよ、トム?」ホルヘがからかった。トムは首を振った。「いや、大丈夫だ」「気にし過ぎなんだ、お前は」隅でプランクをしているのはジェフ。ハッカーだが筋骨隆々の男だ。

「ンンン!」ジェフと向かい合ってプランク時間を競っているアフリカ系の女はアシュリー・ウェスト。アルカナム社から参加している。彼女とヒロ・イイダ博士だけがアルカナムの人間で、他は皆、ヌーテックに所属する兵士だ。アシュリーはヒロ博士の護衛が主任務で……ヒロが、この作戦の要だ。

「アアア! ダメだ」レザが嘆き、カードを頭上に撒いた。ブレインは頭を掻いた。「ま、また勝った。なんかピンとキちまう」痩せてヒョロ長く、落ち窪んだ目で、いかにも弱そうだが、奇妙な勘の鋭さがあった。それこそ隊長以上に。「だから止めようって言ったんだよ」ホルヘもうんざりしてカードを伏せた。

 ジェフのプランクが潰れた。「バケモノめ」「お前が、なってない」アシュリーは言った。「……」「ハァ……」「ハァ」彼らは誰ともなく溜息をついた。何度もループしたやり取りだった。「いつだ。お前の勘で、わからねえか」ホルヘがブレインを見た。「え、そ、そんな、急に……そろそろじゃない?」

 その2秒後、階段を上がってくる音が聞こえたので、ある者は顔をしかめ、ある者は苦笑した。ドアが開き、クレイグ隊長が顔を見せた。「時間だ、お前たち」灰色の髪を肩まで伸ばし、短い顎髭を生やして、哀しげな青い目の持ち主だ。右目は包帯で覆われている。先日の負傷だ。視力は失っていない。

「すまんね、君達。待たせた」彼の後ろから顔をのぞかせたのが、ヒロ・イイダ。小柄で丸顔の、アルカナム科学者である。「だが非常に大きな収穫があった。」「つまり、時間だ。すぐに行く」「留守番はレザです」ホルヘが指差した。レザは寝ぼけ眼で手を挙げた。「負けちまったんで」「よし」

 彼らは数十秒で支度を整え、階段を降りていった。一階の喧騒が出迎える。屋号は「だのや」。ドンブリ食堂の二階を、強行偵察隊はアジトに使っていた。「おやおや。どうしたよ。大所帯で」鉄鍋を振るいながら、おやじが欠けた歯を見せて笑いかけた。隊長は頷いた。「いよいよでな」「ははあ。いよいよか」

「アレ! よそ行きかい」レジ作業を終えたおやじの息子が、前掛けで手を拭きながら彼らを見た。おやじが隊長に近づき、耳打ちした。(……無事で帰ってきてくれねえと。俺もセガレも、賭けてんだ。アンタ達によ。こんな国はもう……)隊長は無言で、再び頷いた。

 アジト提供の彼らへの見返りは、UCA帰還の際、彼らを共に連れて行く事だ。ネザーキョウにうんざりする気持ちにトムは100%共感する。偵察隊はモミジ色の布を身にまとい、ボンズ団を装った。フードを目深に被り、合掌しながら歩けば、実際ありがたい。おやじが小走りに戸を開き、彼らを外へ送り出した。

 彼らの前に広がる世界は、ギラついた太陽、枯れた真鍮色の街並み、埃っぽくだだっ広い道、肋の浮いたイヌ、ひび割れた塀によりかかって座り込み、彼らをじっと見つめる物乞い……そしてあちこちにそびえ立つ黒い五重塔の威容であった。旧エドモントン……ネザーキョウ首都ホンノウジ。弱肉強食の都。

「ネギー……ネギー……ネギ、いらんか。精魂込めた、ネギ……」痩せた男が背中にネギ満載の大かごを背負い、行き過ぎる。「ボンズ様ァ……功徳めぐんでくだせえ……」絡みに来る老人。「誰か、鉄を買わないかね。イクサ支度できない奴はバチが当たるんだ」リアカーを引く鉄屑屋。

 凄まじいありさまである。だが、下町を離れ、幾つかゲートを越えれば、たちまち現れるのは屈強壮麗な建築物群なのだ。ネザーキョウは……トム達にとって腹立たしいことに……国としては十分に潤っている。これまでタイクーンはカナダ諸都市に勝ち続けてきた。イクサに勝つ限り問題無しというわけだ。

 しかしその富は、カラテなき者の手には少しも零れてゆかない。イクサに出られぬ者は栄養を得られずやせ細り、ますますイクサには不適格となって、都の路外に溢れる。それでもよいという事だ。センシは国の内外、幾らでも集まる。カラテビーストを狩り、喰らい、カラテを積む者たち。国の外からは、インターネットに溢れる希望に満ちた魅力的な噂話に呼び寄せられて、荒くれ者や命知らずの若者が集まってくる。

「とんでもねえ数の五重塔だぜ、それにしたってよ。こんなの無理だろ」ホルヘが毒づいた。ヒロは囁き返した。「そう、全くナンセンスな話です、ネザータワー理論など。ですが心配いりませんよ。弟の仮説は誤っている。私は幾つもの実証データを握っているんです」「まあ頼んますぜ、先生様よ」

 後ろを歩くトムは、ヒロの興奮気味の横顔を見る。ヒロ・イイダ博士はサクタ・イイダ博士の兄。彼ら兄弟は揃って、アルカナムの誇るオヒガン理論研究者として知られている。UCAがネザーキョウと渡り合えているのも、彼らの研究成果が大いに寄与するところだが……この兄のライバル意識はやや過剰だ。

 彼らが共通して警鐘するのは、ネザーキョウがもたらす「汚染」である。タイクーンの支配地の生態系は歪んでいる。異常なモミジがメイプルに置き換わり、動物たちは黒帯を締め、小麦はねじれて、謎の穀物ネザーマイに駆逐される。これ即ち、ネザー汚染と言うべき超自然侵食である。

 ネザーキョウの進軍を止め、汚染を食い止める事は、宇宙船地球号の指導者たる暗黒メガコーポ各社の緊急の義務と言えた。いかにして汚染を止めるのか? サクタ博士はネザータワー理論を提唱した。汚染はタワーを中継して全土に蔓延する、タワーを壊せば生態系を徐々に正常化できると考えたのだ。

 一方、ヒロ博士によれば、タワーは結局ネザー化を加速しているだけであり、汚染の元凶はホンノウジのポータルにある。この汚染源を叩くことでネザー要素の供給源は絶たれる……あらゆる観測データが、ホンノウジのポータルの実在を示している。ヒロはそのように強く主張し、強行偵察に自ら同行するに至った。

 誰も実在を確かめていないポータルを汚染の要と断定するヒロ博士は、狂気に片足を突っ込んでいる。トムは忌憚なくそう思った。アルカナムとヌーテックがそれでも実証の機会を与えたのは、ヒロ博士がこれまで積み上げてきた実績と、実際様々な気象観測に現れる奇妙な数値データの裏付けだった。

 真実であってほしいと心底思う。ブルシットでは困る。トムは苦々しく考えた。兄弟喧嘩の出汁に命がけの強行偵察を企画されたのだとしたら、死んでも死にきれない。部隊の連中は皆、そのように考えているだろう。こうして敵の腹中に潜り込めただけでも、ほとんど奇跡の連続なのだから……。

 ……そのとき、大通りの先から突然タイコの音が聞こえた。軍事パレードらしきものが始まった。市民たちは道の両側に寄り、オジギする。怪しまれないよう、ボンズ姿の部隊もオジギの列に混じり、合掌した。「明智光秀」「ネザー京」などの旗を掲げた中古の白いトラックが、パレードの先頭だ。

 黒馬にまたがったジョーニンらしき存在、華々しいハーレーオイラン、それに続くのは4列になった徒歩のゲニントルーパーだった。ゲニンに軍隊のような規律正しさはなく、足並みも揃っておらず、各々のトルーパーは一人一人が王のように、周囲の市民らを見て居丈高に闊歩していた。

「貴様! モータルの分際で俺と目を合わせたな!」「アイエエエエエエエ!」ジョーニンに対して粗相をした市民がいたらしく、カラテチョップによって首を撥ねられた。テウチである。市民たちは声ひとつあげず、そのまま10分間ほどずっと頭を下げ、パレードが行き過ぎるのを待っていた。

 こうして理不尽に踏みにじられる者がいるかと思えば、万札束を掲げてジョーニンに何事か耳打ちし、露骨なワイロ行為におよぶ者もいた。全ての無法が、恐ろしいまでに公然と、何の躊躇も恥じらいもなく行われた。トムは恐怖のせいか、あるいは怒りか、合掌手を震わせ、埃っぽい足元を睨み続けていた。

「本当にクソじゃねえか」ホルヘが呟いた。「全くだ。ヘドが出るぜ」ジェフが同意した。怒りに滲む声だった。トムは救われる思いだった。この狂った都にあって、少なくとも彼の属する強行偵察隊は、トムが感じる事を、彼以上に感じてくれている、それを彼に示してくれている。

「……行くぞ」パレードが行き過ぎると、クレイグ隊長は道の先を指し示した。トムはテウチされた死体に群がる民草から目を逸らし、隊長に続いた。「もっと酷いものは幾らでも見てきた筈だ」「……そうです」「こいつらをブチのめす為に我々が居る。UCAがある。そういう事だ」「私の研究もね!」

 ヒロは法衣の下でハンディカムを揺らして見せた。「任せておきたまえ。私の仮説が正しければ、もっとものすごいものを見ることができるよ。このカメラでしっかりと記録して、世界に投げかけよう。……ア、無論今のバカバカしいパレードも撮っているからね! こっそりとね」博士はウインクした。

 大通りをしめやかに進んだ一行は、やがて巨大なアーチ門を通過した。吹けば飛ぶような下町のジャンク街と壮麗な真鍮壁はあまりにギャップがあるものだ。槍を構えたゲニンがふんぞり返って見張る前を、ボンズ姿の彼らは摺り足で通過した。「ハンニャーハンニャー……」ブレインがチャントを暗唱した。

 街区をまたげば、景色も唐突に変わる。城壁内であるにもかかわらず、そこには切り立った丘が連なり、岩山が城壁の一部を補っていた。「ンッ!? 何だ?」ヒロ博士が背伸びした。「アイエッ!」ブレインが青ざめ、縮こまった。本能的な恐怖を感じたようだった。トムは訝しんだ。

「「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」」禍々しいカラテシャウトが聞こえた。トムは双眼鏡で岩山を見上げ、思わず息を飲んだ。『明智光秀』『ネザー』『征服する』等の旗が掲げられた岩山。階段状に削り取られた斜面には、それぞれがゴルフコースほどもある無数のトレーニング場が築かれていた!

「「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」」おお、何たる冒涜的光景か! 太鼓の音に合わせ、数百……いや、数千人規模の白装束ニンジャ達が、一斉にトレーニングを行っていたのである!「「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」」それはセイケン・ツキと呼ばれる情け容赦ない殺人カラテのムーブメント!

 響き渡る無数の掛け声のユニゾンと同期するかのように、岩山の左右の五重の塔からは激しいパイロ火柱が吹き上がっていた!「アイエエエ!」ブレインが頭を抱え、しゃがみ込んだ。ヒロ博士のカメラ持つ手が痙攣した。「……この世の……終わりだ……」トムは胸元の十字架ネックレスを握り、呟いた。


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