【ネヴァーダイズ 5:ダンス・トゥ・ツキ・ヨミ】
この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版は上記の書籍に収録されています。現在第2部のコミカライズがチャンピオンRED誌上で行われています。
第3部最終章「ニンジャスレイヤー:ネヴァーダイズ」より
【5:ダンス・トゥ・ツキ・ヨミ】
旧世紀の「暗号破り」が、地の底の動脈のごとき回線を通して、ジグラットへと流れ込んでいた。遅効性のウイルスがアルゴスを攻撃し、その目である監視システムを覆い始めたのだ。イナゴめいた電子ノイズが監視カメラ映像とIRC監視網を撹乱し、期せずして、地上では叛乱の飛び火が発生していった。
なぜアルゴスは奇襲を許したのか。理由は二つ。第一に、アルゴス自身がネットワーク再定義のために数時間をかけた準備シーケンスに入らねばならず、そのタイプ速度を割かれ始めた瞬間を狙われたこと。しかし、ここまでは想定内。第二の理由は、ツキジ接続ポイントを使われた事。これは想定外であった。
ツキジ地下には、カスミガセキと同様、遺棄された地下街と旧世紀システムが眠っていた。そして両者を大動脈のごとく繋ぐ、大いなるT1回線ケーブルの束もまた埋まっていたのだ。その存在と価値を知っていたのは、ツキジの主、リー先生ただ一人。彼はそれを、血に塗れた白衣の下に隠し続けていたのだ。
多くの者にとって、リー先生は狂った科学者であった。ニンジャソウルと死体の研究に全てを捧げるべく、地下に自らの帝国を築いて満足しているものと思っていた。ツキジはただ単に、あの狂った科学者が誰にも邪魔されずに死体や実験材料を調達し、研究を続けるために築いた、不気味な地下墓所であると。
リー先生が果たして何時、この強大なる回線の存在に気づいたのかは、定かではない。確かなことといえば、現在のツキジ・ダンジョンが無数のゾンビーニンジャを擁する堅牢な地下要塞であり、その底からジグラットヘと、YCNANやコードロジストらが執拗なハッキング攻撃を仕掛けていることであった。
ナンシーがINWとの交渉材料として用いたのは、月面サーバーから盗み出した機密情報である。そこにはアガメムノンの真の目的、すなわちアルゴスを用いて鷲の翼を開き、オヒガンと現実世界のリンクを完全遮断することが記されていた。それはリー先生の研究にとって、極めて不都合であったに違いない。
かくしてリー先生は10月10日以降にナンシーらを秘匿し、ツキジ・ダンジョンの武器、強大なるT1回線の秘密を彼女らに明かした。電子戦を仕掛けるにあたりハッカーたちが重視するのは、何にも増して己のタイプ速度、そして戦場となるUNIXへの接続回線速度である。このふたつは乗算関係にある。
ハッカーが危険を承知で敵施設に侵入し、攻撃目標にLAN直結することを好むのは、己のタイプ速度をほぼゼロ減衰で対象のUNIXデッキに叩きこみ、敵ハッカーのニューロンを焼けるからだ。逆に遠隔接続する場合は、使用する回線速度の「太さ」という外的要因が、電子戦の勝敗に大きな影響を与える。
ゆえに、埋蔵位置不明、さらに迷宮の如く入り組んだ地下回線は、ナンシーらが望みうる最高の武器であった。下手に地下ケーブルを物理切断すれば、アルゴスの天下網にダメージを与える。アマクダリにとって最も速やかにして確実なる打開策は、ツキジにニンジャを送り込み、全てを破壊することであった。
ツキジ攻撃の第一波として送り込まれたのは、十二機を超える多脚戦車、十六人ものニンジャ、ハイデッカー突入部隊、およびペイガン。それは戦争と呼ぶにふさわしい規模であった。ツキジ地下は、文字通りのアビ・インフェルノ・ジゴクと化した。
◆◆◆
四方八方、闇の中にエメラルド色の光がいくつも輝いた。次の瞬間、それらは腐った顎を開いて飛びかかってきた。獰猛なるゾンビ犬の群れだ!「イヤーッ!」ソルハンマーの赤熱鉄槌が、小手に噛み付いた犬の頭を粉砕!「イヤーッ!」ルーンナイトが大盾と壁で三匹をプレスし、腐ったネギトロに変えた!
「外道どもめ、ジゴクへ送り返してくれる!恐れよ!この長剣には聖タダオ大僧正の祝福の力が未だ残されておるぞ!イヤーッ!」坊主頭のニンジャ、ビショップが唸り、白いプラズマ光を放つツルギ「聖徳太子MK-3」を振るう!飛び掛かってきたゾンビ犬三匹は空中で切断され、白い光に包まれて爆ぜた!
「ウワッ、汚ねえ汁だな!腐れ犬どもが!」シデムシと直結しながらその頭部に座る小柄なハッカーニンジャ、トゥームクロウラーが、部隊内にIRCを投げる。『後方、すべて薙ぎはらうぜ』「「イヤーッ!」」部隊内のニンジャが即座に側転回避を打ち、シデムシのミニガン斉射のために射線を開いた!
『スッゾコラーッ!』トゥームクロウラー専用シデムシが金属の顎を開き、合成ヤクザ音声とともにミニガン斉射。BRATATATATA!「アグッ!」「ギャン!」「グルルルルア!」大虐殺だ!「ガウウ!」撃ち漏らした一匹が操縦者に飛びかかる!「イヤーッ!」ビショップがこれを串刺しにして始末!
「おい、ゴーストクナイ=サン、急げ!触手が迫ってくるぞ!」トゥームクロウラーは叫んだ。戦略IRCマップ上では、周囲のハイデッカー部隊が次々にバイタルサイン消失していた!「待て、あと少しだ…」灰色のニンジャ装束を着た陰気なニンジャが、巧みな精密クナイ裁きで気密ドアロックを解除する!
ガゴンプシュー!『過剰に危険な+』と書かれた隔壁が開く。「よし!先へ」「待て…」ゴーストクナイは地下街で捕獲していた貧民の首を掴み、先に向かって勢いよく放り投げた!「イヤーッ!」「アイエエエエ!」ズダン!ズダン!ズダン!生命反応を感知し凶悪な三連トリイ・ギロチン・トラップが作動!
「アバッ!アバッ!アバババーッ!」絶命!ナムサン!脚力で高速突破せんとする者をも第二、第三のトリイ・ギロチンが確実に始末する何たる悪辣な侵入者殺害用トラップか!だがこれで一瞬だけ露わになった開閉機構部へと、ゴーストクナイはクナイを連続投擲!「イヤーッ!」動作不良を起こさせしめた!
「でかしたぞゴーストクナイ=サン!天界よりブッダも御照覧あれ!」ビショップを先頭に、五人の突入部隊は哀れなネギトロ死体を踏みつけながら隔壁の先へと進む!ガゴンプシュー!後方で隔壁が閉ざされ、フォーティーナインの触手の侵入を間一髪で防いだ。「前方ドア、物理ロックだ!」「破壊する!」
SMAASH!ソルハンマーが扉を打ち砕く!彼らを出迎えたのは、石造りの広間……否、危険な大型ゾンビーニンジャを隔離するための牢獄であった!「アバー」首なし巨人の頭に大型白ワニの首を縫い付けた奇怪なニンジャが、錆び付いたハルバードを構えアイサツした。「ドーモ、ドラコニック、デス」
「ドーモ、我々はアマクダリ・セクトです。偽りの生命を与えられた外道めが!我が聖剣は貴様の存在を許さぬぞ!」部隊長ビショップが代表アイサツを終えるや否や、ドラコニックは刃渡り3メートル超のハルバードを振り下ろした。SMAASH!床の石畳が割れ砕ける!突入部隊は五つに跳び別れ、回避!
「イヤーッ!」ビショップは「ネハン」の名が刻まれた聖職者用大型拳銃スマイト・オブ・ブッダB-77で頭部を射撃!「イヤーッ!」ソルハンマーも燦々と輝く赤熱鉄槌を振りかぶり、それを投擲!「アバー」いずれも命中!片目が潰れ鉄槌が胸部を貫通!だがゾンビーニンジャは、苦痛も恐怖も感じない。
ドラコニックは空虚な眼窩や胸から、黒い汚濁めいたものや大蠅の群れを溢れさせながら、事も無げに動き続けるのだ。「アバー」そして腐れた筋肉繊維をブチブチと鳴らしながら、ハルバードを力任せに叩きつけた!「グワーッ!?」間一髪、直撃をかわしたルーンナイトも、砕けた岩の破片を全身に浴びる!
Sssssss!一部の壁からは毒ガスが噴出!ゾンビーには効かぬ効率的トラップ配置だ!「イヤーッ!」これを予測していたゴーストクナイが、クナイ投擲で噴出孔を破壊!「アバー」ドラコニックは暴れ回り、ルーンナイトに刃を振り下ろさんとする。だがその背後から、ミニガンの斉射が浴びせられた。
BRATATATATA!「腐れ死体め!踊れ!踊れ!」シデムシを壁から天井へ這い上らせていたトゥームクロウラーが、上下逆さまに垂れ下がりながら、ありったけの重金属弾をこの巨大なゾンビーニンジャの背中へと叩き込んだのだ。「アバー」黒い汚濁と肉片を撒き散らしながら痙攣するドラコニック!
ズゥン。銃弾の雨で胴体を真っ二つに切断されたドラコニックは、轟音を響かせながら、その場に倒れた。それでもなお動き食らいつかんとするゾンビーニンジャの頭めがけ、ビショップは聖なる銃弾を撃ち込み続け、ソルハンマーは第二の太陽の如く輝き始めた鉄槌を振り下ろした。「イイイヤアアーッ!」
「ビショップ=サン、一旦ベースまで退避しようぜ、このままじゃ消耗が……ッ」返り血めいて浴びた黒い汚濁を苛立たしげに振り払いながら、トゥームクロウラーは異常に気付いた。肌に、刺すような激痛。さらにシデムシ内部からバチバチと火花。「ヤバイ」すぐに他の者たちも気付いた。「本物の、蟲だ」
「クソッ!この黒いのが全部……!?」ナムアミダブツ!ドク・ムシ・ジツ!ドラコニックの体から飛び散った黒い汚濁は、全てが奇怪なスカラベめいた毒虫だったのだ!「アバーッ!」「グワーッ!」ルーンナイトも大盾を放り捨て、のたうった。全身をすっぽりと覆う鎧の内部に、蟲の大群が侵入したのだ!
ゾンビーニンジャの体内で培養された毒虫たちは絨毯の如く押し寄せ、異常なまでの顎の力で、シデムシの樹脂部分や、ニンジャの装甲服の継ぎ目、あるいは単純に無防備な肌を掘り進んだのだ!「グワーッ!」トゥームクロウラーはシデムシ火炎放射で闇雲に暴れまわる!ゴーストクナイもただ回避に徹する!
「取り乱すでない!我が元へ集え!」超常の光と熱を放つビショップとソルハンマーの周囲には、さしもの毒虫の群れとて近寄れぬ。「見よ!聖タダオ大僧正より賜りし天界の光を以て、我はこの蟲共を薙ぎ払う!死の疫病の巣窟たるINWラボまであと僅か!」ビショップが白光放つツルギを掲げ、叫んだ。
INWラボへと到達間近。それはすなわち、フォーティーナインの支配領域へと自ら近づく事を意味していた。不気味な怖気が、広間を圧した。(((…それは困りますわ。ね、リー先生…)))直後、天井の通気口や亀裂、全ての穴から、忌まわしき触手の大群が溢れ、アマクダリ突入部隊へと襲い掛かった。
「アイエエエ!」「アバババーッ!」毒虫の絨毯に群がられていたニンジャたちは、なすすべもなく触手に捕われた。そしてすぐに、吊られた冷凍マグロめいて動かなくなった。「ARRRRRGH!」ビショップも天井に向かってスマイト・オブ・ブッダの弾丸を連射した。だが、それもすぐに掻き消された。
ZGOOOOM……。そこから遥か下、YCNANたちが潜伏する避難所エリアにも、上方からの不穏な地響きが伝わってきていた。それは次第に大きくなる。地表から投入されたアマクダリ突入部隊が、じわじわと近づいてきているのだ。地下礼拝堂に集まった怪我人や子供らは、身を寄せ合って震えていた。
ナンシー・リーや他のハッカーたちは、少し離れた電算機室やロービットマインで電子戦を続けている。この地下礼拝堂にいるのは、非戦闘員ばかりだ。少女が床で震え、部屋の隅で椅子に座ったまま動かないジェノサイドを、祈るように一瞥した。また地響き。次いでガラスの割れる音がすぐ近くで鳴った。
「「「アイエエエエエ!」」」地下礼拝堂で悲鳴が上がった。だが、敵の襲撃ではなかった。割れたのは、空の酒瓶であった。「クソッタレが、とうとうおっぱじまったか……?」長い死者の眠りから苛立たしげに目覚め、酒瓶を壁に放げて割ったのは、ズタズタのカソックコートに身を包んだ偉丈夫であった。
ジェノサイドは立ち上がった。祭壇の割れ鏡に映った己の醜い姿を見て、ずれた口元の包帯を直し、降り積もった埃を帽子から払おうとした。その時、オリガミで折られた花が一輪、眠っている間に己の帽子に差し込まれていたことに気づいた。それはいつぞや助けた少女が、礼拝堂の怪物に捧げた花であった。
(ガキか……)ジェノサイドは忌々しげに舌打ちし、そのオリガミを握りつぶそうとして、止めた。「……ブッダのクソッタレめ……」そして気づかなかったふりをし、悪態をついて大股で歩き出した。「せいぜい悔いの残らねえように、壊して、千切って、叩き潰すとするさ……他にやることもねェからな…」
一方、そこから垂直に遥か下方……!湧き出した汚染物質で水が青白く光る神秘的な鍾乳洞エリアを、12機のシデムシが、音も無く前進を続けていた。ここ、地下下水道とツキジ・ダンジョン最下層の結節部では、アマクダリの別働隊が、フォーティーナインの触手が及ばぬ領域から潜入を試みていたのだ。
鍾乳洞とは思えぬ広大な空間。果てが見えず、世界を支える柱の如き鐘乳石が何本も屹立している。しばしば「安全第一」「わかってほしい」「建築基準法」などのカンバンやPVC垂れ幕、あるいは灯篭などが現れ、かつて人類がここを下水道網の一部として利用せんとしていた事実を、否応なく想起させる。
ツキジ・ダンジョン最下層へ続く隔壁まで、あと少し。青白い流れの中から静かに這い出し、階段状構造のスロープを登るシデムシたち。チチチチチ……頭部から一斉にスキャン光を放ち、構造データを司令部へと送信する。直後、前方の闇から白い影が現れ、鐘乳石の柱を蹴り渡ってシデムシに襲いかかった。
チチチ…その動きに反応し、先頭のシデムシが上半身をもたげた直後。「何匹集まろうと、しょせん積んでるのは劣等な脳ミソ」吸血鬼ニンジャがその頭に着地し、刀剣めいて長く伸びた鋭利な爪を突き立てた。「イヤーッ!」『グワーッ!』装甲貫通!火花と脳漿を撒き散らし、多脚戦車は行動不能に陥った!
「ドーモ、ブルーブラッドです。ああ、こんなのにアイサツする必要も無かったか」足場のシデムシが水路に向かって傾き倒れてゆく中、吸血鬼ニンジャは傲慢なアイサツを決めた。残された11機はたちまちアルゴスの意思を宿らせ、11個の脳を持つ1個の群体生物めいて動き出した。BRATATATA!
「イヤーッ!」ブルーブラッドはボロボロの白衣をなびかせながら跳躍!爪とニンジャ脚力で鐘乳石柱を跳び渡り、銃弾の雨を回避。下等な重金属弾が肌をかすめ、彼は不快感に舌打ちする。立て続けに火炎放射が迫る!「ウジ虫が多すぎるな!」炎を紙一重ブリッジ回避!そして叫ぶ!「やれ!カラミティ!」
前方の暗闇、隔壁の扉前で、超自然の炉めいた緑の眼が燃え上がった。カラミティ。強大なるアクマ・ニンジャの……動く死体!「ゴウオオオーン!」それは凄まじい唸り声とともに、腐れた腹の底から緑色の火球を吐き出した!KA-DOOM!乱戦の中に命中、爆発し、シデムシ2機が玩具めいて宙を舞う!
「そのまま蹴散らせ!」ブルーブラッドは炎と銃弾から逃れながら柱を垂直に駆け上り、高みから戦況を見渡した。「予想通り、下からも戦力を送り込んできたな!先生の研究を邪魔する奴らは、皆殺しだ!」「ゴウオオオーン!」カラテミィは暴れまわり、炎とネクロカラテで多脚戦車を次々に破壊してゆく!
もし敵がモータルかニンジャであれば、カラミティの放つ恐るべきニンジャ存在感の前にパニック状態に陥り、即座に総崩れを起こしていたやもしれぬ。だが敵は、感情を持たぬシステムなのだ。BRATATATATA!機体を炎で焼かれながらも、シデムシ2体がカラミティの両側面から射撃を繰り出す!
「GRRRRRR」カラミティが被弾し、翼で体を覆うように守る。強大ではあるが、死体ゆえの反応の鈍さと緩慢さも有しているのだ。しかし、この捨て身の銃弾の雨も、カラミティを倒すには至らなかった。ブルーブラッドが怒り狂って降下し、一機の頭を爪で破壊。KBAM!爆発音と火花が飛び散った。
「ゴウオオオオーン!」カラミティがもう一機を腕で薙ぎ払い、さらにブルーブラッドまでも巻き込もうとする!アブナイ!暴走重機めいた危険な兆候だ!「イヤーッ!」ブルーブラッドはその肩に回転跳躍着地し、腐った脳髄へと語りかける!「カラミティ!暴れている場合か!あれを掴んで引きずり出せ!」
ブルーブラッドの指差す先には……装甲隔壁に食らいつき、熱線トーチで穴を穿って、ツキジ・ダンジョン内部へ掘り進まんとする3機のシデムシ!あたかも肌を食い破るドク・ムシの如し!「ゴウオオーン!」カラミティが一機の尾をつかみ、力任せに引きずり出して、叩き潰す!「食い破られるぞ!急げ!」
次の一機!だがシデムシは機体半分をトカゲの尻尾めいて自切し、火花散らしながら掘り進む!「これだから蟲とか機械は嫌なんだ!」ブルーブラッドはヒステリー寸前だ!フブキが上層の守りを完璧に固めている中で、自分が下層を突破されることは、自慢の作品を破壊される事以上に許しがたい屈辱なのだ!
「イヤーッ!」ブルーブラッドは銃弾と炎の中に身をさらし、自らもシデムシ駆除を行う。そして壁に備わった伝令パイプの蓋を開き、狂おしいほどの屈辱をおして、内部の防衛戦力へと呼び掛けた。「モシモシ、ブルーブラッドです!撃ち漏らした多脚戦車が1匹だけ侵入!穴は僕とカラミティがすぐ塞ぐ!」
チチチチチ……侵入したシデムシは、遺棄された地下街や回廊を進みながら、構造データをアルゴスへ送信し続ける。隔壁内部は、呆れるほどに防備手薄で、ゴーストタウンめいて無人。迎撃を受ける気配すら無い。チチチチチ……シデムシは停車し、壁面と密着して、周囲の生命反応をソナートレスし始めた。
忙しく動き回るコードロジスト。デッキに直結してザゼンを深めるハッカー。そして群れ集まって動かない多数の避難者ら。無論、これらの詳細情報までは解らない。解析ワイヤフレーム上に現れた微かなバイタルサインを、ただの光点の集合として認識しながら、システムは順に確認し虐殺すべく動き出した。
シデムシは光点が最も密集している場所に向けて進み、カメラ映像をアルゴスに送信し続けた。ザリザリザリ。アルゴスに打ち込まれた疫病が進行し、カメラ映像にイナゴめいたノイズが走った。多脚戦車が一瞬、立ち往生した。その直後であった。飛来したバズソーが、シデムシの頭に食らいついたのは。
『グワーッ!』シデムシは火花を散らし、痙攣した。鎖付きバズソーは、シデムシのクローンヤクザ生体脳を内臓UNIXや通信装置ごと容赦無く切り裂いていった。動作停止したのを確認すると、彼はバズソーを引き戻し、壁の伝令管の蓋を開けて返した。「モシモシ、ジェノサイドだ。一匹だけ、潰したぜ」
◆◆◆
「フゥーム」ハーヴェスターは葉巻を吹かしながら、戦略チャブの上に投影された大型ホロスフィアと、ワイヤフレーム・マップ、さらにネオサイタマ市街図、株価情報チャートなどを素早く操作した。無論そこには、アルゴスによって咀嚼された監視カメラ網や、IRCネット監視網のデータも含まれている。
ここはカスミガセキ・ジグラット屋上に築かれた、アマクダリの防衛戦司令部。ハーヴェスターが総指揮を取り、ハッカーカルトのニンジャもデータ解析のために迎えられている。「ドーモ」屋外に渦巻く重金属酸性雪と冷気を伴い、女ニンジャが入室した。ハイデッカーとセクト法務部を束ねるヴァニティだ。
「ツキジ攻勢第一波、壊滅したと聞きましたが」「見てみろ」ハーヴェスターは、おぞましき全貌を現し始めたツキジ地下マップを、各観測者達の死因とともに戦略チャブ上に大きく展開した。「何たる…」ヴァニティが眉根を寄せた。老将は笑う。「難儀な砦を作ってくれたものよな!落とし甲斐があるわ!」
壊滅。すなわち第1波の約50%超が、アンデッドニンジャの攻撃や卑劣なトラップにより死亡、爆発四散、溶解死、咀嚼死、窒息死、圧死、発狂セプク、ギロチン切断、ネギトロ切断、カラテドレイン死、または原因不明の不可解な消失によって無残な最期を遂げたのだ。作戦開始から二時間も経たぬうちに。
「ハッカーどもが潜伏するエリアは、おおよそ掴めた」ハーヴェスターがマップを四階層に区切る。上から「地表」「地下街」「INWラボの存在する旧世紀マグロ貯蔵庫階層」そして「鍾乳洞下水網と接する最下層」である。「YCNANどもは最下層だ。上2層はアマクダリが制圧した。両面作戦を続ける」
今この時もアルゴスに対して注がれ続けている電子イナゴ疫病の発生源がINWラボなのか最下層なのかは、未だ特定できない。その2回線で同時攻撃されている可能性も否定できぬ。ゆえに、全てを叩き潰さねばならぬのだ。アルゴスは現在、疫病の注入を受けてから二時間が経過…その病状は進行している。
その疫病は遅効性だ。武装砕氷船のスクリューめいて、じわじわと、しかし確実に、アマクダリネットの心臓部へ近づいている。そして疫病が進行すれば進行するほど、アクシスのIRC連携や、市街監視カメラの映像を電子イナゴノイズが覆う頻度が増してゆくのだ。「あと二時間で、病状は致命的となろう」
ツキジ・ダンジョンの守りは今なお堅牢で、デッドリーだ。セクトが制圧済の上2階層には、ほぼニンジャ戦力が存在しなかった。各所のアンデッドニンジャも無論厄介だが、守りの要は第3階層のフォーティーナイン、第4階層のカラミティ。そのどちらかを排除すれば、ツキジの守りは一気に崩れるだろう。
だが、如何にして?ハーヴェスターは愉しげに戦略マップを操作した。「既に第二波を編成した。他にも策はあるが……アルゴス=サンの承認待ちやら何やら、色々複雑でな」「既に第二波を?先ほど南東方面へ向かった戦力が、それですか?」ヴァニティが問う。「左様」「あの程度で、落とせるのですか?」
「不満か?気にするな、言ってみろ」ハーヴェスターは片眉を吊り上げ、見やった。市民監視網の乱れが進行してゆく様に彼女が苛立っているのは明らかであった。だが彼女は過剰とも思えるほどの防衛戦力とともに、ジグラット待機を命じられているのだ。「今すぐにでも私自身で奴らを捻り殺したい程です」
「頼もしい法務官どのだ!じきに活躍の場は訪れよう。ハイデッカーを率い、最前線で思う存分殺して頂きたい。だがツキジではない」「何故です?ネオサイタマの死神が大気圏外にいる現状で、なぜこれほどの戦力をジグラットに残す必要が?総軍とは言いません、せめて半数で、一気にツキジを攻めては?」
「できんな」「合理的理由を」「ジグラットは手薄にできん。それに」老将は葉巻を吹かした。「ツキジのごとき戦場では、どれだけ数を送りこもうと、坑道や隔壁がボトルネックとなって実際先細る。行軍にもたつきイチモ・ダジーンとなる。数が重要なのではない。特殊なジツを持つ少数精鋭が必要なのだ」
「了解です。それでツキジの盤石な守りを崩し、秩序の混乱を防げるのならば」彼女は了解し、ハイデッカー司令部への暴動鎮圧継続命令を再開した。「盤石な守りなど、たわけた幻想よ」ハーヴェスターは戦略マップを操作しながら彼女を見送った。「そんなものは、どこにもない。この地球上のどこにもな」
◆◆◆
それよりおよそ半刻後。ツキジ・ダンジョンへと、アマクダリの攻勢第二波が押し寄せた。その大半はシデムシとペイガン。加えて、その戦力の大部分は、第一波の敗北をシンプル極まりない物量作戦と人海戦術によって克服せんとするかのごとく、上層から無謀な突入攻撃を仕掛けてきたのだ。
だがツキジに根を張るフォーティーナインの力は、圧倒的であった。彼女はまさに一人も漏らさず、ニンジャもシデムシもハイデッカーも区別なく、阻み、捕え、壮絶に屠り続けたのだ。対して、カラミティとブルーブラッドが守る鍾乳洞では、自律兵器部隊による散発的な攻撃が繰り返されるだけであった。
このまま第二波は容易く退けられるかに見えた。最初に異常に気付いたのは、フブキの霊体とともにINW内に篭り、戦況を俯瞰していたリー先生であった。
「ンンンー、良くないねェー、良くない兆候だ。フブキ君」「何ですの?リー先生?」フブキの霊体が不安げに飛来する。遠く離れた各所で、触手は今も敵を屠り続けている。「顔色が悪い」「あら、スミマセン、さすがに私、少し働きづめで」「送り込まれてるペイガンとハイデッカーの中身、分析したまえ」
「モシモシ、ブルーブラッドです。リー先生、どうしました?エッ?上が…ダメかもしれない?大丈夫です!僕がいます!」鍾乳洞の隔壁前で、ブルーブラッドはINWとの通信を行っていた。直後、複数のニンジャソウルの接近を感じ取った。「スミマセン!ちょっと待っていてください!すぐ片付けます!」
敵の数はニンジャ5人。これまでで最大の戦力だ。鍾乳洞を一直線に進んでくる。ブルーブラッドはカラミティに命令を飛ばし、自身も色付きの風となって斬りかかった。敵部隊はサクリリージ、ズィーミ、ヴァンブレイス、ホーリードメイン、そして狂信の力によって虐殺から生還した血みどろのビショップ。
ブルーブラッドはカラミティが吐き出す火球の爆発を巧みにかいくぐりながら、まず最も鈍重なヴァンブレイスに襲いかかり、すれ違いざまのアンブッシュで、重サイバネニンジャの首を刎ねた。他の敵の攻撃をわずかに食らいながら、ブルーブラッドは着地し、四連続側転で隙を消した。
その間もずっと、ズィーミは深い精神集中に入りながらカラミティだけを睨み続けていた。「サヨナラ!」ヴァンブレイスの爆発四散を合図に、ニンジャたちは流れるようなアイサツとイクサに入った。ズィーミの耳には、その喧騒も聞こえていないようだった。彼を狙う吸血鬼の爪を、部隊が辛うじて防いだ。
サクリリージらが吸血鬼と激しく斬り結び、火達磨になって逃げ惑うホーリードメインがカラミティに踏み潰され爆発四散する中、ズィーミは緑の火の間を夢遊病者めいて歩き、眼から血を流しながら、両手をかざしてカラテシャウトを放った。「イイイヤアアーーーーッ!」恐るべきジツ、ミマカリがために。
◆◆◆
地球は既に視界に無い。精密な断続的ブースター噴射の光を放ちながら、ニンジャ専用超高速スペースシャトル「クロフネ」は予定時間通りに月衛星軌道に進入を果たした。黒い立方体群は無言のうちに舟の通過を許可した。それらはかつてユリシーズの探査船を無慈悲に葬り去った正体不明の存在であった。
ニンジャスレイヤーはチャドー仮死状態から覚醒した。瞬間的にニンジャ握力が増し、しがみついたアンタイ・ニンジャ装甲板がミシリと音を立てた。ナラクの力を用いたとしても、このウルシ塗りめいた最先端テックの結晶たる装甲を破り、破壊する事は不可能であろう。何より彼自身の目的もそれではない。
彼の目的は月のアマクダリ・メガトリイ基地へ潜入し、アルゴスを滅ぼし、アガメムノンを葬り去る事だ。地球は隠れた。ニンジャの暴虐によって歪められ果て、ディジタル・ノイズの風と雪に沈んだネオサイタマの影すら、もはや遠く、この舟には届かない。届くのはただニンジャスレイヤーのカラテのみだ。
赤黒の瞳に力が宿り、宇宙服の節々から超自然の炎が漏れ出る。かつてニンジャによって苛まれ、ただ踏み潰される筈だった一人のモータルの人生は、いびつな命を得、いびつに継続する事となった。彼の道は続いていた。鷲の一族の意志という暴力に晒されたネオサイタマが怒りと命をいまだ秘めるように。
キーラー・ヘヴィサイド。列を為すのはまごうことなきトリイである。それら巨大トリイの下を真っ直ぐに伸びているのは間違いなく滑走路であった。いつの時代、誰が、どのようにしてこれを建造したのか。読者の皆さんには、いたずらに歴史の闇に触れるのは得策ではないと申し上げておこう。
クロフネはきわめて安定した進入角度を維持し、月の荒野上空にぴったりと張り付くようにして、やがてこのメガトリイ滑走路へ降りていった。ゴウ。ゴウッ。赤黒の炎が真空に散った。減速するシャトルで、ニンジャスレイヤーはただ耐える。耐える……。船体のハッチが開き、影が飛び出す。
互いの凝視が瞬間を切り取った。斜めに飛び出したのは黒いウエットスーツめいたニンジャ装束を着た存在であった。そのような装備では、いかなニンジャといえど長くは耐えられない。しかし、1秒後にその懸念は払拭される。船体から立て続けに黒いコンテナが射出された。黒いニンジャのもとへ。
ニンジャスレイヤーはGに耐えながら身構え、月面上空に静止したニンジャを凝視する。黒いニンジャは十字架めいて両手足を伸ばした。5つのコンテナがニンジャの周囲で円を描いた。コンテナには平仮名がショドーされている。「お」「な」「た」「か」「み」。オナタカミ。
バチバチバチ……ニンジャスレイヤーの宇宙服が短波信号を受信し、ノイズを鳴らした。ニンジャスレイヤーは船上からニンジャを睨んだ。『ドーモ。ニンジャスレイヤー=サン。クロノスです』その瞬間、5つのコンテナが同時に展開し、UNIX光を輝かせる外骨格装甲が黒いニンジャのもとへ集まった。
クロフネが最終ブレーキをかけ、粉塵が立ち込める。月への着陸は無事、成功した。今まさにニンジャ達が月へ降り立つ事となったのだ。ニンジャスレイヤーは驚異的なニンジャバランス感覚によって落下を免れ、クロノスにアイサツを返す。「ドーモ。クロノス=サン。ニンジャスレイヤーです」
クロノスはオナタカミ外骨格装甲で身を鎧った。彼の背後には後光めいた何らかのユニットが雪の結晶めいたアンテナが展開し、白く発光を始めた。ニンジャスレイヤーは状況判断する。あれがエネルギー供給源か。宇宙空間航行中は用いることができなかった強力な装備が、月へ到達したことで紐解かれたか。
ニンジャスレイヤーの背後には目指す月基地がある。大理石めいて黒い姿の一部が地上に露出し、内部への進入路が今まさに口を開き、搭乗口から迫り出したスロープを悠然と進み出るゼウス・ニンジャ憑依者達を迎え入れようとしている。しかしニンジャスレイヤーにはコンマ1秒の時間も与えられなかった。
『イヤーッ!』クロノスは背部ブースターから推進剤を噴射し、猛禽めいて滑空しながらニンジャスレイヤーに襲いかかった。ニンジャスレイヤーは側転し、跳ねて、致命的滑空クロスチョップ攻撃を回避した。透明のシールドで覆われたスロープを降りるアガメムノン、そして側近達。視線が確かに交錯した。
アガメムノンが死神に注意を払ったのはほんの僅かな時間に過ぎなかった。アガメムノンのすぐ後ろを続くのは、ドラゴンベイン、スワッシュバックラー。影のように付き従う彼らも挑発ひとつ行いはしない。武人ドラゴンベインはもとより、諧謔家で知られるスワッシュバックラーも、別人めいて冷たい影だ。
ニンジャスレイヤーはフックロープを射出し、岩肌に噛ませ、収縮させて斜めに跳んだ。クロノスはスラスターを噴射してバランスを取り、獲物を逃すまいと襲いかかった。『イヤーッ!』「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは月面を転がって攻撃を回避した。クロノスは身体を捻り、四つのクナイを宙に放つ。
それらクナイはクロノスの背部アンテナの光と同期して明滅しながら浮遊し、岩陰に転がるニンジャスレイヤーの背後を取ろうとする。ニンジャスレイヤーは身構えた。(((フジキド!注意せよ!ネンリキの類いか!)))KBAM!KBAM!爆発したクナイの粉塵の中から間一髪、死神は滑り出る。
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは月面を側転した。土を蹴る力を強め、反射力で速度を確保する。『イヤッ!イヤーッ!』クロフネや月基地を背にするや否や、すぐにクロノスは破壊兵器の行使を解禁した。手首部から凝縮カラテミサイルを射出したのだ。KBAM!KBAM!KBAM!
カラテ爆発が月面を抉る。ニンジャスレイヤーは力強く土を蹴って攻撃を避ける。「イヤーッ!」振り向きざまにスリケンを投擲する。『イヤーッ!』クロノスは弧を描いて飛び、飛び道具を回避して追いすがる。(((フーリンカザンは敵にありか。だがしかし、フジキド。手こずれば全てを仕損じるぞ)))
然り。重力……真空……そうした諸要素がニンジャスレイヤーを苦境に立たせている。だが迫り来るクロノスのさらに奥、月基地にこそ、倒すべき敵の存在がある。(((所詮、文明の玩具を纏って粋がる不覚悟者に過ぎぬ。薄皮一枚剥がせばブザマな中身が現れようぞ!)))『イヤーッ!』
接触のコンマ数秒前、迫り来たクロノスが急加速した。スラスターによるトリッキーな加速か!「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの腕がクロノスのチョップに触れ、裂傷が刻まれた。彼のニンジャ動体視力はクロノスの腕部の光を捉えていた。レーザーメスの一種か!焼き切れた宇宙服を赤黒の炎が塞ぐ!
すれ違ったクロノスは四つのクナイを投げ放ち、空中で旋回する。ニンジャスレイヤーは月基地方向に走りだした。四つのクナイは羽虫めいた軌跡を描いてニンジャスレイヤーを追跡し、先端から微細なスリケンを射出した。「イヤーッ!」走りながらニンジャスレイヤーはそれらをチョップで弾く!
『逃がさん』クロノスの短波通信が木霊し、背中のアンテナが強く光った。ニンジャスレイヤーは走った。目指すは月基地。番犬を殺すためにこんなところまで来たのではない。推量通り、クロノスは月基地への誤爆を避け、凝縮カラテミサイルの攻撃を行わない。加速し、近接カラテで仕留めに来るだろう。
「イヤッ!イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケンを投擲し、まとわりつくクナイを丁寧に撃墜する。しかしそれがクロノスの接近を容易にした。レーザーメスが閃く!『イヤーッ!』「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは回転しながら後方に吹き飛ぶ。斬られたのは脇腹だ。先程よりやや深い。
クロノスはU字を描いて再び月上空へ飛び上がった。ニンジャスレイヤーは回転着地し、クロノスを見上げた。そしてジュー・ジツを構え直した。宇宙服の脇腹から赤黒の炎が噴き出す。クロノスは両手を拡げた。凝縮されたカラテブレードが拳の周囲に形成されるのが遠目からもはっきりとわかった。
◆◆◆
『ドーモ。アガメムノン=サン』地球をとらえる雄々しき鷲のウキヨエが描かれたフスマの前に、フードを目深に被った存在が立ち、アガメムノンに恭しく頭を垂れた。その姿は時折ザラつき、色彩に微かな乱れが生じる。『アルゴスです』「ドーモ。アルゴス=サン。アガメムノンです」王はオジギを返す。
既に彼らは地上と変わらぬ装いをとっている。甘い空気と健全な重力が保たれ、壁の内側から発する光は柔らかく、微かに聞こえるのはネオサイタマでは到底耳にできぬ奥ゆかしい音楽だ。『オカエリナサイ』アルゴスのホロ映像が消失した。スターン。フスマがひとりでに開いた。宮殿は主を迎え入れたのだ。
スターン。……スターン。……スターン。連なるフスマが導くように開いてゆく。アガメムノンは従者達とともに歩き出す。「あるべき場所にあるべき王が戻る。好ましい」スワッシュバックラーが呟いた。今やドラゴンベインの白金と対をなす黒金の装束に身を包んだ彼の眼差しは暗く、厳しく、怜悧である。
アガメムノンは言葉を発しない。しかし当然、彼には何らかの感慨があったであろう。玉座を失い、ゼウス・ニンジャの力によってかろうじてネオサイタマへ生きて降り立った彼を待ち受けていたのはあまりに厳しい試練であった。彼に残されていたのは己の肉体と知性だけだったからだ。
衣食住を確保し、戸籍IDを捏造し、シバタ・ソウジロウの名で、格差社会の末端に滑り込んだ。ヤクザに取り入り、ネオサイタマ外の地方豪族に取り入り、やがて政治家サキハシに取り入った。トコロザワ・ピラーにフォレスト・サワタリを誘導し、INWのセキュリティを切断し、ラオモトを死ぬに任せた。
総理大臣の一族に取り入った。鷲の一族たるラオモト・チバに取り入った。いつしか彼はネオサイタマを手中におさめていた。それは静かな侵略、静かなイクサであった。ドラゴンベインとスワッシュバックラーは自らアガメムノンを探し求め、剣を捧げたニンジャであり、鷲の一族に仕える最後の生き残りだ。
どちらも本来あってしかるべき「鷲のニンジャ」の序列からすればさほど上の者ではない。しかし彼ら二人だけが残った。ゆえにハタモトの装束色を身につける資格を持つ。実力も申し分の無い存在だ。彼らは実戦の中でカラテを積み、磨き上げた。今日この日を迎える為。誤った歴史を遺棄する為に。
一団はやがて、前衛的なニンジャ彫像が並ぶ回廊に差し掛かった。どれも捻くれた姿をしているが、それらが手にした武器は正真正銘の業物である。アガメムノンは一度そこで足を止めた。ドラゴンベインとスワッシュバックラーはそれらのなかから己の武器を選び取った。
ドラゴンベインは既に巨大槍ツラナイテタオスを持たない。ニンジャ彫像の武器の中には槍や槌矛の類もあったが、彼はそれらを選ばなかった。彼が選んだのは鷲のガントレットである。スワッシュバックラーは己の細剣よりもなお薄く平たい刃を持つ奇妙な剣を取った。死神と対し、葬るための武器であった。
回廊は広間に通じていた。二戦士はそこで待機した。鷲のガントレットを装着したドラゴンベインの腕はそれまでの二倍巨大で無骨なシルエットを得た。逆にスワッシュバックラーの剣はより繊細で、一見頼りなくすら見える武器を携えている。アガメムノンとシーカー、キルナインは奥へ進む。
ドラゴンベインとスワッシュバックラーは互いを見る。クオオオ……やがて「宮殿」全体が微かで低い唸りを発し始める。鷲の王がゼウスの力を注ぎ始めたのだ。壁の発する光が一段階強まり、広間に数十名のアルゴスが現れた。それらは二戦士を一瞥した後、唐突に消えた。
◆◆◆
(((フジキド!)))ナラクが呼びかけた。ニンジャスレイヤーはクロノスを睨み、宇宙服の脇腹の裂傷に手をかけた。クロノスはカラテブレードを振りかざし、スラスター最大出力で急接近をかけた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは……宇宙服の裂傷を裂き開いた。ナムサン!セプク行為か!?
たちまち宇宙服の傷は赤黒の炎を溢れさせた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは宇宙服を引き裂き破り捨てた。ナムアミダブツ!だがナラクがニンジャスレイヤーを叱責罵倒することはなかった。引き裂かれた宇宙服は赤黒の炎と化し、血と混じって、ニンジャスレイヤーの身体に燃え盛る装束を形成する。
当然、この状態で長く生きられる筈も無し。しかし鈍重な宇宙服を身に纏った状態では遅かれ早かれクロノスの外骨格装甲の推進力に遅れを取り、じわじわと嬲り殺されるのがオチであった。内なる炎を噴き出させ、かりそめの装束として織り合わせる。どれほど耐えられるか。だがここで死ぬ気はなかった。
ニンジャスレイヤーは目を見開いた。『イヤーッ!』クロノスがブレードで斬りつける。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはブレーサーで切っ先をそらし、首筋にチョップを叩きつけた。『グワーッ!?』クロノスは地面を跳ね、スラスター再噴射で鋭角ターンをかけた。『コシャクな!無駄だ!イヤーッ!』
クロノスはカラテブレードで斬りかかった。ニンジャスレイヤーは身体を捻りながら身を沈め……解き放った!「イイイイヤアアーッ!」赤黒い炎はコマめいて回転し、連続回し蹴りをクロノスに叩き込む!『ヌ……』一撃!二撃!刃がそれる!『バカな……』三撃!四撃!五撃!『グワーッ!?』
「イイイイヤアアアーッ!」ゴウランガ!これはいわば、月面ナラク・タツマキケンか!赤黒の旋回殺戮風車はクロノスの刃を弾きそらし、外骨格装甲に覆われた首筋に連続蹴りを見舞った!『グワーッ!グ……グワーッ!』蹴る!蹴りながら、死神はクロノスもろとも月基地とクロフネを繋ぐ通路に突入した!
KRAAASH!通路の壁を破砕し突入した二人のニンジャは奥の壁に衝突して停止した。『バカな!こんなバカな!』クロノスがUNIX眼光を瞬かせた。「これが真のイクサだ、コワッパ」ニンジャスレイヤーは首筋を掴んで押し付け、右手のチョップを振り上げた。「玩具の介在せぬ世界よ!」
振り上げた手が、腕が、肩が、ブスブスと音を立て、無酸素下で苦しげに赤黒の超自然炎を沸き立たせる。ハイクを詠ませる猶予も無し。「イヤーッ!」カイシャク!ニンジャスレイヤーはクロノスの首を一撃で刎ね、「サヨナラ!」爆発四散にザンシンする暇すらなく、連続側転で封鎖扉に突入した。
ゴウン。ゴゴゴウン。隔離扉を手動開閉する音が月基地上層に木霊した。当然アルゴスはそれを聞いていた。鋼鉄フスマが死神の行く手を閉ざすが、憤怒の速度で放たれるチョップを押し留める事はかなわなかった。死神は酸素の中にまろび込み、手をついた。ズタズタの装束は血と混じり、再生を開始した。
◆◆◆
そのとき、彼が接続している世界の情景すべてが電子ニューロン速度で駆け抜けた。しかるべき炉にしかるべき火が灯ったのだ。鷲の王のかざす手は太陽よりもなお白く強く輝き、メガトリイ・コイルが青白い電光を四方八方に撒き散らした。これにより月の宮殿の電力供給機構は蘇った。
アルゴスはアガメムノンのタタミ2枚後ろ距離にアヴァターを現出させ、跪く。ゼウスの火を注ぎ込み、宮殿を蘇生させたアガメムノンは、悠然とメインフレーム制御室を後にした。アルゴスは星の流れを、地球を見た。周回衛星があるべき位置に動いていく。微かな痛痒が瞬時の再定義を阻む。時間の問題だ。
ニチョームのファイアウォール数列に差異が生じている。中に籠っていた者達が何らかの行動を開始したか。監視カメラ網は万全ではない。市街においては、反抗する市民のなかに、監視カメラ破壊を行う者たちが現れ始めた。ハイデッカーによって失われた目を補わせ、復旧を急がせる必要がある……。
◆◆◆
「何だ?」ブルーブラッドは思わず口に出した。サクリリージは見逃さなかった。「そうか、感じたか」「イヤーッ!」ブルーブラッドはテレポーテーションめいた速度でサクリリージの背後を取り、首を切断にかかる。「イヤーッ!」「グワーッ!」シカめいたバックキックがブルーブラッドの腹を捉えた。
ブルーブラッドはクルクルと回転し、受け身をとって着地した。白髪をなびかせて接近するサクリリージの肩越しに、彼は己のしもべ、忠実なるアクマ・ニンジャ、カラミティの巨影の不動を訝しんだ。「あれは、もらった」サクリリージが言った。「そしてお前」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
ハヤイ!サクリリージはブルーブラッドの左胸から血塗れの腕を引き抜く。「これは」ブルーブラッドは欠落の感覚に当惑した。彼の左第十二・第十一肋骨は失われ、サクリリージの指の間に挟み取られていた。「イヤーッ!」ブルーブラッドは飛び下がった。「イヤーッ!」サクリリージは二刀で斬りつけた。
二刀!然り、回転しながらの横薙ぎ斬撃は、ブルーブラッドの肋骨によって為された。サクリリージはブルーブラッドの肋骨を抜き取り、超自然のジツによって刃状に歪めて用いたのだ。「グワーッ!」回避が間に合わず、ブルーブラッドの脇腹が裂けた。「カラミティ!何を……」カラミティは動かない!
「イヤーッ!」砕けた肋骨の刃を捨てたサクリリージは、宙を握りしめ、引きずり出すような仕草をした。ブルーブラッドの脇腹から腸が飛び出した。「アバーッ!?」「そおォーれ……」サクリリージはかすかに目を細め、ジツの力を強めた。腸は付近の柱に伸び、荒縄めいて巻き付いた。サツバツ!
「これで鬱陶しいノミめいて跳ねまわる事もできまいな」サクリリージは濁った目を歪めて笑った。彼のもちいるジツはボトク・ジツ。人体を素材に武器を作り出す、それは古代ニンジャの習わしにおいても禁忌中の禁忌に属するものであり、致命の病の治療において稀に利用される秘密のジツであった。
時は流れ、禁忌は風化した。サクリリージはアマクダリ戦士であり、山奥に隠れ暮らした平安時代のニンジャ・ヒーラーに対するリスペクトなど無い。彼にとってツキジ・ダンジョンは、歩く手榴弾や歩く武器庫を豊富に貯めこんだ狩場だ。カラミティの無差別攻撃の懸念はズィーミが排除した。終わりだ。
「イヤーッ!」ブルーブラッドははみ出した腸を自ら引きちぎった。「これがどうかしたか?僕には使いみちの無い器官だね。食事や排泄から解き放たれた真の不変が僕だ……永遠なんだ!」「永遠など無い」サクリリージは拳を突き出し、開いた。KBAM!「アバーッ!」ブルーブラッドの肝臓が爆発した。
「イヤーッ!」倒れ込みながら、ブルーブラッドは己の腹部に爪をあて、おもむろにセプクした。否、胴体から下を切断し、捨て去ったのだ。腕の力だけで高く跳ね、キリモミ回転しながらサクリリージに襲いかかる。「イヤーッ!」ハヤイ!しかしその身体に横殴りの拳が叩きつけられた。カラミティだ。
KRAAASH!「アバーッ!」ブルーブラッドは柱に叩きつけられた。「ゴウオオオン……」カラミティは緑の炎を燃やし、主人を叩き潰した巨大な拳を引き戻した。ピシャピシャピシャ、サクリリージは血塗れの手で拍手した。「吐き気を催す生命力だ」「先生」ブルーブラッドは己の頭を両手で掴んだ。
「アバー……」ズィーミは直立状態でゆらゆらと揺れている。ミマカリ・ジツの深いトランス状態である。カラミティはブルーブラッドへカイシャクの拳を振り上げ、短く痙攣し、拳を戻した。サクリリージが咳払いした。カラミティは再び殺意を取り戻し、大きくのけぞった後、緑の炎を放出した。
「イヤーッ!」ブルーブラッドは両手の力を込めた。首の皮膚が、肉の繊維が、ブチブチと引きちぎれる!その直後、緑の炎が不死身のニンジャを直撃した。KABOOOM!「アバーッ!」ブルーブラッドは爆発四散し、その首が高く跳んだ。「イヤーッ!」サクリリージは指骨のクナイを投擲した。
ブルーブラッドの頭をクナイが射た。ナムアミダブツ。直後、走り来た何かが水を撥ねて柱を蹴り、トライアングル・リープして、落下する頭を受け止めた。カラミティは小柄な影めがけ裏拳をふるった。KRAASH!柱が砕け、瓦礫がボタボタと落下した。「GRRR……」アクマは緑の眼を強く燃やした。
「貴様か」サクリリージはカラミティの視線を追い、新たなエントリー者に向き直った。彼はズィーミを庇うように立ち、先手を打ってアイサツした。「ドーモ。ジェノサイド=サン。サクリリージです」「ハァー……ドーモ。ジェノサイドです。俺の事知ってンのか」「そこそこ有名だな」「そうかよ」
ジェノサイドは巨大な影を見上げ、もう一度、サクリリージと、その傍らでトランス状態となっているニンジャを見た。「こりゃ、どうなってる」「丁度、決着というところだ。貴様らの状況はイマイチだぞ」サクリリージは言った。彼はカラミティを見た。「アイサツしてやれ」「ドーモ。カラミティ。デス」
シュイイイイ……ジェノサイドの両手から垂れた鎖の先でバズソーが音を立て始めた。「下はこの有様だが、上はどうだ?」サクリリージは尋ねた。ジェノサイドは答えない。サクリリージは小首をかしげてみせた。「あまりうまく行かなくなって来ておるのじゃないのかね?あの何とかいう無敵の守り神も」
瓦礫の粉塵に包まれる彼らを遠く後ろに、ブルーブラッドの頭を抱えた小柄な影、ラヴェジャーは凄まじい速度で走り去る。「嗚呼、然り、然り……うまくない……フブキ様……おいたわしや……」無念の形相でクナイを咥え込んだブルーブラッドの頭部を見下ろす。「嗚呼……この方も、おいたわしや……」
ZZTOOOOM……走り遠ざかりながら、轟音と震動はなおラヴェジャーの耳に届く。カラミティが反逆を開始したのだ。ジェノサイドは果たして時間を稼げるだろうか。ただでさえ手に余るカラミティと、更に、ラヴェジャーが確認した限りでは少なくとも二人のアマクダリ・ニンジャを相手に?「絶望だ」
アーチ門をくぐり、細く狭い通路に差し掛かる。前方から接近音。新たなアマクダリ侵入者か。ラヴェジャーは闇に身を潜める。水を蹴立て、走りこんでくるニンジャは三人。「敵増援?アナヤ!」英雄的に立ちはだかり自己犠牲すべきか。逡巡する彼の横を、三者は風のように走り過ぎた。男一人、女が二人。
「嗚呼。英雄にすらなれぬ。まこと卑小な男だ、我は……」泥水の中に突っ伏して密やかに嘆くラヴェジャーに気づかぬまま、桜色のマフラーの光と「地獄お」の漢字は闇に溶けた。
「ガオオオン!」カラミティが吠え、ブルドーザーめいたケリ・キックがジェノサイドを襲った。「イヤーッ!」ジェノサイドは跳躍して躱し、キリモミ回転の中から鎖つきバズソーを繰り出した。「イヤーッ!」サクリリージはブルーブラッドの右脚を引きちぎって槌矛を生成し、バズソーを弾いた。
「ガオオオン!」カラミティはジェノサイドを追撃にかかるとおもいきや、素通りし、決断的足取りで奥へ向かう。隔壁の破壊だ!「チィーッ……」ジェノサイドはそれを阻止できない。サクリリージが右手に槌矛、左手にブルーブラッドの左脚と腰から生成した大斧を構えて向かってくるのだ!
「イヤーッ!」ジェノサイドは鎖バズソーを振るう。サクリリージは大斧を振り回して打ち返す。「お前の肉体からはどんな武器が作れるかな」サクリリージは抑揚の薄い声でジェノサイドに言った。「早く試させてくれ」「お断りだ」「イヤーッ!」「イヤーッ!」刃と刃がぶつかり合い、火花が闇を照らす!
鞭めいてしなる鎖バズソーは油断なきサクリリージを全方位から襲った。サクリリージもさる者、槌矛と大斧を巧みに用いて変則的な攻撃に対応する。肉と骨から生み出された武器を用いるニンジャが、腐肉のニンジャと渡り合う。なんと凄まじきイクサの光景であろうか。「イヤーッ!」「イヤーッ!」
両者のカラテは拮抗状態に近いと思われた。だがジェノサイドの狙いは別にあった。「イヤーッ!」右手のバズソーをサクリリージに防御させながら、不意に彼は左手のバズソーをあさっての方向へ繰り出した。否、そこにはトランス状態のズィーミが佇む!カラミティの操作に全ニューロンを傾けているのだ!
「イヤーッ!」しかしその攻撃は水しぶきと共に跳ね起き、ズィーミを庇ったニンジャによって防がれた!「ドーモ。ビショップです」ビショップが聖剣「聖徳太子MK-3」を力強く地面に突き立てると、聖なるプラズマ光が半球状に拡散し、タダオ大僧正に祝福された刀身がバズソーを弾き返したのだ!
ビショップの禿頭には大僧正の功徳を象徴する神秘的な聖文字が浮かび、清らかな燐光を放っていた。祝福の助けがある限り、聖なる力は緩やかな速度で彼の傷を治癒し続ける。「聖戦士は苦境に陥りし仲間の盾となり、決して倒れる事はない!」突き立てた剣から手を離し、聖銃で撃つ!BLAMBLAM!
「チィー!」ジェノサイドは銃弾を非致命的部位で受けた。そしてサクリリージの攻撃と切り結んだ。「イイイイヤアアーッ!」「ヌウーッ!」KRAASH!骨肉の槌矛が砕け、サクリリージは慎重に飛び下がる。「触らせてくれんものだな」死人うらないのニンジャは濁った目をサディスティックに細めた。
「望み通り触らせてやるぜ。刃にテメェの脳みそをな!」サクリリージへの追撃を行おうとしたジェノサイドは錆びついた機械めいてぎこちなく踏みとどまった。「ヌウーッ!」「祝福の聖弾の味や如何に!」ビショップが叫んだ。「致命の傷を受けようとも、聖なる癒やしの力は我を使命に駆り立てる!」
「先に死にてェのはテメェか!」ジェノサイドは燃える緑の目でビショップを睨んだ。ビショップは挑発に乗らず、半球状のバリア内で銃をリロードし、弾倉を指でなぞって祝福する。「ナーンシーオントクタイシタマエーッ!」「イヤーッ!」サクリリージがジェノサイドに斬りかかる!休む間無し!
「イヤーッ!」近接カラテだ!ジェノサイドは大斧の柄を右手で殴りつけ、更に左ストレートをサクリリージの横面に叩きつけた。「グワーッ!」サクリリージは怯んだ。だが、彼はさもその攻撃を誘ったかのようだった……「イヤーッ!」「グワーッ!」彼はジェノサイドの左腕を巻き込み、引きちぎった!
「イヤーッ!」「グワーッ!」前蹴りを受けたジェノサイドは仰向けに叩きつけられる。サクリリージは盗み取った左腕を歪め、奇怪な剣を生成した。「ハハァ……いいぞ!」そして、ナムサン!彼らを尻目に、カラミティが数度目の蹴りを隔壁に打ち込むと、分厚い扉はついに音を上げて吹き飛んだ!
「GRRRR!」カラミティはひしゃげた隔壁の鉄を引き裂き、投げつけ、踏みしだいて蹂躙した。その巨体が地団駄を踏むたびに地下世界は激しく揺れた。「いいぞ!信仰心の勝利だ!」ビショップは快哉し、網膜のIRC通信モニタを確認する。オナタカミ部隊の次の波がここに到着するのは時間の問題だ!
カラミティのサイズでは隔壁から先へ侵入する事はできない。お役御免だ。あとはビショップらニンジャ達とオナタカミ部隊の出番である。上層を守るフォーティーナインはアンタイ・ニンジャ・ウイルスを仕込んだペイガンの「餌」を着実に吸収した結果、その機能を停止したという情報がもたらされている。
ジェノサイドは頭を振って起き上がった。ビショップは銃を構えた。「聖なる弾丸を受けてなお動く。おぞましい」サクリリージは骨肉の剣を構え、間合いを詰める。彼らはアイコンタクトをかわす。二方向からの同時攻撃で悪名高きゾンビー・ニンジャを葬るべし。「ズィーミ=サン。ミマカリの接続を切れ」
「アバッ」ズィーミは痙攣した。カラミティの身体も同期して震えた。ビショップはアワレに思った。このニンジャはここでカラミティ諸共に果てる定めか。「お前の徳は高いぞ」彼は呟いた。ジェノサイドが身じろぎした。突如、炎の輪がサクリリージの背後に生じた。「サクリリージ=サン!後ろだ!」
「イヤーッ!」サクリリージは瞬時に反応し、剣で防御した。炎の輪の中から降り立った女ニンジャは床に燃える拳を叩きつけた。KABOOM!爆発が生じ、水飛沫が噴き上がった。炎のニンジャは反動で高く飛び上がった。ビショップの銃撃が一瞬遅れた。「ゼツ!」ジェノサイドが身を沈めた。「メツ!」
鎖バズソーが弧を描いてビショップのもとへ飛んだ。ビショップはかろうじて聖徳太子Mk-3を地面から引き抜き、鎖にぶつけた。聖徳太子Mk-3の刀身は衝撃を受けて苦しげに唸った。刀身を支点に鎖は折れ曲がり、バズソーはビショップの背後のズィーミのもとへ飛んだ。「ブッダ!?」「アバーッ!」
「アバーッ!」カラミティが仰け反り、吠えた。サクリリージはその時どう動いたか。彼は炎のニンジャに続いて走りこんできた新手のニンジャの決断的なアンブッシュを防がねばならなかった。一撃。二撃。二刀流だ。反撃の隙が無い。二刀流のニンジャは桜色のマフラーを翻し、側転で間合いから離れた。
ビショップはジェノサイドに左手で激しい銃撃を浴びせたBLAMBLAMBLAM!「ゼツ!メツ!」ジェノサイドはバズソーの勢いに乗せ、殺戮の竜巻めいて回転しながら襲いかかった。殺せない!「ヌウウーッ!」ビショップは再び襲い来たバズソーをかろうじて回避!左手親指ケジメ!銃が宙を飛んだ!
怯んだビショップは、視界いっぱいに迫ったジェノサイドを、憤怒にたぎる緑の目を見た。ニンジャアドレナリンが時間を圧縮し、視聴覚情報全てが泥めいて鈍重になった。サクリリージの援護は望めない。カラミティは炎のニンジャに攻撃をかけようとしている。ズィーミは泥水の中で悶絶している。
「イヤーッ!」ビショップはジェノサイドの脇腹に聖徳太子Mk-3の厚い刃を叩き込んだ。致命傷だ。……生きているニンジャならば。「聖剣よ!タダオ大僧正よ!我を守り……」「AAAARRRGH!」ジェノサイドがビショップを捕らえ、彼の肩から鎖骨にかけて、呪われた乱杭歯で喰らいついた。
サクリリージは桜色のマフラーのニンジャと対峙した。紅蓮のニンジャはカラミティが吐きかけた緑の炎に己の炎をぶつけた。「嗚呼!こんな!やめてくれ!」ビショップは懇願した。ジェノサイドは筋繊維に深々と牙を埋め込み、抉り、引き裂き、噛みちぎった。「AAARGH!」そして再び喰らいついた。
もはや緩やかな治癒が彼を救える筈も無し!ビショップは己の心臓を引きずり出して貪る邪悪なニンジャに絶望した。死の闇が彼を呑み込んだ……。「サヨナラ!」ビショップは爆発四散した。ジェノサイドは身を起こし、イクサを振り返った。肩の付け根から、失われた左腕が……腐った腕が生え始めた。
ニンジャ達はアイサツをかわす。「ドーモ。イグナイトです」「ヤモト・コキです」「アンバサダーです」「ドーモ。サクリリージです」「……カラミティ……デス」巨大なゾンビーが苦しげにアイサツした。ジェノサイドは足元で痙攣するズィーミを踏みしめ、アイサツした。「ドーモ。ジェノサイドです」
「ギギッ」ズィーミがジェノサイドの足の下でひときわ強く震え、ラグドールめいて力萎え、横たわった。ジェノサイドは舌打ちした。「ゴアッ、ゴアアアオオオン!」カラミティが仰け反った。そして巨大な炎を吐きかけた!「イヤーッ!」イグナイトが己の炎をぶつけ、弾き逸らす。手に余る!
「お前らか。通信繋がったのは何よりだ。だがなァ!」ジェノサイドは破られた隔壁に顎を振った。脇腹には聖徳太子Mk-3を咥え込んだままだ。「お前らはここでくだらねえ連中と遊んでる暇はねえ。中に行け!ツキジはギリギリだ。弱っちい連中の棲家まで皮一枚。ここは俺一人でやる」
「ンンンンン!」イグナイトは頭上の炎を受け止め、押し返す。「アアアアアア!」赤熱する両手を左右に開く。緑の炎が左右に散った。緑の炎が降り注ぎ、奇怪な蒸発音がアンダーワールドを満たした。「行けッ!」ジェノサイドが叫んだ。イグナイトとアンバサダーは聞き返さず、隔壁に向かって走り出す。
「テメェも行け!」ジェノサイドがヤモトに言った。「久しぶりだね」ヤモトはサクリリージに刃を向けたまま、留まる。ジェノサイドは帽子を直した。「忘れた。行け」「アタイも残る」「俺一人じゃ不足だッてのか?ガキめ」「うん」「じゃあ、しょうがねェ」
ジェノサイドはズィーミの頭を踏み砕いた。「ゴアアアアア!」カラミティが巨大な拳でヤモトとジェノサイドを薙ぎ払う。「「イヤーッ!」」ヤモトは跳び、ジェノサイドは転がって躱した。ジェノサイドは地面に投げ出された左の鎖バズソーを掴み上げ、時間差でサクリリージを攻撃した。「イヤーッ!」
「イヤーッ!」右バズソー!左バズソー!サクリリージは骨肉の剣で攻撃を打ち払い、ジェノサイドに斬りつけた。「イヤーッ!」素手に剣。サクリリージの圧倒的優位。しかも素手のカラテでサクリリージに挑めばボトク・ジツに己を晒す事になる。「イヤーッ!」だが、ジェノサイドは脇腹の剣を抜いた!
「何!」サクリリージは濁った目を見開いた。ジェノサイドはその場で回転し、聖徳太子Mk-3を脇腹から引きぬきざま、サクリリージに斬りつけた。骨肉の剣とタダオウェポンが衝突、急拵えのボトク・ウェポンは砕け散った。「グワーッ!」逆袈裟の裂傷!サクリリージは転がって間合いを取る!
一方、ヤモトはカラミティの巨腕を蹴って跳び、頭を狙いに行った。「ゴアアア!」緑の火球が飛来する。アブナイ!「イヤーッ!」ヤモトは跳躍軌道に回りこんだ桜色の風車型オリガミを蹴って跳んだ。彼女はニチョームに置き去りにしたナンバンを取り戻し、ぬかりなくオリガミの補給を済ませていた。
跳びながら彼女はナンバンとカロウシを引き抜いた。アクマは身構えた。巨大な翼が開き、開いた顎の前に緑の光が収束を始めた。「ゴルルル…ルルルララ!」アクマの咆哮は並のニンジャ憑依者の心を萎えさせ、武器を捨てさせる。しかしヤモトは瞳を桜色に輝かせた。彼女の中のシが、アクマと対峙した。
キュイイイ、音立てて異常な密度に収束した緑炎が、ヤモトめがけ放たれた。「イヤーッ!」ヤモトはサクラ・エンハンスされたナンバンで緑炎を切り払った。破壊エネルギーは2つに分かたれ、後方の闇の中で爆発した。「ガオオオン!」カラミティはそのヤモトを巨大な拳で殴りつけた。
ヤモトはカロウシで拳を受けた……しかしカラミティの拳が勝った。「ンアーッ!」ヤモトは吹き飛ばされ、背中から柱に叩きつけられた。カラミティはねじれた角の生えた頭を下げ、柱からずり落ちるヤモトを串刺しにすべく突進を開始した。「ゴウアアアア!」
KRAASH!アクマ角が柱を貫き、瓦礫が飛散する。残虐刺突頭突きはヤモトの位置をかすかに逸れた。ジェノサイドはカラミティの足首に突き立てた聖剣を握る手に力を込め、ねじ込んだ。「イイイヤアアーッ!」「AAAARGH!」咆哮!ヤモトはかろうじて下に着地!「次は気ィつけろ!」
「AAARGH!」KRASH!「AAARGH!」KRASH!カラミティは狂乱し、付近の地面や柱に無差別に拳を叩きつけ、緑の炎を吐いた。「もともとは、ここの門番だ」ジェノサイドが言った。「今は違う。アマクダリのニンジャが脳を奪った。しかも、奪った当の本人は早々に死んでやがる」
「ゴアアアア!」「そのニンジャの意識の残りカスがどれだけアレを制御できてるのかは知る由もねえ。潰す必要があるのは確かだな。しかもそのニンジャの死体はどうやら……」ジェノサイドはサクリリージがズィーミの死体から脊髄を剥がし取るさまを見た。「なんだ……便利な武器になるッて寸法だぜ」
サクリリージは引き剥がした脊髄を構えた。ザイバツ・シャドーギルドの幹部ニンジャのイクサを目にした者がもし居れば、連なるセグメント刃を備えた鞭状の剣のシルエットから、伝説のヘビ・ケンを連想するかも知れぬ。だがサクリリージが作り出したボトク・ウェポンはただただ忌まわしい武器であった。
「イヤーッ!」キュイキュイキュイ……オリガミが音を立てて宙を舞った。周囲を目眩ましめいて飛ぶそれらにカラミティは激怒し、蚊を払うように巨腕を振り回した。ヤモトは走りだした。そしてジェノサイドも。「イヤーッ!」「イヤーッ!」彼は聖剣でサクリリージのボトク・ウェポンと打ち合った。
「イヤーッ!」「イヤーッ!」ジェノサイドとサクリリージは刃をぶつけあう。彼らからやや離れ、カラミティの周囲をブル・ヘイケ伝説めいてひらひらと舞うのは、オリガミを足場に飛び回るヤモトである。イクサは膠着状態を見ようとしていた。オナタカミ増援部隊がアンダーワールドに到達するまでは。
「「イヤーッ!」」刃と刃がぶつかり合う。ニンジャの脊髄剣は硬く強く、聖剣の力に拮抗した。サクリリージは不意に間合いを大きく取ると、眉根を寄せて頷いた。ジェノサイドが首を傾げ、手招きした。「腰が引けてやがるぞ、クズが」「あいにく俺は剣客ではない」ガサガサという無数の足音が殺到する!
ナムサン!オナタカミ増援部隊!シデムシの群体だ!サクリリージを追い越し、それらは怒涛めいて闇の中から押し寄せた。「イヤーッ!」ジェノサイドは斬り払い、叩き伏せる。「イヤーッ!」「ブザブザブザ!」「チチチチチ!」機械虫は残忍な勢いである地点を目指す。破壊された隔壁だ!
「AAAARGH!」カラミティは押し寄せるシデムシを蹴散らし、押し潰した。もはやアクマ・ニンジャのゾンビーは動くものを無差別に攻撃する存在に成り果てているのだろうか。ヤモトは柱を蹴って跳び、カラミティの肩甲骨にカロウシを突き刺す。「AAAARRRGH!」果たして効いているか?
ジェノサイドは吠え猛り、一機、二機とシデムシを破壊した。しかしもはや防ぎきれない。邪悪な含み笑いとともにサクリリージは後退し、闇に消えた。ハーヴェスターからの撤退命令だ。手練のニンジャは財産であり、いたずらに消費すべきではないという判断である。老将の采配は無慈悲な蹂躙戦を選んだ。
隔壁穴に吸い込まれるシデムシ達。「クソッタレが!」ジェノサイドが叫んだ。ヤモトはしかし、カラミティの首元にナンバンを突き刺しながら叫んだ。「任せよう!」「礼拝堂に戦士はいねえ!奴ら二人で捌ききれるワケが」「大丈夫。二人じゃない!」ヤモトは言った。「アタイ達はこいつを倒さないと!」
まるで呼応するかのように、隔壁穴の奥から鋼の蔓植物が吐き出された。鉄条網?何かが起きている。「味方!」ヤモトが叫んだ。それで充分だった。ジェノサイドは届かぬイクサへの未練を捨てた。ならばここでカラミティを仕留めるのが彼らの仕事だ。放置すればアマクダリを待たずしてツキジは滅ぶ。
「イヤーッ!」ヤモトはカロウシを引き抜き、更に上、カラミティの延髄付近に突き刺した。崖登りのハーケンめいて。「ゴウオオオオン!」カラミティは上体を振り、翼を羽ばたかせて、ヤモトを振り落とそうとした。ジェノサイドは聖剣を引きずりながら、巨大なアクマに正面から向かっていく。
「調子にのるんじゃねェぞ、アクマ・ニンジャの抜け殻風情がよォ」ゼツメツ・ニンジャ、否、ジェノサイドは聖剣を引きずりながら呟いた。プラズマを帯びた刀身は地面に切っ先を擦られてバチバチと発光した。ジェノサイドの腐敗したニューロンは、彼自身も説明できない強烈な怒りで満たされていた。
「不完全な……死体……くたばり果てた……無理やり押し込めたニンジャソウル……そのうえアマクダリ?ジツだと?テメェは何者だ……!役立たずの……クソの山が……!」譫言めいてジェノサイドは呪詛を吐いた。シ・ニンジャが、否!ヤモトがついにカラミティの肩の上に立ち、ナンバンを振りかざした。
「ゴアアアアアオオオン!」カラミティが破滅の緑炎を吐いた。しかしそれはジェノサイドを僅かに逸れた。水蒸気が噴き上がった。ナムサン!今やカラミティの頭の周りを無数のオリガミが旋回している。それはサクラの吹雪めいて、あるいは誘蛾灯に集まる羽虫めいて、カラミティの狙いを妨げているのだ。
視界に映る極限状況が、神話的光景の不可解な記憶断片と重なりあった。シ・ニンジャ。舞うサクラ。アクマ・ニンジャ。ジェノサイドにとって、神話時代の光景など不快なだけだった。ヤモトが二刀をカラミティの首筋に突き刺した。「ゴアアアア!」カラミティがジェノサイドに拳を繰り出す!
「イヤーッ!」ジェノサイドは地を蹴り、前へ飛び出し、拳をかいくぐった。所詮、雑なカラテだった。カラミティのニューロンをズィーミが掌握できる筈も無し。もはやそれは狂った獣に過ぎない。ジェノサイドは上へ跳んだ。ヤモトを助けるために、カラミティを滅ぼすために。「イヤーッ!」
聖剣はカラミティの腹部に突き刺さった。ジェノサイドは剣にぶらさがった手に力を込め、鉄棒選手めいてぐるりと回転して勢いをつけたのち、更に高く垂直跳躍した。「イヤーッ!」「AAAARGH!」カラミティは巨大な翼を羽ばたかせた。アンダーワールドの汚水が放射状のさざなみを生じた。
「イヤーッ!」サクラ・オリガミの舞う中、跳躍したジェノサイドはカラミティの左目にネクロ・カラテを叩き込んだ。鉤爪型を形作った右手がアクマ・ゾンビの眼球を突き破った。「AAARGH!」ジェノサイドは吠え、腕の付け根まで右腕を押し込んだ。ヤモトは二刀を引き抜き、また突き刺した。
潰れた眼球を引きずり出すと、腐った視神経が縄めいて垂れ下がった。「イイイイヤアアーッ!」ヤモトは二刀を深々と押し込んだ。旋回するオリガミは舞い狂い、カラミティの空っぽの眼窩に吸い込まれていった。ヤモトは切っ先をねじってカラミティの髄を深く破壊したのち、宙返りして飛び降りた。
ジェノサイドはほとんど振り落とされるようにして、やはり落下した。「AAARGH!」カラミティが地団駄を踏んだ。ジェノサイドは踏み潰されぬよう、転がって躱し、少しでも離れようとした。巨体が痙攣を始めた。「AAAAARGH!」断末魔だ。カラミティの頭部が桜色の光を伴って爆発した。
開ききった翼がピンと張り、巨大なアクマは手足を伸ばして硬直し、仰向けにゆっくりと倒れてゆく。「サヨ……ナラ!」顎から上が失われた頭部から風のような唸りが発せられた。カラミティは爆発四散した。「アア!アア!アア!」汚水の中からジェノサイドは立ち上がり、苛立たしげに飛沫を払った。
「行こう」ヤモトが駆け寄ってきた。彼女はジェノサイドに帽子を差し出した。イクサの中で脱落した帽子だ。「ありがとうよ」ジェノサイドはほとんど厳粛にそれを受け取り、被り直した。帽子に刺さったオリガミも無事であった。「クソッ」ジェノサイドは緑の目を歪めた。「急ぐぜ」「急ごう!」
◆◆◆
「……行く」ユンコは呟き、水のボトルを握り潰した。『お願い』ナンシーのIRC通信が応えた。彼女はユンコの視界内で今もUNIXデッキに向かっている。ナンシーと、その隣には6つのケーブルを直結するシバカリ。どちらも死んだように動かない。それから数名のアケガ・ターミナル脱走者。
奥ではホリイ達がフロッピーディスクを次々にパスし、スロットへ正しい順序で挿し込み、抜き出す作業に集中している。直結から離れたユンコは己の肉体にそっと触れる。「大丈夫だね」滑らかだ。ツキヨシ主任達のメンテナンスは万全である。『気をつけて』退出するユンコをナンシーが電子的に見送った。
ロービットマインを抜け、遺棄された地下ツキジ市街へ出る。「海老名」「ルンルン夢」「美女木」…残存バッテリーでおぼつかない光を放つ看板群や、配管パイプ群。電子レリックが堆積するロービットマイン区画はナンシー達の電子戦アジトと礼拝堂エリアに繋がっている。そこまで到達されれば終わりだ。
『バッドニュース。吸血鬼ご退場、隔壁は完全に機能停止、大穴開いた。アクマはもうダメ』シバカリがモニタ情報をユンコに伝える。『バッドニュース。神父様、戦闘開始。多勢に無勢。恐らく守り切れるのは2分てとこ』ユンコの足元で廃棄蛍光灯が割れる。『バッドニュース。虫ども追加オーダー入った』
頭上の配管パイプから漏れ出る熱蒸気を避け、複雑な街路を進む。『グッドニュース。ニチョームのお客が到着。お迎えを』ユンコは立ち止まり、仁王立ちで前方の闇を見た。現れたのは二人。男の第一印象は鼻持ちならないファッションモデルのオフ日。女は赤いベリーショートをアシンメトリーにしている。
「アレ!?」ユンコはアイサツを忘れ、赤い髪の女を指差した。これはシツレイにあたる。女はユンコの指を押しのけた。女の手はまるでホットプレートのように熱く、ユンコは驚いた。「ドーモ。アンバサダーです」「イグナイト」「……ドーモ。ユンコ・スズキです。ええと」言葉を探す。「ニチョーム?」
「アタシらどっちもニチョームと違うけど」「ああ、そうだ。ニチョームから来た」アンバサダーがフォローした。「外に一人残って、そこの……ジェノサイド=サンに加勢している」イグナイトは腕を組み、ユンコを睨んだ。ユンコは困惑を隠せない。「あなた、エーリアス=サンって、家族にいない?」
「知ってんの?そうだよ。アイツはアタシの双子の妹だよ。よく似てるだろ。コイツも双子がいる。双子に双子、ウケルよな」イグナイトは面倒そうに答えた。「そう」ユンコは曖昧に頷いた。ユーモアのセンスの勘所を探る時間も、チクリと返す時間もない。「あなた達と、あと一人?計三人?」「いや違う」
アンバサダーは首を振った。「もっと呼べる。そういうジツがある」「……わかった」『スーパーバッドニュース』シバカリの通信が割って入った。『神父様たちは依然、ニンジャやアクマと戦闘中。その横すり抜けて、オナタカミ連中がご入場。数分以内に到達。腹くくってくれるか』「来る。シデムシが」
「いっぱい来るか?」とイグナイト。ユンコは頷いた。「来るって言ってる」「だってよ。繋ぐなら今だろ」「ああ」アンバサダーは歪んだシャッターに向かって立ち、両手を突き出した。「時間かかる?」イグナイトが尋ねた。「多少」アンバサダーは集中を始めた。シャッターの表面に黒い波紋が走った。
波紋は縦長の円を形成した。円の中には謎めいた闇と緑のグリッドが揺らめく。「クール」ユンコは微かに呟いた。イグナイトは足元を確かめるように荒っぽく踏みしめた。開閉する彼女の両手から火の粉が散った。「アンタ、ニンジャじゃないンだろ。下がってな」「私も戦う。ここ、もう後が無いんだ」
『食い止めろよ!』シバカリの通信がゴングだ。ギュルルルル……不愉快な駆動音が響いたかと思うと、忌まわしき多関節機械が「串盛り」のネオン看板を押し潰しながら飛び出してきた。シデムシ!「イヤーッ!」KBAM!イグナイトが身を反らすと、その頭部が瞬時に赤熱し、爆ぜた!
「ザザザブブブ!」更に一匹!イグナイトは片手を突き出し、カトンで攻撃した。KBAM!炎の規模は一発目よりやや小さい。ユンコは片膝立ちになった。脚部からマイクロミサイルが射出され、炎に怯んだシデムシに炸裂した。「ゴギギガガガガ」シデムシは火花を散らし、多脚をわななかせる。コワイ!
「なるほど、そういうやつか」イグナイトはユンコを一瞥し、新たなシデムシの接近に備え、カトンを充填する。KRAASH!瓦礫を跳ね散らかし、新たな一機!鎌首をもたげ、ミニガンを展開する!シュイイイイ……不吉なバレル回転音!やや遅れて掃射開始!BRRRRRTTTTTT!
「イヤーッ!」イグナイトから放たれた炎の波が銃弾を呑み、そのままシデムシの鎌首を焼いた。極度高温がプロテクター越しに生体脳の蛋白質を不可逆変質させ、機能停止に陥らせる。更に一機!廃屋を突き破り、やや遠い地点にシデムシ!ユンコは片腕を突き出した。間に合わない。使うしかない!
カシャン!カシャン!ユンコの腕が皮膚ごと開き、ZAPガンが展開した。ユンコの目のトライアングル・ドットが遠いシデムシを照準した。ユンコは撃った。ZAAAAAAP!光がシデムシを射抜く!「ギギガガッガガガ!」痙攣し、暴れ、機能停止!ユンコの背中が開き、放熱プロセスを開始する。
「やるじゃん」イグナイトが横目でユンコを見た。「もう一発ぐらいイケる」放熱プロセスにやや朦朧となりながら、ユンコが呟いた。そこへシデムシが出現!「イヤーッ!」イグナイトはカトンを放つ。だがシデムシの体当たりのほうが早い!「グワーッ!」イグナイトを跳ね飛ばし、一匹が闇へ走り去る!
「くッそ……」倒壊バラックでイグナイトが身を起こす。ユンコはシデムシを追って走りだした。更に一機、シデムシが飛び出した。イグナイトはアンバサダーを庇った。「イヤーッ!」カトンがシデムシの腹を焼いた。殺戮機械は怯んだが、急所へのダメージが無い限り倒すことはできない!ミニガンが展開!
BRRRTTTT!「イヤーッ!」イグナイトは炎を両腕に集中させ、ピンポイントで掃射を受けた。一発。二発。銃弾がかすめ、裂傷が生じてゆく。KRAAASH……壁を破り、更に一匹。鎌首をもたげ、ミニガンを展開する。ナムサン。……010110……そこに一人、虚空から降り立った者がある。
『ローテック無線で事前打合せは済んでる。説明不要』シバカリの通信。アンバサダーはジツを継続する。確かに、出現したニンジャは二機目のシデムシに即座に飛びかかった。振り上げ、突き出す掌が、ミニガンの銃身を砕き、頭部装甲を引き裂き、捩じ切った。脳髄AIが崩れながら飛び出した。
イグナイトはこれに力を得た。正念場だ。彼女は腹に力を込め、カトンを振り絞った。「イヤーッ!」「ブザブザザ!」炎を浴び、掃射シデムシが後退する。「イヤーッ!」KABOOM!更に一撃!「アバーッ!」生体脳機能停止!「ゴキブリかよ!しぶとい!」イグナイトが毒づいた。
フードを目深に被ったニンジャが己の受け持ったシデムシの残骸を蹴散らし、戻ってきた。「ドーモ。ルイナーです」「イグナイトです」ニチョームでは軽くアイサツする程度の時間しかなかった。「アタシ、もう疲れたぞ」イグナイトは言った。アンバサダーはジツの集中を続ける。01001……更に一人。
アフロヘアー、鍛え上げた身体、肩からテック・ジャケットを羽織った若い男が苛立たしげにアイサツした。「ドーモ。スーサイドです」「イグナイトです」「外に出たと思えば、外じゃねえ」右腕に物騒な鎖を巻きつけている。KRAAASH……新たなシデムシが到達すると、その用途はすぐにわかった。
「イヤーッ!」狂犬めいた勢いで真っ先に喰らいついたのはスーサイドである。鎖を巻きつけた拳で、シデムシの頭部を横から殴りつける。KRAASH……装甲がひしゃげる。ニンジャ腕力と鎖、即ち凶器。『増えたか。何人かロービットマインに』シバカリのナビゲートが飛んだ。ルイナーは走りだした。
「ギギギギギ!」やや離れた位置に更に一機!「くッソ、アタシか?アタシだな?」イグナイトは駆け出した。前へ跳び、火の輪をくぐり、シデムシの元へ着地する。「イヤーッ!」カトン攻撃!一方スーサイドはシデムシに跨がり、繰り返し鎖拳で殴りつける!徐々に敵は散り、乱戦の様相を見せつつあった!
「もう一人だ!」アンバサダーが顔をしかめた。ポータルの境界が歪み始めた。0100101……最後の一人が着地した。うずくまる大柄な影。右手の杖に体重をかけ、ぎこちなく身を起こす。金色の目が開いた。男の左半身はマント状の布で覆われているが、その隙間からは異形の鉄棘が垣間見えた。
「ドーモ。アナイアレイターです」歩行補助杖をついた異形のニンジャはアンバサダーにアイサツした。「イヤーッ!」KRAASH……スーサイドが繰り返しシデムシを殴りつける。機械類に彼のジツはほとんど効果が無い。それゆえの鎖だ。「他の奴は?」金色の目がジツを終えたアンバサダーを見下ろす。
「散った」アンバサダーはシャッターに寄りかかった。「奴ら、押し寄せてきているぞ」「そうかよ。イヤーッ!」左半身のマントを跳ね除け、鉄色の縄の塊が飛んだ。渦巻く鉄条網がスーサイドの獲物に巻きつき、動きを封じ、締め上げる。「イヤーッ!」KRAASH!スーサイドの拳が遂に頭部を砕いた。
「ギギギギギ!」「ザブザブザブ!」ナムサン……更に数機、シデムシが出現!『一匹こっちに来ればゲームオーバーだぜ』廃墟のスピーカーからシバカリの声が響いた。アナイアレイターは杖を床に打ち付けた。コォン。コォン。繰り返し。杖を伝い、鉄の茨が放射状に広がり、金色の目は眩しいほどに輝く。
……ZAAAAAAP!ロービットマインに侵入したシデムシの頭部を、ユンコのZAPガンが危うく撃ちぬく。再び背部放熱。「エネルギバー」網膜のカエルが悲しげに告げた。そこへ更に一機入り込む。終わりか。ユンコは歯を食いしばる。だがシデムシの動きが不意に止まり、後ろへ引きずられ始めた。
ユンコはシデムシの関節部を締め上げる生きた鉄条網に焦点を合わせた。シデムシが暴れながら引き戻されてゆく。「……イヤーッ!」現れたルイナーが殺戮機の頭部を破壊した。動作を停止した鉄虫はそのまま鉄条網によって引きずられ、地面を滑っていった。「立てるか」ルイナーはユンコに手を貸した。
……水を蹴立て、ヤモトとジェノサイドは曲がりくねった通路を急いだ。進むほどに、蠢く鉄条網の密度は増していった。やがて、地下廃墟区域に足を踏み入れた二人が目にしたのは、明滅するネオン看板や配管パイプの間に張り巡らされた鉄条網と、捕らえられてなお暴れるシデムシ。
「ザザブブブ!」二人の接近を察知したシデムシが鉄条網を振り払い、襲いかかった。ジェノサイドとヤモトは身構えた。横合いから鉄条網が伸びて巻つき、再びシデムシを捉えた。ヤモトはイアイを構え、ジェノサイドはバズソーを駆動させた……「「イヤーッ!」」
◆◆◆
『敵のウイルス、浸透続いています!現在85%!』『危険な!』『月面電力再稼働しているのに、何故盛り返せない!?』カスミガセキ・ジグラット、アマクダリ本営では、電脳系ニンジャやハッカーカルト所属ニンジャらの悲鳴の如きIRCが飛び交っていた。『疫病の進行速度がそれを上回っています!』
「ペケロッパ!おお、ペケロッパ!」ハッカーカルトの信徒が天を仰ぎ、祈りを捧げた。別のハッカーニンジャが防衛戦の総司令官であるハーヴェスターに報告する。「市街秩序監視システム、第三論理防壁まで食い破られました!カスミガセキ・データセンターのファイアウォール、爆発開始しています!」
「あと何分持つ」ハーヴェスターが問う。「60分が限界です」カルティストが返す。「押しきれんな」老将は戦略チャブ上の映像を切り替えながら舌打ちする。シデムシのカメラにニチョーム勢と思しきニンジャ愚連隊の姿が映り、拳が叩き込まれ、完全なノイズへ変わる。最下層の戦況は膠着状態に入った。
ザッ、ザッ、ザッ。ハーヴェスターはホロスフィア上で両手を動かし、素早く市街を俯瞰する。既に監視カメラの半数以上が目隠し状態。この機能不全はブロックごとに生ずる。戦略マップ上、ネオサイタマ市街のあちこちに緑色の四角と『不明な』の文字で塗りつぶされた状況不明エリアが生み出されてゆく。
アルゴスが人工衛星群を正しき位置へと配し、インターネット再定義を開始、終了するまで、少なくとも2時間以上の時を要する。「疫病、止まりません!」「着実にジグラットへと迫ってきます!87%!」ハッカーらの悲鳴にも似た声が飛び交う。それは脳髄に向けて刻一刻と迫る凶悪なドリルめいていた。
ハーヴェスターは戦略チャブの前で葉巻を吹かす。「最下層からの突破は不可能だ」次いで、映像とバイタルサインを上層からの攻撃部隊に移す。ヨロシサン製薬から提供されたアンタイゾンビーウィルス入りのペイガンらを吸収させることで、フォーティーナインの弱体化に成功した。だが侵攻が滞っている。
確かに、INWラボへ向かう回廊には他にも多数のゾンビーとトラップが仕掛けられている。だが、それを突破するに十分なだけのニンジャ戦力を地上に待機させていた筈。地上部隊に何があった。『ドーモ、地上部隊、背後から奇襲を…!』疫病の影響で滞っていた映像が、僅かに遅れて司令部に届けられた。
ノイズ混じりの映像には、地上待機部隊のベースにアンブッシュを仕掛けるシャドウウィーヴの姿が映し出された。彼は影から影へと飛び渡り、アクシスとハイデッカーの混成部隊を翻弄していた。地上部隊を一掃するほどの力はシャドウウィーヴにはないが、地下への協調突撃を撹乱するには十分であった。
それだけではなかった。やや遅れて、全くの別方向から奇襲を仕掛けた者がいた。チョッパーバイクに跨る奇妙なゾンビーニンジャが乱入し、鎖鎌とソードオフショットガンを振るって、メンテ状態の地上ペイガン部隊を殺戮し始めたのだ。エルドリッチであった。その肩には、奇妙なフクロウが乗っていた。
再びノイズ。「アイエエエエ!見えない!?何も見えない!YCNAN!YCNANが……!」疫病への対処に当たっていた直結カルティストの一人が、論理視界をハックされ、突如狼狽を始めた。「ペケロッパ!」直後には、ニューロンを焼き切られて、生体LAN端子からバチバチと火花を散らし絶命した。
『ハーヴェスター=サン、我々はいつまでジグラット前で待機を……!』ヴァニティが再び痺れを切らし、総司令部へとIRCを打った。直後、アクシスネットに緊急システムメッセージが走った。『ジグラット内部、アクシス2名、バイタルサイン消失。小規模な煙幕、チャフも確認。何者かが侵入した模様』
「法務官どの、根比べによく耐えた。待機アクシスを率い、掃除にあたれ」『では、ツキジは…!』「ツキジには、他の手もある」ハーヴェスターは残忍な笑みを浮かべながら、葉巻の煙を吹かした。彼の目は戦略チャブ上に現れた『承認な』の文字を捉えていた。「ようやくアルゴス=サンも承認してくれた」
◆◆◆
「イヤーッ!」シャドウウィーヴはアイアンオトメの車体を起こしながら、路面が焦げつくほどの鋭いU字ターンを刻んだ。「「「スッゾコラーッ!」」」ハイデッカー部隊のアサルトライフル射撃が浴びせられる。彼は最初の数発を、車体の正面防弾装甲で弾いた。直後、バイクごと深い影の中へと潜行した。
「「「アッコラーッ?」」」標的を見失うハイデッカー。直後、彼らの背後の影からモンスターバイクが出現。シャドウウィーヴは後方で狼狽するハイデッカーを睨んだ。サドルを蹴って飛び降り、鋭いトビゲリで一体を、さらに回し蹴りでもう一体を無力化し、残った一人の喉を背後からクナイで掻き切った。
絶命したハイデッカー。だがそのサイバーグラスからは、まだ蛍光緑色の操り糸が伸びている。遥か彼方、01の風に霞むジグラットへと。シャドウウィーヴは憎悪の眼差しを向け、サイバーグラスを踏み砕いた。さらに、同様の操り糸が伸びる交差点の市街監視カメラ2個へとクナイを投げ放ち、破壊した。
シャドウウィーヴにはそれが見えていた。もはやIRCと完全癒着し、ジツと区別がつかぬほどにまで支配力と影響力を強めた、アルゴスの操り糸が。2時間ほど前、重ツェッペリンの飛来とともにツキジ地区に強制避難勧告が出されサイバーサングラス市民が姿を消したのは、彼にとって喜ぶべきことだった。
01の風が強く吹きつければ、視界じゅうのカメラに、市民の頭の上に、IRCログイン名と操り糸が浮かび上がって見える。おぞましい程の密度で。その光景は、シャドウウィーヴに凄まじい生理的嫌悪と敵愾心をもたらすのだ。ドルルルル……アイアンオトメがAI自律操縦で回頭し、彼の横へと戻った。
「ハーハハー!」2ブロックほど先から、わけの解らぬゾンビーニンジャの笑い声と銃声が近づいてくる。同じ場所で戦う必要はない。シャドウウィーヴはアイアンオトメに跨り、先へと進んだ。アマクダリの兵を虱潰しに殺すために。バラバラバラバラ……ビル越しに離陸してゆくアクシスヘリ編隊が見えた。
「アクシスが、退き始めた……?」シャドウウィーヴはヘリ編隊を睨む。そしてバイクから高く跳躍し、『鮪』『新鮮な』『鮪』と書かれたカンバンを連続で飛び移った。「イヤーッ!」シャドウウィーヴはすぐにビル屋上へと到達した。ヘリ編隊が北西、ジグラットに向かって飛び去ってゆくのが見えた。
「ツキジ攻略を諦めたか?あるいはジグラットで何かが……?」彼は舌打ちした。拍子抜け……いや、何か釈然とせぬ。アクシスはまだ多数の戦力を残しているはず。それは他ならぬ彼自身が知っている。かつて自らもアクシス・ハタモトとしてシステムの駒を率い、異端者らを無感動に踏みにじったのだから。
ゆえにシャドウウィーヴはアクシスの取りうる戦術をおおむね予測できる。そしていかなアマクダリとて、ネオサイタマ市街でバンザイ・ニュークのような戦術核兵器は行使できぬ事も知っている。だとすれば、この動きは何を。直後、ツキジ地上区画のアトモスフィアが、急激に張り詰めた。何かが、来る。
DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!DOOOOOOM!
「!?」シャドウウィーヴは北西ジグラットから、南に広がる暗黒のネオサイタマ湾へと、即座に目を転じた。彼は目を見開き、遥か彼方に滅びのホタルの群れめいて瞬く、不吉な赤い光を見た!直後、轟音と衝撃がツキジを震撼させた!それはキョウリョクカンケイ艦隊からの、無慈悲なる艦砲射撃であった!
DOOOOOOOOM!旗艦キョウリョクカンケイの四連装49cm砲が、再び火を吹いた。射出された砲弾は暗黒の海を渡り、ネオサイタマ湾と南を接するツキジ港湾区画に次々突き刺さった。多くは岸壁に。一部は地上に。絶え間なく降り注いだ。あたかも、鋼鉄の雨で大地を抉り取らんとするかのように。
シャドウウィーヴはビル屋上から回転跳躍し、アイアンオトメに跨った。そのフルスロットルエンジン音も、カラテシャウトすらも、轟音に掻き消された。アドレナリンが湧き出す。いかなニンジャとて、砲撃に巻き込まれれば、即ち死ぬ。着弾を受けて崩れかけたビルの横を、アイアンオトメは掻い潜った。
DOOOOM!DOOOOM!DOOOOM!無差別砲撃が降り注ぐ。アマクダリは切り捨てたのだ。この区画を。シャドウウィーヴは憎悪の叫びをあげながら、アイアンオトメをスラローム走行させ、割れ砕けたアスファルトを駆け抜けた。北へと退避する以外に、生き残る道はなかった。
DOOOOM!老朽化したセッタイビルのひとつに砲弾が直撃し、爆発が起こった。壊れたジョルリめいたシルエットが数体、その窓から吹き飛ばされて宙を舞った。シャドウウィーヴは祈るように仰ぎ見た。直後、旧型オイランドロイドの残骸が、疾走するアイアンオトメの左右に落下し、遠ざかっていった。
前方を巨大な崩落ビルが塞いでいた。シャドウウィーヴは叫び、アイアンオトメと共に影に潜り、その先へと出現した。長い距離を渡った。全身を冷汗と寒気が覆い始める。先を見て舌打ちする。隣接区画へと渡る橋が、今まさに落ちた。砲撃は止まぬ。右を見る。チョッパーバイクのゾンビーが近づいてくる。
シャドウウィーヴは声が通らぬことを承知で、身振りで呼びかけた。こちらは無理だ。東へ回れと。そんな義理などないはずだったが、彼はこの無機質な死によって満たされたアビ・インフェルノ・ジゴクの中を逃げようとするニンジャに対し、反射的にそう呼びかけ、自らも再びアイアンオトメを疾駆させた。
悪夢の如き艦砲射撃が続いた。それは3分、5分、やがて10分にも及んだ。ツキジダンジョンの外縁部から、崩落と海水の浸透が始まった。対カイジュウ用に開発されたキョウリョクカンケイの砲弾が、ダンジョン内をも蹂躙し始めた。そこに根を張るフォーティーナインという名のカイジュウを殺すために。
「アバー……」INWラボの周辺で敵の突入部隊を待っていた大型のゾンビーニンジャ、ネクロスパイダーは、不思議そうに唸った。彼は撤退に失敗したペイガンを糸で捕獲しつつ、ダンジョンを揺らすその奇妙な物音に耳を澄ました。直後、壁を突き破って砲弾が直撃し、彼を爆発四散させた。「サヨナラ!」
「アーッ!ネクロスパイダーまでもやられてしまったかーッ!」リー先生の声がINWラボ内に響いた。「センセイ、間に合いませんでしたわ……ンアーッ!」その横で霊体のフブキが叫んだ。ネクロスパイダーをラボ内に避難させようとしていたフォーティーナインの触手までもが、砲弾の直撃を受けたのだ。
無論、この一発だけではない。巨大すぎるフォーティーナインの肉体が、今は逆にアダとなっていた。何処を撃っても実際当たる……ツキジ全域に対する無差別砲撃に対し、アンタイゾンビーウイルスによって動きが鈍った巨大な肉塊触手は、格好の的でしかなかったのだ。
「良くないネェー、非常に良くない!なりふり構わない奴らだ!」リー先生は計算を続けながら言った。彼の専門分野は戦争ではない。キョウリョクカンケイによる艦砲射撃は、全くの想定外であった。「フブキ君、肉体を引き続き、北側に動かしたまえ」ラボの装甲を盾にする。それ以外の防御策は無かった。
「わかりましたわ、先生」フブキは霊体胸部のニンジャクリスタルに意識を集中させながら、再び自らの巨大な肉塊触手を遠隔操作し、這い進ませた。「でも、このラボの装甲は大丈夫ですの?私より先生に万が一のことがあったら…!」「今計算していたのだがネェー、艦隊の距離と砲弾の種類によっては…」
DOOM!隔壁に砲弾が直撃し、ラボが揺れた。壁が軋み、大きく内側に湾曲した。「破壊されうる」リー先生は揺れでバランスを崩し座り込んだ。「……やっぱり私、隠れてる場合じゃありませんわ!」「しかしだねェー、フブキ君」リー先生は独力で立ち上がり、言った。「君がいないと、色々困るんだよ」
「まあ、そんな!嬉しいですわ!」フブキは興奮のあまり、危険な幽体でリー先生を抱きしめようとし、こらえた。ネガティブカラテはリー先生の健康に悪影響を及ぼす。代わりに、彼女はニンジャクリスタルに意識を再集中させ、何かを告げようとした。その時、二人の後方で轟音が鳴り、声をかき消した。
対カイジュウ徹甲弾がラボを貫通したのだ。リー先生は再び転倒し、肩を強く打った。刹那、フブキはオニめいた形相を作った。霊体の両目から、緑のエクトプラズム光が迸った。内なるニンジャソウルが血と殺戮を求めた。地上をヨミに変えてしまえと。フブキは抗った。それでは今、誰が先生を守るのだと。
次の瞬間、ツキジ地表に地割れが発生した。凄まじい音とともに、地下で、厖大な質量を持つ何かがのたうち、南側へと回り込んだのだ。それは大量の土砂と瓦礫を振りまきながら、地中を進む巨大な肉塊触手のタンブルウィードめいて闇の中を転がった。そしてラボの傷を砲撃と海水流入から守る盾となった。
◆◆◆
艦砲射撃は、ツキジ・ダンジョン最下層すらも容赦なく揺らしていた。『ライドショーみたいに揺れてるか』シバカリからのメッセージにもノイズが混じり始めた。『ザリザリザリ……どうやらアマクダリの最新娯楽映画が、街頭TVで絶賛放送中。カイジュウがツキジに上陸。艦砲射撃は当然の……ザリザリ』
ZGOOOM!再び回廊で部分崩落が起こり、スーサイドとアンバサダーが連続側転でこれを回避した。「ブッダファック!艦隊でネオサイタマを砲撃してるってのか?無茶苦茶やりやがる!」「止める手立ては!?」『電子攻撃不可。手の長さに自信のあるヤツはいるか?艦隊は沖合、少なくとも数十キロ先』
「まだウイルス注入継続中!?」ユンコはロービットマインに向かって駆け戻りながら問う。シデムシは全て撃退した。他のニンジャたちも隔壁側から撤退中。いかなニンジャとて、崩落にカラテを叩き込んで止めることはできぬ。『ウイルスは絶好調。電算室が潰されるか、海水がUNIXに注いだら終わり』
KA-DOOM!炸裂弾の類が上層で連続爆発した。最下層全体が激しく揺さぶられ、ライトが明滅した。壁にヒビが入り「銀杏」「味噌」と書かれたネオン電飾看板の廃墟商店が潰され、コンクリじみた黄色い埃が視界を覆った。ジェノサイドは踵の下でピチャピチャと鳴り始めた汚染水に気づき舌打ちした。
アンバサダーが苦々しい顔で問う。「ポータルで退きたい奴はいるか!?」「ここが落ちたら、どっちにしろ負けンだろ!?」KA-BOOM!崩落箇所から二次爆発発生!爆炎がユンコを襲おうとした時、爆炎は球状の見えない壁に閉じ込められた。「イヤーッ!」イグナイトのカトンがこれを抑えたのだ。
DOOOOM! 再び盛大な着弾音!ナムアミダブツ!礼拝堂の避難民らが、電算機室のコードロジストらが、覚悟を決めて目を閉じる。だが、崩落は起こらなかった。彼らは恐る恐る顔を上げた。いずこかから湧き出した鋼鉄の茨が天井を覆い、内部構造にまで食い込み、セーフティネットめいて支えていた。
ユンコは振り返り、凄まじい金色の輝きに目を細めた。「ニンジャのやる事じゃねえな……!」アナイアレイターはその肩で世界の重みを支えるかの如く、歯を食いしばり、汗を滴らせていた。歩行補助杖の金属ヘッドは砕けんばかりに強く握りしめられ、震えていた。「期待すンな……長くは持たねえぞ!」
◆◆◆
「……コーッ!シュコーッ!何たる圧倒的火力か!」ツキジ上空、艦砲射撃の届かぬ安全圏を旋回する重マグロツェッペリン・コックピットから、サルコフォガスは地表部を睨め下ろし、アマクダリの艦砲射撃を礼賛した。着弾のたびに高く跳ね上がる土砂とガレキは、月に祈る蛮人たちのダンスめいて見えた。
DOOOM!DOOOOOOOM!再び砲撃がツキジを蹂躙する。「……オオッ!49cm砲のこの震動!立ち上るかぐわしき硝煙の香り!火力!圧倒的火力!破壊!堪らぬ!ハーヴェスター=サン!見ておられますか!」サルコフォガスは上空からの映像をアマクダリ本営に送信しながら、興奮に打ち震えた。
サルコフォガスの重ツェッペリンと3隻のエスコート艦は、地上に対して秩序漢字サーチライト光を投げ下ろしながら、INWラボ上空と思われる座標へ急いだ。「コーッ!シュコーッ!エスコート艦、9時方向にサーチライト、集中せい!先ほど吹き上がった異様な土煙と地割れの正体を確かめねばならん!」
『9時方向、地表に何かが……アイエエエエ!』エスコート艦から悲鳴が伝えられた。すわ、地上からの迎撃を受けたか?サルコフォガスはアンタイニンジャ砲の操縦スティックを握り、備えた。だが、エスコート艦は何事もなく前進を続ける。「何が……!?」直後、サルコフォガスは自らの目でそれを見た。
艦砲射撃で無残に抉られた市街地の地割れの底から、巨大な死肉と触手と無数の目玉の塊としか呼べぬものが、体の一部を露出させていた。目はしばしば細胞めいて寄り集まり、巨大な単眼を形成して空や砲弾を睨み、サーチライト光を忌み嫌うように、肉塊表面を滑るように動き、あるいは泡じみて分裂した。
観測者の正気を冒すほどの異様とニンジャ存在感が、彼の精神を震撼させた。それはツキジに根を張り、街区規模にまで成長を遂げた、意志持つ巨大なニンジャゾンビー肉塊、即ちフォーティーナインであった。彼女は海底に巣を作る軟体生物めいて、ビル残骸を掴み、それを休みなく地割れへ引き込んでいた。
サルコフォガスは怯んだ。だがネオサイタマ湾から降り注ぐ砲撃が、この巨大怪物に次々命中し、怯ませていた。通じている。砲撃が通じているのだ。サルコフォガスは奮い立った。「火力は偉大なり…!」自らもアンタイニンジャ砲の射撃スティックを握り、アイサツした。『ドーモ、サルコフォガスです!』
怪物はアイサツの代わりに、空を睨みつけた。「悪足掻きをしておるな!カイジュウめが!人類の英知の力を!科学を思い知るがよい!」KA-DOOOM!KA-DOOOM!KA-DOOOM!重マグロツェッペリンからアンタイニンジャ砲弾がパウンドめいて叩き落とされた。触手が次々にちぎれ飛んだ。
凄まじい光景であった。確かに重マグロツェッペリンのアンタイニンジャ砲は、キョウリョクカンケイの砲撃に比べれば、針めいて些細な火力である。だがサルコフォガスは目視射撃の優位を生かし、フォーティーナインの肉塊表面に出現する目玉めがけ、次々に砲撃を行ったのだ。怪物はのたうち、苦しんだ。
「アーチ級!?ゾンビーニンジャ!?知った事か!どれほど強大なニンジャでさえも、物量と弾幕には勝てんのだ!」サルコフォガスは高揚し、火力を讃えた。「もはやニンジャであることに意味などない!アマクダリかどうかなのだ!勝利し生き残るのは我らだ!ハイル・アマクダリ!天下秩序、バンザイ!」
アンタイニンジャ砲に加え、ひときわ盛大な艦砲射撃の雨がツキジを揺らした。サルコフォガスがアマクダリの勝利を確信した。直後、数百メートルもある巨大なイカ触手が地割れから飛び出し、重マグロツェッペリンに絡みついた。「何だと!?」サルコフォガスは狼狽した。この高度で攻撃を受けるとは!?
さらにもう一本、触手が飛び、重マグロツェッペリンの頭を捉えた。「バカな!これほどとは!」サルコフォガスは最大出力で逃れようとした。だが無理だった。重マグロツェッペリンは高度を落とし、神話のクラーケンに巻きつかれた船めいて、沈んでゆく。艦砲射撃が機体のすぐ下をかすめる。危険高度。
KA-DOOOM!小爆発。サルコフォガスは死に物狂いで、機関部を暴走させたのだ。だがフォーティーナインは最後のカラテを振り絞り、地下に固定した触手を何十本も引き千切りながら、獲物を引き寄せた!(イイイヤアアアアーーーーッ!)断末魔めいたフブキのカラテシャウトが、ツキジに響いた。
重マグロツェッペリンはエンジンの揚力と触手の下方への力で、船体を真っ二つに引き裂かれた。そして船体は凄まじい音とともに、地表に叩きつけられた。フォーティーナインはそれを盾と成した。なお激しさを増す艦砲射撃を、あと1分でも長くしのぐために。INWラボとリー先生を守るために。
「グワーッ!」船体ごと地表に叩きつけられたサルコフォガスは、天を仰いだ。キョウリョクカンケイからの砲弾が、無慈悲に降り注いできていた。艦砲射撃が止むはずはない。それがアマクダリであり、それがハーヴェスターの采配だ。サルコフォガスはそれを知っていた。
◆◆◆
雪が降り積もるカスミガセキ・ジグラット屋上。ハーヴェスターはサイバー双眼鏡を覗き、南東の湾岸部の火を見据えていた。彼の横には、本営電算室から外に出てきたペケロッパカルティストやハッカーニンジャらが何人も、肉体から生えた無数のケーブルを後方に伸ばしながら戦略IRC報告を続けていた。
「敵のウイルス、注入され続いてます!現在92%!」「周辺地域へも着弾!地下T1ケーブル網への被害、観測されています!これ以上の被害はウイルス進行速度を増します!」「ペケロッパ!おお、ペケロッパ!」嵐に飲まれた船の甲板を思わせる喧騒の中、ハーヴェスターはただ、命ずる。「砲撃継続せよ」
最高司令官ハーヴェスターに異議を唱えられる者はいない。アルゴスは全てを承認している。ハッカーらはただ報告するのみ。硝煙と狂気を孕んだ風が南東から吹き、彼のミリタリーコートニンジャ装束をなびかせた。ひりつくような焦燥感を最高級葉巻めいて味わった後、彼は言った。「砲撃……最大火力!」
滅びのホタルめいてバラバラに瞬いていた湾岸の火が、完璧な指揮を受けたオーケストラの如く、一斉に瞬いた。旗艦キョウリョクカンケイを中心に、艦隊内の全ての砲門が一斉に開かれたのだ。火力集中によって生まれた破壊力は一つの巨大な拳めいて叩きつけられ、盛大な火柱が、ツキジに立ち上った。
疫病の進行度が100%に達すれば、10月10日に多大な犠牲を払って成功させたジグラットと月面アルゴスのリンクが絶たれ、今夜の再定義が不可能となる。さらに市街監視インフラは麻痺し、アマクダリは連携能力という絶大なる武器を失うだろう。カルティストらは、月の裏の神に対して祈りを捧げた。
DOOOOOOOOOOOM!火柱から一拍遅れ、地獄の蓋が開いたかのような轟音と衝撃波が走った。サルコフォガスのバイタルサイン消失、爆発四散。フォーティーナイン、触手と肉塊を空高く撒き散らしながら、壮絶なる爆発四散。直後、最下層のロービットマイン、崩落。疫病の進行が、完全停止した。
「ウ、ウイルス対処開始!蔓延率80%まで減少!」「監視カメラ網、ノイズから徐々に回復!」「おお!ペケロッパ!」カルティストらが熱狂的歓声を上げた。「大臣どもが何人セプクするか知らんが、ツキジは片付いた」老将は咳払いして葉巻を燻らせ、戦略IRCを開いた。「次はジグラットの侵入者だ」
◆◆◆
ツキジ北東。オツヤめいて静まり返ったエンガワ・ストリートの高台で、シャドウウィーヴはバイクに跨り、ツキジの壮絶な爆発四散の火柱を見ながら、その場にしばし凍りついていた。01の風が吹く。コトダマ視界から、電子イナゴノイズが晴れて行く。監視カメラ網に、アルゴスの気配が戻り始めている。
世界に再び、理路整然たる光が灯ってゆく。彼は網膜の奥に焼きついた壮絶な火柱と、ちぎれ飛ぶ巨大な触手を反芻しながら、そこにいたであろう者達のためにハイクを詠んだ。あそこに、異様だが崇高な、美しいものがあった。そして散った。彼は直感的にそれを悟り、忘却に抗うため、ハイクを口ずさんだ。
その直後だった。アルゴスによるインターネット再定義の第1波が走り、01の風に乗ったコトダマを粉砕したのは。彼は異変を感じ取った。凄まじい精神衝撃波が、ジグラットを中心に、世界全域に走った。「ア」逃げる間もなかった。重なり合っていた二つの世界が、肉体とソウルが、左右に引き裂かれた。
シャドウウィーヴはあたかも強烈な白光を拒むように、歯を食いしばって視線を下げ、両手を前方に突き出していた。衝撃波が走り抜けた後も、しばらくそうしていた。目を開き、掌を見た。そしてアイアンオトメを、周囲を見た。確かに、一瞬だけ、世界が左右に大きくぶれた。今は再び重なり合っている。
シャドウウィーヴは震えながら深呼吸し、頭を掻きむしった。オヒガンと現実世界を切り離す。この世界から永遠なるものを奪い去る。ニンジャだけではない。全てのものが、すべての人々の魂が、オヒガンから永遠に切り離されるのだ。その恐るべきプロセスが、開始されたのだ。その兆しを、確かに見た。
シャドウウィーヴを襲った無力感にも似た怖気は、だがすぐに、胸の奥から沸き上がる暗い激情と怒りによって焼き払われた。『ヒアウィゴー』シャドウウィーヴを促すように、アイアンオトメの電子マイコ音声が鳴り、AIがハンドルをゆっくりと動かした。北西、カスミガセキ・ジグラットへ。
エルドリッチとフィルギアの行方は知れぬ。ツキジからは逃げおおせた事だろう。彼らには彼らの戦いがある。そこへ向かったに違いない。シャドウウィーヴは己に目を向けた監視カメラに対してクナイを投擲して破壊すると、アクセルを吹かし、怒れる乙女をハイウェイ・サーキットに載せるべく走り出した。
◆◆◆
「マッポーカリプスが近い…!」LANケーブルにまみれたサイバネ辻説法師が、終末論じみた戯言を叫び、ネオ・カブキチョ近くの大通りを歩く。かくの如き狂人の言葉に耳を傾ける者はない。ノイズから復帰し始めた街頭TVには、カイジュウが艦砲射撃によって仕留められたという欺瞞に満ちた緊急速報。
「アイエエエエ!?カイジュウ!?カイジュウナンデ!?」「ほら!いつか来ると思ってました!」「コワイ!」サイバーサングラスをかけた人々が口々に叫ぶ。「なぜ誰も理解せぬのだ!?マッポーカリプス!マッポーカリプスが……!アイエッ!?」その時、インターネット再定義の第一波が走り抜けた。
辻説法師は一瞬、目の前の光景が左右にぶれる感覚を味わった。そして、元に戻った。「彼は周囲を見渡した。人混みの中に一人か二人、ぽかんと立ち尽くし、おそらくは自分と同じ感覚を味わったであろう者らがいた。だが彼らはそれを疲労による錯覚と思ったらしく、奥ゆかしくドリンク自販機へ向かった。
ありふれた諦観とともに、サイバネ辻説法師はまた終末論を唱えて、歩き始めた。不意に、大通りで誰かが空を指差し、悲鳴をあげた。「アイエエエエ!?あれは何ですか!?」「むう……?」辻説法師も南西の空を見上げた。直後、彼は目を見開き、己の体が空に向かって落ちてゆくような感覚を味わった。
ニチョーム・ストリートを包んでいた01の光の柱がぼやけ、電力漏洩のタングステン灯めいて頼りなく明滅していた。驚きの原因は、この光柱ではない。それはもう市民の日常光景となっていた。辻説法師らが見たのは、ニチョームの上空、01の光柱の中で上下逆さになって浮かぶ、巨大な建造物であった。
「ア……ア……」辻説法師も声を失った。あるはずのないものが、ネオサイタマの空に逆さに浮かんでいたからだ。かつて、この世界から忽然と消えたはずのものが、そこに浮かんでいたのだ。通行人の一人が震えながら空を指差し、己の正気を誰かに担保してもらうべく、その名を呼んだ。「キョート城」と。
第3部最終話「ニンジャスレイヤー・ネヴァー・ダイズ」より:【5:ダ
ンス・トゥ・ツキ・ヨミ】終わり 6へ続く
N-FILES
アガメムノンを追って月面に到着するニンジャスレイヤー。一方ネオサイタマでは、ツキジ・ダンジョンを舞台とする大規模なニンジャ戦闘が開始されていた。このエピソードはシリーズ最終章のため、これまでの各部のシリーズ最終章と同様、フィリップ・N・モーゼズとブラッドレー・ボントが交互でシーンを担当するリレー執筆形式となっている。
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