S5第6話【ゼロ・トレラント・サンスイ】
【ゼロ・トレラント・サンスイ】
ぞっとするほど冷たいコンクリートの感触を全身で味わいながら、ミニットマンは十年前の「戦争」を思い出していた。
絶望的な防衛戦の中、彼の部隊は母隊から切り捨てられた。トカゲの尻尾のように。指揮系統の崩壊を知ったのは、何もかもが終わった後の事だった。生き残ったのは彼を含め二人。あの時もこうして冷たいコンクリートに腹ばいになり、機をうかがっていた。今は、一人だ。
降りしきる重金属酸性雨の中で、ミニットマンは目を閉じる。反芻するのはニューロンに焼き付いた光景。数刻前の、相棒の爆発四散の瞬間だ。ニンジャスレイヤーの無慈悲な一撃が、相棒の装甲を一撃で叩き割り、脳天から爪先にかけて両断した。あっけない最期だった。
「サヨナラ!」の叫びを残し、相棒は爆発四散した。殺されたニンジャは跡形もなく散り消える。いかなる年月を歩んでこようとも、死は一瞬。死ねば消え失せ、顧みられる事はない。
だが。……ミニットマンは顔を上げた。命があれば、再び戦える。彼一人が死を免れたのは、相棒にすら明かさなかった秘密のシニフリ・ジツ。マッタキな死を偽装し、敵を欺いた。ニンジャスレイヤーはミニットマンを死んだものと取り違え、去ったのだ。
その判断の誤りを、死を以て後悔させてやろう。ミニットマンは腹ばい状態で前進を開始した。匍匐前進である。彼は路上の微かな痕跡を見逃さず辿ることができる。ニンジャスレイヤーはアジトを巧妙に隠している。必ずや、それを暴く。
ミニットマンの匍匐前進は、いまや最高速をマークしていた。彼の匍匐前進速度はチーターに匹敵するとされる。生体反応をトレスすること、およそ20分。執拗な追跡の末に、遂に彼は、ニンジャスレイヤーの後ろ姿を、捉えた。
屋台が所狭しと道を塞ぎ、LED傘やPVCクロークを身につけた求職者が行き交う大通りを、ニンジャスレイヤーはまっすぐ抜けていく。素早く奥ゆかしい所作は赤黒の風めいて、市民の視界に留まることはない。それを追うミニットマンの匍匐も然りである。
ニンジャスレイヤーは地下街へ降りてゆく。ミニットマンは距離をおいて追跡した。匍匐では階段を降りられない。中腰姿勢に切り替え、階段を降りると、付近の壁に寄り掛かる浮浪者の襤褸を無雑作に剥ぎ取り、身につけた。
襤褸を纏うことで、彼は完全に市民社会に溶け込んだ。この地下街の空気に無防備で晒されれば、哀れな浮浪者は24時間以内に死ぬだろう。
ミニットマンの無慈悲な行いを咎める者はない。当の浮浪者自身でさえも。
潰れたブティックの鉄格子、薄汚いマガジン・スタンド、違法な回路基板をおおっぴらに並べた店、蛍光色のスプレーで「バカ」「スゴイ」など、悪罵を極めた言葉をペイントされたシャッター。死んだ空気をかきわけ、ニンジャスレイヤーが向かうのはサッキョー・ラインのホームだ。
ニンジャスレイヤーは改札ゲートを通過。その60秒後、ミニットマンは柱の陰から進み出、構内に入り込んだ。ゴミが堆積した不潔な空間だが、駅の利用者は決して少なくない。無気力かつ無関心なサラリマンの群れをかきわけると、ホームに鉄の塊が唸りながら滑り込んできた。
竣工当時は銀色に光っていたであろう電車のボディも、今やグラフィティの餌食となっている。「アソビ」「アブナイ」「ケンカ」......。重苦しいサウンドを響かせ、ドアが開く。ミニットマンはニンジャスレイヤーの隣の車輌に乗り込んだ。
連結扉のガラス越しに、ミニットマンは隣車輌の動向を監視する。どの駅で降りる、ニンジャスレイヤー!
「カスガ」駅では大勢のサラリマンが降りた。だが標的は不動。「センベイ」駅も同様だ。この電車はエクスプレス。限られた駅にしか止まらない。終点まで行くつもりか?
チープな電子音がカーブ注意を知らせる。ぐらりと車体がかしぎ、横向きの重力がかかる。ミニットマンはつり革に力を込めた。その一瞬のことだった。ニンジャスレイヤーは、隣の車輌から忽然と消え失せていた。
「バカな!」だが、慌てるな。ミニットマンは網膜に映し出された生体センサーの二次元レーダーを確認した。ニンジャスレイヤーを示す赤い点は当初からほとんど動いていない。という事は……。「上か」
ミニットマンは窓枠を乗り越え、走行中の電車の側面から上へよじ登る。トンネルの壁面に走行音がごうごうと反響し、風圧が襲いかかる。ニンジャにとって、この程度の動作はウォームアップですらない。「……」這い上がった彼は見た。ニンジャスレイヤーがこちらを向き、仁王立ちで待ち構えていた。
復讐心と功名心、そして焦りに曇らされていたミニットマンの思考は、無慈悲な結論を導き出した。ニンジャスレイヤーはミニットマンの尾行にどこかの時点で気づいていた。そして、こうして……彼を逆に待ち伏せたのだ!
「ドーモ、ミニットマン=サン。ニンジャスレイヤーです」風に乗って、ニンジャスレイヤーのアイサツが届く。ミニットマンは怒りに震える手を合わせ、アイサツを返した。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。ミニットマンです」
再戦である。数刻前のイクサは二対一のフーリンカザンを得ていたにもかかわらず、敗北で終わった。恐るべきイクサであった。だが長年の相棒バーティカルの無惨な死と引き換えに、今のミニットマンは敵のカラテを知る。イクサは一瞬。勝機は充分にある。
この間合いで最も注意すべきニンジャスレイヤーの行動は獣じみた前傾姿勢からの怒涛めいた急接近。そこから仕掛ける、えぐるようなカラテだ。ならば初手で繰り出すべきは牽制のスリケンである。突進してくる敵の額にスリケンを食らわせ、勢いを挫き、脳天を砕くチョップで一撃にて決着する!
「イヤーッ!」来る! ミニットマンは迎撃のスリケンを繰り出そうとした。……それで終わりだった。ミニットマンの目の前、息がかかるほどの距離に、ニンジャスレイヤーがいた。想定を遥かに上回る接近速度。胸の中心やや左寄りに、温かい感触があった。バカな。
ニンジャスレイヤーがミニットマンの胸から右手を引き抜く。手の中の心臓を無感動に一瞥したのち、握り潰した。電車がカーブにさしかかる。「アマクダリ・セクト、バンザイ!」ミニットマンがハイクに叫んだのは、とうに滅びた組織の名だった。電車から振り落とされ、爆発四散した。「サヨナラ!」
電車はブレーキを軋ませながら徐々に速度を落とす。ヤヌタ駅。ザンシンの姿勢で佇んでいたニンジャスレイヤーは不意に反応し、駅の数百メートル手前で車輌から飛び降りた。そこには地上へ通ずる奇妙な隠しハシゴがある。伝ってマンホールから地上に出ると、そこは自然公園の只中だった。
生い茂るバンブー林。頭上の夜空には二つに割れた月が浮かんでいる。ニンジャスレイヤーは自身が立つ奇妙な小庭園を見渡した。ネオサイタマにはおよそ不釣り合いな、神秘と静寂が支配する世界。彼はデジャヴめいた感覚に襲われる。初めて訪れる地でありながら、彼にとっては既知の感覚があった。
ニンジャスレイヤー……マスラダ・カイは思う。この地は10年前のニンジャスレイヤーと関わりがあるのだろう。この種の違和感は初めて味わうものではなかった。幾度も経験し、そのたびに、啓示となった。(((注意せよ。マスラダ))) 不意に、彼の内なるニンジャソウル、ナラク・ニンジャが囁いた。
(((気配を殺しておるが、儂にはわかる。強大なニンジャの気配だ))) 一瞬遅れて、ニンジャスレイヤー自身のニンジャ第六感が、ナラク・ニンジャの警告を裏付けた。風が流れ、バンブーが揺れる。落ち葉を踏みしめる音。彼は腰を落とし、戦闘態勢をとって待ち構えた。
(((……やはりな!))) ナラクが唸った。バンブーの葉が舞い散るなか、黒いコートの男が闇の中から染み出すように現れ、進み出た。鈍色の髪、カタナめいた眼光の男は、流れるように手を合わせ、アイサツした。「ドーモ。ニンジャスレイヤー=サン。ダークニンジャです」
【ゼロ・トレラント・サンスイ】終わり。
このエピソードは【トレイス・オブ・ダークニンジャ】に続く。
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